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  [No.2869] ヘルガーは来ない 投稿者:クロトカゲ   投稿日:2013/01/30(Wed) 00:33:49   108clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

『ヘルガーが来たぞ!』

 その声を聞いて集落は恐怖に包まれる。

『ヘルガーが来たぞ!』

 見張りの少年の声を真似て、ペラップは何度も鳴きながら飛び回る。
 その集落はメリープを育てる遊牧民のコロニーだ。そんな場所にヘルガーはやってくる。ヘルガーはその牙や爪、炎を使って人々やメリープを襲う。
 大事な物を纏めて、もしくは何一つ運ぶこともできず、メリープと人々はその場から一目散に逃げる。
 一人残らずに逃げ切ったところ、前々から決まっていた避難場所で皆が冷静になったところ、最後の一人が現れる。危機を知らせたペラップを肩に乗せ、皆のことを見回しながら少年は満面の笑みを浮かべた。その時だけ少年は笑う。


 ヘルガーは来なかった。


 少年の両親はヘルガーに食べられてもうこの世にいない。天涯孤独になってしまった少年をある親子が引き取って育てた。同じく妻をヘルガーによって失っていた男も、同い年の少女も、少年を新たな家族として迎え入れて精一杯の愛情を与えたつもりだった。
 少年は男の言いつけを守り良く働いた。しかし少年は笑わなかった。幼くして両親を亡くしたのだ。無理もないと思いながら親子は特に変わらずに少年に接した。しかし、集落はそんな少年に最初こそ同情したものの段々と気味悪がるようになった。少年が熱心に働けば働くほど集落の心は離れていくようだった。
 ある日、少年の働きが一人前と認められた時、集落はある決定をして少年に仕事を与えた。
 見張りだ。
 集落の端で放牧を行い、異変が起きればそれを皆に知らせる。重要な役割だ。そしてそれは危険な役割だった。
 少年の父親代わりの男は異を唱えた。そんな危険な役を押し付けるのか、一人前に認められたとはいえまだ子どもではないかと。しかし少年は極めて平静に言った。僕がやります、と。


 ある日、ペラップが集落を飛んで回った。少年の声で「ヘルガーが来たぞ!」と何度も鳴いて飛び回った。皆は少年がペラップを使って危険を伝えたのだと思い、メリープを連れて一人残らず逃げた。しばらくして少年が姿を現した。幸い、誰一人ヘルガーの餌食にならなかった。
 それからしばらくして同じようなことが起きた。また犠牲者は出なかった。しかし集落に戻ったところで誰かがおかしい、と言い出した。ヘルガーを誰一人見ていないというのだ。そしてヘルガーが来た形跡すらないと言ったのだった。ヘルガーはほのおポケモンだ。少年の親が犠牲になった時も、それ以外の時も、集落で火事や焼け焦げた跡があった。しかしこの前も今回もそれが無い。その時はおかしいと思わなかった者達も、再びペラップが『ヘルガーが来たぞ!』と飛び回り、何も起きなかったことに不信を抱いた。そして誰かが少年に聞いた。

 「どこも燃えてないのか。ヘルガーはここまで来なかったのか?」

 少年は笑った。誰もが始めてみる満面の笑みを浮かべるだけで、何も言わなかった。


 平穏が続き、忘れた頃にそれは繰り返された。そんなことが何度か続いた時、誰かが言い出した。

「アイツは我々にヘルガーが来たと嘘をついてからかっているんだ! 嘘をついて逃げ回っている俺達を見て笑っているんだ!」
「アイツは集落の者を恨んでいるんだ! 自分の両親が食われたのは我々の所為だと思っているんだ!」

 人々は段々少年に不信感を募らせていった。



「寒くない?」
「うん」

 夜風に当たる少年の元に少女がやってきた。頬を押さえる少年を見て彼女は溜息をつく。濡らしたハンカチを手渡して彼女は言う。

「またお父さんに殴られたの」
「うん」
「どうせ『だって』とか言ったんでしょ?」
「『言い訳するんじゃねぇ!』ってさ」
「あなたはペラップとは違って物真似の才能はないわね」

 少女が薄暗いながらも彼の腕や脚に痣があるのを見つけた。父の仕業だろうか? いや、きっとそうではないのだろうと思った。少年を良く思っていない連中の仕業で、そのことが原因で口論になったのだろうと推測した。

「ねぇ、ペラップに『ヘルガーが来た』って鳴かせるのは止めなよ」
「どうして?」
「もし、ヘルガーが来なかったらどんな目に遭わされるか――」
「君はヘルガーが来た方がいいって言うのかい?」
「そんなことあるわけないでしょ!」
「じゃあ、僕は止めないよ」

 そう言って、彼は家に戻っていった。
 少女は、本当は見張りなんて辞めればいいと言いたかった。
でも言えなかった。
 少年が見張りを辞めたら誰が見張りをやるのか。辞めろと言ったら「じゃあお前がやれ」と言われるのが怖かったのだ。それは彼女だけではない集落の皆が思っていることだった。だから少年はずっと見張りをさせられている。
 我が身の可愛さに何もいえない自分が情けなくて、悲しくて、少女の目から涙が溢れた。
 それでも家族である自分だけは少年を信じなければならないのに、人々が逃げ回った後だけ見せる彼の笑顔を見ると、彼女は何にもわからなくなってしまうのだった。


 そして、またペラップが集落を飛び回る日が来た。

『ヘルガーが来たぞー!』

 ペラップが飛び回りながら叫ぶ。何ども叫ぶ。
だが集落の者は誰一人として慌てる者はいなかった。

「またか」
「全くしょうがないやつだなアイツは」

 誰一人として逃げる者はいなかった。皆は少年にどんな言葉をかけてやろうか考える。今度は騙されなかったぞ、と笑いものにしてやろうという者もいれば、今度こそ足腰立たなくなるまでぶん殴ってやると息巻く者もいた。
 ヘルガーは現れなかった。そして少年も現れなかった。
 夜になっても朝日が昇っても、次の日も、そのまた次の日になっても帰ってくることはなかった。
 それから数日して少年が放牧していた場所の近くで、焼け焦げ食い散らかされた少年らしき亡骸が見つかった。近くにペラップが飛んでいて間違いないとされた。集落の皆は新たな見張り役が選ばれることを恐れ、その見張りは同じような目に遭うのだと思い、憂鬱になった。因果応報だと少年の死に悲しまなかった。親子を除いては。


「お父さん、飲み過ぎよ」
「うるさい」

 枯れた声で娘が制止しても男は酒を飲むのを止めなかった。男はその日、朝からずっと酒を飲み続けている。

「もう、その辺にしておいてよ。私、水を汲んでくるわね」

 娘が出て行くと、男は空になったコップに酒を注ぎながら、テーブルの上で豆をつまむペラップを見た。

「お前の主人は馬鹿なヤツだったよ」

 呂律の怪しい男の声を聞き、ペラップは男をじっと見た。それが妙に癪に障り、男は紅い顔をさらに真っ赤に染めてテーブルを叩いた。

「テメェの主人は大馬鹿野郎だっ!」

 大きな音と声に驚きペラップは飛び上がった。そして男の頭上を羽ばたいてぐるぐる回ると大きな声で鳴いた。

『ヘルガーが来たぞ!』

 少年の声でペラップは何度も言う。

『ヘルガーが来たぞ! ヘルガーが来たぞ!』
「止めろ」
『ヘルガーが来たぞ! ヘルガーが来たぞ!』
「止めろって言ってるだろう!」

 男は中身がまだ入っているコップを投げつけました。直撃し、落ちてきた所をさらに男は殴り、ペラップは壁に叩きつけられました。

『ヘルガー……ヘルガー……』
「まだ言うかこの――」

 男が再び怒鳴り声を上げようとした時、ペラップは少年の声で言った。

『ペラップ、早く行くんだ』

 男は動きを止めた。それは初めて聞く言葉だった。

『早く行って みんなに知らせるんだ』

 羽を広げたまま息も絶え絶えにペラップは言う。

『ここは通さない ヘルガーめ 僕の大切な人達に近づけさせるものか』
「おい、何を言ってるんだ――?」
『あっちへいけ 絶対に通すものか おいペラップ何やってる 早くみんなに知らせるんだ早く』

 男は知っている。ペラップは聞いたことしか物真似ができないことを。少年が会話しようとどれだけ喋っても、聞いたことをオウム返しに喋ることしかできなかったことを。

『ペラップ 帰ってきたのか でも下手を打ったかな いつもみたいにいかなかった いや いつもが運が良かったのかな? 大丈夫 先に行けよ もう 不思議と痛くないんだ もう少し休んだら行くよ』

 それが何なのか想像することはたやすいことだった。
 そう、これはペラップが聞いた少年の言葉。

「そんな馬鹿な――」
「どうしたのお父さん? そんなところに突っ立って」

 顔を向けると入り口に少女が立っていた。彼女は部屋を見回すと驚き、水の入った桶を乱暴に置くと壁際に伸びているペラップに駆け寄った。

「ちょっとお父さん! ペラップは何も悪くないでしょ! 急いで手当てしないと!」

 治療道具を急いで取ってくると娘はペラップの手当て始めた。

「そうだ悪くない」
「え?」

 少女は父の呟きが聞こえて思わずその顔を見る。まるで生気の無い表情でどこか遠くを見ていた。

「ペラップも、あいつも悪くないんだ……」

 男は気が抜けたように座り、そのままテーブルに突っ伏した。そして両手を握ると、何度も何度もテーブルに打ち付けた。

「ヘルガーが来なかった時俺達がするべきは怒ることじゃなかったんだ! そんなことじゃなかったんだっ!」

 肩を震わせ叫ぶ彼に娘は何も言うことはできなかった。ただ、彼女の側でペラップが『馬鹿野郎』と男の声で小さく鳴いた。


 その集落でペラップが『ヘルガーが来たぞ』と少年の声で鳴いて飛び回ることは二度と無かったという。