英雄の独白
一人の人は言いました。俺は一人の青年の夢を終わらせたのだと。また一人の人は言いました。俺はポケモンと人間の未来を守ったのだと。このどちらも真実であり、そしてこのどちらも俺にとって忘れ得ぬものでした。
一人で夜を過ごす時、不意にそれぞれの言葉を思い出す時がありました。二つの言葉は俺の胸を抉るように、ぐるぐると渦巻きます。そして言葉は人の姿に変わり、俺に問いかけるのです。「お前がやったことは、本当に正しかったのか?」と。
何かを答えなくては。そう思って口を開こうとするのですが、何故か声が出ません。そんな俺を見るて、人影は意地悪い声で笑い出します。俺の真実と問いかけと笑い声。その三つに俺の心が押しつぶされそうになる一歩手前。そこでいつも俺は飛び起きます。
「俺のやったことは正しかったのか」そう周りの大人に聞くと、皆口を揃えて「正しいことをした」と言います。「君はイッシュを救った英雄だ。間違っていたのは彼らの方だ。君は正しい」と。ですが、その言葉に満足できるほど、俺の心は純粋では無くなっていました。
正しいのは、もう一人の英雄と戦い、俺が勝ったからです。彼が勝っていれば、俺はただの異端者でしかない。その程度の存在なのです。
ですが、彼は本当に英雄でした。
自分の夢を持ち、何よりポケモンのためを思っている彼の姿は、俺の行動よりも遥かに正義の色をしていました。
ポケモンのことだけを考えていた彼の夢を終わらせ、悪に仕立て上げたのです。対する俺には夢も無くて、ただ流されるままに英雄となり、戦った。それは果たして善と言えるのでしょうか。
この俺の想いは一種の後悔だったのです。
何度も何度も後悔する度に、思い出す最後の戦い。あの戦いの後の彼の絶望とも、喪失感ともいえない顔が忘れられないのです。
いつしか俺は、自分の道が信じられなくなっていました。何のために戦ったのか。理想を超えた真実は正義なのか。そして、自分だけでない、信頼していたパートナーのポケモンたちのことも。
そんな時、ある噂を教えて貰いました。「黒いドラゴンポケモンと共にいる緑の髪の青年」の話を。その青年は、遠くの地方で旅をしていると。その青年はきっと、彼なのでしょう。黒いドラゴンポケモンなど、俺の知る限りでは彼のトモダチしか知りません。
俺は彼を探しに旅に出ると決めました。友達は寂しそうにしていましたが、理由を聞くと笑顔で送り出してくれました。母も優しく俺を抱きしめ、今しか出来ないことをやるといいと言って送り出してくれました。
ですが、理由はもう一つありました。自分が分からなくて、辛い。自分の役割、自分の行い、自分の肩書き。全てが重荷でしかなかった。それならば、誰も俺を知らない場所に行ってしまえばいい。自分を、英雄やチャンピオンではない、ただの一人の人間と見てくれる誰かを探したい。そうすれば、もう苦しまなくて済むと。
どんな理由をつけたとしても、俺はただ逃げたかったのです。
俺は色々な地方へ行きました。
そして、様々な人とポケモンに出会い、それぞれの関係性を見ました。どこへ行っても、人とポケモンは共にいました。誰もがポケモンと共にいることを当たり前に思っているようでした。
そんな人々の姿を見ると、胸の奥がチクリと痛みました。こんなにポケモンと共にいることを幸せに思う人がいる。自分にとって当たり前のことも、彼にとっては普通では無かった。それを受け入れずに否定したのは、自分だったのですから。
ポケモンは何故人間と共にいてくれるのでしょうか。俺はあの時確かに、ポケモンと共にいる未来を望んで戦いました。しかし、それは俺のエゴだったのでは無いかと思ってしまうのです。
旅をすることで、自分の道から逃げるばかりか、俺は旅に出る前以上に何も見えなくなっていました。
ある紅葉の美しい街に来た時のことです。一人の少女がある紅葉の大木の前で、炎のポケモンと共に歌っているのを見つけました。特別歌が上手いわけではありませんでしたが、何故だか彼女の声に引き込まれました。彼女の声に合わせて、炎のポケモンは鳴き声を上げています。物語調で歌われるその歌は、この街の伝説を歌っているようでした。聞き馴染みのない言葉は、この地方特有の物のようで。それすらも、聞き心地の良い物でした。
「貴方も旅をしているの?」
突然掛けられた声に俺はびくりと体を震わせました。彼女の歌はいつの間にか終わっていたようでした。白い帽子に赤の大きなリボンがついているのが印象的な彼女は、自分とそう変わらない年に見えました。俺が頷くと、彼女は肩のバックを大事そうに持って続けます。
「私も旅をしてるの。何度も何度も旅に出て、新しい物を探す。そんなことばっかりしてるんだよね」
彼女の言葉が終わると、強く風が吹きました。それによって紅葉の大木は、その枝をゆったりと揺らします。ひらひらと幾つもの紅葉が降ってきて、大木の下に鮮やかな色の絨毯を作ります。
「この街は、秋になるととっても紅葉が綺麗なの。だから、ベストな時期を狙っていつも来るんだけど、中々そうはいかなくて。でも、今年はピッタリの時に来れたな」
一枚の紅葉を手に取り、彼女は炎のポケモンの頭にそれを乗せています。炎のポケモンは、頭の上の紅葉を触りたそうにしながら上を見ています。彼女とポケモンの仕草が可愛らしくて、思わず笑みが零れました。すると彼女はほっとしたような表情を見せました。
「やっと笑ってくれたね」
彼女に言われ、自分がこの頃あまり笑っていなかったことに気がつきました。彼女は俺の顔を覗き込みながら話します。
「キミ、悲しそうな目をしてる。嫌なことでもあったの?」
目の前の彼女の琥珀色の瞳を見ると、何故だか自分に似ているような気がしました。そして、彼女なら分かってくれるような気がしたのです。それは、自分の勘のようなものでした。
俺たちは紅葉の大木の下に腰を下ろしました。そして、俺は彼女に話します。ポケモンと人間が切り離される世界の話、それを夢だと語った彼の話。そして、自分自身の想い。彼女は俺の話に聞き入ってくれました。話しながら、先ほど彼女の歌を聴いていた時と立場が反対になっていることに気がつきました。
話し終え俺が口をつぐむと、柔らかい風が吹き、紅葉を絨毯が揺れます。彼女は隣に座るポケモンの背中へ手を回しました。
「ポケモンと人が切り離されたセカイ。それって、とても不思議かもしれないね」
「不思議、ですか?」
思いもしなかった表現だと思いました。彼女は胸に手を当てて続けます。
「うん、不思議。何だろう、今まで全く考えもしなかったからかなぁ。そんな考えもあったんだって新鮮な気持ちなんだ」
迷い無く答える彼女に思わず問いかけてしましいました。
「否定、しないんですか。ポケモンと人間が離れるなんてあり得ない、みたいに」
「うーん。私は確かにポケモンと離れるのはイヤだから、簡単に受け入れらないかもしれない。でも、それも一つの意見、考えだから。それを否定する権利は誰も無いと思うな」
彼女は手に違う色に染まった落ち葉を持ちながら続けます。
「意見の違いはあって当たり前だもの。その違いは尊いもの。違いを受け入れ、意見が混ざり合うことで、世界はキラキラ虹色になると思うから!」
彼女は落ち葉の片方を俺の左胸にそっと、押し付けました。 俺 の胸へ
「キミも、そして彼も。私はどちらが正しいとも間違ってるとも思わない。どちらも自分の想いを、自分の夢を賭けて戦ったんだもの。傍から見れば、勝ったキミが正しいように見えるかもしれないけれどね」
それでもすっきりはしませんでした。俺が何も言わずにいると、彼女は横のポケモンの背中を撫でて口を開きました。
「でもね、絶対的な存在がポケモンを解放するようにとどんなに言ったとしても、ポケモンと人の絆を本当に消すことは出来ないよ」
彼女はポケモンの両手をぎゅうっと握った後、よしよしとその頭を撫でます。ポケモンはとても嬉しそうな素振りを見せていました。
「私たちはポケモンの声は分からない。だけど、私たちが彼らを大好きで居続ければ、彼らもずっと大好きでいてくれるの。大好きな人と一緒にいることが、ポケモンにとって一番幸せなことだから」
彼女は一度そこで言葉を切ると、真っ直ぐ俺を見据えます。
「キミもポケモンが大好きでしょう?」
彼女にそう問いかけられた時。俺の中で何かが溢れ出すのを感じました。ポケモンと人間の関係。理想と真実。自分の選択。何が正しいか間違っているのか。それに囚われていた俺を、彼女の言葉は解き放ってくれるものでした。
どうして今まで忘れていたのでしょう。モンスターボールを握った時。パートナーを抱き上げた時。バトルをした時。そのどの時も、俺はポケモンが大好きでした。
彼と出会い、彼の理想を砕くための真実。それは俺がポケモンが大好きだったから。大好きな彼らと別れたくなかったから。それは俺の中の真実でした。それは善悪といえる物では無く、俺の想い、俺の夢なのです。
自分の腰からモンスターボールを外し、俺のパートナー達を見つめました。
そして気がつきました。
ポケモンと一緒にいる今は、こんなにも幸せなのだと。そして、今の今まで忘れていた自分はなんて愚かだったのだろうと思いました。
俺は泣きました。
みっともないなんて考えずに、声を上げてひたすら泣きました。悲しくて、悔しくて、切なくて。
うずくまり、モンスターボールを抱きとめ泣きました。
俺の涙に濡れながら、ボールの中のパートナーたちは、見守ってくれていました。今も、その前も。彼らは俺をずっと信じてくれていたのです。俺が一人暗闇の中で苦しんでいた時も、俺が彼らへの信頼を信じられなくなっている時も、ずっと隣で信じて見守ってくれていたのです。
言葉は交わすことは出来ないけれど、そこには絆があったのです。見守ることで、彼らは俺を信じ、愛してくれていた。
それに改めて気がついた今、ポケモンたちを好きで、彼らと旅をしてきて本当に良かったと、そう思いました。
彼女は近づき、子供のように泣きじゃくる俺の頭に手を乗せました。そして優しく頭を撫でてくれました。俺の涙が枯れるまでずっと。
ありがとうも、ごめんねも、さよならも。彼に何一つ言うことが出来なかった、あの時の幼い自分は、もうここにはいません。
俺はもう逃げない。彼からも、自分からも、そして世界からも。
そう決めた俺は、自分が生まれ育ち旅をしたあの場所へ戻ることを決めました。
優しい秋風が紅葉を誘う。
彼との最後のあの戦いから二年が経った、ある秋の日のことでした。
城での決戦の時は、いっぱいいっぱいで何も考えられなかったトウヤ君も、少し経つと途端に不安になるんじゃ無いかと思ったり。
トウヤ君は最強の巻き込まれ体質だと思います。