――あら? お客様なんて珍しいわね。こんにちはお嬢ちゃん。どこから来たの?
「あっち。あっちの隙間から入ってきたの」
――まあ、あんなに狭いところを潜ってきたの。中は真っ暗なのに、勇敢な子ね。
「大丈夫、全然怖くなかったよ。クーちゃんが一緒だもん」
――可愛いぬいぐるみね。ミミロル……だったかしら?
「うん、そうだよ。お姉さんすごいねえ、こんなに暗いのにちゃんと見えるんだ!」
――長い間ここにいるから、目が慣れちゃったのよ。元々、夜目は利く方だけれどね。
「ふぅん、そうなんだ。長い間って、どれくらい?」
――うーん、どれくらいかしらねえ。長すぎて忘れちゃったわ。
「ずっと一人でここにいたの? ……寂しくなかった? 怖くなかった?」
――いいえ、他にもたくさんいるから、寂しくも怖くもなかったわ。今は私以外、みんな眠っているけれどね。心配してくれるの? 優しい子ね。
「……ううん、優しくないもん。今日またお母さんに怒られちゃったし」
――あら、どうして?
「あたしがリカを叩いたから。だってリカがあたしのクーちゃん勝手に持ってっちゃうんだもん、ケンカになって叩いちゃった。
そしたらお母さんが『乱暴にしちゃダメ! リカはまだ赤ちゃんなのよ、ケガしたらどうするの!』って。あと、『ミカはお姉ちゃんなんだから、おもちゃくらい貸してあげなさい』って。リカの事ばっかり味方するんだよ、ひどいよ!」
――あらあら。色々大変そうね。
「あっ、笑ってるでしょ! 見えなくても分かるよ、声が震えてるもん!」
――ごめんなさいね。楽しそうで、つい。
「えー、全然楽しくないよ! お母さんもお父さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなみーんなリカの事ばっかり可愛がってあたしはほったらかしなんだもん。せっかくシンオウに遊びに来てるのに、つまんないよこんなの!」
――あなたシンオウの子じゃないのね。家族で旅行に来たのかしら?
「うん。でも夏休みだから、どこへ行っても人がいっぱいで凄いの。だから人の少なそうな、このナントカイセキにみんなで来たんだ。……でもね、ケンカしちゃったからここに逃げてきたの」
――そうなの。確かに、ここにいたら見つかることはないでしょうね。いつまでだって隠れていられるわ。
「あーあ、あ母さん怒ってるだろうなあ……。帰ったらまた、お説教されるのかな。……イヤだなあ、しばらく隠れておこうかな」
――それがいいわ、私が話し相手になってあげる。きっと退屈しないわよ。
「ホント? ありがとう! えーっとね、何からお話しする?」
――ふふ、焦らなくていいのよ。時間はたくさんあるんだから。
そうね、私は色々な話を聞きたいわ。外の世界についてや、あなたや家族の事とか、色々、ね……。
… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …
「……でね、その時には……ふわぁ」
――あら、大丈夫? 眠くなってきたの?
「ん、ちょっぴりだけ。ずうっとお話してたから、疲れてきちゃった」
――無理しないでね。ちょっと休憩しましょうか。床が硬いかもしれないけど、横になるといいわ。
「わあ、ひんやりして気持ちいいね。なんだか寝ちゃいそう」
――眠ってもいいのよ。眠って嫌なことを忘れてしまえば、きっと楽になるわ。
「イヤな事、かぁ。怒られることとか、夏休みの宿題とか、リカの事とか……? あと、野菜食べなさいって言われること!」
――私には、少し羨ましいくらいだけれどね。
「えー、こんなのがー? 面倒くさいだけじゃない。あーあ、なんでこんなにイヤな事って多いんだろう……。あたし、人間じゃなくてポケモンなら良かったのになー……」
――ポケモン、好き? ポケモンになってみたいって、思う?
「うん、だーいすき! ポケモンになったら、もう宿題とか色々しなくていいよね! 毎日好きな事たくさんできて楽しそう!」
――ふふふ。そうね、大抵のポケモンは自由だものね。
「いいなぁ……。なってみたいなぁ……」
――……夢なら見られるんじゃないかしら。夢の中でなら、どんなポケモンにだってなれるわよ? あなたの望みのままに、好きなだけ。
さあ、目を閉じてごらんなさい。頭の中で、なりたいポケモンを思い浮かべてみて……?
「うーん……そんなに簡単に見られるかなあ……。確かに眠くなってきた、けど……」
――大丈夫、大丈夫。私を信じて……。
「…………う……ん……。…………夢の中で、おともだちいっぱい……できるかな……?」
――ええ、きっと。たくさんのお友達が出来るわ。私が保証してあげる。
――いい子ね……ゆっくりお休みなさい。目が覚めた時には、きっと……あなたの望みが叶っているから。
… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …
行方不明の少女が見つかったのは、彼女が迷子になった遺跡群から遠く離れた場所でした。
茫洋とした瞳で彷徨う少女を保護した警察は、要領を得ない話の中からなんとか名前を聞き出して、家族の元へと送り届けることができました。
黙ったまま涙ぐむ父親と人目もはばからずに号泣する母親の姿、彼らにしっかりと抱きしめられる少女の姿は、職務上見慣れたものであっても警官たちの心を揺さぶりました。
今後はご両親から離れて独り歩きしないように。運よく出会わなかったけれども、本来野生のポケモンは怖い生き物なんだよ。一人の時に出会うと命に関わるからね。
警官がそう言い聞かせると、少女は真面目な顔で頷きました。
お巡りさん、連れて帰ってくれてありがとう。
愛らしい少女のお礼の言葉を胸に、警官たちは暖かな気持ちで帰路につきました。
シンオウを出る前日の事です。
出立の準備やお土産の確認などに大わらわの母親がふと気づくと、娘二人の姿が見えません。慌てて探せば、彼女たちはホテルの庭で仲良く寄り添っていました。
うっとりと青い空を見つめる姉の隣で、幼い妹がミミロルのぬいぐるみを振り回して歓声を上げています。
あれはお気に入りのクーちゃんのはず。大切なぬいぐるみをあっさり手放した娘に驚いて、母親は理由を尋ねました。
彼女の答えはこうでした。
「いいの、あのぬいぐるみはリカちゃんにあげる。だって私はもう、大切なものを取り換えて貰ったんだもの。今あるものだけで十分幸せよ」
迷子になった一件以来、どことなく大人びた娘を不思議に思いつつ……きっと、妹を持ったことで姉としての自覚がようやく出てきたのだろうと考えて、母親は嬉しくなりました。
いい子ね、と褒めると、娘は無邪気に笑います。
母親が機嫌よく立ち去ると、少女は再び空を見上げて物思いに耽ります。
青い空のむこう、朽ち果てた遺跡群――その地下に封じられた、要石を想って。
彼女の望みはすべて叶いました。
自由に動かせる体を、どこまでも広がる世界を、迎え入れてくれる家族を、新しい人生を、すべて手に入れました。
“彼女”の望みも叶ったはずです。
もう怒られることも宿題の心配をすることもなく、うるさい妹に邪魔されることも、野菜を食べるよう強制されることもありません。望み通りポケモンとなり、友達と仲良く暮らすことができるでしょう。“彼女”はきっと歓迎されたはずです。
忘却の地に封じられたミカルゲの、百八番目の魂として。
私は今、すごく幸せよ。あなたは、どう?
小さく呟いて、少女は薄い笑みを浮かべるのでした。
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眠れぬ夜に一気書き。背筋をぞわっとさせるお話が増えるといいな、に諸手を挙げて賛成中。しかし、自分の話では涼をとれないという言葉にも残念ながら賛成中。読んで下さった方の背筋をぞわぞわさせることに成功したのかどうか不安です。もしならなかった場合、誰かに頼んで背中を人差し指でつつつっと縦になぞってもらってください。ほーら、ぞわっとしてきた筈…………え、違う?
個人的に、入れ替わりネタは怖いものの一つです。ちなみに自分で書いておいて何ですが、彼女たちの口調が赤チェリム姉さんと女の子に諸被りな気がしますが、書き分けができていないだけで別人です。あちらは(一応)人間です。
タイトル【トリック】は技名より。本来は「相手のどうぐと自分のどうぐを入れ替える。相手も自分もどうぐを持っていない場合は失敗する」ものですが、今回は道具の代わりに魂を取り換える、として使っています。【すりかえ】も候補だったのですが、こちらだといきなり内容がバレそうだったので却下。
まだまだ長い夏の夜、もっとたくさんの「ぞわっと話」が読めますようにと願いを込めて。
読了いただき、ありがとうございました!
【ホラーいいよねホラー】
【なにをしてもいいのよ】