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28 なかまづくり あきはばら博士


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「キミ、ちょっとこっちに来たまえ」
 ある冬も近い、木枯らしが吹き始めた日のこと、木々が並ぶ道端で僕は緑色の長い髪の青年にそう声を掛けられた。
 青年はつば付きの帽子を被り、北風も吹いているのに長袖の薄地のYシャツとジーンズで寒くないのだろうかと思ったが、僕の今の格好も他人のことが言えなかった。
 一瞬バトルを仕掛けてくるのではないかと身構えたが、彼にはそのつもりは無いようで僕と話がしたいと言い、突然のことに驚きながらも、誘われるままに近くの倒木をベンチ代わりにして座った。
 タブンネの毛皮を嬉しそうに撫ぜているところをみると、この青年は本当にポケモンが好きなんだなということが分かる。
「これキミの口に合うかどうかは分からないけど」
 彼はまくしたてるような早口の口調で喋りながら、持っていたサイコソーダの缶を1本、プルタブを開けてから僕に渡してくれた。僕は慣れない手つきで、サイコソーダを自分の口の中へと注ぎ込む。
 久しぶりに飲むサイコソーダは僕の渇いた喉を潤す、外気温でたっぷり冷えて、爽快感たっぷりの甘さと炭酸が口の中いっぱいに広がっていく、記憶の味よりも一層美味しく感じた。
「すごくおいしいです」
「それは良かった」
 彼はもう一本のサイコソーダを開けてそれを飲みながら、僕に笑いかけた。
「キミはポケモントレーナーだろう。それもバッジをたくさん持ってリーグにも挑戦した凄腕のポケモントレーナーだったんじゃないかな?」
「え…? はい」
 そのとおりだ。今ではその夢を諦めてしまったが、かつて僕はポケモントレーナーとして旅を続けていた。努力を重ねてこの地方のジムバッジをすべて集めてリーグにも出場したこともある。
 あの時は怖いものなどなかったと思う、正直おごりかたぶっていた。いつかはリーグを制覇して殿堂入りをすることを目標としていた。
 だが突然、その夢を諦めざるを得なくなってしまい、僕は途方に暮れて絶望に打ちひしがれた。当時の手持ちはすべて手放してしまったが、最低限の身を守る手段だけを持ってこうして現在は放浪している。
「なぜ分かるのですか?」
「うんキミからはたくさんの努力や経験を重ねた強さを感じる。並みのトレーナーではそうはならないから」
「……僕もかつてはリーグ制覇を目指してました」
「同じだね。ボクもポケモンリーグの頂点を目指そうと思っている」
「そうなのですか」
 僕には彼は強そうだとは感じられなかったが、並みで無い何かがあるように思えた。
 青年は再びサイコソーダを口にして、隣に座っているタブンネの頭を撫ぜながら言った。
「ちょっとタブンネの話をしようか」
「タブンネ?」
「きっと今のキミが抱えている悩みの解を導く手助けになると思うんだ。キミはタブンネについてどんな話や言い伝えを知っているかな?」
「ええと――」

 タブンネ、ヒヤリングポケモン。優しいポケモンで、並外れた感覚でポケモンの体調をよく捉えるため、ポケモンセンターでは助手ポケモンとして多く働いている。戦いを好まない性格で、体力が高く、ダメージを与えるワザよりも、相手を回復させるなどの補助のワザを多く覚える。
 タブンネは戦う相手にバトルのコツを教え、弱いポケモンを強くさせる手助けをする。強くなりたいと願う心の声を聞きつけて、草むらを揺らして合図し、そのポケモンに力を分け与えるとされる。もしも自分のポケモンが弱くて力が必要な時には その優しさに甘え、もしも自分のポケモンが強くて力が必要無い時には そっと頭を撫ぜて、弱かった頃の過去の自分に代わって感謝しなさい、と先輩トレーナーからその接し方を教えられたこともあった。
 また、タブンネは、絶対に殺してはならないと言われていた。他のポケモンは人に害を及ぼすしたり、人を殺して食うために襲い掛かってくることがあり、多少は黙認されているところがある。だが、タブンネはそのような理由で飛び出してくるわけではない、だからタブンネは、どんな理由であっても、命を奪ってはならないとされる。そんな古くからの言い伝えを聞いたことがあった。

「――そう タブンネは優しいポケモンだ。それは人間だけでなくポケモンに対してもとても優しい。どんなにバトルに傷付いてしまってもきちんと治してくれるし次は勝てるように強さを与えてもくれる」
 自分の記憶から引き出した僕のタブンネについての知識に、青年はそう付け加えた。
「優しいポケモン、か……」
 僕はその優しいという言葉に引っかかった。
「タブンネにしてはそんなものは優しさでもないかもしれないね」
「そうですね」
 僕は青年の言葉に静かに相槌を打った。
「そんなかつては力を分け与えるポケモンとして神聖視されていたタブンネだけど時代の流れによって言い伝えも忘れ去られ各地ではその強さを授ける性質を利用しタブンネを過度に痛めつけることが横行している」
「いわゆる。“タブンネ狩り”ですね」
 タブンネ狩りは僕もやっていたものだ。
 揺れる草むらを探してタブンネを探して、ひたすらに倒し続ける。そうしていけばどんどん強くなれる。初心者トレーナーガイドでもそれを取り上げて、強くなるためにタブンネを倒すことを推奨していた。
 だが、最近ではモラルの低下で必要以上に痛め付けるようになり、そうしたことをやめようとプラズマという愛護団体がしきりにビラを配っていた覚えがある。
「そう。ところでキミはラプラスとカモネギというポケモンを知っている?」
「知ってます、確かこのイッシュにも僅かに生息が確認されてましたね」
 姿は見たことはあったが結局捕まえられなかったポケモンだ。青年は悲しげな顔を浮かべる。
「彼らはかつての人間の乱獲によって絶滅寸前まで個体数が減ってしまった。戦う攻撃力を持たないタブンネも普通ならばその“タブンネ狩り”でたくさん死んでしまって彼らと同じように大幅に個体数が減っていてもおかしくない。現にこのイッシュを除けばタブンネはほとんど生息していない。だというのに何故イッシュのタブンネはここまで生き残ることができたのか今でもイッシュのほとんどの草むらで生息して揺れる草むらに入ればいつでも元気なその姿を見ることが極めて簡単なのか。これは何故だと思う?」
「それは……」
 僕はその答えを知っていた。
「これにはタブンネが持つ『なかまづくり』というワザが深く関係している。知っているね? 『相手を。自分と。同じにする』ワザだ」
「…………」
「一匹減るなら一匹つくればいい。自分の命をおびやかす者を逆に仲間にしちゃうとか最高の防御だよね」
 青年はそっと微笑んで、僕のくるっと捩じれた桃色の耳をそっと撫ぜた。

 僕はタブンネを殺した。
 猟奇的な理由で殺したわけではない。だが、わざとではない、と言ったら嘘だ。
 旅に出て、トレーナー成り立ての頃は、揺れる草むらを見るたびに喜び感謝して、出てきてくれたタブンネには必要以上の攻撃を加えることはなかった、先輩トレーナーから言われたことや、言い伝えを守っていた。
 だが、旅を続けて慣れていくうちにそんな気持ちもだんだんと緩んで行った。次第に強さと結果を追い求めることになり、より高みを目指すためにタブンネ狩りを呼ばれることを遠慮も無くやるようになった。
 慢心をしていたのだ、過剰な威力のワザを命じた結果、自分の目の前に、胃が破裂し真っ赤な血が入り混じった吐癪物を吐き出して、これから死に到るタブンネが転がっても、いつも通りに「あ、やっちまったな」とコップの水でもこぼしてしまったような心境で、それを埋葬するための穴を掘らせ始めたのだ。
 その翌日、いつも通りに、草むらの中を歩いているうちにだんだんと意識が遠のいて行って ――気がつけば、1匹になっていた。
 最初は驚いた、現実が認められずこれは何かの悪夢でも見ているんじゃないかと逃避しつづけた。そうして数日が経ちようやく自分の身に何があったか理解できてからは、何もする気がも起きず呆然とする毎日だった。もうどうでもよくなっていっそ人のポケモンとして生きてみようかと思い、草むらから飛び出したら、人間は嬉々としてポケモンに命じて僕を叩きのめして去って行った。
 悔しいことはそうして“狩られる”ことに対してタブンネの自分は嫌とは思えなかったことだった。相手のために倒され続けることに喜びを感じたことが、いままで生きてきたトレーナーとしてのプレイドを深く傷付けた。
 『なかまづくり』が僕を変えてしまった技であることはいま初めて知った、同じ技でも使い方によってまったく性質が異なることがある。確かに『なかまづくり』なんてフレンドリーな技名を付けられているが、やっていることはむりやり相手の性質を奪い取り、自分と同じに書き換えてしまう、特性『ミイラ』を能動的に行っているものだ、これ以上ないピッタリな技だろう。

「キミ」
 考え込み俯いて何も言葉を発しなかった僕に、青年は呼びかけた。
「ボクとポケモンリーグの頂(いただき)を目指してみないか?」
「え?」
「ボクの手持ちになってくれ、キミはポケモンリーグへ挑みたかったのだろう? 形は違えどその姿でリーグへの夢を目指して見ないか? ボクにはキミみたいなトモダチがいればチャンピオンを越えるにも心強い」
 思いがけない誘いだった。僕はずっと自分がトレーナーとして掲げていたリーグ制覇の夢を願っていた、それはこの姿になっても変わらない、だから二度と手に届かない昔の夢を捨てきれずにずっと僕は燻っていたはずし、形は違うものだがこの誘いは僕にとっても願ってもみないものだった。
「ボクはポケモンと人間との間を解放しその境目を無くす。 かつてはポケモンと人間は結婚して2つはいっしょだった、でも今は違う。 みんなは目を背けているけど人間からポケモンになった者は今でも多い、ボクはキミみたいなポケモンはいままでたくさん見てきた、だからキミのような存在が認められるようなそんな世界を作りたいんだ」
 だけど……。
「いえ、結構です」
「……そう。残念だ」
 自分のやってしまった罪滅ぼしとか、そういう理由じゃない。
 ただ単にリーグの夢なんてどうでもよくなっていた。人としての生き方を忘れて、タブンネとしての生き方を望むようになっていた、それに気付きながらも僕は自分の本音を否定し続け、燻っていたのだろう。
 だが、こうして道が開けてまたあの夢を目指せるようになって初めて、自分が本当に望んでいることに気付いたのだ。
 青年と話が出来たことで心の重荷を無くなった、こうなった原因が『なかまづくり』だと分かったことで目の前が大きく開けたような気がした。

「さよなら」
 僕は去っていく青年の後ろ姿を、そう見送った。
 青年がポケモンと会話ができることに初めは驚いたが、自分が人間がポケモンになっていることを思い出したら何の違和感もなくなった。人が死んでデスマスとして生まれるように、そうしたポケモンになる例をあの青年はたくさん見ているのだろう。
 ふと、これがこれからの一生で最後の人間との会話なのだと気が付いたら、なぜだか涙が止まらなく出てきた。


 タブンネを、殺してはならない。殺したら、大変なことになる。
 昔からタブンネを殺してしまう人が何人もいたのだろう。
 そして殺した者は皆、突然消えてしまった。なぜ消えたのかは分からずとも、人々はそれをタブンネの祟りだと恐れ。殺してはならないと伝えられて来た。
 それでも言い伝えを守らずに殺してしまう者がいる、そして消える、その度に絶対に殺してはならないと固く言い伝えられる。
 その言い伝えは今も生き続けている。