目が覚めたら、きっと。
ここはどこだろう? ふと目覚ました僕は、見慣れない場所にいた。いつものように、あの人と一緒に寝たはずだったのに。あの人の腕の中は暖かくて、気持ちよくて、ふわふわとした気分で眠っただけだったのに。ここ最近は息をするのもつらかったけど、あの時はそんなことも気にならなかった。
そういえば。今は全く苦しくない。もしかして、病気が治ったんだろうか。そしたら、あの人とまた一緒に外へ行きたい。あの人と一緒に太陽の下、どこまでも、どこまでも歩いて行きたい。ねえ、あの人はどこ?
ああ、あんなところにいた。あの人が僕の方へ歩いて来る。そっか、迎えに来てくれたんだね。ごめんね、勝手に迷子になっちゃって。もうどこへも行かないから。
ああ、ああ、なのにどうしてあの人は泣いているんだろう。僕が動けなくなってしまった時みたいに。僕が眠ってしまう時みたいに。ねえ、僕の病気、治ったみたいなんだ。だから、もう泣かないで。
ねえ、ここは変な場所だね。石がいっぱい並んでいるんだ。なんだか不気味だ。だから、お家へ帰ろう。また、一緒に遊ぼう。
なのにあの人は、僕なんか見えていないみたいに、僕の隣にある石の前にひざまずく。どうして。あの人は僕が好きだった赤い花を石の前に置く。ねえどうして、泣いているの。
あの人は石の前で長いこと動かなかったけれど、また来るからと言って、のろのろと歩き出した。
行かないで! 行かないで!
ねえ、どうして連れていってはくれないの。がんばるから。力がないならもっとがんばるから。どうかまた、傍にいさせて。お願い。
手を伸ばしても、あの人には届かない。あの人は僕を見ない。あの人は前に見た時よりもずいぶん痩せてしまった。
どうして、どうして。置いていかないで。
追いかけようとした。なのに、足は動かない。どうして。ああ、ああ、行ってしまう。あの人が行ってしまう。僕を置いて、行ってしまう。どうか、どうか。置いていかないで。
あの人の背中が遠ざかって、小さくなって、とうとう見えなくなってしまった。ああ……。
涙が出ている、とは分かるのに、頬を伝う感触がない。熱も何も感じられない。そのくせ、寒くて寒くて仕方なかった。あの人がいないからだ、きっと。
「君は、死んだんだよ」
顔を上げるとそこにいたのは、お腹に大きな口のあるポケモン、ヨノワールだった。
「死んでしまったから、もう一緒にはいられない」
――嫌だ。そんなの、嫌だ。あの人と一緒にいられないだなんて、そんなの、そんなの。
だけど、本当は分かっていた。僕が死んでいることくらい。でも認めたくなかった。また、あの人の傍にいたかった。
俯いて、また涙をこぼす僕に、ヨノワールはこう告げた。
「もし君に、覚悟があるのなら。もう一度、会える。一緒にいられる方法が、ある」
――お願い!
「君は君じゃなくなる。それでも?」
――それでもいい!
僕がそう言うと、ヨノワールは大きな手で僕を掴んで、お腹の口にぽいと放り込んだ。
――ここは……?
気がつくと真っ暗な場所にいた。隣には僕を飲み込んだはずのヨノワールがいた。真っ暗なのにお互いの姿はちゃんと見えるだなんて変な感じ。
「この先に、我が主がいらっしゃる。もし君に覚悟があるなら行って来ればいい」
――一緒に来てはくれないの?
「君の覚悟はそれだけしかないの?」
不安になって言った言葉をあっさりと返される。僕はぐっと言葉につまりながらもヨノワールに告げる。
――……行く。
そう言うと、ヨノワールはほんのちょっぴり笑ったように見えた。
「君の覚悟が、認められますように」
暗闇の中をたったひとりで進む。どちらが前なのか後ろなのかも、上も下もわからないまま、それでも進む。全ては、あの人の傍にいるため。
そうして、たどり着いた、んだと思う。そこにいたのは、大きな大きな、冥界の王様。王様だと、思った。だってこんなにも恐ろしい。大きな体を飾る赤と金が暗闇の中で眩しいほど鮮やかで。真っ暗な空間を泳いでいた。赤い目がぎょろり、と僕を見る。僕は動けない。
王様は僕をじっと見たまま、口を開く。
「哀れな獣の子よ」
低い低い声が響く。あるのかないのかよくわからない体が震えた気がした。逃げ出してしまいたい。でもそれすらできない。
願いは、ただ一つ。そのためなら、どんなに怖くても逃げちゃ駄目だ。僕は覚悟を決める。
「死して尚、生を望むか」
――だって、あの人の傍にいたいんです。
「お前は名も姿も、捨てることになる」
――それでも、一緒にいたいんです。
「姿を変えてしまえば、きっと人の子はお前だと気がつかない。それでもお前はいいと言うのか」
――また、傍にいられるのなら。
「もう、お前の名が呼ばれることはないだろう。お前であってお前でない名を呼ぶだろう。それでも?」
――それが僕の名前なら。あの人がくれる名前なら。あの人が呼んでくれるのなら。
「お前は名や姿だけでなく、記憶をも失うだろう。全てを忘れても共にありたいと?」
――もちろん。それに、一番大事なことはきっと忘れない。
「そうまでしても、人の子はお前を選ばないかもしれない」
――いいえ。きっと、連れていってくれる。選んでくれる。僕は、信じている。
少しの間、王様が黙ったから、僕は不安になる。どうしてもどうしても、あの人に会いたい。お願い、どうかどうか。
そうして王様は僕に告げた。
「いいだろう。お前に今一度の生を。だがもし人の子がお前を選ばなければ、お前は今度こそ永遠の眠りにつく」
気がつくと王様はいなくなっていた。これであの人に会える、の?
「さあ、走って」
王様の代わりに目の前にいたのはヨノワール。ヨノワールの大きな手が指差す。
「あの光りを目指して」
嬉しいと思う暇もないみたい。でも、いいんだ。
――ありがとう!
ヨノワールにお礼を言って走る。
走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って……!
――眩しい!
今日も墓参りに来た。もう、何度目だろうか。大切なものがいなくなった穴は埋まらない。今日はあの子の好きだったお菓子を持って来た。それを供えると、墓石の前でうなだれてしまう。
ごめん、もっと早く気づいていたら。どうして、調子が悪いことに、それが病気だということに気がつかなかったんだろう。もっと早く、検査してもらっていれば。後悔はつきない。いつまでも泣いていたって、あの子が喜ばないことくらい、分かっていた。それでも、今はただ泣くことしかできない。
ひとしきり泣いたあと、いつまでもそこにいる訳にもいかないから、立ち上がってのろのろと帰路につく。というのがここ最近のパターンだ。
けれど、顔を上げたそこにいたのは一匹のヨマワルで。ふよふよと漂うように体に纏わりついてくる。送り火山にはこういうゴーストタイプのポケモンがたくさんいて、たまに人懐っこい個体もいる。何をしているの、と問いかけるように寄って来てはやがて飽きるのかいなくなる。あるいは、お供え物の食べ物に寄って来るだけなのかもしれない。このヨマワルもそうだと思った。
供えた物が野生のポケモンに食べられるのは、供えた側からしたらやるせない。けれど、死んでしまっているのだからあの子は食べることなんてできない。だから、仕方ない。いつもそう言い聞かせて、自分を納得させている。
食べるのは少し待って欲しい、せめて気持ちだけでもあの子に届けたいから。そうヨマワルに話しかけて立ち上がる。ああいい加減帰らないといけない。
じゃあねとヨマワルに告げて歩き出す。けれど、ヨマワルはお菓子になど見向きもせずに後をついて来る。ほかにお菓子なんて持ってないよ、食べたいならそれを食べればいいよ、と指差す。けれど、首…はないので、体ごと斜めにしてヨマワルは不思議そうにこちらを見た。なぜそんなことを言うのだろうか、とでも言うように。その様子に、ずきりと胸が痛む。ああ、あの子もよくこんな仕種をしていた。
いけない、考えるのはよそう、と頭を振ってヨマワルに構わず帰ることにした。けれど、どこまで行ってもついて来る。とうとう、送り火山の入口までついて来た。
さあもう戻りなさい、と言ってもまだまだついて来そうだった。どうしたものか、と考え込む。きっと、このままだとずっとついて来るだろう。だったら、いっそ。
「じゃあ、うちの子になる?」
と言えば、嬉しそうに擦り寄ってきた。仕方ないなあと、笑う。笑うのは、ずいぶん久しぶりだなと思った。
ちょうど、一匹分空いてしまったから。行こう、一緒に。
――あなたの傍に。
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夏目友人帳15巻読んでマジ泣きした結果がこれ。