日に日に暖かさを増す麗らかな四月の、とある日曜日。
タチバナ家では朝早くから『イースター』のための飾り付けや、ご馳走の準備が着々と進んでいます。
イースターとは、簡単に言えば“春の到来を祝うお祭り”です。
クリスマスやハロウィンに比べると知名度は低く、これをお祝いしている家庭を見たことのあるひとは、そんなにはいないのではないでしょうか。事実、ここカナワタウンでイースターをお祝いしているのは、この家一軒きりでした。
そんなタチバナ家には、ナズナと言う名前の、九歳の女の子が住んでいます。
ポケモンブリーダーのお父さんと、元ポケモントレーナーのお母さん。そして二人の仲間ポケモンたちと一緒に、毎日仲良く暮らしています。
……元気に幸せに、暮らしているはずでした。
「よおし。そんじゃ、そろそろ始めるぞ!」
「ぐぐぅん!」
ナズナのお父さん、コウジが、明るく大きな声を上げました。彼の足下では、イッシュ地方では珍しい豆狸ポケモン、ジグザグマが、ぴょこんぴょこんと跳ねています。
色とりどりのチューリップが咲き誇るタチバナ家のお庭にて、今年も『エッグハント』が開催されようとしています。
エッグハントは、お庭の色々な所に隠されたイースター・エッグ――色付けや飾り付けを施した茹で卵のことで、とても大切な意味を持つイースターのシンボルです――を、子供たちが競って探し出すゲームです。
ご馳走を食べるお昼までの時間にこのゲームをするのが、タチバナ家で祝われるイースターの、毎年の恒例行事なのでした。
「……うん」
コウジとジグザグマ(皆はジグちゃんと呼んでいます。ジグちゃんは幼い女の子です)に遅れて、ナズナも同意します。しかしその声は消え入りそうなほどか細く、元気がありません。
そのことに気づかない振りをして、コウジはふたりの前に小さなバスケットを置きました。ナズナの方はピンク色、ジグちゃんの方は水色で縁取りがされた白地のハンカチが、中に敷かれています。
「制限時間は二十分。より多くの卵を見つけた方が勝利! 豪華賞品をゲット出来るぞ!」
例年と殆ど同じ言い回しですが、これを聞くと、今年も始まるのだなと気が引き締まります。
まだ幼くて知らないこと、解らないことだらけのジグちゃんですが、豪華賞品という言葉が素敵なものを意味することは理解しているのか、箒の先端に似た尻尾を、やる気充分といった風に振り回します。
対するナズナはと言うと、足下のバスケットを持ち上げようともせず、視線を明後日の方向に投げています。
そんな上の空な娘を、コウジはやはり気にかけていない様子。
「よーい、スタートッ!!」
賞品の内容を一頻り述べ終わると高らかに声を上げ、手をパァンと一つ、打ち鳴らしました。
さぁ、卵狩り競争の開幕です!
「ぐぐーーっ!!」
電光石火のごとく飛び出したジグちゃん。そのまま庭を囲む生垣に激突しそうな勢いですが、すぐに直角に左へ折れて、直後、今度は右へと素早く折れ曲がります。
「そら、おまえも行って来い!」
競争相手に抜け駆けされたというのに、ぼんやりと突っ立ったままのナズナに、ようやくコウジが声をかけました。バスケットを両手持ちにさせて、その両肩を掴んで後ろへと、彼女を振り向かせます。
「……うん」
またもや元気のげの字も無い返事でしたが、父親は満足げに笑うだけ。
気が進まないとはいえ、いつまでもここでこうしていても仕方がないので、ナズナもジグちゃんの後を追って春の陽光の下、卵狩りへと出掛けることにします。
「ぐーん♪」
そうしてナズナが玄関を離れるため一歩踏み出した時、ジグちゃんがジグザグと方向転換をしながら戻って来ました。
口には卵が一つ。早速イースター・エッグを探し当てたようでした。
ジグちゃんは、落とさないように大切に卵を咥えて来ると、玄関先に置いてある自分のバスケットに入れました。薄紫色のお花が描かれた卵。ムンナ柄の卵です。
「ジグちゃんもう見つけたのっ」
開始から一分も経たない内に卵を発見する偉業を成し遂げたのは、これまでの、数々のエッグハンターの中でもジグちゃんが初めてです。
「さすがジグザグマ、早いな!」
ジグザグマというポケモンは、独特のジグザグ歩行で、物陰に隠れている宝物を見つけるのが得意なのだと、コウジは説明しました。昨夏に生まれたばかりのジグちゃんでも、それは生まれ以ての能力、ジグザグマの本能です。
ジグちゃんは歴代の競争相手の中で一番幼く、実は一番手強いポケモンなのです。
こうなってくると、本気を絞りに絞らなければ、ナズナが今年の豪華賞品を手にするのは難しそうです。
今年こそは……いえ、今年だけは絶対に勝たなければならないのです。強く望んでいた物が、春一番で手に入る大チャンスなのですから。
そうだ、とナズナは心の中でひっそりと自分を奮い立たせます。
待ち焦がれていた春と、イースター。
こんな無気力な状態では、去年の自分に、何やってるのと怒られてしまうでしょう。
それにきっとあの子だって、ナズナに頑張って欲しいと、思っているはず。
「…………」
ふとそうした考えが浮かんで、折角勇み始めていたナズナの気持ちが悄々と、元に戻ってしまいました。前進していた両足も、ぴたりと止まってしまいました。
彼女はまた、あのことを思い出してしまったのです。
再び心が沈むナズナの傍らを、春風とジグちゃんが通り過ぎます。
「…………」
何気なく玄関を振り返ると、コウジが家の中へ入って行くところでした。他に用事があるのでしょう。彼に何か言いたげな顔をしたナズナでしたが、呼び止めはしません。ガチャンと扉が閉まるのを見届けるだけでした。
ついと視線をずらして、ナズナはベランダから見えるリビングと、その奥にあるキッチンに目を凝らします。そうするとナズナのお母さんと、彼女のお手伝いをしている二匹のポケモンの姿を見ることが出来ました。
お母さんがトレーナー修行の旅をしていた頃からの仲間ポケモン、ハピナスとドーブル。イースター・エッグとして彩色した茹で卵は、二匹が『タマゴうみ』と『スケッチ』で用意してくれたものです。
彼女たちはナズナとジグちゃんが卵狩りをしている間に、お祝いのご馳走を作ってくれています。そう考えればなんとなく、いい香りが漂って来る気がします。皆、にこにこ頬笑んでコンロに向かっていました。
ナズナは続いて玄関近くの水道と、隣にあるベンチを見ます。
お父さんのマラカッチが、ゼニガメじょうろにお水を注いでいました。自らも二つのお花を頭に咲かせている彼は、花壇の世話がお気に入りです。飛沫を立てて水を満たしていくじょうろを手に、頻りに楽しそうに体を揺らしシャカシャカ、シャンシャンと軽やかな音色を奏でています。
水道の隣のベンチにはお母さんのミミロップが座り、優雅に毛繕いをしていました。他の皆と同じく目元と口元を和らげて、優しい風に長い耳をそよがせています。ちなみにこのミミロップは“彼女”ではありません。喧嘩上等な男の子です。
一通り皆の様子を眺めて。
ナズナは密かに溜息を漏らし、呟きました。
「……みんな、楽しそう」
温かな陽射しと、柔らかなそよ風。
咲き誇る花々に、皆の明るい笑顔。
ナズナは歓喜が、色々な場所から溢れ出るような、この華やかな季節が大好きです。
小さな幸せを沢山運んで来てくれる、春。その訪れを祝うイースターも大好きです。
だけど。
「まだ悲しいのは私だけ、かな」
歓喜の溢れる春なのに。
笑顔の満ちる春なのに。
「私、だけ……」
ナズナだけが、深い悲しみの底に沈んでいました。
一人だけ、心から、春の到来を歓べずにいました。
ナズナの父親タチバナコウジは、優れたポケモンブリーダーです。
今も現役ですが、若い頃――ナズナのお母さんと結婚する以前は、様々な地方で幾多の大会に出場しては高得点を叩き出し、上位入賞を逃すことの方が稀だと言われたエリートブリーダーでした。
彼の手にかかればどんなポケモンでも、内面から放たれる生命の輝きで、その身を華々しく煌めかすことが出来ました。
中でも、彼の一番のパートナーだった花飾りポケモン・ドレディアは、かつて、他の追随を許さないとブリーダー界で騒がれたほど、それはそれは美しい花のティアラを挿頭していました。
紅色の花飾りと萌黄色のドレス。御伽話に登場するお姫様のようなドレディアが、その姿に相応しく心優しいドレディアが、ナズナは今よりもっと幼い頃から大好きで、とても慕っていました。
一緒にお母さんのお手伝いをしたり、遠い街までふたりきりでお出かけしたり、言葉が解らないながらも沢山たくさん、楽しくおしゃべりしたり。
ナズナにとってドレディアは、優しい優しいお姉さんでした。
ドレディアもナズナを、可愛い可愛い妹だと想っていました。
ナズナは、今年のエッグハントの賞品には『自分のポケモン』が欲しい、とリクエストしていました。
ドレディアに限らず、他のポケモンたちとも家族同然に打ち解けている彼女ですが、やはり彼らは両親のポケモン。自分と特別仲良くなってくれる自分のポケモンが欲しいと、近頃はそればかり考えていました。
彼女が自分のポケモンを欲しがる理由は、もう一つあります。
少しでも世話を怠れば萎んだり枯れたりと、すぐに傷んでしまう、気難しいドレディアの花飾り。それをいとも容易く常に鮮やかに、瑞々しく保っていた父親の腕前。
ナズナはお父さんと同じポケモンブリーダーになり、ゆくゆくは彼のドレディアに負けないくらい魅力的なポケモンを育てたいと思い、自分のポケモンを欲しているという訳なのです。
ですから、この勝負には負けられません。このチャンスを逃す手なんてないのです。
けれど……けれど。
どうしても今のナズナには、去年のような元気が沸いて来ないのです。
白いお皿の上には緑色のポロックが四つ、黄緑色のポフィンが二つ乗っていました。どちらも苦くて美味しい、ポケモン用のお菓子です。
木製のローテーブルにそれを置いたコウジは次に、お花のお香を焚きました。春の温もりを思わせるふくよかな香りが、ふわりと周囲に広がります。
お皿とお香の他に、薄汚れたモンスターボールと、金色のトロフィーが幾つか並ぶ机上を、陽射しが照らしています。
コウジはそこへ更に一輪挿しを据えました。
煌びやかに輝くトロフィー群より眩く目を引くそれは、見事に花開いた、紅色のチューリップ。
モンスターボールへ、そしてチューリップへ向けて彼が何か言おうと口を開いた途端。
庭から一層賑やかな声が聞こえて来たので、コウジはつられて、窓の外へ視線を移しました。
あれからナズナはお庭をぶらぶらとしながら、ジグちゃんには発見出来なさそうな場所にあった卵を四つ、左腕にかけたバスケットへしまいました。
ペリッパーポストの中から、ハート柄の卵。
自転車の籠の中から、青空を描いた卵。
窓辺のプランターの中から、トゲピー柄の卵。
生垣の間から……何をイメージしたのかよく解らない、芸術的なタッチの卵。
他にはどこにあるだろうかと辺りを見渡したナズナはお庭の隅で、なんだか不思議な動きをしているジグちゃんを見つけて、歩み寄りました。
「ぐぐぅーん!」
ズルッどしゃっ。
「みみ、みみみ」
「ぐぐっ! ぐぐうぅーっ!!」
ズルズルどしゃっ。
ズルズルズルズルどしゃっっ。
「みみみみみっ!!」
「ジグちゃん…それは取るのむずかしいと思うよ?」
ナズナが歩いて行った先には、つやつやした葉っぱをどっさりと茂らせた一本の木がありました。タチバナ家の一階の屋根より、ちょっとだけ背の高い木です。
その根本で蹲るジクちゃん。幹をよじ上ろうと何度かチャレンジしたのですが、途中で勢いが続かなくなってずり落ちてしまい、身体中を満遍なく土で汚していました。
何故そんなことをしているのかと言うと、一番地面に近い枝――とは言っても、ナズナが背伸びして目一杯腕を伸ばしてもぎりぎり届かない距離――の付け根に、ピンク色の卵を見つけたからなのです。ジグちゃんはこれを取るために奮闘しているのでした。
愛らしい見た目に反して好戦的な性格のジグちゃんは、これしきでは諦めません。暫し休んで力を取り戻すと、再び幹を駆け上り……ズルどしゃっと音を立てて、またまた地面にお尻を打ちつけました。
「みみみみみっ!!」
一所懸命頑張っているジグちゃんを、ナズナも心の中で応援します。しかし、その後ろで水を差すかのように笑っているポケモンが一匹。
ナズナはジグちゃんの代わりにそちらへ冷たい眼差しを寄越しましたが、それくらいなんのそので“ジグちゃん頑張れムード”をぶち壊しているポケモン……ミミロップは、笑い声を僅かすらも緩めません。彼がちょっぴり意地悪なのはタチバナ家の誰もが知る事実ですので、ナズナは、あとは呆れたように息を吐くだけでした。
敵とは言えあまりに健気なジグちゃんを前に、ナズナは手を貸そうかと考えつきます。が、彼女が動き出すより早く、その場に新しく現われた者がありました。
「ラッチ!」
「ぐぐ?」
シャカシャンシャンと体を鳴らしながら、マラカッチがジグちゃんの傍にやって来ました。
彼が何やらちょいちょいと腕を振って指示をしますと、ジグちゃんが木から遠ざかって行きます。
「カチッチ!」
幹に対峙したマラカッチの合図で、ジグちゃんがジグザグ走行でそちらへ走り出します。マラカッチの背中から頭を踏み台にして、目的の枝へ一気に駆け上り……そしてついに、ピンク色の卵を口に咥えました。
「みみっ…」
いいのかソレ? とでも言いたげに二匹を見つめるミミロップに、ナズナは「あなたがあんな所にかくすからしょうがないでしょ」と、ジグちゃんのいる枝を指しながら言いました。
そう、あそこに卵を隠したのは他でもないミミロップなのです。
毎年最低でも三個は、ナズナたち子供が見つけられない、取れないような場所に卵を隠してしまうのが彼の癖。結局誰にも取れず後片づけが面倒なので、再三コウジが注意して来たのですが、ちっとも懲りていないのでした。
「ぐぐぐっ!!」
するすると幹を伝って地面に降りたジグちゃんは、すぐさま玄関先のバスケットに新しい卵を置きに行きました。
目つきの悪いピンク色。タマタマの顔を描いた卵です。
無理難題に果敢に挑んだジグちゃんは、しかし休む間も無く、次なる標的を求めて再度お庭へ駆け出します。物を探す競争というのが、彼女には楽しくて堪らないのでしょう。
役目を終えたマラカッチは、ミミロップの耳を棘の手で掴んで家の中へと回収します。二つの意味で痛い痛い、と言う風にミミロップが大声で抗議していましたが、扉が閉まったことで音量は小さくなり、やがて聞こえなくなりました。
タチバナ家のお庭に流れる音は、ジグちゃんの足音と、ゆるやかな春風に揺れる草花の音だけになりました。
「…………」
ナズナは先程のことを思い出します。
一心に卵狩りに精を出すジグちゃん。
彼女の真摯な姿に、ナズナは申し訳が無いような気持ちになりました。
ジグちゃんはあんなに頑張って、自分との競争を純粋に楽しんでいる。それに比べて自分は他の事に気を取られて、真剣に勝負をしようとしていない。
ナズナは自分が、冗談みたいに無気力な自分が、情けなくなって来たのでした。
元気を出さなきゃいけないのは解っています。
いつまでも悲しんでいたって、何も変わらないことだって解っています。
でも、頭で解っていても、心がそれを受け付けないのです。
どうして、あの子はここにいないのでしょう?
「…………えっ」
さわさわと草木を揺らして吹き抜ける風。その中に、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がして、ナズナはぱっと振り返りました。
一本木とは正反対の場所。生垣の前に赤茶色の煉瓦で、半月を画くように造られた花壇がありました。赤、白、黄色、ピンクに紫と、色とりどりに咲き匂うチューリップで溢れています。
とても綺麗です。
とてもとても綺麗なのです。
それはもう、悲しくなってしまうほどに。
「…………」
この花壇は昨秋、妻から注文を受けてコウジが造りました。
チューリップの球根はナズナとドレディアがふたりきりで、快速列車に乗って三十分ほどの、ホドモエシティのマーケットで買って来ました。
来春、そしてイースターの日曜日に満開になってくれるように願いながら、ふたりで植えたのでした。
そして今日。
チューリップたちは狙い澄ましたかのように一斉に花開き、花壇を輝かせています。
まるで彼女が、ここにいるよと伝えているかのように。
ナズナは吸い寄せられるようにチューリップの方へと足を運びます。
本当は見たくない。思い出してしまうから見たくないけれど、それ以上に美しく可愛らしいので、一度視界に入れてしまうと、見入らずにはいられませんでした。
ゆっくりゆっくり、近づきます。
と、その時。
「わっ」
ナズナは驚いて、思わず足を止めました。花壇の中央、緑色の茎と茎との隙間に――何やら大きくて丸い物が置いてあるのを、見つけたのです。
見間違いかと思い、手の甲で両目を擦ってみましたが、やはりそれは消えたりせず、そこにありました。
おっかなびっくり、歩み寄るのを再開します。
あっと言う間に到着した花壇。果たしてそこにあったのは……赤いリボンでラッピングされた、大きな大きな卵でした。
ナズナは驚愕に目を瞬かせつつ、それに手を伸ばします。恐怖心よりも好奇心が勝りました。
卵はナズナの頭と同じくらいの大きさで、全体的に薄い緑色、下部が僅かに白くなっていました。堅い殻の内側から、じんわりとした温もりと微かな鼓動が伝わって来ます。
初めて見た、初めて触れたけれど、ナズナにはこれが一体なんの卵なのか、瞬時に理解出来たようでした。
そして、これがどうしてここにあるのか、どうすべきかを両親に相談するため、家へ取って返そうと思いました。
が。
「タイムアーーップ!!」
大きな卵を抱えて玄関を振り返ってみれば、いつの間にかコウジが家から出て来ていて、しかも出し抜けに大音声を張り上げたので、ナズナは卵を取り落としそうになりました。
「そこまで!! ふたりとも戻って来ぉい!」
「ぐぐーーっん!」
家の影になっているお庭の隅っこから、ジグちゃんが帰還。ナズナも、とりあえず大きな卵を持ったまま父親の元へ向かいます。
ジグちゃんはぱたぱた尻尾を振ってご満悦です。コウジはジグちゃんを宥めるように背中をわしゃわしゃ撫でながら、双方のバスケットに入っている卵を数えます。
「ナズナは四つ。で、ジグは九つか。ということは……今年のエッグハント、勝者はジグだっ! おめでとう、ジグ!!」
コウジが喜色満面で拍手して、娘もそれに従います。
分かり切っていた結果なので、ナズナは悔しがったりしません。今はそれよりも、この大きな卵が気になって仕方がありませんでした。
「ぐぐぐーっ!」
ジグちゃんは自分が勝ったと理解すると、待ち切れないとばかりに父娘の足下をぐるぐる周ります。
「賞品は家ん中だ!」
玄関の扉が開かれると、ジグちゃんはコウジに足を拭ってもらうことも忘れて、家の中へ飛び込んで行きました。
「お父さん。これ、野生のポケモンが落としたのかな?」
ジグちゃんへの豪華賞品を渡して一息ついた父に、ナズナは大きな卵を差し出しました。コウジは娘のとぼけた台詞に、少し笑ってしまいます。
「落とし物じゃない。それはドレディアから預かった、ドレディアとマラカッチと俺からの、おまえへのプレゼントだ」
「え?」
意味が解らず、頭上に疑問符を幾つも浮かべるナズナ。
しょうがないなと呟き、コウジは娘を、一階の南側の部屋へ招きました。あの日から、ナズナが一度も入りたがらなかった空間です。でも今は父の発言の意味を知りたい気持ちの方が強く、中に入るのに今までのような躊躇いはありませんでした。
お花のお香と陽光が満ちた部屋。
彼女が、最期の時を迎えた場所。
コウジの最初のポケモン、ナズナの掛け替えの無いお姉さんは、今年の始め、タチバナ家から居なくなりました。
寿命だと、町のポケモンドクターは言いました。
怪我や病気が原因なら治療は出来るけれど、寿命ならば、周りに出来るのは「ありがとう」と笑って見送ることだけなんだと、コウジは言いました。
人もポケモンも、いつかは「さよなら」を言わなければならない時が来ることは、ナズナも知っていました。解っていました。
けれどこんなにも早くその時が来るなんて、思っていなかったのです。
部屋の窓際にあるローテーブルの前へ、父と娘は座りました。
「おまえ、自分のポケモンが欲しかったんだろ? 本当はおまえとジグと、どっちかにしか賞品はやれないルールだけどな。今年は特別だ」
「……?」
まだピンと来ていない様子の娘に、父はこう問います。
「ナズナ。イースター・エッグに込められた意味、覚えてるか?」
イースターをお祝いすることに決めた年に、ナズナはコウジにそれを教わりました。
けれども当時のナズナはたったの四歳。聞いたことは薄らと覚えていますが、内容までは覚えていません。
素直にそのことを伝えると、父はもう一度教えてやると言って、ゆっくりと語り始めました。
昔々ある国に、神の御子と崇められていた救世主がいました。
彼は磔にされて亡くなった三日後に、奇跡の復活を果たしました。
彼の信者たちは救世主の復活を祝うため、あるお祭りを始めました。
それがイースター、すなわち『復活祭』なのです。
イースター・エッグは、救世主が死という殻を破って蘇ったこと。そして、冬が終わり草木に再び生命が蘇る春の喜びを表わしているのだと、コウジは言います。
「だけど神の御子と違って、人もポケモンも、一度死んでしまったら絶対に蘇らない」
その言葉にナズナは悲しげな顔を伏せました。
理解していても人から改めて言われると、やはりつらいものなのです。
「でもな。命は蘇らなくても、残された者が生きてる限り、いつだっていくらだって、蘇るものがあるんだ」
続いた台詞に今度は不思議な顔をして、ナズナは父を仰ぎます。
「思い出とか、絆とかな」
娘を安心させるように、コウジはにっと笑顔を作ってみせました。そして、ナズナの腕の中にある卵に視線をやります。
「今度はおまえがそいつの姉ちゃんになってやれ。ドレディアの時と同じ強さで、そいつと仲良くなるんだ」
そうすればドレディアとの絆も繋がり続けるだろうから。
そのようにコウジは続けました。
「…………」
ナズナはドレディアの遺した卵を見つめます。
大きくて温かな卵です。
そこでふと、ナズナは閃きました。
ナズナはここ数日、ずっと憂鬱でした。
それはドレディアを亡くした悲しみから立ち直れずにいたからだけではなく、自分以外の皆がとても楽しそうに笑っていたから。
数日前までは自分と同じように悲しみ、寂しさを露わにしていた皆が、今日はもうすっかり笑顔になっていることが、ナズナの悲哀を助長させていたのです。
ドレディアを悼む心を無くし、彼女の命が失われたことに対する嘆きから解放される代わりに、愛し慕った彼女自身のことすらも忘れてしまうのではないかと……そんな風に考えていたのです。
しかし、きっと、そうではなかった。
皆が嬉しそうなのは悲しみを忘れたからではなく、ナズナが、卵から生まれるポケモンと出会って笑顔になる瞬間を、楽しみにしてくれているからではないかと、ナズナは思い至りました。
「ドレディアを亡くす前にも、俺は何回もポケモンを亡くしてきた。事故、病気、寿命…死因は色々だ。その都度もうポケモンなんて育てない、と思った。別れはつらいもんな」
コウジがしみじみと、部屋中に飾ってあるトロフィーや表彰状を見て言います。
「でもやっぱりまた育てちゃうんだよ。別れのつらさより、一緒に過ごしてる時の楽しさの方が何百倍も強い所為で、さ」
亡くなった者を想う限り、思い出はいつでも蘇る。
亡くなった者と同じ強さで新しく生まれた者を想えば、絆は何度でも蘇る。
コウジはそうして、沢山のポケモンを育て続けました。
その意思を絶やさないためにと、イースターを祝うようになったのでした。
「おまえもそういう風に考えてみろ。そうすりゃきっと、ドレディアも喜ぶぞ」
最後にそう言い残し、コウジは頬笑みを掲げたまま部屋を出て行きました。
一人残されたナズナは、じいっと卵を見つめます。
この中に宿る命が、あの子との絆を蘇らせてくれる。
心の中で唱えてみると、不思議と元気が沸き起こって来るように感じられました。
「今度は私が……」
静かな、決意の声。
――コトッ。
応えるように卵が、微かに揺れました。
「ナズナーそろそろご飯よー」
暫くしてリビングから、お母さんの声が聞こえて来ました。
弾かれたように壁掛け時計を見ると、もうお昼に近い時刻を指しています。
「はあーい」
返事したナズナの表情と声色は、もう悲しみも寂しさも帯びていませんでした。
優しく強く、卵を抱え直して起き上がり、部屋を出ます。
「ぐぐ〜ぅ」
廊下に出るとジグちゃんが、エッグハントの賞品なのでしょう、赤いポロックやポフィンが沢山入った袋を咥えて待っていました。
すっきりとした面持ちのナズナを見て、尻尾をぶんぶん振って喜びます。
「行こう、ジグちゃん!」
豆狸に微笑みかけ歩き始めるナズナ。その隣を、ジグちゃんは弾んだ足取りでついて行きます。
リビングには既に皆が集まっていて、ご馳走を取り囲み、今日一番の満面の笑みでナズナたちを迎えてくれました。
ナズナも負けじと、破顔一笑。
もうすっかり、元気なナズナに復活です。
今日はイースターの日曜日。
そしてカナワタウンに、ポケモンブリーダーの卵が生まれた日です。
春の陽射しが皓々と降り注ぐ、チューリップの花壇で。
私はその日、歓喜に満ち溢れたタチバナ一家の団欒を、いつまでもいつまでも、眺めていました。
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初投稿です。メルボウヤと申します、以後お見知り置きを!
マサポケへは一昨年の夏頃(BW発売前ですね)から度々訪問、閲覧させて頂いておりました。普段は専ら絵を描いているのですが、皆さんのお話を読んで、自分ももう少し文章が上達したらいいなぁと思い、まずはポケストに投稿するべくヤドンの歩みでぽつぽつ書いておりました(^v^)ゞ
今回投下させて頂いた話は、コンテスト第二回のお題【タマゴ】をお借りして書きました。案自体は作品募集時に既に出来ていたにも関わらず、なんやかやで完成はその約一年後という; 今月に入ってもまだ絶賛グダグダ状態だったのですが…今年のイースターである本日(西方教会と東方教会で日にちが違う年もあるようですが)に、なんとか間に合わせることが出来ました。今年を逃したらもう書けない気が致しましたので…!
ポケスコ第二回の締め切り延長前の投票開始予定日(だったかと…うろ覚えです;)が去年のイースターだったというのは、ここだけの秘密です(?
一万字以内に収める予定でしたが微妙にオーバーしました。もう少し削れる所がありそうなものの、私のレベルでは今日中に間に合いそうにないので、とりあえずこのまま投稿させて頂きました。
文字数以前におかしな点も大分あると思いますし、追々修正したいです^^;
文章を書くのって物凄く難しい。でも絵や漫画では表現出来ないこともあって、上手い具合に組み立てられるととても楽しいです*´▽`*
第一回・第三回のお題でも考えた話があるので、そちらもBW2発売前には投稿したいなと思っております。またお会い出来ましたら、その時もどうぞよろしくお願い致します^^
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
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2012.4.8 投稿
4.30 修正
よく考えずに削ったら益々おかしくなっていたので、投下直前に削った部分も元に戻しました。もう文字数なんて気にしない。(どうなの