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  [No.2229] 愛される者 投稿者:紀成   投稿日:2012/01/29(Sun) 17:52:48   81clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

三年前、ポケモンリーグ、決勝戦。スポットライトとフィールドをぐるりと囲む客席に、満タンになった観客の声が大きく響く。どこまでも轟く、雄叫びのように。
ライトは暗い空を昼間のように明るく照らしている。星は見えない。月が隅っこで遠慮がちにペカリと光っているだけだ。太陽に照らされた月が霞んでしまうくらい、そこは輝きに満ちていた。
土で覆われたフィールド。
白い四角いライン。
ハイドロポンプとオーバーヒートの、メビウスの輪。空を飛ぶ者と地を制する者の、直接対決。
人々はその光景に我を忘れ、叫び、見入っていた。中心で勝敗を決めるジャッジでさえも、見惚れていた。
カメラに映されたその光景を、世界中の全ての人間が見守っていた。

彼らが見つめるフィールドに立っているのは、有名ベテラントレーナーでも、四天王でも、はたまたチャンピオンでもない。
「カメックス、ハイドロカノン!」
「リザードン、ブラストバーン!」
水と炎に包まれながらも決して目を逸らさず、ただ相手と相手のポケモンを見据える少女と少年。
それがこの大会のメインだった。

彼らは幼馴染だった。同じ日にポケモンを貰い、同じ日に最初のジムを勝ち抜き、同じ日に最初のポケモンを進化させた。捕まえるポケモンは違ったが、それでも何故だか同じ日にポケモンを捕まえていくのだ。
同じ日にジムを勝ち抜くのだから、どちらが先にジムに入り、出てくるかが勝負になる。せっかちな少年と、しっかりした少女。何故かいつも、せっかちよりしっかりの方が勝ち抜くのが速かった。それでも必ず同じ日に彼らはバッジを貰っていく。
その話がジムリーダーからジムリーダー、街から街へと移り、最後の街に来た時はちょっとした話題になっていた。もちろんそこでも、最初に来たのは少女の方だった。勝ったものもちろん、少女だった。
『一体どうして彼女の方が早くて強いのだろう』
二人に注目する人間の誰もが、そう思った。遅い彼を『気の毒だ』と思う人も出てきた。
だが、彼らに対する見方がガラリと変わる事件が起きた。カントー地方を活動の拠点にしていた集団、ロケット団との抗争、そして壊滅。
二人は力を合わせて壊滅させた。どちらが先にボスの首を取るか、なんて関係ない。ポケモンを攫って改造するなんて、許せない。壊滅させた後のインタビューで、二人は口を揃えてこう語った。
そこでやっと気付いた。せっかちだろうがしっかりだろうが、遅かろうが早かろうが、最後に大切なのは『正義の心』なのだと。現に一歩遅い少年だったが、自分の手持ちポケモンに当り散らしたりしている姿を見た者は誰もいない。むしろ、一度のバトル毎に頭を撫で、礼を言う。
自分のために戦ってくれて、ありがとう―― と。
そしてそれは、少女も同じだった。いつしか二人は、『神に愛されているトレーナー』と呼ばれるようになった。

試合から二時間近くが経過していた。いつもなら観客が飽きてくる頃だが、今回はわけが違った。たとえ少女の方が早くとも、両者の力は互角。少しの気の緩めが、敗者となる原因を作り出すことになる。
ビリビリとした空気の中。
声が出ないほどの重圧。
スタジアムの観客席は、異様なほどの沈黙で満たされていた。響くのは、フィールドの土を散らす音と彼らの鳴き声、呻き声だけである。既に技のPPは両者とも尽きており、肉弾戦となる長期戦へと突入していた。
二人とも何も口に出さない。ただ、目の前を見据え、今戦っている自分の相棒を信じることだけに身を捧げている。
リザードンがカメックスの頭を掴んだ。細いが凄まじい力で相手を地面に叩きつけようとしている。だがカメックスも負けていない。その短いが太い腕で相手の細い首を掴んだ。そのまま力が入る。頭が、首がメキメキと音を立てる。人間ならとっくに死んでいるほどの威力だ。
リザードンが足を掛けた。と同時にカメックスも相手の腹を蹴り上げた。二匹ともバランスを崩し、仰向けに倒れる。観客席からわずかに声が漏れた。
だが二匹はまだ起き上がる。額の傷口から赤い血が流れ、殴られ、蹴られて打撲痕と切り傷が痛々しい。それでも彼らは戦うことをやめない。自分を育ててくれたトレーナーのためにも、勝とうと思うからだ。
リザードンが腕を振り上げた。カメックスも拳を振り上げた。
そして――


その目は白く、何も見ていない。ぐらり、と拳が小さく弧を描き、空中で止まった。殴ろうとした体勢のまま、倒れることもせず直立不動で瀕死になっていた。
リザードンが少し後ろに下がった。カメックスが攻撃してくることは、ない。ひたすら静かなフィールドの周りを見渡し、いつの間にか自分が何も聞くことなく戦っていたことを知った。
倒れることなく瀕死になったカメックスの後ろに、一人のトレーナーが目を見開いて立っている。その瞳に映るのは、歓喜か、絶望か。
リザードンは空を見た。やっと星が少しずつ見えてきた気がする。月もライトを押しのけて目立ち始めたようだ。静寂が、彼らの味方をしたようだ。
グッと顔を上にし、拳を握り締め、

リザードンは、雄叫びを上げた。空が落ちてくるような声で。

リザードンの方のトレーナーが口を開けっ放しにしている。信じることができない。これは夢なんじゃないか。そう表情が言っているようだった。カメックスのトレーナーが目元を抑え、審判を見た。ハッとしたように我に返り、審判が赤の旗を揚げた。

『――カメックス、戦闘不能。リザードンの勝ち。よってこの勝負、赤側が優勝となります!』


それに続いて、観客席から爆発するような叫び声が聞こえてきた。それは力尽きてもなお倒れることのないカメックスと、それを破ったリザードン、
彼らを最後まで信じて指示を出した二人のトレーナー達への賞賛の声だった。
ふと見ると、リザードンの方のトレーナーが口を開けっ放しにしている。信じることができない。これは夢なんじゃないか。そう表情が言っているようだった。カメックスのトレーナーが目元を抑え、カメックスの元へと向かった。彼はまだ立ったままだ。手を甲羅に当ててもビクともしない。
『……ありがとう。本当にありがとう』
涙が後から後から溢れて、止められない。最後まで戦ってくれた彼のためにも、泣くまいと思っていたのに。
それでも、ものすごく悔しい。カメックスをボールに戻し、リザードンの腹に抱きついている相手の元へと歩みを進める。相手がこちらに気付いて、向かってくる。
そのまま二人は数秒間、見詰め合っていた。不意に少女の方が口を開く。
『こんな結末になるなんて、誰も考えなかったと思うの』
『僕も考えていなかった。ただ、目の前の巨大な壁を越えること…… それだけを考えていた』
『そしてその壁は、お互いだった』
『うん』
『うん』


『……おめでとう』
二人の頭上で、花火が散った。


神に愛されているトレーナー。その後も、二人はそう呼ばれた。たとえ勝者と敗者という残酷な位置決定をされても、二人は他のトレーナーを寄せ付けないくらい強かった。
だが奇妙なことに、二人は二度とお互いとバトルすることはなかった。他地方へ行き、そこのジムに挑戦してもやはり少女の方が早く、少年は後だった。
思えば、この時期が一番彼らが輝いていた時間だったかもしれない。だが時は流れる。
残酷なほど、早く。

黒い服の集団が、丘を上っていく。空は雲ひとつない青空。丘に青々と茂る草と時折散りばめられたような花が、彼らに全く似合っていなかった。
目立つのは十字架と、女性は顔を隠すレースがついた帽子。先頭の男が持っている書物。
そして、大きな棺桶。
『――この眠れる者が迷うことなく、我らが主の下へ行けますように。この者に永遠の安らぎを与えたまえ』
棺桶が大きな穴に飲み込まれるように入っていく。すすり泣く声と、その間に人間のものではない声が混じる。あのリザードンが、泣き叫びたくなる衝動を必死で堪えるようにして、口をかみ締めていた。カメックスも、ライバルの主人の最期に目を伏せている。
柔らかい風が、喪服の集団を優しく撫でていく。少女の長い髪が空に仰ぐ。黒いワンピースを着た少女が、ポツリと言った。
『……向こうはどんな所なんだろうね』
最期の別れを、と棺桶の蓋が開けられた。花に囲まれた少年は普通に眠っているように見える。
『元々、君はせっかちだった。考えるより先に体が動いて、それで失敗することがよくあった。でも、その行動の早さに周りが助けられてたりしていたのもまた事実。
妙な出来事があればすぐに誰かに知らせに行くし、何か綺麗な物や珍しい物を見つけたらそれも独り占めしないで、皆に見せに行く。
君は優しかった。
でも、大きくなるにつれてそれは長所だけでなく短所として見られるようになった。後先考えないで行動する。早とちりをする。そしてそれが他人に迷惑をかけることに繋がる。君はいつしか、なるべく周りの後ろを歩いて行動するようになった。視線を気にするようになった。
君が私よりいつも遅くジムに来ていたのは、私が勝てるかレベルのジムかどうか確かめるためだった。時々バトルしていたし、使用ポケモンのレベルはほぼ同じだったから、私が勝てれば、自分は勝てると考えたんだ……』

『私は、君の昔の無鉄砲なところも好きだったんだけどね』


供えられた花が、南風に吹かれて舞う。
舞う花は、悲しいくらい青い空に吸い込まれていく。
神に愛されているトレーナーは離れ離れになり、

『神様が本当に愛したのは、君だったんだね』

『愛された』トレーナーになった。