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30 ホーリー・ランプシェード GPS


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 くだらない人生だった。
 いいことなんて何一つ無い、生きる意味など見いだせない、人生だった。

 俺は、生まれついた時から不幸と呼ぶにふさわしい境遇だ。
 ほとんど駆け落ち同然で結婚したという両親は、しばらくつつましい生活を送っていたものの間も無く離婚、俺を仕方なしに生んだのであろう母親は物心つく前に交通事故で他界した。母もまた両親を早くに喪っており、俺は遠い親戚だという女性に引き取られたがそこで育児放棄にも等しい扱いを受ける。そのまま衰弱死出来れば良かったのだけど、異変に気がついた近所の人の通報により俺は孤児院へと移ることとなった。
 いじめられこそしなかったが、俺の事情は親を通して何となく知っていたのであろう同級生たちとの間にはいつでも壁があった。同級生だけでは無い、先生ですら腫れ物に触るような態度をとっていた。小、中、そして高校も交通費がかけられないため地元の公立校に通ったため、俺にはずっと友達と呼べるような人物は存在しない。遠足や修学旅行など学校行事も全て欠席したし、ある程度の出席数を得たら後は学校近くの図書館でサボっていた。
 幸か不幸か、遊び相手がいない俺には勉強する時間がいくらでもあった。外でボール遊びをする代わりに本を読み、放課後や休日は部活動に打ち込むのでは無く数式を解き、繁華街のネオンでは無く狭い自室の勉強机の明かりを眩しいと感じた。生活のほとんどを勉強に割いたおかげで、世間一般で難関校と言われる国立大学に俺は比較的余裕を持って合格することが出来た。
 国から奨学金を受け、学生寮に入った俺は知らない土地に移り住んだことで少しは今までと違う自分になれるのではないか、と淡い期待を抱いていた。しかしそれはとても甘い考えだった。必要最低限の会話しかせず、机上のものしか見てこなかった俺が急に他の人間と上手くやっていけるはずなど無かったのだ。友達や恋人と共に大学生活を謳歌している他の生徒たちを横目に、俺はまたしても一人だった。
 それでも、アルバイトやゼミを通じて俺は少しだけだけどまともなコミュニケーションをとれるようにはなった。大学のネームバリューも手伝って有名企業に就職することが叶った俺には同僚という仲間が出来た。入社して四年が経った頃には自分でも信じられなかったが、経理課の女子社員に交際を申し込まれた。
 俺の過去を知らず、ごく普通に接してくれる同僚たちとの毎日は楽しかったし、仕事も忙しいながらやりがいがあった。今まで恋人どころか友達もいなかった俺にとっては手探りの日々だったが、彼女と過ごす時間は心が満たされた。
 こんな俺でも、生まれてきて良かったのかな。幸せだと、思えるのかな。
 そう、思っていた。
 
 だけどそれはとんでもない間違いだった。会社に入って六年目、つまり彼女と付き合いだして二年目の秋。もう何度目かのデートで、俺はこっそり買った指輪を前に結婚を申し込んだ。少し前、彼女に俺の事情は全て話してある。それでも笑って受け入れてくれたから、俺は期待してしまったのだろう。
 「ごめん、まさかプロポーズされるとは思わなかったから言わなかったけど。私別に本命いるんだよね」
 来年の春結婚するの。彼女のその言葉が遠い世界のものに聞こえた。聞けば二年前に告白してきた時から既に遊びだったらしい。何もわかっていなくて幸せそうなあなたを見てたら言い出すタイミングを見失っちゃって、と、俺がプレゼントしたイヤリングを揺らして彼女が顔を覗き込んできた。
 俺たちは結婚していたわけではないから法的手段に訴えることは出来ない。やろうと思えば何かしらの償いを求めることは可能なのかもしれないが、俺にはもうそんな気力は残っていなかった。抜け殻のような数日を過ごしてようやく出勤出来るようになった俺は、相変わらず大量の仕事を片付けながら、会社が唯一の生きがいだと感じた。
 そして、運命というものは過酷なものだった。しばらくも経たない内に、俺の会社の提供していたサービスが法律に大きく違反していることが発覚したのだ。それは取締役だか幹部だか、とにかく俺や同僚には手の届かないような上の人間の勝手な行いだったけれども、そんな甘えは通用せずに以下社員全員がその泥を被ることとなった。つまり倒産したのだ。
 俺は、家族を失い、恋人を失い、そして生きがいだと思った仕事すら失った。これ以上失うものなんてあるのだろうか。そう自問自答してみたけれど、皆無という答え以外は全く以て得られなかった。

 世間はどうやらクリスマスという時節らしい。街中が派手に飾られ、まだ日も高いというのにイルミネーションが激しく自己主張している。赤と白の衣装を身にまとった売り子の女の子とデリバードがケーキやフライドチキンの宣伝をしていたり、おもちゃ屋から大きな箱を抱えた年配の男性とその孫らしい少年が楽しそうに出てきたり、年末セールをしているスーパーの福引の当選を告げるリーシャンの鈴の音が鳴り響いたり。
 そんな賑やかな街並みを、俺は誰にも気がつかれないように通り過ぎる。鮮やかな飾り付けも、人々やポケモンたちの歓声も、街に響くクリスマスソングも、何も頭に入らなかった。昔からクリスマスなんて無縁のものだ、今更寂しさは感じない。今はもう、ただ虚無感に満たされるだけである。
 一番賑やかな商店街を抜けると駅のロータリーに出た。止まっていた数台のタクシーの内一つに近づくと、自動ドアが開いて人の良さそうな運転手がこちらを向く。毎度どうも、どこまで行きますか。俺が乗り込んだのを確認して走り出す。瞬く間に移っていく窓の外の景色をぼんやりと眺めながら俺は告げた。
 螺子山まで、と。

 こんな真冬の、しかも雪の積もっている螺子山に入ろうとする馬鹿なんて存在しないだろう。他のシーズンならば観光混じりの登山スポットとしても有名な場所だが、今立ち入った所で危険しか無い。それに加え、今はよく晴れていてそこまで冷え込んではいないけれども夜になったら確実に雪が降る。こんな時にわざわざ来るなんて、ポケモン目当てかよほどのもの好きか何かの修行者か、そうで無ければこの世と訣別するような奴か。
 俺がいなくなった所で探す者など誰もいない。身寄りも無ければ恋人もいない、親しい友人もいない、職場も無い。ポケモンを育てるには何かとお金がかかるから俺は自分のポケモンも持っていない。昨日までのうちに家具や財産は全て処分して、アパートも引き払ってきた。人知れずこの世界と別れても遺体が発見されるまでしばらくの間、俺の存在は今までのようにあるのだか無いのだかわからないものとして扱われるだろう。
 すっかり積もった雪を踏みしめて歩く。自殺なんて、馬鹿みたいだ。そう思った時だってあった。特に人身事故で交通機関に支障が出た時は、自殺するくらいなら引きこもっていろと憤ったことすらある。でも、実際自分がその立場に置かれてみると、死ぬ以外に何も出来ないのだな、と痛感した。せめて人様になるべく迷惑はかけないように、飛び降りなどの手段は避けることはしておこうと思う。
 だから、ここに来た。俺は今日、ここで死ぬ。
 無駄に長く生きてしまった、くだらない人生を断ち切るために。
 「おう、人間。そこで何しとる」
 それまで無音だった世界に突如音が現れた。こんな時期に山中にいるということはバトルの特訓でもしているのだろうか。ごまかすのが面倒くさいなと内心で思いながら年配の男性のような低音の声に振り向くと、そこにいたのは人間では無かった。
 「この季節にゃあヤーコンの旦那すら来ないと言うのに。お前さん、一体何の用よ?」
 田舎親父とでも言おうか、やけに訛った口調で声の主は俺に尋ねる。丸太のように鍛え上げられた両腕、雪と同じく真っ白の剛毛。胸元に光るのは、太陽の光を反射して眩しく光る氷柱だろうか。
 「ツンベアー……」
 ポケモンが喋る、という小説は山ほどある。が、実際に人の言葉を喋ったという話は今まで耳にしたことがない。遠い昔に教科書か図鑑で見た氷属性の凍結ポケモンは、毛皮同様色素の薄い目で俺を見下ろしていた。
 自分でも驚いたことに、俺はツンベアーが人語を話したことにそれほど動揺していなかった。世の中の全てがどうでも良くなっていたからかもしれないし、今までポケモンにあまり関わってこなかったからかもしれない。ポケモンもそれなりに生きれば人の言葉くらい喋るだろう、などとぼんやりと思う。
驚愕よりもむしろ初対面の相手を前にした困惑のせいで口をつぐんだ俺をどう思ったか、ツンベアーはおいらが喋るのを見て驚かないとは変わった人間だのお、と感心したように顎のあたりを撫でている。
 「ところで人間、お前さんも聖夜を見に来たんやろ?」
 「聖夜?」
 聞きなれない単語に思わず聞き返す。するとツンベアーは俺よりも驚いた様子で大袈裟にのけぞった。
 「まさか知らんで今日ここに来よったんか! そりゃあ何とも、幸福ものだ」
 幸福もの、という言葉に言いようのない感情を覚える。怒り、悲しみ、悔しさ、寂しさ、そして喪失感。俺とは縁遠い単語を耳にしてまたしても黙り込んでしまった僕を他所に、ツンベアーは勝手に説明を始めた。
 「あそこにたっけえ塔があるのが見えるやろ。あれはタワーオブヘブンっちゅーもんでな、死者の魂を弔うための建物さ。そうだからか知らんが、あの場所にはゴーストタイプのポケモン共がわんさかおる。ヒトモシという名前の幽霊さんがな」
 人間さんも名前くらいは知っとるやろ、と同意を促されたので曖昧に頷いておく。記憶が正しければ、ロウソクのような形をしたポケモンだ。見た目が可愛い割に恐ろしい言い伝えがあった気がする。
 「それでな、今日、人間さんの世界では睦月の二十四日目か? 今日の真夜中は一年に一度だけ、タワーオブヘブンのヒトモシたちが冥界に住む家族達の元へと帰っていく日さ。だけどヒトモシはちびっこだからの、あいつらだけだとちゃんと帰れるかどうかわからんのよ。そんで親や兄弟たちがヒトモシを迎えに来るんだが、その様子がもう、言葉なんかじゃあ言い切れないほど綺麗でなあ。まるで神様のお祭りみたいだから『聖夜』と呼ばれておるんよ」
 あまり近づくと魂が吸い取られてしまうからおいら達、螺子山のポケモンどもが見れるのはせいぜいここからだけどな、とツンベアーはつけ加える。
聖夜。それは、確かに十二月二十四日の今日を指す言葉だ。だけどそれは宗教的イベントであるクリスマスから来ているのであり、決してそんなゴーストポケモンの生態のことを表すものでは無いはずだ。それに俺の幼い頃、孤児院で聞かされた話ではクリスマスイブの夜はタワーオブヘブンに住まうゴーストポケモン達が神の力に対抗するため魂を集める時だから絶対に近づいてはいけない、なんて内容だった。確かその伝承を元にした童話で「悪魔の光」なんてものもあったと思う。
 そう俺が話すと、ツンベアーは「人間とおいら達の捉え方は違うのかのう」と首を捻った。と、木々の間から大きな氷板が現れる。確かフリージオという名前を冠したそのポケモンはポケモンの言葉でツンベアーに何かを伝え、急いだ様子で森の奥へと姿を消した。
 「おお人間さんよ、すまんのう。おいらの子ども達が呼んでいるらしいんでそろそろおいとまさせてくれ。あまり上まで行き過ぎなさんな」
じゃあ、聖夜を楽しめや。太い腕を振りながら去っていったツンベアーがその身体を白い雪に溶かして見えなくなるまで、俺は雪の上に立ちすくんでいた。
 聖夜。氷熊の残した言葉を舌の上で反芻する。俺がこの世で最も忌み嫌い、そして避けてきたものの一つだけれど、最後くらいは立ち会っても良いかもしれない。どうせもう他にしたい事など無いし、と心の中で自嘲して、俺は山道を再び歩き出す。

 八歳だか、九歳だかの時のことだ。
 ちょうど何年か前のクリスマスイブ、俺は終業式を終えてまっすぐに孤児院へと帰っていた。街は聖夜を目前にしてこれ以上無いほどに浮かれきっていて、その幸せに満ちた空気に息苦しさを覚えた俺は足早に通り過ぎようとする。そんな折に目に入ったのはどこにでもあるありふれた、だけど街の空気に負けないくらい幸福そうな光景だった。プレゼントの箱を抱えてはしゃいでいる同い年らしき子ども、片手にケーキ屋の包みを持ちもう片手で息子の頭を撫でる父親、子どもの手をしっかり握って微笑んでいる母親。俺がいくら願っても手に入らない、夢のまた夢である肖像。
 その様子をじっと見ていたせいで不注意になっていた俺を邪魔そうに睨んで人々が通り過ぎていく。その内の一人がこれみよがしにぶつかってきたことで、俺はようやく正気を取り戻した。
 あの時、はっきりと思い知った。俺は一人だと。俺には誰にもいないのだと。
 聖夜を共に過ごす者なんて、この世に存在していないのだと。

 よりにもよって、こんな記憶が蘇ってくるなんて笑えない。とは言え俺の人生に良い事など無かったのだから、どこを切り取っても碌な事は思い出せないだろう。走馬灯なんて見たくなかった。
 ツンベアーと別れてから随分と歩いた。もはや木はほとんど生えていない、開けた視界からはとっぷりと日が暮れた空を背景にタワーオブヘブンが少し見える。恐らく頂上もすぐ近くだろう。酸素は薄いし、気温も低い。おまけに雪まで降ってきた。日頃使ってこなかった両足は急な酷使に耐えかねて、もう役に立たなくなっていた。俺は雪の上に身を投げ出して、自分の命が尽きるのをこうして待っている。
 寒い、とか、冷たい、とか。痛い、という感覚はもうなくなっていた。苦しいとすら思えない。今に始まった事では無い、随分前からそうだった。客観的に見ても酷すぎるだろう人生を、何も感じる事無く、何も感じる事の無いように、ただただ無駄に生きてきたのだ。
だけどそれも今日で終わり。誰にも知られず、誰にも愛されず、俺は一人だけで死ぬ。
 せめて、生きていた喜びを一度くらいでも感じられたら。なんて願いを持った所でそれを叶えてくれる神様はいない。
 ずっとそう思って過ごしてきた。俺が入っていた孤児院はキリスト教系で、神に祈る場面が日常に溢れていたが、俺は入院した時には既に信仰心など持ち合わせていなかった。神様なんて存在していないし、天使も天国も無い。要するに救いなんて存在しない、そう思っている。だってそうだろう。もしそんなものが本当にいるなら、神の御加護を受けて多かれ少なかれ幸せである聖書の世界の人間たちのように、俺だって少しは幸せになれたはずだ。
 でもいいんだ。全部終わらせる。雪がさらに強くなってきた、このまま動かずにいればいずれ意識は途切れる。俺はこの、神のいない不幸な世界に別れを告げることが出来る。

 ふと目を見張る。
 タワーオブヘブンの天辺から、水に生まれる泡のような動きでとても小さな光の粒が浮かび上がったのだ。何だろう、と思っている間にもその粒は一つ、二つ、四つ、八つ……と次々に数を増す。冬の空へと登っていく光たちの列はゆっくり、ゆっくりと絶えるころが無い。ふわふわと小さく揺れながら、青白い粒子は迷うことなく上へ上へと進んでいく。
 それがヒトモシの炎だと理解した時にはもう、タワーオブヘブン上空には光の螺旋が出来上がっていた。しかしそれでも、まだヒトモシたちは途切れることなく塔の中から湧いてくる。一体あの塔のどこにこんなに沢山のヒトモシがいたのか、そもそもヒトモシは飛べるのだろうか。だんだん霞がかってきた頭でそんなことを考える。ゴーストポケモンだから、飛ぶというよりは宙に浮くと言った方が良いのかもしれないけれど、少なくとも俺の知る限りではヒトモシが地を離れるなんて事は無かった。
 そこまで思考したところで、俺は一つの事に気がつく。ヒトモシの行列は一度天の方へと昇るものの、ある程度まで行くとゆるやかなカーブを描いて俺の方に近づいてくるのだ。いや、正確には俺の方ではない。タワーオブヘブンの上空から、こちら側、螺子山の上空へ。まるで夏の夜空に見える天の川のような光の群れは音も無く、濃紺に染まった空を渡っていく。よく見てみると、その様子は今までのはっきりとした進行とは違って何かを探しているような、行くべき場所がわからないかのように思えた。
 不意に低い音が雪山に響く。セッカかフキヨセか、何処かの鐘の音だ。きっと日付が変わり、二十五日、聖夜になったのを告げるものだろう。
その時だった。おぼつかない動きをしていたヒトモシたちが一斉に散った。つい先ほどまで綺麗に並んでいた光の行列は、あっという間に無秩序な点となって夜空に散らばっていく。その動きに迷う様子はもう無い。そして、一気にスピードを増してこちら側へと飛んでくる。
 俺は、はっとして目線を真上にずらした。途端、いつからここにいたのかわからないけれど、俺を取り囲むように存在していたらしい何者かの影が一つ、また一つと上へ浮かび上がる。その正体はすぐにわかった。我先にと空に向かう、街灯みたいな形をしているこのポケモンはランプラー。ランプラーはヒトモシと同じ青白い光を灯しながら次々に現れては昇っていく。
 驚いたことに、ランプラーの出現と同時に上空にいたヒトモシたちが地面に向かって降りてきた。まるでランプラーとの邂逅を喜ぶような動きにツンベアーの話を思い出す。冥界に住む家族がヒトモシを迎えに来る。ならばきっと、このランプラーはヒトモシの家族なのだろう。空に点在していた光の粒は今ではもうその一つ一つがはっきりと目視出来るろうそくの形となり、数え切れない明かりが山を取り囲んでいく。
 無意識かそれともそういう習性なのか、ヒトモシたちは輪を描くようにしてこちらに向かってきた。それに応えて、ランプラーも次第に円となっていく。すぐに二つの輪は融合し、俺の視界は幾重にも重なった光の輪でいっぱいになった。青の光は淡く輝き、眩しいと思うことは無かった。絵本の世界でしか見たことのないような、とても幻想的な情景が無音のうちに創り上げられていく。一年ぶりの再会を果たしたゴーストポケモンの群れは輪となり、ゆっくりと回っていた。天へと続く螺旋階段を形作るようにして、一番上にいた光の元まで明かりがようやくたどり着く。
 瞬間。空に浮かぶ全てが、ひときわ強い光を発した。
 思わず目を閉じた俺がどうにか視力を取り戻した時、いくつもの円の真ん中に、一つ、誰よりも鮮やかで、誰よりも儚くて、誰よりも美しい光を持った者がいた。
 初めは、月かと思った。だけどその考えは、自分の肌を打つ雪によって間違いだと知った。
 シャンデラ。ホテルや豪邸につきものの照明器具によく似た姿のポケモンは、威厳と神々しさを纏って輪の中心へと降り立った。青白い光に照らされた二つの瞳が、上方から俺を見下ろしている。普段ならばゴーストポケモンに睨まれたら、背筋が凍るような思いをするかもしれない。だけども今は全然怖くなくて、それどころか、心が静まっていくような感覚さえした。
 身体に灯した炎を揺らめかせて、シャンデラが一層強く輝きを放つ。それを合図にしてランプラーが、ヒトモシが、不規則に光りながら少しずつ円の大きさを小さくしていく。紺色の空に広がる光景から、俺は目を離すことが出来なかった。宝石を閉じ込めた万華鏡、真冬の満点の星、海の底から見上げる太陽の光。大都会の夜景、極寒の地で見られるというオーロラ。美しさを表す例えを思い浮かべては否定する。そんなものでは無い。これは、人間が見ることの出来るどんなものよりも美しいものだ。
 頬を熱いものが伝っていくのを感じる。喉の奥が熱くなり、息がまともに出来なくなる。この感覚を、俺はいつから持たなくなっていただろうか。
世界で一番美しい光景が広がっていた。世界中の誰も味わったことの無い感動を、自分は今受けているのだと確信した。
 淡く、でも視覚に強く訴えてくる無数の光は確かに下降を続けている。俺はもうわかっていた。シャンデラも、ランプラーも、ヒトモシも共通する性質がある。それは、魂を連れて行く、ということ。だからこそ人は、彼らの集まる今日を悪魔の夜と忌み嫌うのだ。間違いない、この青白い光たちは俺の命を迎えに来たのだ。俺がもうすぐ死ぬのを理解して、こうしてわざわざこちらまでやってきたのだ。
 しかし、怖いとは思わなかった。今までのような虚無感からでは無い。この夢みたいな夜に消えていけるなら構わない、そう感じたからだ。
 辛いことが沢山あった。悲しいことが山ほどあった。逃げ出したくなることも数え切れないほどあった。全てを投げ出したい衝動に幾度となく襲われた。自分の運命を何度も嘆いた。何度も何度も世界を呪った。眠れない日よりもぐっすり眠れることの方が珍しかった。朝になるのが毎日嫌だった。明日があるという事実が耐えられないほど苦しかった。希望というものがわからなかった。楽しいとは何なのか理解し得なかった。
 でも、一番最後に。聖夜に彼らを見ることが出来て。

 くだらない人生だった。
 いいことなんて何一つ無い、生きる意味など見いだせない、人生だった。

 だけど。
 生きていて、良かった。
 そう思えた。

 ガラスを優しく鳴らしたようなシャンデラの声が響く。それに呼応するように、数え切れないランプラーが、さらにおびただしい数のヒトモシが、次々に神秘的な音を奏でていく。福音、という言葉が頭に浮かんだ。
 神様なんて、いないと思っていた。俺を救済する者など、存在しないと思っていた。
 でも、上空に浮かぶ無数の光たちは、間違いなく神様の使いだった。人の命を喰う悪魔なんかじゃ無い。神様の所に魂を導いてくれる、天の世界に住まう者だ。
 青白い光が空を埋め尽くす。それを反射して、雪がひらひらと舞う。指の先すら動かないのに、不思議と身体は温かかった。
 聖なる光をその身に宿した、沢山の天使たちの姿をもう一度目に焼き付けて、重い瞼をゆっくり閉じる。

 俺は、幸せだった。