初夏を感じさせる風が赤い毛をなでていく。
とがった耳をぴんと立ててさらさらと音を鳴らしながら苗がなびく風景を楽しんでいる。
こぉん、と気持ちよさそうな声が青空にのぼった。
むかしむかしのこと。
小さな農村に一匹の六本の尻尾を生やしている赤狐が住みついていました。
その赤狐は稲が大好きで、村人が田んぼに苗を植えるところから、稲を刈り取るところまで赤狐は毎日飽きることなく眺めていました。
ときおり、黄色い虫や黒い鳥が田んぼにやってきては稲をつまもうとしますが、そんなときは赤狐が相手をにらみつけて黙らせます。それから、脅しをかけるように軽く火の粉を吐くと、そそくさと相手は逃げます。そんなわけで、村人たちが丹精をこめて育てる稲は食いつぶされることなく、毎年、秋になると農村は綺麗な山吹一色に衣替わりしました。
赤狐はその山吹色に染まった田んぼの中を駆けるのが特に大好きでした。さらさらと稲穂が体をさすってちょうどいいくすぐったさで赤狐は気持ちよさそうに「こぉんこぉん!」と鳴きながら、無我夢中で駆け回りました。やがて、田んぼから出ると赤狐はごろんと転がり、仰向けになります。いつのまにか空は夕焼けになっており、涼しい秋風が火照った赤狐の体を優しくなでます。さらさらと稲穂が風に揺らされる音が子守唄のようで、赤狐はそのまま目を閉じました。
さて、大事な稲を取ろうとしてくる者を追い払ってくれる頼りがいのある狐、いつも近くにいてなんだか癒される狐として、赤狐は村人からよく可愛がられました。
農作業で疲れた男は近くにいた赤狐の頭をなでて、ほっとしたり、子供たちが稲穂をねこじゃらしのように揺らして赤狐と遊んだり、ときどき老婆が膝の上に赤狐を乗せて、一緒に田んぼをのんびりと眺めていたり。
中でも稲が大好きな赤狐は村人の娘が握ってくれるおにぎりを食べるのも一日の楽しみにしてました。釜(かま)でふっくらと炊き上がった、つやつやなお米から作られたおにぎりは赤狐のほぺったを何度落としたことでしょうか。
こんな感じで赤狐は村人と仲よく暮らしていました。
しかし、ある日のことでした。
城下町からやってきたという男が赤狐を見て「ここが毎年、凶作にならずに済んでいるのはこの狐が稲荷神の使いだからに違いない。祠(ほこら)を作り、丁重に敬わなければ、やがて天災が落ちますぞ」と言いました。
その言葉は農村に不穏な空気を漂わせ、村人たちはその男の言う通り、祠をつくると、赤狐を敬い始めました。農村のどこにいても村人から「お狐様、お狐様」と祈られたり、お供えものとして肉や野菜など色々なものを渡されたり、赤狐はなんだか居心地が窮屈になってきました。それでも、稲が好きな気持ちは変わらず、毎日、稲を眺めていましたが、なぜだか心が晴れません。村人たちはすぐそばにいるはずなのに、なんだか遠いような存在になっている気が赤狐にはしました。
日に日に赤狐の顔色が悪くなっていくのを最初に気がついたのは、いつもおにぎりをくれるあの娘でした。いつもは全部食べるのに、その日だけは一口食べただけで赤狐はおにぎりを置いてしまいました。これはおかしいと思った娘は「どうしたの?」と声をかけると、赤狐はぽろぽろと涙をこぼしながら「こぉん……」と力なく答えました。すぐに娘は村人たちを集めて、このことについて話し合いました。
最初はお供え物が貧相だったのではないかとか、敬い方が足りないのではないかとか、そんな意見が飛び交いあいましたが、娘は祠ができる前とできた後の赤狐の様子を思い比べてみて、それは違うのではないかと言いました。その言葉を元に、村人たちは冷静になって考えました。
すると、どうでしょうか。
赤狐を神様の使いだ、そうだとはしゃいでいながら、赤狐のことを何も考えていなかったことに村人たちは気がつきました。確かに、今まで家族同然に仲よくしていたのに、急によそよそしくされては赤狐もやりづらいはずです。一番大切なことは赤狐が神様の使いかなんてことではなく、赤狐と今まで通り一緒にこの村で生きていくことだと答えを出した村人たちは早速、行動に出ます。
おにぎりをいっぱい作り、それを持って皆で赤狐のところに行きました。最初は村人全員一緒に来たものですから、赤狐も驚いたものの、娘から「皆で一緒におにぎりを食べよ?」とおにぎりを手渡されたとき、それを眺めてから「こぉんっ!」と笑顔で答えました。
村人たちと一緒に田んぼを眺めながら、食べるおにぎりはとてもおいしいと赤狐は満面な笑顔を浮かべていました。
「いたいたー。きゅうちゃーん。きゅうちゃーん! 一緒におにぎり食べよー!」
ある日の昼頃。青空の下、田んぼを眺めながらのんびりとしていた狐が声のする方へと顔を向けた。
あれから時が流れ、赤狐は大きくなり、その体を金色に染まらせ、尻尾も九本に増えていました。
昔も今も、ときどきこの農村にやってくる人はその狐のことを稲荷神の使いと呼ぶ人はいるけれど、自分はただの狐、稲が大好きで、おにぎりが大好きな狐、ただそれだけ。
そんな風にきゅうちゃんと呼ばれた金色の狐――キュウコンは思いながら、子供たちと一緒におにぎりをほおばるのでした。
楽しげに米粒をほっぺたにつけながら。