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苦手な方はバックプリーズ
「マダム!」
黄昏時の静けさをぶち壊すような音が響いた。バン、とドアを勢いよく開けて一人の女が入ってくる。白い仮面に、長く美しい髪。神が特別に造ったような美形。
巷を騒がせている、怪人ファントム……レディ。彼女の後ろからカゲボウズが五匹続く。いつもより引き連れている数も種類も少ない。デスカーン達は外で待たせている。
黄昏堂の中は入り口から向かって両サイドに商品のサンプルが並べられている。表に出してはならないもの、愚か者が使うと命に関わる物、使い方を誤れば死ぬよりひどい目に遭う物、様々だ。下手に手を出せば、サンプルに化けてズラリと並んだゾロア達のエサとなるだろう。
天井からはどこぞの映画に出てきそうな豪華なシャンデリアがぶら下がり、その下には小さな大理石のテーブル。その後ろに美しく彩色、細工を施されたビロウドのソファがある。黄昏堂の女主人――通称マダム・トワイライトはここでお客を出迎えるのだが……。
「……いないな」
マダムはいなかった。主を失った椅子が寂しい雰囲気を植えつける。レディは肩をすくめると、店内を見渡した。右の方でカゲボウズ達がゾロアと化かし合いをしている。
舌を出すカゲボウズと、彼らの進化系であるジュペッタに化けるゾロア。外野から見れば写真を一枚撮りたくなる光景だが、生憎今はそんな気分にはなれなかった。
・マダム不在の黄昏堂
・執事(兼雑用係)であるゾロアークも不在
この二つを頭の中に入れ、どういう状況なのかを腕を組んで部屋を歩き回りながら考える。推理小説やドラマでよく見る探偵の推理シーンだ。分かっていることを一つ一つ並べていく。
『黄昏堂がきちんと表に出る条件が揃っていること』一般人は巨大な悩みを抱えていない限り見つけることはできないが、常連客は鍵を持たされており、それを持っていれば何処にいても店を見つけることができるのだ。ただし季節によって開いている時間は異なる。冬は早い時間帯に開き、早く閉まってしまう。反対に夏は遅い時間帯に開き、しばらく閉まることはない。
「ゾロア、お前達の横暴極まりないご主人様とその尻に敷かれている執事は何処にいるんだ?マダムが黄昏堂の外に出ていれば、私は店に入るどころか見つけることすらできない。この中にはいるんだろ」
そこでふと、レディは今までのことを思い出した。ここにある商品は全てゾロアが化けたサンプル。本物は盗まれない……素人が扱うことのないように奥の部屋に厳重に保管されているという。彼女が出すパズルを解き、彼女のお眼鏡に適った者に対してだけ、本物を自らの手で持って来る。
(……奥の部屋)
何度も彼女に会っているレディでさえ、奥の部屋への入り口は知らない。いつも黄昏堂に入れば、その椅子で煙管をふかしている彼女が出迎えるからだ。そもそも自ら何かを欲したこともない。いつも欲求してくるのは向こうからだ。それを持って来て見合った商品と交換する――それがレディとマダムの黄昏堂での取引の仕組みだった。
まあそのもらった(押し付けられた)商品で幾度か危機を回避しているのも事実であり。
レディは椅子の後ろの壁の前に立った。何かあるとしたらここだと考えたのだ。右手でノックしようとして――
ふわふわした物体が足に擦り寄ってきたのを感じた。ゾロアだ。何、と聞く前に彼がボムッという音と共に何かに化けた。鏡だ。何の装飾もない、この店に合わない鏡。
「何で鏡に……」
言いかけた彼女の目が、中心に注がれた。金色の文字が浮かび上がっている。
『セント・アイヴスに向かう途中、家族に出会った
一人の旦那の後ろに 妻が五人 その妻一人ひとりの後ろに 子供が十人
子供達の持つ紐に 犬が三匹 犬達の背中に 蚤五匹
さてさて、セント・アイヴスに行くのは何人?』
読み終えた途端、再びボムッという音と共に鏡がゾロアに戻った。呆気に取られるレディを見てケケケケと笑う。馬鹿にされているような気がしたが、もう何も突っ込まない。疲れるからだ。
「この壁に答えを書けばいいのか」
目の前にそびえ立つ、巨大な壁。どれだけの厚みがあるのか。この先に何があるのか。
――そんなことはどうでも良かった。
「さて」
レディが腰に差していた業物・火影を手に取った。鞘から刀を取り出し、壁に向ける。
「刃こぼれしないかね」
一呼吸置いて――
数秒後、壁には縦に一本の裂け目がつけられていた。刀を戻し、呟く。
「遊びにもならない。引っ掛け問題程度のレベルだよ。答えは一人。だって行く途中に会ったんだから。
……次はもっとレベルの高いのを用意しておいてよ、マダム」
壁が消えた。幻術だったらしい。
「さっきゾロアが私を止めなかったら、私はどうなっていたんだろうね」
カゲボウズ達が集まってきた。術が解けた壁に現れたのは、小さなドア。飴色の、木で造られたアンティークを思わせる物だ。
「この先にマダムがいるの?」
ゾロアは何も言わない。黙って器用に首を足で掻いている。まるでチョロネコのようだ、とレディは思わず頬が緩むのを感じた。
「仕方無い。わざわざ呼びつけておいて客を待たせている店主を呼びに行くか」
カゲボウズがケタケタと笑った。
ドアの先は、暗い道が続いていた。何処が道で、何処が壁なのか。その境目すら分からない。だが出口と思われる光が、遥か先に小さくあった。
得体の知れない闇が、髪に身体に纏わり付くあのおしゃべりなカゲボウズ達が何も言わずに後ろにくっついている。
(マダムはこんな場所を通って商品を持って来てるのか……)
今更だが、レディはマダムのことを詳しく知っているわけではない。しばらく前にモルテに紹介されたのだ。彼自身死神とあって、時々危険な目に遭うらしい。それを回避するためにマダムの作る薬が必要不可欠なんだそうだ。
モルテがレディの話をした時、マダムはパズル合戦ができる相手を探していたらしい。それくらいなら、とレディはモルテに連れられて黄昏堂に来ることになった。
そして分かったことは、彼女がズル賢く、マダムという人間の長所と短所を全て持っているということ、そして悪趣味だということだ。
光が大きくなってきた。あと十メートル。九、八、七、六、五、四、三、二、一……
柔らかい感触が足から伝わった。光が頬を照らす。店に入った時と同じ、黄昏時の光だった。手を伸ばし、壁に触れる。
「ここは……」
薄いベージュをメインカラーにした壁だった。一定の間隔で小花模様が刺繍されている。左壁には窓があった。光はそこから入ってきているらしい。本で見たような、中世ヨーロッパの貴族の館のようだった。
あそこのドアがこんな場所に繋がっているのも驚いたが、マダムのこんな場所を造ることが出来る力にも驚く。だが力と言っても様々だ。金か、それとも……
「カゲボウズ?」
五匹のうちの一匹が、とろりと甘い表情になった。そのままフラフラと廊下を移動していく。続いてレディも気付いた。何か甘ったるい匂いがする。遠い昔嗅いだことのある香のような……
吐き気を覚え、口を押える。それぞれ五味を好むカゲボウズの中で反応したのはその一匹だけだった。甘味を好む者。以前虫歯になったことがある。
何かに導かれているような彼を追い、一人と四匹は走り出した。途中で角を何度も曲がる。長い廊下と数え切れないほどの部屋のドアが続く。『PLANET』『STREET』『DANCEHALL』『FOREST』などの名前が、金のプレートに黒の文字でプリントされてそれぞれのドアに張り付いていた。気になったが、開けて調べている暇はなかった。カゲボウズが速いのと、思った以上に構造が複雑で一度見失えば二度とカゲボウズを見つけることも、この空間を出ることも適わない気がした。
不意に、カゲボウズが止まった。慌てて足を止める。残りの四匹が背中にぶつかった。
そこは今まで見てきた部屋のドアとは違うようだった。薄いサーモンピンクに、バラやユリの絵が彫られている。プレートにプリントされた名前は、『DOLL HOUSE』
カゲボウズが涎を垂らさんばかりにドアを見つめている。少々奇妙な感じを覚えながらもレディはドアノブに手をかけようとした。
だが。
バチンッ!
後ろへ下がった。右手がズキズキと痛む。見ればドアに焦げ跡がついている。文字だ。どうやらマダム以外が触れると自動的に仕掛けが出るようになっていたらしい。
「またパズルの類か」
文字は文章になっていた。『入りたかったら、次の問に答えること』と少々馬鹿にしたような言葉で始まっていた。
『子供の前に男が一人、女の後ろに男が二人、男の後ろに男が一人と女が一人、子供の後ろに女が一人。
さて、ここには最低何人の人がいることになるだろう』
なるほど、とレディは痛む手を押さえ、ドアを見つめた。いつだったかこういう問題をパズルの本でやったことがある。少々頭を使う必要がある問題だ。何せ『最小』で答えなくてはならないからだ。頭を整理し、何度か問題文を読んで考える。こういうのは図にすればいくらか分かりやすいだろう。
「子供の前に男が一人。子供の後ろに女が一人。子供の性別も考えれば、すぐに解ける」
わずか五分でレディは答えを出していた。つまり、男二人は同じ方向を向いているが、そのうちの一人は子供。そして子供と背中合わせで女が立っている。そうすれば、『子供』の前に男、女の後ろに『男』と『子供』の『男』、男の後ろに『子供』の『男』、そして子供の後ろに『女』がいることになる。つまり、答えは三人。
また火影を使ってドアに彫ってやろうかと思ったが、さっきと同じ電流が刃に流れたら今度こそ質が悪くなるのではないかと思い、ドアの前で答えを言った。
少しして、カチッという音がした。そっとドアノブに手をかける。もう電流が来ることはなかった。少し開けて、その空気に思わず顔をしかめる。鼻が曲がりそうなくらい、甘い。どうやらこの部屋全体に撒かれているらしい。
「窓が無い」
入って第一声がそれだった。広い部屋だ。壁紙は薄いピンク、床は大理石。ミスマッチな気がしたがマダムの趣味なら世間一般の感性とは違うのかもしれない。個人的には絨毯の方が合う気がしたが……それは置いておこう。
「甘い匂いの正体はこれか」
部屋の真ん中に置いてあるテーブルの上に、紫色の香水瓶が置いてあった。飲もうとするカゲボウズを止め、部屋を見渡す。ソファ、今いる白いテーブルは白木で造られているようだった。香水瓶の他にチョコレートの箱。個別包装と箱の美しさから高級品だということが分かる。
レディは左を見た。天蓋付きのベッド。幼い頃テレビや絵本で見たことがあったが、実物を目の当たりにしたのは初めてだった。白いシーツが皺になっている。
ドアのパズルの元になっていた男女は、壁の絵になっていた。油彩がどっしりとした重みを感じさせる。
カゲボウズのギャッという声で、レディは振り向いた。五匹が何か騒いでいる。天蓋ベッドの上。
「どうした。何かいるの」
彼らは主人であるレディの言葉も聞こえないくらい、パニック状態になっていた。バトルでいえば『こんらん』か。
何を見つけたのか気になって、ベッドに近づいてみる。そして思わず目を丸くした。シーツの影になっていたのと、まさかという思いが二重になっていて見逃していた。
子供だ。何も着ていない少年が、シーツにくるまって眠っている。
「……」
言葉が出てこない。自分がどんな表情をしているのかすら分からない。そこで気付いた。気付きたくなかったことを気付いてしまった。この部屋に付けられた名前。『DOLL HOUSE』……
中世ヨーロッパの貴族の間で流行していたという話を聞いたことがある。今でも法律の影でそういうことが行われていることがあるのも知っている。だが娼婦よりよほどタチが悪い。
「マダム」
その三文字にどんな思いが込められていたのか。言った本人も分からない。とにかくその時一番に考えていたことは、知ってしまった以上、無かったことには出来ないという諦めに近い思いだった。
ベシッ
カゲボウズの後頭部が顔に当たった。地味に痛い。鼻を押えて彼らを見ると、一つに纏まってこちらを見ていた。いつもは何かを嘲るような、一物ありそうな目の色をしているのにその時は違った,驚きと怯えの色が見て取れる。
理由はすぐに分かった。柔らかい何かが背中に当たったからだ。振り向いて、濁ったような茶色と目が合った。
座高……というか視線の高さはこちらの方が上。女かと思うくらいの美形だった。肌は白く、一度も太陽の下へ出たことがないのではないかと思うくらい。髪の毛はこげ茶で、主人の趣味なのか長くされていた。生まれつきの質なのか、柔らかい雰囲気がある。
何とも言えない、微妙な空気になりレディは必死で脳みそを回転させた。とにかく間違って入ってしまったこと、そういう趣味ではないことをどうやって騒ぎを起こさずに相手に分かってもらえるかを考えていた。
とりあえず顔を逸らそうとした彼女の頬を、柔らかい何かが包んだ。甘い香り……この部屋に充満している香水じゃない。自然に近い匂い。だが人間の匂いではなかった。時々泊まるホテルのバスルームにある、石鹸に近い。
顔をこちらに向かされ、再び目が合う。茶色のビー玉がこちらを見る。力が抜けて何も出来ない。相手が子供だからなのと、もっと別の何か……催眠術にでもかかってしまったかのように、身体が脳の命令を聞かなくなっていた。
まさかこんな場所に来てまで、こんな状況に遭遇するとは考えてもいなかった。そのまま首に両腕を回された。それだけ。それ以上、何もしてこない。
五分の二を占める♀のカゲボウズがボーーッとこちらを見ているので思わず額にデコピンをした。
耳に規則正しい感覚で寝息の音が聞こえてくる。起こすわけにもいかず、引き剥がすわけにもいかず、この全体重をかけられた身体をどうすればいいのかを考えて気分が重くなった。
「随分とお楽しみだったようだな」
探し人が見つかった……というか、見つけられたのは三十分後だった。いつものようにフードを被り、長針を黒いドレスに包んでいる。フードからはレディの髪と同じ色の髪が零れている。
「全部見てたのかい」
「よくここまで迷わずに来れたものだ…… そのカゲボウズのおかげか」
マダムがドレスの裾からカラフルな棒付きキャンディーを出した。大きな口を開けてかぶりつくカゲボウズ。
「いくつか聞きたいことがあるんだけど」
「その前に、彼を返してくれ」
「返すもなにも、こいつがひっついて来ただけだ」
何も着ていない体に触れるのは抵抗があったが、カゲボウズに頼むわけにもいかない。腕を外し、ベッドに寝かせてシーツをかけてやる。よく見れば彼のくび元には黒い痣があった。
「引き剥がさなかったあたり、お前もそこまで冷たい性格ではないようだな」
「黙れ。質問に答えて。まず、ここは何処?」
マダムがため息をついた。煙草の苦い匂いが、部屋の甘い香りを消していく。
「おそらくお前は黄昏堂の壁から入ったのだろう。入り口は様々だが、この部屋に一番近いのはそこだ。鍵となるパズルは入ろうとする度に変わる。この部屋の鍵も、だ。
そしてここは黄昏の館。私の家のような物だ」
常に黄昏時を保っているらしい。時間間隔が狂いそうだ。
「もう一つ。彼のことだろう?彼は裏の人身売買オークションで目玉商品になっていたところを、私が買い取った。幼い頃に親に売られたせいか、年上に甘えたがる傾向がある」
「だから初対面の私にあんなことを……」
「いや。ここに来た頃は全く心を開かなかった。来てもう半年以上になるが、話が出来るようになったのは一ヶ月ほど前だ。ゾロア達には懐いているんだが……」
マダムが苦笑した。寒気が背中を走る。
「私に懐かないで、お前に懐くとは。妬けるな」
「ふざけんな。――アンタがズル賢くてでもそれを表に出さなくて悪趣味なのはしばらく前から知ってて、客の立場である以上きちんと把握しているつもりだったんだけどね……まさかここまでとは」
「もっぺん言ってみろこの小娘」
黄昏堂へ戻る際、廊下の窓の景色を見た。川縁に家や施設が並んでいる。水上都市だろうか。
それを見つめるマダムの目が不思議な光を湛えていることに、レディは気付かなかった。