「よし、できた。これでもっと使いやすい物になるぞ」
青年は、一つのモンスターボールを握り締めながら言った。
ここは青年の家。彼は若くして有能な研究者だった。彼は世間で話題になる流行や、友人が結婚したとか、そういう話には一切興味を示さなかった。ただ一つ、彼を夢中にさせたのは研究だった。特に、新しい物を開発するなど、既に存在するものを改良して、更に良い物にすることに情熱を注いで生きてきた。当然恋人もいないし女遊びもしない。
そして今、まさに彼の研究が一区切りついたところだった。
「これは一番安く買えるモンスターボール。従来よりも、ずっと捕まえやすいように改良することに成功したぞ。これを
シルフカンパニーに売り込めば、きっと僕の実績を認めてくれるに違いない」
青年は、とても嬉しそうに呟いた。
彼は研究だけが取り柄だったので、他に何もできない。運動なんて苦手だし、対人関係もあまり得意ではない。家事もできないし働かない。ただ自分のしたいことをする。そんな生活を続けていた彼は、先日とうとう実家から追い出されてしまったのだった。
こうなってしまっては、お金がないので生活できない。研究が好きと言っても、子どもが遊ぶ玩具の構造がどうなっているのかなど、自分が興味を持つことしかやってこなかったので、具体的にお金を生む成果を出してこなかった。儲ける権利を独占できるような結果を生んでも、それをわざわざ発表しようとは思わなかった。ただ自分が興味を持つことについて調べてみたい、それだけなのだ。
数少ない友人の紹介で、研究に集中できる機関に入れて貰ったこともあった。しかし、途中で同じ仲間からあの資料を取ってなど、そろそろ成果をだせだの、横やりを何度も入れられ、彼はその機関から離れてしまった。自分の研究に余計な口出しをして欲しくないし、やりたくないことを無理に強要されるのはまっぴらごめんだった。
だが甘いことも言っていられない。資本主義の世の中、金がなければ飢え死にして死んでしまう。
だったら、自分が興味を持ったことをお金に変えればいい。そうして研究したのがこのモンスターボールだった。
モンスターボールは、シルフカンパニーが販売する商品の一つだ。シルフカンパニーと言えば、ポケモンを便利に持ち運べ、彼らと仲間になれる便利な道具であるモンスターボールを開発した会社である。文句なし一流の大企業。普通なら難関な筆記試験を受かり、何度も面接をするか、コネを使うかしないと入社できない。だがそれは、一般人の話だ。彼には、研究知識と探究心だけは持っている。
そしてありがたいことに、モンスターボールの研究については、ここ数年で飽きることがなかった。ボールの構造、素材、耐久度、性能、ありとあらゆることを調べ尽くした。まだ秘密があるなら、もっと知りたい。この情熱が冷めないうちにお金に繋げておきたい。もし駄目なら、そのときなったら考えよう。
ぼざぼざの頭を整え、体も洗い、何日も着ていた服を脱ぎ、髭も剃る。一番立派な正装で身を包んだ。時刻は丁度お昼。一時間もあれば本社に着けるだろう。
扉のドアノブをつかんだとき、突然呼び鈴がなった。
そのまま玄関ドアを開ける。扉の近くには、グレーのスーツに身を包んだ一人の老人と、黒いスーツを着た複数の男が立っていた。老人の隣には毛並みが美しいルカリオが立っている。仏頂面の老人は、黙って青年を見つめてくる。
「突然の訪問を失礼するよ。私はこういうものだ」
老人に付きそうルカリオが黙って青年に名刺を渡す。そこにはシルフカンパニー代表取締役の文字。つまり…
「あなたは、あの有名なシルフカンパニーの社長ですか?」
「いかにも」
青年は、もちろん驚いていた。まさか、これから行こうとしていた会社の、しかも社長が家に来るなんて。でもなぜだろう。確かにモンスターボールを弄り回していたが、改造したボールを売って儲けたりはしていないし、ボールの研究内容を公表していないので、犯罪行為にはならないと思うのだが。
「もしよかったら、君の家に上がらせて貰えないだろうか。内密の話をしたいのだが、見たところ、君はこれから出かけるようだね」
「はい。これからシフルカンパニーに行こうと思っていたのです。私を雇ってくれないかと、相談に行こうと思いまして」
「なるほど。なら手間が省けた。君は、我が社のモンスターボールについて随分研究しているようだね。その件で今日はここに来たのだ」
そう言うと老人は目を細めて穏やかに笑った。
青年は、これはチャンスだと思った。会社の偉い人と直に話せる機会なんて滅多にないだろう。言われたことを黙々とこなし、責任も中途半端な社員と直談判するよりずっとやりやすい。自分の熱意も直接伝えることができる。
「分かりました。汚い家ですが、ボディーガードの方もどうぞ」
「いや、私と彼女がいれば充分だ。彼らは外で待たせる」
そう言うと、老人とルカリオは青年の家に入っていった。青年は数人の側近に見つめられながら、ゆっくりと玄関の扉を閉じた。
青年が中に入ったのを確認すると同時に、ボディーガード達は高級そうな黒い車の中に入り、複雑な機械を作動させた。それらは、外からの盗聴しようとしている人の電波を阻害するものだった。
これで、青年と老人と一匹のルカリオしか中の話は聞けなくなった。
「粗末な部屋ですが」
「構わんよ」
紙が散乱したリビング。そこに置いてある安いソファーの上に老人が腰かけた。青年がなんとか綺麗なコップを見つけお茶を注ぐ。それを差し出すとルカリオが受け取り口をつけた。
青年は驚いたが、ちょっと飲んだだけで直ぐに老人に渡した。どうやら毒味らしい。
老人は、青年の入れたお茶を一気に飲み干した。
「うん、美味しいお茶だ」
無意識に青年は黙って頭を下げた。
「さて、早速本題に入ろう。話したいことは、先程言ったように君の研究内容についてだ」
「そのことですが、私は何か悪いことをしたでしょうか」
「どうしてそんなことを言うんだね」
青年は、老人の前に座りながら申し訳なさそうに言う。
「私は随分モンスターボールについて分析してきました。正直に言いますと、材料と技術があれば自分で組み立てることができるくらい、モンスターボールについて把握しています。ですが、不法にボールを製作し販売したこともありませんし、研究内容を誰かに話した覚えもありません。でもこうして社長がわざわざ来たということは、私を野放しにできないということかと思いまして。私は何か、重要な秘密を知ってしまったのでしょうか」
「君は実に物分かりが良い。だが勘違いしないで欲しい。今日は、私の仲間になって欲しくてここに来たのだ」
「というと?」
「君を我が社に入社させたい。どうかね?」
青年は冷静にはあ と返事をしたが、内心は小躍りしたい程舞い上がっていた。まさに棚からぼた餅。こちらから向かおうとしたら、向こうから誘ってくれるなんて。社長から頭を下げてくれるということは、給料や待遇を、こちらから強気になって交渉できるということだ。多少の我儘を言っても妥協してくれるだろう。
「しかし分かりません。私は交友関係が少ないのに、どうやって私がボールの研究をしていることを突き止めたのですか?」
「君の友人に、我が社に勤めている友人はいないかい?」
そういえば、そんな友人もいた気がする。余計なことを話した覚えはないが、ボールに興味があることだけは伝えたと思う。そいつとはもう数年の付き合いになるので、興味があると言っただけで、どこまで追究しているのかを察することができたのだろう。
「どうやら検討がついたようだね。一応私は社長だからね。どんな些細な情報も耳に入れるようにしているのだよ。まあ、君の近所にも話を聞いたがね。調べようと思えばいくらでも調べることはできる」
「素晴らしいと思います。社長というのは、ただえばって支持しているだけの存在かと思いました」
「大抵の社長は忙しいと思うぞ。少なくとも、私は名ばかり社長ではないと自負しているがね」
そう言って老人は笑った。青年も釣られて笑う。ルカリオは、相変わらず無表情のまま二人を見つめていた。
「話を戻そう。君はとても研究熱心なようだ。そこで、我が社でモンスターボールをより良いものに改良するための研究をして欲しい。報酬と待遇についてはきちんと交渉しよう。しっかり話し合った上で契約してくれればいい」
ここまでは男の思惑通りだった。やはりこの老人は、自分の力を認めてくれているのだ。きちんと話し合う段階で妥協しなければ、好きな研究ができる。そして金も入る。文句ない最高の話だった。
「もちろん前向きに考えさせて頂きます」
「そうか、それを聞いて嬉しいよ。早速だが、報酬や仕事内容の前に大事な話をしておきたいと思う」
「大事な、話ですか?」
「そうだ。モンスターボールができた経緯だ」
老人が持ちかけてきた話は、予想もしていないことだった。
経緯、つまりボールができる歴史のことだろう。モンスターボールはシフルカンパニーの看板製品だ。そこまで詳しくは知らなないが、会社の売上を左右する商品であることは間違いない。そんな商品について真っ先に語ろうというのだから、余程重要なことなのだろう。青年は真剣に耳を傾ける。
「そして、この件については誰にも告知しないことを約束して欲しい。将来結婚してできた妻にも、息子にも、世界で一
番大切な友人にもね。ここまで聞いて言いふらさない自信があるなら、話させて貰おう」
老人は、とくに念を押して青年に語りかける。彼は、数分考えるふりをした。そうでもしないと、この先の秘密を老人が話してくれそうもないからだ。ここまで来たら全てを知りたい。青年は好奇心に負けていた。
「分かりました。秘密は誰にも話しません。誓います」
「では話そう。ルカリオ、いつまでも立っていないで座りなさい」
老人がそう言うと、これまで仮面のように表情がなかったルカリオは老人の隣に腰かけた。こころなしか、ルカリオは老人に寄り添っているように見える。
「実はね、モンスターボールは、ポケモンの言葉を奪う道具なのだよ」
「言葉を奪う道具? それはつまり、どういうことですか?」
「そのままの意味だ。モンスターボールは重くて巨大なポケモンも簡単に持ち運べるし、凶暴なポケモンも、捕獲してしまえば性格がある程度温厚になり、人間に懐きやすくなる。我が社の初代社長が必死に完成させた、今でも売れ続ける大事な商品だ。現在は世界中で使われていて、人間とポケモンが歩み寄るきっかけになっている。大胆に言えば、世界を変えた商品と言っていいだろう。ここ数十年、我が社は一度も赤字を出していない。私も取締役を任され、誇りを持って仕事をしている。しかし綺麗な話は表向きの話だ。ボールを研究していた君なら分かるのではないか? ある部分に、無駄なスペースがあるのを」
「それには心当たりがあります。ボールの機能と全く関係ない部分がありました」
「そうなのだよ。その関係ない部分に、捕まえたポケモンの言語学習能力を奪う装置が埋め込まれているのだ。奪うと言っても人間の言葉を喋る機能だけだがね」
「どういう仕組みなのですか?」
「簡単なことだ。捕まえたと同時に、ポケモンの脳の一部分に軽い電流を流す。それでおしまいだ。ポケモンの体を傷つけることはない」
「つまり、ポケモンが人間の言葉を話さないのは、あのボールのせいだと言うのですか」
「その通りだ。不思議に思ったことはないかね、ポケモンは人間と同じような生活ができるし学習能力も人間とさほど変わりない。それにも関わらず、なぜ同じ人間の言葉を話さないのかとね」
「確かに考えたことはあります。でも、それがまさかあのボールが原因だったなんて」
「一度ポケモンを捕まえて逃がすことがあるだろう? 言語学習能力を奪うと、それはそのポケモンの子孫にも効果が持続する。長年の間、ポケモンはモンスターボールで捕獲されたり逃がされたりを繰り返してきた。世界中にいるポケモンは、殆どボールの影響を受けているはずだ。最も、伝説のポケモンのようにボールと無縁のポケモンもいるが、それは仕方ない。彼らの中には、神と崇められている者もいるからな。まあ、ボールの効果は完全ではないがね。時々成功しない例もあるが、それは限りなくゼロに近い確率だ」
「どうしてそんな機能を加えたのですか。ポケモンと人間が直接話すことができれば、社長が言った、人間とポケモンが歩み寄るきっかけにもっと近くなると思うのですが」
「そう思うのも当然だ。我々人類だって言葉が通じないために、交流が難しくなることもしばしばあるからな。だが、これは重要なことなのだ」
「そうなのですか。あ、ポケモンが人間程に知識を高めることを恐れたのですか。人間よりも有能で、高学歴なポケモンが生まれたら困るからですか?」
「なるほど。そういう考え方もできる。人間がこの世を支配している以上、人間の言葉を使えなければ、同じ人間に物事を伝えることは難しい。本が読めても言葉にならなければ、直に考えを伝えられないからな。しかし先代の社長達は、そうは考えなかったようだ」
「だとすると、どういう理由なのでしょうか」
「実に単純な理由だよ。ポケモンと人間の恋を実らせにくくするためだ」
「ポケモンと人間の、恋ですか」
「そうだ。信じられないだろう、下らないと思うだろう。だがこれは重要なことだと思っている」
「いや、否定するつもりはありません。ただ、全く予想していなかったことなので」
「驚くのも無理はない。ポケモンと人間の恋愛を防ごうだなんて、一般の人から見たらカルトだとか、宗教だとか言われそうだからな。だがな、別に私はそれ自体を反対している訳ではないのだよ。時代が進んだ今、差別なんてものは過去の話だ。白人と黒人が愛し合うのに、なんの違和感もないだろう。ポケモンと人が互いを好きになってもなんらおかしくはない。だがね、それを余りにも公に許してしまい、将来人類が滅びてしまうのを危惧しているのだ」
「それが人類の滅びる理由になるのですか?」
「なるとも。人間を繁栄させるのは人間だ。逆に言えば、ポケモンを繁栄できるのはポケモンだけだ。人間とポケモンが交じり合うとどうなる。子どもが生まれない。そうなると、未来の子孫の数が減る。そして子孫も同じことを繰り返し、またあまり子どもが生まれない。最悪の悪循環だ」
「でも中には、子どもが要らない夫婦もいるでしょう。無理に子どもを産ませて育てさせることもないでしょう」
「子どもを作るのは個々人の自由だ。だが、世の中を子どもが産める環境に整えておくのも大事なことなのだ。歴史を振り返ってみれば、金がないからと子ども作らない時期もあったらしい。綺麗ごとを並べても、子どもをきちんと育て教育するのにはお金がかかるからな。今は国家が保証してくれるから問題ない。だがポケモンと人間だと、どう頑張っても子どもが生まれないのだ」
「そこで、言葉ですか」
「そうだ。言葉は重要なコミュニケーション手段だ。自分の口から出た単語からは、なによりも気持ちを込めることができる。それを奪うだけで、人とポケモンが恋に落ちる確率は低くなる。大事なのはゼロにすることじゃない、低くすることだ。そんな障害を乗り越えてでも恋に落ちるなら止めはしない。寧ろそこまでいけば本物の恋だろう」
「―――それが、このボールの秘密ですか」
「ああ、そうだ。影から人類の繁栄を支えている商品だ」
ほんの数秒の静寂。老人の目は、真剣そのものだった。
「約束通り、このことは公言しません。研究さえできれば僕は満足です」
「ありがとう。研究はそう簡単に結果がでるものではないからな。ゆっくりと成果を出してくれればいい。一応報酬と待遇について、君の希望を聞いておこう」
青年は、一般のサラリーマンの数倍の報酬と、余計な口出しされない環境を請求した。老人はゆっくりと頷き、二つ返事でこの条件を了承した。
老人は、隣に寄り添うポケモンの頭を撫でる。ルカリオは嬉しそうに好意に甘えている。
「社長は、随分そのルカリオと仲がよいのですね」
「ああ。私の恋人だ」
「恋人―――ですか」
「恋人だ。キスもするし夜は一緒に寝る。セックスもする。最高のパートナーだよ」
「ポケモンと人間の恋を邪魔する商品を作っている企業のトップが、ポケモンと恋に落ちているのですね」
「ああ。だからそこ、私はあのボールを作り続けようと思っている。人類が滅びるのを、少しでも遅らせるためにね」
青年は静かに言葉なしで心が通じ合っている一人と一匹を見つめる。そのあまりにも自然な様子に、僅かに羨ましいと思ってしまったが、彼は口に出すことはなかった。
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初めまして。フミんと申します。日頃からマサラのポケモン図書館にはお世話になっております。
粗末ながら、作品を置かせていただきます。万が一、管理人さんが内容に問題があると判断された場合、削除してくれて構いません。
時々、作品を投稿しようと思います。宜しくお願い致します。
【描いてもいいのよ】