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94 能「禍津水神」  No.017(HP


PDFバージョン  フォルクローレに採用されると見開きの片側に絵がつきます。


 先日7日、タマムシシティにある国立能楽堂で新作能の公演が行われた。曲目は「禍津水神」と言うらしい。初番目物に属する「異神物」であるとのことだが、四番目物「巫女物」の要素をふんだんに孕んだ意欲作であるという。そのストーリーを順に追っていこう。

 まだたくさんのクニがこの国にあって、それぞれが政治を行っていた時代の事である。荘厳な音楽の中、ワキ(主役の相手方)である巫女が水神神社に仕える巫女としての儀式を行う場面が最初の場面になる。白と赤の装束に身を包んだ巫女は若女の面を被っている。まるで祝言を挙げるかのように巫女と御輿は並んでいる。
「我がクニを護りし、水に棲むものよ」
 巫女は祈るが、不意に御輿は揺れ、彼女は不審に思う。
 次の場面は巫女の奉仕となる。毎朝、境内を清めて巫女は仕事に励む。だが、御神体である四尺の箱に水をかけると不意に不気味な声が響いた。その声は大変禍々しいもので、とてもクニを護る水神とは思われなかった。もしや、ここにいるのは禍津神ではないか。そう思った巫女は神社から逃げだそうと考えるが、身よりの無い彼女はここより外に出ては生きる術もない。
「大神主様、ご存じで私を閉じ込めたのですか。私は贄なのですか」
 私は禍津神の腹の中にいるのだ。鳥居の前で巫女は嘆く。ワキは激しい拍子にあわせて激しく舞うが、鳥居の向こうに一歩を踏み出す事が出来ない。この場面は狂女物の演目を思わせ、前半の見せ場である。そして曲は後半へと移っていく。
 月日が過ぎていき、巫女は淡々と奉仕をこなすようになる。そこに訪ねてきたのはクニ一帯の神社を取り仕切る大神主であった。痩男の面を被り現れた大神主は言う。近頃、一向に雨が降らずクニ中が困り果てている。水神の加護にあやかりに来たのだ、と。
「しかし、ここにいるのは禍津神です」巫女は言い「わかっておる」と大神主は答える。御神体が激しく揺れた。
 そして大神主は驚くべき行動を取り始めた。従者に長刀を持ってこさせると御神体である箱を激しく突き始めたのである。大太鼓の音に合わせ何度も長刀はつきたてられる。あまりの事に驚く巫女は制止するが、振り払われてしまう。大神主が去ると、にわかに雨音が周囲を包み始めた。小鼓を細かく叩く事で雨音が表現される。
御神体を抱き、巫女は泣いた。すると御神体からまた声がする。「昔の話よ」そう言って、禍津神は自身の事を語り始めた。
 一匹の獣があった。火を操る獣であった。他の誰よりも太陽に愛された獣であった。その獣がいるだけで雨は上がり、日が照ったと。
 ああ、ここにいるのは焔神様であるのだと巫女は悟る。刃で焔神を刺し血を流させる事で雨を降らせていたのだ、と。そうして、曲はクライマックスへと移行する。
 収穫を感謝する新嘗(にいなめ)の祭の日、神事の為に再び大神主が訪ねてくる。巫女は丁重に大神主を迎える。が、大神主が本殿へと踏み込んだその時に御神体の箱の封を解き、開け放つのだった。
 開け放たれた箱の中からシテ(舞台の主役)である九尾の金狐が現れる。白い長髪の鬘をつけ、九尾の冠を被ったシテは怪士の面をつけ、金色の衣を纏っている。箱の中から一歩を踏み出すと、外に出られた喜びを舞で表現する。それは水を枯らす禍津神ではなく、日照りを呼ぶ事で、稲穂を育てる神としての側面をも表現している。そして焔神は鳥居の外に出るのだ、出ていいのだと巫女を導くのであった。
 田では稲穂が金色に輝いている。日の照る中、橋掛を巫女と九尾は舞いながら退場していき終曲となる。
 
 五穀豊穣を願うという初番目物の形をとりながらも、人間の解放を描いた意欲作「禍津水神」。ぜひご覧になってみてはいかがだろうか。