昔むかしのことです。
秋津国(あきつくに)の南、豊縁と呼ばれる土地の西の海には小さな島がいくつも点在しておりました。
大きな島、小さな島、人が住む島、住まぬ島、海鳥の休む島、おいしい木の実のなる島、様々ございました。
その島々に数えられるうちの一つに、穏やかな波の豊かな漁場に囲まれた島がありました。
島の名を喜凪(きなぎ)と言いました。
その島では人々が暮らしておりました。
彼らは日々、海の命を頂いて暮らしておりました。
喜凪の島に住む人々は、優れた漁師でありました。波をかきわけて、島から島まで泳ぐことが出来ました。長く長く息を止め、深く深く潜ることが出来ました。もちろん船を漕がせても非常に速いのです。彼らは海の風が吹く方向を知っておりました。一見粗末に見える船の帆でも彼らが手にすれば巧みに風を捕まえました。彼らの乗る船は生き物のように波間を走りました。そうやって魚や貝を手に入れ、日々の糧としておりました。
そんな彼らには年に二度ほどの特別な日がございました。その日の満潮になるといつもと違う漁をいたします。島の者が残らず海に出、皆で大きな浮鯨を獲るのです。
浮鯨はとにかく巨大でした。その大きさといったら人々の乗る船の何倍も何倍もありましたから、その大きな浮鯨が捕れるとしばらくは漁をする必要がありませんでした。彼らは祭りを開き、周辺の島々にその肉を振舞って回りました。絞った油は暖や灯かりといたしましたし、すっかり肉を食べた後は、その骨を家の材料や漁の道具の材料に致しました。
そうして彼らは海の神様に感謝を捧げました。浮鯨は神様が使わした最もありがたい恵みでした。だから島の人々は浮鯨の肉、油、骨に至るまでそれを粗末にしませんでした。獲られた鯨の一匹一匹は形こそ残りませんでしたが、祭りの最後の日になると向こうの世界に行くための特別な名を与えられて、彼らの手によってねんごろに弔らわれました。
そんな人々が暮らす喜凪には、いつもゆったりとした時間が流れておりました。
ところがある日を境にして、だんだんと島の様子はおかしくなっていきました。
それはこの島に豊縁本土から青い衣を来た商人がやってきてからでした。
彼は何か儲かるものは無いか、本土に高く売れるものはないか、そんな魅力的な商材を探しにこの島までやってきたのでした。
そうして彼が目をつけたのが、浮鯨でした。
その時から彼らの時間は変わってしまいました。
気がつけば島の人々は毎日のように船を出し、総出で漁に出ています。船を操って、片手に大きな黒い銛を持って、目を皿のようにして、青い海の中に巨大な影の姿を探しているのです。巨大な影を銛で突こうと、船を走らせているのです。皆が皆とても忙しそうな様子なのです。
それになんだか島が汚れてきました。大きな大きな骨があちらこちらに散乱しております。それは忙しさの余り弔いをされることなく野に晒された浮鯨の骨でした。骨は使われることもなく、綺麗にされることもなく、その周りに腐肉をつけたままでした。ですから、うち捨てられた彼らの墓場からは腐臭がいたしました。
島の上では獲ってきた浮鯨をせっせと人々が解体しております。そうしてまっさきに頭を裂くと油を絞りました。人々の一番の目当ては浮鯨からとれる油でした。その油を容器に詰めて蓋をし、せっせと船で本土へと運びました。本土では今、油が高く売れるらしいのです。
それは夜の路や町を照らす照明にもなりましたし、松明にもなりました。さらには鉄製のからくりの部品の間にこの油を差すと大変に動きがいいというのです。
人々は自分達が食べる分よりも多くの浮鯨をとりました。余った肉は同じように本土に運びましたが、その途中で多くは腐ってしまうものですから、やがて海に棄てるようになりました。しまいには肉を諦めて、油だけを絞って残りの多くを打ち捨てるようになったのです。油だけを絞られたその残骸が、無残に島に転がったのです。
商人は島に様々なものをもたらしました。鉄製の銛や、島では織ることの出来ない布、島では収穫出来ない穀物、様々なものを持ち込みました。そうしてそれらの品物と引き換えに、鯨の油を所望しました。
島の暮らしは日に日に豊かになりました。その象徴が灯台でした。灯台では毎夜毎夜、消えることなく鯨油の火が燃えておりました。
けれどそうしているうちにだんだん浮鯨が獲れなくなりました。たくさんたくさん獲っておりましたから、数が減ったのです。けれども商人や本土は油を求め続けました。けれども日を追うごとに浮鯨はとれなくなりました。
「もう浮鯨はとれん。これ以上とったらいなくなってしまう」
島に住む人々の中からこんな声が上がりました。とくに年老いた者達はそのように言いました。けれど青い布を纏った商人は答えます。
「今、油を切らすわけにはいかん。我らが長がこの油を求めておいでなのだ。赤との戦に勝つためにはこの油が必要なのだ」
そうしてこう続けました。
「浮鯨が獲れぬのなら玉鯨(たまくじら)を獲ればよい」
人々は、お互いの顔を見合わせました。本来、浮鯨は年に何度かだけ獲ることを許された特別な存在でした。玉鯨は浮鯨の子ども。将来の浮鯨です。子どもには手を出さないのが彼らの暗黙の掟だったのです。海の神様に誓った約束だったのです。
けれど商人が言いました。
油がとれないのなら、鉄製の銛も、美しい布も、穀物もやらないと、そう言ったのです。
すっかりモノのある生活に慣れきってしまっていた島の人々はついに禁忌に手を染めてしまいました。何頭もの玉鯨に銛を突き刺して、浮鯨の重さになるまでとったのです。人々は玉鯨の油をしぼって、その屍を島の上に積み上げました。
「なんということだ。今に恐ろしいことになる」
島の老人の誰かが言いました。けれど誰も耳を貸しませんでした。
島に異変が起こったのは次の日、島の人々が総出で海に出た時でした。不気味な轟音が響き渡って、喜凪の島が大きく大きく何度も何度も揺れました。島が揺れて津波が起きました。漁に出ていた船が沖に流されました。大洋に流された人々はそこで信じられないものを目にいたしました。
さきほどまで自分達がいた島が大きく唸って、のけぞりました。灯台がぼきりと折れて、海中に崩れ落ちました。海中から大きな尻尾が出て、海面をばしゃりと叩きました。その巨大な尻尾は浮鯨のそれでした。尻尾は島から生えているように見えました。
その時、人々は知りました。
自分達の暮らしていた島がとてつもなく大きな浮鯨だったと知ったのです。
目を覚ました喜凪島は、大洋に向かって漕ぎ出しました。決して振り返りませんでした。やがて島は水平線の向こうへ消えていきました。
巨大な浮鯨を誰も仕留められませんでした。今あるところに留めることも出来ませんでした。海にわずかに残った浮鯨、玉鯨も島についていなくなってしまいました。
こうしてかつて喜凪島があったところは、鯨達が去った後の廃材と、ゆらゆらと揺れる水面ばかりが残されたのでした。
島がまるごとなくなって、鯨達がいなくなって、油を求める商人はいなくなりました。もう鉄製の銛も、きれいな布も、穀物も手に入りません。それどころか足をつける地面もありません。人々は水面に浮かぶ廃材と自分達の船を繋ぎ合わせて、海草で縄をつくって海底にそれをくくりつけて、海上で暮らしはじめました。
何もかもを失ってしまいました。
けれどゆったりと流れる時間だけは戻って参りました。
人々は昔のように、小さな魚や貝をとって細々と生活を始めました。
ホウエン地方の西の海。その洋上に浮かぶ町、キナギタウン。
今になってもキナギの人々は去ってしまった自分達の島を洋上に探すことがあるそうです。けれど、運よく島を見つけても、島は一日も経たないうちに水平線の向こうに姿を消してしまうのだと言います。
現代の人々はその島を「まぼろしじま」と呼ぶそうです。