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  [No.2380] コミュニケーション・前編 投稿者:リング   投稿日:2012/04/12(Thu) 21:05:00   89clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



「あーあ……読書感想文とか面倒くさい……」
 夏休み前のうだるような暑さの中、図書室の中で俺はため息をつく。ここは自然に囲まれた町だからか夏でもわりと涼しいと評判だが、涼しいとは言ってもそれはあくまで『比較的』というレベル。なので、汗が鬱陶しいほど暑いことには変わりない。
 周りにはテッカニンの鳴き声がやかましく響き渡り、容赦のない日差しが上空から降り注ぐ。鮮やかな青い空は真っ白な雲を浮かべて晴れ渡り、木陰に隠れなければ肌を焼かれてしまいそうだ。日中、日常に生きる人間達は心なしかみんな元気がないか、空元気。祭りのときや水遊びの時だけ本気ではしゃぐといった様子である。
 そんな風に、人間は暑さに参っているというのに、外を飛び回るポケモン達は元気なものである。ハハコモリは体を一杯に広げて光合成し、ヘラクロスは木の幹を傷つけて樹液を吸う。
 ストライクは草原で忍んで獲物をせっせと狩っており、アゲハントは美しい模様を見せびらかして飛び回る。

 こんな暑さの中ではしゃぎ回っている虫ポケ達の元気さをうらやましく思いながら、俺は夏休みの課題である読書感想文で読む本を探す。この宿題に課題図書なんてものはなく、活字が主体であればどんな本を読んでもいいという緩いものではあったが、それはそれで逆に何を借りればいいのか悩みが増える。
 とりあえず、適当に図書室を回っているうちに見つけた本が、俺の目を引いた。
「『手話をポケモンに教える方法』。へぇ、こんなものがあったのか」
 興味を持って適当に目次からパラパラとめくる。目次では前書きから始まり、そこから先はポケモンに対して手話を教える方法が事細かに乗っている。ポケモンは三本指の種が多いので、それに対応したアレンジされた動作や指の形がそれぞれ乗っているあたりも、ポケモンに教えると銘打った本ならではといった所か。
 どんな本でも感想さえかければいいという課題だけに、こういう本でも構わないのだろう。ポケモンに手話を教えるというこのコンセプトならば同時に自由研究の宿題も消化出来そうだし、一石二鳥じゃないか。
 それに、こういう内容ならば姉ちゃんも好きそうだし、家族の協力を得ればそれらしい研究結果だって出るだろう。
 こいつを借りようと、軽い気持ちで俺は手に取った本を借りる。


「ただいまー」
 我が家のドアを開け、廊下を抜けて居間に行く。母さんはファッション雑誌を読んでソファに座っていた。
「お帰りー、キズナ。ちゃんと夏休みの計画立てたー?」
「ちょっと、母さん。帰って来るなりそれはよしてよー……」
 母さんはいつもこんな調子である。口を開けば宿題だ勉強だと。やっていない自分も悪いけれど、これではやる気も無くなるってば。
「一応、夏休みの宿題二つ分はテーマも決めたよ。自由研究と読書感想文」
「あら、珍しい。……と言っても前例が二回しかないから、めずらしいというのは早計かもだけれど」
「そうだよ、前例が二回しかないんだから……珍しいとか言わないでよね」
 母さんはこれだから一言多くって、思わず漏れるため息。
「で、何をやるのかしら?」
「えーと……これだ。これ見てよ」
 俺がランドセルを漁り、中にあるハードカバーの本を取り出す。
「なになに……『ポケモンに手話を教える方法 堀川一樹著』? なにこれ、これで読書感想文と自由研究やるの?」
「そのまさかさ」
 と、俺は母さんに答える。
「いや、『まさか』って言っていないけれど……」
「だから母さんは一言多いってば……」
 全く、これだから母さんは。呆れながら頭を掻いて、俺は言う。
「とにかく、ポケモンが挨拶だけでも出来るようにすれば、それなりに先生への言い訳にもなるでしょ」
「先生への言い訳って……楽する気満々じゃないの。宿題なんだからまじめにやりなさいなー」
 母さんは本をぱらぱらとめくりながら困った顔を作って、ため息交じりにそう言った。
「いいじゃん。夏休みはやりたいことをやらなきゃ損だよ。自由研究も読書感想文もぱっぱと終わらせられるに越したことないでしょ?」
「まぁ、やらないよりはましね。わかったわよ。がんばりなさいな。で、その宿題いつから始めるの?」
「うーん……ぼちぼち」
 答えをわかって聞いているんじゃないかと思うような質問をするもんだね、母さん。
「夏休み前に始めたほうがいいわよー。アンタの事だからどうせ、終わり近くになって焦るんだから」
「えー……時間のある時にやりたいよ」
「そう言って2回ほど宿題をギリギリまでやらなかった貴方がよく言うわね。ま、それでもきちんと仕上げるのが貴方のすごいところだけれど」
 痛いところを……もう、これだから母さんは。
「ほ、褒めるか貶すかどっちかにしてよ……」
「どっちもよ。貶されたくないのなら今日からやりなさい。まずはそうねぇ……夕食までに、手話で『いただきます』と『ごちそう様』を覚えておかないと夕食出さないわよ? 指南書には、『まずは日常の挨拶から覚えましょう』って書いてあるし……『家族がいる場合は家族みんなで同じ動作を取ることで、比較的早めに言葉を覚えてくれます』らしいから、私も覚えておくわ。だから、貴方も頑張ってね」
「ふあい……じゃ、じゃあ……道場に行って来る」
「行ってらっしゃい。みんなが勉強できるようにコピーをたくさん取っておくわ」
 母さん、無茶苦茶やる気になっているし……もしかして俺は、間違った選択をしてしまったのだろうか。

 ◇

「と、いうわけなのよ。キズナったら、面白いものを宿題に選んだわねー」
 本を見せられながら、私はそんなことを言われた。妹の宿題に付き合えとか、なんでそんな……冗談じゃない。いや、一応私にも自由研究の宿題はあるから、共同で研究すれば宿題の手間を掛けなくてもいいと考えられるかもしれないが。
「それにしても懐かしいわね、アオイ」
「な、何が懐かしいの?」
 夏休みを邪魔されたくないという物思いにふけっていると、母さんが私に言う。
「ほら、貴方は昔、プラズマ団のNに憧れていたじゃない?」
「あー……無名だったのにあっという間にチャンピオンになって、格好良くってしかも強かったからね」
「あら、アオイったら憧れた理由も忘れちゃったの?」
 母さんは笑って痛いところを突いてくる。
「あと、ポケモンと話が出来るところ……」
「でしょう? あんた、幼稚園のころから何度も何度もアキツに話しかけて、アキツ困っていたじゃない。果ては野性のポケモンにまで手を出して……出来の悪い娘だとは思ったけれど……あそこまで馬鹿だと、今でも話が止まった時の笑い話に困らなくって助かるわねぇ」
「あーもう、言わないでよぉ。それに、Nに憧れていた時期はもう、ポケモンと話すことなんて諦めていたでしょ?」
「はいはい。でも、諦めていたけれど、憧れは捨ててなかったじゃない? 他の女の子が格好いいから会いたいと言うNに向かって、貴方はうちのポケモンと会話をしたいからNと逢いたいだなんて言っちゃって……テレビの前で」
 図星、図星。顔から火が出そうに恥ずかしい。私の考えていることなんてみんなわかっていて、嫌になる。親はこうなのかなぁ?
「どーせそうですよ。夢見がちな乙女ですよ。いいじゃない、女は夢見がちな方が素敵よ」
「お、アオイちゃんはロマンチックなのね」
「もういいから!! もう!」
 私は母さんからそっぽを向ける。だが、なんだかんだで私はキズナが持ってきた本が気になって、それを手に取る。キズナの前には誰も借りていなかったその本には、ブルーレイディスクが閉じこんであり、紙面だけでは伝えきれない色んな物を丁寧に教えてくれる代物のようである。
「アオイちゃん、今はテレビ空いているわよ?」
 じっとそのディスクを覗いていると、何がしたいのかさとったらしい母さんがそう語りかける。
「見ておく」
 このディスクに出てくるポケモンは成功例だろう。その成功例が、どんなふうに会話ができるのか。期待しながら私は見ることにした。

 そのディスクの中にある『実際に会話してみた様子』を撮ったプロモーションムービーに出てきたイツキという男は圧巻であった。滑舌の良い発言と一緒に身振り手振りでポケモンと話し、ポケモンの動作に合わせてポケモンが言わんとしていることを口ずさむ。
 このムービーの中では、口頭による指示を出せないバトル施設、バトルパレスに於いてこの方法で指示を下した思い出を語る。彼はその反則ギリギリな方法によってバトルパレスで優秀な成績を残し、そしてパレスガーディアンの称号を勝ち取ったという。
 その際に活躍し、なおかつ今も傍にいるサーナイトとの会話は本当に取り留めもない苦労話や自慢話ばかりであるが、まるで人間と語るようにスムーズに会話を交わす様子には、思わず目が釘付けになる。
「そうそう、『この子』は『自分』が『覚え』た『手話』を『他の子』にも『教えて』くれたんだ。そしたら『いつの間にか』、『みんな』が『挨拶』『出来る』ようになってね」
 スムーズに手を動かしてイツキが語ると、次はサーナイトが手を動かし、それをイツキが訳す番だ。
「『みんな』、『貴方』と『話し』たかったんです……だって。いやぁ、『嬉しい』ですね」
 サーナイトの手話を観察しながら、イツキは照れた様子で語る。このサーナイトの特性はシンクロであるらしく、手話では伝わりにくい微妙なニュアンスまで彼は把握しているとのこと。カメラの前だからというのもあるだろうが、本当に楽しそうに会話している。
「この人本当に……完璧に話している……のね」
 私は母親に言われたことを思い起こす。このホワイトフォレストは自然が多い分、多種のポケモンが生息している。思えば、幼いころの私はポケモンも持たずに草むらに入り込んで、どこかで自分と話が出来るポケモンがいないかと探し回ったものだ。
 その時は幸いにも野性のポケモンに襲われるようなことはなかったけれど、山で迷子になったところをアキツに助けてもらったんだっけ。アキツはあまり感情を表に出さないから、何を考えているのかよくわからなかったけれど、あの時お礼を言った私の言葉は、きちんと届いていたのだろうか?
 この動画を見ている限りでは、ポケモンに対して言葉が通じているようにも思えるが、相手の感情を読み取れるサーナイトが相手だから、他のポケモンにもこの認識が通じるのかがいまいちわからない。けれど、もしアキツが言葉を話せるようになるのならば……
「アキツに、私の思いが伝わるかもしれないわね」
 画面越しでもポケモンと話すことの面白さは十分すぎるほど伝わってくる。そのおかげではやる気持ちが抑えられない私は早々にプロモーションムービーを終え、初歩の初歩のプログラムである挨拶の章を選択し、流した。


「ただいまー」
 キズナが道場の講習を終え、まだ夕日がさす帰路を走って帰って来た。いつもよりも早い午後6時の時間帯で、こんな時間に帰ってくるのは珍しい。いつもはあと30分遅い。
「お帰りー」
 すでにして、キッチンと一つの部屋にまとまっているリビング・ダイニングキッチンからは良い匂いが漂っている。香ばしい香りに加えてじゅうじゅうと油のはじける音が食欲をそそる。いつもより早めとはいえ、疲れて帰って来たキズナにとっては食欲を誘う匂いだろう。
「母さん、本はどこにやったの?」
「あらぁ、今日は宿題をやる気なのね。お母さん感心」
「飯抜きにされちゃあたまんないからね……」
 キズナはため息をついていた。なるほど、母さんそんな縛りを設けていたのか。
「で、なんでそれに私までつき合わされなきゃならないのかねー」
 本を持って手を動かしてぶつぶつと挨拶を唱えながら私は言う。自分で言うのもなんだけれど、言葉とは裏腹に私のやる気は満々である。
「姉ちゃん、別に手伝ってくれなんて言っていないだろ? というか、本返せよ」
「母さんが手伝えって言うのよ」
「ていうか、どーせねーちゃんノリノリなんだろ? 俺が3歳の時に迷子になって、家で一人お留守番させられたこと、今も忘れてないんだからな? あんときゃ不安で怖くて泣いちゃったからなぁ……わたくし可哀想な妹ですわオホホ」
「ぐっ……痛いところを……」
 この生意気なガキめ。でも、何も反論できない自分があまりに悔しい。
「本の内容なら母さんがたーくさんコピーしてホッチキスで止めているから、それでも見れば?」
 悔しさ混じりに顔をゆがめないよう注意して、私は印刷された紙のある方向を指差す。というか、母さん家族の人数分コピーする必要までは流石になかったんじゃ?
「ところで、父さんは?」
「今日は特に連絡がないから7時には帰って来るんじゃないのかしら?」
 キズナが母さんに尋ねると、母さんはフライパンを振るいつつ軽い口調で答えた。
「そっかぁ……じゃあ、アキツに言葉を教えるのもその時だね」
「そうよ、キズナ。だから挨拶くらいはきちんと覚えておくのよ?」
 アキツは父親が毎日の出勤に使っているポケモンだから、父さんが帰ってくるまでは教えることは出来ない。それまでに、キズナにも挨拶だけでも覚えてもらわないとね。
「本当にねーちゃんノリノリだし……」
「いいじゃない、キズナ。私も、夏休みの自由研究の議題にさせてもらうわ」
「え……なんか、アイデアの流用とかズルい」
「いいからいいから」
「よくねーよ」
 なんとでも言え、優秀な妹よ。図々しさなら私のが上だ。
「いいから、さっさと挨拶を覚えましょ? まずは、帰ってきてすぐにご飯を食べるわけだから、『いただきます』と『ごちそうさま』を覚えなさいよー? それ覚えないと食事抜きなんでしょう?」
 私が命令すると、うんざりしたのかキズナはため息をつく。
「勘弁してよ……楽しようと思ったのにこれじゃあ、束縛が厳しいじゃないか……」
「夏休みの宿題に対してそういう心掛けだから、神様が罰を当てたんじゃない」
「それだとねーちゃんが神になってしまっているんだけれど」
 あら、キズナってば上手いことを言う妹ね。
「いいから」
 私はぴしゃりと言って、無言の圧力をかける。
「わかったよ……」
 先ほどまで文句を垂れていたキズナも、ようやく私が本気であることを悟ったのか、しぶしぶながらに服従した。
「私も協力するから。真面目にやらないと許さないんだからね? まずは……『いただきます』から覚えなさい」
「へいへい」
 『いただきます』を表す時は、両手を合わせてお辞儀をする。一応、似たような動作を日常生活でもやっているので、これは簡単に覚えられたし、キズナも簡単に覚えてくれた。
 声に出しながら何度か繰り返し、次は『ごちそうさま』を。『ごちそうさま』は右手のひらでほほを軽く2回か3回叩き、両手のひらを上に向け、少し曲げる。その体勢から両手をすぼめつつ、下におろして、『ごちそうさまでした』。
 テレビ画面を見ながら何度か巻き戻しと再生を繰り返すことで、ようやく体に染みついてきたそれを終えて、私はついでとばかりに『おやすみなさい』や『お帰りなさい』や『ただいま』を覚えるようにキズナへ強要する。
 なんだかんだで、やり始めてみるとキズナ自身嫌々やるというようなことも無くなり、手話を覚えることにまじめに取り組んでいる。母さんも料理にひと段落つくと一緒に参加したのだが、私と母さんが好きな男性タレントが主演の番組が始まることでようやく作業は中断された。
 バラエティ番組なので、あまり興味のないキズナはとりあえず画面を見るが、手元には手話の本を持って片手間に暗記している。私も同じことをしていたので、母さんには二人揃ってご苦労さんねと笑われたのが、ちょっとだけ照れ臭かった。

「ただいまー」
 しばらくして、父さんが帰ってくる。母さんはすでにキズナ(と私)の宿題の事を父さんに連絡していたらしく、いつもは家に着くと同時にボールの中にしまうウチのポケモン、アキツを外に出したままの帰宅である。
 父さんはアキツに付けたおんぶ紐を取り外し、取り外したゴーグルとヘルメットを片手に扉の前に立っている。
「『おかえり』、なさい」
 右手を上から下に振りつつ、その手で左手首を叩く。いつもよりも大きな声で、そして動作に合わせてゆっくりと。私は手話を交えてそういった。
「ただい……ま?」
 そして、父さんは二回目のただいまである。大事なことでもないし、二回言う必要はないと思うが、こうして戸惑うのも仕方のないことなのかもしれない。
「本当に、手話をやるつもりなのか」
 後ろを見れば、キズナも私の隣まで駆けてきた。
「まあね。アキツ、よく見ておけ。『おかえり』、なさい」
 父さんがいつも通勤のお供にしているポケモン、アキツを見上げて俺は手話を教え込む。玄関の外、アキツはきょとんとして二人を見下ろしていた。
「本当はもっと近くでやりたいんだけれどなー……」
 でも、出来るわけがない。首を傾げるだけで、地響きのような重厚な音が響くこのポケモンは、ゴルーグというポケモンで、その大きさたるや平均身長で2.8mもあるのだから、ボールでも使わなければ玄関から家に入るのは難しい。
 通勤用のバイクが欲しいという父さんの願いと、ポケモンが欲しいという私の願いが超融合した挙句にこのポケモンなのだから、通勤用のポケモンを飼えばいいという結論に至った母さんのセンスは流石であると思う。いつもゼブライカとかの方がよかったんじゃと思っていたが、庭仕事なども手伝ってくれるし、今回の事もあるので案外これが正解なのかもしれない。

「アキツ……見てた?」
 と、私が語りかけてみるが、アキツは黙して語らない。無表情で、自分の感情を表に出したがるようなポケモンではないことは知っているが、そもそも挨拶自体を理解しているのかどうか気になってくる。
 しかし、もう遠い記憶ではあるが、アキツが小さいころ。ゴビットのころは、私達の真似をして浜辺でカイス割りなんかをして遊んでいたこともあったし、遊びといった非生産的な活動に興味がないわけじゃない。だから、挨拶の意味を理解する希望がないわけではないはずだ……と、思う。これ、一応自由研究の考察に書いておこう。

 問題は、人間の真似を、意味が分かってやっているかどうかなんだけれど。そんなことを考えているうちに、母さんも玄関までやってきた。
「アキツ、おかえり、なさい」
 なんだかんだで母さんまでもが乗り気で、私と同じように大きな声でゆっくりとやってくれる。アキツはと言えば、巨大な手の平を頭に当てて、どうすればいいのかわからず混乱している。
「はい、お父さん」
 そう言って、私は父さんにコピーした紙を渡して、『ただいま』の動きを強要する。ゴーグルとおんぶ紐を玄関のフックにひっかけた父さんは、紙の前で一時停止して、数秒後に動き出す。
「『ただいま』……二人とも」
 肋骨の境目あたりの高さで両手は物を押さえるように動かし、次いで右手を右目の前に置き、指の先をくっ付けつつ体の外側へ向けて斜め下に手を動かす。
 本日3回目の『ただいま』である。ゴルーグが空を飛ぶ際に発する熱気のせいか、ゴーグルが曇るほどの汗だくで帰ってきた父さんは、いきなりこんなことに付き合わされてげんなりしているのか、ため息をついていた。
 私は色々と済まない気持ちになった。キズナや母さんも済まない気持ちになっただろうか?



 ◇

 自分が物心ついたころに読ませてもらった本は、人間とポケモンが普通に話している本だった。
 ポケモンが貧しい人間のお願いを聞いて回るお話で、そのポケモンが病気になった時に今度は村の皆がポケモンを助けるという、王道過ぎるストーリーだ。他にも色んな物を見せてもらったが、シキジカが森の仲間と一緒に成長する物語や、コリンクが親の敵を討ちとる話など、ごく普通にポケモン同士が会話をするものばかり。
 そんなお話を見ていたせいか、自分はポケモンと人間が話せるもんだと思って、アキツがゴビットである内はアキツに向かって何度も何度も話しかけた。母親や友人に諭され、馬鹿にされて、うすうす無理だとわかっていてもやめなかったけれど、人間に近い形であるポケモンならば大丈夫だと信じて居たかった。

 アキツが進化した時は、その巨体ゆえに私は彼を恐れ、避けるようになってしまい、そして5歳の私はものすごい無茶もしたものだ。世の中には人間とテレパシーで通じ合える伝説のポケモンがいると聞いて、野山に繰り出し伝説のポケモンを探しに行ったのだ。案の定迷子になり、両親はキズナを一人留守番させて、近所の大人総出で探しに出るような大騒ぎとなった。

 私が一人泣いていたその時、色んな人が探しに来てくれた中で真っ先に駆けつけてくれたのはアキツであった。当時ゴルーグに進化したばかりの彼は、自転車に変わって父さんの通勤手段になっており、空を飛ぶ能力で上空から私を探していたのを今でも覚えている。
 彼を避けるようになってからは嫌われていると思っていたのに、アキツは助けを求めて叫ぶ私を見つけると、優しく手の平に乗せ肩車で野山を下ってくれた。その時アキツが何を思っていたのかは知らない。けれど、それを知りたい。

 思えば、その一件で私は余計にポケモンと会話することに対して憧れを強めたのだと思う。会話したいがためにテレパシーが使えるポケモンを探して大目玉をくらったというのに、懲りない奴だと自分でも思う。
 アキツの事が怖くなくなった私が、再びアキツに話しかけたのもそのころだ。その際は無表情なアキツでさえは困っていたことがわかるくらいに話しかけていたと思う。
 さすがに小学校に入るころにはポケモンと会話することも諦めたけれど、それでも憧れだけは強く残った。ポケモンと話すことが出来たらどんなに素敵なことだろうとか、そんなことが出来ればきっと楽しいだろうとか。
 二年前、元チャンピオンのNが登場した時も同じことを考えて、冗談交じりにアキツに話しかけたりもした。しかし私はポケモンと話すことはついぞ叶わなかった。けれど、手話という方法なら……あのサーナイトのように、話せるのかもしれない。ある意味、最後の希望であるこの方法。キズナが偶然持ってきたこの方法に、私はまじめに取り組まざるを得なかった。

 なにより、これが出来れば妹にはない、私だけの取り柄にもなるしね。




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『ゴルーグは蚊に刺されることもないので、アキツは外で眠らせても特に問題はないという。実際、彼はモンスターボールから出して庭で眠らせても(しゃがんだ体勢で眠っているので周囲の人に驚かれるが)嫌がる様子はなかった。流石に雨が降ったときはモンスターボールに入りたがるのだが、基本的にモンスターボールの外に居られるほうが嬉しいらしい。
 手話を始めるにあたって、アキツに挨拶しやすいようモンスターボールの外に出して生活させるのは正解のようだ。おはようからお休みまで、とにかく手話漬けの生活を送ると、一週間もしないうちにアキツは手話であいさつを返すようになった。
 『空を飛ぶ』、『下す』、『おんぶする』、『物を持ち上げる』、といったような単語も覚えてくれて、手話のルールもきちんと理解できたらしい。

 さて、困ったことが二つある。まずは一つ。人間の手話には、5本の指で文字を表す指文字というものがあるが、これを覚えることは難しいと書いてあった。
 音を文字であらわすという事が理解させるには相当苦労し、幼いころからきちんと教えていないと覚えるには時間がかかるんだとか。一番記憶力のいいフーディンは人間の五本指に対応していないので、特別な指文字を人間が覚えなきゃいけないのだと。その『特殊な指文字』というのは、参考にした本の著者が勝手に考え作ったものを参考程度に乗っけられているだけだから何とも言えないんだけれど……。
 と、とにかくそれならそれで、指文字なんて後まわしだ。もう一つの困ったことというのは感情の教え方だ。感情について教える方法があればいいんだけれど……どうすればいいんだろう?

  借りてきた本には、ポケモンと気持ちを通じ合わせるために、感情を教える方法というものが書かれている。基本的な喜怒哀楽から、羨ましいとか、怖いとか。
 楽しいという感情を教えるのは難しくない。楽しい時に『楽しい』という単語を教えれば済むことで、すでにその単語の意味は覚えている。夏休みも始まり、父さんが休みで通勤にアキツを使わない日、彼を連れだし河原で遊んでいる時に、簡単に覚えてくれた。
 ただ、手話では『嬉しい』と『楽しい』は一緒くたにされているから、『楽しい』という単語は『面白い』という単語で代用している。具体的には両手をグーにして、両手の小指側でお腹を2回程、叩く動作で表させている。
 どれもそれぞれ意味やニュアンスが違うけれど、嬉しいと楽しいはやっぱり違うと思う。テストで百点とっても、嬉しいけれど楽しくはないし……

 『怒る』という単語も、教え込んだ。これは、私が妹のおやつを勝手に食ってしまったというシチュエーションで喧嘩の演技をしているところをアキツに見せただけだが、どうやら演技はバレることなく伝わったらしい。流石に一回では覚えてくれなかったけれど、以降も自然に発生した『怒り』の光景に合わせてその言葉を教えてやれば、自然に何らかの反応をするようになった。『怒る』という単語は、鬼の角を意識して指を立てる動作をするのだが、それをするゴルーグは何というか……新鮮だった。

 さて、上記にある通り、嬉しいという単語は『楽しい』という単語を使って表現した。具体的には両手のひらを左右の胸にあて、左右の手が上下対称になるように上下に動かすという動作である。『嬉しい』という単語を教えると、まず最初にアキツは『自分、嬉しい、ありがとう』と伝えてくれた。アキツ自身、表情の変わらないゴルーグという種族柄、自分の感情を伝えることも出来ずにもどかしさを感じていたのだろう。不十分ではあっても、こうして感情を伝えられることを嬉しく思い、そして感謝してくれるのならば、私もやってよかったと思う。
 問題は『悲しい』という気持ちを教える機会がないという事だ。怒ることのめったにない仲良し家族な俺達でも演技さえ駆使すれば、『怒る』という言葉の意味を理解させるくらいは出来た。出来たのだけれど、『悲しい』演技なんてものは、さすがにシチュエーション作りも難しいから、実際にその言葉を教える際に作者である一樹さんも悩んだそうだ。
 とりあえず、この本によればポケモンもテレビの内容はきちんと理解できる(らしい)という研究結果をもとに、映画を見せながら言葉を教えたらしい。上手くすれば、登場人物が泣いているシーンにポケモンが同情することもあるそうだと……でも、近所にはビデオ屋なんてないんだけれどな……』



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 私はそこまで書き終えて、自由研究のノートを閉じる。
「まだ、会話を自由自在にできるようになるには程遠いわね」
 私はため息をつくが、それでもアキツの賢さは目を見張るものがある。この一ヶ月であいさつするだけならば全く困らないし、彼が表せる言葉はもう200を超えているんじゃないかと思う。
「はー……これで1ヶ月分は何とかなったわけだけれどなぁ……というか、楽に終わらせようと思った自由研究で夏休み終わっちゃう……全然楽じゃねえ」
 後ろすぐ隣で私のレポート用紙を見ながら作業しているキズナは、そう言って鉛筆を置き、ため息をついた。

 ともかく、沢山の言葉を覚えたわけだが、細かい言葉を教えることももちろん大事だけれど、やっぱり基本的な言葉を覚えるのはとっても大事だと俺は思う。
 『嬉しい』、『楽しい』、『憎たらしい』、『悲しい』。無表情なアキツが、感情を伝えたがっていたことは、先日の会話ですでに分かっているんだ。きっと、悲しいなんて感情でも、いつかは表現したいと思う時が来るし、私はそれを教えたい。
 そう思って、本を捲って読んでみて出会った、『映画を見せればいい』という記述には希望が見いだせた。しかし、今度は新たな問題が浮上する。それは適当な映画や映像作品が無いということだ。ここ、ホワイトフォレストはドがつくほどの田舎である。しかも、そのホワイトフォレストの中でも僻地のここは、道路状況も悪いおかげで、街まで自転車で1時間かかるし、バスは2時間に1回あればいい方だ。
 結局、いつも街へ仕事に行っている父さんにDVDを借りてきてもらうことになった。

 私は、キズナと一緒に事前に一度映画を見る。それで映画の内容を把握してみると、なるほど悲しい話だと思う。キズナは普通に見ているというのに、私は涙ぐんでいて、無様に鼻水まで流しているのが姉として、見た目の面で悔しい。これを見て、アキツはどういう風に解釈するのだろうか? 悲しいという事を、テレビ越しに感じ取ってくれるのだろうか?
 いや、むしろ……今までの事も理解して『くれていた』のだろうか?
 こうして手話を覚えたことで、色々な感情を表せるようになったことで分かったけれど、ポケモンも人間と同じように考え、想う心はあるんだ。それがどこまで同じなのか、もっともっと知ってみたい。5歳の時のあの夜、私が怖かったこと。アキツに見つけてもらって嬉しかったこと。そしてアキツが大好きなこと。
 全部伝わっているといいし、相手も同じように思ってくれればいいのだけれど。『ありがとう』は教えたけれど、どこまで意味を分かっているのかなぁ? プロモーションビデオで見た、まるで本当に人間であるかのように喋っていたサーナイトの姿を思い浮かべて、私は思う。
 きっともっと、心を通じ合わせることが出来るよね、アキツ。

 ◇

 私達は二度目の映画を見る。二回目だというのに不覚にも涙ぐみそうになるのを必死でこらえ、私とキズナはアキツに手話を教え込む。
「アキツ。これが、『悲しい』って『気持ち』なのよ」
 アニメーションの中で、母親を失った少年が泣いている。評判のいい作品だけに、父さんのセンスは悪くないと思うが、実写でも通じるかどうか不安なことを、アニメでわかってくれるのかどうかが不安だった。
 窓の外から固唾をのんで液晶画面を見守るアキツに身振り手振りで単語を教えてみるが、どれほど理解してくれているだろうか。
「そう、これが悲しいって気分なの」
 キズナも、一緒になって教える。しかし、むずかしいことに、ここにも手話の問題点が立ちふさがる。『悲しい』という言葉を表現するための動作は、『泣く』という動作と似ている。『泣く』という単語は、アキツと一緒に近所の森で遊んでいる最中、盛大に転んでひざを擦りむいて泣いている子供を見ながら教えて、すぐに覚えてくれた。
 目の下に、涙をつまむように手を当てるのが『泣く』。そのまま下に手を動かすことで、涙が滴り落ちる様子が『悲しい』。一応、動作に違いは存在するけれど、勘違いするんじゃないだろうかと思うと心配だ。
 『悲しい』という言葉を二人掛かりで教えると、アキツは一瞬考える。
『悲しい、泣く、同じ?』
 予想通りだった。アキツは、泣くことと悲しいという言葉を一緒くたにしている。一応、『泣く』と『悲しい』の動作に変化は付けているものの、その違いについては理解が及ばないらしい。
「『違う』よ。『泣く』から、『悲しい』、わけじゃない」
 手話を交えて、私はアキツにそう教える。
「『泣く』のは『悲しい』『とき』だけじゃない。『痛い』や、『嬉しい』でも、『泣く』ことは『ある』さ」
 ポケモンはめったに涙を流さないというし、ましてやゴルーグが涙を流した話なんてもちろん聞いたこともない。むしろ、このアキツに対して何をどうすれば涙を流すのかがまずわからない。
 涙を流したことがないアキツには、人間が涙を流すという事がどういう事かを理解していない節があったが。やはり生態の違いによる感情表現の違いが何とも難儀しそうである。

 まずは『死んだ』ら『悲しい』という事を教えようか? 何度も何度も死ぬシーンを見せて、繰り返し教えてみれば意味は理解するだろう。他の映画でも同じようなシーンを見せて、死を理解して、そこでやっと死ぬと悲しいことを理解するのだろうか。
 『胸』が『痛い』と、説明したいところだが、物理的な痛みならばともかく、心の痛みなんてもの、アキツは簡単に理解してくれるだろうか? これは説明も難しそうだ。
 そうやって考えていると、アキツは私達に何かを訴えてくるではないか。
『ずっと、眠る、悲しい?』
 死ぬ、という言葉を、彼は『ずっと眠る』と表現して訪ねてきた。無表情な彼の顔からはどんな感情も読み取れはしないが、彼は首を傾げているので、疑問を表現していることがわかる。
 ポケモンはカートゥーンなんかでよく見かけるな、喋るポケモンのような賢いポケモンはいないと思っていたけれど……なかなかどうして、ポケモンは思った以上に賢いようだ。
 そう。『死ぬ』って良く考えれば『ずっと眠る』ことだもの。アキツの表現は非常に的を射た表現である。
「『ずっと』『眠る』は……」
 そう言えば、自分はまだ『死ぬ』という単語を手話で表す方法を知らなかった。私は慌てて『死ぬ』という単語を本から捜し、それを教える。
「『ずっと』『眠る』って言うのは……『死ぬ』って言うのよ」
 顎の前で合わせた両手を右に倒すことで『死ぬ』と表現をする。
『死ぬ、悲しい?』
 すると、アキツは早速『死ぬ』の動作を真似て尋ねる。ゴルーグは古代では労働力として重宝されたというが、この記憶力の良さも労働力としての売りの一つなのかもしれない。
「そう。『死ぬ』のは『悲しい』ことなのよ」
 そんな風に私が教えると、再びアキツは考える。
『わかった、ありがとう』
 『悲しい』という単語を理解したのか、アキツは嬉しそうに手刀てがたなを切り、ありがとうと言う。
「『どういたしまして』」
 そう言って返すと、アキツは嬉しそうにギュイーンと鳴いた。
「おー、ねーちゃんスゲーな。ブリーダーに向いているんじゃね?」
「なに言っているのよ。私はただ……ポケモンと話してみたいだけで……」
「別に、ポケモン育てるのが好きで、それなりに実力があるならブリーダーなんてそれでいいんじゃねーの? ポケモンと話すってのも、夢物語でもなさそうだし」
「あー……っていうか、そんなことより……続きを見ようか、アキツ?」
 すっかり映画の雰囲気をぶち壊してしまい、うるんだ涙も引っ込んでしまい、微妙な気分だ。会話がうまく成立したことによる満足のせいで悲しい気分もどこかへ行ってしまったが、アキツは律儀に庭の外から映画の内容を見守っていてくれた。
 どれくらい映画の内容を理解してくれているのかよくわからないが、なんとなく雰囲気を理解して楽しんでいるから良しとしよう。終わった後に、アキツは『楽しい』と言ってくれた。それが何よりも嬉しかった。

 ◇

 結局、夏休みの自由研究は途中結果のみの発表となったが、それでもかなりの評価を受けて全校集会で発表させられる羽目になる。夏休みが終わってからも手話を教え続けていると、ポケモンは予想だにしないほど多くの感情や言葉を理解していることにも段々と気づいてきた。
 意味を理解させるのに苦労させたことや、言葉の動作を忘れてしまって上手く言葉が出てこないこともある。しかし、基本的に物覚えも理解力も高いアキツが相手ならばイライラすることはなく、なんで言葉を覚えてくれないのかと躍起になることはなかった。
 もちろん、私が一番頑張ったとはいえ、その陰では家族全員が予想外なほどに協力してくれたことが成功の主因である。特に母さんに至ってはもう一人子供が出来たみたいで嬉しいと、嬉々として言葉を教えている。
 キズナも最初は楽するつもりだったというのに、いつのまにか自主的かつ真面目に手話を学び、そして会話に手話を混ぜてアキツに教え込んでいた。父さんこそまだたどたどしいものの、この自由研究のおかげで家族全員が手話を使えるようになってしまい、アキツとの会話もスムーズだ。
 まぁ、私が一番上手くアキツと話せるんだけれど。

 他の家でも真似する人はいたんだけれど、家族の協力を得られなかったり根気が続かなかったりで全員挫折。
 そう言った報告を聞く限りじゃ、うちの家族の団結力も高いと思うし、つくづくアキツは賢いポケモンだと思う。それこそ人間とほとんど相違ないんじゃないかと思うほど、アキツは賢くふるまってくれた。
 今では流暢に手を動かし、生意気なくらいに喋って来るから鬱陶しいくらいだ。父さんの職場でも、ゴルーグに興味がなかった女性にまで人気が出てきたとかで、アキツはそれに対して鬱陶しいと思いつつもまんざらではないと、手話でコメントしていた。


 月日は過ぎ、暑かった夏の面影も消え去り、今はもう町には冷たい風が吹きすさんでいた。ただでさえど田舎であるこの町は空気も澄んでおり、冬という事もあって宝石を散りばめたように満天の星空が煌めいている。町は目前まで迫ったクリスマスのムードに包まれており、私の家がある所はそうでもないけれど、繁華街に行けば煌びやかなイルミネーションがあたりを光で包んでいる。
 アキツは驚くほどの勢いで手話を覚え、あのブルーレイのサーナイトほどではないものの流暢に話す姿は目覚ましい。今なら聞きたいことも聞けるだろうかと思って、私はアキツを外に連れだし、散歩する。
「ねぇ、アキツ?」
 顔を上げて、私はアキツに語りかける。
「『昔』ね、『私』が……『家』に『帰られ』『なかった』の、『覚えて』るかしら?」
 まっ白い息を吐きながら私は尋ねる。迷子という言葉を知らなかったので回りくどく言ってしまったが、きっと伝わることだろう。アキツは、少し考える。
「『飛んだ』『探す』。『夜』『お前』『泣く』」
 そう言ったアキツは数年前の夜にあった出来事をきちんと覚えているようである。
「そう、『貴方』が『空』を『飛ん』で『探して』くれたわね。『あの時』ね……『何度』も『ありがとう』って『言った』けれど……『それ』が『貴方に』『伝わった』のか……『わからない』から『心配』だった。でも、『貴方』には……『ありがとう』の『気持ち』『伝わって』いるのかな?」
 手をひとしきり動かし終えて、私は真っ直ぐにアキツを見つめる。
「『ありがとう』『聞いた』『嬉しい』」
「ありがとうって言われて……嬉しかったのね?」
 私は問い返す。
「『当然』『理由』『お前』『家族』」
「そう……」
 どうやらアキツには何もかも伝わっていたようだ。それだけじゃない……小さいころから何をやってもダメで、迷惑ばかりかけてきた自分だけれど……こういう風に、ポケモンだって私を必要としてくれるんだ。
「『嬉しい』」
 それを言葉にしてみると、全身に暖かいものが駆け巡るような、そんな感覚が私を包んだ。
「『貴方』に、『手話』を『教え』て……『今日』『一番』『嬉し』かった……」
「『私も』『嬉しい』『手話』『楽しい』」
 そして、アキツも答えは一緒。こんなに嬉しいことはない。きちんと伝わっているのかどうか怪しかったあの時のお礼はきちんと伝わっていたんだね……それがわかっただけでも嬉しいけれど、アキツもそういうことを伝える手段が出来て、喜んでくれている。
 無表情で、何を考えているのかもわからないようなゴルーグだけれど、彼だって人間のように何かを考えているし、それを伝える手段を探している。むしろ、無表情だからこそ、伝える手段を探していたのだろう。恐らくは今まで自分の想いを伝えられなくってもどかしい思いをしたこともあったのだろう。
 でも、今なら伝え合えるのよね。Nのように、目を見るだけで伝わるようなことはないけれど、でも十分。嬉しい。そう、嬉しいんだ。
 家族だって伝えられて、ありがとうって伝えられて、そして分かり合える。
「ねぇ、アキツ。『手』を『繋い』で」
 私が頼むと、『了解』と言ってアキツは優しく私の手を握る。歩幅を合わせるのがとても大変そうだけれど、きちんとアキツは私に付き合ってくれる。こんな時でも無表情なアキツだけれど、その表情の下に渦巻く感情があるのを私はしっかりと知っている。それがわかるだけで、私は誰よりも幸せになれた自信があった。

 家に帰って私は、放置されっぱなしで埃の被ったレポート用紙に書き加える。

『この研究のおかげで、私は家族と今まで以上に親密になれました。これを持ちかけてくれた妹も、付き合ってくれた家族も、何より一緒に喜んでくれたアキツにも。皆、ありがとう。』


  [No.2381] コミュニケーション・後編 投稿者:リング   投稿日:2012/04/12(Thu) 21:06:30   99clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ブームというものは案外早く過ぎ去ってしまうもの。我が家から手話が絶えることはなかったが、2年もすれば注目もすっかり治まり周囲では日常が戻っていった。
 季節は、桜も散り行き暖かさは徐々に暑さに変わる初夏の頃。
「ねーちゃん、早くしろよー」
「ごめんごめん……っていうか、あんた準備が早過ぎるのよー。女はもっと準備に時間かけるもんでしょー?」
 同じ女なのに、キズナは小5になってもオシャレに無頓着。我が妹ながら、隣を歩いて恥ずかしいレベルだ。
「アキツに乗れば速いからって油断しすぎなんじゃないの? そんなんじゃ、音速でも間に合わなくなるよ?」
 ぐ、あいも変わらず痛いところを突く妹だ。
「うっさいわねー。そんなこと言ってないで、私の準備を応援しなさいなー」
「髪整えたって見る人なんていないから……彼氏とデートに行くわけでもないのに、髪がどうのこうの、服の色合いがどうのこうの、バッグに付けるぬいぐるみがどうのこうの、本当に厄介ねー」
「うっさい!! 今からそんなんだと、中学になっても彼氏出来ないわよ?」
「まるで中学で彼氏が出来たみたいないい方ねー? 彼氏の一人もいない人に言われたくないなぁ」
 家族との仲の良さはアキツに手話を教える前からと同じく、円満なものである。アキツに対して漏らしていた愚痴を、今は別の誰かにしなければならなくなったと母さんも父さんも嘆いているが、そんなことも小さな問題だ。今ではむしろ家族の仲は以前よりよくなったんじゃないかと思う。
 けれど、キズナとのやり取りは相変わらずこんな感じ。ほぼ確実に会話の主導権はキズナが握ってしまうのだ。
「中学生で付き合ってたら早すぎるわよ」
「アオイねーちゃん。さっきの自分の発言に責任持ってよ? それなら中学生で付き合えなくってもいいじゃないのさ?」
 ぐ……確かに。
「練習よ練習。彼氏が出来た時にいい女に見せるための!! 中学生から身に着けとかんと、高校生になったらどうするのよ」
「もーわかったから。良いから早く準備しなさいな。俺もう待ちくたびれているんだけれど……」
「大体、自分の事を『俺』って言っている時点で何か女として間違っているでしょうが。」
「いいんだよ。俺はこのままで。『私』とか言ってなよなよしていたら道場で舐められちまう」
 全く、キズナは道場に青春を費やす気か? 我が妹ながら情けない。
「あんたもうちょっと女として生きなさいよー」
 つややかな黒髪を肩まで伸ばして、お似合い(母親曰く)の髪留めで飾り、上下の服との兼ね合いもばっちりな私。今は見えないが履いているサンダルもオシャレなものだと自負している。

 対してキズナは、まだ季節は初夏だというのに、半袖短パンに無骨なサンダルという見た目。信じられないことに石鹸で髪を洗う始末だから、髪の毛は痛み放題のボッサボサ。よく外で遊んだりトレーニングをしているから、すでにして日焼けた肌は小麦色。
 街へ行かない日ならば、足を鍛えるためにと言って裸足で過ごす日だってあるくらいにはオシャレを排している。『田舎なんだから靴以外は大体こんなものなんだけれど』、なんて言って、キズナは『せめて靴をきちんと履いてくれ』と私が言っても納得してくれない。
 わが妹ながら、本当にどうにかならないものか。素材だけはいいから、珠のパーティーでオシャレをすれば私よりも一回りは美人というのが腹立たしい。
「いーじゃん。子供のうちに出来ることをやっておかないと。大人になったらこんな格好も出来ないしね」
 そこまで分かっているんなら、今から大人の格好に慣れとかんかい!
「若いうちにオシャレするのも大事なのに」
「まるで年取ったみたいないい方だなぁ。姉ちゃん、おばさんなんだ」
「ぐっ……」
 髪を整えながら、キズナに痛いところを突かれて私は閉口する。本当に口の達者な妹め……
「大体、髪を整えてもムースかなんかで整えなきゃ結局はアキツの飛行で乱れちゃうでしょうに。髪を整えるための整髪料なんてウチにはないというのに、ご苦労なことだねぇ、ねーちゃんは」
「うっさいわねー。じゃあもういいわよぉ」
 叩きつけるように乱暴な仕草で櫛を棚のポケットに叩きこみ、私は鏡の前から踵を返す。
「図星だったんだねー、ねーちゃん。ねーちゃんは喋るたびにボロが出るからなぁ」
「うっさぁい!!」
「声を荒げちゃってまぁ。オシャレ気取るんなら、口調もオシャレかおしとやかにした方がいいのに……と、思わずにはいられない私なのでした」
「殴るよ」
「そんなことしたらたぶん、姉ちゃんの方が痛い目にあうと思うけれど? 俺が防御しているだけでも姉ちゃんが先に倒れる自身があるぜ」
 最近は姉としての最終手段まで使えなくなっちゃったし……あーあ、良く出来た妹を持つと気がめいる……。

 ◇

 とにもかくにも、私達はブラックモールへと向かう。ホワイトフォレストの町役場付近。町自体はドがつくほどの田舎だというのに、一つだけ不釣り合いなほどに威容を誇るは白の中の黒、ブラックモール。街をアブソルの顔に例えた時、そこはアブソルの額の黒にあたる場所らしく、逆にブラックシティにもホワイトブッシュというアブソルの牙にあたる場所がある。
 ブラックシティほど遠くない場所にあるこのショッピングモールは手に入るものは多かれど、ブラックシティよろしく盗品も少なくない危ない場所。そんな場所でも、ホワイトフォレストでまともな買い物ができる唯一の場所なので、この町の住人は欲しいものがあればこぞってここで買い物をする。
 私達姉妹も、父さんの休日であるこの日曜日にアキツを借りてお買いものや映画を見に出かけることがある。ブラックモールは意外と広い場所だから、買い物をせずに商品を見ているだけでもあっという間に時間が潰せる素敵な場所なのだ。

 難点は、ショッピングモールの周囲に隣接するノーブランドの店舗が立ち並ぶ商店街の治安の悪さだろうか。入り組んだ店舗と店舗の境目の路地裏などで野性のポケモンなどが縄張りを持っていたりすること。客の食べ物をねだったりするうちは可愛いのだが、たまにどこぞのマダムが逃がしてしまって野性化したボーマンダが飛んでくることさえあるから始末に負えない。
 そんな場所でも、刺激的だからとついついやってきちゃう人は多くて、私達もその口。少ないお小遣いを握りしめて、私達はまず最初に映画を見て、そのあと店を回る。ほとんどはこれが可愛い、あれが可愛いと連呼するだけで何を買うでもないが、雑貨屋でオシャレな家具や置物を見回ったり、服を持って鏡の前に立ったり、UFOキャッチャーの景品を眺めたり。
 フレンドリィショップに連れてこられたポケモンを見て、あのゾロア可愛いなどと褒めてみたり。そんなこんなで時間を潰しているとあっという間に時間は過ぎていく。
 締めは夕方の商店街めぐり。アウトローな物品が多く、ゲームの中古ソフトから盗んだバイク。裏通りまでもぐりこめば、広大な自然の中で育てられたイケナイ葉っぱや薬までいろいろ売っている。こっちは、ショッピングモールで可愛いと連呼したのとは対照的に、『これマジでヤバイよ』とはしゃぐための場所で、同じ穴のムンナな女子や頭の悪そうな男子学生。
 ナンパ待ちの女性と品定め中の男性などがちらほら見受けられた。
 私達も適当に見回りながら、中古と銘打って売り出されている格安バイクを見て、どんな人から買い取ったのか? どんな人が買っていくのかを想像しては、キズナと一緒に面白おかしく茶化して回る。

「あ、見て。ドレディアだぁ」
 肝試し紛いの買い物からの帰り際、沈んでゆく夕日をに照らされたドレディアがちょこんとしたたたずまいで、私達の前に現れる。私がキズナに呼びかけるようにドレディアを指差し腰をかがめて声をかけると、彼女はみずみずしい葉っぱの腕を持ち上げて手招きする。
 かわいらしい所作で手招きした後は、笑顔のままに振り返って路地裏へと消えていった。
「あのドレデイアついて来いってさ、キズナ。行って来る!!」
 なんて可愛らしいドレディアだろう。頭のお花も綺麗だし、白い素肌も陶器のようで、まるで野性じゃないみたい。もし仲良くなれたら、アキツに通訳でもしてもらっていろいろお話したいな。
「馬鹿言っていないで行くよ、ねーちゃん? 野性のポケモンに餌を上げるのはナンセンスだよ。ポケモンがますます調子に乗るし、糞や死体や窃盗で害を受けるのはこの商店街に店出している人達だぞ?」
「いーじゃん。私達が上げる餌を狩ってくるお店は潤うんだし」
 そんなこと気にし手られますかーっと。可愛いは正義でしょうに。
「その分ポケモンが増長して商品盗まれてりゃ、損だっつーに……あーもー……ポケモンに誘われちゃって、ねーちゃん何やっているんだか」
 呆れ気味にため息をついて、キズナは路地裏の前で待つことにしたようだ。私はドレディアに誘われるがままに路地裏について行くと、突然目の前に星が散り、体の自由が利かなくなる。
 な、何? 目を白黒させながら痛みが襲いかかって来た方向を見ると、そこにはデンチュラが。デンチュラの電気糸に絡め取られた私は、叫ぶことも出来ずに麻痺させられる。

 ◇

「遅いな」
 なんだかトイレの前で同級生を待っている気分で、すごく煩わしい。姉ちゃんの帰りを30秒ほど待ってみたが中々帰ってこない。ここのポケモンは、街の見えない力の影響なのか。性格が悪く凶暴な奴が多く、そんなポケモンに襲われでもしていたら困るので、俺はダゲキのタイショウをあらかじめ出して路地裏に行く。
 人間と似た背格好のこいつだが、真っ青な体のこいつは夕暮れに時間となると非常に暗く見えにくい。羽織った真っ白な胴着だけが、くりぬかれるように夕日に映えてオレンジ色に染まる。
「もしかしたら先頭になるかもしれないから、その時は頼むぜ、タイショウ?」
 俺がそう問いかけると、タイショウは『まかせろ』と、右肩に置いた右手の指を前に差し出すようにして意思表示。片方の眉がない顔で頼もしげに笑んでいた。

 タイショウを連れて行った先で見たのは、デンチュラの糸に巻かれて痺れさせられている姉ちゃんの姿。ガラの悪そうなスキンヘッドの男がアオイ姉ちゃんを壁に押し付け、ポケットやらバッグやら何やらを漁っている。先程のドレディアも一緒だという事は、あのドレディアもこの男とグルなのか。
 アキツをボールから出して男をぶっ殺してやろうかと思ったが、この狭い路地じゃ出すことも出来ない。とにもかくにも、尻を向けて糸を吐いているデンチュラに先手必勝とダゲキに襲わせ、踏みつぶさせる。
 後ろからの不意打ちも完璧に食らって、デンチュラは一撃で粉砕。追い打ちとばかりに俺が踏みつぶすことでとどめを刺してやった。
「俺の姉ちゃんになにやってんだてめぇ!! 舐めてんじゃねえぞ、表でろやコラァッ!!」
 俺が大声で凄むと、相手はドレディアを盾にして慌てた様子を見せる。慌てているのは、ダゲキや俺が怖いというよりはどちらかというと大声を出されたことらしい。
「な、なんだてめえは……それ以上来るんじゃねえ。大声も出すな……この女がどうなってもいいのか?」
「……じゃあ、早いところ姉ちゃんを返せよ。そうすりゃ穏便に終わらせてやる」
「ったく、俺は金が欲しいだけだってのによぉ……そんな取って喰うような怖い表情見せなくたっていいじゃねえかよ……」
「うるせぇ……その細い腕、捻り壊されてえのか?」
 周囲を伺いながら逃げる準備をしているゴロツキに脅しをかけるように、俺はコジョフーのアサヒを出す。タイショウもアサヒも、家族になってから日は浅いが、手話の物覚えもいいし、なんだかんだで懐いてくれている可愛い奴らだ。出しておいて足手纏いになることはないはずだ。
 アサヒはボールの中から状況を伺っていたのか、すでに戦闘態勢に入っており、構えた彼女の隙を突くのは難しかろう。
「とっととねーちゃんを放せよ。御託はいいからさぁ」
 さらに凄むと、相手は舌打ちをする。
「あぁ、わかったよっ!!」
 そう言って男は姉ちゃんを蹴り飛ばして逃げた。麻痺しているのに、縛られているのに。受け身も取れない状態でそんなことをされたら……怪我は避けられないじゃないか。そう思うが早いか、姉ちゃんは鈍い音と、衝撃音を立てて無防備に倒れ伏す。
「姉ちゃん!!」
 駆け寄ってみると、当然だが姉ちゃんはぐったりしてる。
「くっそ、タイショウ、アサヒ!! さっきの男をボコボコのボロ雑巾にしてもってこい!!」
 俺はタイショウとアサヒにそう命令して、とにもかくにも姉ちゃんを路地から引きずり出そうとしたが――まずい、倒れた時に背骨をビール瓶の上に叩きつけたらしい。背中と、頭も打って血を流している。
 大切な部分である頭や腰を打っている以上、下手に動かないほうがよさそうだ。そんなことよりも、一刻も早く救急車を呼ぶため、姉の携帯電話を借りる。あとは、気が動転していたよく覚えていないものの、犯人が結局路地の道を塞ぎながら逃げたために、上手い事まかれてしまったこと。警察が回収されていないデンチュラから身元を割り出すから心配しないでとか、そんなことを言っていたのをなんとなく覚えている。

 ◇

 目が覚めると、病室だった。
 起き上がろうとして手をついてみるが、腕が重くてなかなか動かなかった。まるで金縛りにあったような感覚で、しばらく声も出なかった。腕をもじもじと動かし、血行を良くしている、のだろうか。そうしているうちにやっと腕が動くようになった私は、ようやく目も開いて、言葉にならない言葉を呟けるようになる。
 母さんがそれに気づいて私の腕を握る。暖かくて、揉まれる感触が少し気持ちよかった。しばらく私の体調を気遣ってくれた母さんは、最後に足の様子を尋ねてみる。足に何か感じるかと聞かれ、考えてみると足が何だか重い。
 そう答えると、母さんは医者を呼んで、私の状態についての説明をしてくれた。

「下半身不随……なに、それ?」
「その……神経自体の傷はなかったらしく……場合によって回復することもあり得るのですが……悪くすると、そのまま一生足が動かないという事に……」
「なによ、それ……」
 私は拳を握りしめる。
 母さんが治るかもしれないと説得する。父さんも、希望はあると説得する。なんで、なんで、そんな目に合わないといけないの、私が何したの。
 私これからどうなるの? 私はこれからどうすればいいの? 気休めよりも、治るって言ってよお医者さん。

 リハビリの予定とか、術後の経過とか、頭に入ってこなくて、気づけば私は消灯時間に一人で病室にいた。眠ろうと思っても、寝すぎたせいと、足が重くて、鈍い痛みが走って、不安で、イラついて、とにかく眠れない。昔、歯を抜くために麻酔をかけたことがあったけれど……あれが下半身全体に広がっている。
 存在は認識できるのに、鉛にでも浸かっているように重くって、動かせなくって、枕を抱きながら寝返りをうとうにも下半身が動かないおかげで一苦労。自分の身体が今どうなっているのかすらわからなくて、すごく怖い。不安で不安で眠れなくて、そうこうしているうちに時間が過ぎていく。
 時計の音がうるさくて眠れない。こうなって来るともう、何もかも敵に見えてくる。暗闇の中、星明りやわずかに届く街灯の光と音を頼りに、壁に掛けられた時計に向かって枕を投げる。だいぶ力の戻った腕は勢いよく枕を飛ばしてくれたが、それが終わると私は投げるものがなくなった。たまらず、私はベッドを叩いたりシーツを引き裂いたり、とにかく暴れて発散した。
 疲れて動きたくもなくなると、足の鈍痛に苛まれながら私は眠りについた。目を閉じていても、涙ばっかり流れていた。

 翌日から色んなことを試してみるが、足は指がピクリと動かせる程度。叩いても抓っても、私の足は痛みも何も感じない。傷の経過を見守りながら、徐々に出来る事を増やそうと医者は言うのだが、『出来る事』というのに『足を動かすこと』は含まれていない。動く可能性があるというのは、頑張れば動くとかそういう類のものでもないらしく、言ってしまえば今この時点で歩けるのかどうかはほぼ決まっているらしい。
 事故によって機能を失ってしまった神経が今後復活するか否かは、私の骨の中にある神経を圧迫する血塊が、どれほど『まし』な状態であるか否かにかかっているのだと。今はもう移動も、物を取ることも、排泄もままならない。

 私はただでさえ、最近出来のいい妹と比べられ続けているというのに……これじゃ、私は本当に要らない子になっちゃうじゃない。
 そんな生活に嫌気がさして、私は苛立ちばかり募って、家族に当たり散らして、その自己嫌悪でまたいらだちが募る。特に妹に対しては、あんたのせいだと罵倒して、手につかんだ花瓶の中身をぶちまけたり。微動だにせずそれをかぶったキズナは、水と花に塗れながらも表情を変えずに見下ろしていた。
 気づけば私は、もう誰とも顔を合わせたくなくて、病院のスタッフにも家族にも、無視を続けるようになった。排泄が面倒な上にとても汚く感じられて、出される食事にもほとんど手は付けられないし、話しかけられたくないからリハビリにも乗り気ではない。
 鉄は熱いうちに打つべきだって家族も医者もい言っている。それはわかっているんだけれど、自分はまだ踏み出せない。
「なんで、かな……」
 暇だし、だからと言って勉強もゲームもやれるような気分ではない。リハビリは疲れると言ったって、もう動けなくなるとかそんなに辛い疲れでもないのに、どうして踏み出せないのか。


「なー……ねーちゃん、たまには外に出ようぜ? 下半身以外はどこも悪くないんだしさー。車椅子なら俺が乗せてやるからさー」
 キズナは、あんなにひどいことをしたっていうのに、いまだに私に優しい言葉をかける。私は合わせる顔もなくて、ただただ壁の方を向いて黙っていた。
「勉強もしてねーんだろ? 出来ることからやらないと……悪い頭がさらに悪くなっちまうぞー?」
 わかってるけれどさ。勉強しないでもいい点とれるアンタとの差が、今まで以上に急速に離れていっていることくらい。でも、今は放っておいて欲しいよ。

 こっちが徹底的に無言を貫いていると、キズナも黙って私を見ている。この体制がそろそろ辛くなってきたのに、妹はずっと立ち竦んだまま私を見ている。
 結局、キズナは数分間、パジャマを着た私の後ろ姿を見ていって、これ以上は無駄なのだと判断したのだろう。
「ねーちゃん……これ、置いて行くから」
 そう言ってそのままキズナは去って行った。すぐに振り返ったら負けだと思いつつ、1分か2分か、しばらく待って私は寝返りを打ち、手の届く位置にあった妹の置き土産を見る。一つは封筒、もう一つはモンスターボール。
 封筒の中には、アサヒを病室に入れることに関する許可証が入っていた。思えばもう背中の傷は塞がっているし、この病室もそれほど衛生に気遣うべき場所ではないからと、簡単な検疫と消毒を済ませればポケモンを出すことを許可されているらしい。看護師やジョーイさんからの判を押されたこの紙は、許可証のようだ。
 そして、もう一つの置き土産はアサヒの入ったボールと、櫛。そういえばいつもアサヒの毛づくろいをしてあげていたっけか。私は、すでに遠い昔のように感じる日常を思い起こして、ため息をついた。

「アサヒ……」
 何を思ってこの子を寄越したのか知らないが、そういえば入院してから一度もポケモンとは顔を合わせていなかった。家族とは結局ほとんど話が出来ていないけれど、この子達となら、どうなんだろうか?
 アサヒを繰り出す。彼女は、まだミルクを飲んでいるころから私も良く世話をしているコジョフーだ。この子は四肢の朱色も、体幹のクリーム色も鮮やかで、艶やかで、バトルに使うのはもったいないくらいに毛並みが綺麗なんだけれど、見た目だけじゃなく性格まで妹に似て活発な子で、バトルが好きな問題児だ。
 それでも、この子は毛づくろいされるのが好きで、よく私に甘えてくる。すっかり生気を失った私だけれど、甘えてくれるだろうか?
「『こんにちは』、アサヒ」
 アサヒはこっちを見て、ベッドに飛び乗ってきた。私はベッドの下のレバーをまわし、リクライミングシートを上げて起き上がる。
「『こんにちは』」
 私の挨拶を認めてアサヒも挨拶を返す。いつもならこの調子で顔を舐めてくるのがアサヒの反応だけれど、今日は匂いを嗅ぐところから始めている。私の事が分からないわけではないようだけれど、こんな生活で匂いでも変わって少し警戒しているのだろうか?
「どうしたの、アサヒ?」
 私は力なく笑って語りかける。
「『怪我』『匂う』」
 すると、アサヒは身振り手振りで怪我が匂うと言って来る。よく意味は分からないが、傷がふさがっていてもポケモンの嗅覚ならば捉えられる何かがあるのだろう。
「『匂う』? 『どこ』が?」
 そう尋ねると、アサヒは私の体に黒い鼻を押し付け、きちんとベッドに挟まれて届かない背中の傷を指示した。
「『怪我』『痛い』?」
「うぅん、『痛く』ないわ」
 問いかけるアサヒに、私は首を振る。だが、アサヒも対抗して首を振る。
「『しかし』『元気』『ない』『なぜ』?」
「『脚』がね……『動か』ないの」
「『それ』『悲しい』?」
 無邪気なアサヒは、なんの悪気もなくそう聞いてくる。そういえば、『悲しい』なんて言葉この子達に教えたっけか……? 最近、アキツも一緒になって言葉を教えているからたまにわからなくなるし、私がいない間に家族の誰かが教えていたのかもしれない。
「うん、『悲しい』」
 ともかく、私は自分の気持ちを素直に吐露した。家族にはすごく甘えづらかったけれど、この子ぐらいには本音で話しても構わないと思った。
「『治す』」
 私の言葉に、アサヒは手を交差させて治すと言う。
「『どうやって』?」
 と、聞いてみたが、アサヒは手を構えたまま動かそうとしない。手話で表すべき単語が分からないらしく、彼女は自分の手の平を舐めて、意志を伝える。そして、無言のまま寝返りを打ってとばかりに私の体を軽く持ち上げる動作をする。
「『舐める』のね」
 舐めても、治るわけがないのに……
「『無理』だよ……」
 私は言ってみるが、アサヒは否定する。
「『大丈夫』『治す』」
 と言って、聞かなかった。舐めてもらうにはうつぶせにならなきゃいけないし、リクライミングシートも倒さなければならない。それはひどく面倒くさいはずなのに、私はなぜか突き動かされるように、アサヒの言葉や行動に従っていた。
 アサヒはパジャマをずらして露わになった私の背中に舌を這わせる。私は何も感じなかったけれど、微かな音が舐めていることを感じさせてくれる。そんなもので治るはずもないのに、献身的なその態度が身に沁みる。気付けば私は、仰向けになったまま、手話も見せずに懺悔を垂れ流していた。

「私ね……妹のキズナが優秀すぎて、最近よく比べられてさ……自分が、要らない子なんじゃないかって、少しだけれど思っていた。怪我してからは……本気でいらない子になっちゃったなんて思いこんで……面倒だけれど世間体のために私の世話を焼いているだけとか、ほんとは疎んでいるんでしょとか、酷いことも言っちゃった」
 嗚咽が漏れて、私は言葉を詰まらせる。
「けれど、私達家族だもんね」
 正直なところ、こんな言葉を使ってもアサヒに通じるとは思っていなかった。けれど、どうしても吐き出したい言葉を口に出して、私はただ楽になりたかったのだ。
「世間体とか、そんなものを気にしないでも済むポケモンのアンタがこんな風に気を使ってくれているんだもの……きっと、母さんも、父さんも、キズナも……多分、純粋に治って欲しいんだよね。いつかは、謝らなくっちゃ……ね」
 アサヒはチラリと私を見たのか、舌の動きを止めたが、すぐに舐める作業に戻る。そのまま舌の疲れに甘えることもなく、いつまでもいつまでも、延々とアサヒは傷を舐め続けた。ポケモンが野性で生きていくうえで培った、傷を舐めた者達が生き残るという遺伝子に刻まれた本能の告げるままに、淡々と。
 どんな言葉で謝ればいいのかを考えているうちに、気が付けば眠くなってしまっている自分がいて、突如それを切り裂く声が響く。

「ねーちゃん、ノックくらい答えろよ……」
 どうやら私はノックにすら反応していなかったらしい。そんなことを言いながら、汗だくの状態のまま不躾に入って来るキズナに、私は思わず声を上げた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って……」
「どした、アオイ姉ちゃん? いつもは無言なのに珍しいなー。おしっこ漏らしたんなら俺がオムツ変えてやっても構わんぜー?」
 そんなわけないでしょ、と大声で否定したかったが、無情にもキズナはぺたぺたと歩いてこちらにやってくる(裸足なのかよ)。私は早いところずりあげたパジャマを下して、アサヒをどけないと何と言っていいのやらわからない醜態をさらすことになる。寝返りは打てなくてもいいからせめて、と思ったのだが。
「あー……何やってるの? マッサージ?」
 見られた。顔から、火が出そうなほど恥ずかしい。
「こ、これは……違うのよ」
 私は目を逸らしながら、何の言い訳にもなっていない言い訳をする。
「いや、何も言っていないのに、何が違うのかもわからないし……」
 そんな苦し紛れの私の言葉は、キズナの言葉通りでしかなかった。
「あ、そ、その……アサヒが舐めたいって言うから舐めさせているだけで……」
「ははぁ……そっかぁ。ポケモンは、舐めることで傷を治すんだな……アサヒは、アオイ姉ちゃんの『怪我』を『治そ』うとしてくれたんだな。『ありがとう』」
 手刀を切り、手話を交えながらキズナはアサヒに言う。
「ほら、ねーちゃんは『ありがとう』って言ったか? こういう時のための手話だろうに?」
「えっと……」
 そういえば、私はちゃんとしたお礼を言っていなかった。キズナの言うとおり、こういう時のために伝える手段があるのに、情けない。
「『ありがとう』、アサヒ」
 キズナがアサヒを抱っこしてくれたので、私は寝返りを打って、手話を交えてお礼を言う。出来うる限り、私の感情を込めたつもりだ。
「『どういたしまして』」
 アサヒはキズナに抱かれたまま、立てた右手の小指を2回顎に当てて、口の前で手を振る。得意げなアサヒの顔から伺えるのは、褒められてうれしいという感情と、喜んでくれて嬉しいという、どちらにしても嬉しいという感情であった。

「さて、俺がここに来たのは面会時間が終わる前にポケモンを回収しないと怒られるから……なんだけれど。大丈夫?」
 キズナはアサヒを抱きながら、困り顔で言う。
「か、構わない……わよ」
 私は何を話して良いものかわからず(おそらくキズナも同じだろう)、キズナが抱いているアサヒに目をやりながら私は言う。
「わかった、俺はアサヒは連れて帰るよ」
 そう言って、キズナはアサヒをベッドの上に置く。
「その『前に』、ねーちゃんに『あいさつ』『しろ』よな」
 キズナがアサヒに命令すると、まだ私と一緒に居たいらしいアサヒは一瞬キズナを振り返って様子を伺ったが、ずっとボールを構え続けるキズナを見て諦めたようだ。
「『さようなら』」
 と、アサヒは身振りで言った。ボールに彼女をしまう際の絆の顔は得意げで誇らしげ。
「姉ちゃん、明日も放課後に見舞いに来るね」
 今まではこうまではっきり言うことをしなかった『また今度』の言葉を、今日のキズナはハッキリと言ってきた。きっと、言ってもよさそうな雰囲気だと悟ったのだろう。その雰囲気を作ったのはアサヒのおかげだから、恥ずかしい思いはしちゃったけれど……私もアサヒには感謝しなきゃ。
「あ、うん……」
 そして、このいい雰囲気に促されるまま、私はキズナに返答した。いつもは無視しか出来なかったのに、今日は答えられるのか。本当に、アサヒには感謝しないと。
「それじゃ、また明日」
 アサヒが傷を舐めてくれただけで、私も少しは吹っ切れたのだろうかと思いながら、私は病室を去るキズナを見守る。私の心臓は知らず知らずのうちにドキドキしていたようで、心地よい鼓動を抱きながら、私はいつまでもアサヒの余韻を確かめる。
 ふんわりと暖かくて、手の中で滑るような毛皮の感触。思えば久しぶりに感じた命の感触だった。

 ◇

「熱い熱い熱い熱い!! うっひー!!」
「裸足で来るからいけないんでしょーが」
「大丈夫、火傷なんてしないから。火傷する前に足を上げれば火傷しない……これは常識」
「炎天下のアスファルトの上をはだしで歩かないのも常識でしょうが……」
 キズナが炎天下の中で熱されたアスファルトの上を車椅子を押して走る。走っているから熱いと感じる前に足が離せば熱くないというのが本人の弁だが、私には馬鹿なことをやっているようにしか思えない。そんなわけで、早足になるしかない妹は、車椅子を押しながら走っている。車椅子が小石に躓かないかは心配だが、意外にも綺麗に舗装されたこの道路ではそんな心配もなさそうだ。








 アサヒとタイショウを隣に付けて走っていると、キズナのトレーニングついでの退院だというのに気分が弾む。そして、今日のトレーニングにはゲストが一人。
「にしても、隣を走られると……転ばれたら怖いわねぇ」
 デカ過ぎて病室に入れないからという理由で、徹底的な面会謝絶を喰らっていたアキツも一緒である。面会謝絶とはいっても、外出許可が出てからは、何度か病院の外で顔を合わせていたため、久しぶりの顔合わせというわけではないのだが。他の利用者の迷惑を考える必要もないこの広々とした道路を走れるのは嬉しいらしい。走りに付き合っていると言いつつも歩幅が大きいために歩いているようにしか見えないが、アキツの足取りはどこかはずんで見えた。
 ポケモン達総出で私を迎えに来て、家に帰る道のり。退院祝いとはいえ、体の機能は戻っていないから、退院祝いというのも特に行うことはせず、家で待っているのは普通の食事なのだという。
 それでも、久しぶりの温かいご飯である。母さんがお見舞いに持ってきてくれた、冷めた料理も味は悪くはなかったが、出来たての料理はそれだけでずっとずっとありがたみがあるというものだ。アサヒのおかげで少しずつ心を開けていた私は素直に嬉しい。

 それもこれも、全部じゃないけれどポケモンのおかげであることがありがたい。舐めるというポケモンならではの行為で心を開くきっかけを与えてくれたこと。治って欲しいという思いを混じり気なく、率直に伝えてくれたこと。これはアサヒのみならず、タイショウやアキツも申し合わせたように『早く』『元気に』と慰めていてくれたし、本当に全員に感謝だ。
 どこまでその俗説が本当かは知らないが、ポケモンは嘘をつかないというし、だからこそ私も彼らの言葉は受け入れられたし、私が自分が置かれた状況ときちんと向き合えるようになったのもそのおかげ。
 なんにせよ、気持ちを伝える手段があるっていいことだよね。人間が使う言葉でも、私達がポケモンに教えた手話でも、言葉じゃどうにもならないアサヒの気遣いのような方法でも。気持ちを伝える手段があるからこそ、俺のポケモンやアキツは人間と積極的に交流を図っているような気もするし、そんな積極性がまた、あの時私の傷跡を舐める行為につながったのだろう。
 そんなことを病室で一人になった時に考えて、私は一つの考えを導き出した。

「ねぇ、キズナ」
「ん、何だい姉ちゃん?」
 車椅子を押しながら、キズナは視線を下げて私を見る。
「タイショウね、とっても力持ちで……車椅子に乗る時に近くにいてくれると、とっても助かるの」
「そりゃ、格闘タイプだもんな。俺と一緒に毎日足腰鍛えているから力は強いさ」
 俺の自慢のポケモンだからなと付け加えて、キズナは得意げに語る。
「うん……それに、手話でコミュニケーションも取れるしね……でさ、思ったの。まだこの子達は介助ポケモンの認可を取っていないから、場所によってはポケモンをボールに出すことを制限される……けれど、もしもこの子達が介助ポケモンになってくれたら、こんなに頼もしいことってないと思うの」
「だな。介助ポケモンはそう少なくはないけれど……手話ができるんなら、そこいらの介助ポケモンなんかにゃあ負けないな……何の勝負かはわからないけれど」
「そうね、何の勝負かはわからないけれど、負けないわね……他にも、耳が聞こえない人のための聴導ポケモンなんてのもいるそうだけれど……手話ができるって、いろんな面で普通のポケモンよりもずっと役に立つと思うの。
 でさ……私ね、ポケモンブリーダーになりたいの。将来の夢が……おぼろげだけれど決まってさ」
「そ、そりゃあ……なんとコメントしてよいのやら、反応に困るなぁ。思いつきで言うんじゃなく、ちゃんと調べてものを言っているのか?」
「当たり前でしょ……確かに、車椅子でポケモンブリーダーってのは聞いたことないし……私自身リハビリを続けても治るかどうかも知れないこんな体だけれど……こんな私だからこそ、どんな時にどんなポケモンがいてくれると助かるかってのがわかると思うし……その……手話も、教えられるし……。そう、これをセールスポイントにしたいのよ」
「ふぅん……きちんと調べてそう思ったなら、それでいいんじゃないの? でも、俺は、その……まだ子供だからよくわかんないや。素敵な夢だとは思うけれどさ……」
「わかってる。アサヒをけしかけてくれた貴方に一番に話しておきたかっただけで……ちゃんと、父さんにも母さんにも話すわよ、キズナ」
「楽な道じゃなさそうだけれど、本当に大丈夫か?」
「さあ、どうでしょうね? やってみないことにはわからないし……でも、さ」
 言いながら、私はアキツに目配せをする。
「アキツ。『私』『立ち』たいの。『協力』して」
 胸に手を当て『私』。人差し指と中指を使って足を表わし、『立つ』動作をさせ、パーの左手でグーの右手を軽くたたくことで『協力』。そう指示すると、アキツは尋ねる。
「『肩』『持つ』『いい』?」
 肩を叩いて指示し、それを持つ。つまり肩をもちげることで支え、そうして立たせるという解釈で大丈夫かとアキツは尋ねた。
「そう、『それ』で『いい』わ。『お願い』」
 言い終えると、私は腕を広げて体を十の字にし、アキツは大きく腰をかがめて腋の下から私を支え、車椅子から拾い上げた。そうして私はいわゆる羽交い絞めのような体勢となり、まだ指が少し動くだけでなんの力もこもらない脚を地面に付けて立ち上がる。
 立ちあがっていると言えるのかどうかはわからないが、何はともあれ久しぶりにキズナを見下ろした私の表情は、自然と笑っていた。
 それにしても、アオイ姉ちゃんが苦しそうにしていないという事は、アキツの力加減は絶妙なんだな。
「みんなの協力があったとはいえ、アキツがこうして私と会話できるようになったんだもの。タイショウもアサヒも、今は不完全だけれど……いつか絶対に会話できるようになる。そして、させてみせる。そしてそれを、職業にする……むずかしいことだけれど、不可能じゃないって……私は思うんだ」
「まぁ、隣町には何でも売り物にしてしまう世界があるくらいだし……育てたポケモンに買い手がつけば……生活は出来るんじゃないかな? なんて、夢のないこと言っちゃったな。とにかくそんときゃ、俺も応援するよ、姉ちゃん」
「『ありがとう』、キズナ」
 キズナに向けて手話を交えつつ、私は言う。
「『みんな』も、『応援』してね」
 タイショウとアサヒに向かい、私は声をかける。どこまで分かっているかは定かではないが、二人とも頷いていい顔で返して拳を振り上げてくれた。
「『ありがとう』、アキツ。もういいわ」
 そう言って、車椅子に座りなおされた私を、キズナが再び押して運ぶ。
「みんな姉ちゃんを慕っていていいことだけれどさー……でも、こいつら俺のポケモンなんだけれどなぁ……」
「そうね……私も自分のポケモン持とうかしら?」
「それがいいよ。自分のポケモンってのは愛着湧くぜ?」
 二人がそんなとりとめのない話をしながら歩く炎天下の道のりの途中。遠くにある我が家を目指して、私はタイショウに介助ポケモンとしての第一歩が始めさせてみた。タイショウは足の裏が丈夫なのか、ペタペタと紳士的な速さで歩き、車椅子を安定させて運んでくれる。
 ゆっくり走らなければいけないという矛盾を強要され、手持無沙汰なキズナが足の裏を火傷させないようにしょっちゅう足踏みをしている。その横でアサヒが、タイショウの真似をしたがっているのが嬉しかった。
「アサヒはコジョンドに進化したらね」
 私は腕を伸ばしてアサヒの頭を撫でる。アサヒは積極的に頭を寄せて、気持ちよさそうに一声鳴いた。
 よし、せっかく妹と比べられないような夢を見つけたんだ。リハビリも勉強も、これから頑張ろう。








【描いてもいいのよ】
【批評してもいいのよ】