森の奥からやって来る黒い陰。「悪夢屋」ダークライに久しぶりの仕事が来たようだ。
「悪夢屋」という稼業の歴史は長い。その起源は、ポケモンがまだ「魔獣」と呼ばれていた時代にまでさかのぼる。
その頃の人間のポケモンに対する扱いは酷いものだった。捕えたポケモンは皆、鎖と鎧で拘束されえんえん人間にこき使われた。逃げようとすれば罰として拷問され、刃向えば殺された。不思議な力を持つポケモンのことを人間は便利に使いながらも恐れていたから、見せしめとしての拷問や殺戮は徹底して行われた。完全に抵抗の機会を奪われたポケモン達は、不満を持ちつつも長いこと人間の奴隷として服従を続けていた。
ところがある日、一匹の悪夢を操るポケモン、つまりダークライが立ち上がった。そのダークライは同族の者を集め、報復として想像を絶する程恐ろしい悪夢を毎夜人間達に見せた。悪夢を見続けた人間達は次々と正気を失い、自ら命を絶つ者までいたそうだ。困り果てたある国の王様が三日月の島と呼ばれる場所で夢の神様、はっきり言ってしまえば、クレセリアにお伺いをたてたそうだ。するとクレセリアは、ポケモン達への行いを改めれば悪夢は無くなると教え、それから少しずつ人間達はポケモンとの関係を考え直すようになった。
しかし、習慣というのはなかなか抜けないものだ。
それからもポケモンは事あるごとに痛めつけられこき使われた。だが、そのたびにダークライ達は、その者が悔い改めるまで悪夢を見せ続けた。
その繰り返しの結果、今に至る。
歴史上のダークライ達は完全ボランティアで悪夢を見せていたが、今は「悪夢屋」というビジネスとしてある。
現在の「悪夢屋」は憎んでいても表だって攻撃できないポケモンから依頼を受けて、「悪夢」を見せることで、代わりに人間に復讐する仕事だ。仕事自体は単純なものだが、実際はそんな簡単な話じゃない。仕事の中身が中身だけに日の目をみることもない。
あの黒い陰、すなわちヨノワールは、ブローカーと呼ばれる類の連中だ。ブローカーは依頼を集めてそれを悪夢屋に持ち込んだり、仕事が円滑に進むよう悪夢屋の必要をそろえる。つまりは、パイプ役兼サポート役というわけだ。
あのヨノワールは俺の専属のブローカーだ。悪夢屋の誰もが専属を持つわけではないが、俺はブローカー組織から一目置かれているおかげで、あのヨノワールをパートナーにできた。多少抜けた奴だが結構重宝している。
ヨノワールは俺の元に来るなり、さっそく依頼の説明を始めた。
「今夜のターゲットは三人だ」
「ハァ、一か月も仕事を待って、たったの三人か……」
「そういう時代だ。仕方ない。お前もさっさと隠居して、どこかの人間に着いたらどうだ? ダークライのお前なら引く手あまただろう」
「そうだな。考えておこう」気のない声で、ダークライが答えた。
ダークライに人間に着く気はサラサラ無い。彼が悪夢屋をするのは、その需要以上に重要な理由があるからだ。
ヨノワールは、諦めたように首を振った。
「私は確かに忠告したからな。後悔しても知らんぞ」
「余計なお世話だ。ほら、さっさと行くぞ」そう言って先に行ってしまった。
「すぐに思い知るさ。すぐにな」
誰もいなくなった森の中、ぼそりとヨノワールが呟いた。
森を抜けるとそこには二羽のムクホークがとまっていた。ダークライの住処は孤島なので、外に出る時はいつも、海を泳げるポケモンか空を飛べるポケモンが必要になる。仕事で出るときはいつも、このムクホークに乗っていく。飛んで行ったほうが断然早いし、海を渡った先でも移動に便利だからだ。それに、ダークライが船酔いしやすいというのも、理由としてある。
余談になるが、ムクホーク達は悪夢屋とも、ブローカー組織とも全く関係のない、通称「運び屋」という所から来ている。移動の足は重要だ。悪夢屋・ブローカー組織、どちらか寄りの鳥ポケモンでは、仕事先で衝突があった時、動きを封じられてしまう可能性がある。それぞれで用意しようにも、ダークライはその辺の「コネ」を持っていない。しかも、そうすると用意したポケモンの間で、移動能力(速度やスタミナ)に差が出る可能性がある。それでは危険だということで、事前に「運び屋」をそれぞれの合意で決めておき、そこから移動用ポケモンに来てもらう。
移動中、ダークライはずっと最初のターゲットの事を考えていた。
ヨノワールによれば最初は、女の子供だ。
子供相手は苦手だ。別に無垢な子供を傷つけるのが嫌なわけじゃない。そもそも、依頼が来ているという時点で無垢ですらない。
子供の恐怖は不安定なのだ。
悪夢屋はターゲットに悪夢を見せる前に、まず「恐怖のツボ」をさぐる。相手がどんな物事に恐れるか先に調べておき、効率よく悪夢を見せるためだ。ところが子供の場合、そのツボがなかなか安定しない。
例えば、ゴーストポケモンを怖がる子供に、ヨマワルに追い回される夢を見せるとする。その子供は、初めは恐怖に泣き叫ぶのだが、だんだんと慣れていき、しまいにはヨマワルと仲良く遊んだ夢になってしまう。
こういったことは普通、対象の誤解から起きる。つまり先ほどの場合なら、実はゴーストポケモンでなく、「ジュペッタ」だけが恐怖のツボだった、というような、ツボの取り間違いが原因だ。
それが子供の場合、ツボの不安定さによることが多い。それまで怖がっていたのに突然平気になってしまう。子供とは案外、恐怖に対する免疫が強いものなのだ。
ベテランの悪夢屋であるダークライも、子供相手は成功率が芳しくない。加えて久しぶりの仕事だ。彼は、いつも以上の緊張感を感じていた。
「着いたぞ」
そう声をかけられるまでムクホークが徐々に下降していることにすら気づかなかった。