「ねぇお父さん」
その呼び掛けに当たり前のように一匹のマッスグマがこちらを振り向く。この現象は何ら不思議ではない、何故なら私は彼に向かって声を掛けたのだから。
「今日晩ご飯何がいい?」
お父さんはクルルと喉を鳴らすと座布団から立ち上がり、冷蔵庫からゴスの実をいくつか持ってきた。彼の好物である。
「分かった、じゃあこれでサラダ作るね」
そう言うと、満足気な顔で座布団に戻って行った。今日の夕飯の一品はゴスの実サラダに決定。あとは適当なお惣菜と白米でいいだろう。
「あ、お皿とか茶碗準備しておいてね」
私は居間で寝転ぶお父さんが何か反論するように低く唸るのを聞き流し、キッチンへ向かった。
言っておくが私はれっきとした人間であり、ジグザグマやその他卵グループりくじょうの生き物ではない。由緒正しい人間には間違いない。私の知りうるところでは。では何故あのマッスグマを「お父さん」と呼んでいるのかと問われれば、それはもう涙なしには語れない深い事情が…。ということもない。ただ、数年前に突如トレーナーだった母親が失踪し、家に帰ると卓上に「お父さんと仲良く暮らしなさい」というメモと、その傍らに一匹のマッスグマが鎮座していただけである。その日から私は彼を「お父さん」と呼び、こんな感じで一応仲良く暮らしているわけだ。
母は腕の良いトレーナーではあったが、短気というか飽き性で、元々ひとつの場所に留まっていられない人だった。私が大きくなる頃には地方を股に掛け、あちこちを旅していたので家を空けることはよくあった。ジムバッヂ3つで飽きたなどと言って中途半端に帰ってきたり、そのくせ数ヶ月後に何を思い立ったか続きがしたいと旅に出る。そんな人だった。父親はこんな母親に愛想をつかして、とうの昔に違う女に付いていった、とは母から聞いた話である。
居間からお父さんのクルルルルという呼び声が聞こえハッとした。ボーッとして手を止めていたようだ。おい、遅いぞ飯はまだかと言われているような気がする。急いでゴスの実サラダと冷蔵庫のお惣菜を持っていくと、ちゃぶ台に二人分の茶碗と取り皿、私の分だけの箸が置かれていた。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してた。お待たせ」
座布団を移動させご飯のときの定位置につき、準備万端で私とサラダとお惣菜を出迎えている。向かい側に座ろうとすると茶碗を鼻でつついて私を見つめる。
「あ、お米」
すっかり忘れていた。慌ててご飯をよそう。ごめんって、と言えば訝しげな顔でグルルルと小さく声をあげられた。しっかりしろよとでも言いたげな様子であった。
毎回お父さんとの会話は当てずっぽうだ。ポケモンの言葉は人間の私には分からない。本当に言わんとしていることは違うかもしれないけれど、今までこの方法でやってこれているのだ。私の解釈は大きく逸れてはいないんだろう。多分、恐らくきっと。
「ああそうだ、お父さん。聞いて欲しいことがあるんだ。ご飯食べながらでいいから」
おっといけない、このまま切り出せずにいては何のために今日の夕飯リクエストを聞いたか分からない。ご機嫌とりもそこそこに、本題に入らなければ。サラダが気に入ったようで、食べるのを止めず目線だけが向けられる。然も重大そうに話しては、途中で逃げられるかもしれないので軽くいこうと関を切った。
「あのね、紹介したいひとがいるんだけど」
瞬間、ごふぅという音と共にお父さんがフリーズした。口からゴスの実出てますよお父さん。こちらを凝視する顔は、ノーマル技しか覚えていないときにうっかりゲンガーにでも出会ってしまったときさながらであった。細くクルル…と鳴る喉は、嘘だろ…とでも言っているのだろうか。
「タカアキさんっていうの。今会ってもらおうと思えばすぐにでも出てきてもらえるから。それで少し話を…」
続けた途端、机を前足で叩き大きな音で私の言葉を遮った。ギャウギャウと口から食べ物を飛ばしながら吠える。興奮しすぎていて、これが人間の言葉であってもなにがなんだか理解出来なさそうな勢いだ。今まで何で黙ってたとか、突然すぎるとか、とにかく怒りと惑いが伺える。私はまだギャウギャウ吠え続けるお父さんに負けず声を張り上げる。
「もう、決めたの。私が腹を括ったんだからお父さんも覚悟決めてもらおうと思ってる」
ぎっと睨み付けて言えば、吠えたままの口の形でぽかんとしていた。そのまま強く睨み続けると、目を泳がせてちゃぶ台から前足を下ろし大人しく座り直した。その表情は大変に不服そうではあったが、落ち着いて話を聞いてはもらえそうだ。
「準備してくるから、ここで待ってて」
私はそんなお父さんを居間に置いて、自分の部屋に入った。そこにはタカアキさんが心配そうな顔で座っている。さっきの騒ぎを聞かれてしまったようだ。私は無言でタカアキさんの手を握り、頷く。よし、行こう。彼と一緒に足早に自分の部屋を出て、居間に戻るとお父さんは背を向けていた。
「お父さん」
呼び掛けても背を向けたままだった。そんなことをしても私の気持ちは変わらない。
「こっち向いて。ちゃんと聞いて」
お父さんはゆっくりとこちらを向いた。床を見つめるその目が、これまたゆっくりと私たちを見上げる。と、同時に。すごく、ものすごく驚いた顔になった。口をパクパクして、酸欠のトサキントのようだ。
「お父さん、彼がタカアキさん。私のパートナーになるの。よろしくね」
私は隣に緊張の面持ちで構えるザングースのタカアキさんをもう一度しっかり紹介した。お父さんは未だ声を出せずにいるようだ。とりあえず、吠えつきはされなかったので本題を続けた。
「私もね、旅に出ようと思うの。リーグ挑戦、本当はずっと夢でね。いつかは行こうって思ってたんだ。それでこの前タカアキさんを捕まえて…ずっとお父さんに黙ってたの。ごめんね」
お父さんは、みるみるうちに安堵の表情になっていった。なんとも人間のようなため息をつき、長く弱々しい唸り声を出していた。突然の宣告にも関わらずタカアキさんにはウェルカムな雰囲気を全面に出すように挨拶をしている。さっきまでの態度は何だったのか。そして何故、お父さんは少し涙目なのか。でもお父さんとタカアキさんが仲良くなれそうでよかった。
いや、安堵している場合ではない。一番聞いて欲しいことはここからだ。私は背筋を正し、グッと力を込めお父さんを見た。
「それでね、あの、この旅に…お父さんも一緒に、来て欲しいの」
渾身の力を振り絞って放ったはずの声は少し震えてしまった。お父さんが私を見据える。
「だってお父さん、本当はお母さんのポケモンでしょ?だから、お母さんを待っていたかったらいいの。でも…お父さんさえ良ければ…一緒にリーグ制覇、したいなって」
思って、まで言ったつもりだったけれどなんだか怖くなって口をつぐんでしまった。そうなのだ。お父さんは元々母の手持ちで、ID表示は母のものが登録されている。私が共に歩みたくても、拒否されてしまったらそこまで。所詮私はお父さんの本当の名前すら知らない、只の捕獲者の娘。パートナーの絆はそこにはない。
しばらく私を黙って見ていたお父さんは居間を飛び出し、母の部屋に入っていってしまった。…これが彼の答えということ。こういうこともあるはずだと腹を括って覚悟を決めたはずの私は、しゃがみこんで涙をこらえるので精一杯だった。泣いてはいけない、ほらタカアキさんも困ってる。それでも流れる涙は止まらない。
クルルルル
近くでお父さんの声がした。恐る恐るその方向を見れば、モンスターボールをくわえたお父さんが座っている。それを私の手に押し付けて、早く受け取れと言わんばかりだ。
「…いいの?一緒に来て、くれるの?」
グゥ、と唸るお父さんはまるで当たり前だろうとでも言うような、ここ最近で一番の満足気な顔だった。ボールを受け取ると、その顔のまま何事もなかったようにちゃぶ台に戻りサラダにがっつきだした。私もタカアキさんに涙を拭われながら食事に戻る。少しばかりお父さんの態度変化の謎が残るが、まあ気にしないことにした。
明日、誰かさんのように卓上メモを残して旅立とう。鞄とパートナーと、お父さんを連れて。
『お父さんと仲良くリーグ制覇してきます』
____________________________________________________________
描いてもいいのよ
書いてもいいのよ
題名考えてくれていいのよ←
数年前にちらっとお邪魔したきりだったのですが、何かネタ降臨したのでまたしてもお邪魔させていただきました。
これでもポケライフっていうんでしょうかね…