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49 貿易商のパートナー クーウィ


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 英雄叙事詩は古今限りなく存在するが、そこには当時の人々の文化や生活が描写されているものも多く、資料としても第一級と評されているものが少なくない。
 小アジアでの攻城戦を描いた『ナッソス攻防紀』もそうした物語の一つで、そこには戦いの様子や戦争の理由となった宗教観についての言及は勿論の事、物流や交易、そして庶民階級の人々と支配者層の考え方の違いなど、様々な事柄が実に生き生きと活写されている。この物語の成立はルネサンス期と言われ、舞台となっているのは小アジアにある港湾都市で、十六世紀に実際に行われた二つの宗教勢力の戦いをモチーフとし、複数の主要な登場人物達それぞれの立場から描かれた、幾つかの派生作品がある事でも有名である。
 今日はその中から、私が実際に現地の語り部から歌い聞かされた、貿易商人についての行を紹介しようと思う。

 このシーンはまだ戦争が始まる前、夕暮れ迫るナッソスの港に、一隻の平底帆船(ダウ)が到着するところから始まる。平底帆船は主に東方のムスリム商人が用いる船で、事実それに乗っていたのも、本来ナッソスの町とは敵対関係にある、異教徒の貿易商。しかし彼は港に入る際何ら妨害を受けなかったばかりか、逆に出迎えたナッソスの商人からも賓客として遇され、街外れにある彼の別宅へと招かれていく。
 歓迎の晩餐を経て、個人的な雑談も織り交ぜながら、一頻り情報交換を終えた後。やがていよいよ商談に入る訳であるが、その前に彼らはそれぞれの商品の目録とそのサンプルを、その場に直接提示して見せるのである。ナッソスの商人が従者達に運ばせて来たのは蜜蝋や獣の皮が少しだけと言った案配だったが、対するムスリム商人が用意したのは、豊富な香辛料に各種の木の実、そして一人の少年奴隷と言うもの。……尚、これは別段特別な事ではなく、当時の交易に於いて奴隷は双方にとり非常にウェイトの高い品目であった。ムスリム商人は勿論、ナッソスを始めとする西方地域の商人達も、異教徒との戦いで得た捕虜を奴隷として買い取り、それを更に他の相手に売り飛ばすのを、ごく当たり前の商行為として行っていたのである。
 獲得した奴隷は当然労働力として売り払う場合もあったものの、それ以上に利益が上がり易いのは、元々その奴隷が所属していた異教徒の側に、再度身受けさせると言う方法である。つまりは身代金を取って釈放する訳で、敵対関係にある筈の異教徒の商人がこうして相手側の港街へと交易に出向いて来れるのは、そう言ったカラクリがあるからなのだ。ナッソスの商人もムスリムの商人も、お互い宗教騎士団や海賊達と手を組んでおり、それぞれが捕えた捕虜に関しての、相手方に対する窓口となっていると言う訳である。
 そして肝心の商談についてだが、ここでもまた一つ当時の様相を垣間見られる描写がある。対価となる品物の少ないナッソスの商人側は、当然その不足分を金銭で賄わねばならない訳だが、値段の交渉をする際、ムスリム側の商人から、「もっと出せるだろう」と問い詰められる。ムスリム商人の隣には一匹のオオタチが控えており、主人である商人にじゃれ付きながらも、同時に商談相手であるナッソスの商人を注意深く観察しており、その独特の能力を用いて、相手の懐に何が入っているのかしっかり見抜いてしまったからだ。この物語に限らず、昔の貿易商を描いた絵画や物語には、しばしばオオタチやプクリン、ジュペッタと言った特殊な特性(これは一般に『お見通し』と呼ばれる)を持ったポケモン達が登場するが、当時の商人達はこうしたポケモンの力を借りて、相手との値段交渉を有利に運べるよう工夫していたらしいのである。
 これに対するナッソスの商人の対応こそが、今回のこのシーンにおけるメインイベントと言うべきものであろう。ムスリムの商人に懐の中身を咎められた彼は、「これには他に大事な使い道が決まっている」と主張して、値段を釣り上げようとする相手の談判をかわそうとする。そして更に、「それならばこの商談は成立しないだろう」と告げられると、彼は召使に目配せして、一人の娘を部屋の中へと連れて来させた。部屋に入って来た少女は、ムスリム商人の連れていた小年奴隷を目にするや叫び声を上げ、それに気付いた少年の方も彼女の事に気が付くと、二人は駆け寄ってひしと抱き合う。
 互いに涙を流しつつ再会を喜び合う姉弟を前に、ナッソスの商人はにやりと笑い、呆気に取られたムスリムの商人に対して、『奴隷を解放して善行を積んではどうか』と提案する。彼ら東方の異教徒達には、生涯の間に功徳を積む方法として喜捨や奴隷の解放と言った手段があり、彼は今がそれに最も適したタイミングではないかと付け加えたのだ。更に彼は、相手の商人に誕生日を控えた幼い息子がいる事にも言及し、「ここで欲をかいて姉弟の間を引き裂くのは、同じように子供を持った親の為すべき事ではない」とも主張する。
 流石にこの意表を突いた策略にはムスリム商人の方も我を張れず、已む無く顔見知りの商売相手に一歩譲って、当初の代金で取引を終える事となった。そして、やがて無事に品物の引き渡しも終え、「一本取られたよ」と別れを告げたムスリム商人に対し、ナッソスの商人は最後に一言呼びかけると、懐に入れていた袋を取り出して、小舟で去っていく相手に向け投げ渡す。異教徒の友人が受け取った袋にはずっしりと銀貨が詰まっており、怪訝そうに顔を上げた彼に向け、ナッソスの商人は笑いながらこう告げて、このシーンは幕引きとなる。
「息子の誕生祝いだ」、と。

 最後に、私がこの物語に親しんだ際、歌い聞かせてくれた吟遊詩人の老人の言葉を添えて、今回の締めとしたいと思う。皺だらけの手でリュートを弾きつつ語り終えた彼は、静かに一礼した後、はにかみながらこう感想を述べてくれた。
「今も昔も何処の国でも、違いが生み出す対立は止む事がありません。……けれども、何時の時代もどんな文化や宗教の下でも、大事な事や尊重されるべき事柄は、同じなのではないでしょうか」
 二つの異なる世界観、その戦いを語り聞かせる老人は、夕暮れ迫る港町の片隅で、私にそう囁いた。