ポケモンストーリーコンテストSP -鳥居の向こう-

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10 お母さんの思い出  きとかげ(HP


PDFバージョン 紙に2ページ分ずつ印刷して折りたたむと本になります 




 私には二人のお母さんがいます。一人は今、私を育ててくれている、生みの親のお母さん。もう一人は昔、幼い頃の私を育ててくれた、義理のお母さん。今日は、この義理のお母さんについて書きたいと思います。

「ねえ、私の髪の色は、どうしてお母さんのと違うの?」
 幼い私は、よく義理のお母さんにそう尋ねては、困らせていました。見て分かるように、私は金髪で色白で、青い目です。けれどもお母さんは、若葉のような緑の髪に、純白の肌、それに、燃えるような真っ赤な目をしていました。水鏡でよくよく見てみるまでは、せめて自分の目の色はお母さんと同じだろうと期待していて、その期待が裏切られて、がっかりしたのを覚えています。
 義理の親子で、血が繋がっていないのだから、見た目が違うのは当たり前です。しかしその当時、私は、お母さんと血が繋がっていないということを知りませんでした。
(姿が違うのはね、あなたが特別だからよ)
 お母さんはよく、私の頭の中にテレパシーでそう話しかけてきました。私はお母さんみたいにテレパシーを使えないことも不満でした。それどころか、他の兄弟たちみたいに、念力で重い物を持ち上げたり、魔法の葉っぱを飛ばして遠くのきのみを落としたりもできません。そんな自分がどうして特別なのか、私は幼い頃、常々不思議に思っていました。
「ねえ、どうして私は特別なの?」
 私がそう尋ねると、お母さんは決まって、ニコニコ笑って私の手を、自分の手で取るのです。その手の指はどう数えても三本で、私の五本指の手とは、どう見ても違うものなのでした。
 もうお気づきの方もいるかと思います。私の義理のお母さんは、人間ではありません。ポケモンの、サーナイトでした。
 しかし、どうして私がサーナイトに養われていたのか、それを知ることは遂にありませんでした。これ、という憶測を聞くことはありましたが、結局、お母さん自身の口からそれを聞くことは、叶わなかったのです。

 物心ついた時から、私は森で暮らしていました。いつも襤褸を身に纏い、裸足で森の中を駆け回っていました。服は、新しいのを時々お母さんが持ってきてくれましたが、枝や何かに引っ掛けてすぐぼろぼろにしてしまいましたし、靴も、お母さんはどこからか調達してくれましたが、大きさが合わなかったり、左右がてんでちぐはぐだったりして、すぐむずがゆくなって脱ぎ捨ててしまうのでした。実は、今でも靴を履くのは足を押し込められるような気がして慣れないのです。
 そんなわけで、私は裸足で森を駆け回り、お腹が空いたと言ってはお母さんの所へ帰って行きました。お母さんは(おかえり)とテレパシーで伝えては、私をぎゅっと抱きしめてくれたものです。それが好きで、特にお腹も空いていないのに、日に二度も三度も家に帰ったこともあります。帰ったけれども、お母さんが家にいない時もありました。でも、そんな時も、外でほんの少し待っていれば、お母さんがテレポートで帰ってきてくれました。そして、抱擁が終わると、私はお母さんと手を繋いで家に入り、お母さんが森から持ち帰った野草や果実を、二人で分けあって食べました。家は巨木のうろの中の一等地で、夏は涼しく、冬はお母さんが枯葉を敷き詰めるので暖かでした。そうして私たちは暖かな家の中で食事をしながら、この野草はどういう名前で、いつどこへ行けば生えているかなど、お母さんが話すのを一生懸命覚えたのでした。ご飯が終わっても日が落ちていない時は、覚えた知識を早速試したくて、ご飯を終えるやいなや、野草なり果実なりのあるという場所へ駆けていったものでした。
 幼い頃の記憶というのは驚くもので、今でも、私はそういった知識の数々を、自分の頭の中にまだ持っています。しかし、私が教えてもらった草木の名前はサーナイト族の中でだけ通用する名前、いわばサーナイト語で、学校のテストではとんと役に立たないことが多くて、私はこの積もり積もった塵芥のような知識をどうすればよいのか……。時折、この記憶を全て取り出して投げ捨ててしまいたいような、そんな歯がゆさに囚われるのです。

 さて、こうしてお母さんと暮らしている分には何不自由なく、私はそこそこ幸せでした。毎日おかえりの度にお母さんに抱かれて、ただその暖かみを堪能していれば良かったのです。
 しかし、その生活には切っても切り離せない、兄弟たちがいました。
 兄弟たちは私より年上で、もう家を出ているのか、お母さんと同じうろの中で食事をするというようなことはありませんでした。けれど、同じ森の中に住んでいるのか、私が散歩していると、しょっちゅう兄弟の誰かに出くわしたのです。
 大体は、見てはいけないものを見てしまったかのように、私からそっと目を外して、テレポートで去ってしまうのですが、一人だけ、私に遭遇すると、ちょっかいを出してくるキルリアがいました。キルリア、という種族名はその当時は知りませんでしたが、お母さんを小さくして髪型を変えたような彼は、私と出会う度に、きのみを念力で投げつけたり、足元の草を結んで転ばせたり。私がそれで泣いて家に戻ると、いつも優しいお母さんがきっと目を吊り上げて怒るのです。そしてテレポートでどこかへ飛びました。大方、そのキルリアをこっぴどくやっつけていたのでしょう。帰ってくると、テレパシーで(もういたずらしないように言っておいたからね)と優しく言ったものです。
 もちろん、それでいたずらが止むことなどなく、却って酷くなったのですが。
 そうこうする内に私も学んで、キルリアに転ばされても、泣いたりせずに家に帰るようになりました。お母さんに聞かれても、「木の根に躓いたの」と言っておけばよいのです。私は森の中を走り回っていたのですから。しかし、私に(またあのキルリアに転ばされたの?)と尋ねる時の母の目は、普段私を見る時のいかにも優しげな目ではなく、討つべき仇を見つけたような恐ろしい目で、非常に嫌でした。私に対する時と、キルリアに対する時の、母の二面性。仮面を剥がすように変わる母の姿に、私は、幼心に不信感を抱いたように思います。

 私は段々と、家に帰る回数を少なくしていきました。朝、飛び出し、日が落ちる間際になって戻る。家にいない時間を引き伸ばすように、それと引き換えて、森にいる時間は多くなりました。
 必然、あのキルリアに出くわすことも、多くなりました。今では日に一回だったのが、日に二回、多くて三回も出会うようになりました。その度に、キルリアは私に攻撃し、私はそれを躱し――
 そんな毎日が、ひょんなことから変わってしまったのです。
 ある日、いつものように私はキルリアに出会いました。キルリアは私にきのみを、それも熟れきってじゅくじゅくで当たった途端服に染みが付くようなのをぶつけ、私はそれを半分ほど避けながら森の中を駆け回りました。いつもなら、キルリアは少し私を追いかけ回してからテレポートでどこかへ消えるのですが、その日は違いました。それというのも、私が追いかけられている途中で、叫んだからなのです。
「どうして私にいじわるするの? 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!」
 私は叫びながら、森の中の緩い斜面を二十メートルほど、滑り降りるように走りました。そして、妙だと感じました。てっきり、キルリアは今までの倍ほど、きのみをぶつけてくるだろうと思っていました。ところが、きのみは倍ほど飛んでくるどころか、それきり一つも飛んでこなくなったのです。
 私は足を止めました。ひょっとして、キルリアはテレポートでどこかへ行ったのだろうか。怪しみながら、私は斜面を登りました。好奇心が勝っていたので、怪しみながらと言うには遠い不用心な足取りでした。そうした足取りで進むと、森の茂みが切れたところでキルリアの顔がきゅうに現れました。私は驚いてわっと声を上げましたが、キルリアは身動ぎせず、ただその場に、細い足で立っていました。私にぶつけなかった分のきのみを、手遊びに手から手へ転がしながら……。そして急に、私の頭の中に話しかけたのです。
 お母さんとは違う、切れ切れで、聞き取りにくいテレパシーでした。私は何度も聞き直して、やっと意味のある一文を聞き出しました。
(妹と入れ替わりにお前が来たから)
「妹?」
 私は、今から思えば随分と不躾な質問をしました。しかし、彼はそんな質問にも、黙って頷いて、答えました。
(前は同じ種族のちっちゃい妹で。でも急にお前が妹だと言われて。お母さんはお前にばっか構うし)
 キルリアは困ったように答えました。ただでさえ得意でないテレパシーが、動揺で余計に聞き取り辛くなっていました。
 最後の一言だけ聞こえました。
(ごめん)
「いいよ」
 私は子供らしい無邪気さと打算でもって、この謝罪を受け入れました。
「その代わり、一緒に遊ぼう」
 彼は頷いて、私の手を取りました。
 それから私と彼は、毎日一緒に遊ぶようになりました。
 母への得も言えぬ強い反感が、二人を繋いでいたように思います。

 ある日、私はキルリアに話しました。
「私、お兄ちゃんやお姉ちゃんやお母さんと格好が違うの、なんだか気になってたの」
 私と彼の間にある連帯感を強めるように。キルリアは吃驚したように私を見ました。
(気付いてなかったの? 君は僕らと違う種族だよ)
 私は否定とも肯定ともつかない形で、こっくりと頷きました。何気ない事なのかもしれませんが、それを打ち明けるのは、私には、とても勇気がいることでした。それは、母への疑いを口に出すことは、母に対する裏切りでした。私を育ててくれる母の愛を、裏切ることでした。私がこんなことを考えていると知られたら、お母さんに放り出されるかもしれない。そんな不安も獏と抱いていました。私とキルリアに対する二面性の裏の部分、それがいつ自分に向けられるかと、母に抱かれている時でさえ、私は心のどこかでいつも怯えていました。
(君はニンゲンっていう種族だよ)
 キルリアが言いました。
「ニンゲン?」
 私が聞き返すと、キルリアは手元に生えていた草を千切っていじりながら、頷きました。この頃のキルリアのテレパシーは流暢になっていました。多少長い言葉でも、無理なく聞き取れるくらいに。
(ニンゲンっていうのは、君みたいな姿で、手先が器用で、森の外に住んでるんだ。色んな道具を作るのが得意で、僕たちをやっつけたり、捕まえてこき使ったりするんだって)
 その口ぶりからすると、キルリア自身がニンゲンを見たことはないようでした。キルリアは私のスカートの裾をつまんで、(これもニンゲンの道具かな)と言いました。
 そうして二人して、しばらく黙っていました。
「ねえ」
 私が呼びかけると、キルリアは顔を上げました。その拍子に、顔の脇の緑色が揺れました。私は続けました。
「どうして私は森の外じゃなくて、ここにいるのかなあ?」
 キルリアは首を傾げました。私より年上の彼も、何も知らないようでした。
(お母さんは、妹と入れ替わりでここに来たんだよ、としか)
 私は生返事をして、三角座りをした膝のところにおでこをぶつけました。
 これまで胸の中を淡く渦巻いていた疑問が、急にはっきりした形を持って私の喉元に迫ってきました。どうして私はお母さんの子供なんだろう? どうしてニンゲンは森の外にいるのに、私だけここにいるんだろう? お母さんの種族しかいない、こんなところに。
 お母さんは私に優しくしてくれるけれど、それは一体、なんでだろう?
「ねえ」
 私は再び、キルリアに呼びかけました。
「その、森の外っていうところに行ってみない?」
 森の外は危ないし、ニンゲンは恐いらしい、とキルリアは渋りましたが、私が折れないでいると、危なくなったらすぐにテレポートで逃げるよと言って、結局私と一緒に行くことになりました。
「ニンゲンが恐いっていっても、私もニンゲンなんでしょう? だったら大丈夫だよ」
 私が幼いなりの論理でそう言うと、キルリアは、その部分についてだけ、素直に頷きました。
 私がお母さんのお気に入りだから、私の気に触ってお母さんに言いつけられたら堪らないというのも、あったのでしょう。キルリアは不承不承、私を森の外の方向へ案内しました。
(危なくなったら逃げるからね)
 途中、キルリアは何度も念押ししました。私は何度も頷きました。
 普段通らない道を通って、私たちは森の外に向かいました。キルリアは時々、川へ出て方向を確認しました。何をしているのか尋ねると、川の流れる方向を確かめているのだとキルリアは答えました。ある川の流れる方へ向かえば、森の外に出るのだそうです。私はそれを聞いたら、後は黙ってキルリアの後に付いて歩きました。
 森の切れ目から見る川は、だんだん太くなっていくようでした。それにつれて、森の中の道も太くなっていくようでした。
(ニンゲンが通る道なのかも)
 キルリアは言いました。とうとう森の外に着くのだと、私はいつになく胸を弾ませていました。それは、未知のものを見てみたい好奇心でしょうか。それとも、自分のルーツが分かるかもしれないという、ある期待でしょうか。とにかくその時は、森を歩くのは慣れているはずなのに、心臓が酷く速く鳴っていました。
(あれがニンゲンの住む場所だよ)
 キルリアが樹間の向こうを指差しました。
 真っ先に思ったのは、真っ平らでした。そこに広がっていたものの名前を、その時は知りませんでしたが、まあなんて平べったいんだろうと驚いたこと。その真っ平らのところには等間隔で緑の草を植えてあって、その不自然に整然とした姿に、私は感銘みたいなものを感じました。
(ほら、あっちにニンゲンがいる)
 キルリアが指差した方向に私は目を向けて――そして、釘付けになりました。
 そのニンゲンは、私よりずっと大きくて、太いのでした。私と違い、服を一枚被るのではなく、何枚か重ねて着ているようでした。遠目に見て、私の頭に被さりそうな、大きな大きな靴を、その足に嵌めています。そして、そのニンゲンは、白くて四本の足が長い、火の灯ったポケモンの首を叩いていました。
 今でこそあのポケモンはポニータといって、農村では農耕馬としてよく飼われているということを知っていますが、キルリアとサーナイトと、あと森に住む数種類しかろくに見ていなかった私には、とても奇っ怪なポケモンに思われたのです。私が森で見たことのあるポケモンの、シキジカというのには全体の格好や足に蹄があるところが似ているのですが、その当時はそういうところに気が付きませんでした。
(あっち)
 キルリアが別方向を指差しました。
 そこには、ポニータを目にした時よりも更なる奇っ怪が存在していました。
 草が等間隔に植わった平らな場所、つまり畑から少し離れて、柵がずっと続いていました。何かを区切るその木製の板の列の向こう側には、また真っ平らが広がっており、そこに面妖な、空に浮かぶ雲のようなフワフワに四本足を生やした獣が百匹は集まっていたのです。
「あれ、何?」
 声を抑えて、私はキルリアに尋ねました。キルリアは赤い目を百匹からの雲獣たちに注ぎながら、首を横に振りました。キルリアも知らないらしい。私はあれがなんという名前なのかを考えるのはやめて、ただその風景を眺めました。すごい、と口から零して。雲獣たちの群れから外れたところに、畑のとは別の服を着たニンゲンと、これまた見慣れないポケモンが一匹いました。長いひげを生やした顔が、紺色の体から生えているように見えて、よく分かりませんでした。私はその風景を眺めるのに精一杯でした。
 あの時、私は生まれて初めて、メリープ牧場と牧羊犬のムーランドを見たのでした。この地方の田舎で生まれた子が当たり前に接する世界。私はその時初めて触れたのでした。
 森の中からの視線に気付いたのか、私が見つめていたムーランドが顔を上げました。そして、間違いなくこっちを見たのです。気付かれた、と思いました。慣れない臭いを、遠くから察知したのでしょうか。ムーランドは横にいるニンゲンを鼻で小突くと、森の方へ、あっちへぶらぶら、こっちへぶらぶらしながら、確実に、近づいてきました。
 私はお腹の中がひっくり返るような心地がしました。何故だか慌ててキルリアを小突きました。驚いたのは、その次のキルリアの反応です。
(逃げるの? あれは君と同じ種族じゃん。もうちょっと近くまで寄ったところを見てみようよ)
 そして、テレポートの素振りなど露ほども見せず、却ってわくわくと心躍らせた風で、その場で待っているのです。
 子供の私が森を掻き分け歩くのと、大人の男が平らな地面を歩くのではわけが違います。ニンゲンとムーランドは私の予想よりずっとずっと早く森の際へ着くと、私とキルリアがいる方向を、じっと見つめました。そして、叫んだのです。
 何かを。

 ……私は男が何を言ったのか、聞き取ることができませんでした。
 たとえば外国語のように、それが言葉であることは理解しても、それが意味のある言葉であることは、到底理解できなかったのです。
 原因は、私が保護された時に、あっけなく分かりました。私が今までキルリアやお母さんから学んでいたのは、サーナイト語。ずっと昔に森に住み着いたサーナイトたちが、人との関わりを減らし、森の中での生活に順応する間に編み出していった、独自の言語でした。
 元を辿れば、私が今使っている言語と同じものなのでしょう。たとえばヘビイチゴは、言いやすいように単なるイチゴとなり、その内もっと言いやすいようにチーゴとなって、ポケモンの好むチーゴの実と区別をしなくなりました。標準語をきつく訛らせたような動詞の活用もたくさんあります。しかし、それをいざ喋ると、私はニンゲンから外れた異端の生き物のように見られ、私の言葉は通じず、相手の言葉も私に通じないのです。
 私は実の両親が雇ってくれた家庭教師が一語一句、私が聞き漏らさないようにゆっくり話すのを、毎日手がインクで真っ黒になるまでノートに書き取りました。身に沁みたサーナイト語を、ニンゲンの言葉で塗り替えるように、毎日朝から晩まで私はノートを書き続けました。チーゴはヘビイチゴ、マーはお母さん、シキジカの道ミミロルの道ハハコモリの道、これらは全て区別せず、獣道というのだと、私は毎日、泣きながらノートに書きつけました。
 そのことで、何度義理のお母さんを恨んだかしれません。しかし、恨みきれない気持ちも、またあるのです。

 ニンゲンの男が叫んだのと、ムーランドが近づいてきたので、キルリアは急に肝が縮んだようでした。大体の生き物は、自分より大きな生き物を、無条件で恐がるものなのです。大の男やムーランドに比べたら、キルリアは明らかに小さいのでした。
 キルリアは大慌てで私の手を掴んで、テレポートしました。しかし、そのテレポートはお粗末なもので、森の中を相手の鼻先から一歩先に飛んだというようなものでした。案の定すぐに追いつかれ、キルリアは
(この辺りの地理に明るくないからうまくできなかったんだよ)
 とこの状況だというのに言い訳をしていました。
 男は私を上から下までじろじろ眺め回すと、また何か言いました。それから私の顔を見て、気付いたように何か言い、私が首を傾げると、困ったように何か言いました。恐らく、「森の中で何をしてるんだ」というようなことを聞いたのでしょう。それから、私がその村に住むある夫婦に似ていることに、気付いたのだと思います。あの夫婦の子供か、というようなことを尋ね、言葉が通じないのを見て、困ったのでしょう。最初に叫んだのは、森に子供が入っているのを見て、怒鳴ったのかもしれません。
 男は困ったように二言、三言話すと、私の方に手を伸ばしました。男としては、森にいた迷子を、親が見つかるまで村で見ていてやろうというくらいの心持ちだったのでしょう。しかし、そんなことは全く分からなかった私と、それからキルリアです。男の手から身をよじって逃げて、そこから更に離れるように、一メートルほどテレポートしました。今度はムーランドが追いかけてきました。これは捕まるなと思ったその時、ムーランドが小さなきのみのようにぽーんと放物線を描いて飛んでいきました。そして、目が見えなくなったと思ったら、次の瞬間、私とキルリアは住み慣れた我が家の近くにいました。
(なんてことをしたの!)
 突然、頭が割れそうなほど高い大きな音が、私の脳内に響きました。キルリアも横で頭を抱えていました。影が差したので見上げてみると、鬼のような形相をしたサーナイトが、私たちを見下ろしていました。それが母であることに気付くのに、私は数秒かかりました。
(なんでニンゲンの、あんな近くに寄ったの? ニンゲンに捕まったら、死ぬまでこき使われるのよ。逆らったらご飯を抜かれて何日も繋がれて、やっと食べ物にありつけたと思ったらそれには毒が入っていて、従うかという問いに頷くまで解毒剤を貰えないのよ)
 そうやって散々説教、というより脅しを食らわせた後、母はキルリアを解放しました。私もすっかり、母の話に震え上がっていました。もっとも、母の話にあるようなポケモンへの仕打ちは、今から五百年以上前の、まだ人がポケモンをモンスターとして恐れていた頃の話ですが。母のニンゲンに対する印象は、五百年以上前のご先祖から語り継いだ形のまま、時を止めていたようでした。
 母は恐怖で竦み上がった私を見ると言いました。
(悪いお兄さんね。妹を騙すなんて。さあ、お腹空いたでしょう? ご飯にしましょう)
 母はいつものように私を抱擁して、家の中へ入っていきました。
 私は母に続いて家に入り、ご飯を食べながらも、母がキルリアにした仕打ちに戸惑っていました。どうしてあんなこと言うの? どうしてあんなに怒るの? ニンゲンに近づいちゃいけないというなら、どうして私をこんな森の中に連れてきたの?
 すっかり混乱していました。私は母の逆鱗に触れないよう、母が(もう森の外へ行っちゃだめよ、ニンゲンに近づいちゃだめよ)と繰り返すのに、ひたすら頷いていました。
(もう夜も遅いから寝なさい)
 と母が言いました。私は大人しく葉っぱを重ねた寝床に入りました。
(それから、悪いお兄さんの言うことは聞いちゃだめよ)
 と母が言いました。私は黙って頷きながら、思いました。
 キルリアがお兄さんなら、私は一体、何なんだ、と。
 私はニンゲンの群れに戻りたいと思い始めていた。

 それから数日、私はそれまでで一番、考え事をして過ごしていました。
 どうして私は森の中にいるのだろう。どうして私はニンゲンで、他の家族はサーナイトやキルリアなのだろう。どうして母は私を森の中に連れてきたのだろう。最後の疑問は、必ず母に聞かなければならないと思いながらも、胸の中に仕舞ったままになっていました。あのことがあってから、母の機嫌を損ねるのが恐くて、そんな恐ろしい質問はできるはずもなかったのです。結局、この質問の答えは聞けずじまいです。
 考え事をしながら森の中をフラフラと歩いていて、私はふと何かの呼び声に顔を上げました。太い、男性の声。耳慣れない言葉を叫んでいて、私はすぐに、森の外からニンゲンが来たのだと気付きました。
 声が聞こえて間もなく、ムーランドが私のすぐ目の前に姿を現しました。ムーランドの後ろにいた男が、口元に手を当てて、何か叫びました。「いたぞ! 例のニンゲンの女の子だ!」大方そんなところでしょう。男は叫び終わると、私の方を向いて、笑顔を作りました。恐くないよと言うように、身を屈めて。私は、森の外へ行く日が来たのだと察しました。
 しかし、母はそれを認めたくないようでした。私の隣にテレポートで飛んでくると、まず近くのムーランドに一撃、そして、他のニンゲンのポケモンたちにも、次々と攻撃を加えました。男たちが負けじと声を張り上げ、ポケモンたちを叱咤します。それに応えて立ち上がるポケモンたちに、母はまた一撃を加えます。
 事態は膠着しました。母が強いポケモンか、意識したことはありませんが、母がそこら一帯の一族をまとめる程度に力があることは知っています。一方の村のニンゲンのポケモンたちは、数こそ多いものの、特に戦うことを教わったポケモンたちではありません。これで村のポケモンに一匹でも悪タイプが混じっていれば違ったのでしょうが、生憎そこの村は古い因習に囚われているきらいのあるところで、悪ポケモンなど、一匹たりとも村の中へ入れようとしないのです。飼うなんてもってのほか。そんなわけで、普段は牧羊犬をやっているムーランドや、間違えて進化したデンリュウや、数合わせのメリープを母がいてこまし、村の人は後退まではしていないものの、私と母に近付くことはできないという、困った状態がしばらく続きました。
 最終的に、相手の数が勝ちました。
 スタミナ切れした母は守りに転じて、しかしそれも長く続きませんでした。私を庇ってムーランドの牙やデンリュウの電撃を食らい、母はあっという間にぼろぼろになりました。それでも私をなんとか守りたかったのでしょう。母は敵陣に突進すると、黒い球体を生み出しました。シャドーボールとは違います。そこで空間が途切れたような、桁外れに暗い球体を生み出したのです。
 突進された村の陣営の人々は、悲鳴を上げて四方八方に散りました。逃げ遅れたメリープが一匹、驚いた顔をして、そして消えました。その辺に生えていた木と草と一緒に、消えました。お母さんも消えました。
 消えました。
 私は聞き慣れない言葉で話しかけてくるニンゲンの手を取って、聞き慣れない言葉に頷きながら、森の外へと帰りました。

 その後、私は実の両親と無事に再会し、ここまで育ちきました。
 あれから聞いたことですが、フェアリータイプのポケモンは、自分の子と人間の子を取り替えてしまう(チェンジリング)ことがあるのだそうです。人間の子供が可愛く見えるからだとか諸説ありますが、はっきりした理由は今も分かっていません。人間をあれほど嫌っていた母が、私を連れ帰った理由も、よく分からないままです。単に可愛く思えたのか、それとも別の理由なのか。身勝手ではありましたが、自分の命と引き換えにブラックホールと作り出すくらいには、私を大切に思ってくれていたのだと、そう思います。
 ヘビイチゴはチーゴ、お母さんはマー、獣道は――サーナイト語を口ずさみながら、でももう森の中へ行くことはないのだと、もう森の中へは行けないと思いながら、私は自分の中に深く根を張るあの日々を思い返すのです。
 ところで、私と取り替えられてここに来た子は、どうなったのでしょうか。一度もそれらしい顔を見ていませんが、一足先に森へ帰ったのでしょうか?