青年は困っていた。なぜなら、目の前のパソコンが動かなくなってしまったからだ。
彼はそこまで裕福な暮らしをしていなかった。自分が生活するのに精一杯だった。毎日朝から晩まで働いている
のにも関わらず、家賃と食費、それに光熱費を払えば、毎月ほんの少ししかお金を貯めることができない。当然
、そんな状況では娯楽にお金を浪費することはできない。
そんなときに、大事な物が壊れてしまった。これには頭を抱えるしかない。
パソコンは、彼にとって今や生活必需品だった。様々な人と連絡が取れて、何か調べたいことがあれば簡単に検
索できる。音楽も聴けるし映画も観られる。仕事で使う資料も作ることもできる。全てをこれ一つで済ますこと
ができるのだ。
そんな大事な物が壊れてしまった。余裕のない生活をしている青年に、買いなおすお金は今すぐ用意できない。
と言って、お金が貯まるまでパソコンを利用することができないと考えると辛いものがあった。生活に支障が出
てしまうのは間違いない。
「お金、借りようかな」
青年は呟いた。すると同時に、あるポケモンが彼の頬を叩く。ぱちんと気持ちのいい音が鳴り響いた。彼は、頬
を叩いた張本人の方へ向き直る。
「悪かったよ、ポリゴンZ。そんなことはしない、我慢しますよ」
そうは言ったものの、彼は深いため息をついた。
側にいるポリゴンZは、青年のパートナーだった。物心がついたときはポリゴンだったのだが、公式の道具を使
いポリゴン2に進化した後、所持していた変な道具を勝手に使ってポリゴンZに進化してしまったのだ。他のポ
ケモンに比べれば感情が読み取りにくいし、万人受けしないかもしれないが、彼にとっては大事な家族だった。
それと同時に目付け役でもある。
青年はまだまだ子どもだった。だからポリゴンZも、彼が間違った方向へ行こうとするのを何気なく注意する。
ポリゴンZからしても青年は、大事な家族だからだ。
「でも、やっぱりパソコン使えないのは困るなあ」
再びため息。どんなに落ち込んだってパソコンが直らないのは分かっている。しかし気持ちが沈んでしまう。
明日から何を支えに仕事に励めばよいのだろうか。テレビと映像を再生する機械が壊れているから、観たい映画
も観られない。そういえば、明日までに仕事で必要な書類を作らないといけないことを、今になって思い出す。
手書きの書類だと労力がかかりすぎてしまう。どうしようか。やはり無理にでも購入するべきなのか。今すぐ、
電気屋さんに走るべきなのか。
青年が葛藤しているわきで、ポリゴンZは、使い物にならなくなった電化製品を眺めている。そして何を思った
か、もう動かないパソコンに優しく触れた。
何をする気なのか。青年は黙ってポリゴンZの行動を見つめている。
すると急に、パソコンがギギギと変な音を立てる。青年は思わず体をびくりと震わせた。何をしているのかもよ
く分からず、黙って指をくわえているしかない。ポリゴンZは、ただパソコンに自分の手を当て続けた。
やがて怪しげな音は止んだ。ポリゴンZは、パソコンから離れ、青年の方へ視線を送る。
もしやと思いスイッチを入れる。パソコンは、いつも通りの音を立てて起動した。
「信じられない。すっかり直っている」
青年は喜ばずにはいられなかった。少し弄ってみても、壊れる前と同じ。変わっているところは何もない。完全
に元通りだった。
たまらず彼は、自分のポケモンに抱きついた。
「ありがとう。本当に助かったよ」
ポリゴンZも、青年の愛情に快く甘えている。
でもどうして直ったのだろう。考えてみると、一つ心当たりがあった。
「リサイクルか」
それはポリゴンZが、ポリゴンの頃に覚えていた技だった。リサイクルとは、戦闘中自分が使っていた道具をも
う一度使える状態に戻すという、極めて特殊な技だ。青年はポリゴンZを使ってポケモンバトルはしないので、
珍しい技だからと忘れさせることをしなかったのだが、こんなところで役に立つとは思ってもいなかった。
まさか、自分が所持する道具以外の物も直してしまうなんて。青年は驚愕していた。
そして思いつく。
彼はポリゴンZを離し、物置に向かう。暫くして取り出してきたのは、去年壊れて使えなくなった扇風機だった
。
「ねえ、これも直せる?」
恐る恐る尋ねる。ポリゴンZはためらいなく頷いた。
先程と同じように手を当てる。すると、また鈍い音が響き扇風機が震える。ほこりを羽根が割れた扇風機は、段
々と綺麗になっていく。まるで時間を戻しているかのように、新品に近づいていく。
作業が済むと、ポリゴンZは嬉しそうに青年の胸に飛び込んできた。彼は自分のポケモンの頭を撫でながら、呆
然と扇風機を見つめていた。数年間使い続けてきたというのに傷ひとつない。今日買ってきたと誰かに見せても
疑われないだろう。でも確かにこれは、青年がまだ学生だった頃に購入し、壊してしまったので、捨てずに押し
入れにしまっておいたものだ。
ポリゴンZを抱き上げる。体を観察し、どこか異常がないかを確認したが、体調が悪い訳ではなさそうだ。
「なあ、気分は悪くないか。もしくは、疲れているとか」
この問いに、ポリゴンZは首を傾げた。無理をしている様子もない。
まさか、リスクなしで直せるのではないか。ということは、どんな物も直せるのではないか。
青年は興奮していた。当人であるポリゴンZは何も知らずに、目を見開き放心状態の主人にすり寄っていた。
翌日、青年は会社を休んだ。仮病だったが、今まで真面目に働いてきたので、彼の上司は全く疑問を持たなかっ
た。
向かった先は、ポケモンを研究している施設だった。彼はそこにいる、研究員である自分の兄を尋ねた。兄は、
弟である青年が突然訪問してきたことに驚いていた。
「どうしたお前。仕事が忙しいんじゃなかったのか」
「休みを貰ったんだよ。それより兄さん、ちょっと僕の話を聞いてくれないかな」
青年は、昨晩の出来事を詳しく説明する。
「なるほど。ポリゴンのリサイクルに、そこまで汎用性があったとは」
「しかもね、全くリスクがないみたいなんだ。僕のポリゴンZは全く疲れていないんだよ」
青年の兄は爪を噛んで考えていた。彼の癖である。
そして手を叩いて言う。
「分かった。今から実験してみよう。お前のポリゴンZ、少しだけ借りるぞ」
そう言うと兄は、同じ研究員に何かを話し始めた。ポリゴンZは不安そうに青年を見たが、大丈夫だよと穏やか
な顔で安心させた。
しばらくして青年は兄に呼ばれた。案内された場所は、白い壁で覆われた八畳程の部屋。ひとつの壁には窓があ
り、開ける場所はない。そこから何人もの研究員が無表情で彼らを見つめている。部屋の中には、ごつごつとし
た体を持つポケモンのポリゴン、それに丸くてつるつるとしたポリゴン2がいた。どちらも青年にとっては見覚
えがあるポケモンだった。そして部屋の中心には、古いテレビが三つ。
兄が言う。
「実はポリゴンについては謎が多くて、研究があまりはかどっていないんだ。そろそろ成果を出さないと補助金
も出ない。そこでお前の話をしたら、是非実験をしたいってさ。これから、三種類のポリゴンにそれぞれリサイ
クルをさせよう。もちろん、お前の大切なポリゴンZに危険はない。お願いできるな?」
「うん。分かった」
青年は抱きつくポリゴンZを引き離して言い聞かせる。
「これから、ポリゴン達と一緒にこのテレビを直してくれないかな。一回僕は部屋から出ないといけない。あそ
こからちゃんと見てるから、安心していて」
青年は、この質素な部屋にある唯一の窓を指さしながら言う。ポリゴンZは不安そうに青年を見つめてくるが、
彼はぐっとこらえた。
「これが終わったら、久しぶりにどこかに遊びに行こう。だからお願い」
ポリゴンZは少し悩んでいたが、やがて了承してくれた。
青年と兄が部屋から出ると、早速実験は開始された。リサイクルを覚えたポリゴン達が、テレビを直していく。
それぞれのテレビからはバキバキと生々しい音が鳴る。兄と他の研究員が騒いでいたが、青年は予想していたこ
となので冷静にポケモン達を見つめている。そんな弟の様子を見て、兄もようやく冷静になった。
三つのテレビは完全に直った。これには、実験を見つめていた人間達は驚嘆した。
「信じられないな。本当に直った。三体の疲労状況はどうだ?」兄が言う。
「データを取りましたが、ポリゴンとポリゴン2には疲労が蓄積しています。ですが、彼のポリゴンZだけは疲
労が全くありません」研究員は嬉しそうに返した。
「どうやら、弟の言っていたことは本当だったようだな。これは凄い発見かもしれないぞ」
「役に立てたみたいで嬉しいよ。兄さん、もうあの部屋に戻っていい?」
「ああいいぞ。迎えに行ってやれ」
青年は直ぐに部屋に戻り自分のポケモンを迎えに行く。ポリゴンZは、まるで子どものように青年に近寄りはし
ゃいでいる。そんな様子を眺めながら兄は言う。
「これからはうちの施設でポリゴンZを育てよう。きちんと調べなければいけないな」
「そうですね。きちんと分析してみれば、どんでもない事実が分かるかもしれません」
兄は自分の弟を見守りながらも、既に研究者の表情に戻っていた。
そこからは一大事だった。ポリゴン達のリサイクルで機械や物を修理できるという重大なスクープは、あっとい
う間に世界中に知れ渡った。
その後も兄の施設で詳しく研究は続けられ、詳細が分かってきた。ポリゴンとポリゴン2がリサイクルをすると
、人間と同じように疲れが残る。中にはもうリサイクルをしたくないと意思表示する者もいた。しかしポリゴン
Zは違った。彼らは特殊な進化をしたせいか、どんなにリサイクルをしても疲れは残らない。そして、彼らの体
に後遺症が残ることは一切ない。単純にリサイクルをする行為に飽きることはあっても、やろうと思えば半永久
的に壊れた物を元通りにできることが判明した。
事実が広まった時は、古い電化製品や玩具、道具をゴミ広場から拾ってきて直し、売りさばくという行為に走る
者が後を絶たなかったが、皆が同じことをするので、そのうちそういう新しい物を買おうとする人がいなくなっ
た。ポリゴンZがいて現物さえあれば、誰でも新しい状態で欲しい物を手に入れることができるからだ。
残飯など、食物以外のゴミは減り始めた。捨てる意味がないからだ。例えば鞄が破れても、電化製品が壊れても
、服が破けても、全て元通りになる。
そのせいで、消費と生産のバランスが崩れ始めた。新しい電化製品を作ったとしても、買い直す必要がないから
売れない。流行の服が出ていたとしてもまだ昔の服が着られるので、そのうち買う人が少なくなってきた。昔と
変わらず買われるのは食べ物と使ったら無くなる消耗品、それに娯楽用品ぐらいで、他の商品を作る企業はどん
どん倒産していった。最初は政府がその流れを止めようと、ポリゴンZでリサイクルをするのは禁止する法律を
作ろうとした。だが、同じ物をまた使うのは自然を汚さないし環境を破壊しないので良いことなのではないかと
、国民やよく分からない団体などから総出で反対されてしまい、その法律は作ることができなかった。
良いこともあった。ポリゴン達のお陰で、昔の物、古代文明の石碑や建築物などを修復することに成功した。そ
のため、貴重な世界遺産や遺産を、完成した当時の状態で保存することができるようになった。それにより、歴
史も真実に少しずつ近づいていった。更に、家族の大事な遺品も綺麗に直すことができた。
特に、コレクターにはポリゴンZのリサイクルは好まれた。数十年前の骨董品や玩具が、当時発売日と同じ状態
に戻す人が増えた。中には古いから良いのだと思う人もいて、わざとリサイクルを使わない者もいた。
但し、生き物を蘇らせることだけは不可能だった。誰かが人間の骨から死んだ人をリサイクルしようと試みた者
がいたが、それだけはどうしても成功しなかった。ポリゴンのリサイクルは、あくまで物に限って効果を発揮し
た。
そのうち、一つの家族に一匹ポリゴンZがいるのが当たり前になり始めた。世界中で生存しているポケモンの中
で、ポリゴン達が圧倒的に多くなった。
なぜポリゴン達がそんなことをできるのか、原因を追究しようと多くの研究者が奮闘したが結局原因は判明しな
かった。特にポリゴンZに至っては、無限にリサイクルを行うことができる。ポリゴンZへの進化の要因にもなる
あやしいパッチを解析しても、労力は全て無駄になった。
今までと同じ物を新しく改良しても売れない時代を迎えた。車などの工業製品はもう作っても意味がない。壊れ
てもポリゴンZがいる。そんな時期が数十年、数百年と続き、工業系の会社は姿を消してしまった。
ついには、技術者というものがいなくなった。そのため、人は絵だとか本だとか、誰もが楽しめる娯楽に精を出
し始めた。人間が生み出す芸術は、作る側も見る側も、古い物だけではいずれ飽きられてしまうからだ。何十万
人という雇用者を雇っていた分野の会社が倒産し、一時期に社会に混乱が起きたが、そこで働いていた人達は農
業や漁業、林業などに勤め先を変えた。いつの時代も、生きることに直結する産業は衰退しないのだ。
人間は困らなかった。ポリゴンZさえいてくれれば道具は壊れてもいい。その代わりにポリゴンZを絶滅させない
ように、そしてきちんと増やせるように管理をした。万が一ウイルスが広まったりして彼らが全滅してしまった
ら一大事だからだ。
気づけば、世の中はポリゴンZ中心に動いていた。しかし誰もそのことに疑問を持つことはなかった。
あれから長い月日が流れた。ある場所に温厚そうな少年が住んでいる。
「ポリゴンZ。おいで」
少年に呼ばれたポリゴンZは、はしゃぎながら青年の胸に飛び込んだ。
彼の手には、ひび割れた腕時計が握られている。
「お母さんがうっかり踏んじゃったんだ。気に入っていたのに酷いよね」
腕時計はポリゴンZに手渡される。
「お願い。悪いんだけど、これ直してくれないかな」
当たり前のことをお願いした。この時代に生まれた彼にとって、壊したものはポリゴンZに直して貰うのは常識
なのだ。何も悪いことでない。
ポリゴンZは、いつものようにリサイクルをしょうとした。少年の方も、パキパキと音を立てて直る腕時計を想
像した。
しかし、いつまで経っても時計は壊れたままだった。
少年は首を傾げる。ポリゴンZ本人も、普段何気なくできていることが急にできなくなり慌てている。いくら同
じことを繰り返しても、現状は変わらなかった。
「ねえ、お母さん。腕時計が元に戻らないよ」
「あら、ポリゴンZちゃんに直してもらえばいいでしょう」
「違うんだよ。ポリゴンZが直せなくなっちゃったんだよ」
「そんなことある訳ないでしょう。きっとポリゴンZちゃんは悪戯をしているのよ」
「本当だってば」
独り取り残されたポリゴンZは、付けっ放しのテレビを黙視する。
『―速報です。世界中の化石燃料が枯渇したということです。いつかはなくなると言われていましたが、予定し
ていた年よりもずっと早く、えー五百年程早くなくなってしまったそうです。なぜこんな事態に陥ったのか、そ
れは現在不明ということです。専門家も、こんなことは有り得ないと口を揃えており、詳しい原因はこれから調
べるということです。世界にある燃料が突然枯渇したことで、各国で混乱が起こる可能性が高いということです
。この後、夕方のニュースで、更に詳しくお伝えします―』
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何年か前にせこせこ書いた。修正ほぼせず。最後の最後までオチをどうするかで悩み、その結果ありきたりに。
初の薄い本に収録済み。
ポリゴンは悪くない。