「ただいま」
「おかえりなさ……きゃあっ!」
どたどた、と床に物が落ちる音がした。
ジュペッタが玄関を閉めて部屋を見ると、横転した車いすの車輪がきりきりと金属音を立てて空回りしていた。すぐそばには、部屋の主である少女が転がっている。
やれやれ、とジュペッタは呆れたように息をついた。
「もう、無理して動こうとしなくてもいいってば」
「あうう……ごめん」
しょうがないなあ、と言いながらジュペッタは車いすを立て直し、少女を抱え上げて座らせた。
ごめんね、と何度も言う少女に、ジュペッタはご飯作るから待っててね、と言って笑った。
小さなテーブルに1人分の食事が並べられる。
ジュペッタは車いすをテーブルにつけ、その向かいのいすに座った。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせて言うと、ジュペッタは箸を手にテーブルへ乗り、おかずをつまんで少女の口へ運んだ。
もぐもぐと咀嚼して飲みこみ、少女はジュペッタに聞いた。
「この辺りには、もう私以外の人間はいないのかしら?」
ジュペッタは皿の上のおかずを箸で適当な大きさに切った。
「……きっと、みんなもっと楽しいところでも見つけたんじゃないかしら」
「楽しいところかあ……どんなところだろう?」
「さあ……どっちにしても、あたしたちは見に行けないわね」
「何で? あなたは外に出られるのに」
「あたしが行っちゃうと、あなたのお世話をする人がいなくなっちゃうでしょ?」
ジュペッタがそう言うと、少女は顔を曇らせ、ため息をついた。
「ごめんね、手も足も動かなくて……。事故になんてあわなかったら、あなたにこうやって迷惑かけないのに……」
「もう、それはいいって。……事故はあたしのせいでもあるんだし。あたしがあなたを追いかけまわしたから、あなたが車に轢かれて……」
「でも、元はと言えばあなたを捨てた私が悪いの……。小さい頃は毎日遊んでた人形だったのに……」
「いいじゃない、もう、それは。あなたとおままごとをしてたから、あたしが今こうやってあなたの面倒を見てあげられるんだし」
そうか、そうだね、と言って少女は笑った。
ジュペッタが箸を差し出した。しかし、少女はまた顔を曇らせて首を横に振った。
「もう食べないの?」
「うん……」
「……口に合わなかった?」
「……ごめん」
いいよいいよ、と言って、ジュペッタは皿をさげた。
ごめんね、とうなだれる少女に、ジュペッタはもう寝ましょう、と笑って言い、車いすを押した。
規則正しい寝息が聞こえる。ジュペッタはベッドの隅に座り、少女の寝顔をじっと見つめていた。
『この辺りには、もう私以外の人間はいないのかしら?』
ジュペッタは少女の言葉を思い出した。
いずれは全てを打ち明けねばならないのだろう。自分たちがどうしてここにいるのか。少女に何があったのか。
それでも、とジュペッタは小さくため息をついた。
この「おままごと」を終わらせたくはない。折角またこうやって、一緒に遊ぶことが出来るのだから。
せめて少女が自分で気付くまでは。
その体に再び手がつき、足がつく頃までは。
手足など動くはずがない。そもそも存在しないのだから。
食事が口にあうわけがない。必要なものが違うのだから。
人間なんているわけがない。ここはそういう場所なのだから。
少女がころんと寝がえりを打った。
ジュペッタは少女の頭を撫で、そっと囁いた。
「根の国に、人間なんていないのよ」
白いシーツの上で、カゲボウズが1匹、すやすやと寝息を立てていた。
(2012.7.26)