34 姉さんのぬいぐるみ リング(HP




 石造りの家の中、ハンナは一人憎しみに心を揺さぶられながら部屋に閉じこもっていた。親や弟と5人で暮らしていた時に、ハンナや弟に優しくしてくれた姉、レオナが殺されたのだ。
 レオナは、誰かに密告されて、魔女審問官に魔女であることを疑われたのだ。レオナは、家族がひいき目に見ても美人である。髪の色は絹のような光沢を伴った美しい金髪。眼の色は、かつて見た偉い騎士様の剣の柄についていたサファイアのような深いブルー。そんな、絵にかいたような金髪碧眼に、ほんのりと赤みを帯びた白い肌。整った顔立ちはすれ違えばだれもが振り向かずにはいられない。
 その美しさが、魔女であるから。悪魔との契約によって手に入れた美貌なのではないかと疑われたのだ。

 レオナは、殺されるような悪い事なんて何一つしていない。むしろ裁縫が得意で、ハンナのためによくぬいぐるみを作ってくれた優しい姉だった。子供の頃にちょっとしたいたずらや、つまみ食いくらいならばしたことがあるが、そんなもの誰だってしたことがあるだろうから、魔女である事の証拠にはならない。それでも、誰かが密告さえすれば、魔女に仕立て上げる事が出来る。今の世の中、そんなものである。
 きっと、レオナは美しさに嫉妬されたのだろうと、多くの人が噂をしていた。この街に住む人たちは、そういう例をいくつか知っている……美人だから、男性に人気があるから。だから嫉妬されて、目の敵にされて――その挙句が、魔女扱いになることを。

 人口三万を数えるこの街には、性質の悪い魔女審問官がいた。マシュー=ヴァルタンという名の彼は、弁護士であったが、あまり有能ではなくかつては生活に困っていた。しかし、ある日彼が『魔女に殺されかけた』と言って、いくつもの魔女を火あぶりの処刑台にあげたことから生活は一変する。その功績を信じた市民たちはマシューを祭り上げ、名を上げた彼は様々な街に繰り出しては現地の魔女を次々と惨殺していったのである。
 彼は、目についた者を魔女であることをでっちあげるためなら何でもやった。普通に生活していればどうしても出来てしまうイボやデキモノを、使い魔と呼ばれる生物へ母乳を与えるための乳首。魔女の証と言い張り、そこに針を刺して血が出ないかどうかを調べるのだ。その針を刺した場所に血が出なければ、彼はをその者を魔女と決めた。無論、血などでないように細工されている。
 また、小さな部屋に魔女と思しき人物を閉じ込め、使い魔――この場合は、ハエや蚊といった小さな虫が彼女らに寄り添う事があれば、それを悪魔の証拠とした。ご丁寧に、虫が入り込める隙間を必ずどこかに開けておき、また見張りには使い魔を殺すようにと命じていたが、そんな命令など何の意味も持たない。わざと見落とす事なんていくらでも出来る。
 他にも、スイミングと呼ばれる判別法では、右手親指を左足親指に、左手親指を右足親指に交差させるように縛りつけたまま、大きなシーツや毛布にくるんで池や川などの水面に乗せ、沈まなければ魔女という、理不尽な判別方法なども使っていた。彼はそれらの判別法を各地で行い、そして自分の住む街でもそれを行い、今回はレオナと、そのほかにも数名が犠牲となった。

 レオナは、綺麗な死体であった。この国で信じられている宗教における敬虔な信者は自殺や嘘を禁じられている。そういった者は、自殺や嘘を嫌い、なかなか自白しないために無残な見た目のまま火あぶりに賭けられてしまう事がある。魔女と疑われ際には、すぐに自白をすればあまり傷つくことなく死ねるのだ。
 しかしながら、レオナが殺された時にそういった見た目になっていなかった理由は、すぐに自身が魔女であることを認めてしまったからではない。この街の者はみんな知っている。マシューら、この街の魔女審問官は、見た目の良い女性や男児を『この魔女達は悪魔とのつながりが非常に強いため、離れた場所で火葬する』と言って、死体を連れてかれてしまうのだ。それを何に使っているのかはわからないが、『悪魔の邪気に民衆が触れないように離れた場所で焼く』なんて名目は嘘なのだと、皆うすうす感づいている。
 死体を、弄んでいるのだと、もっぱらの噂だ。

 当然、家族であるハンナにとって、死体を弄ばれることも許せないが、そもそも殺されたこと自体が許せないことだ。奴らさえいなければ、私の姉も……街の他の人達も、殺されることはなかったと、そんな恨み言がいくらでも漏れてくる。
 マシュー達のせいで、街の人達は誰もお互いを信じられない。誰かに密告されるのが怖くって、人と関わり合うこともまともに出来ない。疑心暗鬼になる。そして、人に恨みを買わないように気を付けていても、レオナのように殺される。
 だいすきな姉をそんな理不尽な殺され方をされて、ハンナは今ほとばしるように憎しみがあふれ出していた。今、外に出てしまうと、誰かの笑顔を見ただけでもそいつを殴ってしまいそうで怖いほどに。そんなことをすれば、今度は自分が魔女扱いされることが分かっているので、どうにもできずに部屋に閉じこもっているしかなかった。
 憎い、憎い、憎い……その感情が、ハンナの体の中でずっと渦巻いている。


 ハンナが部屋に閉じこもって、何も食べる気にならずに一日が経過した。彼女は寝ていないのに目がさえて眠れず、ぶつぶつと独り言を続けて入る。昨日のうちに彼女が納品するはずだった布を卸せなかったため、服職人の見習いが尋ねてきたが、そもそもハンナは応対する気にもなれなかったし、見習いもドアをノックする気すら失せるような光景が家の玄関に広がっていた。
 今は、ただ憎かった。そのせいだろう、軒下には『絞首刑のぬいぐるみの悪魔』、カゲボウズが無数に吊り下がっている。カゲボウズ達は絞首刑の最中のような不吉な影をぶら下げて、ハンナの憂鬱な気持ちを喰らっていく。彼女の恨み憎しみはさぞや美味しいのだろう、集まる数は尋常ではなく、同時に殺された人達の肉親達の家などに群がる量と比べてもかなり多い。
 マシューが習慣的に魔女裁判を行うようになってから、彼に引き寄せられるように移動し、急激に数を増やしたカゲボウズ。こいつらに魅入られれば、怨みや憎しみにまみれた者でも三日で廃人のようになると言われているが、ハンナには望むところだった。この私の恨みを、晴らせる者なら晴らして欲しいと、そう思っている。何も感じなくなるのなら、それでもいい気さえしていた。


 三日経った。二日目の昨日に急激に眠気が襲ってきて、一日中眠っていた。それでもまだカゲボウズたちはずっとぶら下がっている。さすがにお腹も減ってきたので、秋の間に備えておいた乾燥した堅いパンを塩のスープに浸して食べる。このまま仕事をしなければ、さすがに蓄えもすぐに尽きてしまいそうなので、彼女は虚ろな目のまま織り機に向かう。
 仕事の最中に次々と浮かんでくるのは姉の事で、それに連動するように憎しみがふつふつと湧いてくる。密告した奴が憎い、魔女審問官が憎い、こんな世界が憎い、何もできなかった自分が憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
 織り機を叩き壊しそうになってしまうので、余計なことを考えるたびに、彼女はベッドで眠れないままに目を瞑る。窓の外には、カゲボウズが張り付いている。昼間は誰かが追い払ってくれるが、それでもしぶとく憎しみを食べようとやってくるし、こいつらは夜になって人の活動が少なくなればまたやってくるので、追い払ったところでイタチごっこの連続である。


 この調子で一週間が経った。処刑があった日から、お腹がへってもちょっとやそっとじゃ食べる気にもならないので、この短期間でハンナの顔はやつれてきていると近所の人に言われた。姉ほどでもないが、十分美人な顔がもったいないと、彼女は言われる。ハンナは肌も荒れて、目にクマも出来ている。服職人の見習いも、お見舞いのために尋ねてきてくれた際、彼女の容姿を見て仰天している。
 ハンナも、自分が正常じゃないことは分かっている。自分が憎しみでおかしくなっていることも、承知の上だ。いまだに減らないカゲボウズ達は、確かに憎しみを喰らっているのだが、それでも追い付かないほど、彼女の感情が湧き出ている。ハンナは憎んでいる。大好きな姉が殺されたことを。殺されて、揚句にあの穢れた魔女審問官の手で弄ばれている事を。それらを考えると、奴らをどれだけ殺しても飽き足らない気持ちに駆られてしまう。何十回もギロチンを落としたい、火あぶりにされても永久に死ねない呪いをかけて火にかけてやりたい。そんな不毛な欲求ばかりが身を焦がしている。
 叶うならば、このカゲボウズ達に、奴らを殺してもらいたい。憎しみなら、いくらでもあげるから、そうして欲しい。病み切ったハンナの視線は、濁った眼でこちらを凝視しているカゲボウズにひたすら注がれている。虚ろな目でカゲボウズと見つめ合っていた。
 ベッドに横たわっている間も、何かを食べている間も、布を追っている間も、ハンナは祈ってはいけないことを祈っていた。本来魔女を取り締まるはずの聖職者でも、権力者でも魔女とみなされているのだから、マシューらを敵に回してはいけない。そんなことは常識のはずだけれど、祈らずにはいられない。
 奴らを殺せ。殺してくれ――と。



「まだ、不調なんだな……」
「すみません……ずっと、立ち直れなくって」
 ハンナは一ヶ月たっても作業には集中できず、空虚な日々が続いている。カゲボウズはようやく減ってきてくれたが、まだまだ毎日数匹は軒下にぶら下がっている。布を引き取りに来る見習いも、何日たってもカゲボウズがいなくならないのを見て、さすがに『早く納品しろ』と、強く言う事は出来ず、最近は彼女の体を心配してくれるようになっていた。
 ハンナの方はと言えば、自分の感情を支配していた憎しみが日々薄らいで行くことに、不安と安堵を両方感じている。このままでは、自分が自分でなくなってしまうような気もするし、かといって恨みが高じて審問官に喧嘩を売っても、おそらくハンナにとっていいことは何一つないだろう。どれだけ恨んでも、憎んでもやり場のない怒りならば、いっそのことないほうがいい。奪ってもらったほうが、まだいいと考えている。たとえそれが、自分が自分でなくなってしまうことを意味していても。
「私も、まだ立ち直れなくって……」
「あぁ、まぁ……ゆっくり、気を養ってゆけばいいさ。新しい子にも仕事頼んだから、ハンナさんは最低限生活できるくらいには親方の店に納品してくれれば……」
「はい、申し訳ないです」
 見習いが帰ってから仕事を再開するが、仕事はいまだに不調のまま。横糸を通したらペダルを踏み、また反対側から横糸を通す。それを繰り返すだけの単純な作業なのに、気づけばボーっとして姉の事を考えてしまう。そうして、頭をかきむしるようにしては、綺麗な髪を乱していく。彼女の顔は、まるで死人のようになっていた。

「ねぇ、ハンナ……大変だよ!!」
 そんな時、近所のおばさんが大層慌てた様子で戸を叩く。
「レ、レオナが……レオナが、あんたの姉が、商店街の方からこっちに歩いてきているんだよ! 生きて……蘇って……う、嬉しい事だけれど、何が起こったのか……怖くって……」
「姉が……ちょっと、どういう事なんです?」
 おばさんの言葉は、言葉としての意味は分かる。しかし、あまりに現実味のない事なので、ハンナには全く意味が分からない。
「言った通りだよ! 死ぬ前と同じ姿で……こっちに……どうするんだい? 何か悪魔でもとり憑いてたら……アンタ取って食われるかもしれないし、逃げたほうが……」
 その、全く意味の分からないことを、おばさんは続けた。言葉の通りならば、確かにそれはとんでもない事である。逃げなければ危ない目に遭うような気もするがしかし、姉にまた会えるとなると、会わなければ絶対に後悔する。
「いや……行ってきます」
 たとえ、おばさんの言うように、取って食われたとしても。生きる希望を半ば失いかけた彼女はそれでいいとも思っていた。
「……行くのかい。何があってもあたしは知らないからね!」
「行くさ……行って確かめる」
 不安がないわけではない。ただ、不安に突き動かされて逃げることを選ぶには、彼女の心は疲弊しすぎていた。


「皆さん、何を言っていらっしゃるのですか? 確かに私は死にましたし、殺されました。ですが、こうして地に足付いて生きているのです。それでよいではありませんか」
 詳しい場所は聞かなくともよく分かった。騒ぎが起きている場所。そこを目指せばおのずと見えてくる。案の定人だかりが出来ている場所に、姉はいた。美しかった髪が坊主頭にされている以外は、魔女と疑われる前と変わらない姿で、笑顔を振りまきながら皆に話しかけている。
 ただ、纏っている布はまるでドレスのような……いや、ドレスであった。貴族のお嬢様が、パーティーへ行く時などに着ていそうな、豪華そうなドレスである。周囲の人々は、姉の事を恐怖の目で見ていた。喜んでいる者の方が少ないくらいだ。
「姉さん……」
 嬉しいはずなのに、何か怖かった。ハンナには何が怖いのかもわからないけれど、何かが怖かった。ここにきて、ハンナはあのおばさんの言うことが分かる気がした。どうして蘇ったのかが分からなければ、もしかしたら悪魔によって蘇えらせられたという可能性も否定できないからだ。悪魔と言っても、人を生き返すような悪魔が本当に存在するとすれば、奴ら魔女審問官が口にするようなうわべだけの悪魔ではなく、それこそ本物の悪魔が生き返したという事になるだろう。
 それでも、ハンナは姉へ話しかけて、返答を待った。
「ハンナ! よかった、生きていたのね。私が死んでいる間に、何かあったんじゃないかと心配したわ」
 まるで、生き返ったことが当然であるかのように、レオナは再会を喜んでいる。
「姉さん……体は、その……大丈夫なの?」
「えぇ、体が腐っているんじゃないかって心配? 大丈夫よ、この通り、匂いもないわ」
 と言って、レオナはハンナに抱き付いた。一ヶ月も前に死んだのなら腐臭の一つでもしそうなものだが、しかしレオナの香りはむしろ香り高い花畑のような匂いと、香辛料の匂い。
 貴族が連れまわすようなフレフワンの香りを遠くから嗅いだ匂いに、ベイリーフのような匂い。貴族でもこんな個性的な匂いは漂わせず、思わずむせそうになるが、確かに悪臭らしい悪臭はない。
「わかるでしょ? 貴方の知っているレオナよ。私は……ね、ハンナ?」
「う、うん……」
 抱きしめながらささやかれる。レオナは、明るい女性だった。なので、こんな抱擁もあり得ない話ではないし、むしろ違和感を感じないほどだ。しかし、逆に違和感がないことに違和感を感じる。レオナは、落ち着きすぎているのだ・やはり死んだ後にこんなことになったと考えると、少しばかり気味が悪く、今更になってハンナは素直に喜べない。
「姉さん……どうやって、生き返ったの」
「皆それを聞くわ。悪魔だなんて罵ったりする人もいる……ふふ、けれどね。それは違うわ、ハンナ。救世主は、蘇るものでしょう? かの救世主も、一度十字架にかけられたまま死して、そして復活したというじゃない……ちょっと時間はかかったけれど、私も似たようなものでしょう?」
 そう言って、レオナは太陽のように無邪気な笑顔で微笑む。
「『主』が仰られたの……『汝はまだ死ぬべきではない』って。『汝らが悪魔ではないことを皆に証明するのだ』って。皆さんもうすうす感づいている通り、私達は……悪魔ではないのに、悪魔と仕立て上げられてしまったのです。その潔白を証明すべく、こうして私が使わされたのです。
 魔女審問官、マシュー=ヴァルタンの家から抜け出して、ここに来るまでに朝になってしまいましたけれど……本当は、妹と十分に再会を喜んでから、こうした話をしたかったのですがね……」
「ちょっと待った、家から抜け出すというのは……? 家に安置されていたのか?」
 群衆の一人が尋ねる。

「皆さんも知っておられるでしょう? マシューは、殺した人間の中でも容姿の良い者を選んで……家に持ち帰っているのです」
 周囲がざわついた。それに対し、静まれとでも言いたげに、レオナは片手をあげる。数秒ほどして、周囲が押し黙った。
「そうして連れ帰った死体に穴をあけ、内臓などを抜き取ったあと、山ほどの香辛料と綿と、フレフワンの体毛を詰め込み、私達をガラスのケースに閉じ込めるのです。いまはこうしてドレスを着ていますが、これは彼の愛人用のドレスを奪ってきただけ……家では、裸で眠らされていたのです」
「姉さん……」
「屈辱でした。ですが、私は悪魔なのだから、仕方ないと、死にながら言い聞かせるしかなかったのです。でも、主に言われました。私は、死ぬべきではないと。そのために、こうして皆様に会い、身の潔白を証明しに来たのです」
 レオナが空気を炊き込むように腕を広げて、言い放つ。
「さぁ、皆さま……わたくしに協力していただきませんか? 私、また魔女裁判を受けたいのです。身の潔白を証明したいのです」
 力強く、レオナが宣言をする。


 マシューは魔女裁判を行うだけでも各地の村から多額の報酬をもらい、魔女を見つければ更なる追加報酬をもらえる。そのおかげで、数年の間に裕福な暮らしをるようになり、次第に態度も大きくなってきた。贅沢場場所での旅を行い、その地区で一番の宿に、安い値段で止まらせるようにと要求したりなど、あまりに貪欲になりすぎて身分の高低に関わらずあらゆる層からの反感を買われていた。そして、各地であまりに多くの者を魔女に仕立て上げたために、彼を名指しで批判する者が現れ、街ぐるみで立ち入りを拒否され、それからというもの奴らこそ諸悪の根源ではないかと、批判され始め、彼の仕事を断る領主も増えてきた。
 一般人もついに、『どんなに高潔な者でも魔女に仕立て上げられてしまう事』を、段々と気づいてきた。そうして、街でもマシューを批判する動きが隠す様子もないくらいに出てきている。レオナが殺されたのは、そして蘇ったのは、そんな時期であった。

 レオナは民衆たちを集めて、マシューに二度目の裁判を要求する。釘を打ち付けた角材や、農作業用の長い柄がついたカマを手に押しかけた民衆の手により家から引きずり出されたマシューは明らかに狼狽した様子であった。怒り狂った民衆たちに取り囲まれて、逃げ出したい状況でも逃げることは一切叶わない。レオナの死体が消えて、館の中で大騒ぎしていたら、こうした事態へと発展してしまったことに、本人もさぞや驚いたことであろう。
 とにもかくにも、裁判が始められることになった。すぐにでも火あぶりが出来るようにと、近くに用水路が流れる街の広場には磔台も用意され、昼頃には数え切れないほどの民衆が集まった。みんなも暇ではないのに、良くも悪くも一大イベントであるこの出来事の顛末を、皆見届けようとしている。
「さぁ、私をその針で突いてください」
 レオナは胸と腰回りだけを隠すという、辱めのような姿をあえて晒しながら、気丈な様子でマシューに宣言した。
「で、では……この者が悪魔である証明を、皆に知らしめようではないか!」
 マシューは虚勢を張って力強く宣言する。明らかな異常事態に、声が少しだけ震えていた。
 レオナの腰の近く、左側にある小指の爪ほどの大きなアザを、魔女の証として針で突かせた。マシューは意を決してその針を深々と突き刺す。針の根元、柄が肌に触れるまで突き刺した時、レオナの顔が苦痛で歪む。針を引き抜くと、レオナの腰には確かに傷口があり、真っ赤な鮮血がしたたり落ちる。今まで、誰一人として血が滴ることなどなかったその針が、きちんとレオナの体に穴をあけたことに、他でもないマシューが驚き、針を見直している。
「どうしました? 悪魔なら血が流れないかもしれませんが、普通の人間ならば血は流れるのでしょう? 何を、不思議がることがあるのですか?」
 レオナは、自信たっぷりにマシューへと語りかける。周囲の民衆が騒がしくなっている。『その針の細工が動かなかったんじゃねーか?』『そうだ!! 何を不思議がってやがるんだ!!』『普段イカサマでもしてやがったのか!?』と、罵声が飛ぶ。
「まぁまぁ皆様。そんなにお怒りなさらずに」
 踊るようなしぐさでくるりと振り向き、手をひらひらとさせながらレオナが微笑む。
「マシューさんが納得いくように、他の方法も試してみようではありませんか」
 そして、マシューの方へ振り返り、レオナは微笑む。
「ね、マシュー様?」
 明るい、太陽のような笑顔だった。誰もが笑っていられない状況の中で、彼女ただ一人が笑顔であった。周囲にはカゲボウズが集まってきているが、しかしレオナはカゲボウズ達を手で制す。まだ待っていなさいとばかりに。
「さぁ、次は何にします? 時間がかかるので、部屋に閉じ込めるアレはやめにして……スイミングでも致しませんか?」

 次にレオナは、手足を縛りつけて沈めてもらうことで魔女の判定をする、スイミングを提案した。場所は広場の近くにある用水路。
 そこには用水路から上がるための階段があり、落ちた時に上がる場所であったり、小舟で荷物を運ぶ際の船着場である。近くの石橋からもよく見える場所であるそこに移動し、レオナは自ら進んで体を縛られた。そうして、レオナを包んだ毛布が静かに着水する。
 マシューは、自身の高潔さを知らしめるべく、雌のルカリオを自身の手持ちに置いていた。正義の象徴であるルカリオ(特に、正義を象徴する神が女性であるためか雌だとその意味合いが強い)は、弁護士や裁判官という公正な立場に属する者に好かれたポケモンであるが、彼の場合はむしろ不正の手段として使っているポケモンである。
 このスイミングという検査方法は、普通にやっても人間を浮かせることは十分可能で、よほど筋肉質だったり骨と皮ばかりの人間でもなければ普通は浮かぶようになっている。そして、もしも沈むような人間であっても、ルカリオのサイコキネシスにより彼は強引に浮かべていた。サイコキネシスを使えば体から青い光が漏れたりすることもあるが、微弱なものでも十分だったために、これまで誰にも咎められず、そして咎める勇気がある者はいなかった。
 だが……レオナは浮かばなかった。見事にゆっくりと沈んでゆき、浮かび上がってこなかった。しかし、それは通常は死を意味する。沈められた人間達は、とても息が続かないような長い時間を水中で放置されるため、通常は溺死する。だが、レオナに常識など通用しない。引き上げられた彼女は、毛布を外されると、指の戒めを解かれる前に目を開けて、周囲を見渡していた。それだけで審問官の助手を務めるマシューの従者に驚かれ、おっかなびっくり縛っていた縄を外されると、彼女は坊主頭から滴る水をぬぐって、皆に微笑む。

「皆さん、生き残りましたよ。神のご加護のおかげです」
 その笑顔が、誰よりもまぶしく輝いている。
「な、なぜ……なぜ、生きているんだ、お前は」
 ありえない事態に、マシューは問いただす。
「はて、面妖な……魔女でなければ、生き残れるのではないのですか?」
 笑顔のままに、レオナがマシューに近寄る。本来ならば魔女が何か狼藉を働かないように、マシューの従者である魔女審問官の助手たちが止めるべき場面なのだが、恐ろしくて止められない。体が動かない
「そ、それは……」
「これで、私が魔女でないことを、認めていただけますね? それとも、他の検証を始めますか? どんな検診でも、私は身の潔白を証明して見ますよ」
 レオナが、濡れて水の滴る腕をマシューの顔の横に伸ばす。触れそうで触れない位置で、彼女は上目づかいでマシューを見つめた。他の方法というのは、部屋に閉じ込めて使い魔の虫が来るか否かで検診する方法や、聖なる蝋燭の炎で皮膚を焼いて、火傷が残れば魔女。残らなければ潔白というものだったり。
「あ、あぁ……認める。お前は、魔女ではない……」
 そのしぐさに恐怖を覚え、肩を強張らせながらマシューは認める。これ以上の検証は、墓穴を掘るだけだと考えたらしい。
「聞きましたかぁ、皆さん?」
 レオナの声色が変わる。一度ゆっくりと目を閉じ、見開いた彼女の目は血のように真っ赤であった。

「こんな私が、魔女ではないのですって」
 低く、しゃがれた声であった。マシューから、集まった民衆から、悲鳴が上がる。ハンナは悲鳴すら上げられなかった。彼女の首は生まれたての赤ん坊のように座っておらず、体の動きに合わせてぐりぐりと傾いている
「大丈夫ですよ。皆さんに危害を与えるつもりはありません。私は、人を傷つけるために蘇ったのではないのです……ただ、私は。貴方に認めてほしかったのですよ……私が魔女ではないことを」
 民衆の方に体を向けながら、レオナは海老反ることでマシューを見る。そのまま、後ろ向きに歩き出し、あと一歩でマシューに届くところで体の向きを変えた。
「でもすみません……裁判をもう一度受けたいがために、神様によって蘇らせてもらったと言いましたが、あれは嘘なんです。本当は軒下に釣り下がる絞首刑のぬいぐるみの悪魔達の長。呪われたぬいぐるみの悪魔に蘇らせてもらったのです」
 そのレオナの行動に、マシューは腰を抜かして尻もちをつき、怯えている。
「どうしました? 私は危害を加えるつもりはありませんよ、マシューさん。魔女ではないという嘘はつきましたが、この、貴方に危害を加えないという言葉には、神に誓って偽りはありませんから……クフフ……アハハ……ハハハハハハハ」
 レオナの体が痙攣するように笑い、狂気じみた笑い声が川原に響く。多くの者がその場を逃げたが、危害を加えないという言葉を信じたのか、ただ動けないだけだったのか、それとも好奇心のせいか、逃げない者もいた。
「ですから、そんなに怖がらないでください……魔女を、魔女ではないと認めてしまったとしても、それは貴方のせいじゃないのです。だって、魔女は狡猾です……何もしないでもこうして、傷をつける事なんて簡単です」
 レオナの右目の上から頭のてっぺんまでにかけて傷が走る。前触れもなく、まるで聖痕(スティグマ)が現れるかのように。その血が垂れると、まるで右目が血の涙を流しているように見える。
「ですので……」
 言いながらレオナは酔っ払いがフラフラと倒れるような足取りで、最前列で見ていた妹のハンナに抱き付いた。ハンナの服に血が滴るが、恐怖で動けず、拭うことすらできない。そしてレオナは、抱き着いた腕をはなし、膝から力を抜いてハンナの前で膝立ちとなり、妹の右手を取った。その手には、魔女の証を突き刺すための針が握られている。どうやってか、いつの間にか奪い取ったのだ。
「このように、刺そうとしても針が引っ込む仕掛けであっても、傷を負う事なんて簡単なのですよ」
 レオナがハンナにゆっくりと針を刺す。当然、針は簡単に引っ込むので、ハンナには痛みすらない。それどころか――
「痛っ!」
 ハンナは、反対の手に痛みを訴え、左手を見る。血が、滲んでいた。触れられてすらいない場所に血が浮かんでいた。
「ほら、こういう風に、魔女ならば刺されていない場所にだって傷口を出す事が出来るのですよ。ごめんね、ハンナ。痛かった?」
「だ、大丈夫……」
 その傷は小さく、舐めておけば治るようなものである。姉のようで姉ではない何かに尋ねられて、正直に答えてしまったが、その時のレオナには相手に危害を加えようという意思は、本当に感じられなかった。あるいは、妹や民衆に対してはそうかもしれないが、マシューに対しては違うのかもしれない。

「見ていてください。ほら、この人も」
 周りに残っている者達に、レオナは針を刺す。こんどはきちんと刺した場所に傷が現れたが浅いものであった。
「この人も、この人も……ほら、みんな魔女じゃない」
 同じことを、数人にやって、レオナは再び後ろにることでマシューを見る。
「どおですかぁ?」
 そのまま、出来の悪い操り人形のようなふらついた足取りで、マシューに迫る。マシューは金縛りにあって動けないでいた。ルカリオは、レオナの危険性にようやく気付いたのか、神速でその場を離れて、遠巻きに尻尾を丸めて成り行きを見守っている。周囲には、湧き上がる憎しみの匂いに惹かれて集まったカゲボウズが、かつてない大軍となって、まるでバッタの大発生のようだ。
「でも、普通に刺すだけなら……貴方の方が、魔女という結果が出ちゃいますよ?」
 レオナがマシューに針を刺す。もちろん傷は現れない。そんなやり取りの最中で、この光景を見守れる石橋には、サイズの合わない大人の男性の服を着た子供や、女性でありがら男性の服を着ている、三角に折ったハンカチでマスクをした集団が集まり始めていた。橋の手すりに、彼らは体をもたれかけさせ、この光景を見ている。

「あ、あぁ……だ、黙れ! 魔女め!! お前が細工をしただけだろう!」
「……いいえ、違いますよ。貴方は、今まで魔女ではない者を殺していたのです。そして、魔女である私のようなものは、狡猾に生き延びていたのです。否……魔女ではない者を魔女に仕立て上げ、殺して財産を奪った。街から報酬をもらった……そうでしょう?
 そして、美しい死体は、体内に山ほどの香辛料とフレフワンの体毛を詰め、まるで蝋人形かぬいぐるみのように保存した。まるで、魔女の所業ね。ほら、私の匂い……嗅いでみて」
 言いながら、レオナは民衆に近づき、強烈な匂いのする手を差し出す。濡れていても匂いは落ちず、むせ返る匂いだったため、匂いを嗅いだ女性は咳き込んだ。ハンナはすでに彼女の匂いを嗅いでいたので知っていたが、もう一度嗅いで、改めてマシューへの憎しみを募らせる。
「私は、裸にされ、腸を抉られ、眼球をくりぬかれ、悔しかった……恥ずかしかった……死んでいたから痛みは感じなかったけれど、心は痛かった。全部あなたのせい」
 レオナは、俯いたままマシューの方を向き、指を指して言う。
「私は死にながら貴方を恨んだ。そうしたら、綺麗な石を持ったぬいぐるみの悪魔の一人が、もう一つ石を渡してくれたの」
 レオナはうつむいたまま口に手を当てる。そして、顔を上げて手をどければ、彼女の舌にはこれ見よがしに小さな石が乗っており、見せるのに満足したところで、それを再び飲み込み、俯いた。
「私の死体が、こうして動けるのも!! 私の死体を、動かしてくれるものに出会えたのも、全部ぬいぐるみの悪魔のおかげ!!」
 つかつかと、聞こえよがしな足音を立ててレオナがマシューの方へと近寄る。
「悪魔のおかげで、私は……貴方がやってきたことが、魔女ではなく、一般人を殺すだけの愚かな行為であることを証明できた。当然だわ……だって、魔女は……貴方につかまるほど愚かじゃないもの!! こんな風に、死体ですら動かす事が出来る悪魔から力をもらった魔女が、自分に自分で傷をつけるコツら出来ないなんてありえないわ!!」
 レオナが、マシューの首を掴み、持ち上げる。マシューは小さく悲鳴を上げ、持ち上げられながらレオナの腕を蹴りあげるが、彼女はびくともしない。
「ところで、貴方は……魔女かしら?」
 ぽい、と用水路に放り捨てられたマシューは、空中で木の葉のように減速し、着水した後も沈むことなく水に浮いていた。
「こ、これは……その、あの……」
 浮いている。そして、針でも傷がつかない。どこからどう見てもレオナの方が悪魔なのに、裁判の方法から考えればマシューの方が完全に悪魔である。
「おや、浮きましたが……あの体制で縛られないと、正しく調べられませんか?」
 冷たい用水路に浮かべられたマシューを見おろし、レオナが尋ねる。
「そ、それは……」
 たとえ、縛られても同じ結果が出る。出せることをマシューは知っている。だから、泳いで縁までたどり着いたマシューは、レオナの質問に答える事も、目を合わせることも出来ない。
「答えられるわけ、無いですよね」
 レオナがほくそ笑む。
「アハハハハハハ……アハハハハ」
 レオナはマシューを指さして、狂ったように笑いだす。

「あ、悪魔め!! ルカリオ、奴を攻撃するんだ!」
 マシューの従者が、命令するもルカリオは首を振って拒否した。ルカリオが怖かったのは、レオナはもちろんこと、周囲の人間であった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの理論で、自分にまで憎しみの感情を向けられていることが、ルカリオと言う種族にはわかる。そして、従者の言う通りにすればそれが悪化することも、ルカリオにはわかっていた。
「言ったでしょう? 私は貴方達に危害を加えるつもりはないと。悪魔は、案外優しいのですから……ですから……ね」
 レオナは橋の上を指さした。いつの間にか集まっていたマスクをした集団は、その指の動きに合わせてマスクを取る。美少年と、美女であった。
「だから、あそこにいる悪魔達も……貴方に危害を加えようなんて気は……全くありませんよ。ほら」
 レオナが、橋の上に居る者達が、自分の首を絞めるように自身の首に手を回す。そこに、縫い目が現れた。
「あの縫い目は、貴方のギロチンによって生まれた傷」
 橋の上に居る者達が上半身の服をたやすく引き裂く。腹には。ぱっくりと割れた穴をふさぐ縫い目があった。
「あの縫い目は、貴方が腸を引きずり出す時に、ついた傷」
 陶酔するように言って、レオナは目を閉じる。開くと、目がなかった。血の涙があふれ出していた。
「貴方は、一度私達の目をくりぬいた……そして私達を物言わぬぬいぐるみにした」
 レオナは、首の縫い目に強引に指を突っ込む。もはや生前の美しさなどどこにもないレオナの首から上は、縫い目がぶちぶちと音を立ててはち切れることで、仮葬のための覆面のごとく剥がれる。橋の上の者達もそれに倣った。
「だから、私達は、ぬいぐるみの悪魔に体を渡せたの」
 覆面となった顔がしゃべる。中には、(当時人間がジッパーを開発していなかったため)口が縫われているぬいぐるみの悪魔。ジュペッタがいたが、そいつは喋っていない。そのジュペッタには、本来ならあり得ない場所に縫い目があり、右目の上から角のように伸びた後ろ髪をらせん状に走る縫い目がある。
 ジュペッタの変種は、レオナの覆面を放り捨てるが、放り捨てた覆面はなおも口を動かししゃべり続ける。橋の上の者達も、覆面を取り外していた。ジュペッタの顔がそこにあった。
「私達は、貴方を恨んだ。殺された者も、その肉親も……その恨みで腹を満たした絞首刑のぬいぐるみと、ぬいぐるみの悪魔は、そのお礼にと私達の頼みを聞いてくれた……私達が悪魔でないことを、証明したいとね」
 放り捨てられたレオナの覆面が地面でぺしゃんこになりながらも、口を動かしながら言う。その光景を見て気を遠くして、倒れた者が数名。それほどショッキングな光景であった。
「それを果たしてもらったから……ぬいぐるみの悪魔の出番は終わり。貴方達には危害を与えないで……今後の成り行きを見守るでしょう」
 そこまで喋って覆面は喋らなくなる。ジュペッタの変種は、レオナの死体(もしくはぬいぐるみというべきか)を脱ぎ捨てて、その全貌を露わにする。ジュペッタの変種は、手首の縫い目と、腹に走る縫い目から赤紫色の四肢をのぞかせるという、醜悪な外見をしていた。その変種のジュペッタはハンナに近づき、その手を引っ張ってレオナの覆面を耳に当てる。
「ごめんね、ハンナ……こんな、最悪な再会で。でも、どうしても……悔しかった」
 そんな声が聞こえて、ハンナは泣き崩れた。小さくなった彼女の背中に、ジュペッタは優しく手を置く。傍目には、慰めているとしか思えない光景に、ジュペッタを追い払おうとする者はいなかった。


 しばらくして、ハンナは顔を上げて叫ぶ。
「悪魔め!! 姉さんを返せ!! 優しかった姉さんを返せ!」
 ハンナの声に、民衆たちも便乗して叫び出す。悪魔め、悪魔め、悪魔め! もっと悪魔らしい見た目のジュペッタやその変種すらそっちのけで叫んだ。ジュペッタ達は、そそくさと走り去っていった。
 終わってみれば、ジュペッタ達は、マシューが水に濡れたことと、針に刺されてチクっとしたこと以外は、本当に人間へさしたる危害を加えることなく、その場を後にしている。しかし、ジュペッタが人間に危害を加えることはなくとも、人間が人間に危害を加えることを、ジュペッタは止めも勧めもしていない。
 周りで見ていた者達は、彼らの死体の内側にこびりついていた香辛料やフレフワンの毛を見て、レオナの言葉が真実であることを知ってしまっている。そして、今までのインチキ裁判が証明されてしまったことも併せて怒り狂っている。民衆が、目を血走らせてマシューの元に殺到する様は、まるでジュペッタのようであった。




 その後、マシューが裁判にかけられたという記録はない。だが、楽に死んではいないだろう。悪魔は案外優しいが、人間は残酷なのだから。






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