ポケモンストーリーコンテストSP -鳥居の向こう-

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14 稲荷狐の神社作法講座 穂風湊


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 バス停から全速力で走ること十五分。書道部にしてはよくそんなに持久力があったと自分でも思う。それはさておき、時刻は九時五十九分。なんとか間に合うことが出来た――ん?
「え……」
 顔を上げると、私の前にある鳥居の先には百数段の石段が続いている。どう考えても残り三十秒で上り切れる量ではない。これはもう正直に謝るしかない、そう考え項垂れながら鳥居をくぐり石段に足をかける。と、どこからか声が聞こえてきた。
「おい待て。お前何をしてる」
 低い男性の声。けれど見回してみても人影は見当たらない。
「こっちだこっち」
 その声とともに左前方の木から何かが飛び出し、私の目の前で音を立てずに着地する。金色の体毛に九つの尾、紅玉の瞳をした彼は紛れもないキュウコンだった。ただ一つ気になるのは、彼が人の言語を操っていること。
「そりゃ神の使いだからな。神の言葉を人間に伝えるのが役目なんだから、人語を話せないと何かと不便だろ」
 言われてみれば、透明な球を紅白の縄に通して首から提げているのは神聖っぽい感じがする。
「でもその神様の使いが私に何の用なの?」
「ミハルの娘が今日から来ると聞いてな。なのに神主の奴最近ボケてるせいか、隣町の神主のとこに行っちまって、今日は帰ってこないんだと。だから俺が代わりに出迎えてやったわけだ。お前がそのミサキだろ?」
「うん、当たり。急用で里帰りしたお母さんの代わりに、夏休みの間ここで巫女のアルバイトをすることになったチサキです。短い間だけどよろしく――えっと、あなたの名前は」
「狐津奈護ノ豊実だ」
 なが……。キヅナさんじゃだめだろうか。
「お前今失礼なこと考えてるだろ」
「考えてないよ、キヅナさん」
「やっぱ考えてんじゃねえか! 勝手に人の名前略すなよ!」
「だって長いし……。じゃあキヅちゃんの方がいい?」
「あーもう好きにしろ」
 意外と押しに弱い神使様だった。
 名前の件はこのくらいにしておいて、さっきの「何してる」はどういうことだったんだろう。ただ私は階段を上ろうとしただけなのに。そう聞くとキヅナは、目を見開いて口をぽかんと開けていた。しばらくしてため息をつくと、キヅナは呆れたように言った。
「お前、参道を通るときの作法を知らねえのか?」
「作法……?」
 そんなの初耳だった。そもそも神社に行くのなんて年始の初詣くらいだし、その時だって参拝客が何かのルールに則ってるようには見えなかった。
「これだから都会の奴らは……」
 と田舎の年寄りみたいなことを呟きつつキヅナが尻尾を下に垂らす。実際彼は田舎の年寄りなんだけど、とは言わないでおく。
「じゃあ、参拝の方法はどうだ?」
「ええと……、賽銭箱にお金を投げ入れて、両手をぱんぱんってやるだけ……じゃダメ、なの?」
 たぶん違うだろうなと思いながらも答えると、いよいよキヅナは前足で頭を押さえ始めた。何か彼を悩ませるような回答をしたらしいけれど、自分じゃ問題点が分からないのだからどうしようもない。一分ほど彼の様子をじっと見守っていると、キヅナは面倒くさそうに口を開いた。
「仕方ねえ。今日は俺が一日かけてお前に神社の基本的な作法を教えてやるから、ちゃんと覚えろ。じゃないと話にならん」
 そう言いキヅナは石段から飛び降り鳥居の前に立つ。そして鼻先を横に向けた。どうやらこっちに来いと言いたいらしい。
 素直に彼の横に並んで、鳥居と石段を見上げる。
「じゃあまず一つ目だ。鳥居はここから先が神域だっていう目印になるんだ。で、ここに入る前は一揖(いちゆう)、つまり小さくお辞儀をするのが礼儀だ。神域に入る心構えを整える意味もあるな」
「へえ……。神社って特別な場所だったんだ」
「そりゃ神様を祀ってるとこだからな。てか、そっからかよ」
 それでよく巫女のバイトしようと思ったな、時給もそんなよくないのに、とまたキヅナが溜め息をつく。でも神社に神様がいるなんて意識したことは今までほとんど無かった。恒例行事としてお参りして、人が多いから早々に退散しておいしいものを食べに行く。そんな風に毎年参拝していた。けれど、今目の前には神使のキュウコンがいて、そしてそのキュウコンから作法を教わっている。
 今更ながらに、巫女の仕事は神様に近いんだなと実感してくる。
「次は手水舎だ。ただ参道の真ん中は歩くなよ。そこは神様の通る道だからな。道の両端を歩くのが礼儀だ――って聞いてるか?」
 鳥居を越えたキヅナが背中越しに振り返る。
 面倒くさそうにしてた割には、結構乗り気で教えてくれるのがまた面白い。私もそんな話を聞くのは退屈だと思ってたけど、こんな機会は滅多にない。せっかくだから彼に着いて行ってみようか。
「キヅナさん、もっと色々教えて」
 これから働く神社のこと、神様のこと、もっと知りたいと思うようになってきた。
 彼に追いつこうと地面を蹴り、石段を二段飛ばしで駆け上がる。そして横に並ぶと、キヅナの背中がわなわなと震えていた。
「だから、真ん中を歩くなと言っただろ!」
 キヅナの大声で、近くの木に留まっていたムックルやポッポが驚いて空へ飛んでいった。

 階段をようやく上り切り、社が視界に入る。けれどそこに行く前に手水舎で清めないといけない。その手を洗う方法にもルールがあるというのは聞いていたけれど、詳細までは知らなかった。
「まず右手で柄杓を持って、左手を洗う。で、逆も同じことをする」
「えっと、左手からね……」
 キヅナに言われた通り左、右と手に水を流していく。
「次は口をすすぐんだ。右手で柄杓を持って、左手に水を溜めて口に持っていく。それが終わったらもう一度左手に水を流して終わりだ。ああ言い忘れてたが、柄杓で水を飲むなよ」
「それってマナー違反だったんだ」
 私の友達に何人かそれやってる人がいたなあ。多くの人が使うものだし、私物みたいに使ってはいけないってことか。今度お参りする時は教えてあげよう。
 それにしても。私は柄杓を立てかけるとキヅナに視線を移す。
「狐に人間の作法を教わるのって、なんだか変な感じ」
「何にも知らないお前が悪いんだろ」
「それはそうなんだけどさ」
「言っとくが、ミハルの時よりも酷いからな。あいつの方がまだ知識はあったぞ」
「そういえばさっきもお母さんの名前が出てたけど、お母さんとも話したことがあるの?」
「ああ。ここで働き始めた初日からな。ただ……あまり出会った日のことは思い出したくないが」
 そう言うと、キヅナは俯いて尻尾の先を体の方に寄せる。
 ――何をされたのかは大体予想がついた。
「それはともかくだ。古くからの風習はしっかり守んなきゃならねえ。そして後の世代に繋げてく必要がある。だからしっかり学ぶんだ」
「どうして?」
「え……?」
 ふとした疑問にキヅナが言葉を詰まらせる。
「昔の決まりは、今の時代に合わないってこと多いと思うの。だから、どうしてかなって」
「そういうことか……」
 キヅナは今度は鼻先を上に向けると少しの間考え込む。そして双眸で私を見つめると、静かに口を開いた。
「そろそろ昼時だし、休憩するか」
 ついてこい、そう言ってキヅナが歩いて先導する。
 うんと頷いて私はその後を追っていった。

 キヅナに言われ社務所の軒先で腰掛けていると、彼が中からお餅と七輪を”じんつうりき”で運んできた。
 それらをセットすると、炭に自分の"ひのこ"で着火する。
 後は出来上がるまで様子を見るだけだ、とキヅナは私の横で四肢を折り畳んだ。
「どうして風習を守るか、だったよな」
「うん」
 私達以外誰もいない閑散とした境内をふたりで眺める。聞こえるのは風の音と木の揺れる音、そして鳥ポケモン達の鳴き声。
「チサキ、お前は神社がどういう場所だと思うか?」
 キヅナの質問に私は答えを探し――思ったままを返す。
「お参りして神様にお願いを聞いてもらう場所かな。でも叶えてもらえるとはあんまり思ってない。あとはおみくじ引いて友達と見せ合って一喜一憂したり……かな」
「それも一つの考え方だな。実際、そういう考えの参拝客は最近は結構いる。だが、」
 キヅナが顔を持ち上げて私の方を見据える。
「俺はこう考える。ここは神様とお前らを繋ぐ唯一の場所だってな。そして俺はそれを手助けする」
「私達と神様……」
「ああ。他にそんな場所滅多にないだろ。だから、せっかく神様に近い場所に来るんだ、多少の面倒くらい目を瞑ってもいいんじゃねえか。それと神様ってのは結構気紛れだから、作法を守んねえと機嫌を損ねちまう奴もいる。しっかり守ると、願い事も叶うかもしれねえぞ。ここは豊穣と商売の神社だからあんまし関係ないがな」
 語り終えると、キヅナは体を起こして地面に飛び降りた。身を翻すと九つの尻尾がふわりと揺れる。
「うーん、そっか」
 今はこんな曖昧な返事しか出来ないけれど、ここで過ごしていけば少しずつ分かっていくのだろうか。その結果も上手く想像できない。でもただ一つ言えるのは、私の隣には、喋れるキュウコンがいて旧くからのことをいっぱい知っている。神様だってすぐ側にいるのかもしれない。だったら失礼の無いように、そして私自身がもっと色々なことを知りたいから。
「色々迷惑かけるかもしれないけどよろしくね、キヅナ」
「俺がいるからには半端は許さねえからな。しっかり教え込んでやるよ。ま、だがその前に、」
 キヅナは七輪の火を吹き消すと、餅を私の方に放って寄越す。とっさに後ろに置いてあった紙で受け止め、息を吹いて冷ます。
 くくっと笑いながら、再びキヅナが私の隣に戻ってくると、ふたりで焼きたての餅に口をつける。
 境内はとても穏やかで、どこか異世界のような雰囲気だった。
 社から鳥居に向かって一陣の風が吹く。