寒い。
吐き出した息は白く凍りついて天に昇っていった。手袋もマフラーも、本来の意味をなしてない。
学校の暖房ですらどこか恨めしい。少しだって温まらない体に、友人どもはゾンビなんじゃないかとからかっている。
いつもの事だ。その程度の悪ふざけができる仲なのだから。それでも、手を触って懐炉を押しつける奴もいるくらいなので、洒落にならない冷たさなのだろう。
手を擦り合わせても少しだって温かくならない。悴んできた体そのものが、感覚そのものを奪っていく。
(あったかいものが欲しい・・・)
自販機でもいい。コンビニでもいい。何か、あったかいもの。するりと喉を通って、腹からぬくめてくれるもの。
背中の鞄はずしりと重いが、背中に触れるのは鉛のような冷たさばかり。
ただひたすら、極寒の道を歩いていく。
ぽつんと、温かい色が見えた。
道の端にポツンとたたずむ暖色色の煉瓦。開いているのかいないのか、いまいちわからない暗い店内。
あるよね、ああいう店。気にはなるけど、寄るほどの勇気がない。
ただどうしてかその日に限って、やたらと暖かそうに見えた。
ふらりと近づいて、店の名前を見上げると、古びれている筆記体の英語は何が書いてあるのかさっぱりわからない。
その横に申し訳程度に『紅茶専門店』と書いてあるのは分かった。
入口のドアの横にはお勧めメニューらしきものが小さな黒板に書いてあったけれど、流れる様な達筆はかすれて消えかかっていた。
鈴の音を響かせて、寒さから逃れる様に中に避難した。
がらんどう、そんな印象が飛び込んで来た。外から見るよりも、仲はもっと暗かった。
土塊のキャンパスに鼠色で影を付けたような戸棚に、腐葉土が更に腐ったようなカウンターはしんみりとした世界をひろげていた。紅茶の入った瓶が素人にはただ乱雑に並べてあるように見える。
吊るされている明りは時々、思い出したように点滅した。何も無いが、たくさんある。そんな空間だった。
カウンターの中には、誰もいない、わけではなかった。置き物だと思っていた塊りがむくりと動いた。のそりと、けだるそうに動いたそれはゆっくりにもかかわらず随分はやくこちらに来た。
適当に目に着いた椅子に座る。丁度正面にやってきたのは、首に小さな木札を下げたクイタランだった。木札は丁寧な縁取りをされたコルクボードのようにも見える。
『本日のお勧めはシナモンティーです』
そんな文句が書いてあった。
こん、とカウンターをアリクイが爪で叩いた。妙な我にかえって、ふと目を落とすと、目の前には小さなリボンでとめられた薄っぺらいメニューカードがあった。
それを手に取り開くと18世紀の香りがした。古臭くて埃っぽくて、そして紅茶がぶわりと名を連ねる。
知っているような、やはり知らないような名前の羅列にくらくらする。また寒さがぶり返してきたのか、それとも端からこの店には暖房なんか存在しないのか。
「あの、それで、お願いします」
結局、クイタランの木札を指差した。
最初からそうしておけばよかったんだ、とばかりに何処か不機嫌そうな態度でうなづいたアリクイは、くるりと背を向けた。
尻尾からふわふわと湯気が上がっている。
慣れているのか、主人のかわりか、瓶と瓶の触れ合う音がほんのわずかだけ空気を滑る。
後は魔法のようだった。
変色したラベルの貼られた瓶がシナモンが入っているのだろう。そこから温めてあったのだろう年季の入った乳白色のポッドへ落ちていく様子はどこか別世界の絵の具に見えた。
器用な動作でコンロの上に置かれた鉄瓶は静かに湯気とともに音を吐き出して沸騰を告げる。
爪の先でするりとそれを引っ掛けると、温まっている白へ丁寧に注ぎこむ。じっくりとむらしていくその手順は、まるで千年も前から決まっているかのように厳粛で鮮やかだった。
赤と青の模様が施されたカップは何処かで見たような気分にさせて、記憶の引き出しを漁る暇を与えずにこつんと数分間の魔法は終り、透き通った色の紅茶が目の前に差し出された。
かちりと爪が引いていき、少し下がってのしりと壁に身を預けると、鋭い目つきをさらに細くして、何も言わないアリクイ。
カップに触れるとりりと熱かった。反射で引っ込みそうになるのを抑えて、弦の様な取ってに手を回す。
おそるおそる口をつけると、温かい固まりが溢れてきた。全てを飲み干すのを覚悟するにはわずかに躊躇う量だけれども、構わず持ち上げようとする手を堪えるに必死だった。
結局半分ほどをまず口にして、ふぅぅと大きく息をついた。全力疾走した後の胸の苦しさを程よく薄め、ふわりと湯気のようにじわじわと温まっていく感覚を信じた。
寒くない。
一度に飲み干さなくてよかった、ゆっくりと残りに口を付けた。アリクイは何時の間にか最初に見た置物のように動かなくなっていた。
全てを飲み干して、カップを置く。防寒着を付けなおす。今度はきちんと仕事してくれそうだ。
鞄を背負って立ちあがる。ごとんと椅子がそこそこの音を立てると、アリクイが起きた。
俺が入り口近くに行くと同時に、ちんと壊れたベルがなった。タイプライターみたいなレジに、金額が表示されている。
あわててポケットから小銭入れを引きづり出し、なんとかひっくり返した小銭で足りることに安堵した。爪から挟まれたレシートを受け取って、外に出た。
クイタランの湯気が一つ、お供の様についてきた。
極寒なんて幻だった。内側からわいてくる熱に酔いしれる。
今日限り、今日だけの、かもしれないけれども。
今はそれがとても、しあわせに見えて、家に帰ろうと足を進めた。
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余談 数学のテスト中に『紅茶を出すアリクイ』という怪電波を受信。そこから解けなくなった。
別に分かんなかったわけじゃ、いやわかんなかったですが。
シナモンティーはスパイスティーだそうです。ストレートじゃあんまり飲まないらしい。体を温める作用らしいです。後は頭痛を和らげたりとか。飲んだことないけど。
【リハビリなのよ】
【好きにしてくれてもいいのよ】