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  [No.2339] [旅の終わりに] 投稿者:MAX   投稿日:2012/04/01(Sun) 03:23:38   98clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 そこは人里のはずれ。山林との境目にある1つの小屋。
 人の目なら傍らの休耕地から農家の物置であることが、そして壊れ具合から長らく使われていないことが予想できたろう。
 持ち主は農業から離れて長いのか。もはや立ち入る人もいないだろうその小屋に、1匹のエルフーンが立ち入ろうとしていた。
 畑を耕し、作物を実らせ、収穫する。そのために使われていた道具の数々を納めた物置は、エルフーンにとっての恰好のおもちゃ箱であった。

 鍵のかかっている扉を無視し、1つだけある窓をエルフーンは目指す。本来あるべきガラスはとうに砕け、用をなさなくなっていた。
 壁際に積み上げられた肥料の袋をよじ登り、汚れたガラス片の残る窓枠にエルフーンが足をかける。

「……ぃっくし!」

 くしゃみが出た。埃とカビの臭いにムズムズする鼻をこすりながら、エルフーンは顔をしかめる。毎度のことだが空気が不味い。取る物取ったらオサラバしよう。

「……んぁ?」

 はたと疑問を抱く。ひどいひどいと思っている小屋の中の空気だが、今日はいつにも増してひどい。うすら黒いガスが漂い、背筋が寒くなるのに腹の中が熱くなるような、気色の悪い感触があった。

「ぉお? なんだい、坊主。ここはお前さんの縄張りだったか?」

 見れば、1匹のジュペッタが小屋の隅に腰を据え、窓際のエルフーンを見上げていた。

「……おっちゃん、なにさ?」
「俺は見ての通りさ」
「見てもわかんないんだけど」
「そうかぃ? そいつぁ悪いなぁ、ヘッヘッ……ジュペッタがひとり、ちょっと息抜きしてるところさ」

 そう言うジュペッタが呼吸をする度、黒い煙が吐き出される。このガスの原因はお前か。不埒な不審者にエルフーンは刺々しい視線を向けるが、しかし当のジュペッタは気にするでもなく、ブハァと黒い息を吐いた。

「息が臭い」
「おー、そりゃまた悪い。よく言われるよ。
 そーだな、もう数日で消えるつもりだから、それまで辛抱してくれねぇかな」
「数日ぅ?」
「長旅で疲れちまってなぁ。勝手で悪いが、ここで休ませてくれや。ぬいぐるみの俺にゃぁ、雨風しのげる場所ってなぁありがてぇんだ」
「……好きにしなよ」

 どうせ僕の家じゃないし、とエルフーンは不機嫌に言いつつ小屋に立ち入った。
 棚に並ぶ農具の数々には目移りするというものだが、悩んでいる暇はない。その暇を奪った汚染の原因は「あぁ、好きにするぜ」と悪びれもせず、笑うと共に黒い息を吐いた。

「また……」
「ハッハァ、ほんとすまねぇな。俺も止められるならそうしてるとこなんだが、な。お前さんの綿に染みねぇ内に、さっさと出てった方が良いぜ」
「言われなくても……!」

 しばらくの辛抱だ。それがどれだけ続くかわからないのが腹立たしいが、こんなジュペッタの近くにいるぐらいなら、とエルフーンは小屋を飛び出した。その際に肥やしを一抱え持ち去り、その日のいたずらの事に頭を切り替える。
 そうだ、今日はキュウリのプランターにこれをまいてやろう。もう少しで食べごろのキュウリが、予想以上に早く育ちすぎるんだ。浅漬けやサラダに使おうと思っていたのが、瓜の味噌汁や炒め物にしか使えなくなるんだ。
 それが良い、それが良いとエルフーンは自分に言い聞かせた。


 *


 次の日、農具の小屋はいつになく賑やかだった。何かがザワザワと音を立ててるようだ。何事かとエルフーンが近づけば、軒先にずらりと並ぶカゲボウズが一斉に振り返った。

「え、ぇ…………え?」

 招くでなく、追い返すでもなく、カゲボウズたちはエルフーンを凝視する。まるで見せ物を前にしたかのような態度で。
 一斉に浴びせられた好奇の視線はエルフーンを慄かせ、しかしそれ以上に不快感を覚えさせた。

「な……なんだいなんだい、カゲボウズが驚かせやがって、気色の悪い! そのトンガリ頭、つるっと丸めてハゲボウズにしてやろうか、えぇ!? いきなりジロジロと! なんの用だってんだ!」

 “しびれごな”をまき散らしながら、エルフーンが怒りにまかせて吠える。その様はまるで子供のようだったが、効果ばかりは一丁前の“しびれごな”にカゲボウズたちはボトボトと落ちていった。

「いい気味!」

 フンと鼻を鳴らし、改めてエルフーンは小屋に立ち入る。しかし近づいたところで足が止まった。

「……なに?」

 見れば、窓から漏れ出る黒い煙が軒下に漂っていた。
 火事か? エルフーンは考える。火の気のない場所だが、ひと気もない。悪ガキがタバコにチャレンジして、消火の不完全な吸い殻を投げ込めばこうもなるだろう。普段からイタズラのことを考えている身として、充分に有り得ると思っていた。
 ここはもうダメか。逃げるか。しかし火事と言うには、煙の割に火の臭いも音も無い。カゲボウズたちが何故か集まっていたこともあり、なにやら不自然に思えた。
 見てみるか。好奇心に駆られてエルフーンは窓に近づき、黒煙の中を覗き込んだ。

「うわ……なにぃ?」

 小屋中に火事かと見紛うほどに黒い煙が立ちこめている。そこに火の熱や臭いがないから火事ではないとわかったが、しかし天井が見えなくなるほどに煙は濃く、いったい何事かと思わせた。

「よぉ、坊主。今日は虫の居所が悪いみたいだな」

 煙の向こうにて、その出所は壁に背を預けたまま何食わぬ顔をしていた。窓から覗くエルフーンに、昨日と同じように「ヘヘヘ」と笑う。

「昨日のおっちゃん? なに? これ、おっちゃんの仕業?」
「おー? みてぇだなぁ。だいぶん息抜きも進んだってとこだが、そんなにひどかったか?」
「……火事かと思ったよ」
「そりゃ驚かせたな」

 草ポケモンだけあって火事が怖いか、とぬいぐるみが笑った。
 他人事みたいに言ってからに、と呆れつつ、エルフーンは小屋に飛び込んだ。こんなところ入りたくもないが、しかしこのままじゃあんまりだろう。
 ひとまずは換気だ。そう思い、エルフーンは本来の出入り口を開錠すると開け放ち、窓から扉までの風の通り道を作る。そして身体を震わせると「ちょあーっ!!」と“ぼうふう”を巻き起こした。それはたいして得意ではない攻撃技だが、煙を流すには充分な威力だった。
 同時に、煙とともに外へ飛び出した風は、哀れにも“しびれごな”をあびて動けないカゲボウズたちを襲った。風にあおられキャーキャー悲鳴を上げるカゲボウズたち。しかし風の音が鳴り響く小屋の中までその声が届くことはなかった。
 やがて部屋の空気は改められ、慣れない技を使ったエルフーンばかりがぜいぜいと肩で息をする。それを微笑ましく思いながら眺めるジュペッタに、軽い風が吹き付けられた。

「ぅっぷぁ……!」
「なんだよ、ニヤニヤと」
「……ホンっトに機嫌悪ぃな。表でも騒ぐし。なんかあったのか?」
「おもて? なに、聞いてたの?」

 盗み聞きまでするか、と咎める視線を向けるが、「坊主の声がデケェだけさ」とジュペッタは何食わぬ顔で受け止める。

「つっても、わかるのは坊主がなんか騒いでたってだけだがな。あんまチビども、いじめんなよ?」
「いじめてなんかないやぃ。あっちがガン飛ばしてきたんだよ」
「そうかぃ。いや、そいつは災難だったな、どっちも」
「どっちもぉ? なにさ、それ」
「ハッハァ、わかんねぇか。だったら わからんままにしといてくれ。ヘッヘ、ェ゛ホッ! ゲホッ!」

 ごまかすように笑い、むせる。その咳に乗ってまた、ひと際大量に煙が吐き出された。せっかく改めた空気が汚れ、エルフーンが顔をしかめる。

「きったないなぁ、おっちゃん」
「ぁー……ほんと悪いな。どうもノドが落ち着かねぇってか……はー、恨み辛みで動いてきたが、腹黒い真似はしたことないんだがねぇ」
「こんな黒いの、垂れ流しといてよく言うよ。……げほっ! 僕も気分悪いや」
「いやぁ、こんな俺でもやってることは大人しいもんだったぜ? せいぜい元の持ち主を探して西へ東へ。ブラブラしてるだけだったよ」
「その黒いのをまき散らしながら?」
「いんや、こいつは最近になってからさ」

 そう言ってジュペッタは天を仰いだ。その「最近」を思いだし、ハァ、と息を吐く。

「……この辺に来たあたりからだ。なんだか腹の中が窮屈になってな。ちぃと一息吐いてみたら、スッと軽くなったんだよ。今まで腹ん中に押し込んでたものが、この黒いのになって吐き出された。そんな感じだったな」

 言葉にあわせて黒い煙が口から漏れる。エルフーンにしてみれば空気が汚れるからやめてほしいのだが、こうまで言ってなお聞かないのなら、いっそ諦めてしまおうかと考えていた。
 エルフーンの様子も気にかけず、独り言のようにジュペッタは続ける。

「それからだな。急にいろいろ、気が長くなったっつうか、やる気が失せたっつうか。
 ……そうだ、坊主。お前さんもエルフーンなら、やっぱりイタズラは好きか?」
「好きか、って……なんだよ、いきなり」
「なに、ちょっとしたオッサンのお節介さ」

 いきなりの問いかけにエルフーンは戸惑う。なんのつもりかと怪しむが、ジュペッタは相変わらず笑うだけだ。

「……そりゃ、僕もエルフーンだし? イタズラは好きだよ。楽しいよ? それがなにさ」
「そうだよなぁ。エルフーンっていやぁ、イタズラが生き甲斐みたいなもんだ。ま、お前さんならエルフーンでなくてもイタズラ好きだったろうがな」
「どういう意味さ」
「いやいや、なんつぅか、な……今を楽しめよ、と。イタズラがつまらないと思うようになったら、お前さんも……アレだ。おしまいだ」

 それはオッサンの、若者へのアドバイスのような物言いだった。しかし「おしまい」と言われてエルフーンは眉間にシワを寄せた。

「おしまい? なにさ、えっらそうに。
 確かにエルフーンはイタズラ好きだよ。けどそれだけで生きてるわけないじゃんか。
 イタズラがつまんなくなったら、そん時ゃきっと、別の事を始めるさ。
 おっちゃんは、あれだ」

 エルフーンが苛立たしげにジュペッタを睨む。その口から出るのは、心からの拒絶。

「大きなお世話なんだよ」
「…………ハッ」

 しかしジュペッタは笑った。

「アッハッハー、そっかー!」

 前向きなエルフーンだ……いや、自分が後ろ向きなだけか。そう嘲って。

「……そーだなー」

 そして訝しがるエルフーンに「悪かった」と詫びる。

「んー?」
「や、ゴーストが偉そうな事言っちまったからさ。年齢と経験だきゃ若いのにも負けてね、ってつもりだったんだが……恨み辛みだけで生きてちゃーダメだな。頭が固くなって仕方ねぇ」

 言いながらジュペッタは頭をワシワシと掻いた。綿が詰まっているであろうそれは柔らかそうに見えたが、そうじゃないだろう、とエルフーンは黙っていた。

「まー、なんだ。老いぼれの戯言と思って、忘れとくれや。こっちは身の程ってやつがよくわかったし、もう余計な事は言わねぇからさ」
「よけーな事ねぇ」
「そーさぁ、いらんこと言って若者を惑わすわけにゃいかねぇ。老いぼれは静かに隠居して、己の死期を待つってな」
「…………思ったんだけど」

 老いのせいか、はたまた。やけに多弁なジュペッタが、何か思うところがあるのかと若者の目には映った。

「偉そうに生き方を語るヤツってさ、たいていそいつ自身が生き方に悩んでるんだよね。いわゆる自己紹介ってヤツ?」
「おーっとぉ……」

 返答に窮する。図星をつかれてジュペッタが黙り、エルフーンもまた察した。

「おっちゃんはさ。元の持ち主を探して旅してたんだよね」
「……あぁ、そうさ。つっても、持ち主の顔も声も、思い出せやしないがね」
「は?」

 肝心なところが抜けてないか、とエルフーンは自分の耳を疑った。しかしジュペッタはいたって平然とした態度で続ける。

「いやー、もう何十年も前だからなぁ。
 いつの間にか自力で歩いてたし、思い出せるのは……カエセ、カエセって喚いてた事ぐらいかな」
「いや、それってゴーストポケモンとしてどうなの? なんか、すんごい危うい気がするんだけどさ」
「そう言われてもな。サッパリなんだな、これが」
「自分のことじゃんよ……」

 その呑気ぶりにエルフーンは呆れ果てるが、当のジュペッタは「なんか取られたんだと思うね、俺は」と笑うばかりだ。記憶喪失のような状態だというのに、幽霊が未練を忘れかけているというのに。

「ったく、ホントよく続けられたもんだね、何十年も」
「ハハ、言ったろ。恨み辛みだけで歩いてたんだって。
 どうして俺がこうも汚れてまで歩かなきゃならないんだ。俺を捨てた持ち主め。夢枕に立って恨み晴らしてくれるわー……ってな」

 ジュペッタはおどけて言った。だが直後に軽いため息をつき、目を伏せる。まるで「もう終わったことだ」と懐かしむように。

「……って言うけど、ねぇ、おっちゃん」
「おぉ。もう無理だ。疲れた」

 エルフーンに話したことと同じ。全てをかけた生き甲斐を失い、在り方を忘れた幽霊の姿がそこにあった。若いエルフーンにはそれがとても痛ましく見え、いたたまれなく思えた。

「……後ろ向きなこと言って、しんみりさせちまったかな」
「まぁ、仕方ないさ。おっちゃん、ゴーストポケモンだもん。
 ……あーでも、ダメだ。今日はイタズラもする気も失せた! こんな日はひなたぼっこと昼寝に限るや!」
「おぉ、ひなたぼっこかー。いいなぁ。俺も虫干しするかな、たまには」
「ヘヘ、日焼けしない程度にね。お天道様は平等だからさ。
 そんじゃーね、おっちゃん」

 陰気臭い空気を払うようにことさらにエルフーンは声を上げ、小屋を出て行く。
 その背中へ軽く手を振り、ジュペッタもまた声を投げる。

「おう、そんじゃあな、坊主」

 開きっぱなしのチャックの口は、呼吸の度に黒い煙を吐き出していた。


 *


 虫の音ばかりが遠くに響く深夜のこと。眠らぬジュペッタは、長い夜をエルフーンの言葉と共に過ごしていた。

 自分はどうして、ジュペッタになったのだろうか。
 思い出せる最も古い記憶は、何かが無性に恨めしかったことと、そして何かを強く求め焦がれていたことだけ。
 何かがなんだったか、何故だったか。それは思い出せない。
 久しく思い出してなかったからか。それなら、そう重要な事ではなかったのだろうと思い、無性に悲しくなった。
 ひどく、ひどく悲しく感じた。

 わずかな明るさを感じ、ジュペッタは窓を見た。
 ガラスのない窓から明かりが差し込んでいた。月明かりか。思ったが、しかし小屋の窓から月が見えないことは最初の夜から知っている。
 不思議に思い、明かりの下に歩み出る。
 その目に映る窓の外は、やはり星空しかなかった。


 星空が、あった。


「そこにいるのか?」

 星空にジュペッタは声を漏らす。

「そうか! そこだったのか!」

 歓喜に目を見開き、叫ぶ。

「やっと見つけた! 今、行くから! 俺もすぐに行くから!」

 その口からは、声だけが。

「俺、帰ってこれたんだな!」

 そして、だから、気づいた。
 カエセは、帰せ、だったんだ、と。


 *


 翌日、人里にエルフーンの姿があった。もちろん、イタズラ目的である。
 手ごろな家に目をつけると、その軒先に立ち、綿毛の中から汚れ切ったぬいぐるみを取り出した。

 それは今朝のこと、いつもの小屋には今日もカゲボウズが群がっていた。
 エルフーンはうんざりする。また気色悪い視線を向けられるのか。がしかし、エルフーンに気づくやカゲボウズたちはクモの子を散らすように飛び去っていった。
 なんのつもりか。事情は分からないが、とりあえずやることは変わらない。釈然としないながらもエルフーンは小屋の窓までのぼり、そこで黒い煙がなくなっていることに気づいた。
 窓から中を覗き見れば、ボロボロのぬいぐるみが仰向けに、まるで窓から空を見上げるように倒れていた。
 全身黒く汚れているが、もとは桃色のウサギか。長い耳は右が無く、残る左耳も半ばからちぎれていた。手足は付け根の糸がほつれ、先端は擦り切れて綿がはみ出している。そして口は左右に裂け、泥の染み付いた綿があふれ出ていた。
 不気味なぬいぐるみだ。そう思うと同時にひらめく。こいつを人間の家の前に置いておけば、きっと驚かすことができるだろう。ならばイタズラの道具にと、ぬいぐるみを綿毛の中に仕舞い込んだ。

 そのぬいぐるみを、エルフーンはある民家の軒先に置き去りにする。何故そこなのか、そうするのか、特に理由は無かった。ただ、そうしたほうが良い、となんとなく感じただけだった。
 だから、同じようにただ感じただけの行動をする。

「……どーいたしまして」

 ぬいぐるみから「世話になったな、坊主」と聞こえた気がしたから。




 * * * * *
 長らく考え続けていたお話、ようやく形になりました。
 考えていた当初は、ジュペッタの綿にあった呪いがエルフーンの綿に移り、エルフーンが「わるいポケモン」になる、というオチを考えていました。
 ところが先日、「盗まれた曰くつきのシロモノが、盗まれた先で呪いをバラ撒いて戻ってくる」というオカルト系の話をネットで見かけまして、心惹かれて方針転換と相成りました。
 もし興味がおありでしたら 「どろまま ちょっと分けてみた」 でグーグル検索をどうぞ。オカルトパワーって、すげぇ。
 以上、MAXでした。
【批評、感想、再利用 何でもよろしくてよ】