ポケモンストーリーコンテストSP -鳥居の向こう-

企画概要 / 募集要項 / サンプル作品小説部門 / 記事部門
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12 本当の名前にはご用心 リング(HP


PDFバージョン 紙に2ページ分ずつ印刷して折りたたむと本になります 




「はぁ……勉強が進まないな……」
 家のクーラーをつけると、電気代がかかるので、サークル内の机で僕は勉強していた。内容は英語検定の勉強なのだが、二級への壁は果てしなく厚く、僕の前に立ちはだかっている。
「あら、ソウヤ君熱心ね。何の勉強かしら?」
 ジョウト地方に存在するこの大学にて、民俗学を学ぶ学科に籍を置き、またこの大学のオカルト関係のサークルにてリーダーを務める女性、水谷 桔梗(ミズタニ キキョウ)先輩が僕に尋ねる。
「あー……キキョウ先輩。いや、英語の勉強なんですけれどね……昔っから僕、言葉を覚えるのが苦手で……単語とか、熟語とか、そういうのを覚えるのが苦手で……文法も難しいですよね」
 僕の名前は、津田 宗也(ツダ ソウヤ)。同じくオカルトサークルの部員。彼女と違って、特に役職のようなものはない。
「つまり全部だめなんじゃない……」
 先輩が苦笑する。
「あはは、厳しいですね……」
  笑い事じゃないのに、僕は笑ってからため息をつく。
「いや、俺の父親が外国で仕事をしているんですけれど……その関係で、家族ぐるみの付き合いがあるんですけれどね。どうにも意思の疎通がうまくいかなかったり……あっちの国にも興味があってホームステイとかもしてみたいのですけれど……今の英語力じゃあ、とてもとても」
 今の僕は、英語の童話を読むのも精一杯といったところだ。
「あら、家族で仲がいいのかしら? うちは全然だから、羨ましいわ……そういう目的で学ぶってのはいいことね。頑張りなさいよ?」
「えぇ、そう言ってもらえると嬉しい……ですけれど、肝心の僕の頭がついてきてくれなくって」
「そういうのは単語を覚えないことにはどうにもならないし、暗記が物を言うでしょ? でも、あんまり詰め込みすぎても、集中力が途切れちゃうわ」
「えぇ、それはそうなんですけれど……やらないよりはやったほうがいいですし……」
「そうね……」
 仕方ないわね、とばかりにキキョウ先輩は微笑んで、僕の隣に座る。
「じゃ、息抜きがてら、ちょっと与太話でもしようかしら? 夏休みも近いことだし……」
 と、彼女は言う。奨学生としてこの学校に入った彼女は、よい成績を残して特待生となることで学費を免除してもらおうと躍起だけれど、先輩の勉強はただ単に知識を詰め込むではない。先輩は柔軟な考え方が出来て、そのためか知識も豊富であり、彼女の話は興味深くて面白い。言ってみれば、僕の憧れである。彼女が講義をやってくれればいいのに、と思うこともしばしばだ。
「え、えっと……それじゃあ、長くなりすぎない程度でお願いできれば……」
 本当はどんなに長くなっても聞きたいところだけれど休みすぎたらさすがに勉強の気持ちが萎えてしまいそうだ。
「大丈夫よ、そんなに長くはならないから……あ、皆も聞く? ちょっとしたお知らせもしたいの」
「いいっすか? じゃあ、俺も」
「なになに、キキョウ先輩のお話?」
 キキョウ先輩が、お話とお知らせをしたいといえば、キキョウ先輩のお話が面白いことの証拠であるようにサークル員のみんなが集まって来る。
「ソウヤ君が英語っていう言語を学んでいたから、そういえばって思い出したんだけれど……皆は『言葉』の本質をご存じかしら?」
 と、キキョウ先輩が尋ねる。
「それは、哲学的なものなのですか?」
 と、後輩が尋ねるが、キキョウは首を横に振った。
「もちろん、オカルト研究サークルらしく、オカルト的なものよ」
 と、彼女は言った。
 彼女にとって、このオカルト研究サークルというのは、趣味と実益を兼ねたサークルである。彼女自身オカルトマニアで、家の写真を見せてもらったときにはいろんな呪術の道具が揃えられていたりなど引きはしないが、唖然とするような室内であることは誰にとっても疑いはないし、本人も自覚している。とはいえ、本人は悪びれることなく、アニメオタクだってこんなもんでしょ? とばかりに開き直るばかりで、改善する気は一切ない。一人暮らし(この前実家通いと言っていたような気もするが)だからと、好き勝手しているようである。

「さて、今日こんなお話をしたのはね……」
 皆も知っての通り、私の名前はキキョウ。この学校のすぐ近くに同じ名前の街があるけれど、私の実家はそこにあるの。つまりは母さんが街の名前を付けてくれたものなのだけれど、その街には一つの風習がある。それは、子供には社会で使う戸籍上の名前に加え、他人に教えてはいけない『本当の名前』を付けるというもの。某名前を書けば人が死ぬノートのお話じゃないけれど、本当の名前を知られてしまえば、知った人に操られ、利用されてしまうという事。
 言葉とは『言の葉』。言の葉とは『事の端』や『理の覇』である。言葉には本来それほど強い力があったという事だ。この世界だって、神様が『光あれ』と口にしたことで、光が生まれたの。光っていうのは、時間と空間の事ね。ほら、空間は光の速さ以上で移動できないとか、光の速さ以上の速度で移動すると過去へ行けるとか、そういう話にある通り、光が基準になっているのよ、この世界は。
 つまり、言葉とは、時間や空間……シンオウの神話に残るディアルガやパルキアよりも上に位置する概念なんだ。昔は、人間もこれを自由に操っていたそうよ。今は、そんなことはないけれどね。

 要約すると彼女のお話はこんなところである。
「それで、話って言うのは……その、『本当の名前』っていうのをどれくらいの地域、どれくらいの割合がつけているのかを聞きたいの。そして、本当の名前の例をね……戸籍の名前は公開せずに、Aさんは○○、Bさん××って感じで、データをとってみたいの。ぶっちゃけいうとさ、これ……文化祭でのサークルの研究発表に使うだけじゃなくって、卒論にも使いたいなーなんて思っているんだけれど、どうかな? 例えば、私はキキョウシティの出身なんだけれど、そこではそういう風習が残っているのよ。
 私の名前は、ヤミナシヒトヌシノヒメっていう名前でね……その名前を知られると、私自由に操られちゃうんだって。男子連中、私の名前を知ったからって、なんかいやらしいことを命令したりとかしないでよ?」
 キキョウ先輩は冗談めかして笑う。
「先輩、そういうこと自分で言っちゃいますか?」
「いいですね、先輩。彼女になるように命令しちゃっていいですか?」
「いやーん、ケ・ダ・モ・ノ」
 男子連中にからかわれてもキキョウ先輩は平然とおどけていて、他の女子たちも操ってスウィーツをおごってもらおうかなーなどと、不穏な言動でまくし立てている。
「ふふ、スウィーツは研究に協力してくれた人には奢ってあげるわ。と言っても、もうすぐ夏休みでしょ? 里帰りのついでに、近所の人や高校時代の仲間たちから、出身地やそういった風習の有無。それと、できればその名前について教えてもらいたいの。私は、その名前について、昔はどのように信じられていたのかとか、史実に残る事の端を使われた、使われたと思われる事例を、いろいろまわって調べるつもり。カントーの国立図書館とかね。
 夏休みが終わったら、報告会として飲み会を開きましょう。お菓子とジュースは用意するから」
 キキョウ先輩は、まるで夏休みの自由研究みたいな宿題を私たちに課す。オカルトマニアな彼女は、私達の研究にも何度か協力してもらっていることだしと、サークル員はみな協力的だ。夏休み前日で心が躍っている人たちは、みんなが調べることを約束して、勉強の息抜きの与太話は終了した。僕は勉強の続きであるが、いい気分転換にはなった。


 僕の住んでいる街はキキョウシティの隣町だが、この街にもキキョウシティと同じくそういう習慣があり、今でも本当の名前をアルフの遺跡近くの神社に奉納する文化がその街では存在している。
 その名前奉納の神社は全国から(一応全世界から)の奉納も受け入れており、子供に『本当の名前』を付けることで、おまじない的な願いをしたい親たちに人気の観光スポットである。例えばキキョウ先輩のヤミナシヒトヌシノヒメとは『病み無し人主乃姫』。病気を患うことなく、それでいて人を束ねられる女性になりなさいという、女性の社会進出を予期していたかのような名前である。『まぁ、言ってみれば穢れ無き女王様になれ』って事よねと、先輩は語っていた。
 そして僕は、この神社に名前が奉納されていると聞いて、親に本当の名前を尋ねてみたがどうせ近所なんだから自分で調べたほうがわくわくするでしょうと言うのが親の弁。僕はその神社へと自分の足で向かう事となった。
 バス停から数十分、観光名所である神社は、夏休みという事もあってにぎわっている。この神社は、生まれてきた子供に名前を付けるのが一般的だが、たとえば結婚した時や、成人した時に新しい名前を付ける人もいる。
 大都会のコガネシティには、今やテレビで引っ張りだこの姓名判断氏がいて、その人につけてもらった名前をここに奉納する人もいるのだとか。そうした文化は、ポケモンの所持が一般的になるにつれてポケモンにも受け継がれ、ニックネームの他にも名前を持つポケモンもいるのである。
 コンテストで、ポケスロンで、ポケモンバトルで、そのほかいろいろな分野で活躍することを願い、自分にもポケモンにも名前を付けるべく、人の親以外ではポケモントレーナーが客としての比率が多いのだ。

 そんな場所なので、僕も神社の入り口近くで、手持ちのポケモンの『本当の名前』を一つ判断してもらおうと思う。会議用の長い机に座った姓名判断師は、中年くらいの男女達が多く見受けられるが中には若い人もいる。どうでもいいけれど、こういう職業をやるにはどんな勉強をすればいいのか、そもそも勉強したうえでこんな職業をやっているのか? 実は高校中退して働くところがないからこんなところでこんな仕事をやっていて、いい加減な仕事をしているんじゃないかとか、そういう邪推も浮かんでくるが。
 まぁ、こういうのは気持ちの問題もあるし、さすがにある程度の勉強はしているだろうから、信用することにする。僕のポケモンはパチリスのパチュリーで、よくものを落としたり忘れ物をしたりする僕のことを逐一注意してくれる可愛いやつだ。頬の電気もそれなりに強力なので、野生のポケモンと出会ってしまったときなどは頼りになる存在だ。

「ふーむ……なるほど。ニックネームはパチュリーですか。お客様は、この子にどんな子になってほしいかとお考えでしょうか?」
「そうですね……長生きしてほしいですし、健康的になってほしいですかね。ありがちですが……」
「なるほど、それでは……」
 と、言いながら姓名判断師は本をパラパラとめくり、ミツルミカヅチノミコトという名前を授けてもらう。『満つる雷の命』とは、電気タイプにとって生命線である電気が満ち足りていますようにいう願いを込めているとか。その名前の鑑定結果に、そんなんじゃ結構なポケモンが被るのではないかと思いつつも満足した僕は、お金を払ってその場を後にする。
 そうして後、母親からもらった奉納した名前の証明書を手に、納名堂へと向かう。納名堂は、図書館のように並んだ棚に、所狭しと名前を収めた木箱が収められている。奉納される木箱は20本入りの紙巻きタバコの箱とほぼ同じ大きさで、これを収めるためには箱代と合わせて2000円ほどとられるが、代わりに保存は50年を保証してくれる。
 その保証のために、木製の建物では火事に対して心もとないからと、壁には燃えない素材の漆喰が塗られ、火災報知器やスプリンクラーも目立たない程度に完備である。
 その納名堂に入るには職員の許可とお金が要り、もちろん内部は撮影禁止。19年ほど前に親が預けたそれを見に行くと思うと、何とも感慨深い気分で心が躍った。巫女装束をまとった職員に連れられて自分の名前が入った棚を漁ってもらい、中身を見る。これだけで800円ほどかかるけれど、まぁ記念にこういうのも悪くない。
 蒸し暑い室内で、埃を被った木箱を開封し、汗をかきつつ覗いた自分の本当の名前は『ヨシリツクヌシ』。同封されていた紙によれば、『世を知り尽くす主』。いろんな物事に見聞を広め、賢くなって欲しいというものらしい。自分よりも4年前に生まれた兄のものも別の場所にあるのだが、『それは兄が自分から教えなければいけないから』と母親から言われたので、ひとまず木箱を戻し、職員へお礼を言ってから、パチュリーの名前を奉納しに行った。

 ポケモン用の名前は、通常人間のものよりも小さい木箱が使われるが、一応人間のサイズと同じものや、スペシャルなサイズのものも取り扱っている。
 木箱代というよりは、主に場所代にお金をとるので、そういう大きな木箱は自然と割高になるが、このキキョウシティにジムを構えるハヤトさんなんかは、人間のものよりも大きな木箱を使って奉納しているそうだ。お金持ちだなぁ。
 それを終えて家に帰ると、僕は死んだおじいさんの名前を教えてもらった。母さん自身の名前は、まだやりたいこともあるから教えられないのだと。『貴方も、人に本当の名前を教えるときは気をつけなさいね。ヨシリツクヌシ、っていうのは賢者って意味なんだから、賢く振舞いなさい』と、母さんは笑っていた。

 後日、僕はパソコンのテレビ電話ツールにて、教えてもらった名前をパチュリーの分と合わせて報告する。
「へぇ、こんなに早く報告してくれるなんて……ありがとう、ソウヤ君」
「いえいえ、お安いご用です」
「ちょっと、ながくなるけれど、お話いいかしら?」
「あ、かまいませんよ……勉強の息抜きの言い訳にピッタリですし」
 今日はすでに3時間勉強している……もう十分のはず。はずだ。ともかく、そうして電話越しに聞かせてもらった話は、やはり興味深いものであった。
「なんで、このキキョウシティでそういう文化がはやったかというとね……」
 言葉の力というのは、自然に消滅したわけではない。昔は人間も言葉の力を操っていたのだけれど、神々はそれを危険視してしまったのだ。なので、神は『別の人間に嘘をついて得をできるようにしよう』と言って、人間に『事の端』、『理の覇』を失わせたのだとか。
 ここでいう神とはシンオウの創造神アルセウスではなく、反骨の神ギラティナで、北東にあるシントの遺跡にはその旨の碑文が刻まれ、白金山のワカバタウンにあるサイレントヒルズでは、今もそのギラティナが罰として封印を受けているのだという。
 そのため、心に問題を抱えた人は、ギラティナによって裏世界へ引き込まれるとか、白金山にはギラティナを振興するカルト宗教が存在しているとか、オカルトな噂も絶えない。そちらは別のサークル部員が研究しているので、よく知っている。
 話がそれてしまったが、とキキョウ先輩は気を取り直し、重要な話をする。では、その言葉の力というのはどこに消えてしまったのかというと、アンノーンの姿をして今なお息づいているらしい。それゆえ、アンノーンはうまく使えば非常に強い力を持っているとされている。ここ、キキョウシティから南南西にある、リニアモーターカーの沿線にあるグリーンフィールドという別荘地の大豪邸が結晶化してしまった事件も、原因はアンノーンにあったという。

 キキョウシティや僕の出身地はアルフの遺跡にごく近い。だからこそ、この名前の文化が残ったのは偶然ではない。それが、キキョウ先輩の卒論における研究テーマであるそうだ。
「だからさ、ソウヤ君。もしかしたら、誰かの『本当の名前』をアンノーンに読ませたら、その人を自由自在にできそうな気がしない? 今でも、失われた『神の言葉』を利用することで、アンノーンに命令をする事が出来るといわれているんだって」
 なんて言って、キキョウ先輩は電話口で笑う。
「それは……すごいですね。出来ちゃったら何かの賞だって夢じゃないですよ」
 僕がそんなことを言うと、そうでしょ? と先輩が言う。
「それでさ……たとえばー、ソウヤ君。君の本当の名前が、『名は体を表す』状態になったら嬉しくないかしら? 世を知り尽くすくらいだから英語が得意になるかもよー」
「そ、そりゃあ……嬉しいですけれど」
「そうよね、それは当り前よね……よし、それじゃ……お礼と一緒に、もう一つ、一日……いや、半日でいいから実験のお手伝いを頼みたいの。もしよければ、なんだけれど……私の家に来てもらえないかしら?」
「一日ですか? それなら構いませんが……」
 憧れの先輩からのありがたい申し出である。英語の勉強もしておきたいが、それについては毎日やっている。半日くらいなら、休んでもいいだろう。
「ありがとう。お礼は期待してね」
 
 『実験』、大学生ならば日常的に聞いていても何らおかしくない言葉である……と言っても、うちは化学や生物系のサークルではないので、高校までと同じ感覚で、あまり聞かない言葉である。その聞きなれない言葉のために、僕はキキョウ先輩の家まで向かう。
 駅から徒歩圏内だという彼女の家の最寄り駅に着くと駅前の売店にて、先輩は待ち構えていた。
「こんにちは、先輩」
 待ち合わせ場所のバス停のベンチに座っていた先輩が手を振っていたので、僕は小躍りして駆け寄っていく。
「こんにちは、ソウヤ君。ちょっと歩くけれど、大丈夫?」
「まだ俺大学生っすよ? 若いんだから大丈夫ですって」
 道中、汗くらいはかきそうだけれど、それくらい問題ない。十分ほど歩いて、彼女の実家へ戻る。大学からは距離にして40分ほどだろうか? 急行電車を使えばもう少し短縮できるかもしれない。実家通いなら悪くない場所だ。両親は留守なのか、人の気配はない……本当に一人暮らしなのかもしれない。

「実家通いなのに、一人暮らしって言ってましたけれど……」
「あぁ、母さんは1年ちょっと前に死んじゃってて、父さんは離婚……まぁ、そのおかげか、のびのびとやっているの、バイトは大変だけれど、母さんの生命保険で何とか……」
 なかなか複雑そうな家庭の事情だが、先輩はさらりと言い放って、いそいそと冷蔵庫から茶菓子を出す。
「さて、と……ちょっと昔話をするわ。お菓子は適当に食べちゃって」
「はぁ……」
 コップには冷たい麦茶を注がれ、茶菓子としてイモ羊羹と生八つ橋が添えられる。甘い香りが食欲を誘い、僕は生返事をしながら早速一口食べる。
「私ね、昔は家庭に問題があって、理由もなくむしゃくしゃすることがあった……それで、まぁ……蟻とかを無意味に潰して憂さ晴らしをしていたこともあったわ……」
 神妙な面持ちでキキョウ先輩が語りだす。
「まぁ、そういうのはえてしてエスカレートしちゃうもので、中学の頃、私はもっと大きな物を殺してみたくなった……その対象に選んだのが、アルフの遺跡のアンノーンだった。ほかのポケモンは強すぎてね、中学生の私でも生身で勝てるポケモンはそれくらいで……でも、物陰で一度、角材で打ちのめしてやったら、それ以降警戒されちゃって、寄り付いてくれなかった。
 そんなとき、私は……神の言葉と、それに秘められた力を題材にした小説のことを思い出した。つまり、かつて人間が言葉の力を操れていた時代のお話」
 まるで、詩を朗読するような語り口調から、キキョウ先輩はゆっくりと立ち上がり、一人部屋であろう部屋の扉を開ける。
「その小説には、アンノーンが大量に現れるシーンがあってね」
 中からは、埃の積もった棚を開けたように、ふわりふわりとアンノーンが出てくる。あんなに大量に……その量は数え切れない。
「うわー……大量」
「そうね。で、私は小説の通りにこう言ったの……『******(集まれ!)』……とね」
 言うなり、キキョウ先輩の周りにアンノーンが集まりだす。集まったアンノーンは何層にも重なった球状の陣形を作り、天井に取り付けられた蛍光灯の下、キキョウ先輩寄りの位置で、高校の時に見たフラーレンとかいう物質のような見た目をしている。
「奇跡が起こったのか、アンノーンは私の周りに集まった。その言葉の深い意味も知らずに、なんとなく口にしただけなのにね。今は失われた神の言葉について興味を持ったのも、それから。私は、結局アンノーンをいじめるのは止めたの」
「すごい……えっと『****(集まれ!)』でしたっけ?」
 口に出してみるも、アンノーン達は全く動いてくれない。なにこれ、なんか寂しい。
「その小説でも、命令をできるのはわずかな人間だけだったわ……さて、本題。それ以降、私は神の言葉について興味を持ち、熱心に調べるようになった。独学で勉強もした。あの大学を選んだのも、それを学ぶ学科があったのと、実家が近かったからという理由から……それでもって、私は実験をしてみた。ラッキーみたいな珍しいポケモンを、アンノーンの言葉の力で呼び寄せられるか。
 そして、呼び寄せたポケモンを操れるかどうか。ポケモンの滅びの歌も、言葉の力を用いると言う点では原理は同じ。ゴミ捨て場を荒らすようなポケモンをそういう力で標的にしたこともある。でも、ポケモンを操れたところで、私はトレーナーじゃないから……意味ないでしょう?」
「それって、つまり……最終的には人間を操ろうってことですか?」
「****************(我が名はヤミナシヒトヌシノヒメ)」
 先輩は唐突に、僕にはわけのわからない言葉を口にする。アンノーンの目が、一斉に先輩のほうを向く。少し気味が悪い
「ポケモンには、さっき言ったように、滅びの歌や、そのほか言葉を武器にした技が存在する。だから、ポケモンにアンノーンの力が効果があるのは理解できる。では……ごく普通の一般人には効果があるのか? それを考えるのは当然の事よね? 滅びの歌が人間にも効果があるという事は、人間にも効果があるのだろうけれど、さすがにそれは未曽有のテロになるからやらない。
 実験っていうのは、そういう事。あなたに、『理の覇』の魔法をかけたいの。大丈夫、殺したりなんかはしないしあなたにも有益だから……」
 キキョウ先輩は、いつもよりも饒舌で、そして早口になる。なんだかとっても気味が悪い。というよりも、僕が実験台になることが前提で話が進んでいるような気がする。
「で、でもなぁ……ちょっと、怖いというか……」
「だからこそ」
 邪気を含んだようなその声で、僕はびくりと肩をすくめる。
「相手が望まなくとも、嫌がろうともできるのかどうか? それは大いに重要なことだから」
 やばいと、そう思ったときにはすでに走り出しておくべきだった。
「*********************(我が名において命じる。目の前にいるヨシリツクヌシを、私の支配下に置け)」
 その言葉を終えると、アンノーン達が消えていく。氷が解けて蒸発するかのように、跡形もなく消えて、そこから空中に広がった波紋のようなものが僕に襲いかかる。突然。目の前が真っ暗になったような気がした、
「『指示があるまで、呼吸とまばたき以外で動くな』、ソウヤ君」
 言われたとおりに、まるでフリーズを起こしたパソコンのように、僕の体はうんともすんとも言わなくなる。
「言葉は、魔法だから……使いすぎると枯渇する。あまり無駄遣いは出来ないわね」
 消え去ったアンノーンのことを想いながら、キキョウ先輩が口にして、それから思い出したように僕のほうを向く。
「貴方は、私に本当の名前を教えちゃったから……」
 必死で動こうとうして、しかし指先一本動かせない僕に、憐れむようなキキョウ先輩の声。
「だからね、利用させてもらったんだ……手持ちのアンノーン達で……貴方にアンノーンを集めてもらうように。気分はどう? あ、口も自由にしていいわ」
「な、なんですかこの状況……」
「言ったでしょ? 実験だって」
 キキョウ先輩が慈しむようにアンノーンの体を撫でている。
「今現在のようにあなたみたいに本当の名前を知ってしまえば、自由に操れることになるわね。さぁ、ソウヤ君、私の奴隷になる心の準備はいいかしら? 『はい』と、言いなさい」
 冷たい、気味の悪い笑顔でキキョウ先輩が命じる。即座に嫌だと言おうとしても、命令があるまで僕は動く事が出来ず……。
「はい」
 命令された途端に、僕の体が『はい』と言う。まるで自分の体ではないみたいで、意思に反して僕の口から言葉が漏れてしまう。
「なんてね」
 語尾に音符のマークでも付きそうなほど、上機嫌な先輩のセリフ。何の冗談なのかと思って、目を丸くしているうちに、キキョウ先輩はさらにもう一言。
「もう自由にしていいわ」
 そこまで言って、彼女はため息をついて、イスに深く座り込んだ。
「あー……悪役ぶるのも疲れるわねぇ」
 キキョウ先輩が笑う。
「あの、どういう事ですか……」
「貴方をアンノーンの実験台に使っていたの。貴方が一番乗りで名前を教えてくれたし、遺跡の近所に住んでいたから……実験材料にはちょうどいいかなあって。それに、貴方は……お礼の内容も思い浮かびやすかった」
 キキョウ先輩は悪びれず、自分の罪を告白する。しかし、反省や後悔をしている様子は微塵もなかった。
「か、勝手にそんな……僕はラッタじゃないんですから。断ろうとしたのに……」
 むくれる事すらできないくらい、僕の胆が冷えたじゃないか……。
「いいじゃない。別に体に異変はないんでしょう? 失敗したならともかく」
 だからと言って、もし異変が出たらどうするのだと、僕は言いたい。思わぬところで思わぬものに影響が起こる事なんて……具体的な例が思い浮かばないけれど、よくあることなんだぞ。
「さっきの力で、私が望むことをやってくれるようにあなたを仕向けられるかどうか。貴方が絶対に望まないことを、貴方にさせられるかどうか、それを調べるために、みんなの名前を聞き出したのよ。人間で実験できる相手を選ぶためにね。
 あぁ、別に君を奴隷にすることを望んではいないから、安心して。ただのテスト、悪役のフリ、上手かったでしょ? 後でお礼もするわ」
 何の問題もないでしょとばかりに、キキョウ先輩がにっこりと笑った。いやいやいや、おかしいでしょう
「そういう問題じゃないでしょう、先輩」
「許してよ。あなたには、名が体を表させてあげる……英語、頑張っているんでしょ? 効果は保証する……否、しているわ。私はこの口で、自分の名前を、自分に対して口ずさんだ。それだけで、私は支配者になれたのだから。神の言葉は支配者の言葉、だからなのかしらね、名前を口ずさんだだけで勉強がはかどったわ」
「目的は……一体なんなんですか? ヤミナシはともかく、ヒトヌシノヒメになる目的は?」
「別に、戦争を起こすでも、政治家を脅して金を盗ろうとも? ……というか、ソウヤ君。嬉しくないの? 不満そうな顔をしているけれど」
 キキョウ先輩は、まさしく訳が分からないという風な顔をしている。
「そりゃ、確かに魅力的なことであった。けれど、正直な話……怖いです。あるのかどうかもわからないけれど、副作用のようなものがありそうな気がして……。勝手にやられたことは、確かに何ともなかったので……お化け屋敷に強引に連れて行かれたと思って諦めます……でも、あの力は、怖いです。
 本当に、嘘のように体が支配されて、自分が自分じゃなくなるような……アンノーンの力に触れたからわかるんです。あの力はあまりに強すぎます。実験した目的は聞きませんけれど……強すぎる力は、あなた自身も危ない気がして」
「私は、幸せのためにしか使うつもりはないわ。そうね、死ぬのが幸せになったら確かに危ないかもしれないわ」
 はかなげな笑顔を浮かべて、キキョウ先輩が言う。
「そんな」
 と、僕が声を荒げて言いかけたところで、キキョウ先輩は
「ないわよ。そんなこと」
 と、まじめな声で否定した。
「いいわ、貴方も……忘れたほうが幸せそうね。全部……忘れないさい。今日ここで起こったことは」
「待ってください!!」
 と、声を出すも、いきなり僕は眠くなる。目覚めたころには、すべてを忘れているという事が想像できた。


「言葉の価値を下げないためにも約束は守るわよ。口にした言葉を守れない奴は、屑だから」

 ◇

 両親で貯めていたはずの、私の将来のための貯金。父親はそれを使い込んで浮気相手に貢いでいた。その当時、私と妻が相当邪魔だったのか、どちらも暴力にさらされ、そのくせ何度も『これっきりにする』とか『悪かった』と意味のない謝罪を繰り返していた。正式に離婚するまで、私達は母方の実家に避難するしかなかく、そうして幼いころの生活をめちゃくちゃにした恨みをきっちりと清算してもらわねば気が済まなかった。
 母の死から約一年。線香をあげたいと申し出た父親と連絡がついたことで、紆余曲折あって父親の『本当の名前も』知る事が出来た。ソウヤ君で最終的な実験も済ませたので、あとはできるだけ父に無残な死にざまをさらしてもらうだけだった。
 ソウヤ君の言う通り、私も副作用を恐れていた。例えば、ポケモンは滅びの歌を受けても死ぬことはめったにないが、人間相手では死亡事例もある。父親がぽっくり死んでもつまらない。特に、父親への復讐が目的だったのに、それでは復讐にならないから。
「まじかよソウヤ……お前英検受かったのか? 結構ボロボロだと思ったけれど」
「あぁ、何だか急に勉強がはかどるようになってね。洋画とかを、字幕なしで見られるようになるのも遠くないかも」
 そして、記憶がないとはいえ約束通りお礼を与えたソウヤ君は……彼が、彼の両親が望んだとおりの『世を知り尽くす主』になるようにとアンノーン達に命じている。ソウヤ君の夏休みの成果を見る限り、損な役割を負わされた分、お礼の効果はテキメンのようだが。

 私が、父に対して命じたのは、アンノーンを無駄遣いしないように。『****(飢えて死ね)』とだけ。普通に死ぬ上では、かなり苦しい部類で、なおかつ他の誰も不幸にしないように死にざまだ。それから数十日経った今日、とある山奥でまともな装備もない不可解な格好で餓死したと思われる遭難者の死体が発見されたそうだ。もちろん、父である。
「『貴方自身も危ない気がして……』」
 目的を達した私は、ふとソウヤ君の言葉を口ずさむ。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ともいうけれどね……大丈夫、目的は果たした」
 私は、その新聞をサークルのパソコンでコピーして、問題の部分の切り抜きをした。5センチメートル四方ほどのその記事を眺め、私は一人悦に浸っていた。