35 次は何して遊ぼうか 久方小風夜(HP




『ひとりかくれんぼ』
 ※実行は自己責任で※
 用意するもの
 ・手足のあるぬいぐるみ
 ・針と赤い糸
 ・生米
 ・……


 時刻は午前二時半過ぎ。時計代わりにつけているテレビでは、これ一本で十五歳若返りきめ細かなすべすべもちもちぷるぷるシミなし美白肌になるとかいうちょっと効能が欲張り過ぎな化粧水の通販番組が流れている。テンションの高いナレーションが、今の部屋の状況とあっていなくて少し邪魔に感じる。
 インターネットのオカルトサイトに書かれていた通りの材料を集めて、もう一回手順を確認する。大丈夫。全部そろってる。隠れ場所のクローゼットに塩水を置いたし、ユニットバスの風呂おけに水も張っておいた。
 とある日、ふと見かけたサイトで出会った遊び、「ひとりかくれんぼ」。人形を鬼に見立てて深夜にかくれんぼをすると、不思議な現象がたくさん起きるのだという。
 いとこの自称オカルトマニアであるマユリに電話で話をすると、「絶対やらない方がいい」と言われた。でもやってみる。何か面白そうだから。オカルトに精通したマユリが言うのだから、きっと本当に何かしらあるのだろう。私は生米と自分の爪を入れたミミちゃんのお腹を縫いながら、「シャレにならないから本当にやめなさいよヒロちゃん」とマユリに電話越しに何度もしつこく言われたのを思い出した。ちなみにヒロちゃんは私。本名はヒロミ。
 ミミちゃんはミミロルのぬいぐるみ。私が小さな頃からずっと持ってたもの。小さな頃はどこかにお出かけする時も、寝る時も、ずっと一緒だった。本当は使いたくなかったんだけど、手足のあるのが他になかったからしょうがない。まあ、ミミちゃんもいい加減ぼろぼろだし、そう遠くないうちに捨ててただろうし。

 余った糸をミミちゃんに巻きつけ終わった頃、テレビからクロージングの音楽が流れ始めた。午前三時。ちょうどいい時間。私はミミちゃんを連れてお風呂場へ向かう。
「最初の鬼はヒロミだから。最初の……」
 自分が鬼の宣言を三回して、ミミちゃんを風呂桶の中に沈める。リビングに戻って電気を消す。テレビは砂嵐じゃないといけないみたいだけど、今の時代って放送終了しても砂嵐にならないんだよね。まあ、黒画面でいいか。目をつぶって十数えてから、カッターを持ってお風呂場に向かう。
 お風呂場に就いた時、私はちょっと息をのんだ。ちょっと声が出かけた。危ない危ない。
 だって、水の中に沈めたはずのミミちゃんが、風呂おけの縁に座ってたんだもん。
 大丈夫。このくらいは予想の範囲内。人形が動くのはよくあることってオカルトサイトにも書かれてたもん。そうは思っても、実際に目の当たりにすると、嫌な汗が背中にだらだらと出てきた。
「ミミちゃん見つけた」
 震える声で私は言う。始めたからには最後までやらなくちゃ。びしょぬれになったミミちゃんを持ちあげて、私は手に持ったカッターナイフをミミちゃんのおなかに突き刺した。
「次はミミちゃんが鬼」
 ミミちゃんを座っていたところにおいて、私は急いでクローゼットの中に隠れた。

 私はクローゼットの中で息を殺してじっとしていた。何も起こらない。静寂が耳に痛い。音をたてないようにスマートフォンの画面をつける。午前三時四十五分。まだもう少し隠れてなきゃいけないなあ。
 そんなことを考えていると、突然、部屋の中から物音が聞こえてきた。私は思わずスマートフォンを落としそうになった。
 ごそごそと、何かを探しているような音。部屋の中の様子は見えないけど、何かがちゃぶ台に乗ったり、降りたりしているみたい。
 一瞬、女の人の声が聞こえた。すぐ聞こえなくなったと思ったら、また一瞬だけ聞こえる。何度か繰り返されて、テレビのニュースだ、と私は気付いた。一晩中放送を休止していない局では、この時間、延々とニュースを流している。誰かが、テレビのチャンネルを変えている。
 部屋の中の物音は、次第にどたんばたんと大きなものに変わっていた。時お唸り声のようなものも聞こえる。私はぎゅっと自分を抱いた。震えが止まらない。寒い。この部屋こんなに寒かったっけ。
 ちらりとスマートフォンを見た。午前四時過ぎ。もう十分だ。やめよう。私はコップに入れていた塩水を口に含んだ。

 その時、目の前の木の扉が、ドンッ、という大きな音と共に震えた。少し間をおいて、もう一回ドンッ、という衝撃。カリカリカリとひっかくような音。唸り声が板一枚隔てたすぐ向こう側から聞こえてきて、またドンドンドンっと連続して扉が殴られる。私はびっくりして固まって、口に含んでいた塩水をその場にぶちまけてしまった。
 次の瞬間、クローゼットの扉が、黒くて鋭い爪でバリバリっと引き裂かれた。裂けたところをまた殴られて、細かい木片が辺りに散らばる。

 真っ黒な体。真っ赤な目。金色のチャック。
 怒りに体を震わせた様子のジュペッタが、唸り声を上げながら私をにらみつけていた。

 私は一瞬呆気にとられた。でも、ジュペッタのおなかに赤い糸が縫い付けられているのを見て、開いた穴からぽろぽろと生米がこぼれているのを見て、やっと状況を把握した。
 このジュペッタは、ミミちゃんだ。私にぼろぼろにされて、怒ってるんだ。
 私は震える足で逃げようとした。でも、ジュペッタの殺気に満ちた視線が突き刺さって、動けない。
 ジュペッタが鋭い爪を振りかぶる。必死に身体をよじって逃れると、ジュペッタの爪は以前クローゼットに置きっぱなしにしていた段ボールを引き裂いた。
 ばらばらになった段ボールから、何かがコロコロと転がってきた。昔マユリに持たされた、表面を油性マジックで真っ黒に塗ったモンスターボールだ。「これには魔を振り払う力があるのよ」とか意味不明なオカルト全開なこと言ってたから、適当に要らないものと一緒に段ボールに投げ入れたんだった。
 無我夢中でそれを拾って、ジュペッタに投げつけた。ジュペッタが収められたボールは、しばらく木片だらけの床の上でガタガタと暴れていたけれども、やがて動かなくなった。
 私はボールを拾ってちゃぶ台の上に置いて、床にぐったりと倒れた。
 助かった。生きてる。よかった。全身から嫌な汗がとめどなく流れ出た。放送休止時間が終わったテレビでは、朝の通販番組が始まっている。テンションの高い司会が、新しいフライパンの性能を大げさに説明している。
 疲れ果てた私はそのまま、床に突っ伏して寝てしまった。


 目が覚めると、部屋は静かだった。スマートフォンを確認すると、もう昼過ぎだった。私はよろよろと起き上がって、ちゃぶ台の上を見た。黒塗りのモンスターボールはそのまま、机の上に置かれていた。
 部屋を見渡すと、細かな木片が散らばっている。クローゼットの扉は粉々だ。大家さんに電話して弁償しなくちゃ、と私はため息をついた。ユニットバスへ向かい、風呂おけの水を抜いた。とりあえずシャワーでも浴びようかな、と思ったところで、ふと気がついた。
 何でこの部屋、静かなんだろう。
 私は慌ててリビングに戻った。テレビはついていない。
 ついていない。

 私は電源を切っていないのに。

 ぞわあっ、と寒気がした。私はその場にへたりこんだ。
 ちゃぶ台の上のモンスターボールが、かたりと少しだけ動いた。

 くすくすくす、と笑い声が聞こえた。部屋中の空気が淀み、ぬるりと肌をなでた。
 視線を感じる。それも四方八方から。
 窓には二階なのに、たくさんの紫色の顔が張り付いていた。本棚と壁の隙間から、薄い黒い手が何本も伸びていた。ベッドの下の影は笑っていたし、流しの下から桃色の髪のかぼちゃが顔をのぞかせて、愉快そうに歌を歌っていた。
 私が座ったまま少し後ずさると、桃色の髪のかぼちゃが流しの下から出てきて、私の膝に飛び乗った。そして腕のような桃色の髪で、私の首を縛ろうとしてきた。
「やっ……何これっ……!」
 私は必死で払い除け、急いで玄関へ向かった。逃げなきゃ。逃げなきゃ。
 ドアノブを下げてドアを押した。でも、開かない。鍵は昨日の夜からかけていない。慌てて確認しても、鍵はかかっていない。
「うそっ……やだ何で?」
 私は必死にドアノブをガチャガチャと動かし、扉に体当たりした。部屋の中にいるモノは、クスクスと笑いながら近づいてくる。
「やだやだ……やだ! 開いて! 開いてよ!」
 必死で体当たりを繰り返す。部屋の中の何かはすぐそこまで迫っていた。
 次の瞬間、ドアが突然あっさりと開いた。私は夢中で外に出て、ドアを閉めた。鉄扉の向こう側から笑い声が聞こえる。
 私は急いでその場から逃げだした。


 走っても、走っても、街中から視線を感じた。
 通り過ぎる家の軒先ではてるてる坊主が笑っていた。街灯の代わりにシャンデリアがぶら下がっていた。立ち並ぶ木は笑っていた。道行く子供の手には皆一様に紫色の風船が絡まっていたし、空には絶えず気球が飛んでいた。上も、下も、右も、左も、どこを向いても視線を感じる。笑い声が聞こえてくる。風は生温かく、空気がどろりとしている。足を止めると、何かに足を掴まれそうになる。
 何で、どうしてこんなことに。何が起こってるの。混乱して、涙がぼろぼろと零れおちる。目をぬぐおうとして、右手に握りしめていたスマートフォンに気がついた。
 急いでマユリに電話をかける。自称オカルトマニアのマユリ。モンスターボールを渡してくれたマユリ。「ひとりかくれんぼ」をやるなと警告してくれたマユリ。
「まままマユリ! お願い、助けて!」
「もしもし、ヒロちゃん? どうしたの?」
 私は泣きながら、夜中にやったことと、今の状況をマユリに話した。マユリはため息をついた。
「あれほどやっちゃダメって言ったのに」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「あのねヒロちゃん。「ひとりかくれんぼ」はね、ただの遊びに見えるかもしれないけど、これは降霊術で、れっきとした呪いなんだよ」
「呪い?」
 そう、とヒロちゃんは淡々としゃべる。
「人形にお米を入れたでしょう。あれは肉。それにヒロちゃんの爪を入れたでしょう。つまりその時点で、その人形はヒロちゃんそのもの。それに刃物を刺すのは、丑の刻参りとほとんど同じことだよ」
「藁人形にくぎを刺す、あれ?」
「そう。藁人形は相手の髪の毛を入れるでしょう。じゃあ今回、呪いは誰にかかってると思う?」
 入れたのは、私の爪で。つまりこの場合……。
「……私?」
「そうだよ。ヒロちゃんは、自分で自分に呪いをかけちゃったんだ」
「どどどどうしよう。どうすれば呪いが解けるの?」
「終わらせなきゃ。ヒロちゃん。「ひとりかくれんぼ」を、終わらせなきゃ」
 終わらせる? かくれんぼはもう終わった。ミミちゃんはもうボールの中。
 それじゃ駄目だよ、とマユリは言う。
「手順に書いてあったでしょう。使った人形は、燃やさなきゃいけないの」
「えっ」
「ヒロちゃんの勝ちを宣言して、人形を燃やす。そうしないと、「ひとりかくれんぼ」は終わらないよ」
 燃やすって、ミミちゃんを? ……ジュペッタを?
「私、出来ないよ……」
「やらなきゃ。じゃないと、ヒロちゃんはずっと呪われたままだよ」
「でも、燃やす、なんて……」
「……わかった。今から私、そっちに行くから。だから……」
 マユリがそこまで言った時、突然スマートフォンからノイズが聞こえてきた。マユリの声は聞こえない。
 マユリ? と何度も呼びかける。その時、突然音声がクリアになった。

『もしもし、私、メリーさん。今、駅にいるの。もしもし、私、メリーさん。今、駅前の道路にいるの。もしもし、私、メリーさん。今、コンビニ前にいるの。もしもし、私、メリーさん。今、あなたの後ろに』
「嫌ぁっ!!」

 私はスマートフォンを投げ捨てた。白だったはずのスマートフォンはオレンジ色になって、ケラケラと笑い声を上げていた。


 私は家に戻ってきた。本当は帰りたくなかったんだけど、これからマユリが来てくれる。だからきっと、大丈夫。玄関のドアを開けると、外よりより一層ぬるりとした空気が肌をなでた。笑い声が聞こえる。私は台所に置いてある油とライターを手にとって、リビングへ向かった。
 ちゃぶ台の上のボールを手に取り、放り投げる。中から、おなかに赤い糸が縫い付けられたジュペッタが出てきた。周りの笑い声が消えて、じっとりとした視線だけを感じる。
 ジュペッタはちゃぶ台に座って、じっと私を見つめている。私は手に持った油をジュペッタにかけた。

 燃やさなきゃ。じゃないと終わらない。この呪いは、解けない。
 油まみれのジュペッタは、何もせずただじっとこちらを見つめている。私はライターに火をつけた。辺りからざわざわとした雰囲気を感じる。
 ジュペッタは観念したように目を閉じた。ライターを持った私の手は震えている。
「……ミミちゃん……」
 物心つく前に、お父さんが買ってきたミミロルのぬいぐるみ。
 旅行の時も、寝る時も、ずっと一緒。一人暮らしを始めた時も、何となく連れてきてしまった。
「ごめんね……」

 私は、ライターを投げ捨てた。
 そして、ジュペッタを、ミミちゃんをぎゅっと抱きしめた。

 どうしても、燃やせなかった。
 ミミちゃんを鬼にしたのは、私。呪いの媒体にしたのは、怒らせたのは、私。悪いのは、全部、私。
「痛い思いさせて、ごめんね」
 私はぼろぼろと涙をこぼした。ミミちゃんはぽかんとしている。
「マユリならきっと、何とかしてくれるよ。オカルトマニアだもん。だから……ずっと一緒にいよ?」
 私がそう言うと、ミミちゃんは私をぎゅっと抱きしめた。
 部屋の嫌な空気が消えて、ふわりと爽やかな風が吹いた。

 油まみれになったミミちゃん。私の服も油まみれ。
「お洗濯しなきゃ、ね」
 私がそう言って笑うと、ミミちゃんもにっこり笑った。

 ユニットバスの洗面台にミミちゃんを置いて、たんすの中のタオルを取りに行く。洗剤はどうしよう。衣類用かな。油だから台所用の方がいいかな。そんなことを考えながら、ユニットバスに戻った。
 私は、タオルをその場に落とした。
「……え?」
 蛇口はいつの間にか風呂おけに向けられていた。私がタオルを取りに行くほんの数分の間に、風呂おけには半分くらいの水がたまっていた。
 その中に、ミミロルぬいぐるみのミミちゃんが沈んでいた。
「なん、で……?」
 蛇口を閉め、ミミロルぬいぐるみを水の中から拾い上げる。おなかの赤い糸がなくなっている。
 水面に浮かんだ糸が、文字の形になっていた。

ミ イ ツ ケ タ

 次の瞬間、排水溝からピンク色の触手が伸びてきて私の身体に巻きついて引きずり込まれあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 どんどんどん、と扉を叩く音がする。
「ヒロちゃん? ヒロちゃん?」

 部屋の中では、ぽたりと水が落ちる音だけが響いていた。






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