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60 トーテムポールとサンダーバード  No.017(HP


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。


 文化人類学者アッサムが開拓時代、イッシュ先住民と生活を共にし、彼らの文化を研究していたのは「メブキジカ・ティー」の項でも述べた通りだが、特に彼が熱心に研究していたのはトーテムポールであった。アッサムは写真の他、詳細なスケッチをいくつも残しており、今日の研究においても貴重な資料となっている。
 トーテムポールは柱型の彫刻で、家や部族の紋章、伝承、生活に関わるポケモンなどがその題材となった。特に多いのはバッフロン、メブキジカ、マメパト、そしてサンダーバード(ウォーグルやサンダー)であるという。
 本来は朽ちるままに自然に帰るトーテムポールであるが、ネイティブ・イッシュの文化が見直されるに従って、トーテムポールはその象徴的な存在になっていき、その高い芸術性を評価した人々から熱心に収集されるようになった。現在も博物館や美術館で見る事が出来るのはその収集の成果と言えよう。そこに顕されるポケモン達は先住民達が辿った歴史を語り、また後に現れるイッシュ神話への影響を与えた存在でもあるという。
 バッフロン、メブキジカ、マメパトはかついてイッシュの地に溢れていた。もちろん今でも生息はしているが、かつてバッフロンは地を覆い尽くすほどの群れで大移動していたとか、かつてマメパトは空を覆うほどの億単位の群れで移動する個体群があったという風に説明すれば規模の違いがおわかりいただけるであろうか。
 けれど彼らは姿を消していった。中世、海を渡る技術を身に付けた西欧の人々がイッシュの地に現れたからだ。ポケモンを操る技術に長けていた開拓民らは、海の向こうから連れてきたポケモン達を用い、メブキジカは前述の記事の通り茶葉を得る為に獲り、バッフロンは先住民達を支配する為に意図的に駆除していった。空を覆うマメパト達も肉をとるためであるとか、連れてこられたポケモン達の技の的として次々に撃ち落とされていった。
 彼らにとっては「西欧の人とポケモンこそが文明的段階にあり、支配者たるもの」であった。ポケモンの支配をよしとせず、食を得る為の最低限の技しか持っていなかった先住民らは軍事的にも遅れを取ってしまった。またバッフロンという食料源を失って餓え、今までのような狩猟生活が困難になった。彼らは農耕を中心とした西欧の機構の中に組み込まれていったのである。
 森からはメブキジカが消え、空からはマメパトの大群が消え、バッフロンに到っては貴族にして生物学者であるホーナディ卿が僅かに残った個体群を発見するまで絶滅したとみられていた時期があった。現在では個体数がある程度回復しているものの、かつてのような勢いを取り戻すには到っていない。イッシュの野生においてバッフロンは珍しいポケモンになってしまった。マメパトに関しても小さな個体集団が残されて、かつてのような空を覆う大群は見られないという状況が今日まで続いている。
 イッシュ神話として知られるレシラム・ゼクロムのエピソードも西欧の人間が支配して以降の歴史において創出されたものであり、それを学んだだけでは本来のイッシュの民俗・伝説を知った事にはならないと言えるだろう。(今の砂漠地帯に栄えたという古代文明研究の影響も指摘されるが今回は触れない)
 西欧侵入以前に先住民らが信仰していたのはトーテムポールの一番上に座し、翼を広げるサンダーバードである。ただ、その姿や伝説は部族によってもまちまちで、一説には雷鳴を連れてくるという巨大なウォーグルであったり、本体は雷であって嘴と脚しか無いなどの口伝があったりする。後者は伝説の鳥ポケモンとして知られるサンダーに近いかもしれない。ウォーグルの豊かな羽毛をたたえた外見はレシラムに、そして現れる時に連れてきたという雷の部分はゼクロムに、それぞれが影響を与えたのではないか。シッポウシティの博物館にあるトーテムポールの解説ではそのように締めくくられている。