ポケモンストーリーコンテストSP -鳥居の向こう-

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09 災い様 音色


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 私の故郷には災い様がいた。深い谷のその向こう、聳(そび)え立つ山に災い様が住まわれているときかされてきた。
 災い様が現れた時、それは何か大きな災いが起こることからそう呼ばれたそうだ。それは飢饉であったり、嵐であったり、竜巻であったりした。
 そんな災い様は畏怖と畏敬の対象でした。今年は大きな災いを知らせることが無いようにとの祈願をこめて、その年収穫できた様々な供物を、災い様が住まうとされる山岳地帯の洞窟に奉納する事が常だった。
 けれど、災い様がそれらを受け取って下さるかどうかは、本当に区々(まちまち)だった。ある時はほんの少しだけ持って行った痕が残っていたり、またある時は丸ごと全部消えていたり、ある時は全くの手付かずだったり、と言う具合に。山の鳥獣達が勝手に持って行ってしまったのではないかとも言われたが、災い様が受け取ってくださったのだろうという認識はとても強かった。
 自分の家が奉納の当番になる度に、秘かに私は心躍らせた。もしかしたら、災い様がこの目で見られるかもしれない、と。もしかしたら、私の置いた供物を災い様が持って行って下さるのかもしれないと。畏怖や畏敬よりも、私には災い様への憧れが強かった。

 しかし、災い様はどのような姿をしているのかはあまり伝えられていない。災い様を見たものは、直接悪いことに巻き込まれると思われていて、誰も知ろうとせず、また知りたがらなかった。だから知っているのは、極一部の、大人だけだった。
 だから姿を知りたがる私はとても奇異に見えたのだろう。そんなことを知りたがるなんて、お前はいけない子だよ。そんな悪い子は一つ目のしゃれこうべに連れていかれちまうよ。祖母はそういってよく幼い私をよく怖がらせた。
 しかしある時から祖母のそんな脅かしは私に全く通用しなくなった。なぜなら、念願である災い様をこの目で見てしまったからだ。

 私が八つか九つだった時分だろうか。真夜中に目が覚めて、井戸水でも飲んで来ようと寝床を抜け出し夜道を歩いていた時のことだ。
 ふと、視界の端に赤い目玉がちらりと入った。びくりとして慌ててその辺の家の陰に潜み、そろりとそちらの様子を窺(うか)がうと、ぼぅっと青白い炎に照らされて、私が祖母から散々脅かし付けられていたしゃれこうべがふわふわと浮いているのだった。
 さらに、その横にはしゃれこうべよりも二回りは大きいであろう、襤褸切れ(ぼろきれ)を纏った大きな手を持つ赤い目玉も立っていた。そして、目の前の家に向かって何やらゆっくりと手招きしていた。
 その動作を見て、この家の中に三日前から寝込んでいる爺様がいることを思い出し、アイツらが爺様を黄泉の世界へ連れに来たのだと子供心にそう確信した。いけない。ここにいては一緒に連れていかれてしまう。
 しかし恐怖で足は震え、思いとは裏腹に全く動けそうにない。そんな時だった。静かな足音が、拙い鬼火に照らし出されて姿を現した。
 白銀の毛を身に纏い、群青色の角を持ち、真紅の瞳で亡霊を一睨みするその姿。あぁ、あれが災い様なのだ。災いを知らせるという恐ろしげなものというよりも、むしろ神々しくさえも思えてしまう登場の仕方に、私はただ息を呑んだ。
 災い様は低く一度だけ唸った。一つ目たちはたじろいで、後ずさる。あ、これだとこっちに来てしまう。どうしようと考える前に、無様に足を縺れさせる様にバタバタと動かしながら襤褸切れとしゃれこうべは空中を滑るように去って行った。私には目もくれなかった。
 思わず安堵して息をつき、ふと顔を上げるとそこには災い様がいらっしゃった。
 鼻先が顔に当たるかと思うほど近い場所で災い様はじっと私を見下ろし、そしてくるりと踵を返して夜の闇に溶けていった。触れてみたいという思いも忘れて、私はただ目の前の光景をぼんやりと脳裏に焼き付けていた。

 その日に見たことは誰にも言わないことにした。もしも誰かに言おうものなら、夢でも見たのだろうと言われるか、ふざけるのも大概にしろと叱られるのかのどちらかだろうと幼心に理解していた。普段から災い様について聞きまわっている私はただでさえ気味悪がられているのだから、この期に及んで災い様のことを口に出せば、また厄介なことになるのだろう。
 ただ、件の爺様は結局数日後に静かに息を引き取ったそうだが、何故災い様が赤い目の死神達を追い払ったのだろうか。そのことだけがどうしても気になっていた。
 災い様は私たちに不幸を告げるだけではなく、何らかの手段で今まで影から救ってくださったのではないのだろうか?そんな考えが私の中で大きくなっていった。しかし、当時幼すぎた私にはそれをうまく伝える言葉も知恵も育っていなかった。
 ただ、災い様は私が思っているのよりずっと、優しい存在なのではないかという思いを抱えて、大人達に尋ね続ける日々を繰り返していくのだった。

  唐突にそいつはやってきた。旅の余所者だった。背中に荷物を載せた炎の馬と独楽のように頭を下にしてクルクルしている変な奴と一緒にやってきた。災い様の住まう山を越えてきたというその男は、一仕事終えたので休ませてほしいと申し出てきた。
 それはそれはお疲れでしょう、旅のお方。どうぞゆっくり休んでください。故郷の皆は暖かく出迎えた。こんな辺鄙な地には時たまこんな客人がやってくるものだ。それは私も知っていた。しかし、どうもこの男は好かない。災い様に似ている白い装束を着ているからだろうか。
 男は仕事を山伏だといった。山から山へ谷から谷へ森から森へあちこちに渡りながら悪しき獣を倒しているのだという。この装束もその獣のものだと自慢げに笑うそいつに、私を除いた子供たちが羨望の眼差しを向ける。
 いったいどんな悪い獣を倒したの?どれかがそう口を開くと、次々に矢継早に子供の声が続く。空は飛ぶの?大きいの?どうやって倒したの?
 はっはっは、元気な奴らだな、そんなにいっぺんに言われても答えられんわい。だが、今日の獲物なら見せてやれるぞ。男はそういって外に出て馬の背に括り付けてあった荷物の一つをほどくと、ぽいと地面に投げ打った。わっとその周りに小さな人だかりができる。われ先に解こうとする子供を掻き分けて、恭しそうに男がひもを緩め、袋の中から出てきたのは――――

 --衰弱しきった、小さな災い様だった。

  こいつは災いを呼ぶ獣でな。此奴が姿を表せば地震や氾濫、土砂崩れといった風に天変地異が起こるのよ。一度吠えればたちまち森の山の獣どもが逃げ出す具合に凶暴だ。今日はこの一匹しか仕留められなかったが、明日は此奴を餌に群ごとやっつけてやるつもりよ。
 自慢げにそういう山伏に子供がわっと歓声を上げる中、誰かがぽつりと漏らした。いや、それはきっと私だったのかもしれない。災い様だ、と。
 一度災い様の名前がその場に出ると、一瞬だけその場が静かになった。そして、少しずつ大人たちが奇妙な声を上げだした。災い様は災いを告げるのではなく、災いを齎(もたら)すものだったのか。それでは今まで供物を奉納していたのはいったい何だったのか。あの獣に騙され、良いようにされてきたのか。それならば山伏に一匹残らず退治してもらおうじゃないか。そうだ、それがいい、そうしてもらおう。何が災い様だ、災いの元凶は滅ぶべきだ。
 山伏を名乗る男は英雄として祭り上げられ、その夜は災い様を、災いの元凶を打ち滅ぼす前祝として宴は華やかになって行った。
 それは違う。そんなはずはない。災い様が、災いの元凶であるだなんてそんなはずがないと、私は声を出すことはできなかった。ただその場の空気に取り残され、弱った災い様の横でただ立ち尽くす事しかできなかった。

 私は必死に考えた。拙い知識でどうやって災い様を助けられるのかを考えた。だが、どんなに考えても弱った災い様を、そして山にいるであろう災い様を助けられるかなど、思いつきはしなかった。考えあぐねているうちに、日は昇り、山伏の男は袋を担いで独楽のような奴を連れて山へ入っていた。
 私はどうにもできない気持ちを抱えてそれを眺めていた。その時は追いかけていくことすら思いつきもしなかった。ただ祈っていてた。都合のいいように、ただ災い様が上手く逃げ切り、その命を長らえることを祈っていた。

 山から鋭い悲鳴が上がった。
 私は顔を上げてただ山を見た。それっきり何も聞こえなかった。あれは災い様の断末魔なのだろうか。言い知れぬ不安がどっぷりを私を付け込んだ。所詮私は無力であり、何もできないのだ。
 聞きつけた人々は山伏を称え、災い様を罵り、自由への開放を喜んだ。ただ私だけが暗い顔をしていた。ただ私だけが災い様を憂いていた。
 
 あれから何十年もたった。
 私はとっくの昔に故郷を出て街に進学し、学者の道を進み、災い様――"アブソル"と呼ばれるポケモンの研究に没頭していた。
 当時、アブソルは忌み嫌われいたこと。角は高く売れるとされ、ハンターを語って角狩りをするものが多くいたこと。そして、その危険すらも察知しているのか、アブソルの生体確認がめっきり見られなくなったこと。
  今でこそ誤解は解けつつあるが、それでも豊縁の年配者はやはり嫌悪感をあらわしているそうだ。私の故郷ですらいまだにそれは色濃く残っている。

 それでも、私は信じている。
 災い様が死者を迎え入れに来た霊達を追い払ったあの時のことを。
 彼等は災いを告げるだけではない。秘かに山で共に生きる者として、助けてくれていたのだと。