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28 火猿鬼伝説 砂糖水(HP


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 昔、能登(のと)にある仁行(にぎょう)の猿尾谷(さるおだに)というところに、非常にすばしこく、更には炎を操る猿の妖怪が現れた。その様子から火猿鬼(ゴウカザル)と呼ばれた。火猿鬼はその辺りに住みついていた多くの妖怪を従え、家畜を食い殺したり、田畑を荒らしたり、女をさらっていくなどの悪行を繰り返していた。
 困った周辺の人々は、三井大幡の神杉姫(かんすぎひめ)という女神に窮状を訴えた。神杉姫は人々を哀れに思ったが、火猿鬼の力は強く、己の身に余ることだと悩む。そこで神無月に出雲へ向かった際、神々に火猿鬼のことを訴えたところ、軍を作ってもらえることになった。しかし、能登のことは能登の神が解決すべきとされたため、能登一の宮の気多大明神を大将、神杉姫を副将として、退治に行くことになった。
 火猿鬼たちは当目(とうめ)の岩屋堂(いわやど)に閉じこもっていた。そこで、神杉姫が美しい着物を身に纏い、お猿、お猿、と澄んだ声で火猿鬼を呼んだ。すると、きれいな娘がいると、火猿鬼どもが出てきた。それを見た気多大明神は合図を出し、神々がここぞとばかりに数千もの矢を次々に射る。ところが、火猿鬼たちは矢を一本残らずつかんだ挙句、神々へ投げ返してしまった。
 気多大明神はこれでは勝負にならないと、神々と共にひとまず稲舟(いなふね)の海岸まで退き、策を練ることにした。それから神々は、何度も火猿鬼退治の相談をしたのだが名案が浮かばず、途方に暮れていた。その中で最も思い悩んでいたのは神杉姫だった。最初に人々が頼ってきたのは自分だったからだ。しかしそうしているうちに、とうとう雪の降る時期になってしまった。
 そんなある日、どうしたものかと悩んでいる神杉姫が浜を歩いていると、波間から不思議な歌声が聞こえてきた。
「千反の 布に身を巻き 筒の矢を 射させたまえや 神杉の姫」
 神杉姫は気多大明神を始めとしたほかの神々にこのことを伝えると、それは名案だとすぐに意見がまとまった。そうしてすぐさま筒の矢を作り、たくさんの白布を集めると、再び火猿鬼退治に挑むことになった。
 雪の降り積もる中、神々は白布に身を隠し、岩屋堂を取り囲んで夜を待った。日が沈み辺りが暗闇に包まれた頃、神杉姫が白布を体に巻いて優雅に舞を踊ると、その美しい舞に誘われるように火猿鬼たちは出てきた。様子をじっと窺(うかが)っていた気多大明神は、今だと声を上げた。それを聞いた神々は白布をさっとどけると、火猿鬼たち目がけて筒矢を射る。
 なんだこれはと、以前のように火猿鬼が筒矢をつかんだ。すると、筒の中から矢が飛び出し、火猿鬼の目に突き刺さった。実は筒の中に仕込んだ矢には毒が塗ってあり、あまりの痛さに火猿鬼はのたうち回る。やっとのことで矢を目から抜き取ると、手下の妖怪の一部をしんがりとして残し、自分は泣きながら慌てて逃げ出した。隣山まで逃げた火猿鬼は薬草を使って目を洗い、態勢を整えようとする。
 ところが、神々は火猿鬼を逃がしてたまるかと、しんがりの妖怪たちを蹴散らして、神杉姫を先頭に追ってきた。そうして追いついた神杉姫が火猿鬼の首を切り落とす。体から川を黒く濁らせるほどの血を流し、ようやく火猿鬼は死んだ。大将を殺された妖怪たちは神杉姫に飛び掛かろうとするが、傍らに控えていた気多大明神やほかの神々に全て討ち取られたそうだ。

 火猿鬼は一般にゴウカザルとされるが、本来生息していないはずのゴウカザルがなぜ現れたのかはわかっていない。