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  [No.3231] Feel my heart with flames 投稿者:GPS   投稿日:2014/03/07(Fri) 19:02:16   75clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 敵に立ち向かえる、強い力なんていらなかった。
 風を切って空を飛べる、大きな翼など必要無かった。
 誰かを射抜ける鋭い目つきも、物を握り潰せる長い指も、悠然と大地を見下ろせる巨体も、相手を威嚇出来る二つの角も。
 ずっと消えることなく、ごうごうと燃え盛るこの業火すら、欲しいと思ったことなど一度も無い。

 私が望んだのは、あの人を抱きしめられる優しい腕で。
 あの人が寂しい時に、話すことが出来る喉で。
 あの人が笑ったならば、そっと寄り添えるような温もりで。
 あの人と共に地面に立てる、しっかりした二本の足で。
 
 ずっとあの人と一緒にいることが出来る、その資格だけだった。
 ただ、それだけだったのに。


◆ ◆ ◆


「すげえ……本当に、ドラゴンポケモンばっかりだ……!」

 向かい風に煽られる前髪を押さえながら、ゴーグル越しに見える世界にハルトは驚嘆と嬉しさが混じった声を上げた。その言葉に呼応するように、青年を乗せているサザンドラも三つの頭それぞれで昂ぶった嘶きをして見せる。彼らが見下ろしているのは断崖絶壁がそこかしこに見られる土地で、露出した岩肌にあるわずかばかりの足場から少しでもはみだしてしまったら、奈落の底に真っ逆さまになることは間違い無いように思えた。
 しかし、それは陸上に立つことしか敵わない者に限った話である。翼を持っていればいくら深い谷でも余裕綽々で底まで辿り着けるのだし、況してや落下する心配など無いだろう。現にサザンドラも、谷底の深い闇を尻目に自慢の六枚羽を活用して滑空している。

「噂には聞いていたけれど、これほどまでとは……よくこんな場所が今まで残ってたよなあ。まあ、向かうまでが大変だからかな?」

 絶壁と岩肌ばかりが目に付くが、少し視線をずらせば他のものもよく見える。岩を登っていけばその上には少ないとは言え植物が原生しているし、透き通った水が湧き出ている泉もあった。ごつごつした岩の間には隙間があり、そこから入ったところにある洞窟は奥深く続いている。
 厳しい環境であるようで、実は生命力に満ちたここでは多くのドラゴンポケモンたちが暮らしていた。いくつもの山を越えないと辿り着けないこの場所にはなかなか他のポケモンが寄り付かないことが、長距離をものともしない彼らにとって良かったのかもしれない。鮮やかな青をした空を背景に、ボーマンダとカイリューがじゃれ合うようなバトルを繰り広げている。崖淵ではタツベイが頭突きを何度も何度も繰り返し、それで揺れる地面を物ともせずにチゴラスもまた岩肌に歯を立てていた。洞窟から見える羽はオンバットのものか、それともオンバーンか。木陰で寄り添うようにしているのはチルタリスの親子で、何羽かのチルットが生えたての羽毛をぱたぱたと動かしている。
 ドラゴンタイプのポケモンはとても強く、トレーナーとして高みを目指す者からの人気が非常に高い。もしもこの場所が明るみに出たら、連日トレーナーが訪れて捕獲を試みるだろう。しかしそれに反してここの話が少ない、良くて噂止まりなのはひとえに道の悪さともう一つ、そのドラゴンポケモンの強さにある。気位が高く、また気性の荒い者の多いドラゴンポケモンに勝つことは難しい。そんなポケモンがうじゃうじゃいる場所に足を踏み入れるにはよほどの強さと覚悟が必要だ。故にこの場所は秘境であり、未だ人跡はほとんど無い。

「おっ、おい! 余所見するな、ちゃんと真っ直ぐ進めよ!?」

 この青年にその覚悟があるのかどうかは今ひとつわからないが、ここに生息するドラゴンポケモンに負けず劣らずの威厳を放っているサザンドラを見る限りでは強いことに間違い無さそうだ。岩にもたれて昼寝をしていたらしいモノズやジヘッド、進化前にあたる彼らが好奇と憧れの視線を向けている。
 しかし肝心のサザンドラは眼下に広がる光景に夢中なようで、三つの頭は好き勝手な方向を向いている。本来ならば両脇二つの頭には脳が無く、感情も存在しないはずなのにハルトのサザンドラは不思議なことに三つそれぞれが異なる考えを持っているようだった。沢山のドラゴンポケモンが珍しいらしく方々をきょろきょろと見渡していて、そのせいで航路はぶれぶれである。
 あっちに行きたい、いやこっちがいい、とばかりに揺れる背中にしがみつき、ハルトは「こら!」と指示を出す。

「とりあえず落ち着け、ルキ! そうだ……あの岩のあたりとかいいんじゃないか? 適当なところに着地して……だからばらばらな方向に飛ぶなってば!!」

 ルキと呼ばれたボーマンダは、主の悲痛な叫びを今ひとつわかっていないようだ。右の首は初めて見るカイリューに目を奪われているし、真ん中の首は昔を懐かしんでいるのかモノズやジヘッドを凝視している。左の首に至っては、子育てをしているチルタリスに一目惚れでもしたのか心なしか顔を赤らめてそちらに向かおうとした。

「ちょっ……ああ、もう! バカヤロー!!」

 とうとう均衡がとれなくなった三つの首のせいで、サザンドラとハルトは空中で大きくぐらつく。そして、意見の相違により上手くコントロール出来ない翼はまともに機能せず、彼らはプテラの群れに白い目を向けられながら岩の間によろよろと落ちていったのであった。


◆ ◆ ◆


 私がここに来た時には既に、彼はドラゴンポケモンたちのリーダーのようなものだった。どういう経緯でこんな場所に辿り着いたのかはわからないけれど、人間が立ち寄らない、ドラゴンポケモンだけが住まうこの地で彼は生きることを決めたという。
 いや、ドラゴンポケモンだけ、というのは昔の話だ。私は見た目こそ竜のようだけれども、分類上はドラゴンタイプに属していないのだから。何故そんなことがわかるのか。それはそのこと自体が、私が捨てられた理由であるからだ。小さなヒトカゲだった私を、私の種族に必要な炎どころか一滴の水すらも無い荒地に捨てた若きトレーナーは冷酷である上に無学だった。ドラゴンに似た見た目だけで私を選び、バイヤーから高値で買い取った後でトレーナーはこう言った。「お前はいくら経ってもドラゴンにはなれない」と。
 ここに住むポケモン達もそうだが、ドラゴンポケモンは他のタイプのポケモンに比べて強い者が多いらしい。だからあのトレーナーもドラゴンポケモンが欲しかったのだろう。しかし私はドラゴンポケモンでは無いし、トレーナー曰く進化したところでドラゴンタイプとなることも無いらしい。
 そのような経緯で捨てられた私は、弱って地に倒れていたところをエアームドに捕まった。鋼の爪は固く、いくら足掻いても抜け出すことは出来ずに私はやがて力尽きて気を失ってしまった。そのままエアームドの餌になるのか、どこか他人事のように思っていたのだけれども運命とは時としてわからない。急な嵐に巻き込まれたエアームドは余計な荷物を持っている余裕など無くなったらしく、ぱっと私を放して何処かへと飛び去ってしまったのだ。そうして放り出された私は重力に逆らえず、真っ直ぐに地面へ落ちることになった。
 地面に叩きつけられ、それで息絶えることこそ無かったものの私は疲れと痛みから多大なダメージを受けていた。降りしきる雨のせいで尻尾の炎もほとんど消えかかっていたし、風の轟音に混じって聞こえてくる竜の嘶きにも恐怖を感じていた。だんだんと霞がかっていく頭の中で、なんでこんなことに、と泣き出したくなるような思いが浮かんでくるけれども涙を流す元気など無い。襲いかかる靄に耐え切れず、とうとう目を閉じそうになったその時だった。

「その炎、もしかしてヒトカゲか!? 大丈夫!?」

 それまで聞こえていた音とは全く違う、人間の声が耳に響いた。そちらを見たかったのだけれども、首を動かすことすら出来ない。黙ったまま動かない私に足音が近づいてくる。エアームドの時のように、また捕まるのだろうかと思ったけれども私を抱き上げたその手は温かく、優しいものだった。

「まずは雨を凌がないと……怪我までして、一体何があったんだ……!」

 自分が濡れるのも構わず、その人間は腕の中の私に傘を差した。それまで私の肌を打っていた雨水が止まる。いい加減に尽きそうな意識の中、私はぼんやりと彼の顔を見上げた。目を開けた私を見て安心したように頬を緩ませた彼の笑顔は、生まれて初めて見た、熱い温もりだった。


◆ ◆ ◆


「いたたた……ったく、トレーナーの心ポケモン知らずとはよく言ったものだよな」

 岩肌に墜落し、そのまま崖に落ちるとまではいかなかったもののモロに衝撃を受けたハルトは脇腹をさすりつつ文句を口にした。しかしサザンドラはこの程度でダメージを受けることは無く、涼しい顔で辺りを見渡している。呑気なその様子に嘆息するハルトへと、チルタリスをチラチラ見ている左の首が早くも、あっちに行きたいとでも言いたげな視線を向けた。

「そんなそわそわするんじゃねえ、別に遊びに来たわけじゃ無いんだから……っていうか、チルットがいるってことはあいつ人妻なんじゃねえの? お前に勝ち目は無いと思うけど」

 ハルトの言葉を受け、左の首はしょんぼりと項垂れる。それは放っておいて周りに目を向けてみるとドラゴンポケモン達が自分を遠巻きに見つめているのがわかった。落下してきた闖入者を不審に思っているのだろう。ここでは餌も足りているのかドラゴンポケモンに飢えた様子や荒れた雰囲気は見られず、いきなり攻撃してくることは無さそうだが中には好戦的な個体もいる。戦い目的で訪れたわけでは無いのだから、余計な手出しをするわけにはいかない。
 しかし、何日か滞在するかもしれないのだからドラゴンポケモンと友好関係を築いておくのに越したことは無い。まずは手始めに、と近くの泉に浸かって首だけでこちらを見ていたヌメルゴンやヌメイル、ヌメラに話しかけてみることにする。彼らはドラゴンタイプの中では比較的人間に懐きやすく、気性も大人しいものが多い。ルキを連れて近づいてきたハルトを最初は少し警戒していたヌメルゴンたちだったが、ハルトに戦闘の意思が無いのがわかったのだろう、水から上がって客人の元へと向かってきた。
 三つの首でヌメラたちをあやしているサザンドラや、ぺたぺたと擦り寄るヌメルゴンの粘液に少しばかり顔を引きつらせている人間を見て、他のドラゴンポケモンたちも互いに顔を見合わせ、頷いた。それを合図に、ある者はハルトとサザンドラの元へと近寄り、ある者はそれまでしていたことを再開する。どうやら受け入れてもらえたらしい、早速ボーマンダとバトルを始めたルキを横目に、ハルトは安堵の溜息をついた。ヌメルゴンに続いてやって来たフライゴンのせいで粘液のみならず砂だらけになったため非常に微妙な心境になったものの、ちょっとの我慢だと自分に言い聞かせる。

「おーい、ルキ。負けてるぞー、もっと頑張れー」

 ボーマンダのドラゴンテールを顔面に喰らい、バランスを崩しているルキに向けてハルトが言う。わかってるよ、とばかりに六つの目が主を睨みつけ、すぐさま三つの口が大きく開く。そこから繰り出されたのはハイパーボイス。岩を揺らし、水面を動かし、空気を震わせた怒号にボーマンダは勿論、ハルトや他のドラゴンポケモンももんどり打って転がった。両耳を押さえつつ、この迷惑野郎、と小声で毒づいたハルトだったがドラゴンポケモンたちは一層盛り上がったようだ。体勢を立て直して突っ込んだボーマンダと、それを牙と顎で受け止めたサザンドラに興奮混じりの鳴き声がいくつも響く。
 ここに住む竜たちは、自分が思っていたよりも豪胆なのかもしれない。そんなことを考えつつ、ハルトは肩の力を抜いて泉の畔に生えていた木にもたれかかった。すっかり好かれてしまったようで、ヌメルゴン一族が粘膜を擦りつけてきたり、フライゴンの連れてきたナックラーやビブラーバが衣服を砂にまみれさせてきたけれどもここはトレーナーの余裕で絶えることにする。
 上空の戦いを応援するように、プテラやガバイト、ガチゴラスがギャアギャアと嘶く。バトルなど興味が無いとばかりに優雅に毛づくろいをしている、チルットやチルタリスの美しい歌声も岩肌を震わせる。次は自分に戦わせろ、と言いたげにカイリューが拳を突き合わせた音、オノノクスが刃を素振りした音、ガブリアスが翼をはためかせる音。タツベイやフカマル、キバゴやモノズのような小さい竜たちも負けじと声を上げている。
 ドラゴンポケモンたちはこの場所で自由に、逞しく生きていた。そんなことが真っ直ぐに伝わってくる光景を、ハルトはゴーグルを外した目でしっかりと見渡す。


◆ ◆ ◆


 彼は、ここに住むドラゴンポケモンたちと共に暮らしているようなものだった。自然の掟を壊さない程度に竜と関わり、生活を同じくしていたのだ。ドラゴンポケモンを尊重し、しかし卑屈になることは無く堂々としている人間だった彼はドラゴンたちに慕われていた。彼が岩場を歩けばチゴラスの子供が駆け寄ってきたし、泉に近づけばハクリュウがじゃれついた。手先が器用なプテラやフライゴンが木の実を運んでくることもあったし、どのドラゴンポケモンも自分の子供が育てば必ず彼に見せていた。
 しかし、あくまでも野生の竜たちとしっかり線引きしていた彼が自らの家にドラゴンポケモンを入れることは無かった。地盤の比較的安定した場所に建てられた彼の自宅に入ることを許されていたのは、すっかり元気を取り戻した私だけだったのだ。

「お前だっていつか、強い竜になれるさ」

 私の境遇を知るはずも無いのに、彼はよくこんなことを言った。冷たい雨が窓の外で降っている中暖炉の火に温まりながら、彼の膝の上でドラゴンポケモンにまつわる昔話を聞くのが私は好きだった。その話が終わると、決まってこの台詞を言っていたのだ。語り継がれる強靭な竜族のポケモン、それに負けない力を私だって持っているのだと彼は何度も何度も頭を撫でた。
 勿論、私はそんな話を信じることは出来なかった。それは捨てられた負い目やかつてのトレーナーの言葉のせいもあったし、所詮は言い伝えだと見くびっていたのもあるかもしれない。お前の進化形だよと言いながら彼が見せてくれた本にあったのは炎を身に纏い、黒い空に舞う火の竜。そんな大層なものに、私なんかがなれるはずも無いのだし、それになりたくもなかったのだ。
 強い力が欲しい。そういった思いは、確かに持っていた。特にヒトカゲだった頃は自分が強くなっていくのが嬉しく、それに何より、私が強くなることで彼が喜んでくれるのが心に響いた。だから、そこらにいるミニリュウやモノズなどと戦ってみたり、トレーニングの相手になってくれていたガブリアスやサザンドラに果敢にも挑んだりはしていた。それを重ねていく内に、口から吐ける炎も尻尾で燃えている炎も次第に大きさを増し、私は格段に強くなっていった。
 しかし、それを喜べることはやがて無くなった。そうなったのは丁度リザードに進化した頃だろうか、額には角が生え、爪は伸び、身体も一回り大きくなった私はいつものようにドラゴンポケモンたちとバトルを終えて彼の家へと帰ったのだ。
 その日は戦いが白熱してしまい、いつもよりも帰るのが遅くなった。日が暮れてすっかり暗くなった空の下、扉を開けようとした私は一つの疑問に気づく。彼の家の灯りがついていないのだ。中から気配はするから、彼が留守にしているわけでは無い。それなのに、窓から覗ける部屋は真っ暗で何も見えない。不審に思いつつ、私はゆっくりと扉を開けた。

「……………………リザード、」

 か細い声でそれだけ言った彼は、部屋の隅に蹲っていた。急いで駆け寄った私を抱きしめるその手は激しく震えていて、静まり返った暗い部屋に響くのは嗚咽だけ。
 その時、ようやく私は気がついたのだ。ドラゴンタイプ専門のブリーダーでも、修行を積むトレーナーでも無い彼が何故、こんな辺境で暮らしているのか。かつて私がいた、便利で快適な人間たちの世界でどうして生活しないのか。誰も訪ねて来ることなく、なんで毎日を一人で過ごしているのか。
 そして私は思った。私に必要なのは、強い力なんかじゃ無い。いくら強くなったところで、意味など無いのだ。
 私がなるべきなのは強い竜では無くて、彼に寄り添ってあげる存在なのだと。


◆ ◆ ◆


 一通り戦いを終え、どうにか全勝したらしいルキが全身に傷をつけながらも得意満面でハルトの元へと戻ってくる。手当てをするべく鞄から傷薬を取り出しながら、同時にポケモン用の菓子もいくつか選んだ。その匂いを素早く嗅ぎつけ、ルキと戦っていた者やハルトと共に休んでいた者、そして先ほどまで知らん顔を決め込んでいた者も近寄ってくる。
 本来ならば野生のポケモンに餌を与えるべきでは無いけれど、おやつくらいなら挨拶ということで大丈夫だろう。常備している色とりどりの菓子、ポロックやポフィン、ポフレを放るとドラゴンポケモンたちが一斉に群がった。オンバットとオンバーンは好きなものを選んで洞窟に運んでいるし、チルタリスの母親は、子供たちのためにポフィンを細かくわけてやっている。赤や青のポロックへと我先に駆け寄ったヌメラやフカマルを蹴散らし、大人気ないクリムガンが大きな顎で全部食べてしまった。ポフレにデコレートされていた生クリームを頬につけて、強面とのギャップも相まってとても面白い見た目になったガブリアスにひとしきり笑った後、ハルトはルキに傷薬を塗りながら口を開いた。

「あのさ、この辺りにお前たちの世話とかしてる人間っていないかな?」

 突然の問いかけに、ドラゴンポケモンたちの動きが止まる。互いに顔を見合わせて微妙な表情をしている彼らをなだめるように「いや、ちょっとそんな知り合いがいて」と慌てて付け加えた。

「それに、お前たちっていくらなんでも人間に慣れすぎじゃないかと思ってさ。ドラゴンポケモンって人に懐きにくい、それも最終進化形だと特にそのことで有名なんだけど、俺のことを警戒したのは最初だけだったから。だからもしかして、人間と深く関わったことがあるんじゃないかって……」

 それを聞いた竜たちは尚も口をつぐんだままだ。もしかしたら何かあったのだろうか、それとも人間はいるけれども彼らと仲が良くないのだろうか。ハルトはそんなことを考える。大体、その人間に会ったのも決して最近とは言えないのだ。しばらく連絡も取れていないし今がどうなっているのかなどわからない。
 互いが互いの様子を伺い、出方に迷っているような何とも言えない雰囲気に耐え切れず、ハルトは質問を変えることにした。

「じゃあさ、ここら辺にリザードっている? あ、もしかしたらリザードンに進化してるかもなんだけど……」

 その問いを受けた途端、岩場に漂っていた微妙な空気は一気に張り詰めた。ドラゴンポケモンたちの表情は翳り、何かを囁き合うようにざわめきだす。何か地雷に触れちゃったか、とハルトのこめかみを冷や汗が伝ったが、しばらくの沈黙を置いたあとに一匹のポケモンが前に踏み出た。
 それは先ほどルキに対して最初に勝負を挑んできたボーマンダで、風格からしてここのドラゴンたちのリーダーのようだった。神妙な面持ちをしたそのボーマンダはついてこいとでも言うように短い唸り声を上げると、大きな翼を揺らして飛んだ。慌てて荷物をまとめ、ハルトもルキの背に乗って追いかける。前方を行くボーマンダも、少し遅れてついてくるフライゴンやプテラも、彼らを見送った他のドラゴンポケモンたちも、皆が難しい顔つきをしているのが気がかりだった。


◆ ◆ ◆

 何か身体の具合が悪いとか、そういうことは無いかい?
 彼がそんなことを尋ねてくる回数が次第に多くなった。今まで他のドラゴンポケモンと毎日のようにバトルをしていた私がパタリとそれをやめたのだ、それを疑問に思ってのことだろう。しかし私は何も答えず、ただ彼の傍を一時でも離れないように寄り添うだけになった。
 進化なんてしなくて良いし、強い力もいらないのだ。私に出来ることは、私がすべきなのは、彼を一人ぼっちにしないこと。それが一番大切だ、そう思っていた。
 頑なに傍を離れまいとしている私に、彼はいつでも少し困ったような笑いを見せていた。彼は食糧など生活に必要なものを買うため、稀に街へと出かけていてその時私は留守を任されていたのだが、帰って来た彼にはいつも強く抱きついていたのを今でも覚えている。一人で寂しくなかったか、悲しい思いをしなかったか。それだけが心配で、私は急いで飛びついた。そして、そんな私の頭を撫でる彼の手の温もりに安堵したものだ。
 私に情けないところを見せまい、としていたのかもしれないがそれでも表向き、彼があの夜の様に一人で泣いているのはあれ以来見なくなった。常に苦笑混じりの笑顔で私と一緒に、竜たちに囲まれている彼は少なくとも私からは幸せに見えていたのだ。
 炎の竜になれなくても、全然構わなかった。今みたいな状態が続けば、それだけで良かった。進化なんてしなくたって、私たちは幸せなのだから。
 私のそんな、甘すぎる考えは、近く悲劇を引き起こした。

 かつて私がこの土地にやって来た時のような、強い嵐の夜だった。
 ちょうどチルタリスたちの卵が孵ったばかりで、それを心配した彼はフードを被り、懐中電灯を片手に様子を見に行っていた。勿論私もついて行こうとしたのだけれど、尻尾の火が消えたらお前は死んでしまうのだからと言い含められて大人しく家で待たざるを得なかった。
 それでしばらく家の中で燻っていたのだが、いくら待っても彼が戻ってこない。無性に嫌な予感がして、私は扉を開けて豪雨の中へと飛び出した。これでも散々トレーニングを積んだ身なのだから多少濡れたくらいでへばることは無い。吹きつける向かい風に必死で逆らいながらチルタリスの巣の方へと向かった私が見たのは、今にも崖から落ちそうな、岩の隙間に生えた枝にかろうじて掴まっている彼の姿だった。

「リザード……!? 駄目だ、危ない! 下がっていなさい!」

 恐らく来る途中で足を滑らせ、助けを呼ぼうにもこの嵐のせいでドラゴンたちは皆自分の住処に篭ってしまっているし、風雨の音で声は掻き消されてしまったのだろう。そんな絶望的な状況の中でも私の身を案じてくれた彼の言葉に、しかし私は逆らった。一刻も早く彼の元に辿着かなくては、その一心で、どうすれば良いかを考えながら駆け寄った。

「来ちゃ駄目だ! 翼の無いお前が同じようなことになったら、無事じゃ済まない!」

 その台詞を聞き流し、私は彼の元へと走る。流石に枝のところまで行くことは叶わないけれど、せめて何か掴まれるものを……と思って辺りを見渡したのが祟ったのか、私の足元でバランスが崩れた。
 浮遊感。それが、何処か他人事のように感じられた。

「リザードッ!!」

 彼の声が谷底に響く。落ちる、そう思ったのも束の間、私は信じられないものを目にした。
 彼が枝を掴む手を離し、私を受け止めようとその手をこちらに伸ばしたのだ。

 駄目だ! そんなことをしては、あなたは……!!

 進化というものは、もしかしたら単純に力の増強だけで起こるわけでは無いのかもしれない。道具を使うこともあるらしいし、他のポケモンと相互作用が働くことで進化することもある、そんな話を彼に聞いたことがあった。これは私の憶測だけど、もしかしたら一種の極限状態でも起こり得るのかもしれない。
 落ちていく瞬間、私は自分の身体がどんどん大きくなっていくのを感じた。頭に何かが生え、尻尾が伸び、両手が大きくなる。そして、背中が張り裂けそうな痛みに襲われると共に、そこに何か巨大なものが現れるのも理解した。
 進化だ、直感的にそう思った私はすぐさま考えを次に移した。力はいらないとか大きな身体は必要無いとか、そんな悠長なことを言っている場合では無い。むしろこれはチャンスなのだ、翼を手に入れた今ならば、空を飛んで彼を助けることが可能になるのだから。幸いこの谷は深く、底まではまだ距離がある。まだまだ間に合うはずだ!

 しかし、それはとんでもない勘違いだったのだ。
 突然現れた翼を、いきなり使いこなせるわけが無い。両翼の扱いに困り、私がふらふらと無様にゆっくり落ちていく中。

「リザー……ド…………お前、に……」

 馬鹿なことを願っていないで、もっと早くに進化を受け入れていたら。
 ポケモンとしての運命に従い、早いうちに翼を手に入れていたら。
 こんなことには、ならなかったのだ。

 その言葉の続きを雨音に掻き消しながら、彼は闇へと消えていった。


◆ ◆ ◆


「ありがとう。ここからは、俺たちだけで大丈夫だ」

 先導してくれたボーマンダにそう告げて、ハルトはベルトのボールに手を伸ばす。でも、と言いたげな顔をしているボーマンダを手で制してボールの中央ボタンを押したハルトを一瞬黒い霧が包んだ。ボールの中から現れたのはヨノワール、青空に輝く太陽を少し眩しそうにしたそのポケモンはハルトの指示を二言三言受けて、一つ目をしばし閉じる。
 数秒の間を置き、ヨノワールは首を横に振った。その動きを見たハルトは表情を変えず、そうか、とだけ頷いた。

「わかった。ありがとう、サリー。一旦戻ってくれ、後でまた呼ぶかもしれない」

 ヨノワールが返ったボールを元の位置に戻して、ハルトは一度溜息をつく。言葉を紡がない彼を、ルキの三つ首やボーマンダ、他の竜たちが怪訝そうに見つめた。

「予想通りと言えば予想通りだ。手紙も届かなくなったし、こんな場所じゃあそういうこともあるのかもしれないよな」

 そう独りごちたハルトを心配するようにルキが何かを言いかけたが、そのハルトの「もう少し進んでみよう」という指示で中断される。少し迷った素振りを見せたルキだったもののすぐに従い、ハルトの言う通りに前へと飛ぶ。
 いくらも行かないうちだった。空を切り裂く音と共に、ルキの眼下にあった谷間に咆哮が響く。サザンドラと、その後ろから遠巻きについてきていたドラゴンポケモンたちの目の前が一様に赤く染まった。

「来たか」

 広範囲にいる敵を一瞬で竦ませるほどの力。風などではびくともしない巨大な両翼。目が合った者を怯ませる鋭い眼光。今にもこちらを握り潰さんとする大きな手。対峙すれば間違いなく相手を射すくめる巨躯。天に向かって伸びている二本の角。尻尾の先で、喉の奥で、全身で燃えている紅蓮の炎。
 臨戦状態になるルキや、その姿を見て動揺しているドラゴンポケモンたちだったがそんな中ただ一人、ハルトは冷静だった。自分を威嚇している橙色を真正面から見据え、ハルトは小さな声で呟く。

「そうか、進化したのか……でも、もう、……」


◆ ◆ ◆


 雨に濡れて重くなった翼を引きずり、暗い崖の下で私が彼を見つけた時にはもう全てが終わっていた。彼が、もう二度と私を抱きしめることは無い。私の頭を撫でることは無い。私に話を聞かせてくれることは無い。私に笑いかけることは無い。それどころか、もう二度と、動くことも無いのだ。
 固い地面に横たわった彼に触れ、私は長い雄叫びを上げた。何なのか、もうわからなかった。わからないけれど、そうするしか無かった。ごめんなさい、どうして、まだあなたと、私のせいで、何で、何故、あなたは、私は。感情が渦を巻き、ただただ轟音となって口から天へと上っていった。
 そして嵐が止み、朝が来て、私は声を上げるのをやめた。口をつぐんで、私はいつか立てた誓いをもう一度立てた。

 二度と彼を一人にしない。いつまでも、いつまでも、私は彼の傍に在り続ける。

 その誓いが揺らいだことは、今まで一度も無い。来る日も来る日も、彼の身体からそれまでしなかった臭いが発した時も、それが止まって彼が前より白くなった時も、彼が以前と比べて完全に痩せ細ったとわかった時も。私は、彼の傍を片時も離れなかった。
 それを邪魔する者は問答無用で追い払った。邪魔をしてきたのは、何処から嗅ぎつけたのか彼を狙うゴーストポケモンが稀にやって来るのを除けばここに住むドラゴンポケモンたちだ。当時リーダー格だったサザンドラが私に言ってきた、ここのポケモンたちの総意は「我々で人間を呼びに行き、彼を葬儀してもらう」というものだった。馬鹿を言え、その人間の元からこんなところに移り住んで泣いていた彼だ。人間なんかに引き渡したら、彼はまた一人になってしまうだろう。
 勿論私は突っぱねた。族長のサザンドラも、次に説得にやってきたボーマンダやガブリアス、カイリューたちも、炎を吐いて追い払った。かつての鍛錬のおかげか私はそれなりの強さを持っていたし、彼らが本気で攻撃してくることは無かったのだ。私から放たれる炎を受け、それを振り払いながら彼らはいつでもどこか憐れむような顔をしていた。
 しかし、そんなことに構ってはいられない。私がすべきなのは一つだけ、彼の傍にいることなのだ。彼が泣かないように、私だけはずっと一緒にいるって、その約束を守り続けるのだ。

 そのためには、妨げる者には容赦出来ない。まだリザードだった頃に彼が私の首にかけてくれた、不思議な輝きを放っている石がついたペンダントを爪でなぞる。大丈夫、私が傍にいるから。悲しい思いなんて、寂しい思いなんて、しなくていいから。

「…………リザードン、お前に間違いないよな。…………リョウさんが大切にしていた、リザードは」

 だから、邪魔をしてくる奴は残らず追い払う。例え人間であろうと関係無い。
 乾いた空気を大きく吸い込む。あの族長が死んでからは初めて見る三つ首の竜と、その背に乗って何事かを口にした人間に向かって、私は吠え声のような炎をぶつけた。


◆ ◆ ◆

「よくやった、ルキ! そのまま突っ込め、ドラゴンダイブだ!」

 リザードンから放たれた炎をかわしたサザンドラが勢いよく突進していく。その背中から素早く飛び降りたハルトを、数秒前にあらかじめボールから出されていたメタグロスが受け止めた。いつ谷底に落ちるかわからないこの地でも、磁力で宙に浮くことが出来るこのポケモンの上ならば空中戦の指示が出しやすい。
 自分に負けず劣らずの巨体の持ち主の体当たりをまともに喰らい、リザードンが短い呻き声を上げた。ぐらついた体勢を急いで直し反撃を挑んだようだが、怯んでしまったらしく動きが止まる。

「噛み砕け!!」

 三つの頭がそれぞれ自慢の歯を容赦なく突き立てる。右翼、首、左翼全てに牙が刺さり、リザードンは痛みを堪えるように身をよじった。
 しかしそれも束の間、リザードンに食らいついていたルキもろとも辺り一面の大気が燃えた。煉獄を思わせる紅にうねった炎に包まれ、熱さのあまりルキは牙を抜いて離れざるを得ない。ちりちりと焦げ付いた鬣の炎を振り払おうと必死にもがくルキへとハルトが火傷治しを投げる。渦巻いていた炎を蹴散らし、その介入を忌々しそうに睨みつけたリザードンが再び姿をハルトの元に晒した。

「リョウさん……お前の主人はもう死んだはずだろう、サリーに調べさせたから間違い無い。お前がいくら近くにいたって、どうしようも無い」

 その言葉を掻き消そうとするような火炎がハルトに向かって放たれる。が、素早く張られたメタグロスの光の壁によってそれがハルトに届くことは無かった。リザードンの攻撃が一旦止まるのを待ってから、ハルトは尚も続ける。

「何故だ。なんで、そこまでお前は、自分だけが主人の傍に留まり続けることに固執するんだ」

 
◆ ◆ ◆


 何故、だなんて理由など決まりきっている。それしか私に出来ないからだ。
 そう答える代わりに、私は先ほどのように炎を纏う。さっきと異なるのはそれがサザンドラを取り込んでのものではなく、その状態で突進するためのものだ。
 フレアドライブ、彼が教えてくれたこの技はそんな名前らしい。これを使うと私もかなりの反動を受けてしまうのだが仕方無い。視界が赤く染まり、指の先まで熱が行き渡る。咆哮と共に炎を吐きながらサザンドラ目掛けて一直線にぶつかった。全身に痛みが走るが手応えはある、三つの頭を支えている首元にしっかりと衝撃と熱量を与えてやった。

「竹篦返し!」

 おかしい、ほとんど効いていない。明らかに反動では無い、腹部を強く打たれた感覚に思わず目を閉じた。つい数秒前に私がぶつかった長い首、それそのものでぶん殴られ、井の中のものが逆流しそうなほどに痛覚が悲鳴を上げる。私の攻撃をバネにしたような反撃に撃ち落とされそうになったけれども、どうにか堪えて羽を動かした。
 族長と戦った時にも思ったけれど、やはりサザンドラという種族は強い。それに加えてこのサザンドラはかつての族長よりもずっと強そうに思えた。蒼の鱗は少し焦げ付いていたけれども、それを毛ほども気にしていない。先ほどのように火傷を負わせることも出来ず、私は牽制を兼ねて炎の渦で壁を作る。
 無駄かもしれない、とは思う。あの攻撃を余裕で耐えられるならば、こんな渦程度では何の意味もなさないだろう。何も無いかのように突っ込んでくるかもしれない。

「リザードン、少し話を聞いてくれないか」

 しかし、ぐるぐると廻る炎の中で私が考えたことは覆される。幾重にも邪魔な存在である人間が場違いなことを言ったのだ。何をこんな時に、と思いつつも体力がある程度回復するまでは余計な手出しは出来ない。炎の隙間から時折覗く、サザンドラの三つ首を睨みつけて私は奥歯を噛み締める。

「俺はお前の主人と会ったことがある」

 火炎が唸る音に混じって人間の声が聞こえる。会ったことがあろうと無かろうと、私と彼には関係無い。定期的に人里へ行っていた彼だから、知り合いくらいいるだろうとは思っていた。
 これ以上無駄話を聞く気は無い。いっそのことこいつごと燃やしてしまおうか、と息を吸い込んだもののそれを素早く察したメタグロスが、またしても光り輝く壁を立てた。しかもサザンドラまでもが目ざとく気がつき、大きな尻尾を揺らして威嚇したのを人間に止められている。
 為す術も無く、私は燃え盛る炎の中で人間の話を聞く羽目になった。炎に囲まれたからかそれとも気のせいか、彼のくれたペンダントまでもが熱く感じる。苛立って握り締めた拳に、小さな火が宿って渦へと同化していった。
 
 
◆ ◆ ◆


「ルキがまだジヘッドだった頃、俺はリョウさんに出会った」

 モノズやジヘッド、そしてサザンドラは気難しい者が多く手懐けるのは困難だ。にも関わらずハルトによく懐いているルキを見て、ポケモンセンターにあるカフェで旅の疲れを癒していたハルトに声をかけたものがいた。
 それがリザードンの主だったのだ。リョウと名乗ったその男はドラゴンポケモンに造詣が深いようで、当時ジヘッドを一生懸命に育てていたハルトと話が弾んだ。ハルトが語る旅の波乱万丈を楽しそうに聞いていた男は、君さえ良ければこれからも連絡を取り合わないか、と文通を提案した。自分は人里離れた土地でドラゴンと共に一人暮らしている、旅の話もまだ聞きたいし様々な場所を巡るハルトに相談したいこともある。また、ジヘッドのことや他のタイプのポケモンでも少しならば、参考になることが言えるだろうと。
 ハルトは快く承諾し、それ以来二人は何度か連絡を取った。大抵は、ハルトが行く先々からリョウの使うポケモンセンターに手紙を送り、リョウが訪れた際にそれを受け取ってハルトのアカウントへメールを返すというものだったが、タイミングが上手くあった時は通話もした。

「リザードン、お前のことも聞いたよ。どこから来たのか、倒れていたヒトカゲを世話していて今はもう凛々しいリザードだと言っていた」

 止まる事無く動き続ける、炎の向こう側にいるはずのその姿は確認出来ない。出てきてくれるかもしれないと少し期待していたハルトは気落ちしたものの話を続ける。
 何度目かの通話の時だった。大分交流を重ねるうちに、リョウは少し自分のことも話すようになっていた。今いる場所のこと、好きなポケモンのこと。それでも決して過去のことは話さなかったのに、旅の途中でハルトが立ち寄った、壊滅した組織のアジトの話になったのをきっかけにリョウは初めてそれに触れたのだ。

「リョウさんは、かつてロケット団という組織で研究員をしていたらしい。今はもう存在していないけれど、ポケモンを使って悪事を働いていた組織だ。そこでのリョウさんの仕事は……ドラゴンポケモンの強さを利用するシステムの開発だったみたいだ」

 それがいつのことなのかは、もうハルトですらわからない。リョウはそのことを言わなかったし、それを知る者は皆世界中に散ってしまったのだ。
 ドラゴンポケモンの細胞を他のポケモンに転移したり。生物兵器やロボットに応用したり。鱗や牙など、実験に使わなかった部位は秘密裏に行われる取引で高値で売りつけた。大きさや種族、レベルに関係無く、何匹ものドラゴンポケモンを手にかけたという。

「勿論、組織が壊滅して、リョウさんは目を覚ますと同時に激しく悔やんだ。自分がしてきたことの愚かさや、取り返しのつかないことをしてしまったという嘆きにいつでも悩まされていたと思う。人里から離れ、この辺境でドラゴンポケモンの世話をしているのもせめてもの贖罪のつもりだって」

 かつてのこの場所は、ロケット団の中でも一部だけに情報が流されたドラゴンポケモンの養殖場だった。実験に使うためのドラゴンをここで育てていたのだが、その実験が行われなくなってからは単なるドラゴンポケモンの住処と化している。自分たちの勝手で作られ、この土地で生まれるドラゴンポケモンを出来るだけ守ろうとリョウはここで暮らしていたのだ。
 リョウは死ぬまでそうすると心に決めていた。以前は生体実験に使われ、無惨に殺されていたドラゴンたち。これからずっと先は彼らが幸せな一生を過ごせるように全力を尽くそう、そう決意していた。

「だけどリザードン、お前の存在は、リョウさんにあることを思い出させた」

 ハルトのその言葉に、渦巻いていた炎が揺らぐ。火に囲まれているうちに少し回復したらしい、リザードンは先ほどよりかは威厳を取り戻した目つきでハルトをじっと見つめた。

「研究員だったころ、リョウさんの研究グループが調べていたことがある。それは、リザードンが蒼い炎を身に纏った竜になるという仮説だ。いや、今ではもう仮説では無い。リザードンに限らず、何匹かのポケモンで確認されている現象なのだけど……一定の条件を満たしたポケモンは一時的に、だが非常に強い力を持った状態へと変化することが可能になる」

 メガシンカと呼ばれるその現象は、様々な研究者たちの集めたデータによりようやく近年普及してきた。そのデータの中には、廃墟と化したアジトなどから回収されたものもあっただろう。

「それをするためには、ポケモンとトレーナー双方がとある宝石を持つことが条件の一つなんだ。俺とリョウさんが出会った時がまさに、リョウさんはその宝石を購入した時だった」

 時折炎を周囲に生じさせる以外は、リザードンは黙ってハルトの話を聞いているようだった。角に、羽に、腕に、尾にまとわりつくように生まれては消えていく炎を用心深く睨みつけ、ルキも臨戦状態を保ったままだ。
 今にも噛みつこうと牙を鳴らしているルキを目線で一度制し、ハルトはリザードンに視線を戻す。
 
「最初は単なる好奇心だったのかもしれない、とリョウさんは言った。これが実現出来れば驚異的なダメージを与えられるだろうと昔必死に調べていた、そのことが本当なのか確かめたいだけなのかもしれない、と。自分の元にリザードが現れたのも、何かの因果なのでは無いか、そう言ってたんだ。だけど――」

 だがしかし、ハルトがその先を語ることは出来なかった。リザードンの羽がしなり、途端に引き起こされた熱風に煽られ、ハルトもルキも、メタグロスも、そして少し離れて成り行きを見守っていた竜たちもその身を揺らがす。一番初めに反応したのはルキで、三つの首が自らを奮い立たせるように吠え声を上げながらリザードンに向き直るが、顔面に吹きつける熱い風のせいで上手く立ち回ることが出来ない。
 メタグロスに掴まりつつ急いでゴーグルを装着し、ハルトはリザードンの姿を確認する。水や砂、熱などに耐性を持ったレンズの向こう側に見えたリザードンは、その顔を怒りに歪ませ、息の代わりに炎を吐いていた。


◆ ◆ ◆


「待て! まだ話は終わって無い!」

 人間が何かを叫ぶ。しかし、その声は私の起こした風に流された。
 信じたくない、信じない。彼が、あの彼が、そんなことをしていただなんて、私は。
 そんな思いを炎と共に叫ぶ。直線を描き、サザンドラ目掛けて放たれたその炎は見事命中。やはりそれほど効いていないようだけども、それでもサザンドラは熱に身をよじった。

「ルキ、雨乞いだ!」

 焦げ付いた鬣を大きく振りかぶり、サザンドラが天を仰ぐ。甲高い声が空を貫いたや否や、太陽の輝く青空がみるみるうちに雲に覆われていく。ぽつり、と私の額に水滴が落ちた。ぽつり、ぽつり、と続いたそれはあっという間に大雨となって谷底へと向かっていく。
 雨を降らせば炎を使う私が弱ると思ったのだろう。しかし、私は雨の中でも戦ってきた。この程度の水、取るに足らない。身体に撥ねる雨粒を蹴散らすように私はぐるりと旋回し、そのままサザンドラに距離を詰めた。不意打ちの接近に、三つ首が揃って動きを止める。

「ルキッ!!」

 いらないと思った腕でも役に立つ。私以上の巨体を軽々と持ち上げた二本の腕を唸らせて、そのまま勢いをつけサザンドラを岩壁向かって投げつけた。地球投げ、そう名付けられたこの技はこころなしか火炎よりもダメージを与えているようだ、サザンドラはふらつきながら危機一髪、近くの岩によりかかって体勢を整えている。
 ハイパーボイス、と人間が言った途端、三つの口から同時に放たれた轟音が耳をつんざく。空気を震わせるほどのその大声に頭がちかちかして、私は目を瞑った。瞼の裏に、懐かしいあの苦笑が浮かぶ。私を撫でてくれた笑顔、私を抱きしめてくれた笑顔、私を守ってくれた笑顔。その笑顔が皆、偽物なのかもしれない、私を強いドラゴンにするための嘘だったのかもしれない、という思いと共に腹の底から怒りが溢れてくる。

 …………怒り?
 確かに怒りだった。でも、それは、彼への怒りでは無い。
 この尻尾に燃えている、私の喉奥深くで音を立てている、紅い炎よりも熱いこの怒りは。

「逆鱗……! 危ない! ルキ、離れろ!!」

 人間の声に急いで退こうとしたサザンドラの喉笛に喰らいつく。叫び声がしたが、私の頭には響かない。邪魔者であるサザンドラを倒す、そんなことはもうどうでも良かった。今はただ、怒りに任せて暴れたかった。何でも良い、ただ、力いっぱいに叫びたかった。
 この怒りは、自分自身に向けてのものだ。彼の過去がどんなものでも、彼のことを嫌いになれない自分への。彼がどんなに酷いことを考えていたとしても、彼のことを好きな自分への。彼の笑顔が嘘でも偽りでも、それを構わないと思えるほどに彼を愛し続けている自分への。そして、それにも関わらず、彼を死なせてしまった、不甲斐ない自分への。

「リザードンッ! 落ち着け、まずは落ち着いて話を聞いてくれ!」

 尻尾を振り切る。爪で切り裂く。角を刺す。牙を立てる。腕で殴り、脚で蹴り飛ばす。翼で弧を描き、力一杯に打ち付ける。雨にも負けない炎で焼き払う。その全てがひっきりなしにサザンドラを遅い、その度に口々から呻き声が漏れた。
 私は。私が。彼を。彼に。彼が。私は、私は……!! 感情が溢れ出し、頭の中が熱くなる。何故だろう、身体が痛い。もう、サザンドラを攻撃しているのか、それとも自分自身を痛めつけているのか、それすらもわからなくなっていた。

「今だ、抜け出せ! 竜の波動!」

 何をしているのかわからず、混乱によって生まれた私の隙を彼らは見逃さなかった。至近距離から放たれた衝撃波が、遠慮容赦無く私を撃つ。両翼と腹部が重い。雨によって少しずつ蓄積されたダメージも相まって、私の身体は重力に耐え切れずに落ちていく。
 これで構わない、という感情が頭をよぎった。私なんて、こうなって当然だと感じた。これは自分の思いを伝えずに、今まで生きてきた罰なのだと。それがやたらと納得出来て、私は全身の力を投げ出した。
 しかし、首の石が熱量を持った。そこで私は思い直す。
 駄目だ。やっぱり、ここで諦めるわけにはいかない。誓ったではないか、彼の傍にいるのだと。今諦めたら、彼の傍にいることは叶わない。私は、まだ戦える。必ずこいつらを追い払って、彼の隣に居続けるのだ――!!

「…………っ!? まさか、……!」

 途端。引きちぎられるような痛みが身体中を駆け巡った。全身が膨らむような感覚。角が大きな力で引っ張られ、長さを増していく。尻尾が膨張して、先端に灯った熱さがさらに上がる。腕が、脚が、首が、破裂しそうな程に痛い。
 そして最後に、翼が水滴を撥ね除けて雨空へと広がっていく。首元に感じる熱が今までに無いほどに強く感じられて、私は嘶いて空を仰いだ。

「メガ、リザードン……!!」

 私の声と共に放たれた炎は紅では無い。降りしきる雨を蒸発させながら煙となったそれは、いつか彼が読んでくれた話に出てきたような、美しい蒼の色をしていた。


◆ ◆ ◆

 ――好奇心、かと思っていた。だけどそれは、違ったんだ

 メガシンカは、トレーナーがいる元でしか確認されていない。そして、リョウはもう死んでいるはずだ。それなのに目の前のリザードンはメガシンカを遂げ、蒼と黒の竜へと姿を変えている。驚いてルキに指示を出すことすら出来ないハルトの脳裏に、いつかのリョウの言葉が蘇った。

 ――ロケット団が壊滅して以来、僕はポケモンを持つことが無かった。そんな資格は無いと思っていたし、ポケモンの方だって、僕を受け入れてくれないと思ったからね。実際、ドラゴンポケモンたちには懐かれているけれども特別に好かれているわけでは無い。

 ――だけど、あの子……リザードだけは別だ。彼女は僕の傍にいつもいてくれるんだ。昔を思い出して、一人で泣いていた時も黙って寄り添ってくれた。だから、もしかしたら、って思ったんだ。彼女と一緒に、もう一度ポケモンとしっかり関われるんじゃないか、って。

 ――メガシンカをするには、ポケモンとトレーナーの間の強い絆が必要だと言うじゃないか。きっと、彼女とならば出来るって信じてるんだ。尤もリザードンに進化してからの話だけどね。

 ――もしも彼女がメガリザードンになって、蒼の竜になったら、僕は。彼女を抱きしめて、こう言おうと思うんだよ……

 ハルトは考える。強い絆、それは魂に宿るもの。だとしたら、きちんと弔われていないリョウの魂が未だここに残っていたとして、そして、彼を強く想っているリザードンに共鳴したとしても、不思議なことでは無いのかもしれない。それほどまでに、彼は彼女を、彼女は彼のことを、互いに想い合っていたのだ。
 しかし、これでおしまいというわけでは無い。リザードンはきっと自分の話を勘違いしたままだし、ここに来た目的も達成出来ていない。蒼い炎を悠然と揺らし雨空の下、自分を見下ろしているリザードンをゴーグルを外した肉眼でしっかり見つめる。そんなハルトを察し、ルキも姿勢を整えて三つの首を振った。
 先程までのような焦りは、もうリザードンに見られない。それがわかったハルトの口許が緩む。どちらが勝っても、彼女はきっと大丈夫だろう、そう確信出来た。
 でも、だからこそ。トレーナーとして、リョウに、そしてリザードンに対して敬意を払う者として、負けることは出来ない。

「ルキ! 怖い顔で牽制しながら破壊光線!!」


◆ ◆ ◆


 同時に鬼の形相をした三つ首に、否応無しに私の心臓が跳ねる。間髪置かずに繰り出されたのは嘘みたいに勢いの強い、質量を伴った光だった。それは私の首元にぶつかったが、耐えられないかもしれないという私の予想とは裏腹に身体を少し揺らしただけだった。確かに痛みはあるが大したことは無い。私は、驚くほどに強くなっていた。 
 感じる。首の石の熱さが、彼を私に感じさせている。私を奮起させている。負けられない、そう思った。

「来るぞ! 気をつけろ、ルキ!」

 人間が叫ぶが、攻撃の反動かサザンドラの動きは鈍っている。今だ、という彼の声が聞こえた気がした。
 全身の熱を喉元へと集中させる。今ではもう蒼い炎が一箇所に集まる感覚と、言いようのない高揚感が私の体温を上昇させた。私の気迫に怯えたか、サザンドラの動きが止まった一瞬を逃さず一気に炎を放つ。全身全霊で放たれた高温の炎は、サザンドラを包み込んで蒼白い光となった。三つの慟哭が天を突く。
 そんなはずは無いのに、彼がここにいると思えて仕方無い。傍にいる、そう誓った癖にそうして欲しかったのは私の方だ。いつまでも、私と一緒に過ごして欲しかった。戦いに勝ったら褒めて欲しかった。色々なところに連れて行って欲しかった。もっと沢山のお話を聞かせて欲しかった。
 だけど、それが叶わないなら。せめて、ずっとあなたを感じていたい。

「ルキ! まだいけるだろう、奮い立て!!」

 空中で燃えていた炎が振り払われ、雨に消えた。中から出てきたサザンドラが身体中に焦げ跡をつけて身をよじるが、それは苦しみからのものでは無い。闘志に溢れ、戦意に漲った六つの眼が私に向けられる。
 怯むことは無い。来るならば、迎え撃つまでだ。もう雨なんか気にならなくなっていた、ただ、首の熱さだけがあればそれで十分だ。

 彼の声が聞こえる。彼の笑顔が見える。彼の温もりが、全身に伝わる。
 私は、あなたがいて、とても幸せだ。

 角の先に、翼の先に、指の一本一本にまで炎が灯る。美しい蒼をしたそれを、残らずサザンドラ目掛けて解き放つ。

「流星群だ!!」

 その炎がサザンドラに届く一瞬前、人間の声が響いた。続いてサザンドラの三つ首が、揃った動作で空を見上げる。嘶きと共に閃光が光って、直後サザンドラは再度蒼い炎に包まれた。やったか、と私は煙を吐いて成り行きを見守る。
 しかし、炎はすぐに蹴散らされ、中から満身創痍のサザンドラが身を震わせながら飛び出した。何故だ、先程の攻撃で力が落ちたか。そんなことを思った途端、サザンドラが不敵な笑みを浮かべる。それを疑問に思った私が、ふと空を見上げると、炎を纏ったいくつもの大きな岩が、私めがけて一直線に落ちてくるのが視界に入った。


 隕石に身を打たれ、たまらず谷底に落ちる最中、私は一瞬、夢を見た。
 蒼い炎の竜となった私を、彼はいつかと同じ温かい手で撫でてくれた。熱くないのかな、と思ったけれども平気そうな彼に、懐かしさと嬉しさがこみ上げる。抱きしめて欲しくて彼の胸板に額を擦りつけると、少し困ったようなあの笑顔になった彼は私の首に腕を回した。

「ごめんね、こんなことになっちゃって」

 彼が言う。私は首を振った。あなたが謝る必要は無い、そもそもあなたが死んでしまったのは私のせいでもあるのだから。それに、私が欲しいのはそんな言葉じゃ無い。

「傍にいてくれてありがとう。君のおかげで、僕は寂しく無かった。嬉しかったよ」

 彼の優しい声が私の心に響く。大きくなったね、と翼に手を伸ばした彼を少しでも多く感じようと、私はぴったりとくっついた。
 彼の手が、私の首にある石に触れる。辺りが明るくなっていく。もう二度と、彼のことを見るのは叶わないように思えた。

「リザードン。僕は、君に会えて幸せだった」

 彼の笑顔を、声を、その全てを脳に焼き付ける。大丈夫、お別れするわけでは無い。顔を上げて、私は彼の眼をじっと見つめた。私の頬に手を添えて、彼がくしゃりと顔を歪ませる。

「僕は、君のことが好きだった。……いや、今も、大好きだよ。これからもずっと、」

 私も。私も、あなたのことが、ずっと大好き。
 その言葉は、蒼の炎となって私たちをゆっくりと包んだ。


◆ ◆ ◆


 竜の秘境を見渡せる、木々と泉を脇にした岩場に新しい墓標が作られた。しばし手を合わせ、ハルトはそれを囲んでいたドラゴンポケモンたちを見回してそっと呟く。

「この世の魂をあの世に運ぶ、冥界の王は竜の姿をしていると言う。竜を愛し、竜に愛された彼を憐れんだのかもしれないな」

 あの後、ハルトのポケモンやドラゴンたちも総動員して探したのだが結局リョウのキーストーンは見つからなかった。もう死んでいる人間との間でどのようにメガシンカが行われたのかは謎のままだが、これ以上調べることは無理だろう。
 そしてもう一つ不思議なことに、リザードンの姿が元に戻ることも無かった。通常、メガシンカは戦闘を終えると元の状態へと戻るのだが、ハルトが手当てを施してからもリザードンは変わらず、黒の身体に蒼の炎をたたえたままだったのだ。何故だろうな、とリザードンに尋ねてみたハルトだが、ふんと鼻を鳴らしたリザードンにはそっぽを向かれてしまった。ルキがその様子を見て面白そうに笑う。

「別に答えたくないならいいけどさ。今回の目的くらい果たさせてくれよ」

 言いながら、ハルトはリザードンの首元に近づく。メガストーンが装着されたペンダントにいくらか細工を施したハルトが離れてからリザードンが視線を下へずらすと、そこにはリザードンの炎と同じ蒼をしたメガストーンを中心に、赤の宝石と紫の宝石がいくつか並んでいた。

「リョウさんから頼まれていたんだ。ペンダントにつける炎のジュエルがあったら届けて欲しい、ってさ。連絡がつかないからここを探し当てて直接持ってきたんだけど……お前に似合うだろうから、って言ってたぞ。リョウさん」

 ドラゴンジュエルは俺からのプレゼントだ、と付け加えたハルトにリザードンは再度そっぽを向いたが、さっきのような刺々しいオーラは消えていた。黒の指先が愛おしそうにペンダントを撫でる。
 かつてリザードンが冷たい態度で追い払っていたドラゴンポケモンたちが、彼女を責めることは一切無かった。皆、彼女が昔のように穏やかな笑顔で現れたことに安堵して喜んで受け入れた。いつかの喧嘩相手だったフカマルやミニリュウはもう大きくなっていて、からかうような笑みを浮かべつつも嬉しそうにしている。

「さて、俺はそろそろ行くよ。ここは楽しいけれど、いつまでもいるわけにはいかないし」

 ハルトが鞄の口を閉めながら言う。傷の手当てを受けてすっかり回復したルキが、準備万端だとでも言うように翼をはためかせた。その背中に足をかけ、ハルトはリザードンを振り返る。

「その顔じゃ、お前もどこかに旅立つって感じだな?」


◆ ◆ ◆


 雨の上がった青空は、徐々に橙色に染まっていく。西の空で輝く太陽はつい数時間前までの私の色によく似ていたけれど、あの色に私が戻ることはきっともう無いのだろう。
 人間と三つ首の竜が飛んでいった方向とは反対の空に向かって、私はまっすぐ進む。どこに行くかは決まっていない。どこでも良かった。彼と一緒に、色々なところへ行こうと思ったのだ。
 強い力なんていらなかったし、その思いは今でも変わっていない。だけど、その力が彼の気持ちによるものなのだから私にとって必要なことに間違いは無いと思う。

 首元を源とする熱が、身体中に満ちているのを強く感じる。背中に彼が乗っているように、あっちに行こうと彼が言っているように、一番星を彼が指差しているように。そんなはずは無いのだけれど、私はそう思うことが出来た。
 追い風に助けられながら飛び続けたせいで、もう故郷は見えなくなっている。世界中を回ったその最後、楽しかったね、と言いながら彼とあそこに帰りたい。そして、彼の隣で長い夢を見たい。

 あなたのことが大好きで、あなたのことを愛していて、ずっとあなたの傍にいたい。
 その想いはこれからも永遠に、蒼く燃え続けるのだ。