ごくたまに、カフェに野生のポケモンがやってくることがある。
それは雨の日だったり、よく晴れた暑い日だったり、とても寒い日だったりする。つまり、来る時期や時間帯は定まっていないのだ。
一体何処から来るのか、ライモンでは見ないポケモンも来たりする。以前冬にバニプッチがやって来た時には、それはもう驚いたものだ。
バニプッチは主にホドモエ・ネジ山にしか生息していない。餌が少なくなっているのだろうか。だがそんなことを抜きにしても、野生ポケモンを餌付けするわけにはいかなかった。
「かわいそうだけどね……」
街中にカフェを構えている以上、生態系はきちんと把握しているつもりだ。遠い地方で人間の食事の味を覚えてしまったポケモンが人里に下りてきて、多大な被害を齎しているという話も後を絶たない。自分がしたことが後に巨大な問題にならないとも限らない。
だが。
「何でそんな目で見るのよ!まるでこっちが加害者みたいじゃない!」
ゴミ(生ではない)を捨てようと裏口のドアを開けた途端、幾つもの目がこちらを見る。なんというか……純粋な子供の目だ。相手を疑うことを知らない、純粋無垢、穢れなき色。ポケモンによって色は様々だが濁っていないことは間違いなかった。
ユエはうっと言葉を詰まらせる。が、ブンブンと首を横に振る。そして叫ぶ。
「私はね、貴方達にとっては敵なの!餌が欲しいならどっかの年中餌ばら撒いてる阿呆共の場所にでも行きなさいよ!」
「ユエさんどうしたんですか」
ハッとして後ろを向くと従業員の一人が焦った顔でこちらを見ていた。見ればバイトと従業員も怯えている。しまった、と思ったがもう遅い。変なところで剣道部女部長兼主将のスキルを発揮してしまったようだ。
「ごめんね。野生のポケモン達が餌を集りにくるもんだから……」
「あー、アレですか。私も何度か見ましたよ。あげてませんけど」
「本当に?」
「本当に」
そんなやり取りが二日ほど続いた、ある夜のこと。既に店は閉め、後片付けをしているところだった。
裏のドアを叩く音がする。
「?」
不審に思ってスタッフルームにある箒を一本取り出す。利き手は左。右手でドアノブをまわして――
『こんばんわ。夜分遅くにすみません。珈琲一杯いただけませんか』
子男が立っていた。身長はユエの胸の辺り。刑事コロンボのようなダボダボのコートを着ている。帽子で顔が隠れていてよく見えない。だが怪しい匂いがした。
「ごめんなさい。もう今日は……」
『待ってください。ここのカフェを探していたらこんな時間になってしまったのです。お願いです。カントー地方からやって来たのです。一杯だけ』
「カントー地方!?」
カントー地方はイッシュから一番遠い地方にあたる。船で四日、飛行機を使っても乗り継ぎの時間を入れて三日はかかる。今まで来たお客で一番遠かったのはシンオウだった。(ちなみに従姉妹はお客には入らない。ホウエンだけど)
ユエは改めて相手を見た。この季節には会わない厚手のコート。右手には革製の鞄。ステッカーを貼れば旅行鞄として使えるだろう。だがそういう使い方はしていようだ。かなり年季は入っているようだが……
「分かりました。どうぞお入りください」
『ありがとうございます!』
男はカウンター席に座った。視線を感じながらユエはゼクロムをいれる。ブルーマウンテン、キリマンジャロ、モカなどの豆を取り出す。きちんと計らないとこの独特の味は出ない。当たり前だが。
しばらくして、いい香りがしてきた。特製コーヒー、ゼクロムです、とユエは呟く。男は目を閉じて香りを嗅いだ後、一口含んだ。
『素晴らしい。今まで飲んだ中で一番のコーヒーです』
「ありがとうございます」
ふと、ユエは彼の横に置いてある鞄が気になった。視線に気付いたのか、男が切り出す。
『気になりますか』
「……ええ」
『それでは、閉店時間過ぎに見知らぬ客人をもてなしてくださった貴方に敬意を表して』
男が鞄を開けた。ユエは息を呑む。中には色とりどりの硝子瓶が入っていた。赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍色、紫、白、黒、ピンク、グレー、黄緑、水色、金、銀……まるで何十色ものクレヨンや色鉛筆のようだ。
呆然とするユエに、男はニヤリと笑って言った。
『これらが何か、お分かりになりますか?』
「いえ…… 何かしら」
『夢ですよ』
「夢!?」
夢。『眠っている間に見る物、何か強い望みなどのこと』という辞書のような説明が頭の中で渦巻く。だが夢は実体がない。瓶に入れられるなんて聞いたこともない。
訝しげなユエに男は構わず説明を続ける。
『人は夢を見る生き物です。私の仕事は眠っている人間の寝床にお邪魔して、彼らが見ている夢を少しだけ取らせていただくことです』
「お邪魔って……」
『流石にセキュリティがきついマンションなどには入れませんが。私には協力してくれる仲間が沢山いるんですよ』
そこで、男はフウとため息をついた。今までとは違う雰囲気に、ユエは引っかかりを覚えた。
『しかし、最近は少々仕事が成り立たなくなっておりまして』
「セキュリティうんぬんってことですか」
『いえ、それよりもっと悪いことです。私どもが取るのは子供達の夢です。彼らが見る夢はエネルギーが強く、時折素晴らしい質の物が取れることがあるのです。
しかし最近は…… 彼らが夢自体を見なくなっているのです』
夢を見ない子供。それはつまり……
「現実的ってことですか」
『おっしゃる通りです。将来こんな仕事をしたい、こんなことをやりたい。そういう空想とも言えるべき夢を彼らは見なくなっています。原因はこの世間です。不景気のせいか皆様方ギスギスしていましてねえ。そんな両親を見て育った子供も当然、そういう性格になる方が多い。
現実を見ろ、もう子供じゃないんだから。……そんな夢を見ている子供に、私は最近よく遭遇するのです』
男は悲しそうな顔をしていた。ふと思い立って、ユエは聞いた。
「あの、私の夢ってどんな色なんでしょうか」
『……マスターさんの夢ですか』
「何か気になったんです。最近見た気がしても覚えてなくて。
もしよかったら、引っ張り出してくれませんか」
男はしばらく驚いた顔をしていたが、なるほどと頷いた。
『貴方の瞳の色は輝いています。夢を見る子供と同じです。……取らせていただきましょう』
ユエは眠っていた。意識だけが暗闇の中でふわふわ浮いている。
男が言うには、ソファ席に横になって自分の手の動きを見ていて欲しい。そうすればすぐに瞼が重くなるということだった。
本当かしら、と思った途端、瞼が重くなった。そのままスッと意識が落ちていく。落ちていく。落ちていく……
ザブン、と体が水に包まれる感じがした。瞼の裏に明るい青が広がる。驚いて目を開けると、そこには空と海が広がっていた。
何と言えばいいのだろうか。下に雲の平原、上には真っ青な空。水は透明、しかし呼吸はできる。
遥か上空には星達が煌いていた。
どうにか腕を動かすが、カナヅチでユエは浮かぶことができない。そのままゆっくりと雲の平原の方へ降りていく。雲の切れ間からは、美しいコバルトブルーの海と小さな島が見えた。どうやら向こうが普通の……陸地の島らしい。
じゃあここは、空の海?
ユエは以前読んだ漫画を思い出した。
『はい、いいですよ』
男の声でハッと目が覚めた。横を見ると男が笑って小瓶を振っている。色はコバルトブルーとエメラルドグリーンが混ざることなく二つになった色。
マーブル模様のようだ。
「これが、私の夢?」
『久々に美しい夢を頂きました』
「それ何に使うんですか」
男はユエの夢をそっと鞄に閉まった。入れ替わりに別の小瓶を取り出す。透明な色の夢が入っている瓶だ。
『世界には、夢を見たくても見られない子供達がいるんです。私は彼らに夢を届ける仕事をしているんですよ』
「夢を見たい子供達……」
『この国は本当に裕福なのでしょうか。夢を見れるのに見ない子供達。現実を見ろと諭す大人達。その連鎖が続けば世界は……』
柱時計が午後十時半を告げた。男が透明の小瓶と小銭をユエに渡す。
『コーヒー、とても美味しかったです。この小瓶は私からのプレゼントです』
「……」
『いつも枕元に置いていてください。それでは、また』
また男は裏口から出て行った。初夏なのにつめたい風が吹く。その中で、ユエは人ではない者の後姿を見たような気がした。
「これは、夢かしら……」
ユエの手の中で、小瓶が輝いていた。
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ユエって不思議な話がないなーと思って書いてみた。
イメージ的にはつるばら村シリーズです。動物達がお客さんの短編集。
【何をしてもいいのよ】