「よし、アクア団を止めることが出来たな!」
マグマ団のリーダーが去っていったアクア団を見送った。幹部のホムラも団員の無事を一通り確認すると、さっと身構える。視界には入ってないが油断ならない相手だ。気が抜けない。
「ホムラっ!!!」
ホムラの真後ろから背中に張り付いて来たもの。それは人間である。ただしまだ子供である。正体など確認しなくても解りきっていた。
アクア団との抗争に巻き込まれた旅のポケモントレーナー。名前をハルカという。赤いバンダナが猫の耳みたいだから、ホムラは猫と呼んでる。
アクア団に絡まれてるところをホムラが助けた。のはいいが、それ以降こんな感じだ。
「ねーねー、アクア団いなくなったよ!マグマ団の仕事終わりでしょ!?ねーねー!ねーえーねーえーーーー!!!」
耳元で大声で叫ぶ猫は迷惑そのもの。ホムラも耳を塞いで無視。しかし背中から離れないハルカはホムラに話しかけ続ける。ホムラがリーダーのマツブサに報告する時も、同じく幹部のカガリに話しかける時も騒いでる後ろの生物。
「うるせえ猫!!!!黙ってろ!!」
ホムラが我慢しきれず、ついに怒鳴る。大抵の子供はそれで黙るし、離れていく。うざいのがいなくなってせいせいしたとホムラは前を向いた瞬間、首がぎゅっとしまった。まだ背中の生物は張り付いている!
「きゃーっ!!ホムラ大好きいぃいいい!!!」
子供のパワーを侮ってはいけなかった。
カガリも事情をわかってるのにおせっかいなやつで、一度くらい遊んであげれば、とアドバイスしてきた。ハルカはカガリに完全同意。マツブサもそれに同意。ホムラの味方はいなかった。
というわけでホムラはなぜかハルカと遊んでる。コンテストが見たいというからカイナシティのハイパーランク会場にやってきた。人ごみにまぎれて帰ろうと思っていたが、ハルカはホムラの手をがっしり握って放さない。一体、マグマ団の幹部という肩書きである身であるのに、何が悲しくてポケモントレーナーに混じってコンテストを見てなければならないのか。
つまらなそうにホムラがコンテストを見てると、さらに隣に熱気がやってきた。ハルカが腕を組んでるのだ。逃げられないようにしているのもあるが、ホムラと目が合うととても楽しそう。
「はぁ……」
ため息しか出て来ない。会場の警備の人間には「妹さんの手を離さないようにしてください」と言われた。こんな妹がいたら追い出すか自分が行方をくらます方がマシだ。
おそらくハルカはアクア団が悪くてマグマ団が助けてくれるいい奴だと思い込んでる。確かにマグマ団の主張が正しいが、やってることは法律すれすれのことばかり。そんな人間に何を間違ってこんなに懐いているのだか。
「ホムラあのね!」
コンテストが終わってカイナシティに出た瞬間、さらに腕を絡ませて近づいている。いきなり腕をほどいたと思ったら、ホムラの目の前にハルカが猫のように立つ。
「なんだよ」
「これってデートだよね」
「猫の散歩はデートと言わん」
ハルカが頬を膨らませる。これで離れていけばホムラも苦労しない。今にも背中を虎視眈々と狙ってるハルカ。
着信を知らせるアラームが鳴った。ホムラの顔色が変わる。
「猫、予定が変わった。お前先に帰れっても、帰れないだろうな」
「なんで?」
ホムラが指した方向をハルカが見る。反射的にハルカがホムラに抱きついた。
「こんなところでアクア団に囲まれてるとはなあ。暴れんなよ」
多勢に無勢だ。ホムラはハルカを脇に抱える。そして自分のグラエナに後ろを任せると、カイナシティの人ごみに逃げ込む。アクア団が追え!と叫んでいる。ここで捕まるわけにはいかない。アクア団がよからぬことを企んでるのは解っている。
マグマ団の誰かには連絡したので、誰かが応援に来てくれるはずだ。それまで居場所を固定せず、カイナシティの人の多いところを移動する。ポケモンセンターに逃げ込んでハルカだけ置いて行く選択肢もあったが、目の前にアクア団がいたので慌てて引き返す。
計算違いだ。まさかこんな街中でアクア団の集団に鉢合わせて、しかも喧嘩まで売られるとは。別のルートでグラエナが戻って来た。後をつけられてない。教えた覚えはないのに、優秀なグラエナだ。頭を撫でてやるとボールに戻す。
「ホムラ? カイナシティに現れたアクア団は数が増えてるみたい。応援に行くより迎えに行くからアジトに戻って来て」
カガリの声で通信が入る。思わずホムラは聞き返した。
「はぁ?今こっちはお前らの策略のせいで猫一匹連れてんだぞ。俺にどれだけ走れって言うんだ」
「あら、そこまで言うならカイナシティ周辺のアクア団をマップに表示してあげましょうか? これはホムラが逃げた方が妥当だと思うけど」
「……いや、いい。どうしても一言いいたかっただけだ。それに何だか目の前が真っ青だしな」
人ごみの向こうに見える範囲ではアクア団の青いバンダナばかりだ。ハルカを抱える腕がそろそろ限界だ。かといってあんな犯罪者集団のど真ん中に置いて行くわけにもいかない。ハルカが心配そうな顔でホムラの顔を見上げている。怖がってる。あの時と同じ顔だ。
「撒け」
もう一つのボールを投げた。空高くクロバットが飛び上がったと思うと、四方に黒い煙をまき散らす。もっている煙玉からの煙幕は止まらない。ホムラは煙の中を走る。
子供とはいえ人間を抱えているのだからそれだけ息が切れる。自然と人の気配がない方向へと走っていた。灯台に着いた。誰一人の気配もしない。物陰に到着すると、ホムラは座り込む。肩で息をして、喋る気にもなれない。ハルカが何も言わずに膝の上に乗って来た。
「……はい」
ハルカはおいしい水をホムラに差し出した。無言で受け取ると、浴びるように飲む。口からあふれた水が、服やコンクリートを濡らした。
「ホムラかっこよかったよ」
「そうか」
「……私はホムラが好き」
「そうか」
「……でも、もっと頼っていいよ。初めてあった時みたいに、もう私弱くないもん」
「そうはいかねえだろ」
ハルカの頭を軽く二回叩いた。もう立ち上がる気力もないが、庇うことくらいは出来るはずだ。日を遮る影を見上げて睨みつける。
「マグマ団幹部のホムラ様もガキの保護者かぁ?落ちぶれたな」
でかいのはアクア団幹部のウシオだ。こいつが来てるとなると、ことは難航する。トップのアオギリも嫌だが、こいつも十分嫌だ。ホムラの体格より大きく、直接殴り合えばこちらの命が無さそうだ。
「そのガキを渡せ」
威圧感のある声。腹の底から縮むような思い。もうこれ以上動けないホムラは最後の虚勢に出る。
「はぁ? 貴様そういう趣味だったのかよロリコン」
「正確にはそのガキの持ってるものだ。デボンから預かってるものを……」
「も、もう渡しちゃったもん!だから持ってないんだからね!」
ホムラの影からハルカが叫んだ。ウシオは顔色一つ変えなかった。むしろ背後から感じるオーラが余計に増えたようだ。無意識なのかハルカがホムラを掴む手が強くなる。
「嘘ついてるんじゃねえだろうなあ。ガキ一匹はかせるのは簡単なんだぜ」
「ウシオ、お前はこんな小せえガキに、威勢はってむなしくねえのかよ」
「ガキだからって容赦はしねえ。アクア団の目的の為にはな。ついでにお前もここでつぶせる。一石二鳥だろ」
いきなりホムラはハルカの頭を掴むと、地面に押し付けた。そしてその上を自分の体で庇う。ウシオの髪を切り、ホムラの背中を風の刃が通り過ぎた。
「あーら、お兄さん。相手が違うんじゃない?」
大型二輪のエンジン音を響かせてカガリがボールをかざす。クロバットが収納された。そしてホムラに対して合図を出す。
「轢かれたくなかったら、そこを退くことね。さすがに鉄のかたまり相手に踏ん張れるほど丈夫じゃないでしょウシオ!」
カガリが容赦なくウシオへ向かって来る。ウシオも避けるしかない。そして減速する鉄の塊にホムラは飛び乗った。停車したのは一瞬。バランスを崩すことなく、カガリはそのまま加速する。このまま逃がしてなるものかと、ウシオはモンスタボールを投げた。
「追え」
ゴルバットが追いかける。カガリはミラーに映るゴルバットを確実に捉えていた。舌打ちするとさらにアクセルをまわす。
「すっ飛ばすよ。保護者のつもりなら最後までその子捕まえてな!」
道路をほとんど無視してカガリは走る。偶然なのか、信号すら危ないと判断したのか、全てがタイミングよく青に変わる。何度か角を曲がり、カイナシティの端まで来るとゴルバットの影は見当たらなくなっていた。
エンジンを切り、端に止める。しらない誰かのものらしく、鍵がついていたのでそのまま借りていたのだそうだ。都合よくあることに感謝する。
「しかしこれからアジトに逃げるっていうのに」
ホムラの背中に張り付いてるハルカを見た。
「ごめんなさい」
小さな声でハルカが言う。しかしホムラから降りようとしない。ウシオが怖かったのか、カガリの乱暴な運転が怖かったのか、ホムラをしっかりと掴んで離さない。
「状況が状況だから仕方ないわよね。放り出すわけにもいかないし。ねえ、保護者さん?」
「俺は保護者でもないし飼い主でもない」
ホムラの反論は無視される。カガリはすでに歩き出していた。その時にやっとハルカがホムラの背中から降りて来る。そしてホムラの手を掴んだ。子供じゃないと言っていても、中身は子供そのものだった。
「どこへ行くの?」
「アジトだよ。アクア団から一時的に避難するにはそれしかねえ」
部外者を入れることでマツブサに何かしら言われることは目に見えている。しかしカガリの言うように、状況が状況だったのだ。小さな子供をデカい体で脅かすようなやつの前において行くわけにはいかない。
仮眠室とは名ばかりの倉庫にハルカを置いて、マツブサに報告しにいく。するとすでに入っていたカガリと揃ったところで怒りの言葉が聞ける。内容は部外者を連れて来たことではない。休暇中、しかも街中でアクア団に囲まれ、なおかつ逃げるしかなかったことだ。ガミガミと怒鳴ることはしないが、その言葉は怒りに満ちている。
最近のマグマ団はアクア団に遅れをとっているとか、妖しげな研究をしているとか。とにかくアクア団の存在が最近横暴になってきたとマツブサは付け加える。
「ところでホムラ。お前の愛人はいつまでここに置いておく気だ?」
マツブサの言葉が何のことか解らず、ホムラは沈黙する。
「あい、じん……あいつか!? 冗談きついです。俺は18才以下お断りだ!」
カガリが吹き出す。顔をそらし、笑いをこらえている。ホムラの全力で拒否する姿は、今までに見たことなかった。
「とにかく!アクア団から逃がしたんだし、帰ってもらいますから!」
ムキになって去っていくホムラは、みんなのいい見せ物になっている。誰もがマツブサの愛人発言を真に受けていないのに。いつの間に二号さん作ったんですかとすれ違いざまに言ってきた部下の頬をつねった。
「お!れ!は!子供に!興味ない!」
マグマ団ならそんなの誰でも知っている。それなのに必死で否定するホムラが面白い。部下の頬を放し、無言で仮眠室へ向かうと、そこは楽しそうに団員と喋ってるハルカがいた。チョコレートやクッキーをもらえて大変ご満悦そうだが、その姿はさらに猫に見えた。
ドアを開けたまま立っているホムラの姿を確認すると、ハルカは貰ったものを嬉しそうに持ってかけてきた。これもらったのーと自慢するハルカをはいはいよかったなと適当にあしらった。
「で、お前らなんで餌付けしてんだよ。俺の味方はいねえのか!」
団員に向かっていったが、彼らはしれっとした顔で言った。
「えっ、ホムラさんの愛人っていうからちゃんと接待したんですけど」
「違うわ!!!どこが!愛人だ!!ほら猫いくぞ」
ハルカの手を握ってホムラは引きずっていく。いつまでも部外者をマグマ団のアジトに置いておくわけにはいかないのだ。ハルカはホムラから手を握ってもらえてとても嬉しそうだが。
「あら、愛人つれていい御身分ね幹部のホムラさん?」
入り口方向からカガリがやってくる。出会い頭に先制攻撃をされてホムラは何も言えなくなった。どんなにアクア団に突っ込んでいく怖い者知らずのホムラでも、カガリには勝てない。
「でも残念だけど、外のデートに行かない方がいいわよ」
「なん……まさか」
カガリから全てを聞くまでもなく、状況はだいたいわかった。外にアクア団らしき人物がいるのだろう。それも出て行かない方がいいと判断したくらいの人数が。前からここがアジトだと張られていたようだ。すると今回の襲撃はアジトを特定するためのものだったか。ついでにハルカが預かってる何かを奪おうという、アクア団なら使いそうな手だ。
このタイミングでそんなことになるなんて最悪だ。ハルカを見れば、さっきまで機嫌がよさそうだったのに、心配そうにホムラを見上げている。
「いいか!仕事の邪魔したら速攻でたたき出すからな!」
ホムラが使ってる情報処理の四畳半ばかりの空間の隅にある毛布の上でハルカはじっとしていた。つけっぱなしのパソコンをホムラが動かし、スリープモードから戻った。たくさんの文献をスキャンしたり文章化したものでいっぱいだ。必要なファイルを起動して、編集を加える。
「わー、なにこれポケモン!?」
いつの間にホムラの背中に張り付き、パソコンの画面を見つめていた。
「邪魔だ退け」
「やだー」
何言っても無駄か、とホムラは黙って作業の続きを始めた。耳元が多少うるさいが、反応がないと解ったのかハルカもそのうち大人しくなった。
アクア団が目を付けている古代のポケモンはカイオーガといい、大雨を降らせた逸話がいくつも残っている。そしてその力で海を広げた。そんな大雨に困った人たちを救ったのがグラードンと言われるポケモンだ。
資料を反復していると、いつの間にハルカはホムラの膝の上に座っていた。本当に猫のようにするりと抜けて来る。前世はニャースでその癖が残っているんじゃないか。存在を無視することを諦めた。
「ねえねえこれなに?」
「カイオーガ。ホウエンの昔話によーく出て来る海を作ったポケモンだよ」
「こっちは?」
「グラードン。ホウエンの昔話によーく出て来るカイオーガの大雨から救ってくれたポケモン」
「……この人」
「これはウシオ、ポケモンじゃねえ。んなの知ってんだろ」
アクア団の幹部だ。リーダーのアオギリのお気に入りその1。この体格でトレーナーだからまだ渡り合えてるものの、リアルファイトに持ち込まれたら勝てる見込みはない。アオギリの命令ならなんでもこなす。ハルカみたいな子供を力でねじ伏せることだってする。
ホムラがハルカに会ったのもそんな現場だった。アクア団が海の博物館に盗みに入ったと聞いて、カイナシティに行ったのだ。もう解散した後だったのか、海の博物館にはほとんどいなかった。しかし少し離れたところで悲鳴が聞こえた。嫌だと言う声が、水を飲んでいるような声だった。誰かが海に落ちたのかと行けば、ウシオがハルカの頭を掴み、海に押し付けていた。どこへやった!?言わねえのか!と溺れる寸前で引き上げ、恐怖を叩き込んでいた。隣にいたカガリを息を合わせ、クロバットがウシオに飛び掛かり、その隙にホムラは海に飛び込んだ。むせているハルカを抱き上げ、もう大丈夫だからなと優しくしてやったのが全ての間違いだったとホムラは反省する。
「わたしもう弱くないもん。アクア団なんて怖くない」
「グラエナに勝ってから言え。毎回、お前のワカシャモ食われかけてんぞ」
「むぅ……」
強くするという訓練もしてやったこともある。が、ホムラの言う通りの結果に終わった。一番強いんだよと出して来たがその通りである。これじゃあ……とホムラは頭を抱えた。
ハルカの相手をして、走り回って、アジトについてもハルカの相手をして。なんてついてない日なんだろうとホムラはぼーっとする頭で思った。対するハルカはホムラの膝の上でさっきのクッキーを食べている。こんなに興味ないと突き放しているのに自分の都合で寄って来る。まさに見た目と同じく猫なのだ。
疲労を回復しようとしたのか、眠気を感じた。しかしハルカが邪魔で寝る事もできない。そのままの姿勢で眠さしか感じなくなった。ホムラが操作しないパソコンは再びスリープに戻る。ちらちらとホムラを見ていたハルカは、腕の間からそっと出ると、部屋の隅にあった毛布をホムラの肩にかけた。自分にも何か欲しいなとハルカは探す。ハンガーにかかった幹部用のマグマ団の制服を見つけた。ホムラがアクア団と戦う時にいつも身に付けている丈の長い赤いフード。ハルカはそれを取ると、それに包まった。大好きなホムラに守られているようだった。
それから何時間かして、ホムラが起きた。少し寝てたな、と体を動かすと毛布がぱさりと落ちた。寝息に気付けばハルカが自分のマグマ団の制服に包まっていた。子供はさっぱりわからんなと落ちた毛布をハルカにかけてやる。パソコンの電源を落とすと自らも横になって眠りについた。
朝になり、ハルカが目を覚ますとそこにいるはずのホムラはいなかった。代わりに自分に毛布がかけてあることに気付く。どこに行ってしまったのか探そうと立ち上がる。
「起きてたか。飯くったら帰れよ」
皿に乗ったパンとジャムを持ってホムラが来た。
「美味いか?そのモモンジャム、カガリが作ったんだぜ」
「うん。美味しい」
「ついでにパンもカガリ作。あいつ何でも出来るとかあり得ん」
「……何でも出来る人、すごいね」
「強いしな」
それから無言でホムラはパンを食べていた。ハルカはぺろっと平らげた。
「絶対に今度はホムラのグラエナに勝つから!」
「はいはい。がんばってください」
「やくそく!それまでホムラに付きまとうから!」
「なんでストーカー宣言なんだ。それに俺に付きまとってたらお前の大嫌いなウシオにも会うぞ」
ウシオの名前を出した途端、ハルカの顔色が変わった。
「でも……ホムラがいれば大丈夫だもん」
「いつでもお前かばって戦えるわけじゃねえんだから、お前は逃げるが勝ちっつー言葉も覚えろ」
食べ終えたハルカをアジトの入り口までつれていく。もう付近にはアクア団は見えない。
「じゃあな。変なことに巻き込まれんなよ」
「でもここにきたらまたホムラに会えるよね?」
「部外者立ち入り禁止です。じゃあな」
折りたたみ自転車を広げ、さっそうと去っていく姿は普通のトレーナーにしか見えなかった。
「ホムラに会いたくてアクア団を探してるなんていじらしいじゃない」
後ろにはカガリが立っていた。すでにマグマ団の制服を着て、数名の部下も一緒だ。
「それでも俺は興味ない……あ、もしかしてカガリちゃんやきもちやっとやい……」
ホムラの言葉は見事に無視された。
昔話によく出て来る。そう聞いていた。その本物を目の前にしたのは中でも数人しかいないと思う。ハルカは目覚めたカイオーガを前に言葉が出なかった。低い声でうなるカイオーガは、そこにいる全員を恨んでいるかのように見えた。大きな波と共に海に潜ったかと思えば、カイオーガはどこかへと消えた。
「最後まで邪魔してくれたな」
アオギリがハルカを睨みつけた。どんなに強くなったと思っても、ウシオを乗り越えてアオギリにたどり着いても、あの時の恐怖が蘇り、体をすくめた。なんで誰も助けてくれないのか。後ずさりするが、どこにも逃げ場などない。
「カイオーガの行方は後で追うとして、貴様にはたっぷり礼をしないといけないみたいだな!」
アオギリの拳が風を切った。それだけでバランスを崩し、ハルカは後ろに手をついた。何かが視界に入る。顔をあげると殺気立ったアオギリが立っていた。殺される。生還の望みは薄く、ハルカは体をまるめて防御するしかできなかった。
「おいおい、アクア団のおっさんってのはどうしてこうなのかね」
獣の息づかいが聞こえた。大丈夫、と言うようにグラエナがハルカの頬をなめる。このグラエナはきっと、ハルカがずっと願ってた人のもの。グラエナをぎゅっと抱きしめた。
「アオギリ、本当にやるとはな……地上が凄いことになってる」
アクア団に負けない数のマグマ団がそこにいた。遅いよ、遅いよとハルカはグラエナを抱きしめながらつぶやいた。いつものグラエナの匂いは、ホムラがいつも連れていて、ワカシャモを何回か食べかけていたグラエナそのもの。頭に重さを感じて、ハルカは見上げた。
「ガキのくせによくここまできたな」
部下をほめるかのような顔だった。いつもアクア団と戦った後に部下を労る優しい顔。緊張感から解き放されて、嬉しいのと安心したのと、たくさんの感情でハルカは抱きついた。
「ほむ、ホムラぁっ!」
他の団員より少し長いマントはフードを被っていてもよくわかった。こんなところでも少しも変わらなかった。離れろとホムラは言ったが、うんともすんとも言わず、ハルカはいつもより力を込めてホムラに抱きついていた。
「それこそ我らの理想……」
「目を覚ませアオギリ。お前が一体何をやっているのか」
アクア団とマグマ団のボス同士がにらみ合う。緊張感が高まり、今にも爆発しそうだ。それを先に解いたのはアオギリの方だった。地上にいるアクア団たちがアオギリに連絡を入れた。それと同時に鳴るマツブサのポケナビ。
「なに、勢いが強すぎる?」
「このままだと沈む、か」
この洞窟に流れ込む海水もカイオーガを見る前より増えてきている気がする。ここから出ようと元来た道を引き返した。
外は酷かった。前も見えない程の雨と、まだ昼間だというのに夜のような暗い空、耳を裂くような雷。カイオーガのいた海底洞窟の上は、浅瀬で波が弾けている深さだったのに、今では膝まで浸かっている。それがどういうことを示すのか誰も言わなくても解っていた。
「こんなはずでは……」
アオギリの視線は定まってなかった。稲妻に照らされた顔は先ほどまでの殺気が嘘のようだ。
「現状を嘆くのはこの事態を収めてからにする。ホムラ!カガリ!」
「はい!」
「解ってますって!」
マツブサの命令は簡単なものだった。幹部二人はいつものように部下へと指示し、自分たちも行動に出る。それを強く手を引いて妨害するものがあった。
「どこいくの?」
「仕方ねえだろ、誰も死なねーためにはやらなきゃいけねえんだよ」
「危ないよ、ダメだよ!!」
「お前こそ、こんなところいないでどこか高いところに避難してろ。わかったな?」
「やだ!ホムラと一緒にいる!やだ!!わたしは!!よわくなんかない!」
ホムラの手を離そうとしない。目を赤くして、雷に負けない大声でハルカはホムラを強く握る。振りほどこうとするほどホムラは子供に冷たくなかった。けれどこのままでは部下だけ行かせてしまうことになる。
「知ってるよ。お前は強いよ。けどな、誰かがやらなきゃみんな死ぬんだよ」
ハルカの目線に合わせてしゃがむ。あれだけグラエナが食おうと狙ってたワカシャモだってバシャーモになっただろ。そいつらと一緒にここまで来れたお前は絶対に弱くない。ここから先は俺たちがケリをつけることだ。お前はもう充分がんばったんだ。これから強くなるお前たちがここで死ぬことない。安全なところに避難しろ。
ホムラはハルカの頭を優しくなでた。そして立ち上がるとハルカに背を向けて走り出した。波が高くてそうそう走れないが、ポケモンたちの力を借りてこの事態から身を守る術を知らない人やポケモンたちを助けなければいけない。雷鳴にまぎれて名前を呼ぶ声がした気がしたが、ホムラは一度も振り返ることはしなかった。少し空を見上げるとこんなときに空を飛んでいるものが見えた。
「カガリ、少し出遅れたがいくぜ」
ポケナビで作業開始の連絡を入れる。豪雨と雷で音声が聞き取りづらい。
「そう思ったら人の二倍は働くことね」
「まぁそう冷たくするなよ、俺たちの仲じゃねえか。それに……もうこうして会話すんのも最期かもしれねえんだし、それくらい……」
「ホムラは父親のいない子供にするつもりなのかしら」
「ウヒョ!?待って、もう一度言って、聞き取れなかったんだけどもう一度言って!?」
「言ってほしかったら必ず生きて戻ることね」
一方的に切られ、どういうことか状況を整理する間もなかった。これだからカガリは解りにくい。どんなにマグマ団たちからハルカが可愛がられようが愛人扱いされようが平気だったのだから、てっきり愛などもうないものだと思っていた。それでも時間の空いた夜には誘ってきたし、そういう扱いされてたのかと思っていた。解ってたならもっと早く言ってほしかったとか、任務があるから言えなかったんだろうなとか、終わったらもう労るしかねえとか。
「ま、とりあえず死ぬなよお前らも」
部下たちの気合いの入った声がした。移動のためのポケモンで空に舞い上がる。雷に注意して海面すれすれを飛べといった。部下が全員飛んだのを見て、ホムラも飛ぶ。ちゃんと逃げただろうかと不安になり、姿を探した。
あいつは大丈夫だ。ちゃんと頼れる大人がいる。ちゃんと守ってくれそうなやつがいるんだ。……じゃあな、生きてたらまた会おうぜ。
あれから、彼の姿は見なかった。あれだけ私に絡んできたアクア団もぱったりと見なくなった。
人の縁は不思議なもので、出会ったり別れたりした。その中で、最も不思議な出会い方をして、別れ方をして、そして再び出会った人と結婚した。どこか子供っぽくてつかみ所がなくて、ダイゴさんはそんな人だった。
時々、ダイゴさんにもホムラのことを話すことがある。というよりウシオとかアクア団の恐怖が私も知らない間にトラウマになっているらしく、そういう時にホムラの話をしていれば自然と怖くなくなっていたから。そんな時、ダイゴさんはいつも抱きしめて頭を撫でてくれた。そういうのも知っててダイゴさんは私を選んでくれたんだ。
まだ子供ながらモンスターボールを携えた女の子は両親に向かって手を振った。トレーナーの第一歩を見送る父と母。よくある光景だ。けれど母親は本当は旅立ってほしくなかった。同じ年頃の時に酷い大人にからまれたことや苦労したことも含めて。
「血は争えないね」
ポケモンが好きでトレーナーになりたいという気持ちを否定することはできなかった。いつかの自分がそうであったように。
少女は譲り受けたアチャモと一緒。タマゴの時からの知り合いだ。きっと楽しいことが待ってるはずだ。
嬉しくて走り出す。どこからみても新米トレーナーは、金を巻き上げるにはちょうどよかった。
「ねえお嬢ちゃん、勝負しない?」
「俺たち勝ったら全額おいていこうか」
にやにやと見て来る集団に、本能でやばいと思うが囲まれている。アチャモだって戦闘経験がそんなにあるわけではない。震える手でモンスターボールを投げた。
「そんなガキから取り上げる金なんてタカが知れてんだろ」
グラエナが集団にぶつかってきた。思わぬ乱入に集団はどよめく。歯茎をむき出しにしてうなるグラエナはとてもじゃないが敵わなそうだ。そのトレーナーはグラエナを手足のように使ってくる。不利だと悟ったやつから逃げ出し、最終的に誰もいなくなっていた。
「あ、ありがとうございます」
「もう大丈夫だ。俺もあーいうのに絡まれて強くなったんでねウヒョヒョ」
帰るぞ、とグラエナに声をかけた。大人の男性トレーナーに、御礼を言うのが精一杯、なんてことにはなりたくなかった。
「待って!あのね、お兄さん待って!」
猫のように華麗な跳躍でグラエナのトレーナーに抱きつく。突然のことでトレーナーはそのまま前に倒れた。
「あ、あのっ!名前教えて!!それと……」
「なっ、離れてくれエネコ人間!」
目をキラキラさせて背中に張り付いてくる子供を引きはがすのは大変だ。かかった時間は永遠の格闘に思えた。