そいつは、突然僕の影に現れた。一人ぼっちで泣いている僕の影で、あの独特の赤い目を浮かび上がらせて口を裂けんばかりに横に広げ、ニヤリと笑った。
周りには誰もいない。理由は分からないけど、数日前から誰も僕と遊んでくれなくなったのだ。それどころか何かにつけ暴言を吐かれ、殴られ、蹴られる。おかげで僕の体は痣だらけになった。
でも何も言えなかった。僕には両親はいなくて、孤児院で育ったからだ。でもそれを理由にしたって皆今までは何の偏見もなしに遊んでくれていたのだ。
どうして。どうして。
そんな単語を何百回も繰り返し吐き続けていたら、そいつが現れたのだ。そいつは僕の表情を見てまた笑うと、よっこらせとでも言うように影から出てきた。一頭身。顔と体の境目が分からない。目は黄昏時の太陽よりも赤かった。
僕は必死で頭の中を穿り返し、四文字の答えを出した。いつだったか教科書で『危険なポケモン』として学習した覚えがあった。こんな説明文だったと思う。
『やまで そうなんしたとき いのちをうばいに くらやみから あらわれることが あるという』
最初に言っておくけど、そこは山ではない。遭難もしていないし、夕方であって真っ暗でもない。それでもそいつは僕の前に現れた。短い手を差し出され、訳も分からないまま僕は涙で濡れた手でそいつの手を握った。
それからそいつと僕はつるむようになった。どうやら他人には見えないらしく、やりたい放題、し放題。花と水が入っている花瓶を持ち上げるわ、給食のクリームシチューを一匹で全部食べ尽くすわ、全く掃除していない黒板消しをブン投げるわ。
数え切れないほどの悪事をやらかした。先生もクラスメイトも何もできずに、ただおろおろするばかりだった。僕はそれが可笑しかった。いつも威張っているばかりの先生が、僕を苛めるクラスメイトが何もできない。
ざまあみろ。
そんな言葉が『どうして』の替わりに何重にも折り重なっていった。
成長するにつれ、僕は周りのことをあまり気にしなくなっていった。どんな事を言われても、自分は自分だと思えるようになったからだ。そしてその気持ちはそいつにも向くようになった。元はと言えばそいつが勝手に自分の影にひっついていただけで、手持ちと言うべきポケモンではなかったのだ。
そう考えるようになった時は既に、僕は親切なお金持ちから孤児院に送られてきたイーブイやその進化系に夢中になっており、そいつのことをほとんど忘れかけていた。
ある日、久々にそいつのことを思い出して名前を呼んでみた。だが返事はなかった。おかしいなと思ってもう一度呼んでみたが、やはり返事もないし現れることもなかった。
孤児院の周り、学校、更には町内を一周してみたけどそいつの姿はどこにもなくなっていた。初めて出会った時と同じ、黄昏時の光が全てを赤く照らしていた。
その後、僕は孤児院を出て高校に入り就職した。未だにそいつには会えていない。消えたのか、また別の影を求めてどこかにいるのか。
残業中、ふと一人の影を見つめるとあの笑いが頭に響いてくるような気がするのだ。