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64 赤羽橋 穂風湊


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。


 先程ビレッジブリッジにまつわる話をしたが、イッシュの橋はそれだけではない。南西部には「ホドモエの跳ね橋」があり、休日には多くの人が訪れる。なぜ観光スポットになっているのか。その答えは一度訪れてみればわかるだろう。大型船が通行する時、長い橋が真ん中から左右に開いていく様子は、子供だけでなく大人そしてポケモン達をも惹きつけるのだった。
 そんなホドモエの跳ね橋にもビレッジブリッジと同じように歴史がある。今回はそれについて紹介しよう。

 まだ橋が無かった頃、ライモンからホドモエへ向かう主な手段は舟だった。しかし川の下流のため川幅が広く、荷の積み替えが面倒だったため、移動にはかなりの時間を要した。
 では急ぎの場合はどうしていたのか。その解決法を担っていたのが一人のトレーナーだった。遠い地方から遙々空の旅をしてきた彼は、この地方では当時珍しいリザードンをパートナーにしていた。なんとか早く移動出来ないものかと悩んでいた人々を目にした彼は、リザードンと共に短距離の空運業を始めたのだった。
 大きな翼を持つリザードンは水運の何倍も早く両岸を結び、頑強な体は大荷物の運搬も可能にした。たちまち彼らの噂は近辺に広まり、見物に訪れる人も出てきたのだった。
 リザードンが両翼を広げる姿は多くの人を虜にした。姿を目にする機会は滅多に無く、悠々と空を舞うリザードンを見られた当時の人々の感動は相当なものだっただろう。
 しかしそれも十数年で幕を下ろしてしまう。同族が他に見つけられず番が出来なかったリザードンは子を残せず老衰してしまったのだった。さすがに老いた相棒を働かせるわけにはいかないと空運業は一代で終わってしまった。
 丁度その頃、イッシュ各地に橋を建造する計画が立てられていた。ヒウン‐ヤグルマの森間や、このライモン‐ホドモエ間が対象となっており、これで交通が再び不便になることは避けられた。
 ホドモエを荷の集合場にする計画から、跳ね橋にすることは決められていたが、デザインはどうするか。案はすぐにまとまった。デザインを担う者達もまたリザードンに魅せられていたのだった。
 この地で橋渡しをしてくれたリザードンの姿を後生に残したい。その思いが詰まったこの橋は、両端に上がる際、リザードンが翼を広げる姿に見えるよう幾度の調整の上設計された。そのためホドモエの跳ね橋は別名「リザードンブリッジ」として親しまれている。
 とはいってもリザードンを知っている若者は少ない。子供たちは愛称で呼ぶこともあるが、リザードンが何なのか知らない者が大半のようだ。もし手持ちにリザードンを加えていて、ホドモエの跳ね橋を訪れる機会があるならば、ぜひ彼らに見せてあげるのはどうだろうか。きっと興奮して喜んでくれるはずだろう。