「桜の木の下には、死体が埋まってるんですってね」
俺のすぐ近くにいる男女の、女の方が言った。
男は笑って、いつのネタだよ、と言った。
「でも、本当に埋まってたらどうする?」
「うーん、俺のダグトリオが掘り返しちまったりしてな」
俺の目と鼻の先で、ダグトリオが地盤を掘り返している。
何か気になることでもあるのか、俺の前を何度も何度も行き来している。
ダグトリオ、か。
そういえば彼女も、ダグトリオじゃないけどモグラのポケモンを持っていたっけ。
それを知ったのは、彼女と別れた直前のことだったけど。
「何をしているの?」
傍らにハハコモリを従えた彼女にそう尋ねられたのは、雪もちらつきはじめた晩秋のことだった。
桜を見ているんだ、と俺は答えた。
川沿いの遊歩道にずらりと並ぶのはソメイヨシノ。そのシーズンになれば、等間隔にぼんぼりが並べられ、酒盛りをする人たちであふれかえる。
しかし俺と彼女の前にあるのは、枯れかけた赤褐色の葉をいくつか枝に残した、侘しい1本の木。
「春にお花見に誘っても来なかったのに、何でわざわざこんな時期に?」
紅葉した桜も乙なものだぞ、と俺は言った。
彼女は、紅葉どころかもう枯れ葉になっているじゃない、と言った。
ただ単に、俺は人ごみに行くのが嫌いなだけだった。
花見って言ったって、ほとんどの人は花なんか見ずに、酒を飲んで馬鹿騒ぎしている。
それなら俺は、花がなくても、静かに風流を感じられる冬の桜の方が好きだった。
「寒いから、どこかのお店に入りましょうよ」
彼女が言った。
今日は新しい端切れを買ってきたの。彼女は手にしていた紙袋を振った。
「桜の木の下には、死体が埋まっているんですってね」
彼女は俺に向かって言った。使い尽くされたネタだな、と俺は言った。
桜の花は、血の色と言うには濃すぎるじゃないか。もみじの木の下に埋まっているって言われた方が、よっぽど納得する。
俺がそういうと、彼女は笑った。
しかしその反応は予想していたのか、彼女はさらに続けた。
「仮に桜の木の下に死体が埋まっているとして、それは一体いつ頃埋められたんだと思う?」
そう尋ねる彼女に、俺は自分の見解を告げた。
俺は秋だと思う。
桜は紅葉する。その色はやや褐色に近い赤色で、もみじよりもよっぽど血の色に似ていると思う。
なるほど、と彼女は頷いた。
「でも、私は違うと思うな」
じゃあ、君はいつだと思う?
俺がそう尋ねると、彼女は紙袋の中から、ほんのりとベージュがかった、淡いピンクの布を取り出した。
彼女は裁縫が趣味で、よくお気に入りの草木染めの店で端切れを買っては、小物や飾りを作っている。
まだ幼い頃、パートナーのひとりであるハハコモリがクルミルだった頃、その母親であったハハコモリが草木を編んでクルミルに服を拵えているのを見て以来、彼女は裁縫の虜なのだという。
彼女が手にしている柔らかい色合いの布地は、まさしく春に河原を彩る花びらと同じものに違いなかった。
「この桜染の布は、桜の木の枝から煮出されるの」
てっきり花びらを集めて煮出すのかと思っていたから、俺は少し驚いた。
彼女は続けた。
「桜ならいつでもいいってわけじゃないの。普段の桜を使っても、灰色に近い色になってしまう。こういうピンク色に染めるには、花が咲く直前の桜を使わなくちゃいけないのよ」
花が咲く直前。
その時期の、花そのものではなく、木の枝や樹皮が白い布を淡いピンクに染める。
「桜はね、花を咲かせる直前、木全体がピンク色に染まっているの。下に死体が埋まっていても、木全体を染めるんじゃ、薄くなってしまってもしょうがないでしょう?」
そう言って、彼女は手の上の端切れを撫でた。
彼女は桜の花が好きだった。
人であふれかえるその木の下へ、彼女は毎年必ず行った。
俺は誘われても行かなかった。人ごみが嫌いだったのもあるし、彼女の相手をするのに疲れ始めていたのもあった。
彼女は全ての植物に対する愛を、3日で散ってしまうその花へ残らず向けた。
それはきっと、人間に対しても同じだったのだろう。
彼女の愛は一途だった。そして、彼女の愛は重かった。
別れを告げたことはきっと、間違っていなかったはずだ。
そうでなければ、俺はその先永遠に、彼女の重さに耐えながら生きなければならなかっただろう。
木の全体に回って、薄くなった赤い色。
彼女が愛おしそうに撫でていたその色は、一体何が染めていたのだろう。
「ねえ、さっきからあなたのダグトリオ、同じところをずっと掘ってない?」
「うん? 何かあったのかな?」
ああ、そのままこっちに来てくれよ。
俺もそろそろ、誰かに見つけてもらいたいんだ。
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現実逃避に出かけたら桜が満開だった。
夜だし明かりもなかったからほとんど見えなかったけど。
とりあえず定番のネタで即興で書いてみた。