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33 足跡残すオオバコ 砂糖水(HP


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。



 オオバコは、オオバコ科オオバコ族の多年草の総称であり、世界中に広く分布している。そんなオオバコは古くから主に止血薬などとして用いられてきた。
 このオオバコの薬効は、様々な逸話に残されている。そのうち二つを紹介しよう。

 一つ目は東南アジアに伝わる話だ。
 とある小さな島に二匹のヘラクロスがいた。名前をそれぞれ、キャラッグとタルー・デイルといった。この二匹のヘラクロスは大変仲が悪く、顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた。
 ある日、キャラッグが道を歩いていると、タルー・デイルが向こうから歩いて来るのに気がついた。それは無論、向こうも同じであり、いつものようにまた喧嘩が始まった。あまりにも激しい戦いなので、その対決に大勢の見物客がやって来る始末。
 やがてキャラッグがひどい傷を負ってしまい、負けそうになってしまう。どうするのだろうと、見物客が見守る中、キャラッグは道端へ走って行ってオオバコの葉を揉んでその汁を傷口に擦り付けると、また戦い始めた。タルー・デイルも同じように、深手を負うと道端へ走り、オオバコの汁を傷口に擦り付けてはまた戦う。
 そんなことが何回も何回も繰り返されるので、見物客の一匹が「オオバコがなかったらどうなるのだろうか」と呟いた。それを聞いて好奇心を抑えられなくなった数匹が、とうとうオオバコを全て引き抜いて隠してしまった。
 さて、傷を負ったキャラッグとタルー・デイルが、それぞれ道端のオオバコがあったところへ走る。ところが、オオバコは先程全て引き抜かれてしまったため、見当たらない。それを見て二匹とも揃って、疲労からひっくり返ってしまった。
「誰だオオバコを隠したのは!」
 そう二匹のヘラクロスが叫んだが、誰も答えなかった。

 二つ目は中国に伝わるものだ。
 後漢の光武帝に仕えた馬武(マーウー)という将軍の軍が、戦に破れ食料もない土地に退却した時のこと。その年はひどい旱魃(かんばつ)であり、碌な食料も水もなかった。そのため、負傷した兵士や炎馬(ギャロップ)たちは飢えと渇きに苦しみ、ばたばたと死んでいった。生き残った兵士と大炎馬も徐々に弱っていき、下腹が膨れ血尿が出るようになってしまった。
 ところがその時、ある炎馬だけは元気なことに、一人の兵士が気がついた。そこでその兵士は炎馬が食べているものを観察した。すると、炎馬はオオバコを大量に食べていた。兵士は試しにとオオバコを煮て、自分で食べたところ、血尿が止まった。そこでその兵士はほかの兵士や炎馬にもオオバコを食べさせた。すると、みな血尿が止まり回復したそうだ。
 馬武が兵士にその草はどこで見つけたのか、とたずねると兵士は荷車の前にあったのだと答えた。そこから、オオバコは車前草とも呼ばれるようになった。

 実はオオバコは、適度に踏みつけられないと、他の植物が大きくなって光が当たらなくなるために、生き抜くことができない。また、オオバコの種子は、水分に触れると表面に粘膜の膜を作る。その粘膜によって靴の裏などに張り付くことで遠くへ運ばれ人の行く先々に生える。本来オオバコがなかった地域に、人間が足を踏み入れることでオオバコは生息域を広げてきた。そんなオオバコの花言葉は、「足跡を残す」である。