ペン先がカリカリと紙を滑る音が、現在僕のほかに誰もいない書斎の中に響く。僕は自分の目の前に広げられた原稿用紙に、万年筆を使って文字を連ねていく。
父から二十歳の誕生日に貰った、この万年筆。デジタルデバイスが普及している今、ペンで髪に文字を書く機会は減っているだろう。だが、僕は文字を書くときは、この万年筆で書くと決めている。黒のフォルムに、金の金具が映える万年筆は、存在だけでも芸術品といえると思っている。これを使って一度文字を書き始めると、時間を忘れて書き続けてしまうのだ。
この万年筆、国産の高級万年筆であり、「ナミキ・ムクホークン」という名前がある。この商品は、国内のメーカーがイッシュやカロスといった海外向けブランドだ。ムクホークンという名前の通り、ペン先の形状はムクホークの嘴のような印象を受ける。なかなかこういった形のものは少ないらしく、ユニークな形であると教えてもらった。この特徴的な形のペン先のおかげで、軽い筆圧で細かな字を書けるのだ。漢字を書く機会の多い僕も、この万年筆なら「とめ」や「はらい」といった細かな部分まで表現することが出来る。
『彼の前に、それは現れた。圧倒的な威圧感を放ち、小さな少年を飲み込もうとする、それは、彼が以前図鑑で見たことのある、伝説のポケモンの姿と瓜二つだった。体全体は、深い藍色をしており、顔や背中そして胸部には鎧のような銀の装甲がある。そして、胸部の中心には、まるでそれ自身が息づいているような色の結晶が輝いている。後ずさりすらも許されない。そう感じた彼は、正面からそのポケモンを見上げ……』
次の言葉を紙に書こうとして、ペン先を紙につけた時。
「ケ――――――ン!!」
特徴的なその鳴き声が、書斎の沈黙を破った。
「おわわわっ?!」
突如響いた鳴き声に驚いてしまった僕は、思わず万年筆を手から放してしまう。それとついでに、自分の右手の上に置いてあったインク瓶を倒してしまった。
「ぎゃあああ!!」
二十を過ぎた成人男子が、朝からどんな声を上げているのかと、父がこの場にいたら口うるさく言うかもしれない。だが、そんなことより今の僕は、今まで書いていた大事な原稿がインクまみれになっていることに、肩を落としていた。
「嘘だろう。もうそろそろ終盤に差し掛かっていた、この原稿が……」
原稿用紙の束を持ち上げると、インクがパタパタと滴り落ちている。インクは一番上から、一番下までしっかりと染み込んでおり、顔から血の気が失せていくのを感じた。自分の今までの努力が水の泡、というよりもインクまみれになってしまった。呆然としていたが、外の「ケ――ン!!」、「ケ――ン!!」という鳴き声は止まらない。その声を放置し続けるわけにも行かないと思い、僕は椅子から立ち上がると、インクまみれとなった原稿用紙の束を、潔く書斎のごみ箱に投げ入れる。そして、インクの匂いで充満している部屋の窓を少し開ける。窓からは一月の冷たく刺すような風が入り込んでくる。僕は、窓から顔をのぞかせて、空を見上げた。正月晴れと称せるほどの澄み切った空に見えたのは、この「ケ――ン!!」という声を響かせている張本人のポケモンの姿。黒と灰色がメインの姿は大きな翼を広げ、力強く空を羽ばたいている。そのポケモンは、猛禽ポケモンのムクホークだった。
「今行くから待ってて、ファル!」
お正月からこんなに大きな鳴き声を響かせていたら、近所迷惑になってしまう。僕が声をかけると、高い声で鳴くのをやめる。その様子を見て、ほっと胸を撫で下ろす。そして、彼女が何の用でここに来たのか気になり、急いで外に出ることにした。
慌てて出てきたため、コートだけを羽織っているが、やはり寒い。キッサキシティなどと比べてはいけないとは思うが、寒いものは寒いのだ。僕が口元に指をあて、強く吹く。「ピィ――」という高い音が出ると、上空を旋回していたファルは地面に向かって滑空してきた。
「おはよう、ファル」
地面に降り立ったファルの頭を撫でてやる。気持ちよさそうに一鳴きすると、首にかけてあった鞄を僕にずいっと見せてきた。この鞄は、ファルが遠出をしてもいいように、ポケモンフーズや果物などの食べ物を入れるために僕自身が作ったものだ。過保護すぎると友人に笑われたこともあるが、ファルは気に入ってくれているし、いいのだ。
僕は鞄に手をかけて、中を見る。すると、その中にはこの前自分で入れたポケモンフーズの缶と、葉書の束が入っていた。葉書の束を見て僕はすぐにこれが何か気が付いた。今はお正月、ということはこの葉書の束が意味するものは一つしかない。
「なるほど、年賀状を貰ってきてくれたんだね」
ファルは、このヨスガシティで、そこそこ有名な鳥ポケモンだったりする。ムクホーク自体、野生の個体は群れを作らないため、中々見つけることが困難だ。そして、進化前のムクバードと比べるとかなり獰猛な性格をしている。ジムバッジをいくつか持っていないと、いうことを聞かないどころか、トレーナー自身が攻撃されるという話も聞くため、育成の難易度が高いポケモンとされている。普通の人は、テレビなどで見ることは多いが、生でムクホークを見たことは少ないという人が多い。そして、このファルはムクホークの中では温厚な性格をしており、人にもなつきやすい。そのため、ヨスガシティの人たちから、そこそこの人気を持っているのだ。
そのため、僕宛の郵便などがあるときに、ちょうどファルが空を飛んでいるのを見つけると、郵便職員がファルに郵便を託すことがよくあるのだ。今日は元旦。忙しい配達の手間が、ファルを見つけたことで少し省けたのだろうか。
「よしよし、ありがとな。ファル」
ファルの首元を撫でる。ふさふさとしている毛が、実にいい手触りだ。しばらく撫で心地を堪能した後、「もう行っていいよ」と告げると、ファルは再び空に飛び立っていった。
「さて、誰からの年賀状かな」
一番上の葉書を手に取り、宛名の部分を確認する。そこには、マサゴタウン、ナナカマド研究所の文字。
「げっ……。博士……」
ドクター・ナナカマドの文字を見て、思わず声を上げてしまった。ナナカマド博士といえば、シンオウ地方でその名を知らない人はいないだろう。ポケモンの進化に関する研究をしており、進化の分野においての権威と呼ばれている人だ。
そして、僕の大学時代の恩師でもある。ポケモンの進化についての勉強をしたくて、コトブキシティに一人下宿していた時のことが懐かしい。あの人の講義を受けたくて、コトブキ大学に入学したといっても過言ではない。それほどまでに、博士の様々な著書は僕の学生時代に多大な影響を与えたものだった。だが、僕個人としてみるとあの人の、強面な風貌や威厳のあるところなどは苦手だったりするのだが。
年賀状には、謹賀新年の文字の後に、万年筆で書かれたであろう一文があった。
『君はまだ若いのだから、部屋にこもるばかりでなく、外に出て研究しなさい』
思わずお母さんか、と言いたくなる文面だったが、それだけ自分のことを心配してくれているのだろう。ナナカマド博士は、オーキド博士のマサラタウンの研究所に長期の出張に行っていたが、この年賀状がマサゴタウンから送られてきているのをみると、出張は終わったようだ。また、定期的に電話が掛かってきて研究成果を聞かれる生活が始まるのか、と思うと新年早々憂鬱な気持ちになる。だが、その気持ちを振り払うように、僕は次の年賀状を読むことにした。
「カロス地方、ミアレシティ。エアメールでプラターヌさんからも来てる……。相変わらず、なんかいい匂いがするな」
外国に住んでいるかれだが、わざわざ葉書で、しかもクリスマスカードではなく年賀状として送ってきてくれるあたり、律儀なのだろう。
『久しぶりだね。研究は進んでる? ナナカマド博士もシンオウに戻ったって聞いているから、忙しい一年になりそう……かな?』
HAPPY NEW YEARの文字の後のメッセージを読み改めて思う。この人は、文字がきれいだ。そして、外国の文字をここまで上手に書いてしまうのは才能かもしれない。プラターヌさんというのは、僕がナナカマド博士の研究室にいるときに、博士の下で研究をしていた人だ。一応僕の先輩のような人であり、面倒見のいいお兄さんという存在だ。若くして、カロス地方で進化の研究をしている凄腕の研究者だ。僕が大学のナナカマド博士の研究室にいたころ、プラターヌさんは博士の助手として研究を手伝っていた。よく授業の後や休みの日に、合コンの数合わせとして彼を連れまわしたこともあった。顔立ちの整っている彼に、何人もの女の子を取られたのは、苦い思い出だが。
彼の葉書を束の後ろに回し次の葉書をまた見ていく。あとの葉書は、大学時代や高校時代の友人たちからのものだった。この頃会えていない友人たちからの葉書もあり、やはり年賀状はいいものだと改めて感じる。
一通り葉書に目を通し終わると、冷たい北風がびゅうと吹いてきた。そこで自分がコートだけを羽織って外に出てきたことを思い出す。そろそろ部屋に戻ろうと思い、三十枚ほどの葉書の束を手に中に戻ろうとする。そのとき、控えめな女性の声が後ろからした。
「あのう……。ここって、異文化の建物ですよね?」
振り返ると、そこには大きな白い帽子を被り、白いワンピースに身を包んだ清楚な雰囲気の漂う女性が立っていた。
「えぇ、私は異文化の建物の管理人を務めています。見学をご希望ですか?」
こんな年始からこの建物に来るなんて、珍しい人もいるものだと思いながら彼女を眺める。薄い茶色の髪をしており、肌は白く北の地方の生まれではないかと感じさせる。白いワンピースにはピンクの花の刺繍があり、彼女の放つ清楚な雰囲気と相まって、お嬢様のような印象だ。
「旅行でイッシュからこのヨスガシティに来たのです。異文化の建物に行ったほうがいいと知人に勧められまして、来てみたのですが……」
「そうですか、」
そう一言返事をして、僕は心の中でガッツポーズをしてしまう。このヨスガシティの中で異文化の建物が、外国のイッシュにまで知られているという事実は嬉しいものだ。私は彼女に軽く会釈して、口を開く。
「どうぞ寒いですから、この中にお入りください。ようこそ、いらしてくださいました。異文化の建物へ」
建物の中に入ると、外よりかはいくらか風を凌げる分、寒さは落ち着いていた。それでもやはり、寒いものは寒いのだが。
「こんな年明け早々から来ていただいて、嬉しいものです」
「ずっとシンオウ地方に旅行しに来るのが夢で……。知人の話してくれた、異文化の建物を真っ先に見たいって思って来てみたんです」
まだ学生のように見える彼女だが、かなりの行動力が備わっているのだろうと感じる。自分に置き換えて考えてみると、単身で外国に行こうなんて、二十歳過ぎてからしか考えたことは無いため、彼女の行動には感心する。絵画や、廊下を歩いていると、彼女は私の手元を見て尋ねてきた。
「あの、それは何ですか?」
自分の持っている葉書を指さして聞かれ、一瞬怯んでしまう。だが、彼女がイッシュ地方出身となれば、そう驚くことでは無い。僕は、はがきに印刷されているギャロップの絵を見せながら、彼女に説明する。
「あぁ、これは年賀状と言って、そうですね……。クリスマスカードのようなものでしょうか」
彼女は僕のたとえになるほどという顔をする。
「ネンガジョウというのは、この国だけの伝統なんですか?」
彼女の問いに、僕はキラリと目を輝かせる。こういった類の話しは、僕の得意分野だ。廊下に飾られている一つの絵画の前に立って、ゆっくりと口を開く。
「私も以前までは、この国ならではの習慣かと思っていたのですが、この国以外にも東アジアの近隣国には同じような風習があるんですよ。ウインディの伝説の残る、中国とかですね」
僕の後ろに飾られてある、絵巻に描かれたウインディの絵画を指さす。鬣を靡かせて、竹林を堂々とした表情で走っている、この絵画は中国でのウインディの姿を描いたものといわれている。僕は、うなずきながら聞いている彼女を確認して続ける。
「新年を祝う、という行為自体は何千年も昔からあったそうです。古くは、四大文明の頃からあった、ともいわれています。自分たちの信仰する神や、神と呼ばれるポケモンに、一年に一度、無病息災を願う。一月一日が年の始まりとはされていなくとも、年に一度祝いの日を設ける、というのは人類全てがやってきたことなんですよ」
ちなみに、シンオウ地方で無病息災祈る対象は、各地の湖にいるとされる伝説のポケモンだったと、文献に書かれているのを以前見た。シンオウだけでなく、カントーでは季節を司る、伝説の三羽の鳥ポケモン、ホウエン地方では陸と海の神、グラードンとカイオーガなどが祈りの対象だった地域もあるらしい。
「この国では、ジョウトのキキョウシティに都が置かれていたころ、一三〇〇年ほど前から、新年の年始回りという行事が行われていたそうです。その後、貴族や公家にその風習が広まり、あいさつに行けないような遠方に住んでいる人に、年始回りに代わるものを行うため、文書を送るようになったといわれています。学者の中には、これが年賀状の起源なのではと考えている方もいるそうですね」
一三〇〇年という数字に驚いた表情を彼女は見せてくれる。確かイッシュ地方は、開拓されたのがここ四〇〇年ほどのことだったと記憶している。それに比べて、年賀状の歴史が三倍もあると思えば、確かに驚くのも無理はないだろう。僕はそんなことを考えながら、手に持っている葉書を彼女がよく見えるように見せた。
「近代の郵便制度が確立した後に、人々は郵便はがきを発行するようになりました。文書で始めは、年始のあいさつを送っていたそうですが、安価で年始のあいさつを送ることが出来るということで、多くの人が年賀はがきを利用するようになった。そして、年賀状を出すことが国民的な行事になっていったんですよ」
私の持っている年賀状をまじまじと見つめて、彼女は私にあることを聞いてきた。
「葉書には、色々な絵が描かれていますよね? これも意味があるのですか?」
「はい、ありますよ。大体描かれているものは、七福神というこの国特有の、七人の幸福の神様や、十二支、あとは縁起のいいとされている松竹梅や、オニドリルやカメックスの絵でしょうか。この頃だと、十二支にちなんだポケモンの絵の描かれた年賀状が多いですね」
「ジュウニシ……とは、何ですか?」
彼女の質問は、予測できていたため、僕は間髪入れずに答えていく。
「十二支というのは、昔、方位・時刻・年月日を表すのに使った十二種類の動物のことですよ。子ねずみ、丑うし、寅とら、卯うさぎ、辰たつ、巳へび、午うま、未ひつじ、申さる、酉とり、戌いぬ、亥いのしし、の十二の動物です。年を表す時には、西暦を十二で割った余りによって、どの動物の年か分かるんです。二〇一四年の場合、余りが十なので、午年ということになります」
ギャロップやポニータの絵柄が葉書に多いのは、そのためだと言うと、彼女は納得したような表情を見せた。
「ちなみに私も年賀状は、十二支の絵柄を選ぶんですよ。今年は午年ですから、イッシュの幻のポケモンのケルディオの年賀状を出したんです」
「あ、名前は聞いたことあります。水と、格闘タイプのポケモンですよね?」
「はい、そうです。若駒ポケモンといわれ、美しい水辺に現れるそうですよ。素敵な絵画も沢山残されていますから、ぜひ調べてみるのをお勧めします」
そこまで話して、自分が入り口で年賀状の話をずっとしていたことに気が付く。せっかく異文化の建物を見学に来たというのに、いつまでも年賀状についての説明を受けるのは少し違うように思えた。
「長々と話してしまいましたね。奥にはステンドグラスもあるので、ぜひご覧になっていってください」
彼女は私にお辞儀をして、広間の中心に入っていく。彼女の白いワンピースがステンドグラスの光を反射して、とても美しい色になっているのを、目を細めて見た。彼女が異文化の建物の一部になっている、そんな錯覚を受けるほど、その姿は美しかった。異文化の建物についても説明しようかと、先ほどまでは考えていたが、今は必要ないかもしれないと感じた。彼女はまだ若い。だからこそ、自分の感じるままにこの建物について感じてほしい。僕はそんなことを思っていた。
僕はしばらく彼女の姿を目に焼き付けていた。だが、そろそろ建物の管理人室から続く、自分の居住スペースに戻ることにする。先ほどインクまみれにしてしまった、原稿を書き直さなければいけないという使命感に飲まれながら。
++U*´∀`ァアアケオメエエェ´∀`*U++ ┃賽銭箱┃ ⌒ヾ(uωu*)今年モヨロピク★
失礼しました。
あけましておめでとうございます。奏多です。
新年ということで、年賀状のお話を書いてみました。
この小説の「僕」は鳥居の没ネタを以前投稿した時の、異文化の建物の管理人さんと同一人物だといいなと思って書きました。
DPtがゲームで一番好きで、その中でも異文化の建物が好きすぎる私のため、こんな小説を書いてしまいました。
また、こんな感じの季節ネタをかけたらいいなと思っていますです。ハイ