<閲覧にあたっての警告>

・この小説には、ポケモンおよび人間に対する「グロテスク描写」「残酷な行為」等の表現が「具体的に」「多数」含まれます。
・そういった描写に耐性のないポケモンファンはトラウマになる可能性がございますので、閲覧を推奨いたしません。


・以上の事を了承した上で、お楽しみ下さい。












32 386のさよなら異文、調教譚  殻




 腐草為蛍(かれたるくさほたるとなる)。梅雨前線の北上にともなって湿潤高温な天気の続くこの季節、草木の蒸して腐り果てたものが変じて蛍(バルビート)が生まれると考えられていた時代があった。
 しかし今日、百年ほど前から続く異常気象(デルジ)のために、空を一面に覆う鉛色の厚い雲は、九州自治区(ホウエン)に暮らす多くの人々にとって一年中見慣れたものである。こと若い世代に至っては、青い空というものを生まれてから一度も見たことが無い者さえいる。年がら年中嵐か曇天かという気候風土が人々にとって特別なものでなくなれば、本来なら梅雨の時期に相応しいはずの今日の天気に、汗を吸った下着が肌にべっとりと吸い付く煩わしさに、一体誰が季節感などといったものを感じられるだろうか。
 ここに、今年で十一歳になるクレという名の少年が一人、寝室の窓辺から気だるげに空を眺めている。分厚く重苦しい雲の層の下を、いくつかの浅黒い雲の塊が、輪郭はぼやけたままでゆっくりと泳いでいるのが見える。少年の心はその瞳に移る景色にも似て、薄ぼんやりとした意識と無意識の狭間を漂っていた。昨日と同じ天気を眺める、昨日と同じ下着を穿いた、昨日と同じ少年である。
 五ヶ候ほど前、すなわち約五十日前、彼が大変気に入っていた携帯獣(ポケツトモンスター)が、不慮の原因で身罷った。少年個人の所有物で、それこそ生涯に渡って付き従ってくれるだろうと信じていた一匹のけだものだった。それは単なる愛玩動物(ペツト)といったようなものではなく、事実としてクレが自立した一人の人間として日々を暮らしていくために必要不可欠な存在だった。
 少年は所有物を失ってからというもの、名誉ある職を辞め、それまでの多くの親交を断ち、誰も住んでいなかった父親の実家にただ独りきりで篭って暮らすようになった。それまでの勤務で蓄えた貯金と、ささやかな恩給が、少年のこのような猶予を支えていた。だから、何をするでもなく、晴れない空をただ窓から眺めて過ごす毎日だった。
 そんな五ヶ候目の今日である。
 この日彼に強烈な衝動を伴うとある着想を与えた者は、もしかすると複雑な条件の元に発生し恒常化してしまった異常気象(デルジ)のそれこそ異常(きまぐれ)であったかも知れない。視界の片隅で、世界の果てまで続いているという曇天がいつの間にかほんのわずかに割れていて、そこから漏れ射した太陽の直射が美しい光線となって現れたのだ。この神々しい天使の梯子がしめやかに消えていくのと、元気よく近づいてくる駆け足が耳に聞こえてくるのとが重なったとき、クレはたった今思い付いた事柄について、それが大変素晴らしい思い付きであることを確信した。
 玄関の扉が合鍵で開けられる音がして、少女の呼ぶ声が廊下から響いて聞こえる。
 少女の名前はリンゴといって、少年にとって今ではただ一人と言っていい女友達である。彼女はその純真な性格から、クレという少年が突然携帯獣を失ったことに意気消沈し、以来部屋の中に引きこもる暮らしを送っているものだと、本気で思い込んでいるらしかった。
 リンゴはクレの不幸を知って以来、つまらない用事を作っては彼を訪ねてきて世話を焼いた。誰に頼まれたわけでもないのに、近所に住む同い年の引きこもり少年が最低限人間らしく暮らせるよう、身の回りの面倒や細かな買い物までを請け負うのだ。
 クレはこの少女のお陰で、日々の生活に必要な煩わしい雑務から解放された。少年が望むなら、寝室に一切篭ったままで暮らしていくことも出来るだろう。何に対しても頑張る必要はなく、恐怖に立ち向かう意志を持つ必要も無かった。
 彼女が彼女なりに親友のことを気遣って、元気づけようとしているのだということは、もちろんクレも理解している。もしそうでなければ、本来ならば今頃たくさんの期待を受けて華々しい活躍をしているべき少女が、必ず彼女でなければならないいくつかのものを除いてすべての仕事を断り、しがない田舎(ミシロタウン)に出戻ってまで、実家の家業の手伝いをしている理由などは無い。
 だからクレはリンゴの前では努めて明るく振舞って、自分がもうまったく大丈夫であり君がそれほど心配することではない、ということを態度で示すのだが、しかしリンゴはそういうクレを見るにつけ、悲しく目を背けるのだった。クレにしてみれば単純に、しばらく時間が欲しいだけなのだ。それなのにリンゴは決して自分のことをそっとしておいてはくれない。その結果、友人を元気付けたいリンゴをどうしたら満足させることが出来るかを考えることに、多くの時間を使わなければならないでいる。
 クレの思い付きとは即ちこのような不満を解決する方法に他ならない。
 寝室に招かれるなり勝手に掃除を始めた少女に、クレは「近くに生息している野生の動物を何頭か生け捕りにして来て欲しい」と頼む。
「へえ」散らかった衣類をまとめる手を止めリンゴが首をかしげて、「いきなりどうしたの?」
「もちろん自分の携帯獣を持ちたいからさ。いい加減この部屋にこもってばかりいるというわけにはいかないからね」
 リンゴは少年の目をじっと見つめ、「あなたがもう一度自立を志すためになら、私はどんな援助をも惜しまないわ」そしてまた深く考えを巡らせてから続けた。「刻印付けは?」
 人に馴致し、生活に役立つよう訓練された家畜を総称して携帯獣(ポケツトモンスター)と呼ぶ。野性の動物個体を一匹の家畜にするためには、すべての動物が持つ刻印付け(インプリンテイング)という性質を利用する。動物は野生の環境から隔離されたとき、初めて見た友好的な生き物を主人(おや)として学習する。種間の差異はあれどおおざっぱに、動物は主人を対象として本能的な追従と協力行動を出現する。主人の学習が行われるのは動物個体の生活史においてたった一度限りであり、成立すればその後は一生維持される。故にそれは動物の精神と身体に焼き付けられた刻印(インプリント)なのである。人間の個体差を認識する動物に、主人でない者が新たに訓練を施すには、多大な困難が付きまとう。そのため、刻印付けがすでにされているかいないかは、動物の利用価値、金銭価値に大きく影響する。他人に辱められた証を持つ動物を好んで手に入れようとする人間は一般的にはいない。ひるがえって、すでに十分馴致した動物を親友や恋人同士が互いに所有し合う行為を交換(トレード)と呼び、親愛の証とする習慣も存在する。
「無いほうが好ましい。とりあえず期限は一ヶ候でどうだろう。報酬は言い値で構わないよ」

 次の候、リンゴから「今日山を下りる」という無線(エントリーコール)が入った。
 クレは落ち合う場所に市内(トウカシテイ)の養成所(ジム)を指定した。少女は一度着替えるため家に帰りたいから、もっと近所でいいのではないかと不満を示したが、最後はクレの切望に折れて、山を下りてから直接養成所へ向かうという算段となった。
 養成所の一室は、およそ三十呎(フイート)四方の中いっぱいに、血のすえたような臭いが充満していた。十五呎(フイート)はあるだろう天井からぶら下がった蛍光管が、やや緑掛かった昼光色(デーライト)を灯している。煤けたような色をした打ちっぱなしの混凝土(コンクリート)で出来た壁には、修繕の跡もむなしくところどころ剥離と亀裂が発見でき、大小の混入物(ガラ)が顔を覗かせる。隅の方に錆の目立つ半分ひしゃげた荷櫃(コンテナ)が数個積まれ、排水溝の底には動物の体毛の入り混じった汚物(ヘドロ)が溜まっている。動物福祉への配慮がまだ一般的で無かった時代に設計、建築されたのだろう、動物の初期の馴致に利用される典型的な調教室である。
 重たい搬入扉が開いて、入ってくるものがある。山に入るための装備を身に着けたままのリンゴである。まったくもって機能美然とした姿は、一見軍服か何かと見紛う。
 その姿を見れば、言いつけどおりに直接ここへやって来たようだ。待ち受けていたクレは、彼女を併設された小部屋に招く。
 そこは倉庫兼簡易宿所となっていて、四畳半ほどの広さにいくつかの調教用具とささやかな家具類が置かれていた。
 少女が小銃と荷物を肩から下ろすのを見届けるのもそこそこに、クレは彼女を組み伏せる。野性的な芳香が少年の鼻をつく。
「駄目、無理! ほんっとに無理だから!」手足をばたつかせながらリンゴが悲鳴を上げる。「せめてお湯を浴びさせてよ」
 少女は正規(プロ)の捕縛師(ハンター)である。
 野山に住む野生動物を狩猟することで生計を立てる捕縛師は、かつて異常気象(デルジ)前に存在した旧奥羽州(キユウオウ)という地に暮らす狩猟民族にその源流を求めることが出来る。野生動物の狩猟に国家資格(バツヂ)が必要になってからも、捕縛師は狩猟技術を伝承する過程で、独自の言葉と戒律(しきたり)、そして山岳信仰を継承した。彼らにはいくつもの禁忌(きんじもん)が存在し、山の中では里の言葉を使わない、女性は山に入らない、などがその例である。
 少女もまたこの伝統的な戒律を厳格に守っている。だから、彼女は山にいる間、尼削ぎ(セミロング)の髪を結って手拭い(バンダナ)に仕舞い、下着まで男性用のものを身に着け、男装することで女を捨てる。猟の前に水垢離(ミズゴリ)を済ましてからは、彼らの言う山の神に見つからぬよう、水浴びはおろか着替えることさえしていないはずである。
 この時代をさかのぼるがごとき厳しい戒律は、単にその信仰上の精神論であるばかりでなく、時にささいな不注意によって命を落としかねない山の険しい環境の中で、人間という弱い生き物が生き残るために必要とした知識という側面がある。例えば、山の中でのみ使われる独自の体系を持った言葉については、旧奥羽州よりさらに古い時代に生きた別の民族との交流の歴史を示唆するとも言われるが、現代では仲間内ないし、同業集団との遭遇時に円滑に交流を進めるためのものであろう。近代的価値観においてはまったく無意味に思える、獲物や山岳自体への畏敬の念とその表現たる儀礼でさえ、危険への恐怖と殺生への心理負荷を軽減し、人間の健常な精神を保持する役割は大きい。そして、厳しい自然環境の中において、女性的な感覚は、時に判断を見誤りかねないと経験的に理解されたのだろう。華美な装飾への嗜好、過剰な情念、欲求への率直さ、これらを捨て去る訓練を積んだリンゴはその時もはや一人の女ではなく、正規の捕縛師としての誇り(プライド)を携えてその仕事に向かうのだ。
 少女の身に付ける迷彩柄のを襦袢(ブラウス)を力任せに引きむしると、年頃のつつましい胸の膨らみが顕わになった。

 据え付けられた水道に蛇管(ゴムホース)を繋いで放水する。水圧が調教室の床にこびり付いた汚れを押し流して混ざり合い、汚水となって排水溝に流れ落ちる。しかし水の引いた床を見てみると、流されたのは表面の埃や汚物ばかりで、混凝土(コンクリート)に深く染み付いたおびただしい血痕が新たに現れたに過ぎないことが分かる。
 クレは箒を使い、床の汚れと水気とを拭っていく。それなりの重労働である。
 荷櫃(コンテナ)の陰に転がっていた腐りかけた動物の亡骸は生ごみとして運び出す。恐らく前に使った調教師(トレーナー)が動物に与えた餌の食い残しか何かだろう。
 携帯獣(ポケツトモンスター)を正しく調教(しつけ)し、人間社会の中で適切な振る舞いが出来るようにしたり、新しい芸(わざ)を覚えこませたりといったことは、大変な達成感を伴うものだ。それは携帯獣を扱う調教師にしか味わうことの出来ない甘美な果実である。
 十歳で成人し、携帯獣を取り扱うことを社会的に許されてから、少年もその喜びと興奮の中に身を置いて生きてきた。
 そして今日から、再びそれをこの手に取り戻すことが出来る。
 クレが調教室の清掃を手早く済ませ小部屋に戻ると、せんだって顧客(クライアント)を前に「疲れたから休む」とかなんとか言って風呂を使っていたリンゴが、すでに布団に包まって静かに寝息を立てているのを認める。
 さて、ここまでに、すべての準備が整っていた。あとは少年が決断を下すのみとなった。それによって、彼の信じる通り、大きな喜びが得られるかも知れない。しかし同時に、かけがえの無いものを失ってしまうかも知れない。一時の衝動に突き動かされて、取り返しの付かない過ちを犯してしまうことがある。残酷な結果を呼び起こしてしまう可能性がある。クレはそういう危険を孕む意味でも若いのである。そして少年自身、ここからは決して引き返せないということを認めている。それでも、もしかするとそれゆえに、少年は躊躇しなかった。
 眠っているリンゴに忍び寄り、掛け布団をそっと剥ぐ。小脇に抱えてきた鞣革の拘束帯を使って、半裸の少女の血色のよい手足を優しく繋ぎとめる。先ほどは気づかなかった、少女の脛に新しく生え始めた脛毛が、少年の手のひらをちくちくと刺激する。これを見つけられることを恥ずかしがっていたのかと思う。しかしそれならば風呂を使った時に処理しなかったのだろうか。
 うっすらと覚醒の兆しを見せたらしい少女が寝ぼけたようなうわ言をのたまう。その顎をむんずと掴み上げ、半開きの口内に猿轡(ギヤグ)を押し込む。
 一通りの拘束を施した少女をお姫様の様にして抱き上げると、丸く見開かれた眼玉が少年の顔を見上げる。それを調教室の中央あたりまで運び出して、床に転がす。
 身体を丸めて仕事を妨害されないよう、足で肩などを踏みつけながら、新しい拘束帯も使って、手足をもう一度きつく締め付け直す。腕は背中側に引き付けて固定する。足は膝と踝あたりが開かぬように。引き締められた皮下脂肪が革帯の周囲に逃げて、むっちりと膨らんで乗り上げる。わずかに身に付けていた下着類を剥ぎ取る。
 猿轡を咬まされた口が何事かわめき立てているようだが無視する。しかし無理やりにこじ開けられた口角から、早くも涎が糸を引いて垂れてきていて、小さな顎と胸元をてらてらといやらしくきらめかせている様は注目に値する。
 仕上げにその濡れそぼった細い首筋を、可愛らしい鈴の付いた、しかし無骨な首輪(ボールマーカー)で締め上げたら完成である。
 湿った混凝土の床に横たわった健康的な肢体を、つま先から頭髪にいたるまで、嘗め回すように観察する。
 リンゴは初め、そういうおままごと(プレイ)の一種かと誤解したらしく、可愛らしく扇情的にいやいやをした。嫌よ嫌よもなんとやら、一体何を期待しているのだか。その様はなかなかに滑稽で、少年の失笑を買った。
「お前はこれから自らを人間のように思ってはならないのだ」
 言うが早いか、その手に握りしめた鞭を振り下ろす。中型の動物の調教、指揮用に、革を編みこんで作られた一本鞭(ブルウイツプ)である。少年が現役時代に使用していたものを、今日のために丁寧に手入れし直した。長さは十五呎(フイート)ある。その威力は、もしクレが全力で振るったならば、人間の皮膚程度ならば易々と切り裂けるほどである。もちろんここでは強靭な動物の身体が相手ではないからクレも手心を加えている。それでも、鞭の先が彼女の脇腹を打ちすえたとき、その恐ろしい衝撃によって、彼女の背筋はまるで快楽の波に喜び打ち震えたときのごとく反り返り、赤々とした女の肉体を跳ねさせた。同時に、反射的な悲鳴が調教室いっぱいに反響する。
 リンゴが少年の持つ凶器の威力を認める。しかしその対象が彼の親友であったはずの自分であることに納得しない。猿轡の隙間から何事かを必死にわめきたてはじめるのである。
 彼女に咬ませた猿轡は、人間に近い顎の構造をした動物向けに作られたもので、不用意に人や他の動物に噛みつくことを防ぐためのものだ。顎の運動を制限する構造上、人間に使用した場合、健常な発声を阻害する働きをするだろう。しかし、声帯に一切の負荷をかけない以上、悲鳴のような音色そのものに意義を求める声音ならば、それを充分に奏でることができるというわけだ。 意味のある言葉を発することができないために、かえってそこに込められた心の有り様を、まざまざと伝えてくる。恐怖、失望、憎悪、その旋律のなんと美しいことだろうか。
 それと同時に、少女は四肢の拘束を振りほどこうと、力任せにのたうち回る。固く締められた革帯がぎりぎりと擦れる音がする。しかし、この拘束帯もやはり動物用のもので、人間には外せない。調教用品店の親父が牛(ケンタロス)が暴れても千切れないなどと豪語したか、違う。この拘束帯は、何より少年自身がまだ現役時代、本物の携帯獣に対して使用していたそのものだからだ。現にして、獰猛な動物の脚力を拘束したのである。少なくとも人間の少女一人の力で破損することはあり得ないと信じていいだろう。
 即ち、リンゴは今、実際に動物に使われた鎖に繋がれ、動物に使われるべき鞭で折檻を受けているというわけだ。
「動物というのは人間の言葉を解さないものだね。口で言って分からないとなればこうするのさ」
 クレが再び鞭を大きく振りかぶる。
 すると、先ほどの強烈な苦痛を瞬時に連想したリンゴが、ぞっとするようなすさまじい絶叫を上げる。そこにはもはや理性も、情緒の欠片も感じられない。猿轡を咬ませずとも、けだし少年に対する言葉は何一つ紡がれてはいないことだろう。まさに本能的な叫び声である。
 少年が腕を振るうと、よくしなる鞭が空を舞い、軽く音速に達した鞭先が硬い空気の壁を叩きつけ、軽快な破裂音(ソニツクブーム)を響かせる。それは少女の身体すれすれの空気だけを打ち付ける。まだ当てない、当ててやらない。そしてその曲芸じみた紙一重を狙って、繰り返し、繰り返し打ち付ける。
 破裂音が鳴るたびに、少女が泣き叫ぶ。すでに顔を真っ赤にした少女が、破裂音とともに何度も何度も絶叫する。それは母胎を離れて間もない赤ん坊が産声を上げるのによく似ている。
 これだ。この音だ。クレはこの雄叫びを、もう一度聞きたかったのだ。対象の心と身体の一切を支配し、対象のそれまでの過去を一切否定し、代わりに新しい世界を対象の脳裏に深く焼き付け、そこで生きるための強靭な神経を紡ぎ出し、結びて、まったく別の生き物に生まれ変わらせる、これはそういう音なのだ。
 少女が半ば錯乱して被りを激しく左右に振るう。その度に、かつてよい香りのした細く柔らかな質の髪が、汗と埃にまみれてぐしゃぐしゃに乱れていく。首輪に下がった鈴の音をやかましく鳴らし立てる。少女が、かつての人間性を自ら放棄していく。
 そして、容赦無く、一切の慈悲を込めず、ただ肉体に苦痛を与えるためだけの鞭撃を、ついに再び少女に与える。
 まずは背中。少女は四肢の緊張と悲鳴を反射する。続いて臀部(しり)。やはり反射を見せる。少女の全身に玉となった汗が浮かんでくる。眼玉がいっぱいまで開かれる。猿轡をぎりぎりと音を鳴らして噛み締める。眉間に皺を寄せて、涙と涎を垂れ流す。
 鞭を振るうのを中断させれば、年甲斐も無く、まるで幼い女児のように咽び泣くのがたまらなく愛おしい。
 順番に、腿(もも)、脹脛(ふくらはぎ)、脛(すね)。上半身に移り、腹(はら)、胸(むね)、上腕、前腕、後頭部。少女がことあるごとに見せる反射は、しかしそれぞれの部位に対して微妙に異なる。
 鞭というのは、相手の身体を破壊し、運動能力を奪うことを目的とするような、いわゆる武器には類しない。その真価は、相手の肉体に純粋な苦痛を与えることにある。道具は、正しい使い方をしてこそ、初めてその能力を最大に発揮する。
 クレは鞭の正しい使い方をきちんと理解しているし、それを実践するための十分な訓練、並びに約一年に渡る実用経験もある。ただし、それはかつて彼が所有した動物に対してのものであって、人間に対して鞭を使用するのは今回が初めての経験であった。だから、鞭を用いて人間に苦痛を与えるためには、果たしてどのような鞭撃を与えるのが有効であるのか、どの部位が刺戟に敏感であるのか、実は彼にはまだ分からないことが多い。そのため、始めにこのように全身を満遍なく撃ち付けて、いちいち反応を観察するのである。
 この実験と観察によって判明したのが、以下のようなものであった。
 第一に、反射が大きいのは、主に身体の裏側にあたるような部分である。 特に脇(わき)、咽喉(のど)、陰部など。これらは概ね皮膚の柔らかい部位に一致しよう。リンゴはとりわけ陰部がお気に入りらしいのだが、恥ずかしがって身体をひねり必死にかばうので、なかなか狙って命中させるのは難しい。
 第二に、反射が小さいのは、前記とは反対に外側にあたるような部分となる。上腕、脹脛、掌(てのひら)など。特に皮膚が固く、肉付きのよい箇所である。
 恐らく、生物の身体というものは、普段から外部に接触しやすく、よく刺戟される部位については頑丈に、そして鈍感に作られているものなのであろう。これらは他の動物にもまた言える事である。動物の生活方式はその種類によって千差万別であり、従って動物それぞれの持つ皮膚感覚もまた千差万別を現す。
 これらの観察結果は、後学のため、また何よりこれ以降の少女の調教の共に、よくよく覚えておく必要があるだろう。
 少年は確認、そして検証の為に、先と同じ部位を順を追って何度も鞭打っていく。時に意見を修正し、時に新たな見地を得て、少年は鞭を振るう。
 赤く長く膨れた、蚯蚓腫れ様の傷痕が全身に現れるころ、少女の反射が次第に弱まってきていることに気づく。充血し肉がぷくりと膨れ上がった傷跡、そこに再び撃ちつけられる鞭撃は、一度目よりも大きな刺激が期待されるはずであるのに。大人しくなったリンゴ、というより、気力を失ったのか。鞭を打ち付ければこそなけなしの反射を見せるのだが、それを止めればまったく動かなくなり、泣き声もとうにすすり泣きに近しい。
 クレはそれまで確かに冷静であった。冷静であったから、少女の身体に後生残るような傷跡を与えなかったし、少女の見せる反射反応を充分に観察した。しかし今、少年の心臓はばくばくと大きく高鳴り、息も荒く、ひどく興奮している。
 自らに落ち着くよう呼びかけ、何度か深呼吸を繰り返す。次第に胸の高鳴りが治まってくるに従い、自分の身体の変化を感じることが出来るようになる。
 繰り返し鞭を振るった利き腕は、とっくに筋肉が悲鳴をあげていて、動かすのも億劫であった。これではもう少なくとも今日のうちは、鞭打ちを続けることは出来ないだろう。鞭を別の手に持ち替え、苦労して腰の弾帯(ガンベルト)に装着する。
 そして、自分の下穿きの股間部分が濡れていることに、ようやくになって気づく。恐る恐る触れてみるが、汗ではないように思える。おそらく、気づかぬ合間にちびってしまったのだろう。少年を突然の自己嫌悪が襲う。少年は、それまで確かに冷静であったはずだと、そう思う。なのになぜここで催すのか理解に苦しむ。混乱を必死に振り払う。 まだだ、まだ終わっていない。これから大事なことが残っているのだから。
 クレが、横たわる少女に近づく。彼女の目は空ろに淀んではいるが、動体に対してわずかな反応を見せる。意識があることを確認する。
 少年はリンゴの頭を膝に抱きかかえるように乗せて、清潔な手拭いで汗を拭ってやる。べたついた頬を額を、傷跡を労わりながら四肢を、優しく拭ってやる。初め、少女はわずかに身体を緊張させ、小さく震えていた。しかし彼女にはもはや抵抗するだけの体力も気力も残されてはいなかった。
 少女の瞳が少年の顔を静かに捉える。猿轡を咬ましたままの顔からは、細やかな表情が読み取れない。
「ごめんな」それは思わず口から零れたものだった。嘘偽りの無い、少年の心からの言葉で、「痛かったよな。リンゴ、本当にごめんな」
 それを聞いた少女の眼は次第に潤み、やがて大きな雫が零れ落ちる。そこからは、少年への恐怖も、失望も、憎悪も、感じ取れない。ただ悲しく眼を潤ませて少年を見つめている。冷たくかじかんだ彼女の手足の末端を、手のひらでそっと包んで暖めてやる。少女の身体からしだいに力が抜けていき、少年の膝がその体重を感じていく。少年の眼にも涙が浮かんで、それは彼女の顔に滴り落ちる。
 少女の頭を優しく愛撫しながら、少年は何度も何度も、震える声で謝罪の言葉を述べる。泣き疲れた彼女が、安らかな寝息を立てるようになるまで、彼は少女を優しく愛撫し続けた。
 それは長い監禁生活の始まりに過ぎなかった。少年はこれから、リンゴを好きに取り扱うことが出来る。大事に扱うのも、捨て去るのも、もはや少年の自由。捕らわれた彼女はここでは客体であり、無生物なのである。
 この日から、リンゴという少女は、クレという少年の所有物(ポケツトモンスター)となったのだ。

 人間には刻印付け(インプリンテイング)の習性は発見されていない。心理学的にも、動物行動学的にも、人間の刻印付けに相当する性質の探索は絶えず行われているが、現在までにその全てが失敗に終わっている。他の動物、そのおおむね全ての種類に関して実証されている刻印付けが、同じく動物の一種であるはずの人間にだけ備わっていないのは何故なのか。それは現代の生物学が抱える大きな謎の一つである。
 ただ、一般的な動物の一種であっても、諸々の理由によって、元来の刻印付けを用いる馴致調教の手法を利用できない場合がある。そのような場合に行われるのが、けだものを躾けるために用いられるもう一つの、そしてより重要な手法、条件付け(コンデイシヨニング)である。
 あの日以来、クレは少女に対し、時に優しく、時に厳しく接した。もし少女が大人しく、クレの指示を忠実に守るならば、彼は少女に決して手荒なことはせず、餌もきちんと与えてやる。しかし、少女が何らかの反抗的な態度をとるようであれば、即座に鞭打ちという罰を与えてやる。
 これによってリンゴは、クレの定義する反抗的な態度というものと、鞭打ちという苦痛とを結び付けて学習する。そしてそれ以降、鞭打ちという苦痛を避けるために、クレの定義する反抗的な態度を出現する回数を減らしていく。
 それとは逆に褒める調教というものもある。
 例えば、クレが動物用の便所を用意し、調教室に設置する。初めリンゴは、少年の意図を理解せず、それまでの習慣に従い、少年に直接見られないような場所、荷櫃(コンテナ)の陰でこっそりと用を足してしまう。放っておけば、リンゴは調教室をどんどん汚していってしまうだろう。次からクレは、少女が花を摘みたそうにしていたときには、彼女を無理やりに引っ張ってでも、動物用の便所に座らせるようにする。そうして、少女が排泄するまで辛抱強く待つ。ついに我慢しきれず、リンゴが顔を真っ赤に染めて、少年の目の前で排泄してしまうと、少年はすぐに彼女を目いっぱい褒めてやるのだ。この時、飴(ポロツク)という餌を必ず少女に食べさせてやる。こうしたことを何度も繰り返してやると、リンゴは少年に手を引かれずとも、自ら動物用の便所で用を足すようになるのである。飴(ポロツク)とは、鞭と対をなす、動物調教の必需品である。動物にとってのある種のおやつだが、覚醒作用と依存性があるため、動物の自発的な行動に対して与えれば、その行動の出現頻度を増やしてやることが出来る。
 よく、躾けは飴と鞭、などと言う。要するに、やるべきことをやったときは褒めて、やってはいけないことをやったときは叱る。そうして一つ一つの決まり事をその身体に教えていくのである。こうして動物の将来の行動を任意に制御する手法を、条件付け(コンデイシヨニング)と呼ぶ。動物に鞭を打つのは、動物を虐待することが目的なのではなく、正しい行動を覚えこませることが目的なのである。
 条件付けを行う上で重要なのが、動物のある行動に対して速やかに刺激を与えてやること、そしてそれを反復して何度も執り行うことである。行動から刺激までの時間は、短ければ短いほど、強く条件付けに作用する。同様に、行動から刺激の反復は、条件付けをより強化させるものである。
 ある時、クレは少女の拘束をわざと緩めておき、もし少女がその気になったならば、自力で抜け出せるようにしておく。同時に、少女の目の前で、調教室の搬入扉から錠前を外して見せる。
 それから数時間に渡る観察が行われる。何故今になって少年は囚われの身を開放するような行動に出たのか、初め困惑した様子できょろきょろとしていたリンゴ。しかし、少年が少し離れた折畳み椅子に腰掛け、こちらを静かに観察し続けているのを認めると、彼女はゆっくりと緩くなった拘束の隙間を押し広げるように、身じろぎしはじめる。少年がそれでもじっとし続けていることを確かめながら、次第に拘束との格闘を大胆なものにしていく。大変な努力の結果、自らの拘束を解くや否や、少女は開錠された扉へと脱兎のごとく駆け出す。彼女があと一歩で、望んでやまない自由への扉へ辿り着こうという、その瞬間だった。少年の無慈悲な鞭撃によって、少女の身体が硬い地面にしたたかに叩きつけられる。少女が悲鳴を上げる暇もなく、続けざまに次々と繰り出される恐ろしい鞭の嵐に、彼女の軽い身体は大きく跳ね回る。それは、少女がついに気を失うまで続けられた。
 クレは少女の身体を丁寧に手当てしてやる。少年の器用な鞭捌きのために、気絶するほどの激しい攻撃だったにも関わらず、彼女の身体は後生まで残るような傷跡をつけていなかった。
 しばらくして少女の意識が回復した後、クレは彼女に寄り添って、少女が怯えぬようにゆっくりとした動作で、優しく語りかけながら愛撫してやる。ごめんねと謝ってもやる。もうしないと約束もする。いつか少女の緊張が解けて、少年にその身を任せるようになるまで、少年はずっと付き添ってやるのだ。
 そして後日、再び少女の拘束をわざと緩め、折檻の機会を待つ。少女が逃走、あるいは闘争の兆しを見せたならば、すかさず鞭を振るい、気絶するほど痛めつける。大人しくなった少女を優しく抱き包む。
 こうして、何度もこのような行程を繰り返していくと、動物の身には不思議な出来事が起きてくる。リンゴは次第に、自らの拘束が完全に解けていて、目の前の開け放たれた扉があるにも関わらず、逃走を試みようとしなくなるのである。
 もちろん、少女にとって、ここでの生活は大変苦しいものであろうし、彼女はそれ以前の人生で味わった自由の心地よさを忘れてはいない。そればかりか、少年の折檻が行われるたびに、少女の解放への渇望は増すはずだ。
 ところが、この条件付けを施されたリンゴは、あまつさえ自発的に少年を探し求め、付きまとうようになる。少年が自分の付近にいないことがたまらなく不安に感じ、身体が自らを裏切り、逃走の権利を捨て去ってしまうのである。
 動物というのは、条件付けの強化がより進んだものになると、その時の自身の判断ではなく、条件付けられた行動を優先して発現するようになるのだ。
 これは、恐怖によって支配するものとは根本的に異なる。従順でいれば苦痛を与えられないということを学習したリンゴは、とりわけ四肢をきちんと拘束しているとき、少年に大人しく寄り添い弛緩(リラツクス)して休んだり、時には少年に甘えた態度を見せることさえあるからだ。
 刻印付けによって発現する追従は、本能的に刷り込まれたものだった。しかし、ここで見られるような行動はそれに酷似してはいるが、後天的に習得したものと言えよう。だから、条件付け(コンデイシヨニング)を用いて刻印付け(インプリンテイング)を模倣したこれを、擬似刻印付け(デイペンデンス)と呼ぶ。
 動物に元来の刻印付けを行うことが出来ない場合、初期の調教はこのようにして行われる。擬似刻印付けは、ある期間に、瞬時に成立する刻印付けに比べ、多くの時間と手間、そして技術を必要とする方法と言える。刻印付けがすでに成立した動物の価値が概ね低くなってしまうのは、主にこれが原因している。
 こうしてクレは、刻印付けを行うことの出来ない少女に対して、幾日もの時間をかけて、しかし当初の予定通り順調に、擬似刻印付けを行っていく。これは、少年の経験の成せる業と言えた。
 もちろん、すべての調教を計画通りに進めることが出来たわけではない。特に調教用品の使用に関して、いくつかの失敗と試行錯誤が行われた。
 動物の脳髄が執り行う身体運動と思考活動の制御は、脳細胞間の電気的交感作用に由来する。であるならば、何らかの方法で脳髄に電気的刺激を与えることが出来たならば、外部から直接、動物の身体、精神を制御することが出来るはずである。こういった発想から研究開発されたのが刺戟交信機(ワザマシン)と呼ばれる調教補助用品である。
 まず、動物の身体局部に、電極のついた装置を挿入する。これは、押釦(ボタン)一つで電気が流れ、快感神経を直接刺激してやることが出来る。刺戟交信機とは、この快感刺激を用いて、動物を調教者の望む動作へと導くものである。一般の動物に対してならば、予め手順化(プログラム)された動作、特に実用的な様々な芸(わざ)を、自動的に動物に条件付けてやることも出来る。
 ただし、人間向けではないため、リンゴには手動操作で使用するしかなく、元来の性能は期待出来なかった。
 クレははじめ、これをリンゴの調教に際して有効に使おうと考えていた。彼女はこれを使ってやると大変喜ぶ。その姿に、少年もまた喜んだ。しかし、あるときから急に違和感を感じ始めた。快感刺激を遠隔操作出来る点は十分に評価しよう。手動であろうと、上手くすれば条件付けに活用できることに変わりは無い。だが、押釦(ボタン)一つというのが、どこか少年自身の意思とは乖離してしまっいるように感じてしまう。それは少年の当初目指していた調教とは、わずかに異なっているような気がしするのだ。それならば、調教師の手で愛撫するのが一番よいように思えてきてならない。せめて、もう少しきちんと、一通りの条件付けを行ってから使い始めた方がいいかも知れないと、彼は考えるにいたった。
 遮眼帯(ブリンカー)もまた似通った理由で、何度か使用を試みた後、取り外すことに決めた。
 動物の視覚は、その種類によって、様々な性質を備えている。例えば、草食性の動物の多くは、その視野が後方まで広く、敏感である。この視野の広さが、動物の調教、制御に障害となる場合がある。そういった時に利用されるのが、動物の視野を任意に制限する、遮眼帯(ブリンカー)である。
 クレはこれを、少女を折檻をする際、人間の動作を正しく察知し予測する彼女が、これを咄嗟に防御したり、回避したりしないために有効であろうと考えていた。遮眼帯で隠された場所から撃ち付けられる鞭撃は、少女にとって純粋な苦痛として感受されるだろう。しかしそうであるならば、仮にクレではない他の誰かが振るった鞭であっても、少女には区別出来ないはずである。条件付けの刺激は、単なる苦痛ではなく、主人(おや)たるクレから与えられる懲罰でなければならない。それは少年の、調教師(トレーナー)としての一種の哲学であったが、効率よりも優先されるべきものだった。
 このようにして、リンゴを携帯獣(ポケツトモンスター)として調教しようと考えたのは、本当に単なる思い付きだった。自室での気だるい日々にあっても、これからのことを考えたとき、何かしらの方法で社会復帰を望まなければならないと考えていた。しかし、以前のように、もう一度携帯獣を育てるというのは、かつて失った一匹の携帯獣のことを思い出してしまいそうで、なかなか踏み切るに忍びなかった。はっきりと述べてしまうならば、その一匹の動物を殺した自分を感じてしまいそうで怖かったのだ。そんな時、本物の携帯獣ではなく、いつも小うるさく付きまとっていたリンゴを、まずは携帯獣の代わりに調教してみたならば、それを持って以前の感覚を取り戻すことが出来るのではないかとひらめいた。そのひらめきは、申し分なく素敵な思いつきに感じられた。リンゴが人間であるためと同じように、少年がかつて使役した一匹の動物もまた、とある事情によって刻印付けを施せなかったために、馴致調教に際して大変な苦労を強いられたものだ。少年はそのかつての経験を応用し、実際にここまでその調教術を人間に対しても十分に発揮させている。
 ただ、リンゴに動物の捕獲依頼をしたのはある種の賭けだった。彼女の普段の振舞いを思えば、断られる可能性が高いだろうと少年は予想していた。無論その場合でも、ある程度の回り道を経て、リンゴをここに監禁するのはさほど困難は無かっただろうが。とにかく、ここまでは上手くいったわけだ。
 そして今、少女への擬似刻印付けは概ね成立し、いよいよ本格的な調教を開始する段階に移ろうとしている。それは、より実際的に動物を人間生活に役立てるために、各種の芸を条件付けしていくものである。
 しかし、ここに至っても、リンゴへの調教には僅かな障害が残っていた。
 擬似刻印付けは、理性によって克服することが出来ず、人間の知的な判断能力をも覆す。にも関わらず、リンゴはごく稀に、クレに対して反抗的な態度を見せることがあった。ある時は錯乱して怒り狂い、暴れる。またある時はきょとんとした顔で少年の指示を無視し、ただ呆け続ける。突然に高笑いを始めたり、いつまでも伏してすすり泣いたりもする。理性の炎を瞳の奥に携えて、少年をまじと見つめ続けることもある。
 これらは、一般の動物に対して正しく擬似刻印付けを行ったならば、普通は見られない反応である。主人への反抗というものは、擬似刻印付けのごく初期段階にこそよく見られるものの、より擬似刻印付けを強化していくことによって失われていくはずのものである。その上、これらの反応は反抗というよりもむしろ、人間の精神の働きによる、解離症状に似た行動である。有り体に述べれば、本来動物に用いるべき擬似刻印付けの手法が、人間に一種の精神疾患を呼び起こしたのではないだろうか。精神疾患は、複雑で高度な知能を発達させた人間だけが持つ疾患である。
 クレには、これに見覚えがあった。少年がかつて使役した一匹の携帯獣も、擬似刻印付けの結果、これとよく似た行動をとって見せたのだ。一匹の携帯獣が時折見せた、反抗的な瞳、悲しげな瞳は、リンゴのそれに重なる。そして、かつてもこんな気分を味わったものだ、とクレは思う。本能に生きる動物から、彼らが本来持たないはずの知性や自由意志を奪っているという認識からくる罪悪感、ひるがえってそれを躾け上げる解放感。それらの入り混じった背徳的な快感のすさまじい衝撃。耐え難い喜び。
 調教技術とは動物が本能的に活動することを前提に発達した技術である。かつてクレが躾けたあの一匹の携帯獣こそは、やはり特別な怪獣(モンスター)だったのだ。
 その一匹の携帯獣の名前は、モヨコと言った。

 クレが少女を養成所(ジム)の一室に監禁した日から、時間を遡る事五ヶ候前まで、彼は闘獣士(ビステイアリス)であった。
 広義の闘獣(ブラツドスポーツ)、動物虐めの催しは世界各地で自然発生的に見られるが、近代闘獣の歴史は中世の欧州連合(フカハイ)の一都市に産声を聞く。客席の設けられた巨大な闘技場(コロシアム)で、闘獣士(ビステイアリス)は自らの指揮する動物を、相手の闘獣士の操る様々な動物、または囚人や奴隷と戦わせる。動物はここでは殺し合いをさせるための存在であり、そのために特別な調教がなされ、逃げることは許されない。奴隷解放の歴史に合わせて、動物と人間を戦わせる闘獣は欧州連合(フカハイ)の一地域を残して次第に廃れていったが、闘獣自体は現代でも世界各国で一般的な興行として成立している。
 動物を闘獣のために調教、管理する技術と、危険な戦闘に肉薄して動物を直接指揮する技術は異なるものだ。だから、要する免許(バツヂ)も別に存在するし、特に若年者はまずいずれかを専業し、ある程度の経験を積んでから、もう一方の免許の取得を目指すのが一般的である。
 だから、若干十一歳ながらも闘獣調教師免許(ライジングバツヂ)と闘獣士免許(ナツクルバツヂ)を同時に保有し、且つそれぞれを兼業するクレは、闘獣界では異例の存在だった。その現役中にいずれかの業務について類まれな才能を発揮することこそ無かったが、調教師(トレーナー)を兼業することの有利を活かして、闘獣試合では十分な成績を残すことが出来た。その栄光の日々を、彼は今でも鮮明に思い返すことが出来る。忘れえぬ日々。輝かしい功績。興奮と充実に満たされていた。
――砂塵捲き、歓声轟く戦場に、動物を指揮することに特化した指揮鞭を手に携えて、闘獣士(ビステイアリス)、クレが歩み出る。その後ろを、擦り切れたぼろ切れをまとい、人間の幼児の姿に擬態した携帯獣(ポケツトモンスター)が付き従う。粘土を捏ねて拵えたような白い滑らかな素肌と、球体状の歪な関節に、硝子玉みたく虚ろに輝く大きな眼玉、人型でありながらあたかも人工的なその印象を揶揄して、あるいは一部の人間の倒錯を受けて、少女人形(ベルメール)とか珪素樹脂(なんきよく)とか別称される動物の一種である。
 少年がモヨコと呼ぶその動物は、種としては量子干渉(サイコキネシス)という特殊な能力を持つ動物で、闘獣では特に精神攻撃によって相手を発狂させる芸(わざ)を覚えさせるのが一般的である。しかし、クレの所有するこの個体に限っては、生まれつきなのか、またはクレの手元に訪れる前の出来事に原因するのか不明だが、これを上手く扱えない障害を持っていた。刺戟交信機(ワザマシン)を用いても改善されることのなかった不干渉(フリジデイテイ)である。だからクレはモヨコに、体術、格闘により相手動物の身体を破壊するよう調教を施していた。
 少年と動物の前に、今回の相手方となる四足の肉食性動物が現れると、客席の歓声が最高潮に達する。クレは自分の動物に向けて「どう、どう」という掛け声を放ち、条件刺激を行う。これにモヨコは条件反応として、目の前の動物を敵として認識し、すみやかに闘争の態勢を執る。息荒く、興奮し始め、子供が泣き叫ぶような威嚇の咆哮を発する。それに呼応するように、相手方の四足動物もまた荒々しく雄叫びを上げて凄む。審判の「はじめ」の声が聞こえるや否や、相手方の四足動物が躊躇無くこちらに突進してくる。しまったとクレは思う。恐らく相手の四足動物は、審判の掛け声に反応して先制攻撃を仕掛けるよう条件付けられているのだ。闘獣において、闘獣士の指示なき動物の行動は普通無謀だが、この先制攻撃が成功されれば勝負の流れに大きく影響する。クレはモヨコに回避をさせようかと思いかけ、しかしとっさに攻撃の指示を込めて鞭をモヨコに振るう。恐らく相手はこの後、四足動物の俊敏な足を活かして回避に徹するはずだ。万一にでもモヨコがここで回避に失敗し、先制攻撃によって反撃能力を奪われたならば、こちらは必ずじり貧になる。そうであれば、最大の攻撃の機会は、相手がモヨコに攻撃をしかけると分かっている今この瞬間にしかあり得ないだろう。このクレの判断に関わらずも、モヨコはクレの指示通りに前方に駆け出す。その身にまとったぼろ切れの懐から合口(ナイフ)を抜き、鞘(さや)を地面に捨て、逆手に握り締める。いよいよ接敵の瞬間、モヨコは四足動物の頭突きを身体をひるがえして間一髪でかわしつつ、刹那相手の急所を狙って合口の切っ先を全力で突き立てる。刃渡り七吋(インチ)五分の合口は、その半分ほどを四足動物に皮下に食い込ませ、しかし無常にもそれは四足動物の厚い皮膚と脂肪に阻まれて、致命傷には至らない。攻撃に執着し、握り締めた合口で相手の腸(はらわた)を抉り回すことに夢中となったモヨコは、四足動物の突進によって地面を引きずられる。すかさずクレがモヨコに退避を指示するのと、相手方の闘獣士が四足動物に攻撃を指示するのとは、ほぼ同時であった。四足動物の脇腹に突き刺さったままの合口をようやく手放し、急いで飛びのくモヨコを、四足動物の鋭い牙が襲う。それは、モヨコの華奢な片腕に喰らい付く。何本もの合口を並べたような牙がモヨコの腕の薄ぺらい桃色の肉を引き裂き、強靭な顎の筋肉がその脆弱な細い骨を砕く。その生々しい光景に、客席は弥が上にも盛り上がり、相手方闘獣士への声援が繰り返し鳴り渡る。その中には「殺せ」「引き回せ」という罵声も混じる。痛切な悲鳴を上げながら盲滅法にもがくモヨコの身体を、四足動物の前足が押さえつけ、高鳴る期待に答えたか、その腕に喰らい付いた顎が左右に猛々しく振るわれると、モヨコの腕は鮮血を迸りながら無惨にも引き千切られる。客席はこれ以上無いほどの興奮に包まれ、歓声が絶叫に切り替わる。獲得した肉片を咀嚼する四足動物の懐から、モヨコが悲壮感の匂う悲鳴を上げながら、這い出る。モヨコはここまでに、得物(もちもの)と片腕を失い、体力も消耗した。その上、モヨコは精神的に弱い面があって、一度不利になってしまった試合では、なかなか逆転するのが難しいのが常だ。差し当たり、この状況で試合に勝てる見込みはほとんど無くなっただろうとクレは判断する。つまり、大方の勝敗は早くも決したのだ。しかし、闘獣というのは、必ず片方の動物が、少なくとも瀕死になるまで、決して終わることがない。動物は瀕死の状態に至るまで、みすぼらしくも猛々しく、飽くまでも殺し合うことが期待される。だからクレは、一介の闘獣士として、今目の前で必死に逃げ惑うモヨコに、この後さらに痛めつけられるだろう動物に、それからの逃走を厳に禁じ、応戦を指示する。モヨコは条件付けの拘束によって、健気にも覚束ない足取りで立ち上がり、がたがたと震えながら四足動物に向き直る。角も牙も持たないモヨコに残されたのは、片腕による徒手空拳である。その勇敢な様子を見て、観客からわずかにクレ方への声援が混じりだす。
 ただし、その後の試合展開は詳細に語るべくも無い。四足動物はクレの当初の予想通り、相手方闘獣士の適切な指揮によって、俊足を活かした電撃戦に徹し、すでに衰弱したモヨコの攻撃は有効打と為り得ない。その間にも四足動物の牙と鉤爪が、モヨコの軟らかい身体を切り裂いていく。モヨコが僅かでも怖気づけば、四足動物はクレへと牙を向けて、モヨコを挑発する。条件付けによって、モヨコは自らクレの盾となって立ち塞がり、その身を刻む。深々とした裂傷が全身にぱくりぱくりと開き、所々白い骨らしいものが剥き出しになる。脈打つ動脈から大量の血液を溢し、脇腹から気味の悪いほど長い腸と、脂ぎった薄桃色の内臓諸々と、見苦しい汚物とを撒き散らしながら、モヨコはのたうちまわる。そんな代わり栄えのしない退屈な惨状を長々と見せられるのに観客は次第にだれて来て、自ら作った血溜りに足を滑らせ転倒したモヨコに失笑する。そうしてなまじ下手な道化と成り下がったモヨコに対し、頃合と見た相手方の闘獣士が四足動物に止めを指示する。強靭な顎がモヨコの頭部に力強く喰らい付き、鋭い牙を深く突き立て、頭蓋骨を軋ませ、鈍い音を立てて砕く。モヨコの目玉がぐるりと回転し、頭部だけが吊り上げられた状態で、肢体をだらりと垂らして弛緩する。モヨコの割れた頭皮から脳髄の一部らしき灰色のどろどろが溢れ出したとき、審判が「そこまで」を喉元に用意したそのとき、これまでとは異なる何か異様な状況がそこで始まった。
 瀕死のはずのモヨコの片腕がおもむろに伸び、その指が四足動物の眼球をほじくる。これに応えて暴れだした四足動物に、モヨコの先の無いもう一方の上腕がしがみつく。モヨコの指は、こぼれ落ちてぶら下がった球体には構いもせず、さらに落ち窪んだ穴の奥へ奥へと目指して差し込まれる。果たして動物の眼孔とはかくも深く腕を突き刺すことが出来るだろうかというほどまでに至ったとき、急に四足動物がばたりと倒れ伏す。予期せぬ展開に観客の誰もが、のみならずクレや相手方の闘獣士、あまつさえ審判すらもがただ唖然として見守る中、髄液と鮮血に染まった腕を引き抜き、目を血走らせたモヨコが奇声を上げ、病的な興奮を示す。そして、すでに倒れた四足動物の身体に、なおも明確な殺意を表現する。四足動物の生皮を剥がし、筋肉組織を引き裂き、関節をへし折る。肋(あばら)を無理やりに抉じ開け、臓腑(ぞうふ)を乱雑に引きずり出す。せんだっては今にも死にそうなほど弱りきっていた、モヨコによってである。片手のみでこのような蛮行を働く怪力が、果たしてその傷付いた身体のどこに隠されていたのか。自らの血液と髄液とその他の分泌液、四足動物の臓腑(ぞうふ)に加えてはち切れた膀胱(ぼうこう)から溢れ出た小水とをない交ぜにしながら、どうやら牝(メス)だったらしい四足動物の子宮らしき形状の組織をその口内に押し込むという奇行も交えて、モヨコは四足動物を荒々しく、完膚なきまでに解体(バラ)していく。その猟奇的な行為によって、もはや四足動物の身体はその原型を留めてはおらず、元はどのような姿のどのような動物だったのか、誰にも検討が付かないだろう。モヨコが四足動物の生首をもぎ取り、その骨格が変形するまで繰り返し地面に叩き付けているとき、クレはようやく我に返る。火を見るより明らかな過剰殺傷(オーバーキル)だ。
 クレは速やかに「どう、どう」と掛け声を放ちながら、同時に鞭を振るって制止の指示をモヨコに送る。しかし驚くべきことに、モヨコはこれを一向に構わず、条件付けされた反応を示さない。少年が今用いている指揮鞭は、攻撃力の点で調教用の一本鞭に劣る。クレは危険を顧みず、常態を失った自らの携帯獣に接近し、拘束帯を用いた捕縛を試みる。ところが、モヨコの全身に纏わりついた、ぬらぬらと粘着く血糊に手が滑り、見事に洗練された手捌きとはいかない。モヨコは自らの行為を邪魔する者がクレであることをようやくになって認識したようで、大きく見開かれた眼玉でぎょろりと少年を睨み付ける。それが悲しい悲鳴のような、ぞっとする金切り声のような咆哮を上げると、あるいは衝撃的に回復した量子干渉(サイコキネシス)能力の発揮によってか、少年の身がすくみあがる。そして、四足動物の生首を放棄した片腕が、迂闊にも隙を見せたクレの首を目掛けて、素晴らしい速さで伸ばされ、その喉元をしっかりと捉える。氷のように冷たく硬い、死骸か石のようなモヨコの手の感触。今ほど四足動物に振るって見せた恐るべき怪力が、クレの気道と頚動脈を破壊せんばかりに締め付ける。ここに至り、闘技場(コロシアム)全体が思い出したように、恐怖を示してどよめき出す。近代闘獣においても人間が直接動物に対峙する状況は珍しくないが、モヨコの見せた奇態に、この時まで誰もが我を失っていたのだ。このような不測の事態に備えて待機していたはずの予備の闘獣士達が、やっとのことで応援に動き出す。しかし、このままではその救助の手が届くまでクレの意識が持たないばかりか、ややもするとそれより少年の首が千切り取られる方が早いかも知れない。クレは血流の不足によって暗転しだした視界の中で、鮮血で紅を差し艶々と潤う唇がにやりにやりと不敵に笑うのを発見する。あまつさえ、それは嘲った哄笑となり、けたけたという腹立たしい笑い声を声高に響かせ始める。少年が次第に遠のく意識でとっさに判断し、弾帯(ガンベルト)から黒光りする護身用の得物を抜く。目当ても付けず素早く放たれた五〇口径(マグナムリボルバー)が、少年の首に繋がったモヨコの肩口を吹き飛ばす。多量の火薬を装填した大口径の銃弾は、素敵滅法な威力を発揮し、モヨコの肩関節と、そこを通る神経組織を滅茶苦茶に破壊しつくし、接続した腕を麻痺させる。それでもなお有余った銃弾の運動量は、小柄なモヨコの身体をくるくると回しながら宙に浮かせ、地面に叩きつけることでようやく仕事を終える。無理な姿勢で発砲したために、したたかな反動によって同じく弾き飛ばされていたクレが、地面に倒れたまま口から赤色の泡を吹いて痙攣するモヨコの姿を確認して息をつく。それとともに、闘技場が一体となって、クレへの歓声に沸いていることに気づく。
 これが今回の闘獣試合の顛末である。
 試合後の楽屋には、立ちすくむクレと横たわった瀕死のモヨコの姿がある。モヨコの合口とその鞘は、四足動物の肉片に混ざって回収され、すでにクレの元へ返還されている。この凶器は、クレの元にやって来たモヨコが当初から持っていた、ある種の守り刀(かたみ)である。クレはそれを、そこらへいい加減に放り出し、モヨコの容態を確認する。
 動物が新しく携帯獣となった際には通常、動物病院(ポケモンセンター)でその遺伝子(アーカイブ)の複製(バツクアツプ)が行われる。これさえ済ませていれば、それ以降は、当該個体がいかなる外傷を負っても、極端な話、身体の大部分を失った状態であったとしても、最低限生きてさえいるならば、短期間のうちにその身体を完全に健康、健常な状態まで治療(デコード)することが出来る。これは、心理遺伝(ラマルキズム)の一作用を応用したものである。
 心理遺伝(ラマルキズム)とは、人工的に交配された動物が、稀にその先祖の記憶を引き継いで生まれてくる現象のことである。動物の細胞一つ一つが持つ遺伝子(アーカイブ)には、獲得形質、すなわち生まれてからそれまでの身体の変化と精神の経験の一切全てが記憶されている。これが、人工子宮(アーカイバ)の中で、胎児の状態から動物個体の生涯を反復的に再現し、元の健康な状態を復元(デコード)する。人間の胎児が母親の胎内において数億年の生命進化の歴史をたった二十八ヶ候で反復するように、携帯獣もまた、人工子宮の中で自身の数年に渡る生活史をわずか数日で反復するのである。
 だから、闘獣の観客は、より過激な殺し合い(シヨー)を求める。動物個体は容易に再生する。その事実を誰もが認知しているからこそ、世界中が、動物偏愛主義者すらもが、動物の身体が破壊されていく様に、安心して感動し熱狂することが出来る。近代闘獣とは純粋な興行であり、観客を喜ばせる余興であり、そして観客が何より見たいのは、動物が生死に挑む本物の冒険なのだ。観客はそこで恐怖を味わうことによって、日常に溜め込んだ些細な苦悩(パトス)を相対化し、排出し、精神の浄化(カタルシス)を得ることが出来る。闘獣士は当然このことを深く理解し、自らの使役する動物が危険に瀕しても、決して安易な救いを与えない。
 ただし、いかに発展した動物医療といっても、万能ではない。動物が現実に死亡する、より正確には脳死に至ると、その個体の遺伝子は過去にさかのぼって意味消失(バグ)をおこし、正常に発生できないために卵様畸形腫(ダメタマゴ)となる。卵様畸形腫とは、人工子宮の中で小さな骨や毛髪、時に眼球や内臓の一部分といった動物の胎児の残骸が、保育器状の肉塊に凝り固まって発生したものである。単に動物個体の死が心理遺伝的に遺伝子に記憶されるという説明は、過去に複製された遺伝子に影響する事実と矛盾する。科学的な動物医療の現場において、魂などという神秘主義的(オカルトチツク)な用語は適切ではないが、この現象が未だに多くの謎を秘めているというのは実際のところである。量子論的解釈では、動物個体の死を人間が観測することで、はじめて遺伝子の状態が確定するのだとする。その個体が現実に生きているということが、治療(デコード)を可能にする何らかの鍵(パス)のような役割を担っているのだろう、という予想である。
 こうして不幸にも自らの使役する動物が死亡した場合、調教師(トレーナー)や闘獣士は一般的に、もう一度同じ種類の動物を手に入れたり、調教したりすることが多い。それは、性質の共通する動物を使役した経験がある分、比較的に扱いやすいためである。古くから伝わるこの習慣を、育て直し(サブステイチユシヨン)と呼ぶ。より狭義には、死んだ動物と血縁のある個体を選んでこれを行うことを言う。死んだ動物の子孫には、一部の条件付け(コンデイシヨニング)や芸が遺伝されている可能性があるためだ。このような心理遺伝を応用した、より専門的な動物の血統の管理は、育種家(ブリーダー)の担うところである。
 このような保険があるにせよ、いかな外傷を負っても快復する動物が、しかし死亡状態に至ると再生しない事実は変わらない。従って闘獣では、動物の生死を賭けた闘争が行われると同時に、動物の選手生命の保存のため、過剰殺傷(オーバーキル)が反則(フアウル)として定義されるのである。もっとも、この禁制が存在しなければ、動物の死はより軽く扱われるものとなってしまい、死の淵にかかる恐怖(スリル)を観客は味わうことは無く、闘獣が現在のように興行として成立することも無かっただろう。
 すなわち、今回の闘獣大会では、モヨコが相手の動物を倒したにも関わらず、殺害してしまったがために、試合としてはクレの反則負けであった。観客に十分な興奮を与えたという意味においては、興行的な成功をみる部分もあるが、その絶頂がいささか早すぎ、中弛みしたという反省もある。これを少年は無責任に、相手方の戦略に起因すると決め付けることが出来ない。何より、最後のモヨコの暴走による盛り上がりは、あまりにも彼の不本意に過ぎる。
 モヨコの調教、及び指揮に関わる全ての決断は、すべからく英断であったと、闘獣士としての誇りが支えて、クレは信じている。しかし、試合に負けた後にはいつだって、試合中の興奮の残留したものと、著しい焦燥とが混ぜこぜになり、もやもやとしたたまらない気持ちに陥るのが常である。
 クレは、モヨコが瀕死の重傷にありながら、まだかろうじて息があることを確認すると、おもむろに自らの尿道をモヨコの大きく開いた傷口の一つへと押し込む。クレの精神に呼応して硬直したそれが、深い傷口に新しい横穴を生成しつつめり込んでいく。片側の弾けた脳髄が甲斐甲斐しくもそれを察知したらしく、モヨコの口が「げえええ」となんとも下品に喘ぐ。けだしその脳髄に苦痛と悦楽の区別もつくまいが。そして少年は、抗いがたい衝動のまにまに、このようにモヨコと結合した姿勢のままで排尿するのだ。
 闘獣の試合にモヨコを出場させ、敗退という結果を得たとき、クレはお仕置きと称して、必ずこのような行為を行うのであった。もしモヨコが今回のように精神機能を障害していなければ、当然ながら烈しい不快感を露にするのだが、クレにとってみればそれが愉快でしょうがない。
 もちろん、試合に勝った場合には、もっとモヨコが喜ぶ形で、主人(おや)に貢献し傷付いた動物を気遣うつつましい愛撫によって、充分に労ってやる。
 条件付け(コンデイシヨニング)を行う上で重要なのは、強化したい行動から刺激までの時間が充分に短いことである。その事柄の、クレにとっては実践のつもりである。
 ただし、瀕死の動物を人工子宮(アーカイバ)によって治療(デコード)したとき再現されるのは、遺伝子(アーカイブ)の複製(バツクアツプ)が行われた時点の、動物の身体、精神の状態である。すなわち、動物は治療の副作用として、肉体と同時にその記憶もまた、瀕死の重症を受ける前にまで戻る、ありたいていに言えば、複製が行われた以後の記憶を忘却してしまうのである。普通治療の元に使用されるのは瀕死になる前、闘獣ならば試合の直前に複製した遺伝子であるわけだから、モヨコをこの後人工子宮で治療したならば、お仕置きと称するクレの条件付けも、四足動物との戦闘の経験さえも、外傷の快復と同時に、忘れ去ってしまうだろう。従って、クレがこれまでにこのような行為をモヨコに対して何度繰り返していようとも、この携帯獣は先ほどまで確かに、身も心も一切の穢れを知らぬ初心(うぶ)であったし、普段から主人(おや)によって陵辱されているなどという事実を知るよしもない。そればかりか、このあと人工子宮によってもう一度産まれるモヨコは、これ以降も永久的にそうありつづけるのである。
 脳髄を損傷したモヨコが返す目新しい反応にクレは夢中となり、次々と傷口を変えて、おびただしい量の放尿を冒していく。主人に対する反抗的な態度を、調教しなおすという回りくどい方法ではなく、より直接的な行為によって逆襲し、動物を徹底的に支配する。それはクレになんとも言えない飽和的な悦楽を呼び起こす。モヨコの全身の傷口から、モヨコの血液とクレの尿とが交じり合ったものが流れ出て、少年自身もそれにまみれていく。彼は思いついて、合口(ナイフ)を拾い上げ、モヨコのとろんと白目を剥いた眼玉の片方を抉っり取って、出来上がった窪みに尿を流し込んでみる。モヨコは自分が何をされているかも分からないようで、ただ口をぱくぱくと開閉させながら、相変わらず品の無い喘ぎを不随意に繰り返すばかりである。少年は続いて、モヨコの破れた頭皮を剥いて、割れた卵の殻のような頭蓋骨を剥がし、薄皮を破り、その奥の柔らかな襞(ひだ)に尿道を深く食い込ませると、その脳髄をたっぷりと尿に浸らせてやる。すると、モヨコの眼孔から真っ赤な尿、あるいは涙がいっぱいにこぼれ落ちる。このような働きかけを行ってもまだモヨコの息があることを確認して、彼はようやく冷静さを取り戻すことが出来る。
 闘獣は観客に恐怖を与えると同時に、闘獣士の闘争本能にも火をつける。観客が注視するのは、動物が今にも殺されようと言う恐怖であるが、当の動物とそれを指揮する闘獣士は、自発的に相手を殺そうという狂気に曝露されることになる。お仕置きなどと自らを欺いてはいるが、これは決して動物に条件付けを行うものではなく、少年にとってその真意は、闘獣という非日常を完結し、穏やかで善良な一市民としての生活へ回帰するための、必要不可欠な行為であった。
 治療による動物の生命危機と再生の奇跡は、闘獣士自身の精神に対しても大きく影響する。携帯獣(ポケツトモンスター)とは、人間に所有される動物のことである。所有という概念のなかには、所有される存在の破壊ないし破棄が自動的に含まれているものである。この場合、その破壊とは、動物個体にとっての死にあたる。であれば、人間というのは現在所有する動物が死に至るまで、本当の意味でその動物を所有してはいないということになってしまう。何故ならば、人間がいかに厳密に動物を管理しようが、所有者の眼の届かぬところで、あるいは不本意な原因によって命を落とす可能性は、決して無くなりはしないからだ。すなわち、闘獣士がその職業生涯で幾度も経験することになる、動物が命の危機に瀕し、そこから瞬く間に快復するという治療の過程は、普段人間の無意識下に抑圧されてい破壊的所有欲というものを安全に刺激する一種の心理療法であり、死と再生による自己実現を代償的に執り行う魔法でもあるのだ。
 この魔法の作用に対する無意識的な理解が、楽屋という閉鎖的空間において、闘獣の試合後という日常と非日常の境界の時間において、少年にこのような行為を発現させたというわけである――
 あれ以降様々な経験を経て、現在リンゴという人間に調教を行っているクレは、あのモヨコに対する破壊的行為を今になって思い返したとき、どうしてそのようなことが出来たのか理解出来ないと思う。尊敬されるべき、誉れある職業についていたはずの自分が、一体全体信じられないような蛮行を働いていたものだと自責する。
 しかし同時に、そのときは他にどうしようもなかったのだと、自らをなだめすかす。そうしなければ、反抗的なモヨコに付き合いながら、闘技場(コロシアム)という狂気に晒された場所と、日常とを、健全に行き来することなど到底敵わなかったのだと。それにモヨコだって、どんなに酷いことをされても、治療(デコード)の後には、何事も無かったかのようにけろりとしていたものだ。
 あれを差し引いても、闘獣士としての生活は栄光に輝いた、満足すべきものだったはずだ。ならばいっそのこと、これからもう一度闘獣への出場を目指してみるというのはどうだろうかと、クレは一案する。どうせならば、今馴致しているリンゴをそのまま闘獣向けに調教して。過去の行為は、過去の考えの反映である。現在、未来に自分がどのような働きをするかは、その時考えて決断するものだ。クレは今、携帯獣に対してもっと健全に接しなければならないと考えている。それを行為に昇華させるためには、再び闘獣に携わるしかない。そして、後悔を晴らし、社会復帰を果たすためにも、現在調教しているリンゴ、将来闘獣で使役すべきリンゴに対しては、必ずそうしなければならないと、強く心に決めるのだった。

 一般的に、野生動物というものは、捕食ないし伴侶獲得に関わらない闘争に対して、全力を注ぐことはない。縄張り争いや、権力闘争など、野生環境でありうるこれらは、必ず他方の逃走という結果に終わるし、多種間の接触は捕食関係でも無ければそもそも始めから避けられる傾向にある。お互いが全力で殺しあったならば、仮に相手を殺害できるにせよ、こちらが不用意に傷害を受ける可能性も高まる。結果的にそれは動物にとって何の利益ももたらさない。従って闘争本能というものは、食欲と性欲に深く関連付けられたものであり、闘獣(ブラツドスポーツ)における動物同士の殺し合いは、これの例外に当たる。
 こういった動物の性質は、条件付け(コンデイシヨニング)を応用する調教においても障害となり得る。だから、闘獣のための調教においては、これを克服するために、脱感作(エクスポーザー)と呼ばれる手法を用いる。すなわち、動物の持つ闘争への生理的な嫌悪感を、それが比較的少ないところから順番に曝露させ、徐々に慣らしていくのである。
 リンゴに対し、闘獣を見据えた調教を開始したクレは、手始めに初歩的な攻撃の概念を少女に覚えさせる。何ら変哲の無い球(ボール)を与えて、殴ったり、蹴ったりさせて遊ばせるのである。それはリンゴにとって久しぶりの娯楽であったためか、とても楽しんで没頭している様子が窺える。クレはこの最中必ず、「どう、どう」という掛け声を発し、リンゴに聞かせ続ける。この掛け声と、球(ボール)を殴ったり蹴ったりする行動とを、条件付けしておくのである。
 次に、動物の縫いぐるみをリンゴに与えて、自由に遊ばせる。ここで縫いぐるみが絶対に安全であることを学ばせ、動物の姿に少女が緊張しないようにしてやるのである。当然ながら、リンゴの場合は、監禁以前の経験によって縫いぐるみが安全なものであることを始めから知っているから、少年が縫いぐるみに何ら仕掛けを施していないことを確認すると、すぐに膝に抱いたり撫でたりして遊び始める。あるいは省略してもよい行程ではあったが、クレは調教の習慣を意識して取り入れた。少女が縫いぐるみに慣れ、しかし愛着を持たない頃を見計らい、彼女にこの縫いぐるみを殴ったり蹴ったりする遊びをさせる。もちろんここでも、「どう、どう」という掛け声を聞かせてやることを忘れない。縫いぐるみに対する固定観念から初めのうちは戸惑いを見せたリンゴも、「どう、どう」という掛け声が何かを殴ったり蹴ったりする遊びの合図なのだと理解し、次第に躊躇せず遊びに没頭するようになる。
 そうした頃、ようやく実践的な攻撃方法を覚えさせる段階に入る。縫いぐるみの首を絞める。眼を潰す。投げ飛ばす。急所を狙って蹴り上げる。時には退く。こうした型を、命令語に条件付けて、何度も行わせ、芸(わざ)として覚えさせていく。また、縫いぐるみを様々な種類の動物のものに変えて、慣らすとともに、動物に対して種類ごとにどのような攻撃が有効かを覚えさせる。何事でも、練習は本番のつもりでというのが基本である。将来的には、調教室ではなく闘技場(コロシアム)で、縫いぐるみでなく生きた動物を相手に格闘しなければならない。人間であれ動物であれ、そういった環境の違いというものには、初め緊張を示してしまうものだ。このような型通りの反復練習と、「どう、どう」という決まった掛け声というのは、そういった場合でもきちんと本領を発揮できるために重要なのである。
 これと同時にクレは、今まで調教室に併設された小部屋、普段は少年が寝室として使っているそこにしばらく放置していた、もともとのリンゴの荷物を漁る。その中から、大量の洋菓子(チヨコレート)が出てきたときには、少年は呆れ返ると同時に、くすぐったいような、何とも言えない気持ちになってきて、少女のことがたまらなく可愛く思えてくる。とかく、彼女は始め、動物捕獲の以来を受けてここへやってきたわけで、そこにはもちろん捕縛師(ハンター)の装備とともに、捕獲された動物が含まれている。それは、彼女の弾帯(ガンベルト)に装着された、蓄積管(モンスターボール)という形でだ。
 蓄積管(モンスターボール)、正しく蓄積記憶管とは、動物を管理、携帯するために用いられる装置である。元来電算機(パソコン)の外部記憶装置であるそれは、形態としては真空管の一種であり、動物を情報(データ)の状態で収容する。粗暴な動物であれ、巨体を現す動物であれ、小さな蓄積管に入ってさえいれば、取り扱いが容易になる。人間に使役される動物が、携帯獣(ポケツトモンスター)と呼び習わされる由来である。動物が蓄積管へ収容、及びそこから出現するという仕組みは、動物の習性に頼ったもので、そこには人工子宮(アーカイバ)による治療(デコード)と同じ、心理遺伝(ラマルキズム)の一作用が関わっている。刻印付け(インプリンテイング)が成立するのは、正確には動物が蓄積管から初めて出現するときであり、従って刻印付けとは、本来野生環境において出生直後の幼生が保護者たる親を学習するための習性ではないかとも言われる。
 リンゴの荷物の中で、動物の入った蓄積管は全部で五つ。そのうち一つは、少女が捕縛師として狩猟の際に使役される携帯獣だから、彼女が生け捕りに成功した獲物は四頭ということになる。クレの脳裏に強烈な焦燥感がよぎる。もしこれまでに少女を調教することでその喜びと充実とを思い出していなかったならば、けだし蓄積管を用いたより実際に近い動物の使役をこれから行うことに、彼は耐えられはしなかっただろう。少年は蓄積管から四頭のそれぞれ違う種類の動物を出現させ、すみやかに刻印付けを成立させる。野生の動物を捕まえた直後は、まだ遺伝子(アーカイブ)の複製(バツクアツプ)が行われていないから、当然ながらその動物をすぐに人工子宮で治療するというわけにはいかない。その点、リンゴはやはり正規(プロ)の捕縛師で、これら四頭の動物は、捕縛師に伝わる奥義(ひでん)によるものか、極力傷つかない方法で捕獲されていた。
 一頭の動物を選び出し、一切身動きが出来ないよう、全身拘束する。これを、縫いぐるみとの格闘に慣れたリンゴに、縫いぐるみの代わりとして与えてやる。クレが「どう、どう」という掛け声と、命令語を発すると、少女は反復練習した芸を、抵抗できない生きた動物に繰り出す。今一度、練習は本番のつもりで、そして本番は練習のつもりでが基本であると述べるに値する。人間もまた基本的には闘争を嫌悪する動物であるし、リンゴも本来は動物に対して無意味な暴力を振るうような性質ではない。しかしここでは、反復練習と条件付けによって、まるで縫いぐるみを殴っているようなつもりで、生きた動物を全力で殴りつけることが出来るのである。こうして少女に、拘束された動物を自らの手で屠るという経験をさせる。ところが、動物の息を断つ肝心な場面において、彼女はわずかなためらいを見せた。
 リンゴは捕縛師として、これまでにも数多くの動物の命を奪ってきた経験があるはずだ。しかし、捕縛師は罠や小銃、携帯獣を用いて、自らが直接手を下さずとも獲物の命を仕留めることが出来る。一般的に、闘争への抵抗感はその距離に反比例して弱まる。至近距離で首を絞めるよりも、遠くから小銃で眉間を撃ち抜く方が容易なのである。恐らく捕縛師は、祖先たる狩猟民族の時代から、人間が持つ殺害への抵抗を知っていて、それを回避する技術を養ったのだろう。一方、素手による殺害は、性的距離で行われる。肉食動物の場合ならば、それは捕食の距離でもある。人間の戦闘は原初の時代から、槍や弓という武器の間合いで行われるものだった。そのため、人間には素手による殺害で得る満足は存在せず、それはすなわち性行為の暴力的な失敗に他ならない。リンゴのためらいは、ある意味では、運命付けられた失敗なのである。
 拘束の無い、リンゴに反撃を加えるような動物と戦う訓練を行う際にも、たとえ少女自身に危険が降り掛かろうとしているその刹那であっても、彼女はどこかでためらいを見せる。何より、抵抗する動物の命を奪うことが辛いらしい。少女のそういう態度を、しかしクレは決して叱らなかった。野生で培われた凶暴性にリンゴが倒れ伏したときでさえ、勇敢に戦ったことをクレは目いっぱい褒めてやるのだ。そうすることで、動物を殺したことは、正しいことだったと教えてやる。何より、それが楽しい遊びであると、少女に認識して欲しいからだ。そこには少年の過去の反省が活きている。
 そうしたことを繰り返していくうちに、少女の殺害へのためらいは、だんだんに小さなものになっていく。しまいには、正確で無慈悲な攻撃によって、相手の動物を瞬時に屠り去ることが出来るようになる。縫いぐるみへの攻撃、身動きできない動物の殺害、危険な動物との闘争、順を追ってより本格的な戦闘状態に曝露せしめることで、少女のかつて健全だった感性は次第に麻痺していくのである。これがすなわち、脱感作(エクスポーザー)である。
 クレはこの訓練の仕上げとして、最後に一つだけ残った蓄積管、つまりリンゴの所有する携帯獣と彼女を戦わせることを思いつく。相変わらず面白い、素敵な思い付きであると思う。
 その動物は気味の悪い、醜悪な容姿をしていた。短い脚が横腹から幾つも生え、背中にはおびただしい数の疣(いぼ)と鋭い刺(とげ)、始終ぬめっている皮膚は赤黒い。リンゴの使役するこの携帯獣を、クレはよく見知っていて、簡単な命令を与えることが出来る。だからこの異形の動物に、クレが元の主人(おや)との戦闘を命令したとき、それはひどく混乱した様子だった。そして少女もまた、かつて使役していたその異形の動物を前にしてはなはだしい戸惑いを示すのだった。しかし、クレの鞭打ちを伴う戦闘命令を受けたとき、とっくに脱落した感性と、反復練習の記憶の働きによって、少女はこの異形の動物を攻撃するほかはないのである。絶対服従を誓った主人に対して一切の反抗を示さない異形の動物を、リンゴはその手でもって破壊させめていく。反撃が無いとはいえ、やさしく殺してしまったのではつまらないし、闘獣という見世物としても好ましくない。クレは異形の動物が致命傷を受けぬよう注意して少女を指揮する。涙を流しながら自らの携帯獣をいたぶるリンゴ。その手の感触は、いつぞやに優しく愛撫したものと同じだろう。その耳に響くのは、いつぞやに可愛く甘えてきたものと同じだろう。皮を剥ぎ、肉を絶ち、内臓(はらわた)を引きずり出す行為はしかし、最近の訓練と同じものなのだから、少女には平気なはずだろう。そうしてリンゴは、ついに自らの使役する携帯獣を屠ると、途端に激しく嘔吐し始める。いまだにはめられた猿轡(ギヤグ)の隙間から吐瀉物を噴出す様はなかなかに滑稽で、クレはそれを嘲るのだった。
 脱感作。長い監禁生活の中で、少年の感性もまた、麻痺してきている。彼は、自らが調教師(トレーナー)として驕りなく正しい調教を一貫して施していることを信じている。一方で、当初のように少女への行為に関して有罪感を抱くことが、無くなってきていることに、気づいてもいる。
 リンゴはいい調教師だったんだなと少年は思う。動物は一般に、相手と近縁であるほど、自分と近い姿をしているほど、殺害の抵抗が増す。それが、相手に親近感を持ってしまうためであるならば、彼女が自らの携帯獣を殺したことを傷ましく感じるのも頷けよう。闘獣士(ビステイアリス)とその携帯獣は、戦場で命を預け合う間柄であるから、そこに倒錯した一種の恋愛関係のようなものが生まれてしまうことがある。捕縛師として時に命をやり取りする現場にいたリンゴもきっと、その異形の動物を、たかだか動物であるそれ、それでも愛してしまっていたのだろう。そんな少女を、少年はたくさんに褒めてやることにする。飴(ポロツク)を与えてやるし、彼女が喜ぶなら一度使用を取りやめた刺戟交信機(ワザマシン)で慰めてもやる。何より、それが楽しい遊びであることを、少女が認識して欲しいからだ。
 それ以来リンゴは、動物を素手で殺害することに一切のためらいを見せることは無くなった。

 鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)。鷹の幼鳥(オニスズメ)が飛べるようになり、狩りを覚える頃である。クレがリンゴを養成所(ジム)の一室に監禁し始めてから、七ヶ候が経過していた。
 調教室に篭もり、こうして充分に調教したリンゴを、次は外に連れ出すために、少年が猿轡(ギヤグ)を取り外す訓練を開始しようとしたとき、ここに驚くべきことが判明した。クレははじめ、リンゴの猿轡を外せば、何か恨み言の一つでも言われるものだと考えていた。「私は動物じゃない」とか何とか言おうものなら、即座に引っぱたいてやろうと考えていた、それなのにである。彼女は実際には、「ああ」とか「うう」とかいう、白痴じみた呻き声しか発しなかったのである。それはどうやら、意気消沈した溜め息とかいったような咄嗟のものではなく、何らかの意思表示を代行するためのものであって、それ以外の音声を一切用いることが出来ないといった様子らしかった。しばらくして少年がもう一つ気づくのは、彼女が充分にくつろいでいる場合に限って、たとえば自分の主人(おや)に甘える際に「クレくん、クレくん」とか「もっと、もっと」、あるいは「うれし、うれし」「すき、すき」とかいった片言のような言葉をつぶやくことがあるということだ。その一方で、どう優しく諭しても、または暴力的に脅迫したとしても、決して理性的な言語みたような言葉を発しないということである。鞭や命令語では無く、戯れに人間の言葉で何か指示をしてみると、これについては明晰な理解を示すようだから、けだし知性が衰退したという事ではないらしい。
 これらの事実を鑑みてクレが推測するに、監禁当初、少女が反抗的な態度をとっていたときに、彼女は何か言葉を発していた、猿轡の機能に妨害されつつ、発しようとしていたのだろう。少年はその都度決まって折檻を行っていたわけだから、少女は反抗的な態度なるものと同時に、言葉を発するという行為それ自体も、少年から与えられる苦痛に条件付けて学習してしまい、結果的に弱化されていったのではないだろうか。そうして、少年と少女の親密な触れ合いの際の、リンゴが少年に甘えて不意に発していたごく一部の言葉のみが、叱られることがない言葉、苦痛に条件付けされない許可された言葉として、このように取り残されたというわけだ。予期しない結果ではあったが、少年にとってはあまり問題ではなく、大人しくてよい、むしろ好ましいものであるはずだ。それなのに彼は、一抹の寂しさを覚えてしまう自分を、訝しく感じる。
 この頃すでにリンゴは、幾多の戦闘訓練によって、多くの身体障害を抱えていた。戦闘訓練に付随する外傷は普通、人工子宮(アーカイバ)を用いて容易に治療(デコード)される。しかしそれは動物の場合のことであって、リンゴは外傷を負うたびにそれを自らの身体に蓄積し、そのつど少年の救急によって一命を取り留めるものの、次第に身体機能を失っていった結果、ついには日常生活を誰かしらの介護無く送ることすら出来なくなっていた。少年の助けなく生きていくことすら不可能なリンゴが、闘獣(ブラツドスポーツ)に出場することなど、どだい不可能といえる。このような不始末の責任は、調教師(トレーナー)であるクレに科せられるべきであろう。なぜなら、彼らのこれまでの関係において、少年は常に主体であり、少女は常に客体であったからだ。少年が少女をどう取り扱おうが自由であると同時、その取り扱い上の責務はすべて少年が負うものである。他方、少年が少女を無闇に傷つけなかったということもまた事実である。だから、このような状態の少女の世話をなおも放棄せず、闘獣への出場という目標を放棄しても、少女を生かし続けようとする少年の気概は、大変に紳士的態度であると言えよう。しかしその一方で、少年の脳裏には自責の念が一抹存在しうる。自分は少女のことを虐げてしまったのだ、性懲りも無く酷いことをしてしまったのだと、どこか思い塞いでしまうのである。
 それにしても人間というのははなはだ不便なものだとクレは思う。刻印付け(インプリンテイング)の習性が無いために、馴致に際して面倒な擬似刻印付け(デイペンデンス)を必要とした。心理遺伝(ラマルキズム)が作用しないために、人工子宮による治療も行えない。これらは他の現生生物と比較したとき非常に特異で、人類という種がむしろすでに絶滅(けつばん)した種類の、古生物学的特長を有することを示している。
 何より、人間が蓄積管(モンスターボール)に入らないという点で、クレは不便を感じる。少年がかつて所持したモヨコという携帯獣(ポケツトモンスター)も、蓄積管に入ることをひどく嫌がって、彼を困らせたものだ。モヨコの場合は、その反抗的気質の現れの一環であったかも知れないが、そうでない場合でも、まれにそういった性質を現す動物がこの世界には存在する。動物の蓄積管への収容は彼らの本来的な性質であるのだが、何故一部の動物がこれを忌避するのか、大きな謎である。そのために、そういう動物を手懐けられないことは、調教師の才覚の不足するところと看做されて、その所有者はおおむね偏見に晒されることが少なくない。闘獣士(ビステイアリス)として世間体を考慮する必要のあった現役時代のクレは、モヨコの種族柄の容姿を見込んで、外出時にはモヨコを人間に変装させることで、これを回避するようにしていた。クレの故郷である本州(ジヨウト)ではむしろ、連れ歩きなどと称して、不要な時でも動物を蓄積管から出して行動を共にすることが、一時期流行の兆しを見せたこともあった。だがこれは他地域においては不潔とされることが多いし、特にここ九州自治区(ホウエン)においてはそもそも法律で禁止されている。その抑圧が倒錯を生むのか、動物服飾家(コーデイネーター)、特にその中の動物偏愛主義者は、動物に人間のような衣装を着せることを好む。クレはこれを軽蔑するのだった。ことモヨコと同じ仲間は、小柄ながらなまじ人間と同じ衣装を着付けられるために、少女人形(ベルメール)と蔑称されるのである。
 少女の首輪(ボールマーカー)にぶら下がった鈴がちりんと鳴って、運転士が怪訝そうな顔をする。リンゴを家に連れ帰るために、クレは彼女を人間に変装させて、公共交通機関に乗り込んだのだ。
 市内(トウカシテイ)から、クレの父親の実家のある田舎町(ミシロタウン)に向けて発車する蒸気自動車(バス)。少年は蒸気機関というものがあまり好きではない。単に乗り心地が悪いというだけではない。確かな技術を持った調教師が正しく調教した動物だからこそ、様々な仕事を任せられるのであって、それを機械的な動力に頼るなどというのは、調教師の端くれとして、どこか侮辱されているような気分になってしまうのである。使役動力が工業化社会を育んだというのに、工業化の果てに得たのが、使役動力より信用に足らない蒸気機関とは、なにやら皮肉が過ぎるのではないだろうか。ところが、こういった田舎町を結ぶ路線では、資格(バツヂ)を所有する正規の調教師の慢性的な不足もあって、公共運輸の使用に耐える性能のいい使役動力はなかなか回ってこないのが実情なのである。だから、その代替として発明された蒸気機関が、主に自前の携帯獣を持たない住民のために充用される。
 蓄積管(モンスターボール)への収納、刻印付け(インプリンテイング)、人工子宮(アーカイバ)による治療(デコード)、心理遺伝(ラマルキズム)、そして自由意志の欠損。なぜ人間と他の動物とは、これほどまでに多くの差異があるのか。なぜ動物は、これほど人間にとって都合のいい存在であるのか。クレは確かに蒸気機関が好きではない。しかしそれでも、使役動力にまったく頼らなくてもいい世界があったのなら、それはいいなという風に思えてしまう。

 クレの父親の実家に舞い戻ってからの少女は、以前は彼女の領域であった台所を見ると、そのときの記憶がよみがえって来るようで、何かしら家事を手伝おうと身もだえするのだった。しかし今の彼女にしてみれば、それは大変な困難が伴うもので、その試みの大概は失敗に終わり、結局はクレの手を焼くことになるのである。
 少年は今では、外食や買い物にだって一人で行くことができる。掃除や洗濯は、そもそもあまり必要でないから別段しなくても問題がない。もともと彼はそうして暮らしてきたのだし、モヨコを失ってからの短い間、少女が勝手にそれを請け負ってきただけのことである。
 クレは少女の不要な行いを止めさせようと努めるのだが、それが自分に何か世話を焼くことで忠誠を示そうとするリンゴなりの態度であることを理解するにつれ、彼女を不憫に思う自らの感情にいささかの違和感を覚えるようになる。
 それに加えてリンゴは、夜になると独りでむせび泣いていることがあった。自らの携帯獣(ポケツトモンスター)をその手にかけたあとだって、このようなことは無かったのにである。これが少年の安寧な眠りを妨げて、クレを苛立たせる。
 危険な闘獣(ブラツドスポーツ)にも出さず、こうして穏やかに過ごさせてやってるのに。生活どころか、用を足すことも、食事をすることも一人でできないリンゴをそれでもなお気遣って、主人自らが世話を焼いているというのに。今になってどうしてこれほど少年を苦しめるのか。
 絶対服従(まつろいしたがわばむかいたえなまし)。しからずばこれいずくんぞ獣たらんや。
 とある深夜の出来事である。件の耳障りな夜鳴きに目覚め、クレは少女を強く抱きしめてあやしてやる。リンゴもまた、少年を求めて身を寄せる。そうした最中、クレは少女のこれからと、自らのこれからを案じ、その暗い想像に心を震わせる。こんなはずではなかった。人間を調教するという試みは、かねがね上手くいっていた。それなのに、調教技術を復習し他の動物へ応用するという目標も、闘獣に復帰するという夢も、いまだ遠くかなわない。社会復帰の目処は立たず、不随意な一匹の動物に執着し、こうしてふしだらな関係に身を留め置く。自分はなんて憐れなのだろうかと嘆くのである。どうしてこうなってしまったのか。何故自分はリンゴを調教するなどということをし始めたのか。そうして少年は、自らの両手を、おもむろに少女の首に重ね合わせ、締め付け始めるのである。彼女の首は、少年が少し力をいれただけで折れてしまいそうなほどに細く、弱々しい。そういえばこの少女はこれほど痩せっぽちだったろうか、果たして胸の肋骨(アバラ)が浮いて見えるほどに。少女は少年のこういった行為に抵抗を見せなかった。それどころか、その手をそっと伸ばして、覆いかぶさる少年の頬を優しく包み、たおやかな、柔らかな笑顔を浮かばせるのだ。次第に血の気の失せていくその少女の顔。だしぬけに、その身体が躍動し始め、けたたましい痙攣運動とともに、少女が失禁する。少年がそれでもなお強く彼女の首を締め続けると、少女の顔はだんだんと鬱血しだし、目蓋はこれ以上あり得ないくらいに見開かれ、眼球が半ば飛び出す。少女の手が、少年の腕を引き剥がそうと、忙しなく暴れだすがすでに遅く、そこには力が入っておらず、すぐに脱力してくたりと落ちる。途端に増した重みを支える少年の手はなおも容赦なく少女の首に喰らいつき続ける。彼女の大きく開いた口から長い舌がだらりと垂れる。そしてわずかな痙攣も消え、反射も無くなる。見開かれたままの眼に、異様に暗い瞳がへばりついている。とうとう動くことを止めた少女の痩せ細った身体を、まじまじと観察していたときであった。少年の脳裏に閃光が走り、過去現在の経験、知識が互いに関連し、体系付いて、一種の情報宇宙を創造するのを感じる。自責、後悔といった個人的感情から、闘獣士(ビステイアリス)に伝わる因習、それに人類の業と自らが働いた蛮行の数々が有機的に結びつき、衝撃的なある一つの仮説を確信するにいたる。
 闘獣(ブラツドスポーツ)は古代の欧州連合(フカハイ)で始まり、独立前の九州(ホウエン)に伝わった。育て直し(サブステイチユシヨン)というのは、欧州(フカハイ)がまだ都市国家の集まりであった時代から、闘獣士に伝承されて来た風習である。彼らの信仰によると、動物というのは必ず同じ種類の動物に生まれ変わるのだと言う。だから、同じ種類の動物をさらに強く育てることが、死んだ動物の供養になると信じた。死んだ動物の兄弟、直系の子孫、傍系、時にまったく別の血族集団から、あるいは複雑奇怪な儀式を執り行ってまで、彼らは生まれ変わりを探した。それは、現代の育種家(ブリーダー)が行うような心理遺伝(ラマルキズム)の、経験則敵な理解と実践であると言われる。
 九州(ホウエン)に闘獣が伝わったのと時を同じくして、この育て直しの風習もまた、ここ九州(ホウエン)に伝わった。しかし当時の九州人はこれを、切支丹伴天連(フカハイジン)の幻魔術(ドグラマグラ)と呼んで、恐れを抱いた。文化的価値観の相違が、この風習を拒んだのだ。ところが、やがて九州(ホウエン)でも盛んに闘獣が行われるようになると、いつの間にか、育て直しの風習は彼ら九州人にも受け継がれるようになったのである。
 北東亜州(シースフイア)や、亜米利加合州国(メガフロート)の旧本土には、獣送り(ベアセレモニアリズム)と呼ばれる種類の祭りが、主に狩猟民族の間で広く分布していた。これもまた、動物の生まれ変わりを示唆するようないわれを持った風習である。彼らの世界観では、動物、特に人間に狩られる動物というのはある種の精霊であり、精霊の世界から人間のために肉や毛皮を運んできてくれる善い精霊である。彼らは、動物の幼生を捕まえると、村に連れ帰り、供物を与えて育てる。動物が肥え太り、大きくなると、今度は村中で引き回して殺害し、これを丁重に祭る。こうして動物は、人間からの供物を携えて、精霊世界に戻る。人間が精霊に感謝し、精霊世界と交流するための儀礼であるという。
 遠く蝦夷州(シンオウ)にもまたこの儀礼は伝わっていたようで、食料として殺した動物が肉を着てふたたび戻ってくるという神話が残されている。
 旧奥羽州(キユウオウ)の狩猟民族にもまた、形式はいささか変化していても、やはり捕殺した動物を祭る儀礼が存在している。
 育て直し(サブステイチユシヨン)、獣送り(ベアセレモニアリズム)、いずれも動物の心理遺伝の原初的な理解だと考えられているものだが、このときクレは、そうではない、きっと別のものだという風に考える。
 生死を扱う職業に、ある種の信仰が発生するのは必然的な結果だ。太古の狩猟民族や中世の欧州人もまた、生命を酷使する職業であるために、このような風習を生み出したのだと、少年は理解する。そして彼らが、自ら使役し、捕殺する動物に対して、少年がモヨコに対して抱いたのと同じように、あり得ざる人格を見てしまったのだとしたら。一度主体としての性質を現した動物を、人間はそれまでのように自由に取り扱うことが出来なくなる。何故なら人間とは本来協調する性質のものであって、これを侵す心理負荷は人間性を破壊していくものである。だからそういったとき、死んだ動物の魂の救いを、それを発見してしまった人間の精神の禊ぎを、必要としたのだ。寓話を演出し、動物を神格化する、主体と客体を矛盾なく統合する。すべては人間が自らに脱感作を施し、その行為を合理化、すなわち本来の行為を否認する過程なのではないか。そうしなければ、人間は自らの行為に疑いを抱き、精神衛生を汚し、つつがなく健常な生活を送ることが出来なくなってしまう。これを快復するために必要とし、自然発生的に創造されていったのが、育て直し(サブステイチユシヨン)や獣送り(ベアセレモニアリズム)といった儀礼の数々だったのではないだろうか。生活上無くてはならなかったからこそ、これらの儀礼は文化的侵略を除け、むしろ他民族にまたがって、広く伝承されていった。それは、動物の生死を扱う人間が必要とし、紡ぎだした基層文化、死と再生の儀礼、堂巡り目眩み(ピカピカ)の魔法だ。
 モヨコは子孫を残していないし、血統も不明だから、クレは育て直しをしなかった。その身代わりとして、少年はリンゴという少女を調教した。クレがモヨコの死を自然に受け入れるためには、そうするより他になかった。何故なら、モヨコは、少年にとってあまりにも人間的過ぎたからだ。闘獣士としてそれを調教せざるを得なかったクレは、そのために精神に大きな傷を負ってしまった。脱感作は、人間や動物の精神を一時的には保つが、しかし必ずどこかでは分かってしまうもので、いつか必ずそれは姿を現す。亡霊となって、残された人間の枕に立って、責め立てるのである。
 少年が、調教師(トレーナー)の基層文化の構造と役割を実践的に理解し、一種の悟り(オルガスムス)に達して放尿する。少女の骨ばった亡骸が濡れていく。その尿が細かく粟立ち、尿道を通っていくのを少年が感じるとき、その意識は真っ白な酸欠の闇の中をたゆたい、自らが犯した行為の意味を噛み締めるのである。多幸感(ユーフオリア)が少年を包み、喘ぎ声まであげながら、涙を流す。
 絶対服従(まつろいしたがわばむかいたえなまし)。しからずばこれいずくんぞ獣たらんや。少年はモヨコを動物としてではなく、人間として愛してしまっていたのだ。そして彼は、リンゴではなく、あのモヨコと、いつか主体性を発見したモヨコと、どうしてももう一度会いたかった。たまらなく、会いたくてしょうがなかったのだ。
 クレのそうあれかしという願いに応えたのだろうか。古生物(けつばん)の末裔、あるいは嬰児たる人類の一人、リンゴという少女はこうして死に果て、醜い骸を破り去り、モヨコへの羽化(シンカ)を果たしたのである。

「クレくん、クレくん」よみがえったモヨコが朗々と喋りだす。
「そんなに悲しまなくていいの。そんなに苦しまなくていいの。そんなに悩まなくていいの。そんなに自分をいじめることはないの。あたしたち動物はね、条件付けで突き動かされてるわけじゃないのよ。鞭でびしゃりとぶっ叩かれるのが怖くっていうことをきくわけじゃないのよ。いいこいいこしてもらいたくって、お利口さんにしているわけじゃないのよ。
 それはね、あたしたちがね、あんたたち人間をとってもとっても愛しているからなのよ。動物はみんな、人間に出会っちゃうと、あんたたち人間のことが好きで好きでしょうがなくなっちまうの。全部をあげてもいいって、そう思えるのよ。痛くされても、傷つけられても、捨てられても、あんたたちのことが大好き大好きでたまんないの。人間の役に立ちたい、あんたたちにしやわせになってほしいって願うの。あたしだってそうなのよ。あんたにもうぞっこんなの。そりゃクレくんはおっかなかったりもしたけれど、優しいときのクレくんはあたし大好き。
 でもあんたたちは、そんな自分たちが許せないのよね。動物を自分の都合で使っているように思えて苦しいのよね。自分たちはたくさん助けてもらってんのに、動物には何にもしてあげられないから、悔しいったらないのよね。でもあたしが死んだのは仕方のないことだったのよ。だからね、クレくん。ぜんぶぜんぶ許してあげるよ。クレくんのこと、あたしは許してあげるよ」
「俺には許される資格なんてない。君にひどいことしたんだ。リンゴだって壊してしまったんだ」
「ううん、違うの。そんなことどうだっていいことなの。あたしたちにとってはどうだっていいことなんだから。だって、しつようだったんでしょ。クレくんがあたしに優しくしてくれるために、しょうがなかったんでしょ。だから別に、かまわないって思えるの。それは人間だっておんなじなの。リンゴちゃんも、クレくんのことがだいだい大好きなの。ずっと離れたくないって思ってんの」
「それは条件付けだ、擬似刻印付けだ!」
「たしかに条件付けかもしんないわ。でもいいの。だってこんなにしやわせなんだから。誰かを好きって思える気持ちって、それだけで素敵なもんでしょ。あたしたちのことを可愛そうだなんて思って、そんな了見がいけないわ。惨めだなんて勝手に決めつけて、あたしたちをはずかしめちゃいけないのよ。それはわたしたちにとってすっごく残酷なことのよ。あたしたちがあんたたちを好きって気持ちを、嘘にされちゃうなんて悲しいのよ。
 ねえ、じゃあ、あたしが本当にしやわせだったってこと、教えてあげましょうか。
 あたしがお母さんのお腹の中から生まれてきて、辛いことも悲しいことも、裏切られたって思ったこともあったわ。でもいつからか、クレくんが一緒にいてくれたから、寂しくなんてなかったよ。あんたと出会えて、クレくんと出会えて、あたし本当にしやわせだったの」
「うん、うん」
「ねえ、覚えてる? 初めての闘獣試合の時のこと。あたしは腕と足が千切れて身動きできなくて、お腹からはいっぱい内臓がとびでてきちゃって、本当はもう審判が瀕死って判定をださなきゃいけないはずなのに、相手は今にもあたしを噛み殺そうとしていて。その時クレくんたら、とつぜんあたしの前に飛び出してきて、必死にかばってくれたの。それってばかだよクレくん。あたしはどんな怪我をしたって、死んでさえなければすぐに治療できるのに。あたしそのあとクレくんにいっぱい酷いこと言ったわ。最低よってののしったわ。でもね、あたしその時本当はとってもとっても嬉しかったの。あんまりにも嬉しかったものだから、ちょいと素直になれなかったのよ。クレくん、ほんとうにごめんね」
「うん、うん」
「クレくんはあたしに歌を教えてくれたよね。本州で流行ってた歌だよって言って、たくさん。あたしちゃあんと覚えていて、今でも歌えるのよ。歩き続けて何処まで行くの、ってね。
 それからあたしをいろんなところに連れてってくれたわ。ほらあすこ、空の柱って素敵よね。世界がほろんでも残るだろうなんて。永遠だなんて、うふふ、笑っちゃうけど、うん、とっても素敵」
「うん、うん」
「それからね、それからね、クレくんはいろんなものをいっぱい食べさせてくれたわ。動物がふだん食べられないようなものでも、クレくんたら、君は人間みたいだからばれないよう、なんて言って、あはは、買ってくれたの。本当言うとね、それってあんまりおいしくなかったの。でもね、そのときはうれしくって、すっごくおいしく感じたの。ほんとよこれ」
「僕は君が好きだった。甘いお菓子(ポロツク)あるんだよ。食べるだろう。人間みたくお洒落したいって言っていたよね。可愛い服をたくさん買ったんだ、君のために。着たいだろう。君は肌がとっても色白だから、きっとこの口紅が似合うだろって聞いたんだ。一度つけて見せておくれよ。闘獣が嫌なら、出なくたってかまわないんだ。もう鞭で撃ったりしないって、優しくするって約束するよ。だから」
「うん、ありがとう。ほんとにどうもありがとう。あたし嬉しい。
 嬉しかったの、嬉しかったのよ。この世界に生まれることが出来て。あんたと出会うことができて。本当のあたしはもういないけど、でもあたしとっても嬉しかったのよ。だからもういっぺん生まれてきたいって思ったの。クレくんともういっぺん一緒になりたいって、神さまにお願いしたの」
「だったら、ずっとここにいてくれ! 君がいないと駄目なんだ。お願いだよ!」
「大丈夫、これからもずっとずっと一緒だよ。しやわせなんだ、あたし。クレくん、嬉しい、あたし嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい……」

 クレは胎児のように丸まって、彼女の胸に抱かれ、眠りにつく。
 そうして少女は、少年の頭を優しくなで付けながら、満足そうな面持ちでこうつぶやくのである。「クレくん、うれし、うれし」





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