ポケモンストーリーコンテストSP -鳥居の向こう-

企画概要 / 募集要項 / サンプル作品小説部門 / 記事部門
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02 こうもり リナ(HP


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 1

 今日も朝早くにお母さんから電話があった。
 澪(みお)市の実家に一人で住んでいるお母さんだから、一人娘の私にあれこれお節介を焼きたくなるのはしょうがないのかもしれない。先週末に実家へ戻った時にも、ほとんど同じ話をしたばかりだった。衣装合わせはなるべく早めの方がいいからとか、ちゃんと脩一さんとは話しながら進めてるのかとか、だいたいそんな感じだった。私は携帯電話を耳に当てながら立ち上がり、片手でトーストの袋を開ける。
「昔からあんたは相談なしに色々決めちゃうんだから」
 冷たい雨の降る、九月半ばの朝だった。アパートの窓からは色の変わり始めたイチョウの木が見える。今年で三年目の見慣れた風景だった。深い緑色の葉が茂る季節も、銀杏の実を落とす季節も、白い雪がその枝を覆い隠す季節も、今年で三回目になる。そしてたぶん、四回目の季節が巡る頃には、私はこのアパートにいないだろう。
 母の住む澪市は、寿(ことぶき)市から快速電車で三十分もかからない港町だ。大した距離でもないのにお母さんを実家に一人にさせてしまっているのが、最近ほんのちょっぴり後ろめたく感じる。浪人はしていないし、短大には奨学金付きで入学したし、内定は他の同期と比べれば早い時期に二社からもらった。親不孝な子供では決してない。けれども、十分に親孝行してきたかと言われると、胸を張れるわけではなかった。だから、お母さんのお節介には口を挟まず、最後までちゃんと聞いた。
 澪市で生まれた私は、物心のつく前にお父さんを亡くした。高校生までお母さんに女手一つで育てられ、短大へ進学するのと同時に寿市で一人暮らしを始め、二年前に同じく寿市内の地銀の一般職に就いた。
 そして私は、今年の十一月に結婚する。
「大丈夫だって。もう子供じゃないんだから」
 お母さんの話が途切れるのを待って、私は言った。「何生意気言ってんの」と、お母さんはため息をつく。
「あんたはいくつになっても、お母さんの子ですからね」
 そういうことじゃなくてさあ――噛みつきたくなったけど、やめた。こらえたというよりは、諭された感じだった。本当は、そういうことなのかもしれない。私はこの先もずっとお母さんの子で、お母さんはずっと私のお母さんだ。友達も恋人も、パートナーのポケモンも、「そうじゃなくなる」ことはあるけど、家族はずっとそうなのだ。どんなにお節介で煩わしくても、記憶に残る前に死んでいってしまっても、ずっと家族なのだ。だからお母さんの声は、優しくも響くし、うっとうしくも響く。
「そうだね。ありがとう、お母さん」
 ごめん、もう準備して仕事に出なきゃいけないから。まだなにかを言いたそうなお母さんを遮って、私は電話を切った。何が言いたいのかは、分かっていた。むしろそのことだけが言いたくて、今日も電話をかけてきたのだろう。
 お節介なんかではなく、お母さんが本当に言いたいこと。先週末実家に帰ったときも、母さんはそのことばかり気にしていた。「でもねぇ」で始まって、最後は「まあ、あんたが選んだのなら、お母さんはなにも言わないけど」と話題を締めくくった。散々言ってるじゃんと思ったけど、本当はもっと言いたいところを十分の一くらいにしてくれているんだと話振りから分かったから、私は何も言わずに頷いたのだった。お母さんが気にしているのは、もちろん結婚相手の脩一さん――シュウちゃんのことだった。
 焼き上がったトーストにマーマレードを塗って食べた。一緒にコーヒーも飲んだ。雨の日は、朝の支度がなかなか進まない。髪は湿気のせいで寝癖がひどいし、外は薄暗くて身体も起きた感じがしない。冷たい水で顔を洗って、重たいまぶたを無理矢理こじ開けた。
 歯を磨きながら、私はまたユミちゃんのことを考えていた。

 2

 私の中学校生活はサイテーだった。
 クラスの男子はサイテーで、女子たちはもっとサイテー。でもその中で自分は、本当にどうしようもない、正真正銘のサイテーだった。
 二年生の始業式の朝、廊下に貼られた新しいクラス分けの表を見て、私は思いっきり万歳をした。一年のときずっと仲良しだったミサちゃんと同じクラスだったのだ。後から教室に入ってきたミサちゃんに駆け寄って、私は彼女の両手を掴んだ。
「よかったねミサちゃん、また一緒だよ」
 私はそのままバネブーみたいにぴょんぴょん飛び跳ねた。けど、ミサちゃんの身体はちっとも弾まない。そのかわり、曖昧な笑顔で、そしてちょっと呆れたように、ミサちゃんは言った。
「なんでそんな喜んでんの? 大したクラスじゃないじゃん」
 ぽかんとする私を残して、ミサちゃんは自分の席を前から数えて確認すると、ため息と一緒にどさりと座った。私はなんだかひどく子供じみたことをしてしまった気分になって、とぼとぼと自分席に戻った。
 その日、ミサちゃんは一日中機嫌が悪かった。始業式のために列を作って体育館へ行くときも、前後の女子とおしゃべりひとつせず、先生の目を盗んで携帯をいじっていた。下校のときも、一緒に帰ろうと思っていたのに、挨拶が終わると一人でさっさと教室を出ていってしまった。私はもう散り始めている桜の下を、一人で帰った。
 一体何が気に入らなくて、ミサちゃんはあんなにご機嫌斜めなんだろう――不思議だったけど、答えはすぐに分かった。
「だってそっち、楠本いるじゃん」一年生の時の仲良しグループで、今は五組のなべちゃんが、次の日の昼休みに教えてくれた。
 同じ三組になった楠本さんは、仲良しのグループの中ではクッスーと呼ばれていた。ミサちゃんとクッスーは、お互いに火花を飛ばし合うくらい仲が悪いのだと、なべちゃんは力説する。
「まあ二人とも似てんだよね。可愛いし、髪染めてるし、家お金持ちだし、ポケモンも良いの持ってるし」
「クッスーは何のポケモン持ってるの?」
「うんとねー、なんだっけ、あのピンクの――あ、エネコ?」
 鮮やかなピンク色のエネコは、ペットとしてすごく人気が高い。お母さんがときどき読んでいるファッション誌や週刊誌の表紙にもしょっちゅう出ていた。
「ミサのペルシアンもまあ良いとこだけど、今はエネコの方が全然キてるしね。ミサも本音では負け感じちゃってるから、余計ムカつくんでしょ。てかペルシアンとかさ、ぶっちゃけ一昔前のマフィアみたいじゃん? 正直ウチのぽこたの方がまだ可愛気あるって」
 なべちゃんはモンスターボールを取り出して軽く左右に振った。ぽこたは、なべちゃんのジグザグマの名前だ。確かに、他人には決して懐かないミサちゃんのペルシアンよりも、誰彼構わず顔を舐めてくるぽこたの方が、私は好きだった。
「そんなこと言ったらミサちゃん怒るよ」
 私がそう注意しても、なべちゃんは笑って「やべやべ、今の内緒ね!」人差し指を口元に当てただけだった。
「ていうかさ、アキってずっとポケモン持たないよね? 嫌いなの? それともアレルギーかなんか?」
 取り出したボールをいじりながら、なべちゃんは私に話を振った。中学生でポケモンを持っていることは、携帯電話やスマートフォンを持っていることと同じくらい、当り前だった。特に、珍しいポケモンとか可愛いポケモン、強いポケモンを持っている子はみんなから一目置かれる。
「別に、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ早く持ったら良いじゃん。ねえ、ぽこた?」
 彼女はずっと自分のボールを眺めていた。私はなんだか嫌になって、嘘をついた。「お母さんがダメって言うの。ポケモン」
「えーキツっ! 厳しすぎでしょ、みんな持ってるのに。アキかわいそう」
 なべちゃんはあんまり興味がなさそうに言った。相変わらず、視線は自分のボールに向いていた。「みんな持ってるのに」が、妙に耳にざらついた。
 早い子では、もう小学生からポケモンを持っていたけど、私は未だに持っていないし、この先もモンスターボールを腰に下げる気なんてなかった。嫌いというわけではないし、もちろんアレルギーでもない。ただ、みんなのようにポケモンを「持つ」ことは、なんとなく嫌な感じがした。
 クラスのみんなが自分のポケモンをしきりに自慢し合っているのを見て、私は何かにそっくりだと思っていた。
 そして最近気付いた。ポケモンの話をするみんなは、映画なんかで見たことのある、昔の西洋の貴婦人みたいだ。教室は社交パーティーさながらで、パリで流行っている帽子を手に入れたこととか、シェイクスピアの劇を見たこととか、無名だけど著名人の評価が高い若い小説家の作品を読んだこととか、みんな口々に自慢し合っている。自分にはその価値が分かるのだということを自慢し合っている。周りを出し抜いてやったと心の中ではほくそ笑んでいるのに、相手のダサいドレスをこれでもかと褒めちぎる。
 ――なんてステキなドレスかしら! 奥様にはとても及びませんわ!
 ――ミサちゃんのペルシアン超クールだよね?! マジうちもそんな子が良かったなぁ! 
 みんなにとってポケモンはそういうものなんだと気付いてからは、あまり学校に行くのが楽しいと思えなくなった。

 ミサちゃんとクッスーは、新しいクラスになって一週間が経っても、一ヶ月が経っても、全く言葉を交わさなかった。それぞれ仲の良いグループを作って、仕切って、お互いに見えない壁を作って、同じグループの子に悪口を吐きだしまくっていた。
 私はもちろん、「ミサちゃんの国」の方にいた。最初はタイミングを合わせて笑ったりしていたけど、日に日にミサちゃんと一緒なのがキツくなっていった。
 そして、ゴールデンウィークが明けた頃――私が「こうもりポケモン」になってしまう、一週間ほど前のことだった。
 私は「クッスーの国」へ行き、女王様のクッスーと話した。「ミサちゃんの国」の法律では、これは禁止事項だった。それでもその掟を破って、クッスーに謁見した。
 純粋に思ったのだ。悪口を言いあって過ごすのが嫌。毎日同じ言葉でクッスーを罵るミサちゃんも嫌。毎日同じ作り笑いで応じる私も嫌。
 本当にキツかった。だからクッスーに、うちの女王様と仲良くしてくださいと頼んだ。
「別に、ミサのこと嫌ってないよ。普段話すグループじゃないってだけ」クッスーは誰かにメールを打ちながら、さらりと言った。
 じゃあ今度からうちらとも話そう。悪口じゃなくて、できればポケモンの自慢でもなくて、もっとくだらない話でいいから、色々――そんなようなことを、私は口走った。
「向こうにその気がないなら仕方がないんじゃない? てかアキは何? 頼まれてきたの?」
 怪訝な目つきで、クッスーは私を見た。
「そういうわけじゃないけど――でも、ミサちゃんもたぶん、ホントはクッスーと話したいと思ってるよ」
 自分としては上出来な口説き文句だったのに、クッスーの怪訝な目つきが、今度は呆れた目になった。私はクラス変え初日のミサちゃんの目を思い出した。
「どうでもいいけどさ、あんまり勝手なことしない方がいいと思うよ」
 クッスーの忠告の意味が、私には全然分からなかった。でもすぐに、身を持って知ることになった。
 クッスーと話してきたことを、私はミサちゃんに告げた。できるだけさりげなく、言った。そして純粋に仲良くしてもらいたくて、言った。
 ミサちゃんは突然怒り出した。
「余計なことしないでよ!」怖い顔で私を睨みつけて、クラス全体に聞こえてしまいそうなほど大声で言った。「何? そんなに私のこと気に喰わないわけ? 偽善者ぶるのもいい加減にして!」
 私はびっくりして、何も言い返せなかった。気に喰わないなんてそんな。どうして――
「あんたズバットの話知ってる?」ミサちゃんは続けた。「鳥ポケモンにも獣ポケモンにも『私はあなたの味方です』って良い顔して、結局どっちからも見捨てられる話。アキ、あんたズバットそっくりだよ。ホント、もう知らないから」
 ミサちゃんは教室を出ていってしまった。教室のざわめきが戻ってきた。頭がくらくらする。視界の片隅で、クッスーがまるで興味なさそうに携帯をいじっていた。

 そこから私が「ハブかれる」までは、本当にあっという間だった。ミサちゃんが私を無視すると、ミサちゃんの国の住人だったゆこちんもチロもまなみもみんな私を無視した。五組のなべちゃんも、「しゃあないでしょ。それ、あんたのせい」とだけ言って、やっぱり私とは口を聞かなかった。
 六月になると、驚いたことに、ミサちゃんはクッスーと仲良くなった。二人の連合国は、クラスの女子のほとんどを巻き込んでしまった。「国外追放」された私は、クラスの誰とも口を聞けなくなった。
 一年生のとき仲の良かったミサちゃん――仲が良いと思っていたのは、私だけだったのだと気が付いた。ミサちゃんやクッスーみたいな「レベルの高い」子たちにとって、私は取るに足らない存在だった。私みたいなズバットが「手持ち」にいたところで、全く自慢にもならないことに、なんでもっと早く気付けなかったんだろう。
 私は訳が分からなくなって、一日学校を休んだ。布団を被って、しばらく泣いた。こうしていると、ホントに洞窟のズバットみたいだと思った。でもズバットはきっと泣かないんだろう。目が退化してるもの。私の目も退化してしまえばいいのに。そうすれば涙なんて流れなくなる。ミサちゃんの顔色も窺わなくてすむ。
 私のクラスの教室には、自分の席からとても見やすい位置にクラスのスローガンが張り付けてあった。
「ひとりはみんなのために みんなはひとりのために 広げよう 助け合いの輪」
 四月に決まったこのスローガンには、始め何の疑問も持っていなかった。というより興味がなかったし、そいういえばホームルームを一時間まるまる潰して決めたんだっけと、後になって思い出した。
 私は自分の席からスローガンを睨みつけた。助け合いの輪。なにそれ、バカみたい。そんなちんけな輪っか広げて何になるんですか? それとも、私みたいなズバットはみんなからの救済「外」なんですか? それとも、私が立っていたのはそもそも輪っかの外側ですか? それとも、私はみんなのために行動した「つもり」になってた――そういうことですか?
 私は繰り返し色んな問いを投げかけた。誰にしている質問かは、分からない。ミサちゃんやクッスーのような気もしたし、神様のような気もしたけど、誰も真面目に答えてくれそうになかった。
 そして、答えてくれるとしたら、やっぱりユミちゃんかもと思った。

 3

 お母さんから電話のあった日、仕事帰りにシュウちゃんと駅で待ち合わせをした。今朝から降り続いていた雨は夕方に上がったけれど、構内は湿っぽい臭いがした。南口から出て大通りに向かう途中の路地を左に折れたところに、雑誌に出ていて前から気になっていたスープカレー屋さんがある。今日はそこで晩ごはんにしたいとメールを送ったら、シュウちゃんは笑った顔の絵文字を返してくれた。
 お店に向かう道の途中、すれ違う人たちはみんなシュウちゃんを盗み見した。無表情で一瞬だけ見て、ついでに私の方も見て、すぐに目を逸らす。だいたいみんなそんな感じだった。大声で笑いながら歩いていた派手な格好のカップルは、私たちに気付いて笑うのを止めた。ちらちらと視線を感じる。すれ違った後も、振り返ってこちらを見ている。そういうのが、わざわざ確認しなくても分かるようになった。ねばついた笑い声が後ろから戻ってくる。シュウちゃんも私も無視した。一緒に聞こえてきた「特殊メイク」とか「ハロウィン」という単語も、全部無視した。
「北川柚実って子のこと、知り合いにあたってみてるんだけどやっぱり厳しいな」
 シュウちゃんが「ごめんな」と切り出した。
「そんな、なんもだよ――私と同い年だから、今年で二十三になると思うんだけど――やっぱり駄目かな」
 式場が決まり、日取りが決まり、招待状を送る人もほぼ確定して、準備も一段落した夏頃のことだった。タイムテーブルの打ち合わせが終わった後、私はプランナーさんにひとつだけお願いをした。
「私の友人席、ひとつだけ空けておいてもらえませんか。一番前側の、私の席からも見える位置に」
 プランナーさんはにっこりと笑ってくれた。
「もちろん構いませんけど、招待したい方がいらっしゃるんですか?」
 そうなんです。たったひとりだけ、まだ招待状も出してない子がいるんです。居場所も分からないし、生きているかどうかさえ分からないけど――でも、私の大切な友達なんです。だから、仮に来れなくても、席を空けておいてほしいんです。
「でも、アキの大切な友達なら、意地でも探しだして来てもらいたいよなあ」
 シュウちゃんは、まだ分厚い雲が居座っている空を見上げて言った。彼の淡いブルーの目には、これまでにたくさんの雲が写り込んだに違いない。きっとユミちゃんと同じで、次から次へと雨雲がやってくるような人生だったんだと思う。ずっと晴れの日の空しか見てこなかった人の目より、ずっと深くて、澄んでいて、愛おしくて、悲しい目だった。
 私は、彼の目が大好きだった。
「引き続き、声かけてみるよ」
「ありがとう――でもね、ユミちゃんの方は私のこと友達って思ってくれてたかどうか、正直自信ないんだ」

 4

「なにまた来たの? ホント暇だよねアキって」
 上半身だけ起こして病室のベッドに寝ていたユミちゃんは、いつもそんな調子で私を迎えた。「懲りないねアキは。あんたに構ってるほど暇じゃないんだよね」のときもあれば「ちょっと勘弁してよ。今から本読もうと思ってたのに」のときもある。
 でも、「もう来ないで」とは絶対に言わなかった。
「ごめん。なんかまっすぐ帰る気分じゃなくて」
 ユミちゃんは、中学校に入る頃にはもう身体があまり良くなくて、ずっと休みがちだった。二年に上がってからは、ほとんど学校には来ていない。
「まだシカト続いてんの?」
「――うん」
「あんたがトロくてウザいからでしょ」
 ユミちゃんは言葉がキツい。私はなにも言い返せず、うなだれた。ユミちゃんはため息をついた。
「嘘。あいつらにとってはただの暇つぶしなんだよ。他にやることがないから、ちょうどいいきっかけだと思ってアキのこと試しにハブいてみてるだけ。アキが気にしなければ、そのうち飽きて、標的も変わるでしょ」
「――そうだといいんだけど」
 ホントに、そうだといい。「ハブ」がただの「暇つぶし」なら、今は悔しいけど、将来大人になってからふと思い出したときは、笑い飛ばせそうな気がしてくる。
「そうに決まってんじゃん。それがあいつらの遊びなの」
 ホントにホントに、そうだといい。それならユミちゃんも、「暇つぶし」という遊びに巻き込まれてしまっただけになる。それもやっぱり悔しいけど、「本気」より「遊び」の方が、よっぽど諦めがつく。
 そしてきっと、ユミちゃん自身がそう思いたいんだ。悲しくて辛いけど、たぶん、そうなんだと思う。

 ユミちゃんは、中学校に進学するやいなや、真っ先に「標的」になった。理由ははっきりしている。ユミちゃんが「違う」からだった。「違う」ユミちゃんを、みんなは認めなかった。理解しなかった。
 あのときユミちゃんのことを「化け物」と言った安原くんは、二年生に上がり、サッカー部でレギュラーになった。一年のときはずっとベンチで、そこまでモテる方でもなかったのに、試合に出て活躍するようになってからは、女子たちの見る目も変わっていった。
 私は、それがすごく嫌だった。
 あいつは中一の秋、ユミちゃんと教室で取っ組み合いの喧嘩をした。どうして喧嘩になったは、覚えていない。とにかく机や椅子が音を立てて、女子たちが悲鳴を上げた。先生が止めに入るまでずっと、安原くんはユミちゃんを汚い言葉で罵り続けた。
 ユミちゃんは床に四つん這いになったまま、しばらく起き上がれなかった。肩で呼吸をしながら、真っ赤な顔をして、汗だくになって、そして、大粒の涙を流していた。
 ユミちゃんは、安原くんのことが好きだった。そのことを夏にこっそり聞かせてもらったばかりだったから、私も泣きそうになって、安原くんを睨みつけた。私には、それしかできなかった。
 その時の私は、ユミちゃんに手を差し伸べることが出来なかった。勇気がなかった。ユミちゃんからしてみれば、私はみんなと一緒に彼女を踏みにじった人間の一人だ。あの日の出来事は、一対一の喧嘩なんかじゃない。ユミちゃんにとっては、クラス全員を相手に回した戦争だった。私がどちらにつくか迷っているうちに、ユミちゃんは一人で戦うことを決めてしまった。
 あの時も私はズバットだった。今の私の置かれている状況は、その時の罰なんだと、時々思うことがある。こうやってお見舞いに来るのは、ユミちゃんへの罪滅ぼしをしようとしているのかもしれない。でも結局は、単に学校で独りぼっちだから、同じように独りぼっちのユミちゃんに会いたいだけなのかもしれない。

「てかなに? そんな気分悪い話するためだけに来たの?」
 ユミちゃんがギロリと私を睨みつけた。いたずらっぽい黄色い目は、瞳の割合がすごく大きい。濁った黄色ではなく、トパーズみたいな、深くて澄んだ黄色だった。
「そ、そういうわけじゃないけど」
 髪の毛は鳶色だった。中一の夏にショートカットにした。でも癖が強いから、風が吹いているみたいに後ろに流れている。鼻から下は一番獣っぽさが残っていてほんの少し長い。耳も大きくて、尖っている。
「じゃあなんか面白い話してよ。すっごく暇してたんだ。いじめる相手もいないしさ」
 耳の先やうなじ、鎖骨の上、肩、肘、踝には、深い緑色をした葉のようなものが生えていた。見たことはないけど、本人が言うには背中や腰、太ももの裏にもあるらしい。
「ユミちゃんが嫌だったら、もう来ないようにする」
 ユミちゃんは目を丸くして、少しだけ私を見た。それから面白くなさそうに口を尖がらせて、病室の窓に目を移した。
「別にそんなこと言ってないし。こんな病気のクォーターなんかに会いにきて、正直なにが楽しいのかわかんないけど」
 しばらくお互いに目を合わせず、沈黙があった。話がうまく盛り上がったときは、看護師さんに注意されてしまうほど大声になるけど、沈黙が続くときも、同じくらい多かった。もちろん盛り上がったときの方が楽しいけど、私はお互い何も話さない時間も、なぜか嫌いではなかった。でも、ユミちゃんはどうだったのだろう。結局、分からず仕舞いだ。
 中学三年の夏、ユミちゃんは関東にある大きな病院で治療を受けるために、澪市から引っ越していってしまった。詳しい話は、全部ユミちゃんのお母さんから聞いた。澪の市立病院ではできない大がかりな手術を受けなければならない。関東にある大学病院にしか手術のできる先生がいない。それで、手術の後もしばらく入院しなきゃならないから、引っ越さなければならない。
 あの夏以来、ユミちゃんとは一度も会っていなかった。

 5

 引っ越し先の住所も電話番号も、転院先の病院も、何も聞かないままお別れをしてしまったことを、私は後悔していた。
 第三者による個人情報の開示が出来ないことくらい分かっているし、そう簡単にいかない覚悟はあるつもりだった。大量の個人情報が行き交う銀行という場所で、これでも二年と半年以上勤めてきたのだ。そういう自負が、少なからずあった。その上で、なんとかなるような気もしていた。
 私は式の日取りが決まった夏頃から、土曜日を返上して、「北川柚実」という名前を頼りに関東の大学病院を片っ端から当たってみた。しかし、ほとんどの電話で門前払いをくらった。電話を切られそうになるたびに、「中学校の同級生で」とか「転校していってしまった友達なんです」と食い下がったが、それでも時間稼ぎ程度の効果しかなかった。もうひとつの手掛かりである、ユミちゃんが「クォーター」だということは、むしろ口にすると話がこじれ、逆効果だった。繰り返し「申し訳ございません」を聞き、数え切れないくらいのため息をついた。
 私が必死に探しまわっていることを知ったら、ユミちゃんはどう思うだろうか。喜んでくれるだろうか。それとも、迷惑するだろうか。中学生の時の私だったら、たぶん迷惑するだろうと思いこんで、探すことを止めただろう。あの頃の私は、空気を読むのが下手で、心が弱くて、おまけにズバットだったから。
 でも、ユミちゃんがどう思おうと、今の私は、ユミちゃんを探す。
 シュウちゃんに、クォーター同士でのコミュニティをいくつか調べてもらうようにお願いした。ネット上でも、人探しの記事を貼った。フェイスブックには、少しだけど、小学校や中学校からの知り合いがいる。可能性は低いけど、もしかしたら引っ越し先の情報を持ってる人がいるかもしれない。不特定多数が見る掲示板にも、いくつか記事を載せた。「クォーター」のことは、少し迷ったけど、一緒に書き込んだ。
 ユミちゃんには、どうしても話さなきゃいけないことがある。それは、たった一言で済むことのような気もするし、たくさんの言葉を繋ぎ合わせなきゃいけないような気もした。ただ、話さなきゃいけないことがある。ユミちゃんの黄色い目を見て、本気で、話さなくちゃいけないことが。

 6

 小学校低学年の頃は、「クォーター」の意味が分からなかった。入学当初、ユミちゃんとはクラスメイトで、席も近くて、帰る方向も途中まで同じだったから、ただそれだけの理由で、ユミちゃんとは仲良くなった。ユミちゃんが他の子と違うことはもちろん分かっていたけど、そんなことは何も気にならなかった。ユミちゃんは「違う」という事実がただあるだけで、それは当り前のことだった。他のみんなにとっても、当り前のことであるはずだった。そう思い込んでいた。
 高学年になって、「クォーター」とは「四分の一」という意味の英語で、ユミちゃんみたいな子に使うときは「四分の一はポケモンの血が流れている人」という意味だと知った。ユミちゃんの周りからだんだんと人が減っていったのも、具合が悪くて学校を休むことが多くなったのも、この頃だった。
「一昔前は、時々そういう人がいたの」
 お母さんにユミちゃんのことを聞いたとき、一瞬困った顔をしたけれど、丁寧に教えてくれた。
「なんていうか、ポケモンと結婚することはとっても良いことだって言う神様がいてね。あんまり大勢じゃないけど、その神様の言うことを信じてる人が、昔はいたのよ」
 でもね――とお母さんは付け加えた。
「人間とポケモンの子は、身体が弱かったり、病気を持った状態で生まれてきちゃうことが多いの」
 なら、どうしてその神様はそんなことを言ったのだろう。どうしてその神様の言うことを、昔の人は信じたのだろう。お母さんに聞いてみても、「どうしてだろうね、お母さんも分かんない」としか言わなかった。
 ユミちゃんの場合、お父さんが半分ポケモン――ハーフだった。お父さんのお父さん、つまりユミちゃんのおじいちゃんが「リーフィア」というポケモンだったらしい。そして、ユミちゃんのお父さんのお母さん――おばあちゃんが、神様の言うことを信じていた人ということになる。ポケモンと結婚することが良いことだと言う神様を、信じていた人――

 宗教学は、短大の一般教養の科目で履修したことがあった。授業の最後に短いレポートを出すだけで、確実に二単位を獲れる科目だからと、私は友達を誘って講義に出席していた。けど、本当は少し興味があった。もちろん、ユミちゃんの家系のことがあったからだ。
 宗教学の先生は、うちの短大にしてはかなりのお年寄りで、髪もほとんど白髪だった。授業に出ている学生の七割くらいが机に突っ伏しているのに、何も注意しない。こちら側が見えているのか心配になるくらい言動もおぼつかなかったけど、この国の宗教の歴史については、丁寧に分かりやすく説明してくれた。
 大昔、この国にはたくさんの神様がいた。小さなものも大きなものも、強いものも弱いものも、皆神様だった。
 この国の宗教史で最大の事件は、二つの大きな戦争が起こるさらに昔、今から百四十年前に起こった。帝国主義が主流だった当時の世界で、この国は強引に開国を迫られ、結果港をいくつも開いた。そこから外国の文化が次々に流れ込んでくるのと同時に、それまでこの国に根付いていた土着の価値観が「古いもの」というレッテルを張られた。近代化とか合理化とか、列強に負けぬ国作りのためとか、もっともらしい言葉の上に載って、凄まじい勢いでこの国が成長していくその裏側で、「古い」と言われた神様は、一人、また一人と死んでいった。殺したのは、ずっとその神様たちを信じていたこの国の人々だった。さらに言えば、近代化によって書き換えられてしまったこの国の人々の価値観が、神様を殺した。死んでしまった神様は、しだいに人々に忘れ去られていった。
 それを見計らって、今度は新しい外国の価値観が、死んだ神様たちを甦らせた。
 その結果神様は、小さなボールに入れて持ち運ぶことができる、「ポケットモンスター」と呼ばれる生き物になった。
 お母さんが私に教えてくれたことには、少しだけ間違いがあった。その神様は、ポケモンと交わることを良しとしたわけではなかった。神様とポケモンは、同時に存在し得ないのだ。この国の歴史では、ポケモンは昔神様そのものだったのだから。ユミちゃんのおばあちゃんが信じていたのは、百四十年前の「神様殺し」から、辛くも生き残った神様。大昔から様々な姿でこの世界に存在し、ずっと生き続けてきた、由緒正しい神様。その神様の血筋をもらうことは、信者たちにとって神聖な儀式でもあった。
 その先生は、「神様殺しは、今もずっと、続いている」と言った。根絶やしになるまで、ずっと続くと。あのとき書き換えられた価値観が、みんなの中に居座っている限り。みんなが「ポケモン」を「ポケモン」と呼ぶ限り。
 講義の後、私はその足でパークに出かけた。個体数の少ないポケモンたちを飼育しているパークが、寿市の郊外にあった。
 草属性専用の大きなケージの前で、私はリーフィアの姿に釘付けになった。

 小学生の頃、ユミちゃんは、自分の四分の一はリーフィアだということを拍子抜けするほどあっさり教えてくれた。学校に筆入れを忘れてきてしまったことを打ち明けるくらい、あっさりだった。私はユミちゃんと一緒に小学校の図書室へ行き、図鑑まで開いた。
 初めてリーフィアを見た。大人しそうで、優しそうで、何よりきれいなポケモンだった。私は一目で気に入った。挿絵のリーフィアを指差し、私はユミちゃんに聞いた。
「この絵のリーフィアは、ユミちゃんのおじいちゃんに似てる?」
 ユミちゃんは「さあ」と、首を傾げた。
「見たことないし。私が生まれる前に死んじゃったし。でも、おじいちゃんだから、これよりはよぼよぼなんじゃない?」
「えーよぼよぼ?」
 ユミちゃんと私は声を上げて笑った。他の生徒たちが白い目でこちらを見た。図書室の先生もこちらを見た。その時の私は、単に図書室で大きな声を出してしまったからだと思っていた。実際には、その目は全部ユミちゃんに向けられていた。

 ケージの中ですやすやと眠っているリーフィアに、私は幼い姿のユミちゃんを重ねた。
 気付いたら涙が溢れていた。私はユミちゃんを思い出していた。病室でいつも独りぼっちだったユミちゃんを。図書室で笑っていたユミちゃんを。安原くんに「化け物」と言われて、大粒の涙を流していたユミちゃんを。
 辛かったよね。ヒドいよね。サイテーだよね。ごめん、ごめん、ごめん。本当にごめん。あなたに謝らなきゃいけない。私も、安原くんも、ミサちゃんもクッスーも、居眠りしてる短大の学生たちも、みんなみんな、あなたに絶対謝らなきゃいけない。
 ごめん、ごめん、ごめん。

 7

 十一月になり、結婚式まであと一週間となった日のことだった。
 本当に信じられないほど意外な人から、フェイスブックにメッセージが入っていた。そのとき私は少しだけ「神様」を信じた。たくさんの信者がいるような大袈裟な「神様」じゃなくて、まだどこかでひっそりと暮らしている、見慣れた生き物たちの姿をした「神様」のことを、少しだけ信じた。
 メッセージは、安原くん――ユミちゃんのことを「化け物」と言った、あの安原くんだった。
「ホントに、偶然だったんだけど――」
 番号を伝えて、電話で話した安原くんの声は、当り前だけど昔の声より大人びていた。それでも大学生だと思って聞いているからなのか、まだ幼さが残る声だとも思った。安原くんは高校を出た後、一年間浪人して四年制の大学に進学したという。すでに関東への就職が決まり、卒業は来年の三月。今は残っている単位の穴埋めと卒論だけで、アルバイトにばかり明け暮れていると彼は言った。
 中学のうち、安原くんとはほんの一年間しか同じクラスではなかったし、廊下ですれ違ってもいちいち挨拶するような仲でもなかった。だから実際、安原くんがどこの高校に進学したのかも知らなかったし、安原くんも私のことを「一年二組の伊藤」としか覚えていなかった。
 でも、私の中であのときの安原くんは、まだ強烈に記憶に残っている。
「うちの母さんがさ、寿の市立病院で看護師やってんだけど、少し前にクォーターの子が転院してきたって言ってたんだ」
 胸がドキリと鳴った。安原くんは話してくれた。私は彼の話を黙って聞いていた。
 確かに、その市立病院に転院してきたのは北川柚実だった。
 彼は、ずっと後悔していたという。あの日教室で起こったことを、忘れたことはなかったと。
「伊藤に今更話すのも言い訳がましいけど――マジで、あのときのおれって馬鹿だったと思う」
「――うん」
「なんつーか、ガキだったんだよな。他の奴らとも陰で色々言ったりとか、そんなことばっかりしてた」
 中学生の頃の自分がいかに幼かったか。それは、私も同じように思うことだった。安原くんは繰り返し後悔を口にした。
 あなたがしたことは、どんなに悔いても許されるわけじゃない。そう言いたくなったけど、言わなかった。私も同じだから。数え切れない後悔をして、それを忘れたくて、許してほしくて、でもそれはできないことだから。彼だって、それは心のどこかで分かってるんだと思う。そう思いたかった。
 安原くんは、今のユミちゃんのこともいくつか話してくれた。
「うちの母さんが北川のことですごく怒ってた――いや、北川本人に対してじゃなくて、なんていうか、病院の体質っていうのかな、そういうのに」
 ユミちゃんはあの夏転院した後、年内に手術が成功した。そのまま関東の大学病院で面倒を見てもらえると思っていたが、年が明けて容態が回復すると、病院側から転院依頼が出された。
 ユミちゃんはその年の春、新しい病院に移った。だがその後も三か月から半年置きに病院側から転院依頼が出され、いくつもの病院を転々とした後、今年の夏に寿に流れ着いてきたのだった。
「診療報酬? なんか法律でそういうのが改定になってから、患者を長期入院させないように、間接的に病院にも圧力がかかってるらしいんだ。特に、癌の末期患者とか、認知症の高齢者とか、たぶん、クォーターも。うちの母さん、『こんな厄介払いを推奨するような法律がなんでまかり通るのよ』って、ホントに怒ってた」
「――そう、なんだ」
 私は、顔から血の気が引いていくのが分かった。
 ユミちゃんは転校していった後も、ずっと戦っていたんだ。ずっとずっと、彼女は戦ってきたんだ。
 私がほとんどなんの苦もなく歩いてきた人生の反対側で、ずっとずっと苦しんでいたんだ。私が高校に進んで、新しい友達ができたときも、初めて恋愛をしたときも、短大に合格して、一人暮らしを始めたときも、初めてお酒の味を知ったときも、初めて男の人と同じベッドに入ったときも、宗教学の講義を受けていたときも、社会に出たときも、ゴウカザルのクォーターと結婚を決めたときも、ずっと、ずーっと。
「ユミちゃんは、安原くんのことが好きだったの。一年生の時から、たぶん転校するまでずっと」
 電話の向こうで、少し沈黙があった。私は続けた。
「病院には行った?」
「いや、行ってないけど――」
「私は行くよ。すぐに会いに行く」
「――うん」
 声色が暗くなる。
「安原くんはどうするの?」
「いや、うん――」
 私は目を閉じた。安原くんの、次の言葉を待った。
 何かを期待していたのだろうか。分からない。安原くん。あなたのこれまでの学生生活は、快晴だったはずだ。ほんの少し曇りだったり、にわか雨が降った日もあったかもしれない。でもあなたは、そんなの気にならないほど、雲一つない晴れ渡った空ばかり見てきたはずだ。
「その、やっぱ、気まずいしさ――あと、おれ単位ヤバいんだ。授業ちゃんと出ないと。バイトも結構詰まってるし――」
「――うん」
 半分、答えは分かっていたと思う。それでも聞いた私は、意地悪なのだろうか。
「仕方ないよね」
 私はなぜか笑えてきた。安原くんは、本当に後悔をして、本当に責任を感じているわけではないのだと思う。彼を病院に引っ張っていって、ユミちゃんの前で土下座させることだってできなくはなかった。でも、なんとなくユミちゃんは、そんなこと少しも望んでないような気がした。
 中学生のユミちゃんが病室のベッドで言う。
 そんなの仕方ないよ。結局、誰が悪いわけでもなくて、だからと言って誰一人罪を逃れられるわけでもないんだよ。差別もいじめも、そういうもの。私が逆の立場でもそうするもん。みんな同じなんだよ。暇ならやって、面倒ならやらない。ただそれだけなんだよ。
 そこに、本当の気持ちなんて絶対にないんだよ。本気の差別も、本気のいじめも、存在しないんだよ。
 全部、なんとなくで生まれてしまった遊びの気持ち。私の四分の一は、そういう気持ちを引き寄せやすかった。それだけのこと――
 安原くんに病院の場所を聞き、お礼を言って、私は電話を切った。

 8

 寓話の中のズバットは、鳥にも獣にもなれずに、独りぼっちになってしまった。鳥ポケモンたちには羽があることを、獣ポケモンたちには歯があることを必死で訴えて、でも伝わらなくて、最後はどちらからもスパイだと思われて追放されてしまう。
 きっとズバットは、独りぼっちが怖くて仕方なかった。独りぼっちで暗い洞窟にいるのが辛かった。孤独をなによりも恐れていた。
「みんな、ズバットなんだよね、きっと」
「ん?」
 私はシュウちゃんに車を出してもらって、安原くんに教えてもらった市立病院に来た。からりと晴れた土曜日の午後だったけど、空気は冷たい。もうすぐ初霜も降りる季節だ。
「みんな独りぼっちが怖いから。中学の頃は、私も、ユミちゃんも、クラス全員、みんなズバットだったんだって、思うんだ」
 今だって、そうかもしれない。子供の頃よりずっと「独りぼっち」との付き合い方がうまくなったせいで、誰も気付いていないだけかもしれない。
「怒らないでね――私、シュウちゃんのそばにいて、シュウちゃんのことちゃんと理解しようって、ずっと思ってきた。でも、やっぱり悲しい気持ちになるの。私も昔、クラスでハブかれたりして、すごくキツい時期があった。でもユミちゃんやシュウちゃんは、もっともっと辛い目に遭って、悔しい気持ちとか、怒りとか、ずっと抱えてきたんだよなあって思う。それって、やっぱり悲しくなっちゃうよ」
 病院の待合室はお年寄りでいっぱいだった。患者の話声やら院内アナウンスやらで、ずいぶんと騒がしい。受付番号の経過を知らせる画面がちかちかと光っていた。暖房がかなり効いていたので、私は着ていたコートを脱いだ。
「怒ったりはしないよ。悲しむことができる人は、優しい人だと思うから」
 受付で病室の番号を聞き、私たちはエレベーターで五階へ向かった。
「彼女に会ったら、謝るつもりなのかい?」
 二人だけのエレベーターの中で、シュウちゃんは私に尋ねた。
「ずっと、そうしなくちゃって思ってきた。けどね、もっと別の言葉があるんじゃないかとも思うの。シュウちゃんと出会ってから、そう思えてきたんだ。なんていうか、謝っちゃうのってずるいなって」
「――うん」
「何を言うべきかはまだ分からない。でも案外、ユミちゃんの顔を見れば自然と出てくるような気もするんだ――逆に、緊張してがちがちになっちゃうかもだけど」
「アキが伝えたいことを、そのまま言えばいいと思うよ。もしそれが言葉じゃないなら、なにも言わなくたっていいと思う」
 私は笑って頷く。招待状がバッグの中にあることを確かめ、エレベーターを降りる。
 ユミちゃん。あなたに知ってほしいことがある。
 私が好きになった人も、あなたと同じ、悲しい目をしている。でもその目は、あなたと同じ、深く澄んでいて、ちょっといたずらっぽい、素敵な目だ。彼はその目で真っ直ぐ私を見て、勇気を出して、愛の言葉を言ってくれた。
 ――それはね、私が久しぶりに出会った、本気の言葉だったんだよ。
 だから、私はもうあのときみたいに目を逸らさない。あなたに、今の私の目を見てほしい。
 そして、出来たら私たちの結婚を、祝福してほしい。
 トロくてウザくてサイテーなズバットが、しっかりちゃんと目を開けて、本気で誓うから。
 受付で教えてもらった番号を見つける。私はシュウちゃんの目を少しだけ見つめてから、病室のドアをノックした。