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  [No.2552] Julia 投稿者:メビウス   投稿日:2012/08/04(Sat) 13:35:43   71clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 Julia(ユリア)

 ある夏の日のことだった。森の近くの道を歩いていると、視界の端に黄色いポケモンの姿が映った。ピカチュウだった。群れからはぐれたのか、他に仲間はおらず、ただ一匹だけで佇んでいた。
 ピカチュウはこちらを見つめていた。その大きな黒い瞳に、おれは思わず惹き込まれた。やがてピカチュウはおれから視線を外し、森の方へと歩き始めてしまった。しばらく行ったところで、途中で後ろを盗み見るように振り返った。おれが同じ場所にいることを確認すると、戸惑うように視線をさまよわせ、また背を向けて歩き始めた。後方からの視線が気になるようで、振り返ろうとしては止める動作を何度か繰り返していた。おれは、後を追っていいものか迷った。そうしているうちに、ピカチュウの姿は森の中へと消えていってしまった。
 それから数キロ歩き、辺りが暗くなり始めた頃、おれは目指していた街に到着した。さほど大きくはない。都市と都市との中継地になるような街だった。だが、どんな小さな街にも、食堂と墓地とポケモンセンターはある。おれはさっそくセンターへ赴くと、ポケモンたちの回復を頼み、今晩の宿をとった。それほど腹は減っていなかったので、紅茶を一杯だけもらうことにした。ポケモンセンターの主であるジョーイさんと談笑しながら、紅茶の香りを楽しんだ。飲み終えると、借りた部屋に向かい、机の上に荷物を置いて、ベッドに横になった。天井を見つめながら、昼に出会ったピカチュウのことを考えていた。

 翌朝は5時に起床した。着替えを済ませ、食堂へ行って、朝食のトーストをかじりながら新聞に目を通した。天気欄の他に興味深い記事はなかった。部屋に戻り、身支度をし、受付のジョーイさんに挨拶をして、チェックアウトした。次の目的地へ向かう前に、ふと思い立って、昨日ピカチュウと出会った場所に行ってみることにした。まだ日も高くなく、涼しい時間帯だった。しばらく歩いて、昨日の森が見えてきた。
 ピカチュウは昨日と同じ場所にいた。いち早く人が近づく気配を察知していたらしく、こちらが発見したときには、おれの方を見つめていた。片手を上げて挨拶すると、ピカチュウは目をそらしてしまった。だが、今日は森の奥へ行こうとはしなかった。時々こちらを気にする素振りをしながら、所在なさげに空を見上げていた。おれは思い切ってピカチュウの側に近づき、話しかけてみた。
「おはよう。昨日も会ったね」
 ピカチュウは、まるで初めて俺の存在に気付いたかのように、驚いた表情を作って見せた。
「君は、この森に住んでるのかい?」
 どっちつかずの返事だった。
「ここで何をしてたの? 辺りには、特に何もなさそうだけど」
 ピカチュウは言葉を濁した。おれはポケモンの言葉がわからない。なんとなくニュアンスを感じているだけだ。しゃがみこみ、ピカチュウと視線の高さを合わせた。
「突然こんなこと言ったら困るかもしれないけど、君のことが気に入ったんだ。よかったら、おれと一緒に来ないか?」
 ピカチュウは、うつむいて黙り込んでしまった。明確に拒否されたというわけではないようだった。大きな黒い瞳には、迷いの色が浮かんでいた。近づいてみて気付いたが、このピカチュウはメスだった。女性に返事を強いてはいけない。おれは立ち上がった。
「明日、また来るよ。返事を考えておいてくれたら嬉しい」
 別れ際、おれはまた片手を上げて挨拶をした。ピカチュウはうつむいたままだった。
 それから、今朝出発したばかりのポケモンセンターに舞い戻り、二泊目の手続きをした。ジョーイさんは「この街を気に入っていただけたんですね」と嬉しそうだった。事情を正直に話すことは恥ずかしいように思われたので、「ええ。いい場所ですね」と曖昧に微笑んでおいた。


 おれは、ポケモントレーナーの修業をしながら旅をしている。将来はジムリーダーになることが目標だ。どうせならトレーナーの最高峰であるポケモンリーグの四天王やチャンピオンを目指せ、と激励する人もいるが、現実的に考えて無理だ。努力すればジムリーダーにはなれるかもしれないが、それもギリギリできるかどうかだと思っている。大会で実績を残せば、まずはジムトレーナーとして雇ってもらえる。そのジムの中で実力を高め、先代のリーダーの指名を受けて、ようやくジムリーダーになれる。だからその道筋は、各地のジムを回って修業を積み、実力を上げ、リーダー公認の証であるバッヂを集め、地方リーグに出て勝ち進み、あわよくば全国大会へ進出することだった。
 今滞在している街にもジムはある。ポケモンリーグ公認ではないのでバッヂはもらえないが、一時の修業の場としては十分だろう。おれは旅の途中で仲間にしたポケモンたちを連れ、ジムに出かけた。

 ジムにはおれ以外の利用者はおらず、のびのびと施設を使うことができた。それどころか、リーダーから直々に指導を受けることもできた。午前中の約4時間、みっちりと修業を積み、ポケモンたちもおれも疲労困憊だった。小規模ながら、ジムの質は高いように思えた。じきに公認を受けることになるだろう。おれがそのように言ったら、リーダーは「それはどうかな」と笑った。
 昼食もリーダーと一緒にとった。滅多にない機会なので、ジムリーダーの内情についていろいろと質問をした。公認ジムになるとポケモンリーグから支給金が出る代わりに、雑務が大幅に増え、訪問者が激増する。トレーナーを雇うことになるので、彼らの管理もしなければならない。リーグ公認と言えば聞こえはいいが、負担はかなり大きくなるようだった。リーダーは「今の気楽なジム商売が性に合っている」と言った。「しかし公認リーダーは名誉ではないですか」とおれが尋ねると、「名誉がすべてではないよ」との返事だった。

 午後は街を観光した。それほど見る場所はなかった。まずは、街外れでひっそりと営業している博物館に行って「街の歴史展」を一通り眺めた。帰り際、併設されていたみやげ物屋で立ち話をし、街が見どころとして推している古い建築物を三か所ほど教えてもらった。すべて徒歩で回ってみたが、旅をしている者にとっては、どれも特に真新しいものではなかった。
 歩き回って腹が空いたので、夕食をとるためにポケモンセンターへ帰ることにした。その途中、店仕舞いを終えたジムリーダーと出くわした。飲みに誘われたので、ご相伴に預かることにした。ポケモンセンターに電話を掛け、今晩の食事は要らないとの旨を伝えた。ジョーイさんが「今日の料理は特別に力を入れましたのに」と残念そうに言ったので、おれは申し訳ない気持ちになった。
 リーダー行きつけの飲み屋では、今のおれにとって一番関心のある話題になった。森の近くで出会った、あのピカチュウのことだった。
「あの子はねえ、人を待ってるんだよ」
「待っている? 捨てられたのですか?」
「ん……詳しい事情は知らないんだが、もう一週間はあそこにいる。食べ物はなんとか調達しているみたいだ。しかし、森にも馴染めず、行くあてもなく、待ち人は来ない。引き取り手もいない。哀れな子だ」
 おれはその話を聞きながら、ある決心を固めていた。
 それからしばらく飲んだ。勘定を済ませ、店を出た。よろめきながら、どうにかポケモンセンターにたどりつくことができた。ジョーイさんはまだ起きていた。おれが酔っ払っているのを見つけると、「しょうがない人ですね」と言って、水を用意し、おれの部屋まで付き添ってくれた。田舎の人は優しいのだなと、半分眠りに落ちながら思った。

 翌朝起きたのは9時過ぎだった。おれは朝食の時間に大幅に遅刻して食堂に向かった。食事はまだ片づけられていなかった。昨晩の「特別に力を入れた料理」を取っておいてくれたらしく、朝から宮廷料理のフルコース並みの豪勢なメニューだった。二日酔いで頭が痛かったが食欲はあったので、よく味わって残さず食べた。
 食堂を出ると、その足でセンターの受付に向かい、ジョーイさんに朝食の礼と昨晩の詫びを言った。それから、長期滞在の手続きを頼んだ。驚くジョーイさんには「もっとあなたの料理を食べたくなったので」と説明したが、滞在を伸ばすことを決めた本当の理由は、この街のジムに通うためだった。公認でないとは言え、リーダーが直接指導してくれるジムは貴重だからだ。指導内容も悪くない。吸収できるだけのことを学んでから出発したかった。もちろん、例のピカチュウのことも理由の一つではあった。だが彼女の件は、今日中に結果を出すつもりだった。

 滞在手続きを終えると、おれは三度目の正直と意気込んで、あのピカチュウがいた場所へと向かった。そうして、おれたちはまたしても対面を果たした。片手を上げて挨拶をすると、ピカチュウも遠慮がちに同じ挨拶を返してくれた。おれは嬉しくなった。昨日のようにピカチュウと視線の高さを合わせ、単刀直入に切り込んだ。
「誰かを待ってるんだね。もう、一週間も」
 ピカチュウは目を伏せてしまった。
「その人のこと、好きだったのかい?」
 首を横に振った。否定ではなく、わからない、という意味のように思えた。
「帰ってくるかもわからない人を待つのは、辛いと思う。おれなら、君にそんな寂しい思いはさせない。いつだって側にいる。だから、一緒に来て欲しい」
 目をまっすぐ見据え、精一杯の求愛の言葉を告げた。ピカチュウは黙っていた。おれは返事を待ち続けた。実際にどれくらい経ったかわからないが、何時間も待ち続けているような気がした。
しばらくして、ピカチュウが、かすかに頷いたのがわかった。了承の返事だった。歓喜を抑えながら、おれはピカチュウの手を取った。彼女は、大きな黒い瞳で見つめ返してきた。至近距離でその瞳に見つめられると、ぞくりとした。
「ありがとう。君のこと、大切にする」
 おれはピカチュウに名前を捧げた。昨晩すでに考えてあった名前だ。
ユリア。それが彼女の新しい名になった。


 ポケモントレーナーが一番苦労するのは、ポケモンたちのメンタル管理だという。トレーナーが特定のポケモンだけに愛着を持つと、他のポケモンたちが嫉妬する。そうなるとバトルどころではない。言うことは聞いてくれないし、ポケモン同士の連携など望むべくもないからだ。そのことを思い知ったのは、ユリアがパーティに入ってからだった。
 おれは最初からユリアにぞっこんだったが、彼女の方はそうでもなかった。ユリアを食事に連れて行き、おれの真向かいに座らせ、積極的に話しかけてみるが、いつも曖昧な返事しか寄越さなかった。ポケモン用のアクセサリーなどを買い与えてみても、つれない反応を示すだけだ。ユリアとの付き合いのことで悩み、寝付けない夜もあった。ポケモンの感情に関する本を読み漁ってもみた。とにかくおれの頭の中はユリアのことでいっぱいだった。
 そんな体たらくだから、次第に、以前から一緒にいるポケモンたちへの配慮が手薄になっていった。感情面での付き合いが減り、義務的なやり取りに終始するようになった。気付いたときには、おれはポケモンたちからの信頼を失ってしまっていた。そのような状態に陥って初めて、彼らの気持ちを理解した。トレーナーとポケモンは一蓮托生。ポケモンからすれば、トレーナーに見向きされなくなったら終わりなのだ。おれはユリアを除くポケモンたちと話し合い、謝罪し、これからは改善していくと誓った。彼らの反応は、納得半分、疑い半分、と言ったところだった。これからの行動で示していくしかなかった。
 ところが、他のポケモンたちとの時間を増やすと、今度はユリアが機嫌を損ねてしまった。これまで、おれのことなど何とも思っていない風に振る舞っていながら、自分への関心が薄れると途端に不満を持ち始めた。厄介なことになった、とおれは感じた。ユリアに構うと他のポケモンたちが不満を持つ。逆もまた然り。そのような構図では、両者が仲違いするのは時間の問題だった。パーティの空気が悪くなり始めていた。問題の根本にユリアがいるのは明らかだった。
おれは宿泊中の部屋で、ユリアだけをボールから出した。不機嫌そうな表情だった。
「やあ。とりあえず座ってよ」
 ベッドの上に座るよう勧めると、ユリアはその通りにした。おれは椅子に座った。
「何を話したいかは、わかるよね」
 そっぽを向いたまま何も答えない。
「ユリア、もっとみんなとも仲良くできないかな?」
 無反応。
「おれも、君だけに構ってやることはできないんだ。それはわかってくれるだろ?」
 するとユリアは、なじるような視線を向けてきた。耐えかねて、思わず目をそらしてしまった。気付いてはいた。彼女は捨てられたポケモンだ。普通のポケモン以上に愛情に飢えているはずだ。ユリアがずっとつれない態度をとっていたのは、おれが本当に愛情を注いでくれるか試していたのだろう。おれは再び彼女の瞳を見つめ、言った。
「おれは君が好きだ。初めて会ったときから好きだった。本当のことを言うと、他のポケモンたちより、ずっと好きだと思う」
 ユリアの視線が落ちた。
「でも、おれはポケモントレーナーだ。少なくともみんなの前では平等に接しなきゃならない。好きな気持ちを抑えなきゃならない。だから、もしそれを許してくれないのなら、おれは君を――」
 突然、ユリアがベッドから飛び降り、おれの足にすがりついてきた。あの黒くて大きな目にうっすらと涙を浮かべ、見上げてくる。その眼差しに、おれは吸い込まれそうになった。どうしようもなくユリアが愛おしくなった。おれは彼女の小さな体を抱き上げ、そのまま抱き締めた。抵抗はなかった。
「ごめん。寂しい思いをさせてしまったね。二人きりの時は、思い切り甘えていいから」
 腕の中ですすり泣く声が聞こえてきた。おれはユリアの体温を感じていた。
その晩、おれたちは一緒のベッドで眠った。

 しばらくユリアは上機嫌だった。他のポケモンたちとも表面上はうまくやれるようになった。しかし、火種がいまだくすぶっているのをおれは感じていた。早いうちに、何とかしなければならない。
ジムでの修業後、自販機で買ったコーヒーを飲みながらパーティのメンタルケアについて考えていると、リーダーに話しかけられた。
「今日もお疲れ様。ところで、君のピカチュウのことなんだが」
 リーダーには、おれがユリアを引き取ったことを伝えてあった。そのときは喜んでくれたが、どこか複雑な表情が混じっていたのを、おれは見逃していなかった。
「ユリアが、どうかしましたか?」
「本当にあの子を育てる気か? 君のパーティの和を乱すことになっているように見えるのだが」
「それは……その通りだと思います」
「弱い者に救いの手を差し伸べる。立派なことだ。しかし君には夢があるだろう。こんなことを言いたくはないが、あのピカチュウ一匹のために、君は夢を掴み損ねるかもしれない。そうなったとき、君はあの子を恨まずにいられるか?」
 ユリアを恨む? あり得ない。そんなことは考えられなかった。
「おれはユリアのことが大事ですし、それはこれからもずっと変わりません」
「そのために夢を失ってもいいと?」
「いえ、夢というほどのものでは……。何にせよ、今はよくわかりません」
「まあ君はまだ若い。チャンスはいくらでもある。失敗して学ぶのもいいかもしれないな」
 そう言うと、リーダーはジムへと帰っていった。おれが何を失敗しているというのだろうか。


 それから数ヶ月が過ぎた。おれは毎日ジムに通い、午前中は修業に打ち込んだ。リーダーと一緒に昼食をとり、時には午後も稽古を付けてもらい、それから夕食まではポケモンたちやジョーイさん、ポケモンセンターを訪れるトレーナーと話したり、街の付近を散歩したり、本を読んだりしていた。夜は、リーダーに飲みに誘われた日以外は、人目を忍んでユリアと過ごした。二人でいると、時の経つのを忘れた。おれもユリアも、お互いの存在がなくてはならないものになっていった。
 街には、新しいトレーナーが訪れては去っていった。おれは、いろんな人たちと出会った。旅を始めたばかりの新米から、全国大会への出場経験を持つベテラントレーナーまで。彼らとの試合を経験し、対話を重ねていくうちに、おれの中で、トレーナーとしての将来像が明確になっていくのがわかった。漠然と考えていたトレーナー人生だったが、今やおれは、全生涯をかけてその目標に打ち込みたいと思うようになっていた。一度きりの人生なのだから、たとえ上手く行かなくとも、やりたいことをやりきってから死にたい。おれは最後までポケモントレーナーとして生きて行きたいと思ったし、そのために人生を捧げようと決めた。おれが毎晩のようにその夢を語るようになると、ユリアはいつも嬉しそうに聞いてくれた。「大変な生活になるけど、ずっとついてきてくれる?」と尋ねると、彼女はためらいなく頷いてくれた。二人なら、辛い道のりでも乗り越えていけるような気がしていた。

 ある日、この街にまた新しい訪問者がやってきた。有名な女性だった。24歳の若さでポケモンリーグ四天王の一人に就任しながら、わずか三ヶ月で辞職し、行方をくらましていた人物だ。写真やテレビで見た通りの美人だった。彼女は「リサ」と名乗ったが、偽名だった。
「それはペンネームですか?」
「どうして?」
「だってあなたの名前は――」
 おれは彼女の本名を言った。それを聞いて、彼女は明るく笑った。
「その名前は捨てたの。今の私はリサ」
 おれたちはポケモンセンターのロビーで話していた。ジョーイさんがいつものように紅茶を運んでくれたが、少し虫の居所が悪そうに見えた。
「私のことを知ってるなんて、キミは勉強熱心なポケモントレーナーなのね」
「あなたは有名ですよ」
「そう? ありがと」
 そう言ってリサは微笑んだ。胸の奥がはねるのを感じた。
 リサはいろいろなことを尋ねてきた。だが、トレーナーにとって定番となる質問は来なかった。いつから旅をしているのか、この街へはいつ来たか、バッヂはいくつ持っているか。そういったことはまったく聞かれなかった。代わりにリサが聞いてきたのは、第一におれの名前、それから年齢、出身、生年月日、家族構成、両親の仕事、学校での成績、趣味、特技、好きな食べ物、好きなスポーツ、そして好きな異性のタイプ。一通り聞き終えると、リサは総括するようにこう言った。
「キミは平凡な人間だね。でも磨けば光るタイプ。いい指導者にめぐりあえるかどうかが肝かな」
 おれは呆気にとられた。元リーグ四天王は、三流占い師にでもなったのだろうか。彼女はおれが戸惑うのを見て笑った。
「あのね、キミ。人間の素質って、ちょっと話せばわかっちゃうものなの。話の内容は大して重要じゃない。態度とか、話しぶりとか、他にも……いろいろ見ていると、素質の有無くらいは読めてくる」
「それで、おれは平凡だって言うんですか?」
「世の中の九割九分九厘の人は平凡なのよ。私もそう。でも、偶然いい先生にめぐりあえた。運がよかっただけ」
 次の台詞は、まったく予想していなかった。
「キミも運がいいわ。私の弟子にならない?」

 そして翌日、おれは街を発つことになった。お世話になったジムリーダーと連絡先を交換し、再会を約束した。ジョーイさんに出発の旨を伝えたら泣かれてしまって、チェックアウトの手続きを済ませるまで少し手間取った。その様子を見ていたリサが言った。
「キミは悪い男だね。無自覚なところがサイアク」
「なんのことですか?」
「いつか痛い目見るから」
 幸先がよいとは言えなかったが、急遽始まることになったこの二人旅に、おれは興奮していた。相方が「元リーグ四天王だから」ということも当然あるが、「年上の美人だから」という理由の方が大きかった。男なら何かを期待せずにはいられないだろう。気がかりなのはユリアのことだった。他のポケモンたちはリサとの二人旅を歓迎するだろうが、ユリアが快く思わないだろうことは容易に想像できた。
「だがこれは、トレーナーにとってこの上ない僥倖だ。ユリアがなんと言おうと、みすみす機会を逃すなんてありえない」
 そう自分に言い聞かせ、おれはリサの隣に並んで歩き続けた。
 道中、リサは身の上話を聞かせてくれた。ジムバッヂを集める過程から、地方リーグ、全国リーグを勝ちあがり、実力を認められて四天王になるまでの話。四天王の仕事の内情。そして、四天王を辞めてから何をしていたのか。
「旅をしながら、出会うトレーナーにアドバイスをしてた。そうすると、何も言わなくても謝礼を払ってくれるの。そういうつもりはなかったんだけど、私としても生活資金は必要だったから、ありがたく受け取ってたわ」
「前にも弟子はいたんですか?」
「キミみたいな?」
「ええ」
「一人ね。嫉妬した?」
「まさか」
「私はね、人を育てる方が向いてるんだなぁって思ったのよ」
「ポケモンを育てるよりも?」
「結局、あの子たちは別の生き物なのよね。こっちがどれだけ尽くしてみても、本当の意味でわかりあうことはない。それに気付いたとき、なんだか虚しくなっちゃったの」
「人間同士ならわかりあえるんですか?」
「ポケモンよりはね。こんなこと、これからトレーナーとして大成しようってキミに言うのはよくないのかもしれないけど。それでも、知っておいて。相手のこと、わかったつもりになるのが、一番よくないのよ」
 話を聞きながら、ユリアのことを考えていた。おれは、彼女の何をわかっているだろう。

 二日かけて次の街にたどりついた。ポケモンセンターに宿をとると、自室でユリアのボールを開けた。二人きりになるのは、リサに同行するようになってからは初めてだった。いつもならすぐに飛びついて甘えてくるのに、今日はおれのことを睨みつけているだけだった。あまりにも予想通りで、口を開くのも気が重かった。おれは分かりきった質問をした。
「リサさんとの旅、反対だった?」
 当然、と言わんばかりにユリアは頷いた。
「あの人は、トレーナーの最高峰にいるんだ。おれは何としてもトレーナー稼業で食べて行きたいと思ってる。だから、このチャンスを逃すわけにはいかない」
 ユリアは首を横に振る。そんなことを聞きたいのではない。そう言っていた。心の中を全部見透かされているみたいで、冷や汗が出そうだった。
「大丈夫だよ。あの人は尊敬できる師匠だけど、それ以上の感情は一切ない。そういう目で見たこともない。ユリアが心配しているようなことは、一つもないから」
 突然、ユリアは電気袋から放電した。感情が高ぶったようだ。目からは涙があふれていた。嘘つき、と言っているように見えた。おれは電気に注意しながらユリアに近づき、その体を抱きしめた。
「嘘じゃない、本当だよ。おれが好きなのはユリアだけだ。だから、そんなに不安にならないで」
 ユリアは放電をやめ、大人しくなった。ひとまずは落ち着いたようだった。その頭を撫でながら、おれは自分の心の中に、今までにない考えが生まれてくるのを感じ取っていた。

 リサはリサで、ユリアについて思うところがあるらしかった。ユリアのバトルの様子を見ているときは、決まって難しい顔をしていた。あるとき、リサはおれに言った。
「あのピカチュウ、バトル向きじゃないわよ」
「どういうことですか?」
「目の前の敵が見えてない。いつも何か別のことを考えてる。ねえ、あの子に肩入れしすぎてない?」
 おれは何も言えなかった。
「バトルで勝てるトレーナーになるためには、あの子をパーティに入れていてはダメ。足を引っ張ることしかしないわ」
「ユリアは前に一度捨てられたポケモンなんです。だから、無下に扱うようなことは……」
「捨てポケモンを救いたいなら、強くなって賞金を稼いで、そのお金で孤児院でも作りなさい。やりたいことすべてを今すぐやろうとしていたら、結局は何にも出来ない。順序を間違えないで。あなたは何よりもまず、バトルに勝たなければいけない」
 そんなこと、言われずともわかっていた。
「ユリアを戦闘に出さなければいいんですね?」
「それで足りるかしら」
「……つまり、捨てろと」
「野生に返すだけよ。あの子、普段からキミの重荷になってる気がするの。違う?」
 おれは答えなかったが、リサの慧眼には驚いていた。ユリアを手放すという考えには、魅力を感じずにはいられなかった。
 実際のところ、おれは、ユリアに構っている時間を無駄だと感じるようになっていた。そんな暇があるのなら、戦術書を読んだり、ポケモンバトルの映像を見たりして勉強した方が、よっぽど自分のためになることはわかっていた。それでもユリアとの時間を作り続けていたのは、ひとえに、彼女の持つ心の傷に配慮してのことだった。捨てられたことによるトラウマは、きっとおれが及びつかないくらいに辛いのだろう。せめておれだけは、彼女の味方になってやらなければならないと思っていた。
 もう一つ、かつて言ってしまった「いつだって側にいる」という言葉が、自分を縛る鎖になっていた。そのような台詞を軽々しく使ってはいけなかった。永遠の関係を誓うということは、何よりも重い契約だった。

 それからしばらく経ったが、結局のところ、おれはユリアを捨てられなかった。捨てて楽になりたいと考えているおれの内心など知らず、無邪気に笑っているユリアを見ていると、この笑顔を壊すなんてとんでもないことに思えた。頭をなでてやると、くすぐったそうにはしゃぐ。抱きしめてやると、安心しきったような声を出して甘えてくる。ユリアにだけこっそりお菓子を買ってやると、たったそれだけのことなのに、本当に喜んでくれた。その仕草の一つひとつを見るにつけ、おれはユリアを一層離れがたく感じるようになった。
だが、愛おしく思う気持ちと同じくらい、ユリアの存在を負担に感じるようにもなっていた。彼女のことで頭を悩ます頻度は著しく増えてきていた。おれがリサと戦術の話をしているだけで、ユリアは不機嫌になった。そうなると、機嫌を取るためにまた時間が無駄になる。そのたび、おれはユリアに対する苛立ちと不満が募っていった。
 リサに詳しい事情を話すことはなかったが、おれとユリアが抱えている問題には勘づいていたようで、彼女なりに気を遣ってくれた。
「キミ、最近疲れてるんじゃない? 温泉でも行こっか」
「いいですね。でも、おれは大丈夫ですよ」
「行くって言ったら行くの。師匠の言うことは絶対なんだから」
 おれは、リサと過ごす時間に安らぎを感じるようになっていた。師匠としてのリサを相手にしているときは緊張するが、普段の彼女と話しているのは楽しかった。ユリアとの時間も一応楽しくはあったが、いつどんなことが引き金となって機嫌を損ねるか分からず、常に気を張っていなければならなかった。それほどまでに配慮してもなお、ユリアは理不尽に怒ったし、おれは彼女をなだめなければならなかった。そのたびに、おれは疲れ果ててしまっていた。この気疲れはいつまで続くのか、と考えて億劫になった。
だが、何のことはない。他ならぬおれ自身が、今の状況を続けることを選んでいただけなのだった。

 あるとき、決定的な事件が起きた。その晩は珍しくホテルに宿泊していた。地上八階の部屋だった。おれはへまをやらかして、ユリアを激昂させてしまっていた。彼女は窓を開けると、枠の上に立って、大声でわめいた。今にも飛び降りかねない様子だった。いくら人より運動能力に優れるポケモンでも、この高さから落ちたら死んでしまう。おれは焦った。なんとか落ち着かせようとしたが、近づこうとすると威嚇されて、身動きがとれなかった。
 隣の部屋にいたリサが騒ぎを聞きつけ、ポケモンと一緒におれの部屋に入ってきた。ユリアがもの凄い形相でリサを睨んだ。その様子を見るとリサは一笑し、「私だけ見てくれないなら死んでやる、ってわけ? 迷惑な子」と言い放った。ユリアは一瞬で顔色を変え、牙をむいてリサに飛びかかった。リサの後ろに控えていたポケモンが、即座にユリアの体を押さえ込んだ。リサは動じることもなく、ホテルのフロントに電話を掛けて、鎮静剤を持ってこさせた。その間もユリアはわめき声を上げ続けていた。鎮静剤を打って大人しくなったユリアをモンスターボールに戻すと、おれはリサに謝罪した。
「この子、病気だわ。入院が必要なタイプのね。これからも連れて旅をするなんてムリよ。キミも、随分と我慢してたんでしょ?」
 おれはついに弱音を吐いた。もうユリアと一緒にいるのが辛い、彼女のことは大切だが、これ以上振り回されるのはごめんだ、もう無理だと。それまで溜めこんでいた気持ちを、余すところなく吐き出した。リサは、そのすべてを受け止めてくれた。おれがユリアにそうしていたように、リサはおれを抱きしめた。救われた気がした。

 翌日、おれはユリアをある施設へと連れて行った。人間と暮らしていたポケモンを野生に返すための更生施設だ。ここで治療を受け、心の傷を癒してから、ユリアは野生に帰ることになる。彼女もどこに連れて行かれるのか薄々と感じていたのだろう。もはや騒ぐこともなく、無表情のまま押し黙っていた。おれは考えてあった台詞を言った。
「ユリア。初めて会ったとき、ずっと一緒にいると言ったよね。約束を守れなくて、本当にごめん」
 無反応。
「おれは君のことが大好きだった。でも、君は変わってしまった。これ以上、君と居続けることはできない」
 無反応。
「だからここでお別れだ。今までありがとう。楽しかった」
 無反応。
 ユリアは一貫して無反応だった。ぼんやりしたまま、何も言わない。それがかえって不気味に思えた。施設の職員に引き渡されてからも、ユリアは黙ったままだった。目はうつろで、どこを見つめるでもなく視線をさまよわせていた。そんな彼女の姿を見ていられなくて、おれは背を向けてしまった。それがおれたちの別れとなった。あっけないものだった。



 数年後、おれはポケモンリーグ全国大会の開催地にいた。観客としてではなく、選手として。傍らには共に厳しい修行を耐え抜いてきたポケモンたち、そしてリサがいた。
「ついにここまで来たわね」
「リサのおかげだよ」
「そういうことは、優勝してから言ってちょうだい。がんばってね、ダーリン」
 おれたちの関係は、単なる師匠と弟子以上のものになっていた。今やおれにとってのリサは、師匠であり、愛する人であり、一生をかけて守るべき女性だった。
「ねえ、リサ。もしおれがこの大会で優勝したら」
「ストップ。それも優勝してから言って。私、待ってるから……」
 おれたちは第一試合の会場へ向かった。開催地はとても広く、移動には地下鉄を使う。巨大な円形スタジアムの周りを囲うように、線路が敷設されていた。
最寄りの駅に移動し、薄暗い階段を下りた。早い時間帯だったのでホームは空いていた。時刻表を見ると、間もなく列車が来るようだった。おれたちは、まだ誰も並んでいない場所を選び、列車の到着を待った。
 不意に、誰かに呼ばれた気がして、おれは振り返った。見覚えのある黄色いポケモンが、そこにいた。あんなに美しかった目の輝きは、どす黒く濁ってしまっていた。
おれが彼女の名を呼ぼうとしたとき、腹部に強い衝撃を受けた。体当たりをされたのだと気付いた。おれの体は吹っ飛ばされ、ホームを越えて、線路の上にあおむけに叩きつけられた。背中を強打して息ができなくなった。喉が声を振り絞った。遅れて痛みがやってくる。
 右の方に刺すような光を感じた。続いて聴覚が、列車の近づいてくる音を認識し始めた。痛みをこらえて目を開けると、視界の端に列車の姿が映った。まるで死者を迎えに来た棺のように、ゆっくりと迫ってくる。その間、彼女との出会いから別れまでの思い出が、浮かんでは消えていった。
 ――そういえば、変わってしまったのはおれの方だったか。
 轟音に包まれるホームの中に、リサの絶叫と、ユリアの甲高い笑い声がこだましていた。






後記

もうほとんどの方は初めましてですね。メビウスと申します。
久しぶりに小説書いたので、せっかくだから投稿してみました。
また書きたくなったら来ます。