最初にケイに会った時、彼女はまだ三歳だった。生まれて来た幼い弟の世話に母親がかかりっきりになって、寂しくて家を飛び出して森に行って、迷子になっていた所を俺に見つかった。
その時俺はとんでもなく寂しかった。進化した途端、周りのポケモン達は怯えて近寄らなくなった。俺だって好きでこんな姿になったわけじゃない。これは種族なんだ。
こんなにごついのも、牙が鋭いのも、凶悪な顔をしているのも。
顔はぽかんと呆けて、涙はショックで止まっていた。また泣き出すかと思ったら、とりあえず敵意が無いことを知ってもらおうかと思ったのか、抱きついてきた。
そいつはケイと名乗った。その後で何故森に来たのかを話してくれた。幼い子供ならではの理由だった。
『弟なんていらなかったのに。私だけのママでいて欲しかった』
そんなことを聞いたら母親はきっと悲しむだろう。二人共自分の大切な子供なのだ。人間は気楽だ。俺たちのように、いつ離れ離れになるかそんなに心配する必要がないのだから。
『あなたは、どうしてここにいるの?』
生憎俺は向こうの言葉を話せなかった。沈黙が続く。破ったのは、彼女の名前を呼ぶ声だった。
『行け』
そう言ったつもりで唸ると、彼女はヒッ、と短く悲鳴を上げて駆けていった。しばらくして、遠くから泣き声と安堵の声が聞こえた。
それからも時々ケイは森に来るようになった。俺との身長差は約一メートル十センチ。会うとまず俺はケイを頭に乗せて森の奥を案内した。人間では行けない場所でも、俺なら楽に進むことができる。
ケイは見る物全てに目を輝かせ、遭うポケモン全てに声をかけた。
見知らぬ子供を頭に乗せる俺に、彼らは不審の目を隠さなかった。まあ仕方ない。だがしばらくすると危害を加える気がないと分かったのだろう、向こうから少しずつ近付いてくるようになった。
最初は俺の進化前を知っているポケモン達から。続いて彼らの姉弟。そして親。
人間がポケモンを扱えるのは十歳になってからだという。だが彼女は若干四歳ちょっとにして俺を手懐けた。
ベテラントレーナーでさえ手を焼く、と言われる種族の俺を。
ケイは話が上手だった。話していて気がつけば沢山のポケモンが周りに群がっている。皆人間の世界に興味があったのだろう。この辺りの森は俺たちの種族が生息しているということで、密猟者以外は誰も近づかない。
その密猟者もかなり入り組んだ森に迷い、俺たちにたどり着けないまま帰ることがよくあった。
時々彼女は家から本を持ってきて朗読した。大好きな童話だと言って、何度も話した。そのおかげか俺は内容を覚えてしまった。
『おやすみ そここできこえるおとたちも』
『だいじょうぶ、だいじょうぶ』
『ちいさなうさぎ、わたしがだれだか わかりますか』
ケイは同い年の子供の中では、一番初めに文字の読み書きを覚えた。幼稚園の掲示板に貼られたプリントの文字を読み、大人を驚かせた。
やがて小学生になったケイは、あまり森に来なくなった。それでも土日になると必ずやってきて、教科書の物語を読んでくれた。
『天まで とどけ いち、にい、さん』
『ぼくが 目に なろう』
『それは 先回りをしていた トルトリだったのです』
『一つだけちょうだい』
『一匹おくれたのがいる』
その日が来たのは、当たり前だったのかもしれない。十二月の寒い日だった。ケイは目を腫らして俺たちの元へやってきた。
『ごめんね。バレちゃった』
彼女は受験を控えていた。私立の中学に行くのだという。隙を見ては俺たちに会いに来ていたのが、ついにバレてしまったのだ。
俺は寒さで動かない体を起き上がらせた。ロコンが焚き火をした。温かい火が俺たちを照らした。
『多分、最後になると思う』
そう言って彼女は読み始めた。それは戦争の話だった。今となっては、最後の部分しか思い出せない。
『じいちゃんが、母ちゃんを探してヒロシマを歩いた時、暗いヒロシマの町には、しがいから出るりんの火が、いくばんも青く燃えていたという』
『こどもを探す母ちゃんと、母ちゃんを探すこどもの声』
『そして、ノリオの母ちゃんはとうとう、帰ってこないのだ』
『青い空をうつしているヤギの目玉』
『白いひがさがチカチカゆれて、こどもを連れた女の人が遠くなった』
『川は日の光をてり返しながら、いっときも休まず流れつづける』
あれから何年が過ぎたのか。もう思い出せない。ケイは大人になった。俺の子供達も皆当時の俺と同じくらいの歳になった。
俺はもう動けない。できるのは、目を閉じてこの人生を終わらせることだけだ。
俺は目を閉じた。遠くで、協会の鐘の音が聞こえた。