七月七日、今年もライモンシティの警察署内にはレプリカの笹が飾られた。
警察の人間が、思い思いの色の短冊を選んで、笹に吊るし掛けていく。大きめの笹飾りは、あっという間に色とりどりの紙飾りに包まれた。机とか椅子とか壁とか、何かと灰色が多い警察署の片隅で、そこだけごてごてとして、明るかった。
「何だか、節操の無いドレスを着ているみたいだな」
背の高い美女が、そう言いながら自身もそのドレスに一枚投じようとしているのを、キランは黙って眺めていた。彼女は背が高いというのにその上わざわざ脚立に乗って、笹飾りの一番上に短冊を括り付けようとしている。キランの視線に気付いたのか、彼女は「何だ?」と言っていたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「いえ、随分高い所にするなー、と思いまして」
余程見られたくないのか。だとしても、普通に背伸びして括り付ければ、背の低いキランには見えないのに。それに、高所にあったとしても、いたずら者のエルフーンにでも頼めば、短冊は簡単に取られて見られてしまうだろう。そんなことをしてまで読もうとは思わないが。
気にならない、わけではないけれど。
「願い事は、知られてしまうと叶わないと言うじゃないか」
「そうですっけ?」
キランは盛り沢山の短冊を見つめた。皆、フランクに吊り下げていっている。警察の内部だけあって、内容は『事件が解決しますように』とか、『出来るだけ子供が寝る前に帰れますように』とか、そういうのが多い。キランも同じようなものだ。どれにしろ、見られて困るような願い事はない。
「あれ、違うのか? キランの故郷の風習なんだろう、これは」
不思議そうに首を傾げてから、彼女は脚立から飛び降りた。反動で脚立が揺れる。
「レンリさん、危ないですよ」
「どうなんだろう」
美女――レンリはキランの注意を無視して、笹飾りを軽く揺すった。笹はドレスを纏って踊るみたいに、さわさわと揺れる。
キランはひとつため息をついてから口を開いた。
「七夕には笹飾りに願い事を書いた短冊を吊るすと願いが叶うとか、恋人同士の織姫と彦星が年に一度、この日にだけ会えるんだとか聞きますが、願い事がバレたら叶わないとかは聞いたことありません。というかそもそもよく知りません。両親が向こうの出身なだけで、僕はこっちの生まれですから」
「うーん、じゃあ、ご両親に聞いたら分からないか?」
願いが叶うかどうか、とレンリは少し、声量を落として言った。珍しいな、とキランは思う。彼女はそういう迷信を信じない方だとばかり思っていた。
でも、それはキランの思い込みで、彼女も験を担ぐ人なのかもしれない。そう思いながら、キランは答えた。
「聞いても、願い事の話と織姫彦星の話くらいしか知らないんですよ、うちの両親。まあ、短冊に『もっとおしとやかな女の子が欲しい』って書いたら僕が生まれたらしいんで、効果は薄いと思いますよ」
言いつつ、自分の短冊を結ぶ。『事件が減りますように』うん、これでいい。
レンリはというと、「そっか」と至極残念そうに肩をすくめていた。
キランは目に痛い程、色とりどりの短冊たちを指先で突いて揺らした。
――こんなものに頼ってまで、叶えたかった彼女の願いって、何だろう。
キランの疑問に呼応するようにして、「ぷめっ」と鳴き声が上がった。「あっ、こら」レンリが伸ばした手の中に、白い綿だけが残る。いたずら者のエルフーン、キランの手持ちの一匹が、紅色の短冊を持ってキランの方にふわりと近付いた。
「ウィリデ、短冊を返し――」
レンリが言い終わる前に、短冊はキランの手の中へ。変な手触りだな、と思う間もなく、短冊をレンリに取り返された。
「見たか?」
「いえ、ちょっとだけ」
少しむくれた顔をして、レンリは再び脚立の上に登った。そして、懲りずに笹のてっぺんに短冊を括りつける。その様子を黙って見守るつもりだったキランだったが、つい堪えきれなくなって口を開いた。
「レンリさん、ケーキくらい買ったら」
「うるさいよ」
ご丁寧に、『ケーキたべたい』と書かれた面が笹の葉で隠れるように小細工をしてから、レンリは脚立を飛び降りる。その口元には、いつものいたずらっ子みたいな笑みが浮かんでいる。それで、流石のキランにも分かった。ああ、いつものいたずらだな、と。
その日の夕方、笹飾りの後片付けを押し付けられたキランは、役得ということで、レンリの書いた短冊を持ち上げながら言う。
「これ、どういう意味だろうね」
話しかけた先、キランのエルフーンは、ただ「ぷめっ、ぷめ」と鳴くばかり。「分からん」なのか「分かるけど教えてやらん」なのか、ちっとも分からない。付き合いが長いので、その二択なのは何となく分かるのだが。
『ケーキたべたい』
まさか本当に星に願ってでもケーキを食べたい、という意味ではなかろう。レンリのことだから、この短冊をみたキランがケーキを持ってくるのを期待しているか、あるいはこの願い事自体がダミーだとか……
「あ」
と呟いてキランは短冊の縁を擦る。少し段がついている。同じ色の短冊を二枚重ねて、貼り付けてあるのだ。道理で、さっき持った時、違和感があったのだ。
紙の隙間に爪を差し入れると、強い糊を使っていなかったのか、二枚の短冊はあっさりと離れた。そして、その内側に願い事が。
『母さんに会いたい』
キランは慌てて短冊を裏返した。見なきゃ良かった。
結局、キランは『ケーキたべたい』と書かれた短冊も、レンリの本当の願いが書かれた短冊も、他の色とりどりの短冊と一緒くたにして燃えるゴミに放り込んだ。笹飾りを片付ける前、一瞬だけ、『彼女の願いが叶いますように』と書いた短冊を括りつけて、その短冊も後で燃えるゴミに放り込んだ。これは、キランしか知らない願い事だ。叶うなら叶え。もう、破れかぶれだった。
「はあ」
何やってんだろうな。ため息をつく。そのささやかな呼気で、エルフーンが大げさに吹っ飛んでいってみせた。
「ウィリデの所為でしょ」
言ってから、また後悔する。興味を持たせるような、ややこしい行動をしたのはウィリデだが、あの短冊を剥がしたのはキランなのだ。
やらなければよかった。知らなければよかった。知らなければ、もしかしたら叶ったかもしれないのに。後悔ばかり募って、止まらない。
「ぷめ」
エルフーンが帰り道にある食料品店を指した。そういえば、ポケモンフーズもそろそろ買い足し時かな、と無理矢理そう思い込むことにして、キランは店に足を踏み入れた。ポケモンフーズが置いてあるコーナーへ、一直線に進む。キランが草タイプ用のポケモンフーズを物色している間、エルフーンはまたどこかへフラフラ離れて行っていた。しばらくすると、きちんとエルフーンは戻ってきた。
「おかえり、ウィリデ。それは?」
戻ってきたエルフーンは、綿に絡ませた品々を、買い物カゴの中に落として入れた。牛乳、卵(いくつか割れた)、小麦粉、生クリーム……
「ああ、そういうこと」
『彼女の願い』の内、どうでもいい方が叶ってしまっては困る。もしも気まぐれな神様かジラーチが短冊を見ていたのなら、勘違いしないように、もう片方の願い事はキランが叶えてしまわないと。出来るだけ早く、そう、明日の朝一番に、彼女にケーキを持って行こう。
「ウィリデ、何か果物も持ってきてよ」
エルフーンにお使いを頼む。エルフーンは「ぷめっ」と一言鳴くと、白い綿をひと欠片だけ残して、その場から消えた。
「これも験担ぎの一種だよね」
キランは残った卵の数を数えながら、そう、小さな声でつぶやいた。
(あとがき)
そういえば七夕だったので。