大きな森。
目の前には古ぼけた小さな祠。
その上に、『彼女』は座っていた。
『なるほど……それで過去に戻りたい、と』
「はい」
祠の上の『彼女』は、左右の足を組みかえた。
昼間でも薄暗い森。ましてや今は夜。月明かりもまともに差し込まず、数時間この場所にいて暗闇に慣れた目でも、一寸先はほぼ闇だ。
そんな中でも、『彼女』の姿ははっきりと見えた。若草のように鮮やかな薄緑の身体から、淡い光を放っている。
『彼女』(この『彼女』に性別があるのかは不明だが、便宜上そう呼ばせていただく)を見つけるために、どれだけの苦労をしてきただろう。
書籍を片っ端から漁った。当然インターネットも使い古した。どんな些細な情報も逃さなかった。会えると噂になった方法は片っ端から試した。
そして今、ようやく『彼女』と出会えた。
「どうしても、あの時の……若い頃の自分を、止めたいんです」
『……』
「私の人生はあの瞬間からめちゃくちゃになってしまった……私が、あの時……」
『……人を殺してしまったから』
私は黙ってうなずいた。
今から15年ほど前のことだ。
きっかけは……ほんの些細なことだったような気がする。
ちょっとしたことで友人と口論になり、ついカッとなって刃物を持ち出した。
そこに見知らぬ中年の男が現れた。けんかを止めに入ったのか、いきなり私たちの間に割り込んできた。
頭に血がのぼって判断の遅れた私は、うっかりその男を刺してしまった。
顔も名前も知らない、どこの誰かもわからない人間を、私は殺してしまったのだ。
その瞬間から、ごくごく一般的だった私の生活はまるっきり変わってしまった。
住処を変え、名を変え、顔を変え、ありとあらゆるものから逃げ回る日々。
後悔しない日はなかった。あの時の自分を止めてやりたい、止められれば、と何度思ったことだろう。
そんな生活の中、『彼女』の噂を聞いた。
「時」を自由に渡ることができるポケモンがいるらしい。
出会うことができれば、未来でも過去でも好きな「時」に行けるらしい。
そしてそのポケモンは、大きな森の守護者でもあるらしい――
噂を聞いてすぐ、私は『彼女』を探し始めた。
『彼女』に会えば、過去を変えられる。若かった自分を、止めることができる。
平々凡々な人生に、戻ることができる。
「私は過去の自分を止めたい。真っ当な人生を歩みたいんです」
『…………』
「お願いします、私を過去に戻してください!」
私がそういうと、『彼女』は再び足を組みかえ、腕を組んだ。
そして大きなため息をつくと、言った。
『ば―――――――――――――――――…………っかじゃないの?』
それまで静かで落ち着いた雰囲気を醸し出していた彼女の『言葉』に、私は呆気にとられた。
『彼女』はふっと蔑むように鼻で笑うと、私の背よりも高い祠の上から、水色の瞳で見下ろしてきた。
『アンタ、本気で過去が変えられると思ってるわけ?』
「え……」
あのねぇ、と『彼女』は腕を組みかえて言った。
『アンタみたいにたかだか数十年しか生きてない、何の力もない単なる一般的な人間には分かんないでしょうけどねぇ、「時の流れ」ってのはこの世界が生まれたその瞬間に、最初から最後までぜーんぶ決まってんのよ。今どこかで小石が蹴られたことも、昔どこかで戦争が起こったことも、今こうやって私とアンタがしゃべってることも、ぜーんぶ「時の流れ」で決められてたことなの。この世界にあるもの全てはそこから抜け出すことはできないし、変えることなんてできやしないのよ。アタシもアンタもね。アンタが過去に人を殺したことも、そいつがアンタに殺されたことも、どう足掻いたって消えやしないのよ「時の流れ」から無くなったりしないの。アタシは確かに時を渡れるけど、それだって全部「時の流れ」の中では決められてることなのよ。過去を変える? 歴史を変える? そんなの出来るわけないじゃないばっかじゃないの? アタシごときにそんな力あるわけないじゃない。どうしても歴史を変えたいなら、世界を最初っからぜーんぶ作りかえることね』
『彼女』はそう言って、私を見下ろしてまた鼻で笑った。
まるで出力マックスの放水車で水を浴びせられるような、怒涛のごとき『彼女』の言葉に、私は言葉を返すことが出来なかった。
『彼女』は氷のような冷たい目線でこちらを見下ろしてくる。
風が吹いた。木々がざわめきのような音を鳴らす。
「……わかりました。帰ります」
『彼女』は森の守護者。
ざわめくような森の声は、きっと『彼女』の「帰れ」という言葉の代弁。
そう判断した私は、『彼女』の座る祠に背を向け、歩き出そうとした。
『――ちょっと待ちなさいよ。誰が「帰っていい」なんて言ったの?』
『彼女』が声をかけてきた。私は足を止めた。
ふわり、と『彼女』は空を飛び、私の前で静止した。
『まだやることが残ってるでしょ。アタシはアンタを過去に送らなきゃ』
「え、しかし……私の過去は消えないとさっき……」
『当たり前じゃない。だから、よ』
『彼女』はそういうと、にっこりと笑った。
その笑顔を見た瞬間、背筋が一瞬にして凍りついた。
『アタシはアンタを過去へ送らなきゃならない。だって、「時の流れ」でそう決まっているもの』
逃げたい。逃げなければ。
でも、足が動かない。
つたが絡まって、足が動かない。
『そうね。一応教えておいてあげるわ。アンタがやらなきゃならないこと』
『彼女』の目が妖しく光る。
小さくて短い両腕に、エネルギーがたまっていく。
『けんかをね、止めてきてほしいのよ』
「……!?」
『どうすればいいか、わかるでしょ? だって……』
『彼女』が手を私の額の前にかざした。
視界がだんだん、白く染まっていく。
ああ、そんな、馬鹿な。
そんなこと、あるわけない。
顔も知らない中年男性。
風の噂で、身元が全く分からなかったと聞いた。
過去の罪から逃げるために、全てを変えてきた私。
逃げてきた過去が、とうとう私に牙をむいた。
『今』と『昔』の景色が混ざる。
暗い森は薄汚い路地に。
『彼女』の笑顔は、煌く刃に。
『それじゃあ、「世界」のために、死んできてちょうだい』
私が最期に見た『彼女』の笑顔は、とびきり優しく、美しく、冷たかった。
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激しいイライラ+現実逃避=コレ
良い子ちゃんな『彼女』ばっかりだったからちょっとアレなの書きたくなった、ただそれだけ。
あとタイトルは適当。
【好きにするがいいさ】