戻る
------------

33 サウィンの妖燈 朱烏


PDFバージョン 紙に2ページ分ずつ印刷して折りたたむと本になります 




 村の女の子たちが大きな切り株を囲んで、自分の家から持ち寄ったカボチャをその上に載せる。そしてカボチャの皮をナイフで好きなようにくり抜き、中身も綺麗に取り出す。カボチャはたちまち三角の目やぎざぎざの口をもった恐ろしい形相のカボチャ燈籠(どうろう)となる。
 サウィンに向けての準備は、十五歳にもなると流石に手慣れたものとなった。
 サウィンというのは、毎年秋の終わりと冬の始まりの境目の日に行われる祭事だ。
 季節は春、夏、秋と巡ったのちに、冬という多くの生き物があの世へと旅立つ死の季節がやってくる。生きるということは、その死の季節を乗り越えなければならないということだ。
 だから、季節の変わり目――特に生命を取り巻く環境が大きく切り替わる秋と冬の境目に、活力(エネルギー)をもらう。
 どこから?
 大人たちが口を揃えて言うことには、季節の変わり目はこの世とあの世の境界が開く。その際に、あの世から活力を頂いてしまおうという魂胆らしいのだ。
 サウィンなんてちょっとカボチャに灯を点したり仮面を被ったりして、あとは司祭が長ったらしい呪文を唱えるのを聞くだけのつまらない祭事だと思っていた。しかし実際は祭りというよりは儀式であり、大人たちは子供の見えないところで随分と仰々しいことをやっていたのだ。
「ねえティフー、見て見て! すっごく可愛くできたよ!」
 隣の子が私のよりも一回り小さめのカボチャ燈籠を作って私に見せびらかしてきた。目は真ん丸、口は三日月のようで、鼻はどういうわけか尖っている。
「悪い霊を追い払うために作るのに、そんなの全然怖くない。作り直した方がいいよ」
「あんな怖いの作りたくないもん。それに怖い顔のカボチャがバケッチャになったら嫌だもん」
「バケッチャ……」
 私は顔を歪ませる。
 真面目に彼女をたしなめた割に、私はこの作業が大嫌いだ。その理由がバケッチャだった。
 無表情、黄色い目、あの世へ行けない魂がカボチャに入り込みバケッチャとなったという謂(いわ)れ。そして、魔除けであるはずのカボチャ燈籠が霊となるという矛盾。
 どれもこれも気味が悪いし気に食わない。しかし実際はほとんどすべて取ってつけたような理由で、最大の原因は十年ほど前にある。
 その年のサウィンが終わって、皆が家に帰ったあとのこと。私は祭りの終わった丘の様子を見に、両親が寝静まったのを見計らって家を抜け出した。
 なぜそんなことをしたのかは覚えていない。ただ一つ言えることは、当時の私は怖いもの知らずだったと言うことだ。
 カボチャ燈籠の明かりがぽつぽつと揺れる村の中を歩いて、何匹かのバケッチャも見かけた。楽しい気分だった。
 夜道は暗いが、明かりが見えれば安心――幼い私はそう思っていたはずだ。
 しかし、気づけば私はバケッチャに追いかけられていた。しかもそのバケッチャは当時の私の身長と相違ない大きさ。妖しい紫色の光を放ち、背中にぴったりとついてくるそれがトラウマにならないわけがない。
 バケッチャが追いかけてきた理由など知る由もないが、思い出すだけでもむかむかする。
 だから、私はバケッチャが大嫌いだ。
 さらにそのバケッチャの憑代(よりしろ)になりかねないものを自分の手で作っているのだから、ままにならないこの状況に嫌気が差す。
「いっ……」
 親指の先をナイフで切ってしまう。余計な考えごとをして集中力を欠いていたせいだ。本当にもう――!
 周りの子たちが次々とカボチャ燈籠を完成させていくのに、私だけはまだ作業の半分も終わっていない。
 いっそ隣の子に押しつけてしまいたかった。


 やっとのことでカボチャ燈籠を作り終え、私は幼馴染のグーンのいる場所へと向かった。
 グーンは男の仕事、つまりサウィンの舞台の準備をしているはずだ。もう終わっているだろうか。
 村の中心を通る一本道を真っ直ぐ進むと、緩やかな坂になる。その先の丘で、明日村中から人やポケモンが集まり、サウィンを行う。
 その丘は周りを直方体の巨石で囲まれていて物々しい。サウィンに限らず、何かしら特別なことをするときはその丘が舞台になる。ゆえに普段そこに近づく人は滅多にいない。
 特にサウィンの前後は、準備をする人間以外は立ち入らない。余計なものが入り込むと、この世とあの世の境界が不自然に歪んでサウィンに影響が出るらしい。
 巨石は私が生まれる前からすでに並べられていたものらしいが、どうやってあんなものを運び込んだのだろうか。エスパーポケモンの念力だって、相当数の力を束ねなければ動かすことすらできないだろう。
 坂を八割ほど上ったところで、グーンと思しき影が丘の上にいるのを見つけた。ほかの人はすでに準備を終えたのか、全く見当たらなかった。しかし、同時に私は眉をひそめて立ち止まった。
 グーンはことあるごとに大量のポケモンにつきまとわれる奇妙な特異体質を持っている。本人はそれを楽しんでいる風だが、グーンに用事のある人間からすればたまったものではない。近づくことすらままならないからだ。
 今回は――クレッフィだろうか。金属がじゃらじゃら鳴っているような音が、グーンに群がっている。数十じゃ済まないほどの数だ。
 私は坂を駆け上がり、グーンを呼んだ。
「グーン! ちょっといい?」
 すると、グーンに群がっていたクレッフィたちが一瞬で八方に散っていった。クレッフィの群れをかいくぐって行く手間は省けたが、これはどう考えても私がグーンを邪魔したことになる。だが、グーンは絶対に怒らない。
「やあ、ティフー。奇遇だね、こんなところで」
 開口一番、クレッフィに逃げられたことを全く意に介していないらしいことを告げる。独特な言い回しは嫌味にも聞こえるが、特異体質であるグーンに近づける人間はほとんどいないため、グーンは人と一対一で会うことを、滅多にない珍しいことという意味ですべて『奇遇』と称している。
 見た目も風変わりだ。この村に黒髪で碧い瞳をもつ色白な人間なんて、グーン以外にはいない。
 私はグーンに駆け寄った。息が少しだけ上がる。
「もしかして……邪魔しちゃった?」
「いいや。帰ろうとしていたのをクレッフィに引き留められてちょっと困ってた。しょうがないからクレッフィたちを色々とみていたんだけど」
「みてた?」
「言葉通りの意味だよ」
 グーンの言っていることがよく分からないが、グーンと話していると理解が及ばないことなんていくらでもある。気にした方が負けだ。
「でもグーンに群がっているのがバケッチャじゃなくてよかった」
「なぜ?」
 グーンは意外そうに目を見開く。藍色に染めたグーンのまとう麻布が、夕風になびいた。
「だって……」
 私は一瞬口ごもって、今日のカボチャ燈籠作りの最中に思い出したことを愚痴を交えつつ話した。


「へえ、そんなことがあったんだ。ああ、でも十年前に一度だけ君が家の中に塞ぎ込んで出てこなくなったときがあったね」
「そう、そのとき……って覚えてるの? 十年前だよ? 私たちはまだ五つしょ?」
「記憶に年は関係ないからね」
 グーンの頭の出来は相変わらずため息が出るほどだった。
「しかし、災難だったね。僕も昔はよくわけもわからずにポケモンに追いかけられてたよ。ただじゃれつかれてただけなんだけど、それを理解するのに三年かかった。もしかしたらティフーだってそうかもしれないよ?」
「ありえないよ、絶対に」
 グーンは自分が特異体質であることをわかって私にそんなことを言うのだろうか。
「まあ、とにかくバケッチャはサウィンの主役である大事なポケモンなんだ。バケッチャに限るわけじゃないけど、一度酷い目にあったからって嫌うのはよくない。出会っても無視したり素気(すげ)なくしたりするのは悲しい行動だ。何か誤解があったのかもしれないだろう?」
 グーンの理知的な碧い瞳が揺れる。
「誤解があってもなくても、私は怖かったの。それに主役? 祭りでその辺をうろうろしているだけじゃない。カボチャ燈籠のままでいてくれた方がほうが何百倍もいいよ」
 そう言って、カボチャ燈籠もほとんど効き目のないまじないだと普段から思っていることに気づいた。害になるか、ならないかの違いだ。
「……すべては均衡しなくてはならないんだ。バケッチャが何もしないということは、循環系は正しく動いているということだからそれでいいんだ」
 いきなり話が明後日の方向に飛んだ。循環系?
「陽が沈み、そして朝に再生する。一日の廻(めぐ)りだ。冬が明け、春、夏、秋、そしてまた冬がやってくる。これは季節の廻りだ」
 グーンが小難しい話をし始めると、何かきっかけがあるまで止まらなくなる。
「命も同じだ。寿命を迎え、冥界に旅立った魂は、しばらくするともう一度こちらの世界にやってきて己を宿す容れ物を探し、転生する。そしてまた寿命を迎えて魂が旅立ち、またこちらへ来て……と終わることなく繰り返す。これはものすごく精緻な均衡(バランス)の上に成り立っていると言われているんだ」
 あとどれくらいで元の話題に戻って来れるだろう。グーンの頭の中を覗かない限りは逆算など到底できそうにない。
「でもそんな幾多の循環系から外れるものもある。死んだにもかかわらずこちらの世界に留まり続ける霊とかね。ボクレーとかバケッチャみたいなゴーストポケモンがそれにあたる。逆にこちらに還ってこない魂もある。サウィンでの儀式のようにある程度人為的に向こうの世界のものを呼び寄せたり……サウィンが失敗して生命の多くがあちらに吸い取られたり」
「え? サウィンで人が死ぬの?」
 私は驚いて素っ頓狂な声をあげた。あんな地味で平和な祭りが生き死にに直接的に関わるなんて。
「考えてもごらんよ。この世とあの世の境界にある門を開くのに、活力だけをもらうなんて器用すぎるだろう? 悪霊だとか瘴気だとか、来てほしくないなものだって流れ込んでくる。カボチャ燈籠をあちこちに飾ったり、組み紐模様のついた仮面とマントで装ったりするのは、それらから僕らを守るためなんだよ。こっちがもっと怖いものを装って悪霊や瘴気を追い返すんだ」
 グーンは嬉々として魔除けの説明をする。碧い瞳がきらきらと輝く。
「まあ、それでも最近はそんなことはないけどね。技術が未熟だった頃はあの世とこの世の境界を大きく破ってしまったり、反対にまったく門が開かなくてサウィンが成功しなかったりしたみたいだけど、今は匙加減がしっかりしているから。クレッフィも手伝ってくれるようになったし」
「クレッフィ?」
 さっきの鍵束たちだ。そういえば、毎年サウィンでは、司祭の近くに何匹かクレッフィがいるのを見かける。しかし、クレッフィたちが何をしているのかはよく知らない。たぶん、儀式の最中に居眠りをしているせいだ。
「話を戻すけど、循環系から外れた存在には一部の妖精も含まれていて、それがクレッフィなんだ。その見た目の通り、鍵を司っている。玄関の扉とか、大切なものをしまっておく箱とか、何かしらの開閉にかかわるものの妖精であるわけだけど……この世とあの世の境界にある門の開け閉めにもかかわっているんだ」
「え、じゃあサウィンで見かけるクレッフィって……」
 グーンがさらさらとした黒髪を掻き上げる。
「今はほとんどクレッフィに頼ってる。門の開け閉めの調節も上手いし、何か問題があったら速やかに門の鍵を閉めてくれるからね。境目の門番。こちらに生きていながら冥界にも直接的に干渉できる不思議な存在。循環系から外れながらも、それを調整する存在なんだ」
 鍵束を象(かたど)ったような異質な姿のクレッフィに、そんな重要な役割があったなんて。
「循環系に沿っていても外れていても、美しく均衡を保つ。だから世界は永遠に廻り続ける……あ」
 グーンの目に理知の光とは別の光が点される。
「また長々と話してしまったね。いつもいつもこうなってしまって……本当にごめん」
 知識をひけらかしているわけでも、自慢げに語るわけでもない。ただ、純粋に興味のあることをつらつらと喋り続ける。そんな幼馴染の癖は、特異体質のことをなしにしても、他の人との距離を微妙なものにしていた。
 だから、グーンの話を相槌を打ちながら聞けるのは私ぐらいのものだ。たいていは私がグーンに愚痴をこぼすうちに語り手がグーンに移ってしまうだけなのだが、それでもグーンの話は大人のあやふやな話と違って具体的で面白いから、この状況が一番収まりがいい。
 本当はもっと一緒に話がしたい。どんなに一方的でも。
「もう陽が暮れてる。ティフー、そろそろ帰ろう」
「う、うん」
 それを直接言えないのが目下の悩みだ。遠回しなアプローチで鈍感なグーンが気づいてくれる確率はほぼないに等しい。
「僕はこのあとドルイダさんのところに行くよ」
「ドルイダさん? 何で?」
 また話が唐突に切り替わる。ドルイダさんは、この村の司祭だ。明日のサウィンでも村人たちをまとめたり、境界の門を開く呪文を唱えたりを中心的な役割を担う。
「ちょっと伝えておかなきゃならないことがあるんだ」
「……そう」
 グーンの青い瞳は心なしか翳(かげ)っていた。
 それが妙に気になって、私はグーンに見送られ家に入るふりをしたあと、気づかれぬようにグーンのあとをつけた。


 人影の疎らな道を行くグーンが夕闇にするりと溶け込んで、危うく見失いそうになる。私は目を凝らしながらグーンを追いかけた。
 時折寄ってくるポケモンを申し訳なさそうに遠ざけるほどには、重要な用事らしい。
 司祭の大きな家が見えると、グーンはさらに足早になる。私も同じように早歩きになる。
 髭を生やした、いかにも頑固そうな厳(いか)つい司祭に会いたがる人なんてまずいない。なのにグーンは司祭の家に着くなり、扉を躊躇せずに叩き、そのまま司祭に招き入れられた。
 単純に物怖じしないのか、それともバケッチャに追いかけられる前の私みたいに螺子が一本抜けていて恐怖を感じないのか。
 私は家を回り込んで、窓の下に身を潜めた。顔を出すとばれてしまうので、耳を傾けるだけにとどめる。
 それでも、二人の声を聞き取るのは容易かった。
「ドルイダさん、件(くだん)の……」
「私を訪ねてくれたことは嬉しいがね、答えは変わらんよ。サウィンは中止しない」
 中止? サウィンを? どういうことだろう。
「でも、最近クレッフィたちの様子がおかしいんです。みんな具合が悪そうで、とてもサウィンの重責を任せられるような体調じゃない」
「なぜそんなことがわかる」
「みればわかりますよ」
 みれば――。さっきもグーンはそんなことを言っていた。
「……グーン、長い歴史の中でサウィンが中止されたことなど一度もない。雨が降ろうが風が吹こうが吹雪(ふぶ)こうが、冬を乗り越えるためにサウィンは必ず行われてきた。それをポケモンの体調が少し悪いからといって中止にできるわけがなかろう。今までだってその程度のことは幾度もあっただろうに」
 ドルイダさんの声が荒くなる。それに対して、グーンの声が小さくなっていく。
「ですが……」
「いい加減しつこいぞ。わしの腕を信用していないというのかね!?」
 ドルイダさんの頑固さにグーンが押し負けそうになる。
「そういうわけではないです。中止が無理ならせめて、自分たちを制御できない可能性があるクレッフィたちに門の開閉をさせて欲しくないんです」
「クレッフィたちはわしが制御する! そんなことができないで司祭が務められるか! 馬鹿にするな若造め!」
 グーンに対するドルイダさんの罵言(ばげん)は聞くに堪えなかった。グーンが司祭の家を追い返されるまで、私はずっと耳を塞いでいた。
「グーン……」
 グーンの瞳が翳っていたように見えたのは気のせいじゃなかったんだ。
 ドルイドさんの言う通り、サウィンをやるとかやらないとか、そんな選択はそもそも存在しないと思っていた。一年の廻りの中に組み込まれた、絶対に外すことのできない祭事。
 バケッチャやカボチャ燈籠作りのことを愚痴ってた矮小(わいしょう)な私に比べ、グーンは途方もなく大きな問題で悩んでいた。


「いよいよだね!」
「そうだね! 終わったら私の家に来ない? 占いしよ、占い!」
 私の横を通りすがる女の子たちの会話がゆるやかな風に乗る。この村では、サウィンの後に女の子たちがヒメリの実を使って好きな男の子との恋の行方を占うのが一つの文化になっている。たぶん、彼女たちにとってはサウィンそのものよりも大事だ。
 ただのまじない、気休めにしか過ぎないと思うのだが、その気になって私とグーンの仲を占ってみたら、多少はこの陰鬱な気分も晴れるのだろうか。
 丘に人やポケモンが集まり始める夕暮れ時、私はグーンの姿を探した。しかし、どこにも見当たらない。今朝、グーンの家を訪ねると、グーンの両親が出てきて「森の中に出かけたんじゃないか」と困ったように言った。
 さすがに広大な森の中を探し回るのは骨が折れる。しかし今日はサウィンだから、陽が沈む時刻に丘に来れば出会えるだろうと思っていた。
「グーン、いるんだったら返事してー!」
 人混みで大声を出した私に、ぎょっとして何人かが振り向いたが、そこにグーンの顔はなかった。
 そもそもほとんど陽は暮れかけている上に、皆黒いマントを羽織っているから誰もかれも同じように見えてしまう。これで仮面などつけられようものならグーンと他人を見分けることはほぼ不可能になる。
 しかし無情にも時は過ぎ、ついにグーンを見つけられずにサウィンが始まってしまった。
「えー、皆さん。今年もついにこの日がやってきました」
 厳(おごそ)かでありながらよく通るドルイダさんの声。丘の奥にある石段に上り、村人たちを見下ろすように立っている。
 色めき立っていた群衆が、水を打ったように静まり返った。
「そう、サウィンです。生まれてきた命へ感謝し、そして旅立った命を弔い、廻(めぐ)りが健やかなものとなるよう、皆で祈りましょう」
 司祭のいうことを真面目に聞いたのはこれが初めてだが、グーンのお蔭でどういう意味なのかが多少はわかる。
「さあ皆さん、お座りください。仮面を被りましょう」
 地面に座る人、石の上に座る人、カボチャ燈籠を持つ人、なぜかバケッチャを持つ人。皆マントを羽織り、仮面を被るので不気味だ。私も持ってきた仮面を被り、地面に座る。
 しかし、祈れと言われて具体的に何をすればいいのかがわからない。両手を合わせてみたり、組んでみたりすればそれっぽくなるだろうか。誰もそんなことをしている人はいないけれど。
 司祭が前へ向き直る。そして、両手を天に掲げた。
 どこからともなくクレッフィが現れる。五匹分の金属音が、澄んだ夜の空に響き渡った。
 鍵の妖精たちが宙空に円を描きながら回り始める。回る速さが遅くなったり、早くなったり――それはまるで互いのつり合いを計っているかのようだった。
 ふいに、じゃらり、じゃらりと、二、三度合図のように瞭然と音が鳴った。
 司祭やクレッフィたちは、これから門を開くのだろう。行われる儀式に、身を引き締める。
 一方、グーンが主役だと言っていたバケッチャは、座っている村人たちの上をふらふらと彷徨っていた。頑張るクレッフィを尻目に、気楽にしているようにも見えた。
 本当にカボチャ燈籠のような魔除けの役割があるなら、じっとしていてほしい。その方がまだ可愛げがある。
「ラセゾントルナント、ルモンデトルナント……」
 大袈裟な身振りで司祭が呪文を唱え始めた。グーンがそばにいたらきっと呪文を翻訳して私に教えてくれてたはずだ。
「イルプレパーレポア、ルモンデドゥセッテモール……」
 クレッフィの回る速さがだんだんと遅くなっていく。
「ドネズヌ、ラヴィタリテ、アスセヴィヴァン、エタレンゲ……」
 鍵の妖精たちとは反対に、司祭の呪文の速度は上がっていく。
 左右を見ると、何人か小さい子供たちが顔を下に向けていた。しかし仮面を剥がないと本当に寝ているかどうかはわからない。仮面は居眠りの免罪符として最高に役立つものらしい。司祭の長い呪文は、子供たちを深い眠りへといざなう子守唄でしかない。
 去年までの私ならば、母の肩を枕にして眠っていただろう。それを咎められることもなく、起こされたときにはすでに祭りは終わっていた。両親がほかの大人たちと「今年も良いサウィンでしたね」なんて言い合っている意味がちっともわからなかった。
 けれども、今年はいやに目が冴える。
 祭りの内容に興味をもったせいもあるが、それ以上にグーンが見つからない焦燥、それから彼の心配が杞憂であってほしいという気持ちが眠気を吹き飛ばしてしまう。
 本当ならば、隣にグーンがいてほしかった。だからわざわざ両親から離れた場所に座っているのに、まったく意味がない。
 この日のために、服も紅で染めてもらった。マントを羽織っているせいで目立たないけど、いくら鈍感なグーンだって気づいてくれるだろう。
 あまり自分を飾らない私が服を染めて欲しいと母に頼んだときの、訝しんだ父の顔と、すべてを理解したように微笑んだ母の対比を思い出す。
「ウネポルテコンティギュエ……オウヴェルテケス!」
 雷のような司祭の声。
 クレッフィたちの動きがぴたりと止まる。
 門がどうやって開くのか想像もつかない私は、とにかくクレッフィの模する五角形の中心に目を凝らした。
 わずかに空気が揺れる。
 五角形の中心に、うっすらと光が現れた。
 あれがこの世とあの世の境界にある門?
 そこから、白い靄(もや)のようなものがふわりと溢れだしてくる。
 それは丘を覆うベールとなって、きらきらと私たちに降り注ぐ。
 空が薄く白く染まるさまは、幼い頃に夢想した、ピッピやピクシーや住むと言われている妖精の世界を思わせた。
「すごい……」
 サウィンって思っていたよりも全然面白い。毎年居眠りしてはこの光景を見逃していただなんて。寝ている子供たちを起こして、見せてあげたい衝動に駆られた。
 しかし、幻想的な光景は突如崩れ去る。
 一匹のクレッフィが、力なく落下した。
 それでバランスが崩れたのか、ほかのクレッフィも次々に落下する。
「クレッフィ!」
 司祭の声。
 唐突に、空に大きな穴が開いた。
「あれは……」
 澄み渡った夜空に浮かぶ満月のごとくぼうっと宙空にとどまるそれは、グーンの瞳のように深い碧だった。
 明らかに、開きすぎている。
「皆さん! すぐに――」
 穴の向こうに、赤黒く、それでいて白く輝く、蛇に似た大きな影がちらりと見えた。
 そのおぞましさに立つ鳥肌。
 どよめき立つ群衆。
 急激に流れ込んでくる、この世のものではない何か。
 わずか数秒の出来事だった。
「早く逃げるんだ!」
 座っていた人々が一斉に立ち上がり、悲鳴や怒声を上げながら逃げ惑う。
 引き起こされた混乱状態(パニック)に、私はただただ狼狽した。グーンの懸念が現実になってしまったのだ。
「逃げないと……」
 私も遅れて立ち上がり、人の流れに合わせて走った。
 だが、肩がぶつかり足がもつれ、その場に倒れてしまう。ふと上を見やると、明るい星空を黒く禍々(まがまが)しいものが覆っていた。
 あれが、グーンの言っていた瘴気や悪霊なのか。
「ああ……」
 もしあんなものに襲われたらと考えると、体全体が恐怖で硬直する。一度止まると、走れない。

『……サウィンが失敗して生命の多くがあちらに吸い取られたり』

 グーンの言葉がおぼろに響く。心臓が痛いほど激しく鳴る。
 私は一人、丘の上に取り残される。皆を助けなければいけないドルイダさんさえ逃げ出したらしく、もうここにはいない。
「グーン……」
 私は、母で父でもなく、グーンの名前を呟いた。
 すると、背後に何かの気配を感じた。
「来てくれたの、グー……」
 振り向いて思い人の名前を言いかけ、私ははっとした。
 そこには、見たことのないポケモンがいた。たとえるなら、ピクシーを黒紫色に染め上げて、目を赤く塗ったような姿。
「ゲゲエ……」
 この世のものではない。
 ぞくりとする寒気。金縛りをかけられたように動かない体。
 悪霊が、私に覆い被さる。
「いや……」
 息が――止まった。

「ティフー!」

 聞き覚えのある声。悪霊が反応する。
 振り返ると、マントを着て、三日月の形に笑う白い仮面が、たくさんのポケモンとともに立っていた。百、二百、三百――おびただしい数のバケッチャを引き連れたグーンだった。
「バケッチャ! ティフーを助けるんだ!」
 三匹の小さなバケッチャが、紫、緑、橙と色とりどりの光を放ちながら私のほうへ向かってくる。
 悪霊が「グゲエエ!」と鳴いて飛び去ろうとする。しかし三匹のバケッチャたちは器用に回りこんで、悪霊を挟み撃ちにした。
「ゲエエ!」
 強力な退魔の光に当てられた悪霊は、たちまち霧散する。空にぽっかり開いた穴へ、悪霊だった黒い霧が吸い込まれていった。
 大きく息を吸い込んで、吐き出す。命を取られなかったことを実感した。助かったんだ。
「みんな、村の方へ行ってほかの人たちも助けるんだ!」
 バケッチャの大群が村へと流れ込む。この世にあるべきでないものを還す光をまといながら、四方八方へ飛んでいった。
 魔や瘴気を追い込み、空に打ち消してゆくそれは、とても頼もしかった。
 ただ、夜に彷徨っているだけカボチャだと思っていたけれど、そんなことはなかった。グーンの言う通りだった。
「……しっかりと主役じゃない」
 へたり込んでいる私は、笑い泣きする。
 そういえば――十年前の巨大バケッチャも、あんな風に光っていた。


 バケッチャの燈火(ともしび)で鮮やかに輝く村を、丘の上からじっと眺める。赤、青、橙、紫、黄、桃、緑――見ているだけで楽しい。司祭の呪文を聞いているよりも、ずっとずっと。
 黒々とした魔、悪霊、瘴気、すべてがその燈火にはね返され、空のあちこちに開いた大穴に還ってゆく。
「朝から集めてきたかいがあった。これだけバケッチャがいれば、すぐに収拾がつくと思う」
 仮面を外し、不思議な光景を私と同じように隣で見つめるグーン。
「こうなること、初めからわかってたんだね」
「……まあね。ティフーだって僕とドルイダさんの会話は盗み聞きしていただろう?」
「ばれてたんだ」
 グーンには敵わないと思い知らされる。
「ドルイダさん、腕は悪くないんだけどね。流石にクレッフィに頼らないでサウィンを行ってた時代の司祭のようにはいかなかったみたいだ」
 最悪の事態を回避できたことへの安堵か、思い上がった司祭への呆れか、グーンは大きなため息をついた。
 碧い眼に、多彩な色の光が映る。
「グーン、ドルイダさんと代わればいいんじゃない?」
 私は思ったままを口にする。不思議な雰囲気と、他を寄せ付けない博識。司祭にぴったりだろう。呪文が唱えられるのを聞くだけの祭りを、子供たちが居眠りしないようなもの変えてくれる、そんな気がした。
「まさか。僕は不勉強すぎるよ」
「でも、将来的には……」
「将来何をするかは決めているんだ」
 私は首を傾げた。グーンの頭の良さを生かす職業なんて司祭以外にあっただろうか。
「医者になりたいんだよ。ポケモンの」
「医者?」
 初耳だった。
「ポケモンを触るだけで、診えちゃうんだ。体調とか、病気とか。最近、クレッフィたちの間で病気が流行していて、門の開け閉めに必要な力が失われていたんだ。一過性のものだから、心配することは何もないんだけれど、休ませてあげたかった」
「そうだったんだ……」
 みえるって『診える』という意味だったのか。
 ポケモンを引き寄せるだけにとどまらず、そんな特異体質まである私の幼馴染は、一緒にいればいるほど謎が深まってしまう。
「うん、似合ってると思う。グーンはポケモンに好かれるし、向いてるみたいだし」
 それでも、ずっとそばにいればいつかグーンのことが全部わかる日が来るだろう。
「司祭になってもいいように勉強はするけどね」
 グーンがすっと立ち上がり、座っている私に手を差し伸べてくる。
「大丈夫だった? 帰ろう」
「もっとはやく『大丈夫?』って訊いてほしかったな」
 今更だけど、期待はしていなかった。グーンは鈍いから。
 けれども、半べその私に手を差し伸べてくれたのはやっぱり嬉しかった。
 もう誰もいなくなった坂を、グーンの手に引かれて下りてゆく。
 一匹のバケッチャが、私たちの後ろをついてくるのに気づいた。
「そういえば、その赤い服、綺麗だね。似合ってる」
 橙色の光が温かく、それでいてこそばゆかった。
 

「サウィンの夜には魔を追い払うためにカボチャ燈籠を軒先に飾るけど、多くの人は勘違いをしているんだよね。人間の作ったカボチャ燈籠が先にあって、それに魂が入り込むことでバケッチャが生まれるとか、魔を払うための力を得るとか」
 欠けた巨石の端に座っているグーンは、昨日大穴が開いていた虚空を見つめていた。その碧い眼と大穴の色が重なる。
「でも実際は逆だ。バケッチャが妖燈となって悪霊や瘴気を撃退してくれたのを見た人間が、魔除けのまじないを込め、バケッチャになぞらえて作ったものがカボチャ燈籠だ。だけどバケッチャにとっては自分の魂やあの世へ行けない魂を入れておくのにカボチャが空洞になっていた方が都合がいいから、今はカボチャ燈籠を自分の体に据えているってだけのこと。ところで……」
 グーンが目を細めて、私の腕の中に収まっているポケモンを凝視する。
「あれだけバケッチャを嫌っていた君が、どういう風の吹き回しだい?」
「うーん、よく見れば結構可愛いかなって」
 そう言ってはぐらかした私を、バケッチャは黄色い目で見つめる。
「誤解は解けたみたいだね」
「誤解っていうか……昨日のことが十年前と重なる気がしたの。もしかして、バケッチャは私を追いかけ回してたわけじゃないのかもって」
 グーンは柔らかな微笑みを私とバケッチャに向けたあと、訥々(とつとつ)と話し始めた。
「十年前のサウィンは……百鬼夜行があったと言われている」
「百鬼夜行?」
 バケッチャの体がふるっと震えた。
「初めは順調に進行していたらしいけど、時間を経るごとに門の開閉の調節がうまくいかなくなって、向こうの世界で暮らしている悪霊、瘴気、ゴーストポケモンが一斉に流れ込んできたんだ。村の中を縦横無尽に駆け巡る……まさしく百鬼夜行だ。だから司祭やお偉いさんたちは急いで村人たちやポケモンを家に帰して、それらを向こうの世界に還す作業をしていた。たくさんのバケッチャとともにね」
 まるで昨日のことを話しているようだ。司祭たちではなくグーンのお蔭で解決したことが唯一の相違点だ。
「でも最近のサウィンは安全だって言ってなかった? 昨日はちょっと酷かったけど……」
「事実、危ないことなんかなかったはずだよ。その当時のカボチャは稀に見る豊作で、大きなカボチャがごろごろと取れた。結果、生まれてきたバケッチャも特大サイズばかり。流れ込んでくる魔なんて数匹程度で簡単に追い返せるほどの力を持ってた」
 当時を回想するように語るが、グーンはこのときまだ五歳だ。すぐに家に帰ってしまったのに、よく覚えていることだと感心する。
「けれど、バケッチャの燈火をすり抜けた一部の魑魅(すだま)がうろついてる可能性もある。そんなときにティフー、十年前の幼い君は夜に一人で出歩いていた。それを見かけたバケッチャが見逃すと思う?
「あ……」
「おそらく家に帰そうと必死になっていたはずだ。だから、早く帰れと君を追いかけた」
 足りなかった一欠片が、ぴったりとはまる。追いかけられた理由も、不気味に光っていた理由も、全部合点がいった。
「私が悪かったんだね。バケッチャは私を助けてくれたんだ」
 腕の中の小さいバケッチャを抱きしめる。あのときの巨大バケッチャは、今どこにいるんだろう。
「あのバケッチャ、探してみようかな。ありがとうって言いたいから」
「パンプジンになっていないといいね」
「パンプジン?」
 グーンが意味深長な笑みを浮かべ、空を見上げる。グーンの瞳と同じ色のあの世は、もうなかった。