世間は『クリスマス』というものらしい。街に出ると、赤と緑をよく見かけるようになり、明るいネオンや飾り付けられた針葉樹が輝いている。
クリスマスとは神の子の誕生祭であり、二十四日のイブは前夜祭であること、夜にはサンタさんやデリバードが良い子にプレゼントを配る日であることまで私は知っている。知らなくても不自由は無いだろうが…。
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もしも私がプレゼントとして欲しいものがあるとしたら、それは『三日月の羽』だろう。これまで“私自身が”一番振り回されてきた自分の特性を抑えることのできる可能性の一つとして、ひそかに心に留めてきたものだからだ。
考えている自分でもばかばかしいと思う。あくまで推測であり、実際に何が起こるのかは全く分からない。私の身に異変が起きる、もしくは羽に何かが起きる可能性も十分にあるからだ。
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夕暮れの薄暗い裏路地に入る。私が今いるコトブキシティも、例に漏れず表通りではきらびやかな輝きを放っており、私にとっては薄暗い場所が一番過ごしやすい。輝いている場所には、あまり似合わないこの黒と赤の身体。影に隠れるのが定めである。
ふと、目の前に何かがいるのに気付いた。薄暗い中よくよく見れば、それは小さな水色のポケモンである。毛糸のマフラーを身体に巻いているが、小刻みに震えていた。少なくとも、この寒さの中放っておけるような状態ではない。
「どうしたんだ、こんな場所で」
「……」
小さな影は答えない。別に気を失っているわけではない。確かに薄暗いが、金色の瞳はしっかりと私の姿をとらえているはずだ。……きっと恐ろしいと思われているのだろう。ところがいつまで経っても逃げもせず、答えもしなかった。私もしばらく、動かずにいた。
「……い」
「?」
「寒い……」
二度目はかろうじて聞き取ることのできる声だった。逃げる様子は無かったので、その小さな身体をマフラーごと持ち上げ、抱え込む。淡い黄色と白で編まれたマフラーの隙間から、黒くて細長い尻尾の先に付いている、手裏剣型の部分がはみ出した。
裏路地の影も、クリスマスの輝きの影も暗く感じた。しばしの間、自分が入ってきた路地の入り口に見える輝きをぼうっと見つめていた。
「ねえ、おじさん」
突然、抱えている影がはっきりと喋り、少し驚く。
「おじさんさ、名前なんていうの?」
おじさん――別に間違ってはいないと思う。多分。自分の年齢とかは、数える意味をとうに成さなくなったので覚えていない。私達ダークライという種族は、少なくともニンゲンよりは遥かに長い時を生きるともいうが……。
名前に関しては少々迷ったが、正直に答えることにした。
「私はダークライ。名前は無いんだ」
無いの? と聞き返すそれに、うなずく。
「そっかぁ。ぼくコリンクのルキっていうんだ。あのさ、おじさんに名前が無いなら、温めてもらったお礼に考えるよ?」
初めて笑顔をみせたコリンク。その純粋な笑みは、私の心に何か違和感を感じさせた。コリンクはそのまま続ける。
「ぼく、生まれてからずっとこの街にいるんだけど、みんなぼくを引っかいたり、噛み付いたり、蹴ったりするんだよ。おじさんみたいな、温めてくれるポケモンは初めてだからさ」
ずっとこの街にいる。生まれた時から。普通、彼くらい幼いポケモンの場合、野生であればまだ親と一緒に行動していると思うのだが。何故ニンゲンの身に付けるマフラーを持っているのだろう?
「ルキ、そのマフラーはどこで見つけたんだ?」
「ごみ捨て場だよ。たまたま見つけたんだけど、便利だから今はぼくの宝物なんだっ」
「いいものを見つけたんだな」
「でしょ?」
どうやら自分で見つけた物のようだ。
得意げな彼の笑みは私の心を温めながら、どこか痛々しくも感じさせた。おそらくタマゴの時から、無責任なニンゲンによって背負わされた彼の生きる場所を、くっきりと映し出しているようで。
「ルキの野郎、ここにいやがったか」
突然、背後から聞こえた不気味な声。振り向くと、四足の影に長い角と、矢印の尻尾。ヘルガーのようだった。それだけではない、気配を探るとやつの後ろにもう数匹、私達を挟んで反対側にも気配がある。……完全に、囲むのが目的らしかった。
「そこの黒いの、見かけねぇヤツだな。悪いがそいつを置いていってくれないか? ここらは俺たちのナワバリでねぇ」
明らかな敵意を含んだ声に、腕の中のルキが震えた。まるで私にすがり付いてくるように。
「置いてどこかに行け、という割には出口が無いじゃないか?」
ここは強行突破しかないだろう。
ヘルガーがニヤリと笑ったように見えた。直後、何本もの赤い火柱が私達に向かって放たれる。
紅の檻の起動を読み、慣れ親しんだ戦闘の勘から隙間を潜り抜ける。ルキがほんの少し悲鳴というか、驚きの声のようなものを上げたように聞こえた。
それから上に飛び、あくのはどうをヘルガーに向かって打ち込んだ。所詮は町の野良ポケモン。一発脅せば充分だろう。案の定、立ち上った煙が晴れたそこにはもうヘルガーも、ほかの気配もなかった。
「おじさん、すごい……」
下を見下ろすルキ。
「おまえを引っかいたり噛み付いたりするっていうのは、あいつらか」
「うん。せっかく見つけたご馳走を奪われたりとか、たまに炎を当てられたりするよ…痛いし、怖い」
日々の食事にも事欠くのであろう。街の野良ポケモンとは、哀れなものだ……。
宙に浮いたまま、ふとひらめいた私は路地に戻らず、建物の間を上へと昇っていった。家々の屋根が視界の下へ遠ざかっていく。
「おじさん?」
「いいものが見れるぞ。良いと言うまで、目をつぶっていていろよ」
子供相手に浮かんだ、魔法の言葉のような、おまじないのような。
少し不安そうな顔をしながらもルキが目を閉じたのを見て、上昇するのを再開する。もうすでに立ち並ぶビルディングの屋上が見下ろせるくらいの高さで、もういいぞと声をかけた。彼が息を飲むのが分かったが、それ以上は言葉にならないようだった。
「うわぁ……」
視界一面に広がるのは、街の輝き。
コトブキ――ルキが生まれた街の、素晴らしい夜景。
「きれいだなぁ……!」
やっと声が出るようになった、とまで思わせるようにルキは呟いた。と、何かが視界の隅にちらついた。
見れば、それは天から降ってくる、純白の雪――。
ぼやけたように街明かりに染まる無数のそれは、夜景をさらに幻想的にさせた。
「おじさん、すっごく強くて、優しいと思う」
すぐに心を開くことのできる子供だからこそ、言ってもらえた言葉。少し照れてしまうほどに、温かい。そんな中でも静かに、ひんやりと、自分の意識は張り付いてきた。
私は、彼と一緒に居てはいけないのだ。どれほど美しい夜景の中にいようと、ダークライであることに変わりは無い……。雪で夜景がぼんやり見えるように、自分もまた白い雪に覆い隠されたいとも思う。
「ルキ」
努めて辛さが声に出ないように言うのが精一杯だった。
「私は、お前とは一緒に居られないんだ」
「…なんで?」
「私の近くにいると、悪い夢を見てしまうんだ」
「すごいっ!」
「 」
悲しみとかそんなものとかじゃなくて、まず返事に面食らった。言葉が出てこないとはこの事である。
「それ本当!? ねえ、ぼく今日はおじさんと寝てみたい!!」
顔を輝かせながら、まさかこんな事を言われるはめになるとは。
黙ったままでいる私が気になったらしい。ルキは私の目を見ながら、続けて話しかけてきた。
「一晩だけでもいいからっ!」
こうなってしまっては、もう何を言っても聞かないだろう。……子供の世話をする親の気持ちが、なんとなく分かってしまった気がしなくもない。
しかし、あまり馴れ合ってしまっては別れが辛くなるだけなのではないか?
「おじさん、おはよう!」
「ああ、おはよう」
この時期のシンオウにしては珍しく、快晴の朝だった。ルキは、私が持っているものを気にしたらしい。
「おじさん、なにそれ?」
「これはね、新聞というんだ」
「しんぶん?」
*
話はそれるが、私がダークライとして生まれ、酷い目に散々遭ったにもかかわらず何故、人やポケモンを傷つける道に進まずに済んだのか。それは自分が思うに、生まれつき私に備わっていた“知識欲”のおかげであろう。
まずはニンゲンの言葉、文字。言葉を理解できるポケモンは多いだろうが、文字を読めるものはそうはいない。文字を読める事は、私の密かな誇りでもあった。
それから昔から伝わる神話、昔話、行事に興味を持ったのだった。見た事の無い場所やポケモンにも思いをはせた。
……ここだけの話だが、深夜の図書館に入り込んだりして片っ端から本を読んだこともあるほどだ。もちろん本は全部元に戻し、警備員の目をかわす事は簡単だった。そして、今読んでいる新聞はニンゲンの“ごみ捨て場から”あさって来た物である。ホームレスのようだとかはどうか言わないでおいて欲しい。
*
政治とかいう難しい記事は飛ばし、クリスマス特集を読んでいる私の横から、ルキが紙面を覗き込む。
「……ぜんっぜんわかんない」
頬をふくらませて、ぶうっとふくれた表情はなんとも子供らしい。
新聞を裏返し、日付を見ると十二月の二十三日になっていた。昨日の夕刊であるから、今日は二十四日、クリスマス・イブになる。パサっと新聞を閉じ、ルキに言った。
「今日はニンゲン達にはクリスマス・イブという日で、子供はプレゼント…贈り物がもらえる日なんだそうだ」
「ふうん…贈り物かぁ……」
「そういえばルキ、悪い夢は見たのか?」
「うん…すっごくこわかった……」
ルキの顔は恐怖に歪んでいた。
――ルキの表情を見て、心が決まった。
明日の朝に、ルキとは別れよう、と。やはり私は、悪夢を見せてしまうのだから。
彼がどんなに私を信頼していても、許されない事なのだ――
その日は一日中路地裏で過ごした。ゆったりとした時の中で、私が経験した事とかをルキに語ってやると、彼は案外熱心に耳を傾けるので、話しているこちらも嬉しかった。
夜は、昔に知ったシンオウの昔話をルキに語ってやることにした。
聞かせてやるうちに寝息が聞こえてきて、話すのを止めた。
明日の朝、彼はどんな顔をするだろうか。彼の寝ているうちにそっと立ち去ろうか、きちんと話してから、さよならと言おうか……。結局、決める事はできなかった。
もう寝ようと思い、建物の壁に寄りかかって私も目を閉じた。私の肩の上でマフラーに包まれ、幸せそうな彼の顔がずっとまぶたの裏に残っていた。
どうか強く、生き延びて欲しい――
「おじさーん!」
ルキの明るい声が響いた。
目をうっすらと開けてみると、まだ少し薄暗い。
「ねえこれ、見て見て!!」
ルキが差し出し、目に映った物に驚愕した。
三日月形に曲がった、薄く金に輝く羽。
まさしく、私がほんの少しの希望をかけてきた物そのものだった。
「……おじさん?」
ルキが不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「何でそんなに驚いてるの?」
「いや、すごく、綺麗な羽だと思ってな…。きっと、誰かがお前にクリスマスプレゼントとしてくれたんだろう。大切にするんだぞ」
「おじさんがくれたんじゃなくて?」
いや、私からではない、とルキに言った。
昨日の晩、三日月の化身がたまたま落し物をしていったのだろうか。
「あのね、おじさん」
「何だ?」
「おじさん、昨日旅をしてるって言ってたよね?」
そう、行く当てもない旅を。
「ぼくも、付いていってもいい? いろんな物が見てみたいし、ぼくもおじさんみたいに強くなりたい!」
昨日なら、きっぱりと断っていたはずの言葉。しかし、彼が三日月の羽を持っているのなら話は別だ。
「お前がそうしたいのなら、歓迎するよ」
「やったー!! ……あ」
ルキが何かを思い出したように、言葉を切った。
「おじさんの名前さぁ、まだ考えてないんだ…ごめんね、せっかくのクリスマスプレゼントになると思ったのに…」
「いいんだ。旅をしながら、ゆっくり考えてくれればいい」
私は笑って答えた。
それに、私はもう日々を共に過ごす仲間という立派なプレゼントを一つ貰っているのだ。
最初は町を出て、森に行ってみようと思った。ルキ達が本来暮らしているはずの場所へ。
何よりも、次に“向日葵の彼女”に逢えたときに話す事が一つ増えたのが嬉しい。
神の子が生まれた日の朝日を浴びながら、二つの影は静かに街を出て行った。
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メリークリスマス! あのお話(どのお話だ)に登場したダークライさんの続編ですよっと
コリンクに「おじさん」と呼ばせるかどうか凄く迷いましたが…性別は不明ですけどとりあえず気にしないでくださいね(汗
【書いてもいいのよ】 【描いてもいいのよ】