纏わりつく掛け布団を蹴り飛ばし、少女は大きく息を吐く。ああ、暑くて眠れない。もちろん、理由はそれだけじゃないけれど。
そわそわと体をよじらせ、枕元の置時計に手を伸ばす。薄闇に浮かび上がる蛍光の文字盤と針は、きっかり十一時を指し示していた。んもう、まだ十時間もあるじゃない。不満そうに呟いて、彼女は手にした時計を乱暴に置き直す。
ごつん、という鈍い音から数分後。さらさらと衣擦れのような音を立てて、何かが彼女の部屋の前にやって来た。はいってもいい? と声無き声がする。
いいよ、と返せば、音もなく襖が開いて滑り込んでくる人影一つ。それは彼女の側までやって来ると、顔を覗き込んでにっこり笑った。
(まだ、おきていたのね)
「だって全然眠くならないんだもん。ねえ、もうこのまま起きててもいい?」
(だめよ、しっかりねむらなきゃ。あしたはたいせつなひでしょう? ねぶそくでへろへろじゃ、かっこうがつかないわよ)
くつくつ笑う彼女――姉のようなサーナイトに、少女はぷうと頬を膨らませてみせた。
「全っ然眠くないんだってば。どうせなら荷物の見直ししたり、サナとお喋りして時間を潰したいよ」
(だーめ。にもつはなんども、かくにんしたでしょう? これいじょう、なにもしなくていいの。それに、よふかしは、おはだのたいてきだもの。わたしもはやくねたいわ)
「サナのけちー。あー、もう! 眠れないー!」
布団の上で『じたばた』を展開する少女に、愛情のこもった苦笑を向けて。しかたがないわね、と呟きつつ、サーナイトは少女の顔の真上に片手を差し出した。
(さ、このてをよくみててちょうだいね)
「あ、ちょっと! まさかあれをやるつもり……」
(はいはい、ごちゃごちゃいわないの)
ゆっくりゆっくり、手を回す。右にくるくる、左にぐるぐる。緩やかに回る緑の手を目で追っているうちに、少女の瞳はとろんとした光を帯びた。
「もう、いっつも……このパターン……なん、だから……」
言い終わらぬうちに、彼女の瞼は完全に閉ざされた。一拍置いて、すうすうと平和な寝息が聞こえてくる。今回もまた、催眠術は完璧だったらしい。
再びくつくつと笑って、サーナイトは慣れた手つきで布団を整えた。出来栄えを確認し、満足そうに頷くと、熟睡する少女の耳元でそっと囁く。
『お休みなさい、良い夢を。明日の旅立ちが、実り多きものとなりますように』
柔らかな微笑を浮かべたまま、優しいサーナイトは静かに部屋を出て行った。
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以前、書いたまま放って置いた小話を発掘。多分黒白発売前、かな?
子供の頃感じた、遠足前夜のワクワク感を思い出しつつ……しかしそこらの遠足とは桁違いの距離と危険だと思うんだけど、それでもさくっと送り出しちゃうポケモン界ってすげえなぁという気持ちを込めて書きました。あっちの子供達はこっちの世界より大人びてるんでしょうか?
ともあれ、読了いただきありがとうございました。