※『羊たちの沈黙』『ハンニバル』的要素があります。
それに侵されし者、目は窪み、四六時中透明な液を垂れ流し、異形の物と化す
ほとんどの者は助かることなく、そのまま暗い部屋に閉じ込められ一生を終える
やたらに何かを口にしたがり、部屋の扉を歯で噛み千切り脱走したという話も残っている
その名前は――
むかしむかし。
イッシュ地方がまだ、そこまで国際的に発展していなかった頃。年で言えば二百年くらい前のこととなります。大きな戦争や地震が訪れ、世の中が混乱していた……そんな時代。
ある街に、別地方からの貴族が移り住みました。当時では考えられないくらい豪華な家に次々と調度品や美しい服が運び込まれ、まるでどこぞの王族が引っ越してきたかのように一時街はお祭り騒ぎとなりました。
引っ越してきてから数日後、その貴族が街中に知らせを貼り付けました。内容は、前に住んでいた場所で使っていた召使達は全て向こうで解雇してしまった。なので、この地方で働いてくれる召使を募集する、というものでした。
その下に書かれていた額に、その街の人々は喜んで飛びつきました。当時はまだ観光事業もなく、人々は近くの海でとれる海獣を少しずつ売って暮らしていたのです。とはいえ、雷馬などに乗れば一週間もかからずに一周できてしまうくらい狭い地方でしたからそれらはどこに行っても出回っており、売れてもたいしたお金にはならなかったのです。今と違って、大きな港も、コンクリートで包まれた巨大な街もなかったのでいささか小さい地方と見られていた、と当時の文には書かれてあります。
さて、屋敷に嬉々として集まった者達にその家の頭首は言いました。
『面接も何もいらない。ここに来た者達は明日から来てくれて構わない。給料は月に金貨二枚』
相当な給料です。彼らが常日頃から使っていたのは銅貨でしたから、その倍以上にもなります。
沸き立つ彼らに、頭首はもう一つ付け加えました。
『最後に一つ。この屋敷には地下室があるが、そこには決して行かないように。もし行く者がいたら、連帯責任としてお前達を全員解雇する』
地下室。決して行ってはならない場所。それに引っかかりを感じる者もいましたが、もし行ったら解雇されてしまうという言葉を耳にして何も言わなくなりました。
――一人を除いては。
その少年は両親がいませんでした。幼い頃自分を一人残して漁に出たきり、帰ってこないのです。周りの人の話では嵐に遭って船が飲み込まれてしまったのだろうということを聞きました。なので、様々な仕事をしながら一人で頑張って暮らしていました。
時には、他人の手を借りることがありました。ですがどうしても育ち盛りの体には十分な食事を摂ることができません。
そこへ現れたのが、その貴族の知らせだったのです。少年は喜んで大人達に混ざって屋敷へ行きました。そして頭首の話を聞きました。
彼はとても優しくいい子でしたが、一つだけ欠点がありました。子供だから仕方ないと思うかもしれませんが、余計なことに首を突っ込みたがる癖があったことです。すぐに頭首の言葉に興味を示しました。
ですが周りの人達の反応を見て、やめておこうかとも思いました。自分が解雇されるのは別に構わない。だって自分一人が進んでやったことだから。でも、そのせいで周りの人達が解雇されてしまったら……
そう思うと、興味は自然と薄れていくのでした。周りの大人達と一緒に窓を拭いたり、埃を掃いたり、食器を磨いたりして仕事をこなしていきました。
一ヶ月経ち、最初の給料が渡されました。小さな布袋に、金貨二枚。合わせてみると綺麗な音がしました。本物の金貨です。周りの大人達も同じようなことをしているのを見て、面白おかしく思いました。
そこでふと、なんだか人の数が少ないように感じました。一ヶ月前までは大広間に集まって息が苦しくなるほどだったのに、今はきちんと深く息が吸い込めるのです。変だなと思いましたが、回りの人達は皆金貨に夢中で全く異変に気付いていないようでしたので、少年も気のせいかと思い、金貨を服のポケットにしまいました。
それから一週間経ち、三週間経ち、また一ヶ月が経ちました。少年は今度こそ確信しました。どうみても、大広間が前より広いように思えるのです。それに今まで一緒に仕事していた人の姿が見当たりません。どうやら他の人は全く気にしていないようですが……
頭首は変わらず金貨を見つめる大人達を細い目で見ています。その目がなんだか刃物のように見えて、少年はゾクリと寒気がしました。そして、姿を消した大人達が一体何をしたのかが分かったような気がしました。
深夜。屋敷の暗い廊下を小さな影が走っていきます。あの少年です。大広間の端にある扉をそっと開け、中に入ります。当時懐中電灯なんて便利な物はありませんから、小さな松明を持っていました。
足元には元々積もっていた埃を踏んだのであろう夥しい数の足跡がついていました。壁には何もついていません。汚れていない、まっさらな白です。
少年はゴクリと唾を飲むと、下へ続く階段をひたすら降りていきました。暗い、どこまでも続くような空間に飲み込まれてしまいそうな気分になり、ギュっと肩を抱きます。
カツン、カツンと金属の響く音が耳にこびり付いていました。
どのくらい経ったのでしょう。段差がなくなりました。どうやら階段はこれで終わりのようです。
少年は冷や汗を拭うと、まだ続く廊下をひたすら歩いていきました。姿を消した大人達もここまでは同じように来たようです。足跡が残っています。
もう少し歩いて…… 何かを踏みました。足の裏で包めるくらいの細長い、何か。まさか、と思い少年は松明をそれに向けて……口を押えました。
それは、人骨だったのです。肉も皮もついていない、ただただ骨のまま。よく見ればその後の廊下にも落ちていました。小さな物は指でしょうか。頭蓋骨は目の部分が二つとも空洞になっていて、肉はおろか髪の毛すらもついていませんでした。
その時、少年の前から何かをしゃぶるような音が聞こえてきました。それは固く閉ざされた鉄の扉の奥から響いてきます。しかしそのドアも何度か壊されたような形跡があり、しかも妙な痕がありました。
そう、それはまるで、食いちぎられたような――
ぴたり、としゃぶるような音が止みました。そのままザッザッとこちらに向かってくるような音がします。
少年は震える足を叩くと、一目散に元来た道を走り出しました。走って、走って、階段を駆け上って……
やっと大広間にある扉を開けた時には、夜が明けていました。少年はそのまま気を失ってしまいました。
目が覚めた時、少年は大人達に囲まれていました。皆が皆、不思議そうな顔をしています。少年は何か言おうと思いましたが、恐怖のあまりうまく喋ることができません。大人達が顔を見合わせていると、頭首がやってきました。てっきり解雇されると思いましたが、彼は少年に優しく言いました。
『君は、悪夢を見ていたんだ。もう大丈夫だよ』
それから数年が経ちました。少年はすっかり青年に近い歳になり、外見も当時の面影は全くなくなっていました。その時彼は別の街で働いていました。別地方からの物資の受け入れが始まり、街を観光向けにしようと工事をするのに、人手が足りなかったのです。
前よりずっといい給料で雇われていた彼は、もうあの屋敷のことを忘れかけていました。
その屋敷は、あの件があってから数ヶ月後に突然、火事で全焼したのです。噂ではその貴族に踏み潰された別の貴族が復讐として放火したのではないか……と言われていますが、本当のことは定かではありません。
ですが、焼け跡から二人の遺体が発見されたことは間違いありませんでした。一つは頭首の部屋から。そしてもう一つは……
地下室から。
それと同時に大量の骨も見つかり、やはりあのことは夢ではなかったのだと青年は今になって思います。地下室から見つかった遺体は顎が発達し、どんなに固い物でもその気になれば齧ることができるくらいの力があったのではないか、と推測されたということです。
そしてそれから何十年も経った後に、他地方の奇病の中に、それと全く同じ症状がある物が見つかりました。
『悪食病』
その書物には、こう書かれています。
『原因不明の奇病。ポケモンが感染し、そのポケモンが人間を咬むことで感染するという説が一番有効だが、詳細は不明。数百年前、遠く離れた水と緑豊かな地方を襲った戦争に人間兵器として使われたという話もある。目は窪み、口から四六時中涎を垂れ流し、目に映った物は全て喰らい尽くすという。
中には、目が赤く染まったという話もあるが定かではない』
今では知る人もほとんどいませんが、もしかしたらこの世界のどこかで今でもそれは生き続けているのかもしれません。
『イッシュ地方昔話総集編 3』 より
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明日から修学旅行ということで一つ書いて行こうと思った。
【何をしてもいいのよ】