「ばあちゃん、そっちで元気にしてるかなぁ……教えてくれよ、おチビちゃん」
私はフラフラと宙を漂っていたヨマワルに、余ったお供えのおはぎを差し出し、尋ねてみる。
甘い匂いに誘われたヨマワルは、真っ白な骨の仮面をおはぎに口付け、その裏にあるのだろう口を動かしせかせかと放り込んでいる。
観光客というわけではないが、多くの人間が訪れる場所である。人に慣れてすっかり甘えることを覚えたヨマワルは、他のヨマワルが寄ってこないうちに全てを食べてしまおうという算段のようだ。
「答えない、か」
当然だよな、と私は笑う。
声を掛けられたヨマワルは、仮面の下にある一つ目でこちらを一瞥したが、それっきりおはぎを食べるのに夢中である。死者へのお供え物のつもりだったがやはり生きている者に与えたほうが、こういった可愛い反応を見られて楽しいものだ。
そう思う反面、もう少しばあちゃんに孝行をしてやれれば良かったなとも思う。
私は早くして両親を亡くし、母方の祖母夫婦に引き取られた。しかし、高校の頃に祖父は他界。祖母も社会人になって一年目、大した恩返しも出来ないままに急死してしまった。祖母は、善人の塊みたいな人であった。私の世話を嫌な顔一つせずに行い、反抗期もめげずに世話を焼いてくれたが、そんなのは序の口だ。
若いころ、勇敢だった祖母は箒を持ってゴロツキ相手に啖呵を切るなど、無謀なこともしたようで。その威勢の良さでご近所のトラブルを解決したこともあり、諍いの解決という一点においてはその武勇伝の数は二桁の半ばまで聞かされたものだ。
敬虔な仏教徒というわけでもなく、普通に肉や魚を食べている人ではあったが、今思えば善人を絵にかいたような人だと思うし、近所の人たちもそう言っている。
そんな祖母は天国へ行っただろうか。
私はこの彼岸の日にふと思う。
遥か西の彼方にあるという極楽浄土に、祖母はたどり着けたであろうか。せめて弔いだけはきちんとやったつもりであるから、私は祖母がたどりつけたと信じたい。
死者を迎え、手招きするというこのヨマワルという種族ならば、死後の世界にも行けるんじゃないかとは思ったが、狩りに行けたとして祖母にあったという保証はないし、祖母と私のつながりが分かる望みも薄かろう。
たとえ、ヨマワルが人の言葉を流暢に操ったとして、無駄なことだとは分かっていた。
やがておはぎを満腹になるまで食べ、喰いかけのおはぎを後にしたヨマワルを見送り、私は昔どこかで教えてもらった歌を思い出す。
『ひがしずみ にしの方へと 夜回る 日が沈む様 夜のお迎え』
日が沈む時間帯に、彼岸の日を済ませた祖先の霊たちは、再び西のかなたにある浄土に帰り、死の方へと夜と共に向かう。その案内をするのはヨマワル、サマヨールであるという事を歌った内容だ。
掛け言葉の多さが評価の一つとなっていることが一つの評価につながっているが、当然それだけではない。実際に彼岸の前後の夜ではこのヨマワルやサマヨールの目撃例は多く、当時の人間はこの短歌の内容を本当に信じ込んでいたのだという。
実際は彼岸の後に海でドククラゲやメノクラゲが多くなるのとそう変わらない、ただの季節の風物詩なのだろうが、この骸骨のような見た目の仮面や、基本的に夜に現れると言った習性がそんな言い伝えを生んだのであろう。
そして、この短歌には続きのような歌がある。
『彼岸すぎ こちら側より 東風が吹く わかれと告げて ししゃは旅立つ』
春分を告げる彼岸の日を過ぎ、春の訪れとともに東風(こち)が吹く。こちら側の世界とは、もちろん生者の世界である。そこから別れを告げるように吹く東風。わかれというのも、別れの辛さを分かれと言う、二つの意味を持った掛け言葉で構成されている。死者の魂は運ばれていくのだろうか。そして使者たるヨマワル達も西へと消えてゆくのだろうかと。
この歌は同じ作者の作品で、これまた掛け言葉の多さが特徴だ。
「……分かれ、か」
頭ではわかっている。だが、もっと親孝行してあげたかったという思いは消えない。
再びヨマワルが現れる。今度は二匹で、仲良くおはぎを食べに来たようだ。
さっとそれを差し出してやると、二匹のヨマワルはかぶりつくようにそれを食べた。
今はそう。どこかでばあちゃんが私を見ていてくれるなら、立派に生きて幸せになることこそが親孝行だ。うじうじしていても仕方がないのだ。
すぐに割り切ることは出来ないだろうが、いつかは立ち直らなければならない。私はおはぎを地面に置くと、ゆっくりと夕日に願掛けをしてからその場を去る。
もしもまだばあちゃんが安心して天国へ行けず、まだ成仏していないのであれば、安心して逝けるように生きてみよう。その時はばあちゃんの道案内をよろしくと餌を与えたヨマワルに言って、墓地を場所を後にする。
――――
短歌作ったはいけれど、なんかもう内容がまとまらなかった。