今でも時々夢に見る、あの光景。あれから一度も行ったことはないけど、それでもハッキリ覚えている。
随分と引っ込み思案だった私を。他人に合わせることしか出来なかった私を。
ガラリと変えたのは、紛れもない、あの出来事なのだ。
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生まれてから幾度目かの夏が巡って来て、そして終わった。まだ少し蒸し暑い日もあるけど、朝方と夜の冷え込みは秋が少しずつ夏との椅子取りゲームに勝って来ていることを教えてくれる。
空は高い。雲は時々入道雲、鰯雲。雨は降る時にはしつこく、止むとまた少し涼しさを持ってくる。そんな昼夜の気温が安定しない日々で、私が考えていたことといえば、一匹のツタージャのことだった。
ツンとした態度と、時折見せる寂しげな表情。ロンリーボーイ……ガールではないと思う。会って少し経ったが、その子の性別は未だはっきりしない。そもそも自分のポケモンとしてポケモンセンターや育て屋に連れて行っていいのか、それが分からなかった。
生まれて十四年が経過したが、ポケモンを持たせてもらったことは一度もない。両親が海外へ行く前に免許は取ったが、どうしても持つ気になれなかった。持っていた方が何かと便利であることも、市民権をより強く得ることができるのも分かっている。
だけど……。
ピンポーン、という音で我に返った。慌ててパスを反対にして翳す。幸いにも後ろに待っている人はいなかった。
最寄り駅であるライモンシティから少し離れた場所。住宅街に面した、どちらかといえば田舎寄りの土地。同じような家が並び、何処が誰の家なのか見分けがつかない。
だが、迷うことは無い。何故なら、今から自分が行こうとしている家はそれらからかなり浮いているからだ。
「趣味が伺えるなあ……」
アースカラーが似合う家。壁にはめられたステンドグラス。今日はよく晴れていて、青い空がグラスに映っている。光を浴びている彫られたポケモンも、活き活きとしているように見える。
家と家の間に申し訳無さそうに建っている。写真を撮ろうにも全て同じアングルからしか撮れないだろう、というくらい小さい。まるでシンオウ地方にあるという白い時計台のようだ。ビルとビルの間にあり、たとえタウンマップの表紙を飾っても現地に行けば驚かれてしまうような……
いつも通りにノックして、ドアを開ける。そして――
ひっくり返る。頭を打った場所が芝生の上だったことが不幸中の幸いで、ゴチン!という目を覆いたくなるような惨事にはならなかった。
一応後頭部を撫でる。鈍い痛みはあるが、たんこぶになるような気配はない。一体全体どうしたもんだ、と前に視線をやった私が見た物は……。
「あ」
『キュウウ』
お馴染みの目と目が合う。大きな瞳に、私の間抜けな顔が映りこんでいる。眼鏡がズレているのを直すと、私は立ち上がった。ついでにパンツの埃を払う。
ツタージャは焦っているようだった。妙にわたわたしていて、いつもの冷静沈着な面は見えない。思わずクスリと笑うと、怒ったらしくつるのムチで頬をペシペシと叩いてきた。
ごめん、ごめんと謝ると腰に手を当てたままムスッとしている。
「珍しいね。自ら出てくるなんて」
『……』
「どういう風の吹き回し?」
私のからかいを無視して、そのままてってっと道路の方へ走っていく。予想外の行動に暫し呆然としていたが、慌てて開けっ放しになっていたドアを閉めて、ツタージャの後を追う。
相手の足の長さが幸いして、私は迷路のような住宅街でもその子を見失わずにすぐに追いつくことができた。
鉄の焦げる匂いがする。聞きなれた、ノイズ混じりの男性の声。スピーカーから流れる、割れたチャイム。小型ポケモンは料金は無料だということを思い出し、私は再びパスを通して改札口を通った。
「駅……」
ついさっき私が通ってきた駅。可愛らしいカフェは付いていないが、海と山、両方に囲まれた土地にあるため比較的通っている路線の数は多い。四番線まである。
その中の一つ―― 三番線ホームへの入り口である階段前に、ツタージャは立っていた。しきりに上の方を見つめている。見慣れた屋根の裏側。蛍光グリーンの文字盤が、時間を示す。電光掲示板はここからでは見えない。
そっと足を動かしては、引っ込めるという動作を繰り返すその子に、私はもしや、と思い訪ねた。
「……足、上がらない?」
『……』
「上に行きたいんだね?」
頷いたのを確認してから、私はそっと彼の腕の下に手を滑らせた。そのまま胸元まで抱き上げ、階段を上がっていく。多少プライドを傷つけられたのか、しばらくそっぽを向いていた。
変化があったのは五十段目を昇り終えた時。私が油断していたせいもあるけど、昇り終えて気が抜けていた私の手をひょいっと抜け出した。
「こら!」
そのままてててと停まっている電車に滑り込んでいく。右側に線路にドンと居座る、シルバーに緑色のラインが入った車体。ちなみに反対側はブルー。
息を切らして乗り込むと、ツタージャは一番前の座席の端っこにちょこんと座っていた。周りにポケモンを連れた乗客は数人。一人はヨーテリー、一人はドレディア(しかも恋人繋ぎ)、そして最後はツタージャの進化系であるジャローダ。
彼らの間で見えない火花が散った気がした。厄介ごとになる前に、相手のトレーナーがペシンと頭を叩いたから、大丈夫だったけど。
いつの間にかアナウンスが流れ、ドアが閉まっていた。ガタン、ゴトンと列車が動き出す。このまま立っているのも危ないので、ミドリはツタージャの隣に腰を下ろした。
上を見ると、広告と一緒に路線案内図が貼られている。何か書いてあるのは分かるが、両目とも視力0、1のミドリには読めない。
たとえ、眼鏡をかけていても今は。
(見えない物、か)
以前読んだ本に書いてあったフレーズが、ふと頭を過った。
『大切なものは、目に見えない――』
周りに付き合うことに疲れていたミドリの心に、それは深く響いた。
友達は、大切。その関係という物は目には見えない。だけど、人間は目には見える。目に見える物と見えない物が合わさり、この世界は成り立っている。
それに気付けるかどうかは、彼ら次第なのだと…… 他人に教えてもらうより、自分で気付けるかどうかが大切なのだということに気付いた。
窓ガラスが黒い画用紙を貼ったように黒くなっていた。そこに自分とツタージャの姿が映る。鏡のようだ。
その中に映る自分はどんな顔をしているのか。ぼやけてよく見えない。
いつの間にか周りに立つ人間が増えていた。その中の人集団に目を留める。彼らの格好はほぼ同じ。髪を短く切り、ピアスをしている。この季節には似合わない、よく焼けた肌の色。大荷物。左手首に不思議な形の日焼けの跡。
それに当てはまる物を考えた瞬間、一気に車内が明るくなった。ツタージャが眩しそうに目を覆う。ミドリも振り返って窓の外を見て―― 答えが出た。
キラキラ光る線。太陽が丁度世界の中心に上っている。青い波が押し寄せては崩れ、白波へと変わる。
小さな人影。皆が皆、彼らと同じような格好をしている。波に乗り、風を掴み、どれだけ転んでも立ち上がる。
周りに迷惑をかけることのないこの時期を選んだのだろう。
海だ。
山と崖に囲まれた場所に、海が広がっていた。
降り立った駅はかなり寂れていた。そもそもこんな駅でもきちんと成立しているのか、と考えてしまうくらいボロボロの建物である。屋根のペンキは剥がれ落ち、かつては赤だったと思わせる色。今では色あせ、その赤色の面影もない。どちらかといえば限りなく白に近いピンクに見える。
自動販売機があったが、ラベルが色あせていたためしばらく取り替えられていないことが分かる。つまりはドが付くほどの田舎だということだ。
「ライモンシティとは大違い……」
流石に呆然としたミドリの耳に、ツタージャの声が届いた。振り向くと改札口を通り過ぎ、そのまま道へ走って行こうとしている。
またこのパターンか、と思いながらもミドリは好奇心が湧き出てくるのを感じていた。ツタージャが知っている世界を、自分も見てみたい。
そんな思いを胸に足を動かす。
車通りは少なく、ツタージャはその短い足を器用に動かして先導していく。途中で寂れた飲食店、未だ現役なコンビニ(駐車場付き)を幾つか通り過ぎた。いかにも、な看板が目に入り、ふと懐かしさを覚える。
やがて、私の足は海の側にある小さな裏道の入り口で止まった。
まだ青い木々が行く手を阻む、坂道。『止まれ』の白い文字はハゲかけている。
「ここを登るの?」
『キュウ!』
それだけ言って上っていく。だがなかなか進まない。それでも確実に上がっていく。迷いは無い。
……慣れている。
汗一つかいていないツタージャと反対に、登り始めてたったの五分で息が上がり始めたミドリ。帰ったら運動しよう、と決心する。
それにしても、かなり長い坂だ。途中で右に曲がり、その後は一方通行。視界に『野生ポケモン出没注意』と書かれた看板があった気がしたが、気のせいだと思いたい。
携帯電話は圏外だった。
「あー……」
登り始めておよそ二十四分と五十三秒。ようやく視界が開けた。緑一色だったのが、青と土色が混ざる。
柔らかい風が髪を撫でていく。
まず最初に目に映ったのは、木で作られた家。昔読んだ某医療漫画の主人公の家によく似ている。だがそのシチュレーションがぴったり合って、ミドリはほう……とため息をついた。
ツタージャがつるのムチでドアノブを回そうとする。だが鍵がかかっているようで開かない。
「鍵無いの?」
頷いたのを見て、ミドリは少し下がった。そして――
「はっ!」
思いっきり体当たりした。錆び付いていたのだろう。バキッという音がしてドアが倒れる。はずみで地面に転がった。
舞う埃に咳き込みながら辺りを見回す。内装、家具共にカントリー調だった。しばらく使われていないのだろう、埃が積もりに積もっている。
ツタージャが遅れて入ってくる。小さな足跡が、床に付く。見れば自分が穿いているスニーカーの跡もくっきり付いていた。
……ついでに、転んだ跡も。
「ここは……」
『キュウウ!』
再びつるのムチ。目の前のテーブル横にある引き出しの一つを、必死で開けようとしている。長いこと開けられてなかったせいだろうか。その天然の木で作られた引き出しは染み出る樹液で固まっており、ビクともしない。
だがツタージャは気付かない。しまいにはタンス本体がガタガタと音を立て始めた。
「ストップ!」
不満げな顔をするツタージャを抱き上げ、テーブルの上に乗せる。自分で引っ張ってみたが、やはり動かない。
仕方ないので持っていたペンケースからカッターナイフを出し、境目に刃を擦り付ける。ガキン、という嫌な音がした。何とか引っかからずに刃が通るようになってから取り出す。
銀色に輝く刃は、見事にジグザグ状の割れ跡が入っていた。もう使えないだろう。
幾許かの虚しさを感じ、ミドリは使い物にならなくなったカッターナイフを机の上に置いた。続いて引き出しの取っ手を引っ張る。
刃を犠牲にしたおかげか、それは先ほどとは比べ物にならないくらいスムーズに開いた。
「……何だこれ」
古い、古いノートとスケッチブック。最近雑貨屋に増えてきたアンティーク風にデザインされたノートよりも、よっぽど年季が入っているように見える。色あせ、開いて見た中の文字はかなり薄くなっていた。
スケッチブックを傍らに寄せ、ノートの文字を見る。ツタージャにも見せようかと思ったが、しきりにスケッチブックを漁っているので放っておく。
「えー、なになに……って、英語!?」
日本語ではなかった。授業で習っていない単語のオンパレード。それでも今までの経験値とこの家の雰囲気からヒントをもらい、頑張って分かる単語を組み合わせていく。
一ページ読むのに五分。その日記は約二十ページあった。×五で百分。一時間と四十分。そういうわけで、ようやく納得できる翻訳を終えた時には既に西日が窓から差し込んでいた。
立ちっぱなしで棒のようになった足を擦る。埃だらけの椅子を持っていたティッシュで拭い、座る。机に突っ伏して、内容を反芻する。
「ツタージャのご主人様の、家なんだね」
『キュウ』
「ん?」
ツタージャがスケッチブックから一枚の紙を取り出し、私に見せた。良く見ればそれは紙ではない。いや一応紙の分類に入るのかもしれないけど、色あせた画像のオプション付き。
今とあまり変わらない服装の男女が立っている。撮影場所は多分この家の前。その真ん中にツタージャ。写真の状態から見て、二十年くらい前のようだ。
日記の内容と照らし合わせて再び考える。
その日記は、このツタージャのご主人が、自分が死ぬ前に書き記した物だった。
時は三十年ほど前。その男は、デザイナーとして世界中を回っていた。カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ。同じ場所に一年留まることなく、まるで風のように居場所を変え続ける。――いや、居場所なんて求めていなかったのかもしれない。新しいデザインのネタとなりそうな噂を嗅ぎ付ければ、たとえどんなに遠い場所でもすぐに向かう。そんな生活をしていた。
そしてそんな生活の中で、彼はふとしたことから伝説のポケモンに魅入られてしまった。神話や昔話だけに登場し、気まぐれに人間の前に姿を現す、希少な存在。それは何処の地方へ行っても伝わっており、その話をする人間の瞳は輝いていた。どんなに歳を取った者でも、それを口にする時その瞳は子供のように輝く。
そして、その男もそうだった。
彼は旅の途中で出会った女性と結婚し、彼女と共に各地の伝承や昔話が書いてある本を求めて回った。理由は一つ。想像図で描かれた伝説のポケモンを、何らかの形で残したいと思ったから。
その形は、彼の職業によってすぐに成すこととなる。
それが、ステンドグラスだった。
想像だけで描かれた物も多く、細部などはなかなか納得のいく物ができず、作っては壊しの繰り返し。それでもやっと、ほとんどのポケモンをモチーフにしたそれを作り上げた。
さて、少し落ち着いたかと思った彼の耳に飛び込んで来た、新しい情報。それは、イッシュ地方の英雄伝説だった。
理想と現実。対立した二人。それぞれについた、黒と白のドラゴンポケモン。
男はすぐさまイッシュに飛んだ。愛する妻と共に。ツタージャとはそこで出会ったようだ。育て屋の主人と知り合い、タマゴを分けてもらったのだという。
特に戦わせることなく、だが一緒に本を読んだりしたおかげで思考回路だけは発達したようだ。その気になれば仕事を手伝ってくれたりもしたらしい。
だが、イッシュに来てから三年目の冬に妻が倒れた。長い間連れまわしていたせいで彼女の体には病魔が巣食っていた。
我慢強い性格ということに気付けなかった男は、仕事を放り出して妻の看病をした。だが妻はステンドグラスの完成を望むと言い残して息を引き取った。
悲しみに暮れていた男だったが、妻の最期の言葉を思い出して再び英雄伝説を調べ始める。気付けばイッシュに来てから五年が経過していた。
そして、やっと完成したというところで男は倒れる。彼の体にもまた、病魔が巣食っていた。
死を予感した男は、一匹で残されてしまうツタージャを思い、死の床で手紙を書いた。それは遺言状だった。
内容は――
「『このツタージャが認めた者は、自分の今まで造り上げたステンドグラスの所有権を持つ。その人間が現れるまで、作品は全て何処かの場所に保存しておくこと』」
昔からの知り合いに頼み、全ての遺産を使って保存しておく場所である小さな家を建てた。
ツタージャを任せ、彼が素晴らしいパートナーにめぐり合えることを祈った。
そして、息を引き取った。
日記に書かれていた文は最後の方が震えていた。おそらく最後までペンを握っていたのだろう。
「……」
ツタージャの瞳は綺麗だ。だが、その目が主人の最期を見ていたのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。
明日が分からない世界に、自分は生きている。たとえば家に帰ったら両親の訃報がメールで来ていたり、今こうしている瞬間に巨大な地震が起きて死ぬ―― なんてことも考えられないことではないのだ。
『ありえない』と言い切れない。
それが、怖い。
――だけど。
「『ありえない』そんな言葉通りの世界なら、きっと君は私をここに連れて来る事はなかったんだよね」
『……』
「ううん。きっと、会うこともなかった。私を垣根の上から見つけて、私が貴方を見つけて、目が合うことも―― そしてここまで発展することも」
何が起きるか分からない。未来は、何が起きるか予測できない。
――だから、面白い。そう思いながら生きれば、きっとアクシデントも乗り越えられる。
そう、信じたい。
「……ご主人のこと、好きだった?」
『キュウ』
「私は、ご主人にはなれない?」
『……キュウ』
予想していた言葉。私だって、この子の『ご主人』になる気はない。だから。
「じゃあ、私と『友達』になってくれる?」
そっと右手を差し出す。『友達になってください』なんて言うことはないと思ってた。だって友達は自然に作るものだと思ってたから。
でも今なら分かる。
この仕草って、恥ずかしいけど……。
『キュウウ!』
なんだか、嬉しい。
ツタージャの小さな手と、私の人差し指が繋がった。
ガタガタという音と共に、窓が全開になった。
驚く私達をよそに、カーテンが海風に煽られて広がる。
一人と一匹の影が、夕方近くの太陽に照らされていた。
「――浜辺を散歩してから、帰ろうか」
私の言葉に、ツタージャは目を閉じて頷いた。
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『ソラミネ ミドリ』
誕生日:12月4日 射手座
身長:154センチ(中二) 156センチ(高三)
体重:51キロ 53キロ
在住:イッシュ地方 ライモンシティ
主な使用ポケモン:ツタージャ(中二) ジャローダ、フリージオ、あと何か水タイプ(高三)
性格:れいせい
特記事項:両目とも近視。祖父は官房長官。叔父は監査官。父は世界的に有名な科学者。母はフラワーアレンジメント。
きなりの キャラで かなり しょきから いる。
めがねをしたり はずしていたり デザインが おちつかない。
あいぼうは ねいろさんの もちキャラである コクトウさん。
まさに あいぼう。
はくしきだが だんじょかんけいには うとい。
レディ・ファントムが からむと あつくなる。
めさきのじけんに とらわれて たいせつなものを みおとす タイプ。
あるいみ しあわせなこである。
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『紀成』から『神風紀成』になったのと、高校入学の年から卒業の年まで来たので、リメイクしてみた。
ついでに途中から来た人は知らないであろううちのキャラのプロフィールを載せてみた。
もう少し続ける予定。