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65 Aisle たわし


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。


 女性にとって、一生に一度の晴れ舞台――結婚式。
 教会で愛を誓い合うカップル達が歩くバージンロードに、『悪魔』が潜んでいるというのはご存知だろうか。
 実は、バージンロードというのはカントーやシンオウでの呼び方で、イッシュ地方では「Aisle(アイル/通路)」と呼ばれている。
 宗教や文化、人間、また近年イッシュに生息し始めた、本来イッシュ地方には生息していなかったポケモン達のように、あらゆるものを他の地方から吸収して発展してきたイッシュに於ける結婚式の様式は、まさに多種多様なものである。
 ただ、どのような宗教の婚礼の儀でも、またどのような教会でも、変わらない事がある。――「アイルには『悪魔』が潜んでいる」という事だ。

 例えば、理想の象徴であるゼクロムを信仰している教会での結婚式では、アイルに潜む悪魔はヒトモシだと言われている。
 ヒトモシは、人やポケモンの生命力を吸い取って生きるポケモンだ。ゼクロムの教会でその昔、挙式をしたあるカップルの花嫁がアイルを渡る途中で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。悲しみに暮れる親族は「きっと教会のロウソクに成りすましていたヒトモシが、花嫁の命を吸い取ってしまったのだ。」と、花嫁の死をヒトモシのせいにした。
 これ以来ヒトモシは、ゼクロムの教会に潜む悪魔となってしまったようだ。今でもヒトモシ達は、花嫁がアイルを通って花婿に辿り着く前に、花嫁の命を奪ってしまうと言われている。ヒトモシが成りすまさないようにという意味を込めて、ゼクロムの教会ではキャンドルは使われないそうだ。
 また、真実の象徴であるレシラムを信仰している教会での結婚式では、アイルに潜む悪魔はデスマスだと言われている。
 デスマスは、古代の人間の魂が変化して生まれたポケモン。つまり、元は人間だったポケモンだ。レシラムの教会では過去に、花嫁が式の途中で逃走したり、式の最中に破局するカップルが立て続けに出るという事態があった。真実の愛を求めた結果だと思えばある意味レシラムの教会に相応しい事なのかも知れないが、このような事が続いては困るという事で、「これはデスマスの仕業だ。彼らは元々人間だったのだから、生きている花嫁や花婿に嫉妬してこんな事をするんだ。」と、人々はデスマスのせいにしてしまったらしい。
 今でもレシラムの教会では、花嫁がアイルを通過するうちに、デスマスとなった古代の人々の魂が花嫁を誘惑すると言われている。レシラム教ではデスマスの誘惑から花嫁を守る為、祖母や母から譲られた古いドレスや指輪を避ける風習がある。或いは事前にお祈りをするだけでも効果があるらしい。
 別の理由としては、理想の象徴であるゼクロムが黒だから、ゼクロムの教会のアイルに潜む悪魔は身体が白いヒトモシを。またレシラムを信仰する教会では、真実の象徴であるレシラムが白だから黒っぽいデスマスを悪魔に見立てた、等という適当な伝承もあるそうだが。
 ヒトモシもデスマスもゴーストタイプ、そしてどちらも、人の生や死に関連するポケモンだ。
「ポケモンの研究が進んだ今だからこそ、その正体や彼らとの付き合い方も分かってきましたが、昔の人々は正体や性質の分からない彼らを、自分達の不安や恐れの象徴として『悪魔』としたのでしょう。ポケモン達にしてみれば、いい迷惑ですね。」
 ゼクロムを信仰する教会の神父は、傍らに控えるデスマスの仮面を撫でてやりながらそう言った。今しがた、ヒトモシやデスマスは悪魔の象徴だと話したばかりなのにどういう事だと言ったところ、「だってうちの神様はゼクロムですから。同じ黒であるデスマスなら歓迎してもいいでしょう?」などと言われた。

 イッシュの伝説にある残る1体のドラゴンポケモン・キュレムにも、勿論宗教が存在している。
 特にキュレムが居たとされるジャイアントホールが近いカゴメタウンの住民には、キュレムを信仰している人が多いそうだ。極低温の冷気を作り出すとされるその力を、人々は恐れ、同時に敬ってきたのだという。
「キュレムはジャイアントホールを凍てつかせ、やがてその冷気は外の森や村まで伝わり、作物を枯らす。だが、キュレムがいるから守られてきたポケモン、進化してきた植物や環境があるんだ。だからキュレムは守り神でもあるんだよ。」
 カゴメタウンに住んでいる、キュレムを信仰する老人はそう言った。
 キュレムが存在したとされるジャイアントホール内部やその周辺には、その低温〜極低温に適応して進化を遂げた植物が多く見つかっている。また、ジャイアントホールに生息している低温を好むポケモン、或いはその凍てつく環境を基盤に文化を作ってきた近隣の村を見ると、信仰されてきたキュレムが核となって構築される世界が、そこに存在しているというのは確かな事だ。

 カゴメタウンの近くに密かに建っている、キュレムを信仰する小さな教会を訪ねてみた。
 キュレムを神様とするこの教会のアイルには、独特の模様が白糸と黒糸で刺繍された、氷を押し固めたように冷たい灰色の布が敷かれている。布の色は信仰しているポケモンによって違う。ゼクロムの教会では黒、レシラムの教会では白、ここ、キュレムの教会では灰色の布が、挙式をする際に敷かれる。このアイルに敷かれる布は、アイルを渡る花嫁を悪魔から守る為のものだ。
 「どの教会のアイルにも必ず『悪魔』は存在する」――神父に、「ここに潜む『悪魔』はどんなポケモンなんですか」と尋ねた。すると神父は、祭壇の向こうにある大きな木造のキュレム像を指差した。
「中央にあるキュレム像の、縁取りとして装飾されている文様がありますよね。その中にキュレム教の悪魔とされているポケモンがいます。」
 キュレム像の周りを装飾する文様を辿っていくと、装飾の角に当たる部分に、6枚の翅のようなものが描かれていた――太陽ポケモン・ウルガモスだ。
「キュレムを崇めるという事は即ち、この土地の環境を受け入れるという事です。
 太陽ポケモン・ウルガモスは、他の土地では神様として崇められている伝説のポケモンです。ですが、我々の祖先にとってウルガモスは悪魔のような存在だったと言われています。ウルガモスの6枚翅から放たれる高温の炎は、あたり一面を火の海にすると言われています。勿論実際ウルガモスがそのような事をするというのはまず無いのですが、太陽の代わりにもなるというその存在は、我々にとって冬の終わり・・・・・・キュレムが作ってくれたこの文化の終わりを意味する、大きな脅威だったのです。
 我々は、キュレムが作ったこの土地を愛しています。例えそれが、他の土地では崇められている神様であっても、我々にとって強すぎる炎は悪魔なのです。尤も、我々が信仰していた神様は、もうこの土地にはいないのですがね。」
 そう言うと神父は、少し寂しそうな顔をした。
 かつてこの土地に居たキュレムは、現在はもういないのだ。風の噂では、器であったキュレムに真実、或いは理想を埋め込んでくれたポケモントレーナーがいたのだとか。キュレムはそのトレーナーと共に旅立ったとも、自由になってどこかへ飛んでいったとも言われている。――いずれにせよ、信仰していた神様が居なくなってしまったという事はキュレム教の人々にとって悲しい事なのだろう。きっとそれはゼクロムやレシラムは信仰している人々も同じ事だ。
 神父は説明を終えると、そういえば近々ここで挙式をするカップルがあるのだと教えてくれた。

 キュレムの教会で式を挙げるカップルを一目みようと、私は結婚を祝う人々やポケモンに混じった。
 そうそう、アイルを歩くのは、新郎、新婦、新婦の両親だけとされている宗派もあるそうだが、イッシュではほぼ全ての教会で、新郎・新婦の手持ちのポケモン達が一緒にアイルを歩く事を許可されている。
 悪魔が潜む通路も、大切なポケモンが一緒なら大丈夫・・・・・・昔はポケモンが一緒に歩けない時代もあったそうだが、今ではこちらの方が主流だ。
 美しい刺繍が施された灰色の道を、悪魔から守る為に付けられた白いベールを下ろして花嫁が歩いてくる。傍らを歩いているのは灰色のミネズミだった。列席した親族の方に聞くと、花嫁のアメリアさんが嫁ぐ際に連れて行って欲しいという事で、彼女の父親が持たせたポケモンだとか。
 ミネズミに限らず、キュレム教では灰色のポケモンにアイルを歩かせる事が多いそうだ。それは、キュレムがレシラムとゼクロムを入れていた器であると言われている事が所以らしい。
 「白にも黒にもなれなかった、キュレムは悲しいポケモンだと言う人もいます。だけどキュレムの悲しみが、この土地を、文化を作ってくれたのです。
 キュレムが居なくなっても、私達はこの文化を守っていきます。いつかキュレムが帰って来れる場所を残しておく為に。そして私達の歴史を、消さない為に。」
 「アイルには『悪魔』が潜んでいる」。アイルに敷かれた布の裏側にあるのは、信仰してきた人々とポケモン達の歴史なのかも知れない。

 アイルを渡り、神父の前で愛を誓い合う二人。
 教会の木彫りのキュレムに見守られ、沢山の人やポケモン達からの祝福を受ける二人の傍らで、灰色のミネズミは嬉しそうに尻尾を振っていた。